[文書名] 中曽根康弘内閣総理大臣のカナダ連邦議会におけるスピーチ
マルルーニー首相閣下,シャルボノー上院議長閣下,ボーズレイ下院議長閣下,並びに御列席の議員の皆様,
このたびの貴国訪問に当たり,美しく清潔な首都オタワにおいて,世界にその華麗さを知られるカナダ連邦議事堂を訪れ,年の初めの開会当日に,親愛なる皆様を前にお話しできますことは,私にとって限りない喜びであります。首相閣下,両院議長閣下を始め関係者の皆様の御高配に対して,心から感謝いたします。また,貴国到着以来,カナダ官民の皆様から温かい歓迎とおもてなしを賜ったことについて,この場をお借りして厚く御礼申し上げます。
昨日のトロントまでの旅の間,私は,厳寒に閉ざされた白銀の大地の上を飛行しつつ,この自然の挑戦に堪えうるもののみが,豊かな自然の恵みをかちうるとの感銘を禁じえませんでした。忍耐こそまさに真の勇気であります。私は,まずここに,カナダ連邦を形成し,これを承継してきた代々の貴国の勇者たちに深い敬意を捧げたいと思います。
さらに,私が心を打たれるのは,異質なものに対するカナダ人の寛容と理解,並びに,弱者に対する同情と支援です。いま世界の各地で発生しつつある不幸な難民の多くは,最終的な定住先としてカナダを選び,また,カナダはそれらの人々を受け入れております。このことは,世界の諸国民からカナダが心の温かい国,人間を差別しない人道主義の国として親しまれていることの証しであります。
そうしたカナダ国民を代表する皆様を前にお話するこの貴重な機会に,私は,我が国の立場と,その世界政策の基本について申し述べ,次いで,余すところ僅か15年になった21世紀に向けて,日加両国が,両国自身,並びに世界の発展のため,いかなる協力を行うべきかについて,いささかの所信を申し述べたいと思います。
御列席の皆様,
我が国の世界政策の基本は,「世界の平和と繁栄の実現の中に,自らの平和と繁栄を求める」ということであります。そして,その具体的実戦は,価値観を同じくする自由主義諸国との連帯強化を挺子として,これを行うということであります。
日本国民は,第2次世界大戦終結後,過去への厳しい反省に立ち,平和を国是とすることを誓い,自由と民主主義を導きの星として,祖国の再建に取り組みました。以来40年。我が国は,予期にまさる発展を遂げて,今日あるを得たのであります。他方,この間に,内外の情勢は大きく変化しました。そして,国際社会は,我が国に対し,伸長したその力に応じた貢献を求めるようになってきたのであります。この要請に積極的に応じて人類の幸福のため尽力することこそ,これまで世界の平和と繁栄,自由と民主主義の恩恵を享受してきた我が国の使命であります。我が国が,自由主義諸国との連帯強化を挺子に,世界の平和と繁栄に尽くそうとすることは,我が国民の真情に発するものなのであります。
このような観点から,ここに,私は,私の考える世界政策の主要な項目について述べたいと思います。
まず,第1は平和と軍縮の推進であります。
人類がこの地球上に姿を現わして数百万年。それは,人間がいかにして不安のない生存を獲得するかを求めてきた歴史でありました。にも拘らず,人類の英知のこれだけ発展した今日において,いなまお,多数の人命を脅かす不条理が存在を止めず,それらの除去に努めることは,我々が子孫に対して負っている責務であります。
最大の不条理は核兵器であります。「ノアの方舟」の大洪水の時を除いて,人類は,今日のように,全成員が一挙に絶滅するという恐怖を味わったことはありません。人類が,自らの手で作ったものを自らの手で廃棄する英知を持ち得るかどうか,歴史の女神クリオは,我々を有史以来の試練にさらしているとも言えるのであります。
我が国は,世界で唯一の核被爆国として,非核三原則を堅持し,あらゆる機会にこの兵器の廃絶を訴えてきました。また,それにいたる手だてとして,超大国の核兵器を適正な均衡を維持しつつ大幅にレベルダウンすることを提唱するほか,核実験全面禁止を目指して,実験の規模を段階的に引き下げていく方式など,軍備管理・軍縮についての提案を行ってまいりました。
私としては,平和と軍縮の推進のためには米ソ両国首脳が話し合うことが不可欠と考え,かねてからレーガン大統領,ゴルバチョフ書記長らに対し,このことを要請してまいりましたが,幸いに,米ソ両国間には,昨年秋,6年半ぶりに首脳会談が開催されました。もちろん,この会談は,スタートのスタートであって,安易な楽観は禁物でありますが,この問題に曙光が見られたことは確かであります。私としては,両国首脳が世界の諸国民の切実な願いにこたえ,望ましい結果を得るまで,誠実かつ辛抱強く交渉を継続するよう,強く望むものであります。
我々はまた,現在,中東,アジア,アフリカ,中米等で生じている地域紛争を重視すべきであります。地域紛争は,その地域の住民の生命や安全に関わることは勿論,一旦エスカレートすれば,核戦争への引き金ともなりかねません。我が国は,このような観点から,これら地域紛争について,その拡大防止と早期解決のための環境づくりに努力と工夫を重ねております。
核兵器の蓄積の増大もまた地域紛争の発生も,つまるところ,その原因は当事者間の相互不信にあります。したがって,その解決の要諦は,迂遠なようでも,時間をかけて,相互信頼の域に達せしめることにあります。我が国としては,国連その他の国際機関はそのための重要な話し合いの場であると考えており,その機能の活性化について力を傾けて行く所存であります。なお,カナダは,これら国際機関を重視して,その活動を積極的かつ主体的に推進してきました。日本国民は,我が国が,戦後,国際社会復帰に際し,これら国際機関に加盟するに当たって,貴国が多大の尽力を惜しまなかったことを忘れてはおりません。
第2の項目は,自由主義諸国の連帯を強化することであります。
第2次世界大戦後今日までの間に,国際政治や国際経済の情勢にはいくつかの大きな変化がありましたが,我々の信奉する文化的・政治的価値としての自由主義,民主主義は,その崇高性と正統性をいささかも失っておりません。
我が国は,かかる認識に立って,その価値観を同じくする北米・西欧・日本3極の政治的・経済的連携と連帯の上に,平和で安定した社会制度を堅持していくことを,その基本的な政策としております。しかも,合わせてこの3極は,世界生産力の半分を占め,自由主義陣営の中核をなしております。世界の政治・経済情勢が複雑かつ困難を極める今日,平和と軍縮の推進,世界経済の活性化,開発途上国問題に対する効果的な対処を図るためには,これら3極の協調,結束がますます緊要となってきています。
この3極提携の重要なフォーラムは,北米・西欧・日本の7ヵ国首脳が会する先進民主主義工業国のサミットであり,我が国は今後とも,このサミットを基軸として,3極の連帯に能う限りの貢献を行ってまいる決意であります。
第3の項目は,発展と繁栄のための政策であります。
戦後の世界経済の発展は,諸国民に対し,福祉の向上を始めとするさまざまなメリットをもたらしました。我々は,この経済発展を今後も維持し,諸国のさらに高まるニーズに応えて行かなければなりません。このため,今日,最も必要とされているのが,自由貿易主義の擁護であります。しかし,自由貿易体制がガラスの人形のように壊れやすいものであることを考えるとき,近年における保護主義の台頭は,極めて憂慮すべきであります。
これを放置すれば,今日の経済秩序は崩れ去るおそれすらなしとしません。
こうした中で我が国は,自由貿易主義擁護・推進のため,関税の一方的引き下げを行うなど,回を重ねて市場開放を行い,国際水準を上回る開放度を達成する政策を推進しつつ,ガット新ラウンドの交渉促進に向けて,これまでにも増して努力しているところであります。私は,新ラウンドの推進のため,同じく自由貿易主義を信奉する貴国と手を携えて,力強く進んで行きたいと思います。
本来,保護主義の陥穽を避けるには,国内産業を活性化し,その競争力を強化する以外に,基本的な対策はありません。特に,民間活力が魅力を感ずるような科学技術開発の促進,これに伴う技術移転,構造調整などによる産業や経済の質的転換は,自由貿易主義の擁護に資するものであります。我が国としては,現在,内需拡大のための大胆な諸施策をとりつつあるほか,国際協調のため,国内経済構造の抜本調整という問題に取り組みつつあるところであります。
世界経済において,先進工業国と開発途上国は,車の両輪のように,どちらに支障があっても,その発展は保障されません。このため,我が国は,開発途上国に対する経済,福祉に関する協力を重要な国是の一つといたしております。私は、貴国が早くも1950年に途上国援助を開始したことに敬意を表するものであります。私は,総理就任以来,「南の発展なくして北の発展なし」と主張し,開発途上国に対する支援を訴えて参りました。我が国としては,これまで2度にわたるODA倍増計画を実施してきましたが,その目標がほぼ達せられたのを機会に,財政事情の極めて厳しい中で,このたび1992年までのODA実績総額を400億ドル以上とすることを目指し,同年のODA実績を1985年の倍とするよう努めるとの新たな政策目標を決定して,引き続きODAの拡充を図ることとしました。なお,我が国のODAは,今日,金額においては,米国に次いで自由世界第2位となっております。
開発途上国問題に関連して,近時注目されることは,これら諸国がそれぞれに国情に応じた発展を示しつつあるため,きめ細かい配慮が必要になってきたことであります。我が国としては,そのうち,特に人造り援助を重視し,専門家,青年海外協力隊等の派遣あるいは,日本企業への留学等に力を入れております。
御列席の皆様,
それでは,以上のような我が国の世界政策を前提としつつ,私が日加両国が今後いかなる協力を行うべきかについて考えるところを申し述べます。
もう30年前のことになりますが,私は,1955年,国会議員としてカナダを訪問した際,オンタリオ,ケベックの産業施設,チョークリバーの独創的な重水路などを見学し,貴国の優れた産業技術に触れて,驚異を覚えると共に,日加間の経済交流の伸長を大いに期待いたしました。
以後今日までの間に,日加両国は,その相互補完的な貿易構造も原因して,往復貿易総額を約100倍に拡大しました。さらに,両国間の経済交流は,投資交流,産業協力を含む幅広い分野でますます緊密の度合いを加え,今日両国は互いになくてはならぬ国となっております。
しかし,我々は,日加両国の関係をただ経済上の相互補完関係のみに止まらせていてはなりません。我々自由主義諸国の目指すところは,各国が固有の利害や国家の垣根にとらわれずに,自由に交流し合い,助け合い,文化価値を重視して共に繁栄し合う世界,すなわち真の相互依存の世界を構築することにあるはずであります。
かかる観点からして,私は,貴国が,超大国を中心とするパワー・ポリティクスを所与のものとして受動的に受けとめることに甘んぜず,自らを「ミドル・パワー」と規定しつつ,国際間の仲介者として,あるいは「縁の下の力持ち」として,積極的に平和創造の実を上げてきていることに注目しております。カナダが選択したこの外交路線は,いかなる国家も特性に応じて国際政治において貴重な役割を果たすべきだし,また果たしうるということを実証した点において,世界の多くの国々を勇気づけるとともに,その責任を自覚させたのであります。その意義は誠に大きいというべきでありましょう。
我が国も,先程申し述べました世界政策を通じて,国際社会における我が国独自の役割を果たしつつあり,そらに新たな貢献の方途を探索しております。この意味からして,私は,日加両国は,世界の平和や軍縮を始め開発途上国の繁栄政策等について,更に真剣に協議を連携を行うべく提議するものであります。
国際社会にとって,この1986年は,5月の東京サミットを経て,9月には新ラウンド開始が予定されており,貿易,経済の拡大基調を持続し得るか否かを決する重要な年であります。また,米ソ首脳の第2回目の会談を通じて世界の平和と軍縮に向けて進展が見られるか否かとの意味でも重要な年であります。それを成功させるためには,自由主義諸国の協調と結束が不可欠であります。21世紀への進路を決する1986年に,私は,日加両国間に,私とマルルーニー首相との相互訪問が実現することは誠に意義深いと思います。我々は,世界的課題についての日加協力の基本テーマを設定して,共同行動を起し,両国のパートナーシップをより成熟した深みと広がりのあるものにしていこうではありませんか。
御列席の皆様,
銀河系宇宙の一隅に位置し,我々人類60億人を擁する地球は,今日,これまでに最も進んだ物質文明を謳歌しています。しかし,この同じ地球が,その歴史始まって以来最も野蛮な攻撃にさらされていることも事実であります。限りある化石資源はぎりぎりまで収奪され,豊かな緑地の砂漠化が急速に進行し,清らかな空気や水が有害物質で汚染され,稀少な動物の種が次々に絶滅しつつあります。そしてまた,多数の人類が餓死に追いやられているばかりか,何万発もの核弾頭があらゆる生物に全滅の脅威を与えています。このまま推移するなら,我々の乗る宇宙船地球号は,いつ難破するやもしれません。
このような地球を前にして,私は,昨年秋の国連創設40周年記念会期における演説で,「かけがえのない地球を保持し,人類の生存を維持していくため,新しい地球的倫理とそれを裏付ける制度を生み出すべきだ」と訴えました。
我々は自然に対する放漫さを捨て去らなければなりません。日本古来の伝統的な宗教は,自然は万物の母であり,あらゆる生物はすべて,この自然の下において,平等な同胞(はらから)であると教えています。このような思想は,決して特殊東洋的であるわけではなく,他の大陸にも多く見られるものであります。むろん,私は,それぞれの民族の独自の宗教を東洋的なものに一元化せよなどと申しているわけではありません。そうではなくて,人類が古くから持っていた,自然への畏怖や親近感や尊敬や愛情が,いかなる意味を持つものであったか,考え直すべき時に来ているのではないかと言いたいのであります。
その見直しが,地球的規模で始まった時,私の言う地球的倫理の確立は,そのスタートを切ったと言うことができると思います。この意義ある事業の地均しの役を果たすのは,各国間のみならず,各民族間,各文化間の相互理解の促進と,それに基づく相互評価と相互尊敬の醸成であり,我々は,このための努力を惜しんではなりません。
歴史の大きな流れは,事態を着実に望ましい方向に進めていると思います。いま世界を代表する2つの文明,すなわち,いずれもユーラシア大陸に発した東方と西方の文明は,一方は,大西洋地域において成熟してアメリカ大陸で太平洋の東岸に達しており,他方は,既に太平洋の西側において成熟の時を迎えているからであります。その2つが,互いのその歩を進め,1つの環として結び合うのは,もはや歴史的時間の問題にすぎません。そして,このようにして,東西の文明の融合が実現するとき,地球は,確かに1つの「グローブ」として,世界の歴史に一段階を画し,かつてない輝きをみせ,その上に住む一切の生物は,至福の喜びを味わうようになるでありましょう。
東西2つの異質な文化の融合は,決して容易なことではないと思います。その過程には困難も障害も生ずるでありましょう。しかし,私は,必ずそれらは克服されると信じております。
なぜなら,プラスとプラスの電気は反発し合うが,プラスとマイナスの電気は引き合うという物理現象にも似て,文明においても異質のそれが,常に引き合い,歩み寄ろうとするものであることを,歴史は示しているからであります。私は,21世紀にかけて太平洋は,この文明創造という大ドラマに最もふさわしい,宏大にしてロマンチックな舞台であると思います。
アジア社会に位置しつつ西欧文明とその価値観を多く共有する日本。欧州及び米国との緊密な歴史的関係を有しつつも,国内に多数の民族文化を有し,近年太平洋志向を強めているカナダ。両国は,このドラマのメインキャストの一員として協力してその重要な役割を演じぬかなければなりません。
日本とカナダの末永い友好と協力がこの地球の未来に多くの果実をもたらすことを念じつつ,私の演説を終わります。
御静聴有難うございました。