[文書名] 中曽根康弘内閣総理大臣のソルボンヌ大学における講演
御列席の皆様
本日,私はここ700年の歴史を有するソルボンヌ大学において,日本の総理として初めてパリ・アカデミー学長名誉牌を授与されました。この上ない栄誉であり,感激であります。御高配を賜りました関係者の皆様に,厚く感謝申し上げます。この光栄ある機会に,私は,日仏関係,更にはより広く日欧関係の将来について,私の所見と期待を申し述べ,さまざまな領域で深まりつつある日欧間の対話の増進にささやかな貢献を加えたいと存じます。
(日本の近代化120年と現在の課題)
御列席の皆様
極東の島国日本が,その二百数十年の鎖国の眠りから呼びさまされ,新しい近代日本の建設に取り組み始めてから,今日120年が経過しました。近代日本建設への暁の鐘の響きであった「明治維新」,その時代は,現代の日本人にも,快い興奮と誇りを感じさせるものとして語りつがれて居ます。
実際,近代ヨーロッパの変革の息吹きに触れた当時の日本人には,毎日毎日が新しい発見であり,1年1年が破壊と建設の連続でありました。1889年のパリ博覧会で,エッフェル塔を仰ぎ見た日本人は,その高い近代技術の水準に驚倒し,ルーブル博物館を初めて訪れたものは,西洋の美の持つ伝統の重圧に圧倒される思いを味わうと同時に,全く異なった外界の把え方に審美の世界を一挙に拡大される驚きを覚えたにちがいありません。フランス革命の歴史を繙いたものは,自由,平等,博愛というその精神の高邁さに襟を正し,注がれた血と情熱のドラマに心の昂りを禁じ得なかったことでしょう。自由民権への闘士,殉教者も多々生み出されました。
このような海外での経験と海を越えて到来する情報は,すべて当時の日本の新しい国づくりにそそぎ込まれました。司法,立法,行政の仕組みをはじめ,法制,兵制等,すべて過去のものは放擲されて,フランスはもとより,欧米列強の諸制度に範をとった新制度が急速に整備されて行きました。近代憲法下における議会政治が行われるようになり,2大政党による政党政治の時代も幕を開くことになります。ちなみに今年は,現在の内閣制度が確立されてから丁度100年目にあたります。この間,フランス人,ギュスターブ・ボアソナートをはじめ,近代日本の礎石作りに果たした欧米知識人の役割も見逃すことはできません。
政府の強いリーダーシップの下,産業や近代科学技術の発展も極めて短期間に軌道にのりました。それは,これに先立つ100年間に日本が識字率70%という高い国民教育を完了し,我が国独自の商業資本の発達,庶民文化の成熟を見ていたからであります。明治維新後,日本人は,とくに国家社会の発展に教育が果たす役割について的確な認識をもち,その革命,普及に大きな努力を傾けました。これは,現代の我々にとって非常に大きな遺産であります。こうして日本は,先ず教育で人を作り,その人が近代文明を摂取して日本固有のものに同化し,更にそれを発展させました。
しかし,急速な変身の過程において,我々は最後の段階で一つ重要な過誤を犯しました。それは,急速な近代化過程で生じた社会的な歪みや大恐慌等による混乱等が禍いして,超国家主義と軍国主義の跳梁を許してしまったということであります。
1930年代に入ってからは,政党の力は弱化し,政治の主導力は第2次大戦へと日本を導きました。戦争の深い傷は世界全体に拡大され,日本は敗戦と破壊の中に,もう一度ゼロからの出発を余儀なくさせられました。以来40年,我々は再び,明治の日本人が感じたであろう同じ苦悩と危機意識の精励のうちに,自由と平和と人権と民主主義の理念の下,日本の再建と発展の事業に打ち込み,これに成功したのであります。
現在,我々日本人は,自由と民主主義の価値,平和の維持に対し,世界のどの国民にも負けないゆるぎない信念とそれを裏付ける実績の積み重ねを持つに至りました。私は,この信念が,市民社会の岩盤にしっかりと定着したという事実こそ,経済的成功よりも何よりも,戦後40年の我々の最大の成果だと信ずるものであります。
以上が,近代日本120年の歴史的素描でありますが,そこに一貫する意識の流れを看取することは,そう難しいことではありません。それは,欧米先進諸国に対する遅れの間隔であり,それにキャッチ・アップしようとする焦燥感であり,そのための献身,努力の必要性に対するコンセンサスであります。また,この意識の流れの下に,我が国は,中央集権的政治体制,規制または管理による社会経済体制を強化し,欧米にキャッチ・アップする急速追尾の方策をとりました。まさに日本人は,この120年,我が国の最も著名な歴史小説家の表現を借りれば,「坂の上の雲」を見つめて一心不乱に坂を登ってきたのであります。
しかし,今漸く状況は本質的に変わってきております。それは,第1に,国際社会が拡大し,世界人口の75%を占めるにいたった開発途上地域の人々が,我が日本をもまた先導者と見做すにいたったということであります。我々はすでに,他の先導者と共に急激に変化しつつある21世紀の世界に向かって自らの進路を切り拓いていかねばならない地点に到達してしまったということであります。第2は,世界経済の1割を占めるに至った日本が,極東の片隅に息をひそめるようにして,あたかも国際社会に無縁なるもののごとくに,国際的な義務や責任の遂行に目をつむっていることはできなくなったということであります。この2つの状況変化は,極めて急激かつ構造的であり,その意味するところ,影響するところを日本国民全部が真に理解するには,多少の時間を要するのであります。私は現在,政治,経済,文化の各方面に於て,国際化,開放化への努力を行っておりますが,皆様におかれては,日本は現在従来の伝統的島国から世界への道のりの過渡期にあると考えていただきたいのであります。
私は,こうした認識の上に立って,「戦後政治の総決算」と総称し,総理就任以来,国内的には社会の体質転換,経済の構造的改革のため,行政改革,財政改革,教育改革に取り組み,また対外的には世界に開かれた国際国家日本の建設を強く国民に呼びかけてまいりました。私は,日本の現在の市民社会,そこに定着している自由と民主主義の骨格に揺るぎない信頼を寄せております。それを一層発展させるため,すべての分野について自由の原点にもどり,国家の介入を最大限に排し,真の個の確立と,独創的で活力ある,しかも連帯感あふれた社会の建設に向かって,基盤の再整備を図っております。日本では社会も経済も熟成し、今や規制や管理を排除しなければ民間活力を更に発揮して,より充実した社会を建設することは不可能となっているのであります。とくに教育の改革は,明治のそれが,近代日本の発展の基礎であったように,今後の飛躍の不可欠の条件であります。しかし,その改革の方向は,第2次大戦前の画一性の教育とは正反対に,個性化と自由化の追求にあると確信しております。そして国際性豊かな中にも、日本人のアイデンティティをもった人格の形成,社会の創造,換言すれば東西文明を融合した個性ある日本人と日本文化の創造が,21世紀に向けた我々の大目標であると考えているのであります。
(日本の世界政策と日仏協力の可能性)
御列席の皆様
日本はこの1世紀余の間に明治維新と第2次大戦の敗戦という,2度にわたる強い衝撃を受けたことにより,国家の存続と繁栄にとって,世界の中で孤立することが如何に危険であるか,否,如何に不可能であるかを骨身にしみて知りました。いまや世界の人々と共に生きる国際国家日本の実現は,現代日本の最大の目標なのであります。
我々の世界政策は,すべてこの原点から発します。
第1に我々は,再び軍事大国とならない決意をし,憲法の認める最小限の自衛力を維持して,我が国の平和と安全保障を確保することといたしております。日本が強力な軍備によって,再び利己的独善的な目的を追求しようとする意思も体制もないことは,独特の日本国憲法,強固な市民社会の岩盤,自由と人権の保障とジャーナリズムの発達,労働組合の力の強さ等を見れば明らかであります。また近年,中国との間で,長期的友好の基礎を固めつつあることは,単に日中両国関係の発展に資するということにとどまらず,世界の平和維持の体制にとっても、一つの大きな礎石をなすものであると確信しております。極東の一角から毎年先進国首脳会議に出席し,世界の平和と繁栄,民主主義的価値観の推進のため,国際的連帯の上に立って積極的に貢献しようとしていることも,同じ目的から発しているものであり,そのことが日本の近隣諸国に対して大いなる安心感を与えていることも御理解願いたいと思うのであります。
しかし,このことは,我が国が西欧諸国との関係により少ない重要性を置いているということでは全くありません。それどころか,西欧は我が国のよって立つ基本的な価値の源泉であります。西欧が現在の国際政治に果たしている役割や,すべての工業民主主義国の安全保障がグローバルで不可分なものになっていることを考えるとき,我が国と西欧の協力と連帯は一層強めなければならないと考えるものであります。
第2に,世界の自由貿易体制の維持について,日本は最大限の努力を払うことが国際的責任であると確信しております。もちろん我が国は,自由貿易によって,一方的に利己的重商主義的利益を得ようとしているわけでは決してありません。その利益は,自由貿易を行うものすべてに均霑されるべきものであります。世界経済の繁栄ひいては平和の維持のため,自由貿易体制の堅持が重要な鍵であることは,1920年から30年代にかけての貴重な歴史の教訓を通して得られた結論であり,このため,民主主義諸国は,戦後,自由貿易の原則を世界経済の支柱としてきたのであります。しかし,現在それは危殆に頻し,ややもすれば世界は保護主義への坂道を転げ落ちかねない危険を孕むにいたりました。日本が関税の一方的引下げをはじめ,率先して各側面の市場開放政策を打ち出していることについては,このような文脈において正当な評価が与えられるべきであると考えるものであります。
しかし,自由貿易体制は,ガラスの人形のように壊れ易いものでもあります。なぜなら,自由貿易は,その原則が競争を前提とするため,必然的に各国の国内産業の一部に痛みを与えざるをえず,また,各国ともこのような痛みに敏感な固有の歴史的,社会的事情を持っているからであります。国民経済の安定と雇用の確保に責任を有する各国政府としては,かかる状況を解消するため,自由貿易のもたらす世界経済の拡大こそ究極的に自国の経済繁栄に繋がるものであることを見逃してはなりません。我々は一時の競争の現象面に目を奪われて,本来自由貿易が世界全体の相互繁栄の基盤をなしている原点を見失うことのないよう,厳に注意すべきであります。世界にとって死活的な意義のある自由貿易が成り立つためには,国内産業や社会自身の活性化が不可欠であることは申すまでもありません。このためには,生産的投資や好ましい政策的環境を整備するとともに,特に21世紀をひかえて,教育と科学技術の進展こそ,現在のフロンティアを拡大し,先進工業社会の調和的発展を保証する重要な鍵として新たな優先度をもって見直されるべきであると信じます。
第3は,開発途上国や真正非同盟政策をとる国々に対する理解と協力であります。私は常々,「南の繁栄なくして北の繁栄なし」と言ってきました。自由と民主主義は,先進諸国のみによって守れるものではありません。世界経済の円滑な運営もまた然りであります。我々は,貧困という悪を地球上から消すために,また貧困の故に誘発される暴力と圧政の土壌を改善していくために,開発途上国の人々と協力して行かなければなりません。また真正非同盟諸国の真摯な平和追求の努力に理解を示し,その健全なナショナリズムに対しては誠実な協力体制をとるべきであります。かつて開発途上国であった日本は,今日世界から与えられている恩恵に感謝し,この分野で,今後ますます重要な役割と貢献をしていくことを決意しているものであります。
フランスは,この方向での努力についてこれまでも極めて積極的であり,これら諸国との関係で先駆的な役割を果たし続けてきました。その背景に,自由,平等,博愛という伝統的信念に基づく人権の尊重,ユマニスムに立脚するフランス文化の普遍性への確信があったものと考えます。日本の場合,100年前は自らが開発途上国であり,「遅れて来たもの」でありました。開発途上国の持つ苦悩と希望は,自らの体験から理解することができ,これらの国々に心からの協力をする事はその良心から言っても当然のことであります。
第4に,日米欧の3極と,それを中心とする太平洋,大西洋協力の展望と期待であります。
私は,今日,自由世界の安定と繁栄は,日米欧3極の緊密な協力関係によって支えられていると考えております。このためには,3極はそれぞれに強くなければならず,また,3極はそれぞれに強い連帯によって結ばれていなければなりません。
この観点から見て,近年,とくに20世紀後半になって,日本を含む太平洋諸国の発展には顕著なものがあります。それは,これら諸国の国民の勤勉と努力の賜物であることはいうまでもありませんが,そのほかに,2 つの要因が幸いしたことも見逃せません。第1は,米国と日本という巨大な市場と,技術と資本の提供者があったことであり,第2は,インドシナ半島や朝鮮半島における緊張を例外として,概して東西対決の影響が少なく,平和のうちに国家建設の事業が進められ得たことであります。
この太平洋諸国の力強い発展をみるとき,そこに21世紀に向かって,環太平洋の協力圏構想を夢見るのも,あながち非現実的とは言えません。しかし私は,それを進めるには,慎重な配慮が必要であると考え,今年1月の豪州訪問の際,それを4つの原則に整理して,関係諸国のコンセンサスづくりを試みているところであります。すなわち,その協力関係は,(1)非軍事的なものであること、(2)排他的ではなく外に向かって開かれたものであること,(3)ASEAN諸国等の主導であること,(4)民間がまず先鞭をつけ,政府はその環境作りをすること,以上の4つであります。
東アジアはヨーロッパと異なり,言語,宗教,文化,地理的条件,経済発展段階等,どの側面をとっても極めて多様性に富んでおります。また政治的にもその形態が理念において等質性を欠き,国家間の距離も遠大なものがあります。私は外部からの挑発や侵略を排しつつ,この多様性をそのままに,世界に開かれた安定した友好協力圏を自然に形造って行くことこそ,この地域の21世紀に向けての豊かな可能性を育む所以であると確信するものであります。
このような友好協力圏形成の過程において,ヨーロッパの協力が不可欠であることは申すまでもありません。私はヨーロッパ諸国の有する,発展途上国との間の豊富な協力経験の蓄積を生かし,その文化と資本と技術と市場を,新興太平洋圏のダイナミズムと密接に結びつけるとき,世界は新しく,幅広い,文化的にも創造的な新秩序システムを持つことができるという強い期待を抱いております。
御列席の皆様
私は,以上申し上げてきた日本の世界政策は,個々の分野における力点の置き方においては両国に固有な条件によって異なることはあっても,その基本的性格においては,フランスが志向するものと同質であり,この推進に当たっては,共に協力して行けることを期待し,確信するものであります。特に産業投資や研究開発における協力関係の拡大の面や,開発途上国や第三世界との協力関係の増進の面では,両国は今後一層強い提携が可能であり,必要であると考えます。私はフランスが目下推進しているユーレカ計画に象徴されるような「技術のヨーロッパ」構築への努力に敬意を表するものですが,このような壮大な構想の下にヨーロッパの科学技術が推進され,関係産業が一層活性化されるならば,日欧間の科学技術協力の可能性は一段と高まるものと期待いたしております。
(日仏両文明の収斂と止揚を通ずるより高次の普遍的文明の創出)
御列席の皆様
私に更に心の扉を開くことをお許しいただけますなら,次のことを申し述べたいと思います。即ち,日仏の我々の関係には,単に政治や経済の分野をこえて、精神文化において理解し合える深いものを持ち,共通するものを持つという強い確信が存在するのであります。
フランス国民の鋭い感性と繊細な美意識や直観的ひらめきに触発される情熱は,その日常生活から芸術,文学,思想活動にまで徹底して発揮されております。なかんずくフランスが世界に誇る長所は,カルデジアンと称せられる論理的整合性のあくことのない追求でありましょう。この意味で,「始めに言葉ありき」という言葉が最も良くあてはまる国民は貴国民であります。言葉によって対象を徹底的に規定しつくさずにはおかない貴国民の性向から,フランス語を極めて大切にする,よく知られた貴国文化の特長が浮かび出ます。こうして築き上げられたフランス語とその表現力こそ貴国文化のアイデンティティの源と言うべきでありましょう。フランス人は国語を大事にすることの深い意味を掴み取っている人たちであります。
一方,日本文化の伝統も感性と美の追求を中心とするものでありました。日本はまた古くから「言霊の幸わう国」と言い伝えられ,約千年以上前から小説や日記等の豊富な文学の遺産を持っております。しかし,日本語は対象の言葉による徹底的な描写よりも数語をもって情感を呼び起こし,自然や宇宙を象徴する使い方をされた時,最も良くその真価を発揮するように思います。それゆえに,我が国では,短歌や俳句という独特の短詩が生まれ,今でも何百万もの日本人が,日常的に作って楽しんでいます。私もその一人であります。要するに,我が国民には禅語に言う「不立文字」によってものごとの本質を直観的に把握しようとする伝統的な特質があるのです。同様に貴国のパントマイムが「動」により,より描写的であるのに対し,能は「静」によって,より象徴的であります。私は,一見相反するように見えるこの2つの精神文化の特質がより深いところで結びついた時,21世紀が我々に向けて行いつつある挑戦に対して,より有効に,より大きな自信をもって立ち向かうことができると信じます。
御列席の皆様
この数世紀,科学技術の発展に支えられたヨーロッパの文明は,極めて強い活力を保持して自己変革を遂げると同時に,その活力は外にも向けられ,世界のすべての地域に圧倒的にその影響を及ぼしてきました。まさに,世界はヨーロッパ文明の尺度の下,すべての文明が同一直線上に優劣の順位をつけられかねまじき勢いでありました。それは何もヨーロッパの人々がそう考えただけではなく,その影響の受け手の側において,それを容認する社会思潮があったからであります。
しかし,今世紀も深まるにつれ,世界の人々は人類がその何千年の歴史において世界の各地域で積みあげ,作りあげてきた思索と倫理と社会体制は,それぞれが人間の叡知と尊厳正の彫琢されたものであり,独自の価値をもつことを知るようになりました。アンドレ・マルローが様々な文明体系の生み出したそれぞれの固有の美に,等しい価値を付与して,美の領域をグローバルに拡大したのもその一つの例でありましょう。このような変化をもたらした理由には様々のものが考えられます。私はやや逆説的ではありますが,ヨーロッパにおける科学技術の発達とその世界への普及自体が,その大きな理由であると考えます。世界各地にバラまかれた科学技術の種子は,今や大きく育ち,絡み合い,科学技術のオリジンや国籍を問うことは無意味になってきております。科学技術は,その普遍的な論理性と実証性のゆえに,世界の共通語となり,科学者や技術者はなんらの偏見もなく,各分野においてほぼ完全な交流を日常的なものにしております。科学技術の等質的な共有化は,異種文明の理解にあたって,実は不必要な偏見をなくし,奥に隠れた精神文化の実相を,より純粋に照らし出し理解できるようにしていると考えるのであります。
更に重要なことは,科学技術の発達は,今後とも人類の生活と福祉の向上の基礎であるとはいえ,それのみでは必ずしも人間の幸福を保障し得ないということがはっきりしてきたことであります。核エネルギーの解放という輝かしい科学の成果が,核戦争の脅威という形で,人類の存亡にかかわる今世紀最大の問題を生み出していることは,今更言うまでもありません。近年急速に発達しつつあるバイオ・テクノロジーによる遺伝子操作が,その展開次第によっては人間の尊厳を犯す危険性に強いて強い警戒があります。人類は今このように外なるアトム,内なるジーンという2つの核の脅威にさらされております。ベルグソンは,「人類は人類自身がもたらした進歩の重みの下に,半ば潰された姿で蠢いている。しかも,人類は,自分の未来が自分自身の手で定め得るものだということを十分に知っていない。」と述べましたが,私はこの哲人の言葉を想起せざるをえないのであります。
こうしたことは,我々が今後考えるべき2つのことを暗示しています。第1は,科学技術が人類文化を覆いつくすのではなくて,科学技術を人類文化の一部分として適正に位置づける必要性であります。第2は,科学技術以外の人間の精神文明について,科学技術がその同価値性を認め合ったように,相互間の真の理解を深め,共通の価値評価の基盤を広げることであります。
もちろん,科学技術の発達自体が,我々の世界観や人生観,死の観念,感性全般に強い影響を与えることは事実であります。最近の素粒子物理学や宇宙科学の目覚ましい発達は,世界の生成や「実在するもの」の意味について,我々の観念に新しい視野を拡げさせようとしております。またバイオ・サイエンスの抬頭は,遺伝子の解明を中心に,生物の「種」や「個」の存在を規定する必然性と偶然性をあますところなく明らかにしようとしております。こうした科学の発達が,21世紀の人間の考え方や生き方にどの様に大きな影響を及ぼすのか,想像だにできない程であります。
しかし,私は,科学技術が如何に発達しようと,人間の精神活動が神経細胞の化学的,電気的興奮のプロセスであることが如何に解明されようと,1つだけ変わらない重要な事実があると考えます。それは,そうしたすべてのことを観照し認識しているのは,ほかならぬ人間であり,人間だけであるということであります。今こそ人間精神をそのあるべき高みに置き直す時であります。人間精神が我々を生んだこの広大無辺の宇宙と,孤独に,しかし厳然と向かい合い立っているその実相を認識するとき,我々は人間の尊厳性と,人類愛の自覚が,沸沸と湧き出るのを覚えるのであります。
釈迦はすでに 2,000年前「天上天下唯我独尊」と言い,また同時に「山川草木悉皆成仏」と喝破しました。これが東洋的哲学の神髄であります。
私は,人間の精神活動に対して至高の価値を置くこと,換言すれば,ユマニスムの伝統こそがフランス文化の中核であると考え,それに大きな親近感と敬意を持つものであります。ミッテラン大統領が,その政権授受の式典において,「今日の世界において社会主義と自由の新しい結合を実現し,これを明日の世界に提供するということ−−フランスにとってこれ以上に高い要請,これ以上に美しい野心がありえようか」と語られたのも,人間の自由な精神活動に至高の価値を置くフランス文化の伝統に立つものと信じます。私がウィリアムズバーグの首脳会談において,バイオ・テクノロジーの発展と人間の尊厳問題について世界の賢人会議の開催を提案したとき,真先に賛同していただいたのがミッテラン大統領であったことも,このことを物語るものであり,この会議は昨年東京で第1回が開かれた後,本年はフランスで第2回が開催されました。
御列席の皆様
日本は,その 2,000年の文化の伝統の上に,西洋文明の吸収のためのこの1世紀の熱狂の次代を今漸く終わろうとしております。この間に達成された現代日本の経済的発展,科学技術の躍進は,単に国民の勤勉や地政学的位置の賜ばかりでなく,何よりも独自の伝統に近代西欧の所産を融合させた個性ある精神的秩序の所産なのであります。それが,今後21世紀に向かってどのように熟成し,自己発展して行くか,それが普遍的な,開かれた価値体系に向けての一層の前進となるであろうということであります。
一方,ヨーロッパは,近代科学技術の創出と全世界への伝播という人類史的役割を果たしてきましたが,今や,その人間の精神活動の営為の面での長い輝かしい伝統の発展のために,新しいエネルギーと新しい触媒を見出すことを望まれる時期に到達しているように思えます。そしてそのエネルギーと触媒は,世界の他の地域の文明の真実に触れ,それを正当に評価することの中に見出されるのではないでしょうか。
数年前,ミッテラン大統領が訪日されたとき,慌ただしい日程をさいて,わざわざ京都の古い禅寺を訪ねられました。ウィリアムズバーグの首脳会談で私共が初めて合ったとき,大統領は私にその時のことを「日本は,単なる経済の国だけではない。その奥に何かがあると感じた」と,私に話されました。ミッテラン大統領が,何故,禅寺を訪ねられたか。私には,それが現代ヨーロッパ精神が志向するものを象徴するように思えるのであります。
世界各地域の人々が,その固有の伝統の上に,他の地域の人々の真摯な思想や倫理体系,独自の美意識についての理解を深め,相互に融合したとき,人類史上,初めて真の世界文化が花開き,人間は歓喜の翼の下に皆兄弟となるのでありましょう。
20世紀も終わりに近づき,この100年間に様々のことを体験した日本人は今,再び世界への旅に出ました。私は現代において哲学が死んだとは思いません。また神仏を葬ってもならないと思っています。それは人間が自らを軽蔑することになると信ずるからであります。
御静聴ありがとうございました。