[文書名] 第四回軽井沢セミナーにおける講演,新しい成長の道(中曽根内閣総理大臣)
【新しい秩序を模索する世界】
私は自由民主党総裁を拝命し、内閣総理大臣に選任されて一年七カ月になります。この間、全国民の皆様方から非常に温かいご鞭撻をいただき、心から感謝している次第でございます。
私は総理に就任したとき“戦後政治の総決算”ということを言いました。そして「日本はいま内政、外交ともに非常に重大な時期に直面している。このような難関は、一自民党や一内閣で突破できるものではない。国民の皆様のご協力、ご理解が基本である。そのために私は、国民の皆様に分かり易く問いかける、そういう政治を心がけ、国民各位のお力を得て、自分のかねて考えてきたことを実行していきたい」と申し上げました。
私は、昭和二十二年五月、新憲法下第一回の国会に代議士初当選以来、約四十年の間、日本の政治に携わってきました。四十年の戦後政治の歴史については、功罪を分かち合っている一人であります。
顧みると、昭和二十年代の占領下の時代、それから独立を経て、日本の自立路線を模索した時代、国連加盟、安保改定を経て、高度経済成長に入ってきた時代の政治、そしてニクソンの中国訪問からドル・ショック、あるいは、二度にわたる石油危機に見舞われた七〇年代の大きな転換期。そしていま八〇年代に入って、新しい秩序を世界が模索し始めたわけであります。
秩序を模索するということは、その前提として何らかの激変が起こっているということで、その激変というものは、ホメイニさんとカーターさんの喧嘩であったかもしれない。言い換えればキリスト教文明と、回教文明の相剋的なものが出てきたのかもしれません。
あるいは米ソ間における核兵器の蓄積というものが限界に達しつつあるのではないか。飽和点に達した場合には、人間は何かしなければならないと感ずるんじゃないだろうか。
一方、極微の世界においては、遺伝子の組み替えというところへ人間は挑戦し、それが人間の尊厳に対して大きな脅威を与えつつある時代に入ってきております。これは植物等においては成功して、多収穫をもたらしていますが、しかし、人間の根源、生命の根源の周辺をいま低迷しつつあるわけで、それがいろんな面で新しい現象もまた起こしています。
こういう意味において、二十世紀の世紀末に入ってきて、人間は内と外の二つの核の脅威にさらされてきた。外の核とはニュークリアー・ウォー(核戦争)であり、内なる核というのはジェネティック・マニ・ピュレーション(遺伝子の操作)というものによって、人間の存在が脅かされつつある。
このような大きな課題を抱えて、我々日本国民の一人として、また人類の構成員の一人として、いま何をなすべきかが問われてきつつあると思うのであります。
【予断での誤解は困る“総決算”】
今までのような資本主義と社会主義の争いとか、自由経済と統制経済の対立といった、古典的な思念から脱却して、我々はもっと広やかな、全く自由人として、現実に立ち、そして人類文明的な観点から、我々の生きる道を模索していくべき時にきていると考えるのであります。
私が「戦後政治の総決算」と言ったのは、一面においては、過去のオーバーホールという意味があります。四十年近く政治に携わって、占領政治から今日までの経過を経て、非常にいい面と、軌道修正をすべき面とが、私の目に映じてきている。それを皆さんの前に提示し、みんなに検討してもらって、その中からいいものを拾い出して、国民合意を形成していくよすがを作ることも、政治家の仕事であります。そういう面も含めて“総決算”ということを言いました。
同時に、先ほど述べたような“内外の核の脅威”に直面して、人類としてどう対処していくかを模索し、二十一世紀に向かっての人間の生き方、国のあり方等について、みんなで研究し、合意を形成していくことが必要だと思います。その大きな構想の中で、一つの大きなファクター(要素)を占めているのが高度情報社会で、既に我々の眼前に大きなウエイトを占めつつあります。
このような考えを背景に、秋のアメリカ大統領選挙以降の米ソ関係がどうなるか。世界中が大統領選挙を見守っております。ソ連も中国も、ヨーロッパを見ているで しょう。私もその一人であります。そして選挙後の米ソ関係がどのように推移するか、政府としてはどのような事態にも後れをとらないだけの準備と検討をしておく必要があります。
多分に世界の人たちは期待しているものがあると思うのです。その期待とは、平和への握手です。そして、その平和というものは、みんなが信頼し、安心できるものでなければいけません。現実的な“検証”を伴った、安心できる平和への道を作っていただきたいし、我々も協力していきたいと考えております。
以上のことを念頭において、私は「戦後政治の総決算」ということを申し上げたのでありますが、日本のジャーナリズムは「これは右寄りの路線に引っ張っていく総決算だ」というふうにとらえたようであります。しかしこれは誤解です。
私は旧制高校時代、河合栄治郎さんの『トーマス・ヒル・グリーンの思想体系』という本を読み、これが私の血肉になっているんです。自由と人権を基礎にして、カントの断言命令というような思想が背景にあると私は思っております。だから私の『新しい保守の論理』という本を読んでいただけば、一貫してドイツ理想主義哲学が背景にあるということをあえて申し上げられるのであります。
ですから、ジャーナリズムが一刀両断のもとに、右だとか、タカ派だと決めつける前に、彼らももう少し思想について勉強してほしいと思います。私が言ったり、行動したりしたことをよく調べ、また私に会って話を聞いて、そのうえで右寄りだとかの断定をしたのであるかというと、大部分はそうではない。
やはり思想の問題や、人間のアイデンティティ(主体性)の問題については、一点一画もおろそかにしない態度で論評するのが正しいいき方ではないでしょうか。余談になりましたが、そういうわけで、“戦後政治の総決算”という意味を言いました。
【三つの改革−−まずは行政】
そういう前提で、私はいま三つの大きな改革を手がけています。行政改革、財政改革、教育改革で、この三つは、やろうと思ってやってきたことであります。「もう一つ、安全保障問題を忘れていないか」と言われるかもしれませんが、これはまだ改革として表へ出すほど時期が熟していません。しかし、これも世界情勢の推移を見ながら、全世界的、歴史的観点から深く考えておくべきテーマであるとは思っております。
政治というものは、一歩一歩改革し、現実を踏まえて前進させていかねばなりません。政治は実証の世界であり、理念や評論の世界とは違います。そういう意味で、今の三つの改革を手がけているわけです。
第一の行政改革は、まさに今、道の半ばにさしかかっています。土光さんに臨調の会長をお願いして、委員の皆さんに非常なご苦労をしていただいて四年目になります。考えてみるとよくぞここまできたなという感じがします。戦後の改革の行革の歴史をみると、みんな挫折しています。二分のところまでもきてない。しかし我々のは五分まできました。これから残りの五分が一番の大事業で、胸突き八丁を登って収穫する段階にこれから進んでいくんだろうと思うんです。
ここまで待ってこれたのは、何と言っても国民の皆さんの絶大なご支援、ご協力があったからです。その象徴として土光さんという方がおられ、全国民の熱意を一身に受けて、我々に対して断言命令のように「やれ!」と指示してくださる。これが最初に申し上げた国民の力なくして一内閣、一政党で出来ることではない、ということであります。
今の国会に私どもは約三十件の重大な行政法案を提出しています。私は行管庁長官のときから行革を手がけてきましたが、やはり一番苦労したのが昨年秋の“行革臨時国会”でした。
このときは七つの行革法案を出しました。その中には行管庁と総理府を統合して総務庁にするという画期的な法案もあり、この七月一日、総務庁が発足したわけですが、戦後、中央官庁を統合したということはこれが初めてであります。
また、十省庁が七月一日を期して内部の大改編を行いました。例えば運輸省では、従来の鉄道監督局とか船員局などをやめて、陸海空を通ずる総合運輸政策をやる政策官庁に生まれ変わったわけです。厚生省も同様です。
なぜこれが出来たかというと、昨年の臨時国会で、国家行政組織法の一部を改正することができたからです。旧法では官房とか局を改革する場合は、すべて国会にかけて法律を改正しなければやれなかったんです。それを昨年の改正で、中央官庁の局と官房、それから地方の出先機関等については、まず中央においては局と官房で百二十八の範囲内なら国会に出さなくても政府が自由にやれる、というふうにしたわけです。
これについては「国会の監督権が薄れる」などの理由で、野党は大反対でしたが、私どもはこれをやってのけました。そのほか五つの重要な改革を行いました。
例えば、破産に瀕している国鉄の年金を救うために、電電や専売などの余裕のある公的年金との統合をする法案を出しました。
【選挙の帰趨より国民の生活】
ところが、あの国会中にああいう問題(田中判決)があって政局が混迷し、衆院解散かどうかという状況になってきた。解散すれば選挙に不利な時期だということは私もよく知っています。しかし、大詰めの段階になって解散すれば七つの行革法案は全部成立するが、その場合は選挙に負けるかもしれない。私は総理大臣としての大きな選択を迫られたのです。
しかし、私は行革法案を成立させるほうをとりました。もし解散を避けて、七法案を通常国会に持ち越したら今の三十件の改革、すなわち電電、専売の改革や、健保の改革、あるいは地方事務官の整理など、大事な法案が提出できなくなります。
政府は行政改革大綱を作り、タイムテーブルを組んで、その手順に従ってやっているわけですから、もしそれができないとなると、対外的にも、国内関係においても行革が頓挫してしまう。それは次に出てくる国鉄に響いてきます。そういう玉突き現象にならないように、非常に苦労したわけです。
しかし、私は「行政改革に政治生命を賭ける。土光さんと心中する」と言ってきた人間であります。解放・総選挙の結果は神仏に祈るしかない。ともかく政治家として、現実に国民の生命・財産に関係していく問題、より身近な国民生活の問題を解決しようと決意して解散に踏み切りました。選挙の結果はよくなかったけれども、しかし行革法案は全部成立しました。
この結果、先に述べたような改革ができ、いま次の段階へとスケジュールどおりに進められているということです。選挙の結果については、新自由クラブと連立を組んで、政局は一応安定させましたが、そういうスリルもまた、政治の醍醐味の中にもあるんですね。
【競争原理導入で経済を活性化】
第二の財政改革、これもまた非常に難しい問題です。しかし、行革との関連で考えて一番大事な問題であります。
ご承知のように、今のような状態では、財政の力に頼って経済成長をはかるということは、非常に難しい時代に入っておるわけです。学者のいろんな説があって、景気の循環のカーブがありますね。例えばコンドラチェフの波というのは、二十五年周期でアップ・アンド・ダウンがあるという。戦後の日本を見ても二十年周期で変動する。高度成長時代がアップで、七〇年代に入ってからダウンの段階に入り、二十年ぐらいは続くだろうと言う人もいます。
もちろん、新しい大きな技術革命が起きれば別ですけど、そういうものが起きない場合はこの情勢は続くというのが、統計学的な見方ですね。そういうときに、公共事業をいくら起こしても、乗数効果は小さい。高度成長時代はちょっとインプットしてやれば、パーッと乗数効果が出て、一波が万波を呼ぶ力になった。しかし、ダウンの状態にあるときには、それは線香花火みたいになると。
そう言われれば、政府は昭和五十一年以降、積極的に国債を発行し、それによって失業を最小限に食い止め、景気の低下を、世界から見れば一番良好な状態に持っていきました。しかしその結果、いまや百兆円を超える国債が累積してしまったわけですが、考えたほどの大きな刺激力はなかったようです。こういうことを我々は経験したわけですから、よほど注意深くやっていく必要があると私は考えております。
しかし、これを脱却する道はあります。それは、デレギュレーション(公的規制の緩和)という新しい手段を使うことです。例えば、電電公社を民営化して、競争原理を導入する。タバコにも競争原理を導入し、外国タバコを自由化して、外国タバコ会社も日本で会社を作って売れるようにする。そういう競争をさせます。
いま、電電会社法案を審議していますが、第二電電に対して京セラほかが手を上げる。こういうのが出てきただけでも、経済活動が活性化する。そして、その下に何十、何百という中小企業や関連産業が手をつないでくるわけです。そういう景気の新しい付加方法、いわば“新しい成長の道”を我々はここで考えていくべきだということを、私は昨年から考えてきました。
昨年八月に、八〇年代の新しい経済計画を作るときに、私は経企庁に、今までは五カ年計画とか十カ年計画という形でやってきたのを改めて、今度はそうした定量的なものではなく、定性的なものにしなさいと言って「展望と指針」という名前に変えました。そういう発想のもとに、デレギュレーションを中心に思い切ってやるように、その時から強く言って「我々が向かう大きな目標は、高度情報化社会である」と主張したわけです。
日本の経済が発展してきた過程を見ると、初めは石炭や肥料、次には鉄、船等であったのが、昭和四十年代から自動車やカラーテレビになり、それらが景気を興してきたわけですが、この十年ほどはそういうものがない。しかし、この間に日本の科学技術は相当に発展し、エレクトロニクスの世界ではアメリカに追いついてきた。この分野が花開けば、次の牽引力になる。またそうすべく考えて、高度情報社会というものを前面に出しているのです。
【あらゆる分野で“自由化”を】
あるいは最近、金融と資本の自由化、円の国際化に踏み切りました。関係方面は猛反対でしたが、強引に説得してここまで持ってきたんです。大蔵省の諸君は「ステップ・バイ・ステップでやります」と言いましたが、私は「ストライド(大股)・バイ・ストライドでやれ」と言って思い切ってやった。それで垣根を外して、あらゆる商品を出させて競争させる。これが日本を次の段階に大きく飛躍させると思います。当初は辛いかもしれませんが、数年後には必ずいい結果が出るだろうと思っています。
そういう意味において「日本は今や世界のリージョナル・ファイナンシャル・センターになるべきだ」という目標を持っています。
フランクフルトや、ロンドン、ニューヨーク、チューリッヒなど、いろんな金融センターがあり、それぞれに歴史と伝統を持っているので、一朝一夕に抜くことはできないかもしれないけれど、これだけの経済力を持っている日本が、現状に甘んじているということは、その面における日本の関心のなさを意味するんじゃないか。少なくとも政治家は火をつけて、ガイドラインを設定し、みんなが努力する方向へ進めるべきだと思っています。
東京が、そういうファイナンシャル・センターに成長していくこと自体が情報産業なのです。コンピューターなど、全部がここで動き出すわけですから。また、それを操作するノウハウ自体、情報産業のバイタルな面でもあります。そうなれば、金融機関のみならず商社や中堅企業に至るまで、金融問題の権威者を会社に入れなければならない。そういう時代になってきています。
もう一つのデレギュレーションは、教育も一種のそれです。六・三・三制という現在の制度を、いかに自由化し、弾力化し、国際化していくかという問題もあります。教育にはもちろん、教育本来の精神的な問題という大事なものがありますが、また一面でデレギュレーションというものもかかってくる要素があると私は思っております。
そのほか、国公有地、国鉄の所有地を民間に解放して、都市計画、経済活動、その他に使ってもらうことを始めています。既に東京では、新宿・西戸山に約四万平方メートルの公務員宿舎の敷地があります。ここに四階建ての古い宿舎がありますが、これを十階か十五階のものに建て替えると同時に、あいた土地を公園や音楽堂、民間の住宅団地にするなどの、再改造をめざしていま始めています。
これを民間デベロッパーや建設会社の力を借りてやろうということです。全国を調べてみると相当膨大な土地があるんです。行政財産になるともっとたくさんある。東京大学が持っている土地なんか、一説によると埼玉県ぐらいの広さだそうです。もちろん演習林なんかも入るんでしょうけどね。ともかく、官公庁が持っている土地で活用できるものはそういう形で工夫してやろうということであります。
ある人に言わせると、全国にあるこれらのものを再開発すると、一部の行政財産は入れなくても八十兆円ぐらいの仕事が生まれるそうです。そこまでいくかどうかは別にしても、新しい成長の道というものは、このデレギュレーションという方法を中心に、民間の活力を生かす形で実行していくことが大事だと思っております。
(注)デレギュレーション(公的規制の緩和)=許可、認可、監督、規制をできるだけ解除して、民間が自由に活動できるようにすること。
【教育も二十一世紀をにらんで】
第三は教育の改革であります。これから、臨時教育審議会設置法案を成立させていただき、委員を任命して、この方々によって日本の教育のよりよい改革の処方箋を書いていただこうと思っております。
その中身は、審議会の方々がお決めになることですから、私がとやかく申しませんが、今いろいろ指摘されているような教育の弊害を改めて、二十一世紀に向かって、伸び伸びとした世界的な日本人を育てていただこう、そういう考えに立って教育改革をお願いしていくつもりであります。
そのほか、先ほどニュークリアーという話をしましたが、ガンの研究にも力を入れようと思っています。というのは、DNA(デオキシリボ核酸)あるいはガンの遺伝子が発見されて以来、世界のガン学界はいま騒然として、ガンが究明される前夜の状態にきているからです。これはガン研の杉本博士らから話を聞いて確かめておるところです。
いま日本人の死亡率で一番高いのがガンです。年間十七万人も死んでいます。したがって、ガン撲滅に日本も大きく貢献すべきであると考えて「対ガン十カ年総合戦略」というものを作って、海外協力、学者の交流などいろんな面で取り組み、予算も昨年より七十七億円増やし今年は三百六十億円つけました。五十九年度一般会計予算が前年より三百三十八億円減らした中で、七十七億円ガン対策に増やしたということは、それだけ重点政策として取り組んでいるということです。
あるいは、いま「花と緑で人の和を」というキャッチフレーズのもと、みんなで木を植える運動をやっています。これは心のうるおいを求めようという考えからです。
これを政府が本腰を入れて始めてから、この三月に結果を調べてもらったら、各市町村や府県など、一昨年より三割強増えているんです。中央官庁の力の入れ具合でこういう問題は随分違うんだなあと思いました。
今年から「緑の宝くじ」も始めました。これが大変人気を呼んで、ネット四十五億円ぐらい入る予定です。このカネで苗木を買い、市町村に配ってみんなに植えてもらおうという計画で進めています。いずれ、ガンについてもそういう方法を考慮してもらうつもりです。
また、緑については日本ゴルフ協会に頼みました。プレーをするゴルファーに一回につき百円寄付してもらって「緑の基金」をつくることを始めています。これは静岡県で山本知事が既にやっていたことですが、全国的に広げたいと思ってゴルフ協会のご協力を得て、いま実施しているところですが、まだ主旨が徹底してない面もありますので、ぜひご協力をお願い致します。
以上、内政については、一つ一つできるだけ具体的に前進させてきているつもりであります。
【世界の一員として相応の役割を】
次に外交についてですが、私が総理に就任したときは、日本は恐らく空前の国際的孤立の中にあったと思うんです。中国、韓国との間には教科書問題の名残りがあり、アメリカとの間には経済、防衛問題で非常な摩擦があり、ヨーロッパや東南アジアからも、ともすれば疑念を持って見られておりました。日本を取り巻く状況は、そういう閉塞状態にあったわけです。この環境を改善すべく一連の外交活動をやってきたつもりであります。
幸い、私の見るところでは、この孤立からは脱したと思います。そして最近の情勢は、「日本は我々の大事な仲間である」という明確な意識をこれら諸外国の人たちが持つに至ったという気がしております。
そして、この頼もしいパートナーである日本を無視しては、ヨーロッパもアメリカも自分たちの外交、世界政策を進めることはできないというところまできつつあると思います。これは非常に大事なポイントです。そして、この日本のポジション、つまり「外国か信頼され、応分の世界的役割を果たし、正直かつ国際性を持った日本」というものを定着させていくことが、今後の大きな仕事です。
これまで経済、貿易の面で、ともすれば「日本はアンフェア(ずるい)だ」と言われてきましたが、いやしくも一つの国家がずるいなんて言われることは、大変な恥辱です。私は総理在任中に、できるだけ早くこの言葉を日本の周辺から消し去らなければならない、これが私の仕事だと考えて、一連の市場開放や、世界的役割の分担、さらに日・米・欧三極連携という方向に入って、政治的にも経済的にもこの連携の上に世界政策を実行していく、そういう外交政策をやってきました。
私は世界平和を維持していくためには、米・欧と手をつないで、経済だけでなく政治的な役割も分担して堂々とやっていこうと思っています。自由世界第二位の経済大国になった日本が、そういう仕事までしなければ、日本の存続を続けていけるはずがありません。それも憲法の枠内において、国民合意を得つつ実行することが大事であることはいうまでもありません。
ここに来る汽車の中で『ワシントン・ポスト』を読んできたんですが、チャップマン記者が「日本はナショナル・プライドを考えだした」と書いてあった。それを見て私は彼らはそう見ているのかと思い、ともかく、アンフェアという言葉が消えてきたことを非常に嬉しく思っています。
同時に「日本は少なくともアローガントではないが、セルフコンフィデンツになってきた」(傲慢ではないけれども、自信を持ちはじめた)「日本は中曽根首相のもとに自己の主体性を探しはじめた」とも書いてありました。私はこれを見て、わりあい正確に見てくれているなという感じがしたのであります。
【日本はルールメーカーたれ】
そこで、非常に大事な局面に今きていると思うんです。日本を右や左の方向に持っていってはならないんです。日本は正しい民主主義の、自由な国家として、公平なフェアな国として、また謙虚で節制のある国家としてこれから伸びていくことが大事であります。
今まではある程度、壁を破るために、我々は意識的にストライドを伸ばした点もあります。しかしこの段階になると、日本に要請されるのは節制であり、抑制力であり、着実に約束したことを守っていくということです。我々は、これからの日本の進路を模索するに際して、そういう点をよく考えていくべきであります。
また、日本は今まではルールテイカーでありましたが、これからはルールメーカーとなるべきです。ニューラウンドを提唱しているのもその一つであります。東京ラウンドが終わりに近づくので、次の貿易の新しいルールを決めましょうと。ハイテクも出てきたし、新しいサービスや、農産品問題、あるいはセーフガード問題もある。いろんな問題について今やってることは実行しつつ、次の新しいルールを作ろうじゃないかと、私は昨年コール西独首相、レーガン米大統領、トルドー・カナダ首相が来日した時に提案し、賛成してもらって、今度のサミットで提議しました。
その際、私は特に「我々はこれを皆さんに押しつけるつもりはない」ということを付け加えました。それはヨーロッパ諸国に太平洋圏に対する警戒心がかなりあるからです。そういう意味で、我々が今後出ていくに当たっては、よほど注意深くやる、さっき申し上げた節制、抑制というものが、これからの国際政治のうえで大事になると、私は大いに自戒しているところであります。
それから、我々は今までは、貿易のパートナーでありました。これからは発展途上国に対して産業や技術のパートナーになっていかねばなりません。そういう気持ちを持たねばならない時代に入ってきたのです。
しかし、太平洋時代というものは必ずやってくる。その歴史的必然を阻害する必要はない。我々はこれらの地域と緊密な連携を遂げながら、無理をしない範囲内で、着実にこの時代を招来するように努力すべきです。そのときに、日本は必ずや世界のリージョナル・ファイナンシャル・センターになっていくであろうと思っています。そして国内的には高度情報社会をめざして進んでいくべきだと考えています。
【これからは日本が教える立場】
ロンドン・サミットが終わって、二国間会談に移ったとき、英国のサッチャーさんが私に「これから我々がやるべきことは産業調整です。アメリカや日本に学ばなければなりません」と言いました。
というのは、ヨーロッパでは経営者が非常に保守的で、なかなか技術革新をやらないし、労使問題も硬直化して動きがとれず、伸びていく力を自ら阻害している。これを打開しない限り、ECの将来はないと考え「産業調整」という名前で言っているわけです。それで、日本に学びたいというので、私はこういう話をしました。
「日本ではロボットをたくさん使っていますが、あなた方はいやがった。我々はロボットも仕事の仲間だと思っている。だから太郎とか次郎とか名前をつけ、会社の創業記念日や正月などには、工員たちがビールを持ってって、おい兄弟、一杯飲めやとやる。あんた方はロボットを怪獣みたいに思っている。そこが違うんだ」と。そしたらサッチャーさんは「ロボットにはビールをやらないで、ぜひスコッチウィスキーをやってください」と言った。そのへんはサッチャーさんの素晴らしいところですがね。
フランスのミッテラン大統領にも一つ感心したことがあります。外務大臣が作ったペーパーに、財政赤字を節減するという項目があって、その中に「財政赤字の一番大きいアメリカがまず削減するよう希望する」という言葉があった。そしたらレーガンさんは「このアメリカという字句を消してくれ」と言ったんです。
すると外の国々は「いやそのままにしておいて、あなたがこれだけ苦労していることをアメリカ国民に見せたほうが選挙に有利じゃないかね」と言ったけれども、レーガンさんは「そう言うけど、ここにいる七人の中で、アメリカより財政赤字が少ないのはドイツだけだ」と言って数字を挙げた。これにはみんな参ったわけです。
私はレーガンさんを助けてやろうと思ってたんですが、ミッテランさんがさっと「じゃアメリカの名前は消そう」と言ったんで、みんな驚いた。今までことごとにアメリカを叩いてきてましたからね。
彼は「フランスは国家の光栄を考える民族である。だから相身互いだ。アメリカの大統領が、ここでアメリカの名前を削りたい気持ちはわかる。だからそれは消しましょう」と。私は鮮やかだなあと思いましたね。
あとでミッテランさんに会ったとき、私は「かつてドゴール大統領がアメリカを随分非難しながらも、ケネディさんが死んだら真っ先に弔問にかけつけたのがドゴールさんだった。あの鮮やかさに似ていますな」と言ったら非常に喜んでいました。サミットではこういういろんなやりとりもあるんです。
私もこれからますます勉強して、確かな日本の進路を模索し、誤りなき方向に進んでいきたいと思いますので、皆さん方からも現場に即したご意見を伺わせていただけば、ありがたいと思います。
本日はありがとうございました。