データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 第八回全国研修会における講演,新しい成長の道を考える(中曽根内閣総理大臣)

[場所] 
[年月日] 1984年9月17日
[出典] 中曽根演説集,284‐302頁.
[備考] 
[全文]

【〈戦後政治の総決算〉の意味するところ】

 私は内閣総理大臣・自由民主党総裁を拝命して約一年十カ月近くになります。この間、全国の皆さま方から温かいご支援、ご激励をいただいたことを深く感謝しています。なにぶん未熟者で、皆さま方のご期待に必ずしも十分に添い得なかったことに、はなはだじくじたる感をもっている次第です。しかし私は私なりに精一杯の努力をしてきたつもりです。今後とも皆さま方のご鞭撻をいただき、万遺漏なきを期するように戦戦兢兢として政策を錬磨し、かつ党勢を拡張し、党員全体の気力を充実させていかなければならないと考えている次第です。

 私は総理・総裁をお引き受けしたときに、柄にもなく〈戦後政治の総決算〉と申しました。何故そういうことを申し上げたのか‐。私は昭和二十二年、現在の憲法が施行されて第一回の国会が開かれたときから政治に従事させていただきました。そのときから当選し続けてきた我々の同期生は、今や鈴木善幸さん、田中角栄さん、それと私の三人になってしまった。こうした中で、過去三十八年間の茫々たる日本の政治史を考えてみると、誠に感慨無量なるものがあります。私はそれに従事してきた一員として戦後の政治の功罪栄辱を分かち合っている一人であると考えています。戦後の政治にもし良いところがあったとすれば、私はその栄誉を分かち合う一員でもあります。戦後政治に足らざるところ、欠陥ありとすれば、私もその責任の一端を受け持つ人間です。そして二度の石油危機等を経、三十数年を経過して、戦後の諸々の制度や体制がある一定の期間を経た後に、様々な長所が認められる反面いろいろな欠陥を露呈してきました。このときにあたって国際関係もまた厳しく、大きく変化しつつあるわけです。そのような状況判断を踏まえて、ここで日本の過去をオーバーホールすべきときにきた。そして二十一世紀に向かって新たなる活力を回復して、新たなる成長の道を模索し、新たなる日本人自らのアイデンティティを確立して世界に向かって堂々と前進を開始する、二十一世紀の山坂を登っていく強健な日本をつくる、その軌道を設定するときにきたと考えたのです。そういう考えから未熟者にもかかわらず〈戦後政治の総決算〉を呼びかけた次第なのです。

【政治は生々発展していくもの】

〈戦後政治の総決算とは、一体何をやるんだ〉と言われるが、私は、たくましい文化と福祉の国をつくるのだ、と申し上げている。「たくましい」という言葉を使ったから、〈中曽根の言うことだから、また軍国主義だろう〉と、よく冷やかされましたが、およそ生物の存在、あるいは文化の存在には生命力がある。この生命力のあるものは自らが生き抜いていき、自らを防衛する力がなければ、それは存在とは言えないのです。したがって、国家にせよ、文化にせよ、これを存在させていくためには、たくましくなければ存在し得ないのです。「たくましい」という意味は、なにも、暴力とか腕力とかバーバリズムを意味するのではないんです。生物の存在の本然の生命力の在り方を私は言っているのです。

 では、たくましいということはどういうことになるかと言えば、結局は自主、連帯、創造という言葉で表現される内容になる。自主、連帯、創造力であると考えている。で、そのようなたくましい文化と福祉の国をつくるために、まず外交関係、国際関係を改善し、国内関係においては行政改革、財政改革、教育改革の三大改革をもって今、お訴えしているのです。

 しかし、それらの大きな仕事をやっていくためには、一政党や、一総理大臣、一内閣の力でやれるものではありません。それらの大きな改革をやろうとすれば、国民全体のご支援を得る。国民に完全に理解していただいて、強力な応援をしていただく。こうして国民全体の力をお借りしてやる以外に、このような屈折点に立った改革はできないと考えている。

 そういう考えから私は、国民の皆さんに話しかける政治、分かりやすい政治ということも申し上げた。そしてこの困難な状況に対しては、〈いかなる困難に対してもこれを回避することなく、自ら体当たりで進んでいく。このように波の激しい、風の強いときにあたっては、舟の舳先は波に向けて、エンジン全開で突っ走る以外に方法はない。もし我々が躊躇すれば横波で倒されてしまうだろう〉ということも申し上げた。

 私はそういう考えに立ち、この身の未熟も省みずに真一文字にやってきたつもりです。しかし、今反省してみると、気負ったところも多く、客気も多く、そして皆さま方には多大のご迷惑をおかけした点も多々あったのではないかと反省もしています。言動その他においても必ずしも穏当ならざるものがあり、誤解を受けた点も多々あると反省もしています。しかし、自分が念じたことにおいては間違ってはいない。自分が志したことは今においても断じてやり抜かなければならないと肝に銘じているのです。

 さて、この三十八年間の戦後日本の歴史を点検してみますと、私は実に素晴らしい時代が築かれたと自覚しているのです。ややもすれば、ジャーナリズム、あるいは左翼の側で、自民党は戦後を否定しようとしているのではないか、あるいは、自民党は右翼的な考え方でこれを激変させようとしているのではないか、時計の針を逆に回そうとしているのではないか、という誇大宣伝がなされていますが、実にこの三十八年間の日本の戦後は我々が築いてきたのです。いわゆる国民主義陣営が営々として築き上げてきたのです。

 この自由民主党は、世界でも稀にみる柔軟性と弾力性と進歩主義と冒険性を持った政党であります。これに対し、現在の野党‐共産党や社会党等を見れば、これぐらい古くさい超保守主義の政党はないと思っている。マッカーサー元帥がいたころの原則にまだ膠着して、それを守っていることが進歩主義であると考えている。そういう錯覚を持っているんです。政治とか人生とかは生きているものです。生々発展していくものです。その生々発展しているものに目を開いて、生々発展させている原理や生命力をとらえ、それを適宜に実践し顕現していくのが政治の仕事なのです。そういう意味において、生きている現実に忠実に取り組んでいく‐先入観や独断に陥らずに虚心坦懐に現実を見ながら、それに勇敢に取り組んで改善し、進歩的に前進していくのが現実主義のあり得べき政党の姿なのである。

 その意味において自民党ぐらい柔軟性・弾力性を持った政党はないでしょう。自民党における総裁交代の歴史をながめてみれば、“剛”の次には“柔”、“柔”の次には“剛”がくる。様々な変化を持っている。言い換えれば名ピッチャーのようにいろいろな変化球を持っているんです。あるいは、直球のうまいものの次にはカーブのうまいのが出てくる。カーブのうまいものの次にはシュートのうまいピッチャーが出てくる。そのように国民の呼吸をよく見ながら、党の中枢にある人や党員全体がそういう方向に全体の意思で政局を運営する。さればこそ国民の支持を得て三十数年間も政権を担当するという、世界史上稀にみる民主主義国家としての実績を残しているんです。我々はそのような意味の進歩主義、弾力性のある柔軟・重層構造を持った幅広い豊かな感受性の強い政党として、今後ともその特色を保っていかなければならないと思っているんです。

【絶賛されるに値する戦後政治】

 そういう面から戦後の日本をみれば、私は日本歴史においてこれぐらい偉大な時代をつくった時代はないと考えている。戦後三十八年を考えてごらんなさい。日本には戦争が無かった。三十八年も日本が戦争に入らなかったという時代は、外の戦争、また内乱その他を考えてみても、恐らく歴史上無かったのではないか。そうして平和が持続したということ、また富が上昇したということ‐こんなに急激に国民所得が上昇して富が蓄積されたという時代はまず無い。第三番目は貧富の差がなくなってきたということ、これも二千年の歴史の中で初めてです。政府の、あるいは民間による毎回の調査・統計をみても、自分が「中産階級」に属すると思っている人は常に九〇パーセントいる。これはすばらしいことです。このように貧富の差が無くなってきている。

 その次に大事なことは、文化の普遍性です。これは非常に、テレビの影響、マスメディアの貢献もあるのですが、東京でも鹿児島でも札幌でも沖縄でも、ファッションや考え方や言葉は、大体三日ぐらいで届いて、その言葉を使う。こんな時代はありません。そして幾つか日本的アイデンティティを持った、野心的な、芸術的な、文化的な傑作が残されてきている。芸術の世界においてもそうです。ピアノを弾く人、指揮をする人、あるいは建築家……様々な世界において日本人は世界的に活躍しているし、ノーベル賞を受賞した人も出てきているのです。

 こうした中で最も顕著な性格は、「非軍事性」という点なのです。この平和的性格を持った文化の力が二千年の日本の歴史の中で、これだけ大きく隆起した時代は無い。もしトインビーが生きているなら、『スタディ・オブ・ヒストリー(歴史の研究)』という本で、日本の今日の文化を絶賛したに違いないと思っている。彼は徳川時代を絶賛しているんです。ならば、彼はこの戦後の日本を必ずや絶賛したに違いないと思っている。それだけの自信を我々は持って良いんです。

 我々日本人は今まで、ややもすれば、外国人にほめてもらう、あるいは「外国」という尺度がなければ自分の価値を知らないという民族であった。しかし我々は、これだけコミュニケーションが開けている今、外国もよく見てきている。外国には学ぶべきものもあるが、それはもうほとんど無くなってきている‐そういう現象を皆さんは見ているでしょう。そして日本はこれだけ労使協調の下に犯罪も少なく、貧富の差を無くして社会の“対流現象”を盛んにし、社会の攪拌力を強くしている。貧乏人も努力しだいで金持ちになれる。金持ちもぼやぼやしたらすぐ貧乏人に転落する。三代たてば相続税でならされていく。そうして常に社会の対流を促進している。それは度にもよりますが、しかし、そういう仕組みが中産階層意識をこれだけ強めて、日本の安定力の基盤になっていることは否定できないのです。

 それをやったのが自民党です。そういう意味からすれば、私は、自民党の過去及び未来に対して自信を強めこそすれ悲観する必要はない。今までの延長線で我々はアバンチュールの精神を堅持しつつ、一歩一歩着実に現実を踏まえつつ前進する様相をつかみ取って、先導的に日本を持っていけば良いと確信しているのです。

【懸命に推進中の行政・財政・教育改革】

 いずれにしても、我々はそういう大きな戦後の歴史的ピラミッドを築いた。まだ自覚しない人もいるけれども、私は厳然と自覚して、自信を持って外国人にも言っているのです。私は外国へ行って‐サミットでも比較的心臓強くいろいろ行動していますが、それは自信があるからです。英国、ドイツ、フランス、米国……あらゆる国の人たちに会っても自信が持てるのですが、戦後の日本の、これだけのものをつくった国は無いではないですか。そしてまだ進んでいるではありませんか。そういう意味において、我々は決して外国民族に劣る民族ではない。そういう日本の文化に対する自信があるから、私は心臓強くやり、またやるべきであると思っているのです。

 ただ、その日本も、やってみればまたまずいことも出てきた。それは石油危機によって露呈もした。それは明治維新以来続けてきたことの中の欠陥と、戦後の急膨張の中から出てきた欠陥で、これが一九七〇年代に重複して出てきた。それを直そうと、今、行政改革、財政改革、教育改革に入っているのです。

 行政改革は土光(敏夫)さんの臨調がいろいろ案をつくってくれて、我々が今一生懸命やっていることはご存じでしょう。国鉄の大改革を検討しているほか、電電公社も民営にする、専売公社もタバコは民営にする。外国のタバコを輸入する会社を認める‐外国人が来て、タバコ会社をつくって外国のタバコを売っていいように改革した。競争です。市場経済の競争原理によって切磋琢磨させていこうというわけです。競争させることによってもっと発展していくという形になる。

 あるいは、国が持っていた国有地を民間に開放しようということも今、精査していますが、東京だけでもすぐ使えるのは何万坪もあるといわれている。その一つが新宿西戸山の四万平米の国家公務員の官舎。もったいない使い方をしている。あれをつぶしてしまって、十二階か十五階ぐらいの高いものにして、そこへ大勢入れる。またその空き地に民間の住宅、あるいはそのほかの文化施設を入れる。民間会社に払い下げて都市計画でそれをやろうというもので、今、着々と進んでいる。民間会社の設立も終わっている。新宿区に対して都市計画の認可を出す方向で、今、審議をやろうというところまで進んでいる。

 関西空港でもそうです。国だけにやらせないで、国と府や市と民間がおカネを出し合ってみんなでやろうとしている。成田の場合は東京国際空港公団でやっているが、関西空港は株式会社でやる。国もカネも出し、大阪府も大阪市も、民間も出すということです。これをやってみたら非常な人気が出て、出資は殺到している。民間が出す第一次のカネは約二百億円ぐらいの予定であったのが、四百八十億円にも達している。今、整理に困っているほどです。しかしこれは有力な資産株になります。

【借金と“共存”するのも経済の一原則】

 このように、できるだけ権限を開放して民間にやらせようとしているわけです。これがいわゆるデレギュレーションです。このようにして今、明治以来の規則・統制‐中央権力を解体しつつあるんです。これは一朝一夕にしてできることではない。相当な抵抗もあるわけです。既得権を失う人もいるわけですから。しかし、じわりじわり、にじり寄りながらやりつつあるのです。

 それと同時に、戦後の四十年代の高度成長期に行政が膨大になり肥満体質になった、そうしておカネが足りなくなった、その肥満体質になった行政をスリムにしようという目標があります。明治以来のその仕事と四十年代の肥満体質を、今全部整理しようとしているのです。これが行政改革であり財政改革である。そういう意味において臨時行政調査会が示された方向や具体的政策は、歴史的にみて非常に高い評価が与えられるでしょう。我々はそれをやる歴史的責任を持っていると私は思っている。これから逃げることは卑怯である。歴史の責任を回避するものであると考えています。

 もちろん、これだけの大事業をやるについて、一政党や一内閣でできるものではない。国民の力を借りなければ、国民にその気になってもらわなければできないんです。だから土光さんにお願いした。そして国民の世論は一気に土光さんに集まった。その土光さんから私たちが受けた命令‐それは国民から命令を受けたということです。国民は支持してくれているはずです。それで我々もやれるわけなんです。

 しかし、ここまで来るには十年かかっている。四十年代に好景気・高成長でみんな浮かれた。そのうち、公害がどんどん出てきた。そして二度の石油危機に逢って、これを乗り切るために公債を発行していった。不景気になってしまい、国におカネがなくなってにっちもさっちも動きがとれない。事業を興さなければ失業者が続出する、犯罪が出る。そこで景気を維持するためにやむを得ず公債を出して、事業をどんどん興して景気をつないできた。日本は公債政策によってかろうじて生き延びてきたと言っていい。外国はそうではない。アメリカでもどこでも、公債によらないで増税政策でやった。増税でやったものだから景気は上がらない。その結果、失業が出て、景気回復の弾み、チャンスを失ってしまった。それが米欧経済、特にヨーロッパ経済が苦しんでいる元なんです。しかし我々は、景気は維持したけれども、今や百二十二兆の公債を背負わなければならないということになった。

 このように今、我々は、非常に大きな負担を背負っているが、国民経済の基礎がしっかりしていれば借金をしたって恐れることははい。借金と“共存”するというのが、経済の原則の一部にもなっているんです。借金をゼロにしてしまったら、金融が困るという面だって経済にはある。それはこれだけ郵便貯金やその他の蓄積があるわけですから。郵便貯金でも八十兆円余、銀行預金で二百七、八十兆円ぐらいはあるでしょう。それだけのおカネ、ほっておいて何にも使わなかったらもったいないから、借金をして、つまりこれを貸してもらって民間あるいは国が事業をやる。国家が直接やらなくても、国鉄がやったり電電がやったり、いろんなところがやっているわけです。だから今の借金は、着実に減らしながらうまく回転させていけば繁栄の時代をつかむことができるのです。そういう考えに立って繁栄を呼び起こすように、この苦しい中でも芽をつくりつつ前進させようとするわけです。時間はかかる。しかしその時間をかけて一歩一歩前進させたいと思ってやっているのが現在の政策なんです。

【景気の展望を拡げる「INS時代」】

 ここまで来るのに十年かかったのですが、それだけではない。今や教育の改革までやろうというふうに国民は前進してくださっている。今から三年や五年前だったら、「教育改革」なんて言えば、日教組や社会党が大反対してとてもできなかったでしょう。それが今では臨時教育審議会までつくっていただき、国民に相当強く支持していただいている。公明党からも民社党からもご支持いただいている。教育の改革まで日本が前進したということは、この日本国民の偉大な精神性を示すものである。国民の皆さんが進めてくださったこの道を我々は進んでいかなければならないのです。

 それと同時に緊要なことは、新しい“次”の目標をつくることです。日本が四十年代にこれだけ伸びたのは、まず一つは自動車工業が盛んになったからです。その次はテレビ、ビデオです。これらが日本経済を牽引してここまで来たと言ってもいい。しかし、石油危機以降はそういう新しい発明がない。私はよく冗談に、〈その後の発明は三菱のふとん乾燥機だろう〉と言っている。しかし、そんなものだけで景気が上がるはずはない。景気は必ず新しい科学技術の発明に随行して出てくる。それで儲かるから、そのことが誘発して企業をどんどん興すことになるからです。

 幸いなことに、今その新しい展望が出ている。それは高度情報社会であり、ハイテクです。それが衛星であり、あるいは光ファイバーであり、あるいはキャプテンシステムである。INS時代‐。

 そこで今、我々はそれを引っ張り出すための軌道を設定しようとしている。それが電電公社の解体であり、あるいは専売公社の解体である。「第二電電」と称するものを京セラやその他、経団連でもつくろうとしているでしょう。電電がもう一本できるとすれば、それに関するあらゆる産業がそこへくっついて出てくる。光ファイバーもそうだし、電話機もそう、電柱をどうするかという問題から、あらゆるものが出てくるでしょう。そういう形につながって今この道を進もうとしているのです。この道へ行く軌道をつくり、工程管理表をつくって前進していけば、新しい景気が出て来、新しい回復が出てくる。

 その軌道づくりはまた、国や国鉄などが持っている土地その他を開放するということであり、外国へ流れているおカネを日本で使うようにするということでもある。さきほど、東京だけでもすぐ使える国有地が何万坪もある、と申しましたが、それを民間で使えば相当な需要が出る。そういうものは大阪でも仙台でも札幌でも、福岡でも小倉でもどこでもあるんです。またこの間、大井で国鉄が土地を払い下げたら一千億円で売れたというのがあった。その値段が妥当かどうかは別にして、そういう精神で全国的にやっていけば莫大なる力を発揮することができる。

 一方、今アメリカの金利は高く、大体一二、三パーセントにもなっている。日本の金利は七〜八パーセントぐらいだから、五パーセントもの開きがある。そこで銀行預金や保険会社のおカネがみんな外国に流れていってしまう。この七月は驚くなかれ七十億ドルのカネが出ていった。経常収支で入ってきたカネは約三十億ドルです。差引き三十億ドル以上のおカネがひと月でアメリカそのほかへ流れている。その流れを変えるためには、この日本の中で仕事を興して儲かるようにしてあげることです。おカネはあるわけだから、それを使って景気を向上、回復させていく。

 こうしたやり方を推進するに当たっては、国公有地を払い下げてやるという方法がある。持っていて、共同でやるというやり方もある。あるいは信託制度に出して民間にやらせるというやり方もある。場所によってどういうやり方でやるかメニューをつくれ、と私は言っている。この間もそういう指示をして、今その勉強に入っている。そのほか、中央の仕事を地方に委譲する、それによって国からの補 {前1文字空白ママ}金はやめる、その代わり地方に対してある程度の財源も考えなければならない‐そういう法律を考えろ、と私は担当閣僚にお願いしている。そういうやり方によって新しい成長の道を我々は模索しているのです。

【三つの「研究」、一つの「戦略」】

 今こういう形で進めていますが、私は今三つのことを研究させている。来年に向かってこの九月、十月、十一月、十二月の予算編成までは“仕込み時”ですから、その新しい仕込みの検討をやらせているんです。

 一つは、新しい経済政策を考えなさいと言っている。ご承知のように、新経済政策の研究会をつくって、今言った方式によって新しい仕事を興すやり方を編み出してもらいたいと言っているわけです。臨調答申の基本線に添って内需を振興するやり方を、民間活力を培養し勃興させるにはどうやったらいいかを研究してくれ、と頼んでいる。これは三菱総合研究所の牧野(昇)さん以下が中心になってやってくれている。ああいう新しいアイデアを持った人の力を大いに借りる必要があると思っているんです。

 第二番目は、高度情報社会というのはどういう姿で来るのか、それはどういう内容であるか、そこまでにはどういう過程をたどっていくのか、それをたどらせていくためにはどういう工程管理表をつくらなければならないか、そこへ持っていくためには今どういう予備準備をしなければならないか‐それを私に教えてくれと言っている。これも今やっており、近く私に意見を出していただけるだろうと思っている。

 もう一つは「平和懇談会」です。安全保障上の問題、「一パーセント」の問題、いろいろな問題があります。そういう、日本をめぐる平和問題・安全保障問題について私に意見を聞かせてくれというわけです。

 こういう三つのことを今、研究してもらっている。これらがみんな出てきたら、来年度予算編成の重要な参考資料として検討してみたいと思っている。

 そのほかに、ガンのことをやっている。「対ガン十カ年戦略」をつくってやっている。近く関係者にもう一度官邸に来てもらって、進行状況を聞かせてもらおうと思っている。文化勲章をもらったガンの権威者・ガン研の杉村(隆)先生にも来ていただいて、研究状況を自分で確かめてみたいと思っている。それで来年度予算も思い切って付けるようにしたいと思っているんです。ガンの研究には、今年は「総合戦略」には新たに四十五億円おカネを付けた。ガン対策全体から言うと七十七億円ぐらい余計付けた。しかし、もっと恒常的な財源を付けてあげようというので、この間も自治省の事務次官に、〈宝くじをつくってくれ、来年ひとつ研究してくれ〉と頼んでおいた。この宝くじについてはこういうことがあるんです。「花と緑で人の和を」ということで、これにも恒常財産をつくろうというので「緑の宝くじ」をつくってもらって今年やってみた。そうしたら非常に売れ行きが良い。約四十五億円のカネが入ってきます。これを地方・市町村にばらまいて、苗木を買って木を植えてもらおうと思っているのですが、これに味をしめ、来年からはガンについても、毎年これだけのカネは入ってくるという宝くじをやってもらおうというわけなんです。

 というのも、遺伝子の発見によって、ガンは今や明日か明後日に分かるぐらいの段階に来ている。ガン学会は世界的にざわめいてきて、だれが最初に見つけるかという状態になってきているんです。日本も負けてはならん、十年以内に見つけよう‐そういう意味で、去年からそれを進めているわけです。

 このように、国家で重要だろうと思うことを一つ一つ進めてきているつもりでおります。

【戦争防止に供するためにも国際親善を図るべき】

 さて今度は、外交の問題を申し上げてみたいと思います。私は前から、国際国家・日本に前進しようということを申し上げている。自由世界の一員としての役割を果たすし権利も主張する、そうして自由世界との連帯と結束を通じて戦争を防止し、平和を維持していこう‐これが私の考え、基本戦略です。そういうことから、韓国へ行き、日本と韓国の関係を修復してアメリカへ飛び、そして太平洋を強い靱帯で結び、それからASEANへ行って日本とASEANとの関係を友好・強力な関係にしつらえ、そういう背景を持って去年、ウィリアムズバーグのサミットへ行った。それからレーガンさん、コールさん、胡耀邦さん、カナダのトルドーさんにそれぞれ来てもらって、今度は私が今年の三月に中国へ行った。つい最近、九月には韓国の全斗煥大統領においでいただいた。新聞は、〈中曽根外交の第一期は韓国に始まり韓国に終わる〉と言っていましたが、言われてみれば、そう言われるような気もしないでもないのです。

 ともかく、自由世界との連携・連帯の中で我々は発言権を持ち、応分の仕事をすることによって戦争を防止しよう、米ソ間の緊張を緩和していこうというのが私の考え方なんです。これははっきりしている。私は、アメリカとソ連の間の仲介みたいなことをやるとか、真ん中に立って両方のメディエイターになろうとか、ブローカーになろうなどという考えは無い。どの国とも平等で、同じ親密さを持ってやろうなどという考えもありません。平和と友好と親善を深めることは変わりない。しかし自由世界、あるいは共産圏、それはおのずと色合いは違ってくるのです。今や世界の権力構造、仕組みがそういう形になっているんですから。SS20が展開されたり、ICBMがあったり、バックファイアーがあったりいろいろある。イラン・イラク戦争一つ見ても、国家間の権力闘争はいつ、どこに勃発するか分からない。

 そういう情勢を踏まえて、では現実的に戦争を防止する方法は何かと言えば、端的に言うと、アメリカとソ連が戦争できないような状態をつくり出すことです。この、アメリカとソ連が戦争できないような状態をつくり出すためには、両方の力が互角であって、〈やったらやられるぞ、だからやらないほうがいい〉という形にしておく以外に無い。遺憾ながら、人類の歴史において戦争の無い状態、戦争を起こさせない状態が「平和」なんです。「平和」というものは、神様から与えられて先にあるものではないのだ。汗と涙でつくり出しているのが「平和」の状態なのです。だから我々だって、厳しい財政の中から防衛費を出しているのではありませんか。世界的な均衡の中で戦争を起こさせないために我々もやっているのです。そういう現実主義的な冷厳な醒めた目を持ちながらも、戦争防止に対する情熱に燃えて我々はそれをやっているのです。

 そういう考えに立ち、韓国とまず親善友好の関係をはっきりさせておく、“基礎工事”を行う……これはこの間やりました。全斗煥大統領に来ていただいたあの時、警察などには、〈今日はどっちの道を行ったらいいでしょうか〉と言う電話ばかり、〈おまえ、けしからんぞ〉といった電話はないと言うんです。そうして国民の皆さんは、一部を除いてはほとんど大部分の方が、全大統領が飛行機で羽田を発ったというのを聞いてホーッとされたようです。それぐらい韓国との友好親善を望み、無事にお帰りになるようにと念じてくださったわけですよね。私はこれぐらい国民の皆さま方の真心を有難く思ったことはありません。向こうにもこの真心は通じていると私は確信しています。(来日成功は)天皇陛下のお人柄と国民の皆さんのご協力があったればこそだと思うんです。天皇はもちろん政治には関与いたされませんが、宮中へ行ってお会いになったり、晩餐会という機会を通じて、天皇陛下の真心、お人は自然に柄通ずるものがあったと私は確信しているのです。

 このようにして韓国と仲良くしつつ、我々はアメリカと手を結ぶ、中国と仲よくする、ASEANの諸国とも友好親善関係を維持する、そうしてヨーロッパ、日本、アメリカ、この三極の構造をガッチリ固めている。ソ連と友好親善を回復し発展させるために糸口を見つけ、打開していくことをやっているのです。我々がそういう背景・力を持たずにやって物事が解決することはないんです。そういう現実主義の上に立って、善意を持ってこれを解決して前進させていこうと私は思っているのです。

 大体、そういう方向で外交に取り組んでいることをご存じ願いたい。

【サミットで実感した国際国家日本としての人材育成の必要性】

 さて現在、人類は二つの大きな核にはさまれて苦悶している。内なる核は遺伝子です。これを操作することによって、同じ中曽根康弘が二十人も三十人もできる。いわゆるクローン人間です。こうなったら人間の尊厳は失われてしまう。そういう生命の尊厳に、遺伝子の研究が進んでいることによって接近していっている。そういう意味において、我々は今や人間の尊厳と権威を守るためにうち震えなければならないときに来ているんです。

 私はロンドン・サミット、ウィリアムズバーグ・サミットでも、あるいはジョーンズ・ホプキンス大学の卒業式においても、この危険性を説き、世界の賢人を集めてルールを決めようということを申しました。今年の三月十九日に箱根で会議をやりましたが、今度はフランスの大統領が第二回を引き受けてやる。これは内なる核に対する人間の防衛策です。

 もう一つの、外なる核は原水爆、長距離弾道弾です。この二つの核によって人類は今や苦悩している。その中からどのように脱却していくかを、我々は人類の英知にかけて探し出し、実行していきつつあるのです。

 新聞は、あるいは社会党や野党は単純に、やれ軍国主義だ、やれ防衛費の突出だなどといろいろおっしゃっているが、この世界の権力的な、安全保障上の仕組みや機能に目をそらし、平板的に考えてものを言えばそうなる。しかし、さきほども言いましたが、生きた政治の現実をとらえながら平和を維持していくには汗と涙が要るのだということを私は強調したいのです。今そういう方向で外交を進めている。

 私が政権に就かせていただいたときには、日本は非常な閉塞状態にあって、非常に厳しい国際情勢にあったのはご存じのとおりでしょう。幸い最近は、情勢はガラリと変わりつつあると思います。そして今や、日本を無視しては政治も経済も動かなくなりつつあるようになった。サミットへ行っても如実にそれを感ずるのです。それだけに責任もある。やることはやらねばならないという立場にある。それだけにまた、平和の維持に関する我々の発言権も強まるのだ。

 私はサミットへ行って幾つかの点を感じました。一つには、我々は国際国家・日本の次の新しい政治家を養成していくために、今から国際政治で体当たりのできるような厚みのある政治家をうんと養成していく必要があると思いました。我々の育った時代は外国との接触もないし、言葉も、私の英語はいい加減なもので、本当にお聞かせしたら恥ずかしいような英語ですが、いまの四十、五十ぐらいの自民党の政治家、あるいはこれから政治家になる人は、堂々とやれるだけの教育と能力を持った人にならなければ、これからの日本を背負うには足りないものが出てくるのではないかと思っている。我々の時代はこの程度で済むかもしれないが、次の時代はもうそうではない。中国や韓国やASEANの国々を見れば、そういう教育でどんどん凌駕しているのです。実際、語学などはあっちの人のほうがうまい。そういうことに我々が目を開いて政治家をつくっていき、財界人をつくっていかなければならないと思っているのです。

 教育にしてもそうです。今の小学生が私の齢になるときには、二十一世紀も半ばになっている。そのころ世界はどう動いているか‐。状況はずいぶん変わっているにちがいないのですが、それに耐え得る子供を今からつくっていかなければならないのです。それが教育改革の大きな展望の一つです。ともかく、私の齢になるまでのことを考えて教育しなければ教育にはならない。政治にしても経済にしても同じことです。そういう観点に立って日本の水平線を開いていくのが我々の考え方です。

【対外的には謙虚に礼節・順序をわきまえて】

 最後に、こういう政策を今後進めていく上で考えなければならないことがある。それは日本人の自信とアイデンティティという問題です。七月だったかワシントンポストのチャップマンという有能な記者が次のような記者が次のような記事を書いた。〈最近、日本人は少なくとも傲慢ではないが自信を回復してきた。これから日本はどこへ行くであろうか〉という内容の記事です。過去に、ヴォーゲル氏が『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本を書きましたね。それ以来、日本礼讃の外人記者などがうんと出てきて、日本に勉強に来ている。私はここで非常に注意を要すると思った。

 英国におけるサミットのとき、私はニューラウンドの推進を提唱した。要するに、GATTの関税引き下げを、次のラウンドをやろうと言ったんです。そのとき彼らが一番注意していたのは、アジア・太平洋の力が隆起しているということです。ヨーロッパは非常にペシミスティック(悲劇的)です。ところがアジア太平洋は、日本、韓国、あるいはフィリピン、インドネシア、さらに香港にしてもシンガポールにしても、経済成長率は大体六、七パーセントだ。これに対しヨーロッパは一、二パーセントです。そしてアメリカの貿易、カナダの貿易は、一九七九年から大西洋岸よりも太平洋岸のほうが多くなってきている。その中でも最もバイタリティに富み、社会もわりあい安定して問題がないのは、この東アジアの日本から南へ下った豪州・ニュージーランドまでの地帯です。これに対する外国の警戒は次第に出てきているのです。

 しかし、われわれはヨーロッパのようなコミュニティなんかになれっこない。私はそのとき、〈われわれはあなた方と一緒になって繁栄したいと思っている。アジア・太平洋だけで繁栄できると思っていない。そのユーロピアン・コミュニティは距離が接近しており、同じキリスト教の下に同質的な文化を持っている。そしてあなた方は同じような教養を持って固まってきて、長い伝統を持っている。ところがアジアは何千キロの距離があって、文化も違うし、生活態度も違うし、考えも違う。とても行けるものではない。我々はあなた方との協力によって、東アジアを次第次第に経済交流させていきたいんだ。あなた方と手をつなぐことを念願している〉と言った。

 もしそういうことを言わないで、〈太平洋時代が来た〉というようなことを言えば、向こうの人は心を曇らせるでしょう。よほどの警戒心が出てくる。そういうことで、日本がセルフコンフィデンス(自信)を持ってきたことは良いが、〈少なくとも傲慢ではないが自信を持ってきた〉という言葉に注意を要する。我々は力を持ってくればくるだけ謙虚に、そして礼節・順序をもってものごとをやっていくことが必要です。

 しかしその一面においては、日本人がこれだけ大きなことを成し遂げたんですから、もう一回、日本とは何ぞやこれが何故できたか、日本の精神文明とは何ぞや・・・・・・日本のアイデンティティをもう一度見てみる必要がある。それにはいろんな要素があるでしょう。体力もあるでしょう。

【日本のアイデンティティを今一度掘り下げよう】

 私がさきほど、向こうの部屋で支配人に聞いたら、〈修学旅行の生徒がうんと来るんだが、中学生なんかで驚くべきことは、フロへ入ってタオルが絞れない。だから、バスタオルを持っていってやらなきゃならない〉と言うんです。我々なら、タオルを自分で絞って、まず濡れた体を拭き、それからバスタオルをかけますな。今の子供たちは手ぬぐいタオルなんか絞らないらしい。すぐバスタオルを濡れたまま体につける。それはもう、絞る力がなくなっているからだろう、と言う。

 それに、箸をつけるとき、魚の肉がとれない。みんなフォークとかナイフを使っているんでしょうかね。箸で魚の骨を分けて、あの肉が取れなくなっているというんです。あるいは朝礼をやればバタバタ倒れる。そういう子供が多くなってきている。そういう面をみると、たくましさとか、存在の本然にかかわってきている問題が、この民族にありはしないかということを考えざるを得ない。

 この間のオリンピックをみても、韓国は金メダルを六つ取った。日本は十。日本の選手も健闘して本当によくやってくれた。勝った人も負けた人も全力をふるってやってくれたんです。オリンピックには参加することに意義があるという意味も十分あります。しかし参加した以上は、やはり勝ちたいですね。そういう意味で、柔道でもこの次は危なくなってくるという心配を一部では持ってきているでしょう。とにかく韓国の人口は四千万ですね。日本はその三倍の一億二千万。三倍です。この人口比率から言うと、機械計算でやれば、向こうは六つだから日本は十八個あっていいはずではないか、ということになりますね。別に、メダルが少ないからといって不満を言うんではないんですよ。しかし、日本人の体力、あるいはスポーツの層という面において、我々は考えるべきものをここで受けとっているのではないだろうか。

 あのギボンという人が、ローマの興亡史を書いていますね。あの中にこういう言葉がある。〈ローマが滅びたのは蛮族のせいではない。ローマ人のせいである〉と。そういうことを考えてみると、我々はここに、精神力において、徳育において、体力において、日本のアイデンティティーをもう一回掘り下げてみるときがきているのではないかということも感じた次第です。

 以上で私の話を終わりますが、ご清聴有難うございました。