データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 第五回軽井沢セミナーにおける講演,新しい日本の主体性(中曽根内閣総理大臣)

[場所] 軽井沢
[年月日] 1985年7月27日
[出典] 中曽根演説集,303−323頁.
[備考] 
[全文]

【今年も思いきった緊縮予算を】

 この軽井沢セミナーも、今や日本財界の年中行事の一つになり、我々の同僚たちがここでお話しすることが新聞やテレビで報道されて、日本の政治の動向が察せられるという位置にまでなりました。政府・与党の使命がいかに重大であるかということを、私はそれによって痛感するものであります。

 同時に、このセミナーに参加しておられる皆さま方が、こういう機会を通じて国政の動向、現状について正しい認識を持たれ、かつまたわが党の政策に対してご鞭撻、ご協力くださる機会となれば幸いであります。

 本日は、内政・外交両面にわたって、現下のわが国の当面する諸問題について所見を申し述べたいと思います。

 昨日(七月二十六日)国鉄再建監理委員会の亀井委員長から、国鉄再建に関する意見書をいただきました。まさに画期的なもので、百年以上に及ぶ日本の国有鉄道も、いよいよ分割・民営化に向けて機関車が動きだし、発車進行の合図が出されたということです。

 百余年に及ぶ国鉄の民有化、同じく百十数年の電電公社がすでに民営化され、同じぐらいの期間続いた専売公社が日本たばこ産業株式会社になって、いずれも民有化の方向に大転換しておるのであります。これは日本の歴史上、画期的なことであり、今や我々は歴史の節目に当たる重大な局面に立たされていると考えていいのではないかと思います。

 その意味で、これを推進し、転轍手の役目を遂行されている臨時行政調査会、行政改革推進審議会、あるいは国鉄再建監理委員会等の皆さま方のご苦労に心から感謝し、そしてあのような時宜に適した的確な答申を次々といただいたことに深く敬意を表し、お礼を申し上げたいと思います。

 この七月に入ってから政府はあらたに大きな課題を幾つもいただいております。国鉄改革の答申をいただいた数日前には、行革審から行政改革に関する答申をいただきました。これは内閣の統合調整機能の強化であるとか、日本の科学技術政策の画期的推進、あるいは、中央と地方の再調整機関委任事務等地方に対する権限の委譲の問題、あるいは許認可の整理、国有財産等の処分など、いわば大きな政府から小さな政府へ、官から民へ、中央から地方へ、そういう方向の政策提言が、これまでにも臨調から何回か行われていますが、さらに今、大きなモメンタム(はずみ)を得て、それが力強く推進され、続行されようとしているわけであります。

 その少し前に、臨時教育審議会から教育改革の中間答申をいただきました。これも全国民が注目していた答申であります。その内容は、生涯を通じて勉強する。同時にいわゆる学歴社会の弊害を打破する。これが全体を通ずるバックボーンになっています。

 その中での有力な仕事として、共通一次テストの廃止、任意テストの創設、あるいはいま問題の中学生の暴力・非行・落ちこぼれなどの問題を解消するための偏差値教育の是正。それを行うための六年制中等学校の創設や、高校の多様化とかをかかげ、さらに教育改革の全体的なレビュー(再検討)を展開しているわけであります。

 このように行財政改革、国鉄改革、教育改革に関する答申を相次いでいただいておりますが、さらに、我々は先般、六十一年度予算の概算要求についても閣議決定をいたしました。昨日の閣議でその水準を決め、公共事業はマイナス五パーセント、一般行政経費はマイナス一〇パーセントという、思い切った緊縮予算を今年も組もうということであります。既に行財改革が実行されて五年目になります。そしてこの五年間、概算要求の基準はずっとゼロまたはマイナスで進行しています。とくにこの三年間は公共事業はマイナス五パーセント、一般行政経費はマイナス一〇パーセントであります。

 明治以来、私が七十二代目の総理大臣でありますが、五年間も予算を前年比ゼロまたはマイナスの基準で編成するほどの意気込みをみせてきた内閣はありません。明治十二、三年、西南戦争後のインフレを収めた松方正義の財政にしても、日露戦争のインフレに取り組んだ桂太郎内閣、西園寺公望内閣にしても、あるいは大震災後の加藤高明内閣や浜口雄幸内閣、若槻礼次郎内閣にしても、戦後のインフレを克服しようとした吉田茂内閣にしても、五年も続けてこのようにきびしい予算を組んだことはないのであります。

 私は、このように大きな仕事が進行しているというところに、いま国家が大きな分岐点にさしかかっていることを痛感します。

【まず赤字国債減らしに尽力】

 国民の皆さんは、昭和四十年代は高度成長のゆえに欲望の経済、欲望の政治を充足することができました。

 それだけの経済成長があったから、減税も実施し、社会福祉も思い切って伸ばすことができたわけです。昭和四十八年は「福祉元年」と言われた年ですが、このあたりで日本の福祉がだいたい欧米の水準にまで到達したのです。

 しかしその後、二度の石油危機を受けて、資源のない日本は大打撃を受けました。歴代内閣は、雇用を維持し、景気を浮揚させるために随分苦労し、思い切って国債を発行することによって、外国が増税や不況・失業に悩むなかで、日本はこの苦境を脱出することができて「日本の経済政策は非常にうまくいった」と外国から称賛されたのです。

 しかし今、そのツケがきて百三十三兆円という膨大な国債を我々は抱えています。この国債の対GNP(国民総生産)比は日本が世界一であり、ついでイギリス、アメリカであります。一番少ないのがフランスです。フランスはGNPに対する比率は八パーセント台ですが、日本は四八パーセント。約三百兆円のGNPの中で、百三十三兆円の国債を我々は抱えているわけですから……。

 そういう重い負担があるために、国民の税金や政府の財産を処分して得た歳入四十一兆円の中から十兆円の国債の利子を取られる。さらに所得税、法人税、酒税の三税から三二パーセントは地方に還元することになっていますから、それで約十兆円取られてしまう。そうすると残りの二十一兆円ぐらいで、防衛から教育から社会福祉など何もかもならなきゃならんということです。このため毎年、十二兆円ぐらいの国債(建設国債と赤字国債)を発行して、五十二兆円前後の予算を賄っているということであります。

 こういう状態が続くと毎年支払っている十兆円規模の公債費(利子)はますます膨大になっていきます。その場合、建設国債は国民の財産として残るのでいいのですが、赤字国債の場合はいわゆる消費的な支出として消えていくものです。したがって赤字国債をできるだけ減らしていかねばなりません。

 ともかく、予算の中から十兆円以上もの国債利子を支払っているような財政の状況では新規の政策ができなくなります。そして財政の機動性、弾力性も失われる。したがって、まず赤字国債を減らしてゼロにしよう。五兆数千億円ありますから、毎年約一兆一千億円ずつ減らしていけば、昭和六十五年度にはゼロになる。そこに至れば後世の国民負担も相当軽くなります。

 建設国債の場合は、道路や橋ができるとか、飛行場ができるということによって、子孫にも恩恵が及びます。しかし赤字国債の場合は人件費などになっていくので、その消えていく赤字国債を減らそうということで、今のような経常部門マイナス一〇パーセントといった苦しい予算を組んでやってきているのです。

 しかし、この間にも人口は増え、老人が増え、物価が上がっていくので自然増の経費もどんどん増加していくわけです。例えば厚生省の予算を見ても、自然増その他で一兆五千億円ないし一兆六千億円ぐらい張り出してきて、どうしても減らせない。それを何とかやりくりしてマイナス・シーリングの全体の枠の中に収めようという苦しい仕事を、実は強行しているところであります。

【我慢の次は体系的改革を】

 今は世界中がそういう我慢の時代になってきているのです。それは二度にわたる石油危機によって世界全体が影響を受け、ここへ来てアメリカが大きく景気上昇を続けていることで、みんなひと息ついているという状態ではありますが、各国とも財政が赤字であるという情勢には変わりないし、失業率が高いという点も変わりがない。ひと息ついているという程度であります。

 国際社会というのは相互関係にあり、日本が困ったときには米国に助けられてきたし、英国にも協力をいただいてきています。したがって我々も外国の事情をよく理解し、我々としてなすべきことをやってあげなければなりません。

 我々は今後、千年、二千年と続く長い付き合いを世界の国々としていかなければなりません。とくに日本のように外国から資源を輸入して、それを製品化して輸出していくという貿易で生きていく国にあって絶対に必要なことは、一つは平和であり、もう一つは外国の好意であります。この平和と好意が失われたら、貿易国家日本の前途は暗たんたるものになります。

 我々はそこに外交政策の焦点を定め、そういう暗雲をもたらさないよう、いま必死の努力をしています。サミット(主要先進国首脳会議)におきましても、二国間の外交についても、そういう努力をしているということを申し上げたいと思います。

 いずれにしても、日本はいま大きく変化しつつあります。四十年代の欲望経済から、今や五年間に及んでこれだけの耐乏予算を我慢してくださるところまできました。いわば欲望という問題から節制という問題へ、あるいは国家の前途を見つめる、子孫のことを考えるというところに国民意識がきたわけです。

 そこに表れるものは何であるかといえば、それは道義性とか、あるいは規律の問題であります。それが教育の改革であります。行革とか、財政再建という漠然とした形で事実上、進行していたことは、次に自分たちが持っている考え方や、教育の体系という基本にまで手を入れて、あり得べき姿を模索し、二十一世紀に向かって十分生きられる、日本の新しい教育体系をつくろうではないか、というところまできたわけです。

 欲望を抑えるということから、今度は積極的に人間の心や、あり方について組織的、計画的、体系的な作業にまで入ってきたのが臨教審であります。だから私は非常に画期的だと言っておるのです。

 世界の国はどこも今、そういう状況になっているのです。例えば、英国のサッチャーさんは民有化を断行した先駆者です。電電公社は英国で真っ先に民有化されました。米国においてもATTが改編された。日本もそれに次いで今年、電電公社が民有化され、そして三公社というものは姿を消しました。

 しかし、日本はそれだけではない。土光さんという人を得て、組織的な機関を作り、あらゆる部門にメスを入れて、行政の改革を体系的にやってきています。そういう点で私は外国に優ることこそあれ、劣るところはないと確信しております。むしろそういう時代を先見して組織的、体系的に改革に入ったパイオニア国家が日本であると言って差しつかえないと私は思います。

 そういうことをやらせてくださった国民、そして野党を含め各政党に私は深く敬意を表します。同時にこの根性を失ったら日本は駄目になるだろうと思っております。

【国鉄改革は不退転の決意で】

 さて、いよいよ国鉄の改革案が出てきましたが、政府は不退転の決意をもって、石にかじりついても改革を実行する決意であります。いかなる困難があろうと、また政治的な混乱が起ころうと、私は国民に理解を求め、野党に協調を求めて、どんなことがあってもこの国鉄改革は断行しなればならないと考えております。

 もともと財政再建や行政改革の意見が出てきた大きな原因は三K問題から起きているのであります。三Kとは、国鉄、コメ(食管制度)、健保です。健保は昨年から今年にかけて大騒動の末に一応片づけました。コメも食管会計の改良を着々と進めて、逆ザヤ解消の方向に進んでいるし、食糧検査員の縮減・改革ができています。したがって三Kのうち二Kはある程度メドがつき、最後の大きなKが国鉄なのです。

 その国鉄はいま三十七兆円の累積赤字を抱え、九万三千人の余剰人員を持っています。これが最大のガンです。また、そういう巨大な組織のうえに“親方日の丸”的な背景があるため、局部的に努力する人がいても、その人たちの汗が報われないという形になってしまっている。

 そこで国鉄再建監理委の皆さんが、今度は六分割する、あるいは貨物は別にする、新幹線は委託方式で進める。そして北海道、四国、九州には今の累積債務を負わせないばかりか、一兆円に及ぶ持参金を持たしてあげるから、その利子で赤字を埋めなさいと。一兆円の持参金というところが一つの目玉です。しかしカネのないところからその一兆円をどこで生み出すかが問題です。

 しかし、やはり健全経営によって黒字を生むような素地をつくってあげなければ、分割・民営に値しないということで、こういう案をつくっていただいたわけです。政府としては三十七兆円のうち国鉄再建監理委の命ずるままに約十七兆円を引き受ける。残りは分割される会社が応分に引き受けていく。あるいは旧国鉄の財産を処分して約六兆円をそれで返済する。したがってその残りを本州三分割の会社が分担することになります。

 人員についても、九万三千人のうち二万人ぐらいは希望退職で減らすが、三万二千人ぐらいは各会社で引き受けてもらい、残りの四万一千人は旧国鉄が各省庁や企業、団体と一緒になって雇用対策をやる。内閣は全力を挙げて閣僚協議会を作って、この雇用対策に取り組むことにしています。

 国鉄の分割・民営化についてはいろいろ議論があります。しかし、私は妥当な考え方だと思っています。なぜ国鉄がこんな姿になったかというと、公社制度のゆえに大蔵省から予算統制を受け、経営者が責任を持って思い切った弾力的な措置がとれないという一面がある。もう一つは運賃値上げが法律事項になっていて、国会がなかなか通らないため、借金がどんどん増えて、手遅れになっていったという面があります。

 あるいは労使関係において、労働者に自分の会社意識が少ない。ストライキをしても潰れない。“親方日の丸”という安易な気持ちが国鉄の労組員にある。それは責任感がないからです。経営者にも組合員にも責任体制を確立するということがなかった。

 それから、やはり五万人、六万人という工場、現場を持つところの管理というものはそう簡単にはできないものです。小回りのきかないマンモスが、時代の推移とともに消えていったのと似たようなものです。モータリゼーションや、宅配便にやられてマンモス国鉄が倒れたということでしょう。

 そういう時代の変化をとらえ、できるだけ細かく割って、小回りがきき、よく目が届いて、責任を持ってやれば黒字も生まれ、ボーナスも増える。そして在来線や、AB線という地方線、交通線についてもこれを生かす知恵が出てきます。

 また、新会社の皆さんも、地域の皆さんも自分の会社だという意識を持てば、これが長い目で見て赤字を解消し、能率を上げていく方法になる。小さくすればするほど、競争が激しくなっていいはずです。例えば近鉄の佐伯さんにでも経営させたら、相当な黒字が生まれる会社になるだろうと思われます。

 まあ、口で言うほど易しいことではないでしょうが、そういう精神でこの改革に取り組み、成功させていただきたいのです。だから国民の皆さんもそれにご理解をいただきたい。さもなければ、経営者のほうも、労働者の皆さんも、いくら努力してもそれは借金の返済に消えてしまって明日がない。これが一番いかんのです。明日がある、ということを家族にも知らせて、働きがいのある国鉄にしていかなきゃならない。それが今度の改革の要点でもあるのです。

 一方、国は十七兆円もの借金を引き受けてどう処理するのか。これから勉強して決めていくという形になりますが、ともかく赤ちゃんからお年寄りまで日本国民一人が二十二万円の借金を背負う形になります。今のままでは、一日たつと国鉄は六十三億年、赤字が生まれる。こんなことを繰り返していたら国は潰れてしまう。そして結局は皆さんの財政負担が多くなるだけです。

 それと、今や国鉄の共済年金はパンク状態になっている。それは十人の現役が十三人のOBと遺族の年金を払っているという状態になっているからです。そこで、これを救うために、電電公社や専売公社などに協力を求めて、いわゆる公共企業体の年金の統合・協力法案を成立させたのです。

【年金の官民格差を是正する】

 それからさらに我々は、年金の官民格差を是正しようと、国鉄を含め、国家公務員、地方公務員と、厚生年金、国民年金も統合し、来年四月一日から発足をめざしています。そのかわり基礎年金というものをつくって、一般サラリーマンも自由業者も、国・地方公務員も、すべて基礎年金の五万円はもらえる。

 そして今度は婦人の年金権も確立した。サラリーマンの場合は、奥さんも独立の年金権利者としての主体性を認め、その掛け金は夫の給料の中から出させることにしています。

 それと同時に、国家公務員、地方公務員の退職金と年金が民間より非常によかった分を減らして民間並みにしようということをやっています。それで退職金と年金の官民格差をならそうという考え方です。東京周辺の都市などでは局長や部長が退職すると、五千万とか六千万の退職金をもらっているという例はご存じと思います。

 この弊害を直すために、いま共済年金法改正案を国会に出しています。そして来年四月にいま申しましたように統合する。さらに昭和七十年には、国民年金、厚生年金も含めてすべての年金体系を一本化して、完全な公平化をはかることにしています。

 そういう年金の統合化をめざして、既に幾つかの法案が成立し、いま最後の国家公務員・地方公務員の共済年金法案に取り組んでいるところです。そのほか私学や農業団体職員などの共済年金も一緒にやっています。これが秋の臨時国会の大きな焦点になります。

 臨時国会ではもう一つ、衆議院議員の定数是正についていわゆる“六・六増減案”というのが、大きな政治問題になっており、私どもは何としても次の国会でこれらの法案を成立させなければならないと思っております。

【防衛問題は堂々と王道歩む】

 今度の六十一年度予算編成に関連して出てくる問題に「五九中業」があります。これは防衛庁が大蔵省に予算要求する際に、独自の五カ年間の防衛計画の見積もりを持っていたのですが、その見積りが改定の時期にきた。来年から新しい五カ年に入っていくわけです。その際に今までのように防衛庁だけの内部の見積りという形で五カ年計画的なものを持っていていいのか。

 シビリアン・コントロール(文民統制)という考えに立てば、そういう計画は当然、国防会議や閣議にかけて決め、国会に対して政府は責任をもって説明もし、国会の要求があれば要綱を提出するという形にすべきではないのか。そういう最高機関の監督も受ける形でやるほうが、より民主的かつシビリアン・コントロールに合うゆえんではないのかということで、どのようにすすめたらよいか、いま、いろいろ作業が進められているところです。

 そこへ防衛費のGNP比一パーセント問題がからんできています。これはいま作業中ですから、その結果を見て判断しようと思っております。野党の方々は、一パーセントを突破するだろう、それは国民が歓迎しないだろう、政府を攻めるチャンスだとばかり、勇んでこの問題を待ち受けておられるようですが、私は防衛問題のような国の基本に関する問題は、政争の具にすべきではないと思っています。

 その代わり作る案というものは、あくまで合理的に、憲法に立脚し、日本の国家防衛に限定する。いわゆる個別的自衛権の範囲内における日本の国防政策であり、しかも効率的で、科学的な近代装備を持った、必要最小限の防衛のために有効的なものでなければ国民に申し訳ない。

 有効でもないものを持っていたら税金の無駄遣いになるし、抑止効果もないわけだから、やる以上は抑止力として十分な効果を持ち、戦争を防止し得るだけの力を持っていなければ意味がない。しかもそれは軍事大国にならないように、専守防衛の範囲内にとどめたもので、五カ年計画というものを作ったらどうか、そういう内容のものであれば、国民の皆さんも理解していただけるのではないかという考えであります。私はすべての問題において逃げないで、素直に国家の現状や、防衛の現状等を国民の前に披瀝して、国民の皆さんの判断を仰ぎつつ、堂々と王道を踏んで、勇気を持って私たちは進んでいかなければならないと考えて、政治に取り組んでおります。

 日本では、この前の戦争の経過や、敗戦の影響もあって、またいつの時代でも戦争後は平和主義が強く標榜される傾向があって、ややもすると、防衛の問題を論ずるのは右翼的な思想の持ち主だというような印象が、一部の政界やジャーナリズム、学者たちによって宣伝されるという風潮が続いてきた。

 確かに戦前は、防衛という問題は軍部オールマイティーの形で進みすぎて、国会のコントロールが及ばなかった。また、そういう憲法の構造でもあった。いわゆる軍令系統・帷幄上奏というところが憲法上あって、作戦に関する部分は天皇陛下に直結しており、内閣の統制が及ばなかった。そういうことで政治と軍部の意思が一致せず、両方がなんとかしてくれるだろうと思っているうちに太平洋戦争に突入してしまった。政治が漂流した典型的な例であります。

 そういう弊害があってはならんというので戦後、我々は今の自衛隊法を作って、完全に政府と国会がコントロールできる体系につくり上げてあるのです。国家の防衛に関して政治が漂流してはならんということです。

 我々はそういう戦前戦中の大きな悔恨を残しているので、戦後は防衛に関する問題は上品な人間のやることではないという、間違った印象を持たれた。しかし、国を守り、国民の生命・財産を守っていく一番の根本は防衛であります。国家が侵略されたら憲法も何もなくなってしまいます。

 したがって、憲法が存在するときに、その存在を保証するだけの措置を講じておくのは当然のことです。自分は壊れてもいいというような憲法はあり得るはずがない。改正はもちろん定法であるけれども、これを抹殺していい、崩壊していい、暴力によって破壊されていいというような憲法はあるはずがありません。国家も然りです。

 そういう考えに立って、防衛というものをもう一度まじめに取り上げて、そして正常な扱いの中に防衛問題を入れ、国民の皆さまにも正常な考え方の中で冷静に判断していただく。教育や社会福祉と同じように重要な国家の政策として取り組んでいただくべきものであります。

 今回の五九中業改定問題というのは、そういう防衛問題に対する国民の認識を改めていただくチャンスにしなければならない。私はそのように考えております。

【二十一世紀に向けて体系づくりを】

 以上のような考え方に立って、私は「戦後政治の総決算」ということを言ってきました。昨日、ここで金丸幹事長が靖国神社の公式参拝の問題を申し上げたようですが、この問題もいま自民党内で大事なテーマとして扱われています。内閣においては、靖国神社参拝問題に関する懇談会を官房長官のもとに設けて、憲法上いかなる扱いがあり、いかなることが可能であるかということを、いま審議していただいております。

 私でもは{前4文字ママ}その答申を得て、十分冷静に判断し、国民世論や各党の動向、あるいはわが党の党員大多数の意見等もよく踏まえ、政府として判断を決めていきたいと思っています。

 いずれにしても、どの国でも国に命を捧げた人に対して国民が感謝を捧げる場所はあります。米国にはアーリントン墓地、ソ連に行っても、どこの国に行ってもあります。これは当然のことであります。そういうことも考え、しかも憲法上これが違反にならないように、つまり政教分離という憲法上の問題にさわりがないように注意しながら、この問題を解決していかなければならないと考えているわけであります。

 このようにして、戦後長い間の懸案であった諸問題について、いま一つひとつ{前5文字ママ}区切りをつけています。

 そうして二十一世紀に向かって、日本人がそれらの合意をもとにして、今までバラバラであったり、扱うことを避けてきた問題にあえてさわって、それらに対する合意を改めて形成し、日本国家、日本民族として世界の中で堂々と歩み、また国家の発展に資する。その屈折点に今きたと申し上げたいのであります。

 行政改革については、我々は明治以来百年間、発展途上国から先進国にキャッチアップ(追い付き)しようと努力してきました。そのためには、やはり国が指導し、国が機関車にならなければ追いつけない。そこで帝国大学をつくり、前憲法のもとではどうしても中央集権制度にならざるを得なかった。そこに官僚の優位性が出てくる。エリートを官僚に集めて、国が引っ張ったわけです。

 その結果、縦割り主義の行政になり、官庁が過度に介入するという形が定着した。発展段階では十分にその役割を果たし、効果を上げてきた諸制度も、昭和四十年代の高度経済成長を経て、日本の経済社会がこれだけ熟成してくると、むしろそれらの統制・規制というものが邪魔になって、発展を阻害するようになってきたわけです。

 昭和四十二年に日本はほぼ西欧の水準に追いついた。それ以後は経済成長に伴って政府が大きく膨れ上がっていった。この水膨れになったものを整理し、明治以来百年間の中央集権的、硬直的な体質を改める。また、戦後四十年の弊害を直すというのが、行政改革の大きな目的であります。

 同時に、精神的な面においても、戦前および戦後四十年の間違ったところを清算しようと、自民党が今日、大きな問題を抱えて前進しようとしているのであります。私どもが国民に働きかけ、合意と連帯を求めて進まんとしていることを皆さんはご理解いただけると思います。これが私の言う「戦後政治の総決算」ということであります。

 これは過去に目を向けてやるのではなく、あくまでも二十一世紀に目を見張ってやるのだということをご認識ください。

 歴代の自民党の総理大臣は、それぞれに党の政策を継承し、その時々の問題を相次いで解決してきました。日韓、中ソ、日中のそれぞれ国交正常化を果たし、日米安保を改定したり、内政上の問題でも大学の教育改革をやったり、歴代相うけて、ちょうどラグビーの選手がボールを受けたら全力をふるってゴールに突進する。倒れたら次の選手がボールを受けてまた前進していく。そういうふうにしてやってきたのです。

 そして今、私のときになって、明治以来百年、そして戦後四十年、先輩たちがやってこられた仕事の跡をよく見て、ここで二十一世紀まであと十四、五年ありますから、二十一世紀に向けての体系を整頓して前進する体系をつくろうということで、「戦後政治の総決算」を提唱し、その仕事に全力で努力しているということであります。

【大国らしい役割と責任を果たせ】

 第二に、その方向に持っていくために、国際的な関係で私が申し上げているのは「国際国家日本へ前進する」ということであります。日本は明治まで東海の孤島にあって西欧文明から遠ざかり、鎖国していた。そして目が覚めたときは発展途上国。欧米に追いつくために国家的統制や官僚の指導のもとに、機関車に引っ張られて前進してきた。その影響が社会制度の中にかなり残っています。

 しかもこの資源の乏しい小さな島国で、一億二千万の国民が生きていくのは、ちょうど満員電車の中にいるような状態で、身動きも自由にできない。そういう満員電車の乗客のような社会的な状況というものがある。だから、侵さず侵されず、話し合いでお互いが共存できる体系をつくる。これはややもすると公正取引き違反になる恐れがある、あるいはギルドの方式になってくる。それが発展を阻害する。

 それで、戦後、独禁法その他で自由経済の制度がつくられていったけど、しかし社会体系の中におけるそういう残滓がまだ消えないものがある。そこで今、原則自由・制限例外というものを国際経済関係について明らかにし、窓を開こうということで一生懸命やっているところであります。

 しかし、満員電車的国家であるという特殊性は変わらない。だから、その中でいかにお互いが合理的に生きていくか。生産者もあれば、消費者もあるわけだから、双方の利益を考えなければならない。しかも最も効率的な方法ということになると、これだけ資本主義が円熟してきた日本にあっては、やはり自由競争原理というものが長期的に見て最も効率的な制度と言えましょう。

 ところが、徳川時代によく言われたように日本の政治は「よらしむべし、知らしむべからず」という体系だった。国家が責任を持って国民を保護する。国民は寄りかかっておれと。律令国家の制度がこれで、千二、三百年ぐらい前からそういう体系ができていた。いわば護民官みたいな性格が日本の政府にはあったわけです。

 外国はそうじゃない。いわゆるチープガバメント(小さな政府)、あるいは夜警国家という概念で、人民が主になって国家、議会をつくり、自由を拡大していく。そのかわり人民が責任を持つというやり方できている。日本は違う。明治維新のときも、そういう西欧的な革命方式をとっていなかった。自由・人権という問題ではなく、黒船に対する意識から明治維新が行われている。その後、西欧に追いつくために外国の制度を入れ、民主主義が入ってきたという形であって、革命ではないんです。

 そういう「よらしむべし」的な体質を転換するという大事業をやっているわけです。というのは、一つは日本が自由世界で第二位の経済大国になり、そのうちソ連を抜いて世界全体で第二位になるだろうと見られている。それぐらいの経済大国になったら日本の輸出、輸入が全世界に大きな影響を与えていくことになります。

世界のGNPの一割を支配している国の輸出入というものは、関係国に甚大な影響を及ぼすことは言わずもがなです。日本が石油を買わなくなったら、石油価格はさーっと下がっていく。日本が石油を慌てて買い漁ったりしたら逆に石油価格ははね上がり、それが世界経済に大きく影響していくわけです。

 それほどの影響力を持つに至ったわけですから、自分の今までの体系だけに安住していては済まされない地位になってきている。だから、国際的な水準、あるいはそれ以上に経済を活性化させ、世界経済を拡大させる方向に進む道を日本は歩まなければならない。それを国民の皆さんによく理解していただいて、対外経済関係を良好にしていくことが第一。それが現在行われている市場開放のアクションン・プログラム(行動計画)であります。

 そういう歴史的な仕事にいま我々は取り組んでいます。しかし、長い間の因習もありますから一朝一夕にしてはできない。とくに官庁は先に述べたようなシステムで出発して、それが金科玉条の使命であったわけです。例えば外国では欠陥自動車が出てきたら、すぐ自動車会社が訴えられますが、日本の場合はそれを許可した運輸省も訴えられる。そこが日本と外国の違うところです。

 だから、日本は弁護士が五万人ぐらいですが、アメリカは六十万人もいる。それは向こうは個人が中心になって会社を訴えるというシステムができているからです。日本の場合は国家が訴えられる。洪水が起これば建設省が訴えられるんで、土木会社じゃない。そういう社会体系から転換して、個人が責任を持つ形にしていこうとすることです。

 しかし、内政に関する部分はそう急速には変えられない、必要な部門もあります。満員電車的な特殊性があります。しかし対外関係に関するものだけは、わが国が世界に大きな影響力を持ち、また自由貿易の最大の恩恵を受けている日本ですから、少なくとも世界水準並みの貿易慣習というものは確立していかなければならない。そのためにアクション・プログラムを作っているわけです。

 関税の面においても、基準認証の問題においても、また透明性や政府調達の問題、サービスの面その他においても、いま鋭意努力しています。今日この会場に来る直前までそれをやってきたのであります。

 そういうオープン・ドア(門戸開放)について懸命な努力をしておりますが、一方においては、いつの間にか日本は世界の大国になっていて、そうなると今までと違った大国らしい役割と責任を世界から求められるということになってきました。

 私は、外国に行って一番驚くのは、我々が考えている以上に日本が大国として見られているということです。日本人は国内にいるからあまり感じない。しかしたまに外国に行かれる方はよく感じるはずです。

 したがって、いま国際国家日本へ我々は急速前進をしなければならないときです。そして経済摩擦を解消していくということが、日本が将来とも繁栄していくための、死活的な政策になってきています。だからこそ私は先般、テレビで国民の皆さんに真剣に訴えたのです。

【日本の主体性の確立を】

 そのように我々は国際国家に向けて前進していこうとしている面と同時に、非常に大事なことは、日本としてのアイデンティティ(主体性、同一性)をもう一度見直し、確立するということです。

 戦前の日本は、いわゆる皇国史観というのがありました。そして戦争に負けてからは、太平洋戦争史観というのが入ってきた。これはまた、東京裁判戦争史観とも呼ばれています。

 連合国が自分で法律をつくって、東京裁判で日本を被告にし、文明の名において、人道と平和の名において日本を裁いた。これは究極的には歴史が判定するでしょう。また、我々に裁かれるに値するようなこともなくはなかった。しかし、ああいう裁判のやり方が果たして正しかったかどうかは、歴史がいずれ判定するだろうと思います。

 しかし、あのとき出てきた思想には、何でも日本が悪いんだという、ややもすると自虐的な思潮が日本をおおった。今もそれは残っている。戦前戦後の日本の悪いところを書いていい気分になって、それが文化人であり、進歩派だと考えるような風潮があった。私はそういう考えには反対だと前から言ってきた。

 国家というものは長い間、とくに日本のような場合には自然的共同体として発生している。契約国家ではないんです。だから、勝っても国家であり、負けても国家である。栄光と汚辱を一緒に浴びるのが国民です。そして汚辱を捨て、栄光を求めて進んでいくのが国家であり国民の姿でなければならないと私は思っています。戦争に勝ったことも、負けたことも我々の歴史の一環です。負けたことは知らんぷりし、あるいは負けたことを鞭打つだけが能ではない。我々日本人がやったことなんですから。

 そういう立場に立って、世界史的なプリンシプル(原理、公理)で日本の過去の業績を批判し、日本のアイデンティティを確立する必要がある。

 で、太平洋戦争史観のあとに入ってきたのが、マルキシズム戦争史観。これがまた、帝国主義戦争うんぬんということで、日本人をさいなんだ点も多い。こうして戦後の日本は混とんたる状態が続いた。そうして保守合同による自民党が誕生した昭和三十年ごろから、日本のアイデンティティを確立しようという努力を、堂々と続けているところです。

 我々が確立しようとするアイデンティティは、決して偏狭なものではあってはならない。超国家主義の過失を犯してはならない。世界のどの国の人が見ても、それが合理的であると思われるような考え方に立ったアイデンティティを確立しなければならないでしょう。それは学問的かつ科学的なものでなければならないと思います。

 戦後四十年たって、いま日本にはそういう気運が非常に出てきました。そして国際国家になろうとすればするだけ、一方では日本文化とは何ぞや、外国とはどう違うのか、ということを考え、世界の中で日本文化にどのような花を咲かせていくか。その足場をここでつくるときがきたと思うんです。

【国際日本文化センターを設立】

 この四十年間に、経済力も充実し、国民生活も安定してきた。犯罪も少なく、物価は安定し、失業率も極めて低い。しかも男子が七十四歳、女子が八十歳と世界一の長寿国。そういう面から見ると日本は世界で最も理想的な状態にあると言えましょう。

 お陰で中曽根内閣の支持率も高いだろうと感謝しております。しかし、これは私がやったわけじゃない。国民の皆さんが努力された結果です。そういう時になると、自分というものはなんだろうか、ということに気がついてくるわけです。

 『古事記』『日本書紀』はどうしてできたか。太安万侶がなぜあれをつくったか。裨田阿礼がなぜ語りべで語ったかを考えてみると、六、七世紀のころ大和朝廷の勢力が伸びていったときに、さてわが家はどういう家であったか、子孫にそれを記して、わが家の栄光を残しておこうという気分になるものです。

 どの国の歴史を見ても、バイブルもそうですが、キングの先祖というのは神様になっている。

 日本の神話も『古事記』『日本書紀』を見てもそうなっています。あのころは日本の勢力が南北に伸びて、日本はいい国であると思ったでしょう。そして「大和のまほろば」という気分になって、この国と朝廷のことを子孫に残そうと、語りべに語らせてつくらせたのが『古事記』であり『日本書紀』だった。それは当時の現実もあるし、夢もあった。理想化された現実、あるいは現実の理想化されたものがあの中に入っていると思っていい。

 そういう感覚で考えてみると、いま昭和六十年になって、天皇はご在位六十年、終戦四十年。この平和で豊かな時代になったところで、今までは外国からいろんな思想が侵入してきたけれども、それらを全部クリアした上で、もう一回、日本のアイデンティティというものを、これだ! というものをつくるときにきたと思うのです。

 だから私は「国際日本文化研究センター」をつくろうじゃないかと言っているのです。わりあいそういう日本の独自性を持っているのは京都大学の諸君です。桑原武夫、梅棹忠夫、今西錦司、貝塚茂樹、梅原猛、上山春平といった、わりあい独自性と科学性を持っている方々、東大でも中根千枝さんとか大勢います。そういう日本中の学者に、最も科学的な根拠に立った日本のアイデンティティを確立する「日本学」というものをつくってくださいと言っているんです。

 江戸時代に水戸光圀が『大日本史』を編纂し、幕末に本居宣長が日の本の国の特性を著した。戦後の今日では、もっと科学的な普遍性を持った日本の国の姿とその本質を、世界が求めている。日本とはどういう国なのか。あれだけ経済的に伸びた日本の秘密を知りたいと言ってきているのです。

 だから今、ヨーロッパの日本語熱はものすごい。ドイツでは今年、国立大学の十二学部で日本語を研究したいという要請が出ている。フランスでは日本語教師が不足している。オーストラリアは世界で一番日本語熱の盛んな国です。

 このように日本に対する興味と関心が強まった以上、英文や仏文、独文、スペイン語で日本はこういう国であるということを実証し得る、科学性をもったものをつくらねばならない。それを我々がつくって子孫に渡すときがきたと思うんです。

 そういう意味で、国際日本学研究センターともいうべき、日本文化研究センターをつくって、自らのアイデンティティを確立するときがきたと私は思っているのであります。

 以上、内政・外政、そして国際関係において、いま我々が当面している大事な問題について申し上げましたが、皆さま方のご研鑽と我々に対するご鞭撻を心からお願いいたしまして、ご報告を終わります。