データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 中曽根康弘内閣総理大臣のベオグラード大学における演説ー欧州の友人へー

[場所] ベオグラード
[年月日] 1987年1月15日
[出典] 外交青書31号,337ー342頁.
[備考] 
[全文]

(挨拶)

御列席の皆様,

本日,ここ由緒深いベオグラード大学において,尊敬するユーゴースラヴィアの各界の皆様を前に,所信の一端を申し述べる機会を与えられましたことは,私にとって無上の光栄であります。御高配を賜りましたプヤニッチ学長をはじめ関係者各位に,心からの謝意を表します。

(回顧)

私が貴国を訪れたのは今を去る30年前のことでありました。いまなお私の眼底に焼きついて離れないのは,カレメグダンの丘から見たドナウ川とサヴァ川の合流する雄大な光景と,それを抱く夕景の素晴らしさであります。この2つの川は,いずれもさまざまな歴史の跡を刻んだ地帯を流れており,私には,ベオグラードがまさしく文明の十字路に位置していることを象徴しているように感じられました。サヴァナ川支流であるドリナ川は,貴国の作家アンドリッチの筆に成る『ドリナの橋』のノーベル文学賞受賞によって世界に知られましたが,この作品は,その息の長い,叙事詩的な文体においても,また,人間性への深い信頼を抱きつつ歴史の不条理を描いている点でも,我が国の古典である「物語文学」に共通するところが少なくありません。30年前私が初めて訪問した貴国にあって自らを異邦人と感じなかったのは,今にして思えば,このような我々東洋人に親しい文学を生みだした貴国の精神的風土によるものであったでありましょう。

(ユーゴーに対する賛辞)

当時は,あたかもチトー大統領をはじめユーゴースラヴィア国民が,不屈の勇気をもって堅持してきた自主独立の路線の正しさが証明された直後でもあり,街はいたるところ新たな未来に向けての想像の活気に溢れておりました。このたび貴国を再訪し,当時の貴国民の意気込みの見事な結実を目の当たりにいたしました。私は,まず皆様に,貴国民のこのような国造りの努力を,我が日本国民が賞賛していることを,お伝えいたします。

次に私は,このような国家建設への努力と平行して国際政治の場においても,チトー大統領がイニシアティブをとられた非同盟運動が巨大な前進を遂げたことに敬意を表したいと存じます。ユーゴースラヴィア国民が,大統領没後もその意志を受け継ぎ,敢然として“チトーの道”を歩み続けておられることは心強い限りであります。私は,真正非同盟が,今後,東西緊張緩和のためますますその重要性を高めていくことを確信いたしており,これを評価するものであります。

(訪問の目的その1ー平和と軍縮への献言)

御列席の皆様,

私は,貴国ユーゴースラヴィアにまいる前,フィンランド及びドイツ民主共和国を訪れました。貴国訪問の後は,ポーランドを訪れてから帰国する予定であります。

この4カ国は,いずれも今日,国際社会で重要な地位を占める国でありますが,他方,歴史的にはさまざまな対立や抗争の狭間にあって困難を重ね,第2次大戦時に空前の戦禍を被った点においても共通しております。これら諸国の今日の達成は,それぞれの国民が,惨禍の中から立ち上がり,歴史的,地政的条件の差により歩んだ道の違いはあっても,等しく苦しい試練を克服してきた努力の結果であります。

そして,我が日本もまた,戦争の悲惨さを身をもって味わい,特に歴史上初めて核兵器の被害を受け,その後廃墟の中から再出発して,今日を築きました。

また,我が国民は,かつて軍国主義の跳梁を許し,戦争にいたる悲劇を体験した過去に対し厳しい反省を有しております。このため,我が国は,戦後の再出発に当たり,平和を国是とし,自由と民主主義に立脚し,再び軍事大国にならないことを宣言して,専守防衛,非核三原則の道を選択いたしました。

私が総理就任以来,自由と民主主義という価値を共有する諸国との連帯の下に,究極的には地球上からの核の廃絶を目指した軍縮,軍備管理の促進を主張し続けてきたのも,以上のような国民の痛切な体験からする平和への悲願に基づくものにほかなりません。また,かかる点から考えて,我が国に軍国主義が復活することは断じてありえないことを,私はここに確信いたすものであります。

御列席の皆様,

私のこのたびの旅行の目的の第1は,このような我が国を代表して,同様に戦争の悲惨な経験を味わった訪問諸国の指導者及び国民の皆様と,改めて平和の大切さについて確認しあい,これを将来に向けて守りぬく方途を共に探索することにあります。

世界の核破壊力がすでに人類のすべてを何回にもわたって死滅させることができるにいたったこの時代において,平和は世界の諸国民にとって最高の価値であります。したがって,平和を守ることこそ,世界各国の指導者の最高の責任でなければなりません。

二大核保有国による核軍縮の進展が見られるものとして全世界の期待を集めたレイキャビク会談で,米ソ両国の指導者は極めて真剣な討議を行いましたが,ついに合意には達しませんでした。その後の展開も,遺憾ながらはかばかしいものではなく,世界の平和と軍縮の先行きは深い霧に閉ざされたままであります。このことは,米ソ両国間に,依然として根深い相互不信が横たわっていることを物語るものでありましょう。かかる不信を取除き,両国間の話し合いを進展させることこそ,今日の急務であります。

この問題については,私は,米ソ両国が,次の5つの点を念頭において,可及的速やかに首脳会談を再開するよう強く要望するものであります。

第1は,核軍縮の分野における米ソ交渉は,東西間の戦略的安定感を高め,世界の平和と安全の強化に資するものでなければならないということであります。我が国は,米ソ両国が,攻撃的核兵器の大幅削減を共通の交渉目標としていることを評価しており,効果的検証措置を伴う,均衡のとれた思い切った大幅削減の協定の早期締結を期待したします。

第2は,核兵器の削減交渉に際しては,グローバリズムが貫徹されなければならないということであります。移動性を含む核兵器の技術革新等を背景に,世界の安全保障においては,欧州とアジアの区別はますます意味を失い,グローバルな観点が重要となって参りました。長距離INFについても,欧州・アジアを通じ,最終的に全廃されるべきだと考えます。

第3は,核軍縮管理・軍縮に当たっては,できるところから一歩一歩着実に実現すべきだということであります。二者択一的なアプローチは実りある成果をもたらすものではないでありましょう。次期交渉においては,包括的合意が望ましいのはもとよりでありますが,状況によっては,交渉を一歩でも現実的に進めるため,例えば,INFを切り離し,早期に,独立した廃絶へ向けての合意を成立させることをも考慮すべきであります。核実験停止についてもステップ・バイ・ステップに究極的停止に向けて着実に前進するための方途を引き続き真剣に探求していくべきであると考えます。

第4に,世界の安全保障は,あらゆる兵器体系の包括的バランスを考慮しつつ,確保していくべきものであります。現在この方向で進められている,化学兵器をはじめとする通常兵器を含む軍備管理・軍縮への国際的努力を考慮しなければなりません。

第5に,東西間の不信をなくすため,東西間の対話を拡大,深化させ,米ソ交渉促進の環境造りをおこなうべきだと考えます。私のこのたびの4カ国訪問も,この線に沿うものであります。

(訪問の目的その2ー相互理解と相互交流)

御列席の皆様,

我々が生きている現代,おそらく人類何千年の歴史の中でも最も大きな転換期の一つであります。

なによりも科学技術の飛躍的な発展があります。それは,月への到達から男女の生みわけまで,半世紀前迄は夢でしかなかった多くのことを可能にしました。現在,とりわけ急速な勢いで進んでいるのは情報通信技術であります。マイクロエレクトロニクスと通信技術の発達は,全世界の人々を情報ネットワークで結び,それはこれまでの国際政治や国際経済の在り方を大きく変えようとしています。もし今日のごとくテレビや衛星による同時中継が存在していたならば,第2次大戦は勃発しなかったと私は考えます。さらに経済的相互依存の深化と自由化・規制緩和の進展は,国境を超えた経済活動と人的交流を強力に推進しております。長期的観点に立てば,戦争の最大の抑止力は,このような国境を超えた情報の自由な交流であり,人間的・経済的結びつきの深化なのであります。平和を願う為政者は,情報の自由な交流,人間的・経済的結びつきを更に一層促進すべく,力を合わせなければなりません。

私は一昨年,国連創設40周年記念会期の総会に出席し,当時の貴国のヴライコヴィッチ連邦幹部会議長にお目にかかる機会をえましたとき,チャーチル英国元首相が“鉄のカーテン”と呼んだ不信の障壁はもはや完全に取除くべきではないか,と申し上げたところ,同議長も全面的な賛意を表されました。

チトー大統領は,「ユーゴースラヴィア社会は,経済的にも政治的にも文化的にも,あるいは他のあらゆる面でも,世界に向けて開放的であらねばならない」と言われました。大統領が指摘されたこの“開放性”ー私は,それこそが相互理解と相互交流の基盤だと思います。我々は,可能な限り国境の垣根を低め,人や物や金や情報が自由に往来できる国際社会を築き上げなければなりません。そうすることによって,我々は,相互交流を促進し,相互理解を深めて,不信の解消と対立の緩和をはかり,恒久平和の実現に向けて歩を進めることができると信じます。

このような観点から,私は,ここ数年来,“世界に開かれた日本”の建設を主張し,我が国のさまざまな分野における国際協調のための諸改革に取り組んできました。これが我が国社会の一部に痛みを与えるものであることは否定できませんが,私は,世界の平和と繁栄の中に自らの平和と繁栄を求める,との我が国の基本理念が正しいものであることを改めて確信し,さらにこの改革を推しすすめてまいる覚悟であります。また,この観点からガット・ウルグァイ・ラウンドの成功に向けて協力いたしたいと存じます。そのためには開発途上国の意見に十分に耳を傾けなければなりません。我が国としては,南北協調の下に可及的速やかに共通の基盤を確立し,交渉の成功に向けて努力したいと思います。この点に関し,貴国の貢献を大いに期待するものであります。

また,国際社会における国別の生活や福祉の水準の極端な不均衡が,健全な国際関係を妨げる重要な要因であることは言うまでもありません。我が国としては,かねてから,「南の繁栄なくして北の繁栄なし」との観点に立ち,開発途上国に対する支援を続けてきており,政府開発援助については,1986年からの7年間をカバーする第3次中期目標に沿い,これを拡充しつつあるところであります。同目標は,対象期間中の実績総額を400億ドルの倍とするよう努めるものです。このほか,我が国は昨年の秋以来,IMFに対し36億ドルの特別融資を提供することを決定し,また世銀に対しても官民併せ20億ドルの資金を供与する日本基金を設定することといたしました。

私は,このたびの訪問を機会に,我が国のこうした平和と福祉の増進の政策とそのための努力が,貴国をはじめ訪問国の国民の皆様からより深く理解されることを願ってやみません。

(未来への展望)

御列席の皆様,

今日,人類は,皮肉なことに科学技術の進歩の結果,外と内からの二つの核の脅威にさらされております。即ち外においては核兵器によるホロコストの脅威と,内においては遺伝子操作による人間の尊厳冒涜の脅威であります。科学技術の巨大化が地球資源の収穫や環境汚染などにより地球のエコロジー破壊を引き起こしかけていることも,強く人々の意識にのぼるようになってきました。

こうして科学技術の発展は,未曾有の可能性を秘めつつも,それだけでは人間の幸福を必ずしも保障しえないことが明らかになるなかで,人類がその何千年の歴史において,世界の各地でつくり上げてきたそれぞれの文化が,人類にとって独自の価値を持つことが認識されるようになりました。かかる認識は,今後ますます普遍的なものとなり,人類の世界観をより豊かなものとして行くに違いありません。

以上のような視点からして,私は,人類の営んできた地球社会は,今日,実に巨大な変化に見舞われていると考えざるを得ません。東欧に生まれ,東西ヨーロッパさらにアメリカまで広く旅した19世紀の代表的国際人ドヴォルザークは,雄大な交響曲“新世界”を作曲し,種々の民族と文明の共存と相互刺激によるより豊かな文明の開花に賛歌を捧げました。我々が未来に向けて想像する壮大な“新世界”も,まさしくこの交響曲のごとく“共存”という主題が,自然と人間の共存,科学技術と精神文化の共存,思想や体制,伝統や宗教等を違える国々の共存等のさまざまなヴァリエーションで,またさまざまな国民の持つ独自の楽器で奏でられる壮麗なハーモニーで構成されなければなりません。

我々日本人が奏でるのは,日本の伝統的な楽器,すなわち日本的調和の哲学であります。日本人は,大自然は人間のふるさとであり,人間は,これとの調和の中で,生きとし生けるものすべてが共存しつつ生きるとの考えを抱いて来ました。この共存の哲学こそ,日本民族が長い歴史の中で育ててきた生き方の基本であり,多くの東洋哲学の骨格でもあります。かつて印度のある政治家は,「地球に,どうして東西があろうか,地球は丸いのだから」と喝破しました。私はこの考え方を人類の一員として支持するものであります。

(若い世代の特別な意義)

御列席の皆様,とくに若い友人の皆様,

世界にまたがる二つの大戦を経験した20世紀は終わりに近づきました。21世紀をスタートさせるのは,言うまでもなく現在の若者たちであります。

そして,日本もユーゴースラヴィアも,戦後40年間平和を維持し,このため,国民の大半は戦争を知らない世代によって占められています。これらの若者たちが二度と戦争に巻き込まれないよう,また逞しく未来を開いて行けるようにするのが,我々指導者の責任であり,そのためには,世界各国の若者同士が憎しみや猜疑でせめぎあうことのないよう,相互理解を促進し,これを土壌として“友情”という果実を育てなければなりません。

また科学技術,芸術,学問,スポーツ等の文化は,国境を超えた相互理解にとって最も適切な媒体であり,またそれはおおきく若者たちが力を発揮する分野でもあります。そこでは,政治は文化の侍女にすぎません。

かかる観点から,私は,貴国をはじめ今回の訪問国と我が国との間で,“青年招へい計画”を実現し,次代を担う若者たちを我が国に招待いたしたいと思います。

こうした交流を通じて,友情が育ち,その果実がさらに新たな果実を生み,21世紀の平和を保障する大きな力となることを私は心から期待いたします。

御列席の皆様,

1987年も明けたばかりであります。

日本では,1月1日の太陽に新しい年への思いを託する習慣がありますが,私もその気持ちをこめて,俳句を一句つくったことがあり,ここにそれを御披露申し上げたいと存じます。

天地のよそおい新た初日の出

恵み深い大自然は,新しい時代に包みこむように我々を迎えてくれています。

我々人類も,これにこたえて平和で友情にあふれた地球を作るため努力しようではありませんか。