[文書名] 読売国際経済懇話会での講演,今年の課題と日本の方針,経済体質の改革を断行する(中曽根内閣総理大臣)
【貿易黒字の大きさ】
経済摩擦の問題が連日連夜にわたり、新聞やテレビ等で報道されておりますが、私はこの問題のとらえ方、それからこの問題を解決していく方法、あるいはタイムテーブルをどうするかなど、包括的な考え方に立ってとらえていかなければいけない、と考えております。先般来行われましたアメリカとの交渉であるとか、日本国内でいろいろ論争を呼んでいる内需の問題、あるいは市場開放の方法、あるいは「国民の皆様方、どうぞ一人百ドル外国の品物を買ってきてください」とお願い申しあげることとか、現在いろいろな波頭が立っております。しかし、この波頭の底にある大きなうねり、あるいは潮の流れというものをやはり考える必要がある、そう思います。
まず第一に、われわれ日本人、あるいは日本政府として、また国民の皆様方も共に認識しなければならないと思いますことは、貿易黒字の大きさという問題であります。
昭和四十七年には、貿易黒字の総額は約五十一億ドル、このうち対米黒字は三十億ドルでした。それが五十三年には貿易黒字は百八十二億ドル、対米百一億ドルということで、このときも騒がれたものでありました。五十九年の貿易黒字の大きさは、日本側の数字によると約三百三十六億ドル、対米は三百三十一億ドルということでありまして、日本側の貿易黒字の巨大さというものが、五十九年になるとダントツに上がってきているわけであります。そういう意味において、この大きさに目を見張ると同時に、海外でこの問題が大きく叫ばれたり指摘されていることも、われわれはむべなるかな、と考えざるを得ないと思うのでございます。
しかし、この貿易黒字の問題の中身をいろいろ分析してみますと、一面におきましてはアメリカのドル高とか景気の先行的上昇とか、いろいろな原因もありまして、日本のお金も物も、日本から押し出して行くというよりも、アメリカに吸い寄せられている、そういう感じがいたします。自動車、あるいは電気通信機器、あるいは化学品その他であります。そして、日本の輸出あるいは資金の流出が、アメリカ経済の今日の活躍、活躍の大きなエレメント、あるいは栄養素になっているということも否定できないのであります。
今、世界経済、あるいは日米間の経済を見ますと、やはりそれが一体になって、ワン・ユニットになって機能している、そういう関係にあると思うのであります。それがいいか悪いかは別の問題点でありますが、現実の問題になりますと、現在の低物価、好況の維持、あるいは経済活動の大きなバイタリティーというものは、日米間の一つの構造的な組み合わせ、組み込みという形でできあがっているということは言えると思うのです。
日本側としましては、飢餓輸出しているわけではないのであります。日本の自由世界におけるGNP(国民総生産)の比率は約一一・五パーセントであります。輸出の比率は八・八パーセント。またGNPに対する輸出依存度の面から見ますと、西ドイツ三二・三パーセント、アメリカ七・四パーセント、日本は一五・八パーセントであります。アメリカは膨大な国内市場を持っており、輸出指向よりも国内指向という形の経済的性格を持っておりますから低いのですが、日本の場合も、一五・八パーセントという輸出依存度は、それほど大きい数字ではないのであります。
日本国内における政府及び民間の国内投資比率をみますと、GNPに対して二八・四パーセント。アメリカが一六・九パーセント、西ドイツは二〇・八パーセント。ですから日本の場合は官民の投資活動もかなり高いわけであります。住宅の建設戸数等を調べてみましても、米国は昨年百七十七万戸、日本は百十九万戸でありまして、人口がアメリカは日本の二倍でありますから、それから見ますと、日本の場合かなり住宅建設も上昇し、高水準で行われていると言える数字だろうと思うのであります。
他面、市場開放も六回にわたる努力によりまして、かなり進んできていると思っております。輸入の制限品目は二十七、関税負担率は平均して二・五パーセントであります。輸入制限品目二十七というのは、欧米に比べてそれほど多い数字ではない。とくにヨーロッパの一部の国からみれば、少ない数字になっております。関税の平均的負担率においては、先進工業国の中では一番低い平均関税率にすでになっています。
さらに今、そのような関税とか品物の輸入という波打ち際の問題から、今やもう一歩次へ問題が進んできて、基準・認証、あるいはスタンダード、そういう国内の制度に関わる内外無差別、透明性の問題、開放度合いの問題、あるいは金融・サービスの分野の国際解放の問題に焦点は移ってきている。そういう意味において、この新しい分野に向かっても、われわれは今、全力を振るって透明性、内外無差別性というものに挑戦しつつある段階であると認識しております。
【摩擦の原因は何か】
日本の黒字の膨大さについて、OPEC(石油輸出国機構)とときどき比較されますが、私はOPECとはまるっきり性格が違うものであると思っています。日本の貿易黒字というものは、アメリカとか発展途上国へ資本を提供して、制度的にある程度、還流の体系、サーキュレーションの体系の中に組み込まれていると思うのであります。OPECの場合には、あの当時世界の流動性が問題になりまして、OPECの持っていたお金を、どのように引き出して、世界の還流の中へ予測できるような形で入れ込むかというのが大問題であったと思います。
そういう点において、日本政府の政策としては、この膨大な貿易黒字を資金の国際流動性を妨げないように、一つの世界経済の還流の中に投げ込むべきであるという意識を持って、そのような政策を現在取っているのであります。
現在の経済摩擦を解消しようと、われわれは全力を尽くしておりますが、これは多元的、多様的、コンプリヘンシブなやり方で、あらゆる可能な、いいと思う方法を全部やっていくべき性格の問題である。一本場外ホームランを打って、それで問題が解決するというやり方では、解決できない問題であるように思います。
言い換えれば、経済体質、あるいは体調の問題なのであって、急性発熱症状ではないわけであります。その意味において、体質、体調の改善、改革というものがわれわれにも要望されているし、相手方にも要望されている問題であると思っております。
現在、なぜこのような現象が起きたかということを、日本側の面で分析してみますと、とくにアメリカとの関係をみますと、一つは景気回復のテンポのずれがありました。アメリカが先に、非常に景気が回復して上昇ラインをばく進し、日本やEC諸国、発展途上国がそれについて行った。したがって、日本からアメリカに輸出が流れたという、景気回復の時期とテンポの問題が一つあったと思います。
第二には、日本の高い生産性というもんがあったと思います。アメリカはそれに対して、高いドルと高い金利という落差があったと思うのであります。
三番目には、遺憾ながら日本の市場の閉鎖性を認めざるを得ない。が、しかし、一面において、アメリカ側の売り込み努力の不足という問題もなきにしもあらずである、と私は考えているのであります。
かつてテレビで申し上げたのでありますが、電気通信機器にいたしましても、日本の電信電話会社を中心に持っているマーケットは約四兆円であります。アメリカのマーケットは全部合わせて十八兆円といわれている。したがって、四兆円の小さなマーケットから十八兆円のマーケットへ入っていくためには、非常にいい品質のものをつくり、売り込みの努力を一生懸命やらなければなかなか入れない。そういう意味で、日本は非常な努力をしたと思ってます。たまたまATT(アメリカ電話電信会社)が分割され、独占が崩れた。したがって、資料の購入も分割された各会社の自由になった。日本側が、そこに乗じたという面もあると思いますが、しかし、四兆円のマーケットから十八兆円のマーケットに進出するための大きな努力というものもあります。
一方、十八兆円の広大なマーケットを持っている人が、四兆円の狭いマーケットに入ってくる場合、アメリカ国内だけでセルフサフィシェントでありますから、それほど努力しないということは考えられることであります。左うちわで膨大なマーケットを維持していれば、それで十分利益が上がるという状態でもございましょう。その意味において、小さな四兆円のマーケットに入っていくために、いろいろ改良したり、日本型のものを作り上げたりするということは、アメリカ企業としてもできにくい要素があるということは、われわれも十分理解できるところでありますが、そこがやはり日本側と比べてみて、売り込み努力の不足として出てきている点も歴然とあると思っているのであります。
第四番目に、伝統的なものの考え方、あるいは行政体質の差というものが言えると思うのであります。日本の場合、約二千年の長い歴史がありますが、とくにこの千年間は律令国家と言われた時代でありまして、国民は赤子であって、政府はこれを守っていく。護民官、それが政府の仕事であり、そういう形で日本の政治は流れてきている。
アメリカの場合は、個人主義のもとに契約でできていて、政府の過剰介入を排して、むしろ個人の選択、責任に任せるという形の社会体質を持ってきていると思うのであります。
日本の場合は、政府が公益性、安全性、あるいは環境の保全という点について責任を持つ。ですから、堤防が壊れたとなれば建設省の責任だと言って、すぐ建設省が訴えられるという形になる。とくに最近の公害問題、それから原子力の放射能の問題等につきましては、日本人は非常にナーバスなインタレストを持っていて、政府に対して要求してくるわけです。カネミ訴訟等もご覧になればわかる通りであります。
【行政と意識の改革】
そういうわけで、体質から見ましても、国民をプロテクトする形でさまざまなバリアが設けられた。外から見れば、バリアと思われる点があるんです。しかし、それは必ずしも内外を差別しようとか、あるいは産業保護の気持ちでやったものではない。そういうものが絶無とは言いませんけれども、今申し上げた安全性とか環境の保護とか、政府の責任というような行政体質の差がある。
アメリカの場合は、個人の選択と責任においてものを処する。もしそれが間違ったり被害が及んだ場合は、政府を訴えるより、会社に対して訴訟をどんどん起こしていく。日本の場合には厚生省に座り込みがくるが、アメリカの場合はすぐ裁判所へ持っていくという形です。ですから、アメリカには、約五十五万人の弁護士がいますが、日本には一万五千人しかいない。
しかし、日本が国際国家となり、これだけ膨大な輸出を行い、また輸入も行っている状態になると、自分の国の個性や伝統や独自性だけを、いつまでも維持していていいということにはならない。それだけ大きなもので、外国にも影響を及ぼすという段階になれば、制度も国際水準になることは当然のことであります。その意味で、今回の措置において、ある意味で大きな変革というものを行おうとしている。国民の皆様に対しても、もう必要不可欠の公共性を維持すること以外は、皆様の選択と責任でおやりいただきましょう。政府のほうは原則自由、規制は例外にする。そのような大原則をここで確立しようとして、この間宣言したわけであります。
この改革というものは、国民の側における大きな意識革命をお願いするということであり、われわれ政府側からすれば、行政改革を意味していると思うのであります。今私たちは、これを推進するメカニズムをつくらんとしておりますが、政府及び与党一体となって、まず官庁内部において行政の取り扱いの行政改革を行う。最大限、全閣僚が参加して、各省の仕事について点検をしてもらう。原則自由、例外規制という形に総点検をしてもらおう。それから政府、与党一体となって、国民にそういう原則で行きますということでお願いもするという形で、今努力しているのであります。
市場開放、透明性や内外無差別のやり方、為替の問題、内需の振興の問題、あるいはオーダリー・マーケッティング、集中豪雨的輸出の自制、自粛措置、こういうものを全部組み合わせた形の総合的な対策を、われわれは着実に一歩一歩やっていこう、そう思っておるわけであります。
そこで、当面の努力は何であるかと言えば、この間決定した中期的対策と当面の対策、これを忠実にたゆみなく励行して、これを実行していくことであります。昨日(四月十七日)も参議院で答弁いたしまして、「わき目も振らずに、右顧左眄{うこさべんとルビ}せずに、この間決めたことを断固としてやり抜く。そのことが国際信用を得るゆえんである」と私は申し上げたのであります。
【輸入に真剣な努力】
四月九日の決定は、三つの特色がありますが、第一はアクション・プログラムとして中間的方針を明示しようとしていることであります。たとえば、電気通信については、一年以内に政令の見直しを行う。三年以内に法律の見直しを行う。木材については、三年目に関税の引き下げを考慮し、そこへ持っていくよう努力する。このように時間帯を区切って、アクション・プログラムをつくった。他のものにつきましても、各省ともそのような工程管理表、タイムテーブルをつくろうということで、四月中に基本方針をつくり上げ、七月に大綱をつくり上げよう、そういうことで、精力的に今かかろうとしているのであります。
第二の特色は、原則自由、例外制限、そして消費者の選択と責任というものを打ち出したことであります。これが先ほど申し上げた意識革命、行政革命にもつながる問題であります。
第三番目が、製品輸入の促進を図るということであります。私は、この間テレビで国民の皆さんに、百ドル買っていただけば、全体で百二十億ドルの輸入増につながります、と申し上げましたが、いろいろ投書やら手紙で「お前はいつ外国の総理大臣になったのか」「お前はいつから外国の商社のセールスマンになったのか」とか言われております。池田元総理は、トランジスタのセールスマンと言われたとか、本当かうそかは知りませんが、そういう伝説があります。私は、外国企業のセールスマンというようなことを、この間、議会でも言われたのであります。
通産省に対しては、トレード・アンド・インダストリーとありますが、インポート・アンド・インダストリーだ。当分、これが直るまではインポート・アンド・インダストリー、そういう役所だ、それに徹せよと指示しております。
JETRO(日本貿易振興会)は、今や輸入の奨励機関という形になっている。これは半年以上前、赤沢(璋一)君が理事長に就任したときからそういう指示をしてやっております。
この間、名古屋でインポート・フェアがあり、非常な成功でございました。つくば万博が食われてしまったくらいに、名古屋にお客さんが殺到した。やはり、努力すれば実るんです。アメリカの会社約二百五十社に参加していただいて、エージェント、コネクションが日本の会社とできたのが約百五十社。三十一社が売買の成約までできたという報告を受けました。
しかし考えてみれば、外国の品物を輸入するために、政府がお金を使って、自腹を切ってまでもやっている国は、世界のどこにあるだろうかと私は申し上げたい。
名古屋のインポート・フェアだけでも、JETROが一億数千万円使っております。愛知県及び名古屋市も、やはり相当なお金を出している。政府あるいは公共団体が一緒になって、自前で、自腹を切って輸入を促進している国は、私は他にはないと思うんです。それくらい、われわれが今真剣になってやっているということを、一つここで強調したいのであります。
【売る方も努力せよ】
しかし、やはり売る方も努力していただかなければいけません。われわれ側からすれば、内外無差別にし、透明性を確立してマーケットをオープンにいたします。それ以上は皆さん方の、売る方の責任です。われわれ自体が何百億ドル、何十億ドル保証しますというようなことは、自由主義体制のもとで言えるはずがないと思うのであります。
ただし、内外無差別で、完全にレシプロシティを持たせるということは、われわれ政府の責任であり、また国民の皆様方に「買ってください、買ってください」と努力してエンカレジすることも、政府の仕事でありましょう。しかし、いくら輸入するというところまでは、われわれは保証なんかできるものではない。
この間、ある新聞を見ましたら、投書が載っていました。やはり輸出する方の努力も大事なんですね。ちょっと読んでみます。
「最近の新聞、テレビの報道は日米貿易摩擦に明け暮れているようです。一国の首相が記者団を前に棒を手に『外国製品を買いましょう』と呼びかけている図は、どこかの会社のセールスマンが、お客を集めて売りこみをしているみたいに感じました。私ども消費者も、安くて良い品で、アフターサービスがよければ呼びかけがなくても喜んで買います。
私も先日、オーディオ製品を求めましたが、X国のものは送金後三日目で品物がとどき、説明書は英文の外に和文がついていました。保証書も入っていて、故障の場合の取扱店も明示してあり、事実トラブルを生じた時、東京からかけつけ無料で修理してくれました。
Y国のものは送金後入手までに四カ月かかり、途中で心配になって問い合わせの電話をかけたほどでした。いざ品物は手にしても説明書は英文だけで保証書もなく、取扱店も明示されていませんでした。性能はどちらも満足のいくものでしたが、これほどのちがいがありますと、よほどの人でない限り、後者に手を出すことをためらうのではないかと思います。
自由貿易は競争原理に支配されると思います。そうであるならば、Y国はただ日本を非難するだけでなく、輸出にもっと努力を注いで日本人が安心して買えるようにしてほしいと思います。日本人は決してY国製品の不買運動をしているわけではありません。高くて良くない品物を喜んで買うほど、日本人の心は広くないことを理解してほしいものです」
私は新聞の投書というものは、国民のその時の気分を表していると思うのでありまして、大いに援軍を得たと思いまして、ここにご紹介申し上げる次第なのであります。
製品輸入の問題を考えてみますと、欧米並みの製品輸入率を日本に求めるのは、私は無理であると思っている。なぜならば、日本は原料がなく資源がないため、外国から原料を輸入して、加工して外国に売り、そこで得たお金で生きていく。また、外国に対する援助も行っているという国柄であります。
千七百億ドルくらいの輸出、千四百億ドルぐらいの輸入。千四百億ドルの輸入のうち、約六百億ドルは油の代金です。また三百億ドルは鉱物や食糧その他の代金です。油の代金がグーンと下がると、黒字が非常に大きく見える。六百億ドルの油代金なんでありますから、一割、あるいは五パーセント下がっただけでも相当の黒字が出る。そういう数字になっているんです。
それに日本はECのように隣に工業国がうんとあって、物が行ったりきたり簡単にできる情勢にはない。アジアの東に自立してかなりの工業国になっており、並立している隣国の同じ水準の工業国家というものはないわけであります。そういう意味からしても、製品輸入というものは、外国から見れば非常にディスアドバンテージがあると申し上げざるを得ない。にもかかわらず、この現実は放置できないから、われわれとしては全力を尽くして事態を改善しよう、そういうものである、とご認識願いたいと思うのであります。
【内需と市場の開放】
次に、内需拡大か市場開放かという議論がありますが、これは二者択一の問題ではない。両方努力すべきものである。その際、一番大事なのは、財政赤字を減らすことと物価を安定させること、これは政治の基本であると私は考えておるのです。このことは、サミットにおいても決議し、約束をしている。財政赤字の多い国はこれを減らす。そして、インフレのない世界的繁栄を協力し合おう。そういうことをわれわれは約束しておるのであります。その意味において、われわれは今膨大な財政赤字に苦しんでいる国であり、物価の安定も今必死に努力しているところであります。したがって、それを揺るがせない範囲で、われわれは政策を行わなければならないと思っております。
内需拡大という問題について、直ちにそれを財政的な数量を拡大して行おうというのは、現代的意味においてやや古典的な考えであると思うのであります。何と申しますか、日本の今までの頭の発想というものは、不景気になれば公共事業費を拡大して財政的に出動するというやり方でございました。しかし、今日の状況からみますと、財政的な出動、量的拡大という問題は非常に厳しい状況にもなっているし、いろいろな最近の傾向からみても、赤字公債あるいは建設公債にせよ、公債発行でやった場合の効率性を考えれば、経済が高度成長していた時ほどの乗数効果はなくなってきている。むしろ、借金のつけのほうが大きく残ってくる。そして、子孫に大きなつけを残すという経済体質に最近はなってきている。
そういう変化にも、われわれは目を向けなければならないのであって、今までの惰性的思考で考えるわけにはいかないと思うのであります。われわれとしては、財政の質的補完性を重視する、たとえば民間の活力、民間資金をうんと動員し、アクティビティを強化するための誘い水を、政府あるいは財政が工夫して行くことは考えられると思うんです。
もう一つは、民間の活力の引き出しを行う。これはディレギュレーションということが早道であり、大きな影響力を持ってくると思っております。われわれはすでに電電あるいは専売公社の民営化を行いましたが、これらはディレギュレーションの大きな目玉でもあります。国、公有地を開放し、これを民間活力に善用しよう、あるいは関西新空港方式によりまして、民間資本を導入して、会社で関西新空港をつくる、今までは空港公団でやっていたものを民間に渡す−−そういう形で、ディレギュレーションというものに全力を注いでやってまいりたい、そう思っております。今、行革審(臨時行政改革推進協議会)におきまして、どの分野でそういうことをやろうか、いろいろ点検しておりますが、行革審とも協力をいたしまして、そのご支持をいただいて思い切ってやっていこうと思っているわけであります。
もちろん、経済は生き物でございます。われわれは当面決めたこと、世界に約束したことを、右顧左眄せずに、猛然とこれを推進して、世界の信用をつなぐ努力をいたしますが、また一面においては、夏から秋にかけて経済がどういうふうに動くかという観測によって、政策の弾力性というものも考える必要はある。これは政治として当然のことであると思います。
今年の下期から六十一年にかけて、経済がどのように動いていくであろうか。あるいはドル高の状況がどういうふうに推移していくであろうか。そういう海外の状況変化に相対応しつつ、国内の弾力的措置を検討するということも大事である。日本だけが硬直的に、自分の立場だけを墨守する考え方は、必ずしも適当ではない。
今申し上げた中期と当面の対外経済政策は、これを断固としてやっていきます。しかし、経済政策の運用問題等につきましては、このような海外の状況等をよく把握しつつ、それに相対応できるような国際的調和性を持った考え方で、われわれの基本政策を堅持しつつ、その枠を守りつつ実行していきたいと思っておるのであります。
【保護貿易回避の道】
自由貿易自体は非常にひ弱なものであると思っています。これは天賦人権の所産でもない。世界憲法に書いてある問題でもない。人間が第一次世界大戦、第二次世界大戦の悲惨な経験を経て考えた。とくに、第二次世界大戦前の一九三〇年代の悲劇を経験しいてたどりついた合意と英知、それが自由貿易という哲学であり信念であります。
これはややもすると、各国が利己主義になると崩壊する、ガラスの箱みたいなものであります。したがって、皆でこれを守って、たゆみなく努力し続けていかなければならないのであります。われわれの四月九日の決定も、その一つの表れであります。
たゆみない努力をする、それはちょうど坂道で車を押し上げているようなものであります。自由貿易という目標に向かって坂を押し上げており、手を抜けばガラガラと車は下がり、保護貿易の方へ行ってしまう。だから、世界中の国、とくにサミットの国々が皆で車を押し上げる努力をしている。皆が手や肩に力を入れて押し上げている間は、保護貿易ということは言えなくなる。その意味で、ニュー・ラウンドを推進していくことは、現在の国際情勢、国際経済からしても非常に重要であります。その場合の政府の責任、政府の機能というものが非常に重要であると考えています。
いろいろ世論は変化もいたしますし、議会でも、いろんな議論が各国とも出てくるのであります。民論を反映し、議会の職能として考えられるところでありますが、少なくとも政府は、国際関係をうまく調整していく役目を負う実行部隊であります。正面の責任を持っておるのであって、政府がお互いに信頼し、約束を実行し合っていくことが、やはりこの世界を守っていく大事なモーメントになって、大きな重要性を持ってきていると思うのであります。
現に発展途上国、累積債務国の問題がいくつか起こりましたが、先進国政府、国立銀行の努力によって一つずつ解決してきている。あるいはIMFや世界銀行の協力によって解決してきているわけであります。政府がお互いに協力し合い、実行し合っているからできている。われわれは善意と責任感を持って、懸命に努力をし、協力関係を築き上げていきたい。そう思っている次第でございます。
〔東京・内幸町のプレス・センターで開かれた読売国際経済懇話会で「今年の課題と日本の方針」と題して特別講演したものです。〕