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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 第九回全国研修会における講演,「中曽根流政治」をさらに推進,時代のテンポとリズムに合わせた政治(中曽根内閣総理大臣)

[場所] 箱根
[年月日] 1985年9月16日
[出典] 中曽根演説集,324−342頁.
[備考] 
[全文]

【三つの要請に応える政治を】

 今日(九月十六日)は皇太子殿下をお迎えして筑波科学博の閉会式を無事に済ませました。二千万人を超す内外のお客さんに来ていただき、大きな事故もなく閉会できましたことは、地元茨城県はじめ関係の皆さま方の大変なご協力のお陰であります。その万博会場から駆けつけたわけでありますが、こうして中核党員の皆さま方と顔を合わせることができて、ほんとに嬉しく思っております。

 そのように今日は嬉しい日ですが、八月には五百二十人に及ぶ人が犠牲になるという日航機のいたましい事故がありました。今後このようなことは絶対に起こしてはならないという考えのもとに、政府は今、運輸省等を中心に徹底的な事故原因の究明をして、国民の期待に添うよう安全運行に万全を期してまいりたいと思っております。

 また、今年は長野県において地すべり事故が起こり、長寿荘のお年寄りの方が犠牲になられました。あるいは各地で豪雨災害が起こりましたが、これらの犠牲者の方々に心から哀悼の意を表する次第であります。そして私は、我々の総力を挙げてこの災害から日本を守っていかねばならないと考えています。

 私は、内閣総理大臣に指名していただきましたときから「政治の要諦は安心・安全・安定である」と申し上げてきました。国民の皆さんが政治に期待する第一義は、自分の身の安全であり、安心であり、暮らしの安定であります。この三つを深く考えて、それに応えていくのが政治であって、ここに初めて国民に密着した分かり易い政治が実現すると思うのであります{原文句点欠如}

 安心という点からすると、お年寄りの無知に乗じて大切なお金をだまし取るという豊田商事のようなケースが、最近の大きな社会的事件としてあります。安全という点では、グリコ・森永事件とか、毒入りジュース事件、あるいはオーストリアに端を発したワインの問題などがあります。安定という点では、物価の安定による生活の安定、そして老後の安定ということが非常に大事であります。

 このように、安心・安全・安定という、現実に国民が求めていることを具体的に保障していくのが政治の大きな役割であると考えてこれから努力していく決意であります。

【政策の源泉は国民、党員】

 今年は明治十八年に内閣制度が始まって百年目、昭和が始まって六十年、戦争が終わって四十年。そして、わが自由民主党が結党されて三十年という、歴史の節目に当たる年であります。

 特に立党三十周年を迎えた今年は、党員の皆さまのご努力によって党員数は党史上最高を記録するに至りました。八月末締め切りの時点で、実に三百六十四万五千八百四十三名の党員を獲得しました。昨年が百九十万二千八百十四名でしたから、およそ百七十万人増加して、目標の三百万党員を達成することができたわけです。

 これは、参議院の比例代表区等の関係者のご努力もありますが、継続党員百六十五万一千五百五十七人という数は昨年と同じように維持されております。その点から見ると党員の定着率は八六・八パーセントと非常に高レベルで定着していると言えます。

 このように結党三十年にして、わが党を支える党員・党友の皆さま方の厳然たる強い岩盤ができつつあると確信するものであります。この支持基盤が日本の国を支え、アジアの平和を支え、そして世界の平和と人類の繁栄を支える基礎であると考えなければなりません。また、そうすることが政府ならびに党の幹部の責任であります。また、党員各位の意思と力を結合させて政策を進めていくのが政治の任務であります。

 政治というものは、トップにある者や党幹部の上意下達でやれるものではりません。皆さま方の考えていることや要望を、党本部において整理し、それに緩急・順序をつけて真っ先にやること、中期的にやること、長期展望の中で実現していくという形で政策として打ち出しているのであって、その源泉は国民の皆さま、党員の皆さまのところにあるということです。これが民主主義の政治のやり方であります。

 私の政治の手法につきましては、いろいろご批判もいただいておりますが、私は大変僣越な表現と思われるかもしれませんが、総理大臣を拝命したときに「中曽根流の政治をやりたい」と申し上げました。私も国会に入って三十八年、戦後政治をじっと見てきて、ここを直そう、これはこうしなければならないと感じたことを大学ノートに書いてきて、お陰さまで総理大臣にしていただきましたから、年来考えている改革を断行しようと考えたわけであります。

 そして国民の皆さま方のご批判を仰ぎ、まずいと言われたら直す、しかし、それでいいと言われたら続けさせていただく。そういう政治、政策の手法をとってきた。これがいわゆる「中曽根流の政治をやりたい」という表現になったわけです。

 私は、政治家というのは国民の基盤の上に立って、自分の個性を発揮し、その人の人間臭に満ちた手づくりの政治をするのが民主政治であり、政党政治であると思っています。官僚が作った作文を読むのが政治ではない。官僚が作った政策を鵜呑みに実行するのが政治ではない。民衆の側に立ち、民衆の心をいただいて、それを自分の責任において選別し、組み立て、国民の皆さんに提示し、さらにご批判をいただいて断行する。それが政治家の仕事であると思っております。

【政治はまさに先手必勝】

 今日、時代は急速なテンポで流れております。占領下の改革が相次いだ昭和二十年代も非常に速かった。それから三十年代、四十年代を経て今日に至るまで日本は非常にテンポの速い時代を経験してきています。それはそうでしょう。これだけの変化が行われれば、それだけ歪みも出てくるし、逆反射作用も出てくる。それらをいちいち調整しつつ、これだけの大経済国家に成長したのですから、テンポの速さは外国の二倍、三倍の速さできていると考えていいでしょう。

 現にこの長寿社会がそうでしょう。終戦直後まで「人生五十年」だったのが、今や「人生八十年」です。僅か四十年間に日本人の寿命が三十年も延びた。平均すると毎年〇・七五歳延びてきた勘定になります。この長寿社会をもたらしたことは、戦後の自民党政治の最大の成功の一つであります。

 もちろん、それは自民党ひとりでできるものではなく、国民みんなの努力があったからですが、長生きは人間最大の幸せでありますから、これを維持し、前進させていかなければなりません。そして、この速いテンポの時代に応じた政策を提示していく。そういう政治がいま求められているわけです。

 私はかつて「総理大臣は国民投票で選ぶべきである」という、いわゆる首相公選論を提唱したことがあります。それが大衆社会に合致した政治だと考えていたからです。それは昭和二十五、六年ごろからですが、私はそのころから「日本は高度成長もするし、激動の社会になっていく。そして日本列島は高密激動社会になっていく」と言ってきました。

 そういう社会のテンポに合う政治は、大衆的民主政治を行う以外にない。それには総理大臣を国民が選ぶというアメリカ式の方法をとれば、総理になる人は常に国民の願望を見て、そのテンポとリズムに合わせた政治をしていくことになるわけです。

 だから私は、総理大臣になって心がけてきたことは、国民のテンポ、時代のテンポと同じテンポ、リズムで政治をしていくことに努力してきました。その賛否は国民、党員の皆さまのご批判をいただくことでありますが、私としてはそれが「中曽根流の政治をやりたい」と申し上げてきたゆえんです。

 その背景には、やはり戦後四十年の日本の政治を見て、また外国や日本の政治制度を見て、学問的にも分析して、こういう改革をしていこうという考えをもって言ったんです。昭和二十年代には二十年代の政治が、三十年代には三十年代の政治が必要でしょう。しかし、二十年代に三十年代の、三十年代に四十年代の、そして五十年代には六十年代の日本を展望して、先見性を持った政策を先手、先手で打ち出していくのが政治らしい政治なのであります。

 将棋の升田幸三元名人はいつも色紙に「先手必勝」と書きます。政治はまさに先手必勝であります。同時に、政治には感激が必要です。国民と一緒に“政治目標”を御本尊にしたお神輿をかついで、一緒に汗を流してやるこの“感激”の分かち合い。これが政治なのだと私は思っています。そういう政治こそがテンポとリズムの合った政治であります。

【野党こそ超保守主義】

 私は、戦後の吉田さん、鳩山さん以来、自民党はそういう政治をずっとやってきたと思うんです。野党が伸びないのは、時代や国民のリズム、テンポに合わないからです。言い換えれば、自民党は進歩主義者であり、改革論者ですが、野党は実は現状維持の超保守主義者です。口では進歩的らしいことを言っても、実行する段になると改革をいやがる。

 自民党が三十年間も政権を維持できたのは、まさにこの改革者、進歩主義者としての政策や政治姿勢を国民が認めてくれたからです。いま我々は従来以上に大きな問題に直面しております。我々は、一層、建設的な改革主義者でなければならないと思うのであります。

 「保守とは何ぞや」−−。私はその国の持っている民族の文化、伝統というものに立脚した現実主義的、建設的な改革者、これが保守であると思っています。昔のしきたりを守っていくのが保守ではない。政治学に言う保守という言葉は、建設的な進歩を意味するものをコンサーバティブを称している。つまり保守という言葉にはリベラルとかデモクラットという言葉と同じ意味があるわけです。

 これに対して野党の多くの方々は、社会主義を軸にした改革以外は改革ではないというふうな考えをお持ちの方が多いけど、そうではない。マルクス主義のイデオロギーは二十年も前に死んでいる。ジェット機もテレビも人工衛星もない時代にマルクスが作った百年前の予言や理論が、今日では全く通用しないことは歴然たる事実です。これは理論的にも波綻しているし、現実的にも共産主義、社会主義の国が行き詰まっていることはご存じのとおりです。

 そうなると、現実をいかによくしていくかという“方法”の競争になるわけです。イデオロギーの競争ではない。みんな平和と豊かさを求め、くつろぎと心の幸せを求めています。それは理念ではなくて、現実的にどの方法がそれを保障するのにいいか、という勝負なのです。その勝負に自民党は勝ちつつあると私は思っています。それが保守の立場であり、真の改革者なのです。

【定数是正、年金改正を急ぐ】

 さて、これから我々が政治をやっていく上で、当面処理しなければならない緊急の課題があります。また、中間的に処理していく問題もあります。さらに長期展望のもとに処理するという問題もあります。それを仕分ける必要があるわけです。

 まず、法律的に緊急に処理すべきものとして、衆議院の定数是正をはかる公職選挙法改正案があります。いわゆる“六増六減案”であります。これは最高裁の判決もいただいて最高裁判所と立法府の関係の問題になってきています。したがって一党だけの問題ではなく、国会全体の問題であります。

 これは前通常国会に各党から是正法案が出され、自民党案も出して継続審議になっておりますので、次の臨時国会において各党間で十分話し合い、できるだけ早期にこの問題を処理したいと考えております。

 その次は、共済年金法の改正です。これは長寿社会に対応して年金体系の大同一元化をめざしていま着々と進めてきているものの一つです。まず、国鉄、専売、電電など公社の年金統一を既に行い、パンク状態になった国鉄の年金を他の公社で支えることをやりました。さらに国家公務員や地方公務員の年金が民間より優遇されているという、いわゆる官民格差を是正するという大きな改革が盛り込まれております。これをぜひ早期に成立させたいわけです。

 なぜ急ぐかというと、来年四月一日から施行する新国民年金や厚生年金の改革が既に前国会で成立し、共済年金もそれに合わせる必要があるからです。そうして昭和七十年にはすべての年金体系を一元化して公平な年金制度を確立していく。そのために「基礎年金」を設け、また今まで年金に加入していない人もあった婦人に年金権を与える。こうして高齢化社会に向けて安心して老後の生活の安定をはかろうということであります。

 わが国も既に六十五歳以上の老齢人口が一割を突破しました。この率は二十一世紀に向けて年々高くなっていきます。そうすると現状のままの年金制度では間もなく支払いができなくなってしまいます。したがって今のうちに年金体系を改め、掛け金がべらぼうに高くならないよう、そして安定的に制度を維持していける体制をつくるのが今日の政治家の責任であります。

 これは行政改革の大事業の一つです。国鉄の改革、電電の改革、あるいは地方の改革などいろいろやっているし、先には医療保険の改革もやりました。この年金の改革も長寿社会を迎えるに当たって非常に大事な改革であります。そういう意味で各党のご協力もいただいて次の臨時国会で解決したいと考えております。

 もう一つは、行革の一つであるデレギュレーション。国の規制を緩和して、民間活動を活発化させ、景気の回復、自由経済の伸張をはかろうという法案を用意しています。

 さらに市場開放のためのアクション・プログラム(行動計画)を作り、三年以内にこれを実行することになっていますが、それを繰り上げ実施することによって外国に対する日本の市場開放への決意を示すことも重要になりつつあります。基準・認証やその他の問題についても、必要なら法案で示すことも考えております。

【貿易保護主義は全力で阻止】

 いま政治的に緊急・重要な問題は経済摩擦にどう対応していくかです。これについてはアクション・プログラムを作って、外国にもこれをよく説明し、国民の皆さまにも外国製品の購入をお願いするなど、いろいろやっておりますが、これらを着実に実行していかねばなりません。

 既に関税については千七百五十三品目の二割引き下げを決めました。基準・認証についても、いわゆる自己認証に改革していく。国が検査するのではなく、つくった会社や協会が自分たちの責任でやるという形にする。そういうことをどんどん実行していくということです。

 さらに外国品の緊急購入をやる。政府もヘリコプターを買うとか、そのために運輸省の基準を改正して、ヘリコプターの着陸地点がもっと簡単にできるようにするなど、あらゆる面でその努力をしています。

 民間に対しては、通産省から百三十社ほどに輸入を増やしてもらうようお願いしております。先般、第一次の六十社に約五十億ドルの輸入増を頼みました。さらに七十社ほど増やして全体としての輸入量を増やしていただく。政府もそれに協力していくということです。

 ご承知のように、いまアメリカ議会を中心に保護貿易への圧力が強まっています。もし輸入課徴金のような法案が成立するようなことになったら、世界の自由貿易は大きな打撃を受けます。日本が今日これだけの経済大国に成長したのは、自由貿易の恩恵を最大限に受けたからです。現在の平和と自由貿易がなかったら、日本のここまでの発展は望めなかったでしょう。

 そういう意味において、この自由貿易が阻害され、保護主義が台頭してくるような状態は、全力を挙げて阻止しなければなりません。いまアメリカその他にその兆候が出てきていますので、私たちは日本の運命に関する重大事であると考えて対策を練っています。

 幸いレーガン大統領は自由貿易論者で、いま議会の保護主義への流れと勇気に戦ってくれています。我々はレーガン大統領が負けないように応援し、協力していかなければ、日本の国益は保たれません。そういう考えのもとに、日本はやるべきことを着実に実行していくことが重要です。

【市場開放から逃げない】

 それと並行して、内需の振興をやっていかねばなりません。現在の日本貿易アンバランスの原因は幾つかありますが、一つの原因はアメリカの高金利とそこからくるドルの異常な強さにあります。このドル高によってアメリカの農産物が輸出不振に陥っている。これは秋に相当問題になってくるでしょう。我々はそれを予見しながら対策を考えていかねばなりません。

 しかし、アメリカ人も言っているように三分の二の原因はアメリカのドル高にある。だからアメリカ製品は売れないと言われています。このアメリカの強いドルをできるだけ下げるというよりも、日本の円やヨーロッパの通貨を強くしていく。そういう努力を続けてこの貿易アンバランスを是正していく必要があります。

 同時に内需を振興して、日本の品物が国内で売れるようにすることが大事です。そのために経済企画庁長官が中心になって、十月までに内需振興策を作ることになっています。

 また、円を強くするために、アメリカと政策的協調を行っていく。あるいは包括的な話し合いをしていく必要があると思っています。それは、決して我々が市場開放するのを逃げようと思っているのではない。長期的に世界経済を安定させ、均衡を回復していくためです。これはボン・サミットの話し合いにも基づいて、そういうことをやる段階にきていると思うからです。

 これは十月初めソウルで開かれるIMF(国際通貨基金)総会で、竹下大蔵大臣とベーカー米財務長官その他と話すでしょう。安倍外務大臣も国連総会でシュルツ国務長官と話すでしょうし、二階党副総裁も十月の訪米でアメリカ政府や議会などの皆さんとお話になると思います。

 私も国会のお許しが出れば、十月二十三日の国連四十周年記念総会に出席して、日本政府代表として演説できる形にしていただければ有難いと思っています。その際、レーガン大統領と会うかもしれません。そういういろんな機会を通じて、アメリカ、ヨーロッパ各国との対話を継続し、前向きに問題を解決していくべく努力を続けたいと思っています。

 政治的にいま一番大きな問題が、いま申し上げた貿易摩擦の問題であると思っております。

【辛いことをいうのが政治家】

 それから、行政改革、教育改革の大問題があります。

 行政改革ではいま申しました規制緩和の問題があり、国鉄再建の大問題があります。現在、運輸省で懸命の努力をして、いよいよ法案づくりにかかるところにきています。国鉄の大改革は全国民的な支持と協力のもとに行わなければ成功しません。国民の理解と協力をいただく体制をつくっていくことが、政治の大きな仕事です。

 次に大事なのが財政改革です。来年三月には日本の国債発行残高は百三十三兆円になる見込みです。五十二、三兆円の国家予算のうち十兆円を国債の元利払いに当て、さらに約十兆円の地方交付税を交付するわけです。その結果、一般行政費は約三十二、三兆円となります。国債費で十兆円、地方に十兆円と天引きみたいに支出すると、残りは非常に少なくなってくるわけです。

 しかも、昭和五十七年度にゼロ・シーリングを始めて以来、今日まで四年間はマイナス・シーリングできているのです。そうやって経常部門はマイナス一〇パーセント、投資部門はマイナス五パーセントできて、そこから財源を捻出する形で自然増の福祉予算を埋めてきたわけです。増税をしないと約束しているために、結果的に一般行政費が細らざるを得ない。それに耐えていただいているということです。

 明治以来、こういう緊縮財政を長く続けた内閣はあまりなかったと思っています。ざっと調べてみると、西南戦争のときに紙幣を乱発してインフレを起こした後、松方正義蔵相が緊縮財政をやったのが最初で、そのときに日本銀行が創立されたわけです。

 次は日露戦争で相当の戦費を使った跡始末を桂太郎内閣、西園寺公望内閣、山本権兵衛内閣がやり、原敬が内務大臣で手腕を発揮しました。

 それから大正の大震災の後、震災救済公債を大量に出し、そのため政府が膨れて、これを緊縮するのに加藤高明内閣、若槻礼次郎内閣、浜口雄幸内閣が苦労した。特に“浜口緊縮財政”は有名で、浜口さんは撃たれて殺されたわけであります。

 その次は太平洋戦争の跡始末です。この時は占領下で、マッカーサーの力を借りて戦時補償打ち切りみたいなこともやった。そうして、いわゆる“ドッジ・ライン”というのをやって、池田大蔵大臣のもとで厳しい緊縮財政をやり、日本経済は空前の苦境を迎えたんですが、朝鮮戦争が勃発して、その特需景気で切り抜けたというような歴史が財政史的に言われております。

 それから高度成長期を経て、二度にわたる石油危機に見舞われ、世界的な不況になって税収が落ちた。それで多額の国債を発行して急場をしのいだ。そういう経験を日本は十年前にやって、今日の国債累計になったわけです。

 この二度にわたる石油危機を克服するためには、外国のように増税でやるわけにはいかない。それをやったら不況になり、失業者が出てくる。そこで国債を発行して公共事業を進めたので、外国のような不況にならず、日本は世界で一番早くこの石油危機を脱出することができた。もちろん民間企業の非常なご努力があったことは言うまでもありません。

 しかし、そのツケである国債がこれだけたまって今、四苦八苦している。自由主義先進国で一番国債の累積高が多く、利払いに苦しんでいるのは日本です。これを何とか始末しなければならない。松方さんも西園寺さんも池田さんもやってきたわけです。現代の我々もやり遂げなければなりません。

 国民の皆さん方、特に土光会長の臨時行政調査会の答申を受けて、私どもは国民の皆さんに我慢をお願いしているわけです。この道を外したら、またインフレの時代に入る。苦しいけれども、景気を維持しつつ我々はこの道を進まなければならないのです。

 これは政治家にとって辛いことです。選挙のことを考えたら甘いことを言いたい。しかし国家のために苦しいことを言わなければならない時は、敢然と言うのが真の政治家であります。それは責任ある政治家の使命感です。みんなで苦しみを分かち合ってやろうというところに感激の分かち合いがあるのです。その感激なくして政治の推進力はない。それを生み出すのが政党の力であり、そこが官僚と違うところだと申し上げたいのです。

【大学入試制度を改革】

 もう一つは教育の改革です。これの大事なことは説明するまでもありません。昭和四十年代の高度成長によって、物の豊かな、いわば“欲望経済”の時代となり、ともすれば心の豊かさが失われがちになった。そこに石油危機がやってきて、一転して緊縮が求められるようになり、その我慢していただいた気持ちが、今度は人づくりへ、教育の改革にまで踏み込んできたのです。

 民族の将来にわたって大事な教育を根本的に直していこうというのが、今回の教育改革の基本的な考え方であります。その端緒は、校内暴力とか非行、落ちこぼれ、あるいは共通一次テストや偏差値などの弊害が目立ってきたからでもあります。もっと人間を人間として扱う温かい教育に変えない{前4文字ママ}、お母さんと子供と一緒にやる教育にしたい。そういう考えから、これまでのいろんな制度や教育方針等にメスを入たよう{前4文字ママ}としているのです。

 そして臨時教育審議会に「学歴社会の弊害をなくそう」という大方針のもとに第一次答申をいただいて、偏差値とか共通一次テストの弊害を打破する方策を出しています。我々はこれをよく点検し、国民の皆さまのご支持をいただいて、思い切った改革をやろうと思っています。

 当面の急所は、一つは学歴社会ですが、やはりその原因は試験制度にあります。答申に基づいていま国立大学協会で改革をやっていただいています。また、文部省も同様に大学入試の検討委員会を作り、近く答申をいただくことになっています。

 従来のようなマークシート方式による短時間で多くの問題をやっていくのは、要するに反射神経のテストであって、考える力の試験ではないと言われている。ああいうものは塾で技術を習得しなければうまくいかないわけです。そういう面でも受験制度を改革する必要がある。だから共通一次テストはやめる。

 そこで、文部省は新テストを検討しています。この新テストは受けてもいい、受けなくてもいい。採用してもいいし、しなくてもいいということなので、私は「任意テスト」と呼んでいます。そういうタイプのものに臨教審や文部省の検討委員会の成果を待って、大きく改革していきたいと考えています。

 ただ、それをやる場合、相当前に新しい制度を発表しないと受験生の迷惑になります。今のところ一番早いものでも昭和六十二年度になるようですが、できるだけ早くそこにもっていこうと懸命の努力をしていることろです。

 ここで国立大学協会および学長さん、教授の先生方に特にお願いしたいのは、受験機会の複数化をもっとやっていただきたいと我々は期待しています。先般の国大協の発表によると、二十五校が受験機会を複数化する方向に動いてきていますが、まだまだ不足です。国立大学は百三十校ぐらいあるわけですから、敗者復活戦をもっと増やしてあげる。一回の失敗で終わりにせず、二回も三回も機会を与えてやるのが温かい試験制度であり、血の通った教育だと思うんです。

 次に大学の入試そのものについて、個性化ということを特にお願いしたい。大学の問題は大学でお決めになることですから、政府が干渉するようなことはしません。しかし期待をします。あるいは臨教審の答申をぜひ読んで採用していただきたいのです。

 そうして各大学が個性のある試験をしていただく。最近、東京芸術大学音楽学部の多くの学科では、六十二年度から受験科目を語学と国語だけにするよう決定しています。ピアノをやる人たちに数学の難しい試験は必要ないでしょう。それから、今まで五教科七科目だったのを、二科目減らして六十二年度から五教科五科目にするとの方針も決定されています。こいねがわくば、もっと考えていただきたい。信州大学はそういう点で弾力性がある。各大学がそういう個性化のほうに移行してくれれば、それが人間的なやり方であると私は期待しておるのであります。

 これは小さなことのようですが、そういう小さなことが改革されたら、大変大きな影響を国家社会に与えるのです。どうか大学の先生方によく研究してくださるよう期待してやみません。国民が一番期待していると私は思います。

【平和のための血のにじむ努力】

 こうして、行革、財政改革、教育改革という問題に全力を挙げていきます。

 そこで、日本にとってもう一つ大事な点は国際平和の維持と、これに対する協力という問題があります。また“国際国家・日本”へ前進するという問題もあります。これは先ほど申し上げたところでもあります。そういう意味で、近くレーガン大統領とゴルバチョフ書記長の米ソ首脳会談が開かれるようですが、この会談が成功するように我々は側面的に協力し、両首脳に対しても強く要望したいと思っております。

 私は今年一月二日、レーガンさんに会った時にゴルバチョフさんとの会談を強く勧告し、助言もしました。そして三月のチェルネンコさんの葬儀のときにモスクワでゴルバチョフさんに会った時にも「レーガンさんに会いなさい。両首脳が会うことに意味があるし、必ずこれは成果を生むでしょう」と強く言ってきました。

 お互いに会って、目の色を読み、動作を見て、人間性を感じてくれば、それだけでも成果を生みます。知らないと疑心暗鬼も出てきますが、会って握手をし、言葉を交わせば、人間である以上血も通う。その差は非常に大きいのです。

 それがいよいよ実現するわけですから、今度は必ず成果を生む会談を期待したい。それは全世界が注目していると思います。

 今、自由世界も共産圏も率直に言って、いろんな問題でくたびれている。共産圏は財政的にも農業面でも、あるいは科学技術の点でも相当に問題があると聞いています。自由世界も一様に財政問題を抱えて苦労しているのです。このへんでじっくり話し合い、最大公約数を見いだして、緊張を緩和し、世界平和の方向に青信号を灯すときにきていると私は思っております。

 私のことをタカ派だとかなんとか言う人がいますが、こういう話を聞いてくださると、あれは本当はハト派じゃないかと思われるはずです。元来、私はこういう人間なんです。それは太平洋戦争に行って戦友を失ったり、弟が戦死したり、そのときの父の悲しみ等を見れば、とてもタカ派的な考えでおれるもんではない。いわんや一億二千万国民の行政のトップに立つ責任者として、そんな軽はずみな考えを持つはずがないのであります。安心・安全・安定の平和が確保できる方法を模索して、血のにじむ努力をしているのです。

 日本は国連中心主義の外交を今までやってきておりますが、これをさらにバックアップして、世界の平和と繁栄がさらに進展していくようにしていく。それが国際社会において名誉ある地位を占める方法であると私は考えております。

 その意味において、防衛問題についてもいろいろ研究してもらっていますが、でき得べくんば、この五カ年計画を国防会議にかけ、閣議で正式に決定して国会に報告する。そういうシビリアン・コントロールのしっかりした歯止めを確立する。そして専守防衛の基本方針のもとに、軍事大国にならない、他国に脅威を与えない。そして総合安全保障のもと文民統制を全うする方法で防衛政策を進めていく。また国会でご決議になっている「非核三原則」を守っていく。そういう考えに立った防衛の一つの質的な限界、基準を、あくまで厳然と守っていくことが大事です。

 いま議論になっているGNPの一パーセント問題にしても、私は三木内閣のときに閣議決定した趣旨は、国民として、また政府としても尊重していかねばならないと思っておるのであります。どういう結論が出るかまだ分かりませんが、できるだけこの線に沿って努力していくということを申し上げておきます。

 同時に世界に対しても、経済協力の面で日本は思い切った措置をとっていく。これは防衛計画をやるときに、同時にODA(政府開発援助)も決めたほうがいいと思っております。この両方について今、関係当局で詰めをしている最中ですから、その結論を見守りながら、私の判断を固めたいと考えている次第であります。

【靖国公式参拝に理解を】

 最後に、この八月に一つ大きなことがありました。それは靖国神社の公式参拝です。

 私は、靖国問題に関する懇談会の結論を尊重し、その趣旨にのっとり、また国民大多数が待望していることでもありますので、憲法に違反しないような方策を講じて、内閣総理大臣として参拝しました。これは戦没者を追悼するという趣旨で行ったのであります。これについてはいろいろな議論が起こりましたが、私は素直に国民感情に従い、憲法を合理的に解釈して違反しない方法で、実行したということです。

 靖国神社というのは、戦前の制度によって戦没者は靖国神社に祀られるという形になっていたわけです。戦前は、神社は宗教に非ずという概念であったんです。ところが戦後、マッカーサーの神道追放の指令が出た。そして憲法にも規定されて政教分離ということになりました。しかし、その解釈については、宗教というものに対してはその国のしきたりとか、国民生活のあり方とか、ものの考え方が違うわけであります。

 キリスト教民族や、回教民族は一神教でありますから、これらの国はそういう宗教観ができています。しかし日本の場合は多神教で八百万{やおよろずとルビ}の神であります。だから宗教に対しては非常に柔軟です。例えば十二月にはクリスマスを祝い、大晦日にはお寺の除夜の鐘で仏教の気持ちになり、翌朝早く近くの神社に初詣でして今度は神道に変わる。日本人はこれをごく自然に使い分ける寛容性を持っているのです。

 そういう非常に豊かな情操を持った日本人の生活の中で、そういうふうに戦没者を追悼する方法について、ご存じのようにいろんな議論がありましたが、いま申しましたようないきさつで、靖国神社に祀られた戦没者の霊に対して、内閣総理大臣としてこれを追悼する場合、神式によらないで参拝するなら、これは憲法に違反しない。このように靖国懇の大勢が判断し、私もそのように考え、法制局とも相談して公式参拝したということであります。

 この点につきましては、国民の皆さま方の深いご理解とご支持をお願いしたいと思っております。

【二十一世紀に向けて党政綱改正】

 以上、当面する内外の諸問題について私の所見の一端を申し述べましたが、ともかく今は非常に厳しい時代になってきています。日本は今、戦後四十年、内閣制度百年、そして自民党結党三十年の転換点に立っています。

 自民党としましては、三十年前の昭和三十年十一月十五日に制定した党の政策・綱領・宣言等をいま総点検し、洗い直しをやって、現代にふさわしいものを作ろうという考え方から、井出一太郎さんを委員長に検討してもらっております。結党当時はまだ独立から三年目で「国際連合に加盟するよう努力する」など、いろいろ古いことがたくさん書かれております。

 そういう意味で、ここで新たに二十一世紀を展望しつつ、過去のよき伝統と文化の上に立った実績を尊びつつ、新しい時代のたいまつを掲げようと、政策・綱領の点検に入っております。これで自民党は新しい段階、すなわち二十一世紀へ向かっての登はんのスタートについたと申し上げてよいと思います。

 わが自由民主党は、常に改革者である。常に進歩をめざす政党であり、常に時代を先取りしていく政党であります。この旗印を高々と掲げて、我々は二十一世紀へ向かう登はんのベースキャンプを作ろうとしているのであります。

 いずれこれらの草案ができましたら、党員の皆さんにも提示して、ご意見も承わり、最終的に固めていくことになると思います。その際は積極的なご批判をお願いします。そうして真に国民に開かれた政党として、我々は国民とともに平和で豊かな日本をさらに発展させていきたいと思うのであります。

 〔今回で九回めを迎えた党全国研修会が九月十六日から十八日までの三日間、秋の箱根を会場に開催された。参加者は一千人とまさに国民政党ならではの規模。特に今年はわが政党にとり立党三〇周年の記念すべき年に当たり、主催者、参加者ともに一段と熱が込もって、かつてない活気に溢れた。〕