データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 第七回軽井沢セミナーにおける中曽根内閣総理大臣の講演,民族主義と国際主義の調和を

[場所] 軽井沢
[年月日] 1987年8月29日
[出典] 中曽根演説集,421−444頁.
[備考] 
[全文]

【世界の中の日本の位置を確かめる必要がある】

 私もおかげさまで総理大臣を五年近くやらせていただいておりまして、やはり日本の運命というものを自分で直接、肌身に感じて経験をしてきたわけであります。その五年間の経験の結果得た一つの結論ともいうべきもの、幾つもいろんな大きな問題がございますけれども、その中の、今、日本人が最も大事に考えなければならない一つの分野について申し上げてみたいと思うのであります。

 それは言い換えれば、正しい民族主義と国際主義との調和、という問題なのであります。

 最近、日本の経済力が非常に隆起してきまして、特にハイテク分野において、アメリカと競ってきているという状態であります。例えば、超電導を見ましても、世界的水準から見てかなりリードするような研究をある程度やっております。そういう意味で、ヨーロッパもアメリカも、最近は日本のハイテク能力というものについて非常に大きな関心を示すようになってきた。これは一面においては評価であり敬意でありますけれども、一面においてはこれだけ膨大な経済力を持っておる日本が、これにさらに新しい技術力を付加した場合にどこへ行くであろうか、という不安や警戒もなきにしもあらずであると、こう考えなければならんと思うのです。

 そこで、いったい日本の今の位置というものはどういうところにあるのか。世界の政治や経済や社会の交わりの中で日本の座っておる座標の位置というものを、われわれはここでもう一回確かめる必要がある。そういうことを私は強く申し上げたい。

 日本が戦争に負けて平和条約を締結したときには、われわれは非常に寛大な平和条約であると謳歌し、それをもとに四十年たちまして、日本はこれだけ興隆することができた。四十年たつうちに、喉元過ぎれば熱さを忘れるということは人間にはよくあることであります。いわんやこれだけ経済力が強くなり、技術力が高まり、今、日本は世界でもおそらく歴史上最大の債権国になろうとしている。今まではアメリカが債権国ナンバーワンの地位を保持しておったのでありますが、最近は位置が転倒してまいりまして、日本は今の状況ではだいたい二千数百億ドルの債権国であり、アメリカが二千数百億ドルの債務国ではないかと想像されます。

 そういうような金持ちと申しますか、大きな力を持ってきている。金融力も持ってきている。単なる科学技術だけではない、このものすごい、目を見張るような金融力というものについても、外国は日本というものをまじまじともう一回見るという情勢になってきました。

 そうなるというと、日本人はややもすると、自分たちがスタートしたスタート・ライン、それからたどってきたいきさつ、過去の軌跡、そういうものを忘れがちで、現在の繁栄とか、あるいは現在の喜びといいますか、幸せといいますか、あるいはエネルギーの中に酔ってしまって、そして冷厳な国際政治の中における座標というものを忘れがちであります。時々、そういう水を浴びせるような批判が日本に向かって外国からも来る。近隣諸国からも来るし、ある場合にはアメリカや友邦からも来る。国会議員でいろんな発言をする方々が外国にも多いのです。

 そういう水を差されるような問題が時々出てくることについて、少なくとも日本の政治家、あるいは経済や文化の指導者、あるいはそれを支えている国民の皆さん方は、われわれが現在座っている座布団の位置を常に見直す必要があります。

 私は外国に何回も出かけて話もし、いろんな場面にも遭遇してそれを痛感しておるので、そういうことをここで申し上げておくのであります。

 考えてみるというと、世界大戦というものは歴史の洪水なんですね。これは、私は『新しい保守の論理』という本を十数年前に書きましたけれども、その中に明確に書いているところであります。第一次世界大戦、第二次世界大戦というものを経験した。これはある意味においては歴史の洪水なのでありまして、氾濫したのであります。

 第一次世界大戦というのはどうして起きたか、戦争原因論というようなものをここで詮索する必要はない。しかし、その結果、ベルサイユ体制というようなものができたりして、そしてヒトラーが「ベルサイユ体制打破!」を言い、日本やイタリアはある程度その雰囲気に酔って、そして“持たざる国”というような立場を主張していわゆる枢軸同盟というものを結成していって、ついに連合国と戦争に入ってしまった。で、見事に負けてしまった。歴史の洪水があったわけであります。

 第一次世界大戦後は、この収拾は国際連盟というものを中心にして行われた。しかし、日本はご存じのように満州事変を機に、松岡洋右さんが行って国際連盟を脱退して、四十三対一というような孤立の道を歩んだことが、日本の悲劇の原因になったということはご存じのとおりであります。しかし、国際連盟というものが一つの立て直しの大きな軌道であったと言えるでしょう。洪水のあとの新しい大きな世界の流れを作った。

 第二次世界大戦の歴史の洪水を治めたものは何であるか。と言えば、これは第一次世界大戦の教訓をよく学んで、そして敗戦国に対して、あまり強圧的な、報復的なことをやるとかえって世の中は乱れるというような考えもあって、旧連合国のほうはかなり寛大な平和条約を作ったと言われております。やられたほうからすれば、必ずしも全部寛大ではないというような、いろいろな議論も残ってはおりますが、しかし、第一次世界大戦のときと比べればそう言われている要素もあります。ドイツなどは、第一次世界大戦後は千三百二十億マルクという賠償金を取られて、当時、天文学的数字と言われた。そしてそれがまたある意味においては第二次世界大戦を揺り起こす一つの原因になったとも指摘されております。

 第二次世界大戦後はそういう経験を学んで、そして今の体系の原形ができた。これが国際連合を中心にする体系であります。経済的にはブレトン・ウッズ協定や世界銀行、あるいはIMF(国際通貨基金)、そういういろんな経済システム、体系を持って、そしてあの一九二九年のような大恐慌を再び起こさないような経済的仕組みも考慮して、その組織ができたわけであります。

 ところが、この第二次世界大戦後の国連を中心にする仕組みというものを見ましても、それは連合国は神さまでもないし、また負けた枢軸国は野獣でもない。同じ人間同士である。人間同士であるけれども、やっぱりあれだけの大戦をやれば、あの大戦が終わろうとしているときにつくられた国際連合、あるいは仕組みというものについて見れば、戦争を起こし負けた連中に対する警戒感が絶無ということはありえない。それは人間の社会でありますから、そういうことはありえるんですね。そういう面で、国際連合の構成一つを見ても、アメリカ、ソ連、中国、フランス、イギリスという戦勝国がみんな安全保障理事会の常任理事国になった。そしてこの国々は拒否権を持つ。これらの国がビート(拒否権)を使えば一定の重要な決定は成立しない。そういう立場で国際連合の一つの機軸がつくられたのであります。

 それから、ご存じのように国際連合憲章の中には「敵国条項」というものがあります。つまり日本やドイツ、イタリアのような旧敵国−−連合国から見れば敵国ですが、このいわゆる「敵国条項」というものがあって、これらの旧敵国に対する警戒心というものは連合憲章の上にまだ残っております。

 日本は国際連合については、アメリカに次いで二番目に大きな拠出金を出しております。日本はほかの国をかなり引き離したぐらいの大きな金額を毎年出して国際連合を支えている大株主の一人です。また日本もドイツもイタリアも平和経済を営んで、そして発展途上国のためにも一生懸命努力もしておるし、国際社会の平和と安全維持のためには応分の貢献をみんなやっております。だから、今では勝った負けたの怨讎を越えて、地球社会の一員としてみんな平等に憲章のもとに協力し合っておるという体系になってきました。

 最近におきましては、国連の総会決議というものがまた非常に有効に動いてきております。総会決議というものは安全保障理事会の決議に匹敵する、あるいはそれ以上の大きな重みを持って出てきているのであります。

 そういうような状況のもとにまだ日本があるということを忘れてはならないのです。

 そういうような面から例えばドイツと日本の立場を見ると、ドイツは非常に不幸なことには、東ドイツと西ドイツに分裂している。そして西ドイツは防衛力を持っておるけれども、これはヨーロッパ同盟条約という多数国の、西ヨーロッパの国々が入った同盟条約の一員としての中で、再軍備というか、防衛というものが認められている。それには兵力の問題について一定の拘束をうけています。

 ベルリンは現在どういう状況にあるかといえば、ベルリンは四カ国がまだ占領しているという状態にある。「占領」という言葉は戦争中の言葉ですね。しかしまだベルリンは四カ国が占領し、あるいは駐留している。現在はもう「駐留」という言葉が正しいんでしょうが、そういう状況になってきておる。ベルリンというものは、そういう意味においてはまだ戦争の後遺症の中にあって、微妙な地位にある。東ドイツが、ソ連と一緒になってかどうか知らんけれども、ベルリンの壁をつくり、そしてベルリン封鎖をソ連がやろうとした。そうするとベルリンは島のような状態になるわけですから、それについてアメリカが大空輸作戦をやって、ソ連側の妨害の抵抗を排除したというのは、皆さんはまだ記憶に新しいことでしょう。その国際的なステータス、地位というものはそのときと今と変わっているわけではないのであります。

 皆さん方はINF(中距離核戦力)の交渉において、ドイツのPIA(パーシングIA)という核弾頭付きの中距離ミサイルをどうするかということが、米ソ交渉の一つの問題点になっていたということをご存じでしょう。ですから、コール首相は先般、与党内の考えを整理して、もし米ソのINFがうまく妥結して、これが調印され、批准書が交換されて成立し、それから確かめ合うという検証の問題も、また、そのINF廃棄の合意がタイム・テーブルに沿って着実に誠実に実行されていくならば、つまりアジアもゼロ、ヨーロッパもゼロというような形で進行していくというならば、われわれもパーシングIAを廃棄しようと、そういうことをこのあいだ言った。アメリカはこれをすぐ歓迎するという声明を出し、ソ連側もこれに対して歓迎的態度を表明したのは、新聞でご覧のとおりですね。

 ドイツと日本の立場を見るというと、日本のほうがはるかに幸せなのであります。

 われわれは幸いに分割されなかった。ただ遺憾ながら北方四島をどさくさ紛れに占領されてしまった。だからわれわれは国を挙げて、今、その返還の努力をしている。北海道は占領されなかった。危機一髪であった。

 それで、日本の防衛という問題はどうかといえば、ドイツのように多数国との条約の中における防衛というものが認められるという立場ではなくてして、日米安保条約、日本とアメリカだけの話し合い、条約で日本の安全保障をアメリカと一緒にやるという形になっております。これが多数国で、そういう枠内にできているというと、その多数国条約を改廃するということは非常にむずかしいことです。ところが、幸いにアメリカとの間の安保条約という形であったから、この不平等条約を直そうというので、岸(信介)先生が大死一番、あれだけ努力されてついに旧安保を改正した。裁判権も日本に回復するとか、あるいはアメリカの軍隊が日本の要請によっては内乱鎮圧のために出てくることができるというような屈辱的な文章も抹殺してしまう。あるいは今までは無期限であったのに対し、十年の期限をつける。そういうような不平等的要素を直した。これは相手がアメリカという民主主義、自由主義を重んじて日本をよく理解している相手であったからできた。しかし、それにしても、国内においてあれだけの「安保反対!」の声が起きた、起きたけれども、自由民主党は岸さんを先頭にしてこれを突破した。それが今日の日本の繁栄の一つの大きな原因にもなっていることは皆さんご存じのとおりです。

 あのときの安保改定の内容というものは正しい内容であり、当然、日本人としてやるべき内容なのです。ただ、あれを改定する手続き等において、議会を通すときに、ま、ちょっと自民党が急いだっていう面がなきにしもあらずであった。そういうわけでウワァーという反発を呼び起こしたということはあるでしょう。しかし、冷静に安保条約の内容を考えてみれば、あの改正は正しい改正である。しかも、それは相手が一国だけであり、アメリカという善意を持っておる、民主主義を知っておる国だからであります。これがアメリカ以外に数か国が日本の安全保障についてタッチしてくるという形の条約であった場合には、そう簡単なものではないということは、最近のいろいろな内外の情勢、いろんな近隣諸国からの反応等を見ればわかるでしょう。しかし、日本に警戒心を持っている近隣や遠方の国々は、安保で日米が中味を知りあって提携していれば、万一にも将来日本が軍事的に課題になる、または暴走するのを防げるという安心感が一面あり、米国がそれを保証していると思われる節がないでもないことは容易に想像されるのであります。

 日本がそういう環境の中にまだあるということは忘れてはならないのです。日本が経済力はこれだけ大きくなって、債権国になり、ハイテクも駆使し、そして繁栄を極めているという国になったがゆえに、そういう冷厳な対日警戒の国際的な枠構えの中に日本がまだいるのだということを忘れたら、これは大変なことになる。ほかの国は忘れてはいない。日本ほど繁栄しているわけではないし、謳歌しているわけでもないのであります。

【民族主義と国際主義の調和点をどう図るか】

 そういう意味から、ここでわれわれが真剣に考えなければならないのは、日本のナショナリズムとインターナショナリズムの関係なのであります。いわゆる民族主義と国際主義の調和点をどこにとるかということなのであります。靖国神社の参拝問題の一つ考えてみても、これはナショナリズムとインターナショナリズムとの調和点をどうとるかという配慮の問題であります。私は私の道をとったということも申し上げたい。それは以上申し上げたような戦後の国際的枠組みの中で日本が生きているということを、私は国の責任者として知っているがゆえに、日本を大事に思って日本を危険な淵にさらしてはならない、アジアから再び孤立してはならぬという信念に立ってやっておることなのであります。それがいいか悪いかということは歴史が判断するでしょう。

 そういうような面から考えてみて、敗戦国というものが勃興していくためには健全なナショナリズムが必要です。健全なナショナリズムとは何であるかといえば、簡単な定義でいえば、要するに運命を共同しようという民族、あるいは人民の集団が、運命を共同にしようという意志を持って、そして一生懸命に努力し合って、政治的、経済的、文化的に繁栄し発展させよう。そして世界の政治や経済や文化に対して自分のアイデンティティ、主体性というものを示し、かつ協力し合い貢献しよう、ということだろうと思うのです。これなくして国家が立ち上がれるはずはない。

 日本は戦争に負けたときに戦前の価値が一切否定されたように思われます。われわれは廃墟の上に立って、どうしてこの国をもう一回立ち上がらせるか、そういうことを考えたときに、やはり健全なナショナリズム、それと同時に、新しい価値をわれわれが導き出して、民主主義、平和主義、国際協調主義というわれわれに欠如した重大な欠陥をそれで矯正して、そして戦後の日本をつくり上げた。何といっても民族が団結しなければできない。社会に秩序が統一されなければできない。あの敗戦の焦土の中で、咄嗟{とっさとルビ}の中でそういうものがどうして、何でできるか。そういうときにわれわれが考えたのが天皇という問題です。

 天皇は平和主義者であられて、そしてあの対戦前からきわめて消極的な態度をズーッととられてきたことはご存じのとおりであります。終戦も天皇の英断によって行われた。そして国民はやはり天皇を敬愛して、天皇を精神的な中心として行こうと、そういう決意を当時国民が持っておった。それは終戦交渉自体が、天皇制を守るということが最大の眼目で行われたということを見てもわかるし、その後の状態もそうであった。

 その天皇は昔の天皇ではない。やはり民族も団結の象徴としての天皇である。今まで天皇は政治権力を持ち、あるいは非常大権を持ち、あるいは軍部に対する統帥権も持ち、あるいはそのほか皇室財産も持たれておった。しかし、戦後においては、天皇は無一文になるがゆえに無尽蔵であると、そういう東洋的な、日本的な哲学のシンボル、権化として再び国民とともに歩まれるということになったわけです。政治権力から離れ皇室財産も捨てられた。そこに無限大の広さ、無限大の親愛感というものを持って、そして公正無私、そこに普遍性を見出して、旧来の伝統、二千年近い大きな歴史の流れの中でたゆまなく存在し、また日本の結集のひとつの精神的な中心であった、そういうものを生かして、そして新しいやり方でやった。

 しかし、これは新しいやり方と言えるかどうか。軍刀を持った天皇というものは、神話による神武天皇から景行天皇ぐらいのあいだで、あとは明治以降です。それ以外の天皇というのは笏{しゃくとルビ}を持っておりました。どの天皇も描かれた尊像を見れば笏を持っていて、軍刀を持っている天皇というのはないですよ。それはせいぜい景行天皇までぐらいです。その後一時、後醍醐天皇は武力、兵力を使ったということはありますけれども、後醍醐天皇が軍刀を持っているという絵は見たことないですね。明治以降ですね。軍刀を持った写真のある天皇は。西洋の絶対国家というものを真似してああいう憲法を入れ明治憲法ができ、そしてそういう形になったのでしょう。だから、ある意味においては現在の天皇の位置というものは、象徴天皇というものは明治以前への復古的なものである。その姿が実は約千年以上も続いたのですね。つまり平和とか文化とか、国民統合の中心にあらわれたのです。実際の世俗的な政治というのは、秀吉だとか信長だとか家康だとか、北条氏であるとか藤原氏であるとかがやってきた。今でも与党と野党がやっているようなものですね。そういう形で、ともかく天皇というものを中心に結集して、一生懸命団結をしてここまでやってきたのであります。

 私はこのやり方というものは非常にいいやり方だと思うのです。で、第二次世界大戦後、日本はこの道をいかなる時代においても守っていけば社会は安定するであろうし、国家は安泰になるであろうし、外国からは尊敬される国になるだろうと思っています。

 私は総理大臣で外国の元首や総理大臣に何回もお会いいたしますけれども、日本のこういう世俗的な権力と国民統合としての権威という二重構造というものがどれぐらいありがたいか、ということを身にしみて知っているのは私であります。総理大臣になるのは必ずしもそう上等なものばかりでありえないかもしれない。また政治の渦中を生き抜いてくるのでありますから、さまざまな飛沫も浴びてくるわけであります。しかし、天皇という存在はそういうものからは超然としておって、そして一切から離れているがゆえに天空に燦然と輝いている太陽のごときものになる。

 よく外国から大統領がおいでになり、私と総理大臣官邸で会談をやりますけれども、公式の場合には宮中で晩餐会をやる。そうした場合に、大統領が宮中で天皇陛下にお会いになるときには実に緊張しています。これは共産圏・自由世界を問わない、途上国・先進国を問わない、それは大変な緊張です。日本の天皇はそれだけ大きな伝統というものの権威があるんですね。

 昔、エチオピアにハイレ・セラシエという皇帝がおりました。エチオピアの皇帝制度というものは、二千年続いた、日本より長く続いたと言われておりましたね。今、エチオピアは社会主義国家になってしまって、大変な混乱、飢えの中に生きておる。しかし、戦前、われわれはエチオピアの皇帝というものについては特別の感じを持っていましたね。それはやっぱり日本より長い伝統と権威というものに対して敬意を表した。アメリカにしても国家としての歴史は二百年ですから。英国のキングの制度にしたって千年かそれ以下のものでしょう。そういう点を見るというと、千数百年、二千年近く連綿として続いているこの権威、それを守ってきた国民の結束力、日本独特の生きざまというもの。しかも、日本はあれだけの惨憺たる敗北のなかにたちまちこれだけ繁栄し隆起してきた国家である。なぜ隆起したのだろうか。彼らが専門的にいろいろ社会分析してみれば、さまざまなそういう要件を見ておるのであります。

 それで、一方においてわれわれのような世俗的な俗物が行政権の責任者としてやらせていただいておる。しかし、もっと超然とした伝統的権威というものがわれわれの上にあるがゆえに、日本に対する尊敬というようなものはいやが上にもあるのです。また陛下のお人柄にもあずかっているところが大変あります。

 そういう点を考えてみて、われわれがナショナリズムというとすぐ天皇制と結びつけて、尊皇攘夷みたいな考えを持つ、これは間違いです。“蝦夷”というような考えは間違いです。しかし、天皇を敬愛するということは間違いではない。そして憲法に従って第一条をわれわれが厳守して、象徴天皇として、われわれの精神的な憧れの中心点として結束していくということは正しい。英国においては女王はそうであります。

 そういう意味の平和的な、文化的な天皇を中心にわれわれが結束して、日本の文化、あるいは日本の政治、日本の経済における世界に対する貢献、そういうものを真剣に考えて各国と協力し合い、繁栄を分かち合っていく。それには自らの主体性がなければできない。そういう意味における主体性をつくろうというナショナリズム、これは正しいことであります。それを教育において教えなければならない。

 そういうような国家、あるいは運命共同体というものでみんなが意識して一緒に行こうではないかと、そういう意味でその一つのシンボルとして国旗を持ち国歌を持っている。この国旗や国歌というものをお互いが大事にし合って、そしてみんなが結束していくよすがとしていく、これはどの国でもやっておることです。オリンピックになれば国旗が掲揚され、国歌が吹奏される。それはその国の名誉を讃えるためにやっているわけでしょう。日本人が日本の国歌、日本の国旗というものを大切にする。国民全体がそれを知り、それを歌い、それに対してみんなで守って行こうという気持ち。国際社会において名誉ある地位を占めたい−−憲法の前文に書いてあるけれども、そういう気持ちがあればあるだけ、名誉ある地位、その一つのシンボルとしての国旗や国歌というものをわれわれが大事にしていくということは自然な感情であると思います。これに対していろいろ異論を差しはさむということは国民的な自然な感情に反しておると、そう私は思っておるのであります。

 そういう正しい、健全なナショナリズムというものの上に、イギリスも、アメリカも、フランスも、ソ連も、中国も立っているのであります。日本が人並みの健全なナショナリズムを持つということを躊躇する必要はないのであります。しかし、攘夷というような名前のつくようなところに来てはならないのです。しかも日本の場合は戦勝国ではない、戦いに負けた国であり、ある程度迷惑を及ぼしたという反省を持っている国であります。そういう立場もまた自覚していかなければならない。

 そういう点からすれば、我慢しなければならないときには我慢するのが大国民の襟度である。我慢できる人間というのは大物なのであります。勿論国際的に筋の通らない不合理な相手の要求に従う必要はありません。そういうインターナショナリズムとナショナリズムの調和を考えていく。その調和点がどこにあるかということは、国民的コンセンサスの中でそれを発見し、われわれがそれを守っていくということが大事であります。それには国民自体がその自覚を持ち、国際的な情勢、国際的な取り扱いや、ほかの国がどうしているということをよく知ってもらうことが大事であります。自国独善は危ない。

 そういう面から見ると、これからの日本で大事な点は、一つは右バネが跳ねる上がってはならないということです。もう一つは左の過激派が跳梁してはならないということであります。これは国民の皆さん、もう異論がないでしょう。右バネがはね上がってはならぬ、左の過激派が跳梁してはならぬ、われわれは中庸の道を行く、そして国際的に受け入れられる国際的な良識−−その中には、あくまで日本の正しいと思うことは主張するということは勿論含まれております。各国が主張しうると同じ限度において日本も主張する。国際的な平和、繁栄に役立つ、それを阻害しないという範囲内において、自己主張というものもわれわれは持たなければならない。自己主張がなければ文化の隆起もない。

【われわれは健全な良識で「安定航路帯」を進もう】

 そういうような考えに立って、日本の歩みについて健全な、安定航路帯というものを持つ必要がある。戦後四十年間、日本は国際社会の海の中を進んできた。しかし、だいたい中庸の道の安定航路帯を進んできたから、これだけの繁栄があったわけです。われわれは今後も今のような考えに立つ安定航路帯を進んでいかなければならない。その航路帯から逸脱することは大変は不幸を呼び起こす。ややもすると、ナショナリズムを強く言うということは、国民の一部の自然な深層心理や心にうずくまっている感情を刺激して拍手喝采を浴びることが多い。しかし、それが第二次世界大戦前の日本をあの戦争に巻き込んでしまったということも反省しなければならない。それが過剰になり、それがファナティック(狂激)になった場合にはああいうことになる。

 したがって、みんなが持っている健全な良識をわれわれは灯台にして、そして安定航路帯というものを、国民的にコンセンサスをつくり大多数の国民で守っていくということが今後大事です。それを国民にそのたびごとに率直に訴える。「航路帯から外れますよ。自分たちはそう思う。皆さんどうですか」と、そう言って政治指導者は日本がその航路帯の中で常に安定して行けるようにしていかなければならない。これが第一であります。

【経済と安全保障の問題】

 第二は何であるかというと、最近、経済の問題と安全保障の関係という微妙な問題が幾つか生まれてきております。例えばココムの問題、東芝事件、これは経済の問題であると同時に安全保障の問題にも関わってくる。アメリカ議会における議員の発言等を見ると、最近は、日本のこれだけの大きな経済力、それから技術力、ハイテク能力等から見て、これだけの大きな経済力を持っている日本がどこへ行くのであろうか。そういう不安が、表には強くは出ていないけれども、議員の中には心理的に忍び寄ってきているということをわれわれは洞察しなければならないと、そう思っております。

 あるいはFSXの問題があるでしょう。日本の次期支援戦闘機をどういうふうに扱うかという問題もあるし、あるいはペルシャ湾の問題があるでしょう。ペルシャ湾の湾岸から、あるいはイランから来ている油、ホルムズ海峡を通る油が日本の輸入する油の五五パーセントにもなっている。アメリカが護衛しているクウェートの船団の中にには日本へ来るタンカーもある。このあいだすでにLPGを満載して来たのがある。これはアメリカの護衛艦が護衛してホルムズ海峡を出てきた船です。アメリカが消費する油のうち、ホルムズ海峡を通ってくる油というのは一割もない。日本は消費量の五五パーセントです。そういう最大の受益国です。そうすると「日本のために護衛してやってるようなものではないか」とアメリカ人は言う。あるいは今すでにフランスやイギリスは掃海艇を出している。フランスはクレマンソーという航空母艦を出し、イギリスは掃海艇をホルムズ海峡の傍に待機させておるし、オーマンというような国、あるいはだいたいクウェートからあのへんにかけては、昔はイギリスの勢力が強かったですし、イラクはフランスの勢力が強かった。そういういろんな因縁もあって、ペルシャ湾に艦艇を入れておる。アメリカは二十数隻も入れている。イギリス、フランスでもだいたい四、五隻は行っているでしょう。最大受益国の日本はそういうことはやらない。常識的に考えたら、なんだか悪いような気もしますね。それはそのとおりでしょう。

 しかし、われわれは憲法の建前もあり、それから過般の大戦から学んで、防衛の問題についてはできるだけ節度をもって引き締めていくと、そういう憲法の精神を尊重し、そういうような見地に立って国際的な理解を求めながら日本の道を今、進んでおるわけです。だから、武力行使というようなものについてはわれわれはできない。

 ただ掃海というようなものは武力行使ではない。舞鶴の沖の公海上に変な浮遊物があって、日本の船が往来するのに障害がある場合には、これは海上保安庁なり自衛隊が行ってそれを除去するだろう。それは国際法的にも可能でしょう。日本海の公海でそれができるならば、ペルシャ湾の公海でもできないということはない。国際法上はただ、ペルシャ湾の場合には今、国際紛争が問題となっている場所です。そういう意味において、国際紛争の中に巻き込まれないようにする配慮、あるいは周辺諸国の日本の防衛に対する安心感、あるいは国民的コンセンサス、そういうようなものを考えながら、私は「ペルシャ湾には出しません。軍事的協力はいたしません」と断言をしておるのであります。

 じゃ、五五パーセントも油をもらっておりながらどうするんだ? 何かしなければいかん。やはり国際社会に生きている人間ならば、そういうメリットを受けた場合には恩返しする。費用は立て替えてくれたらこっちも出してあげなければいけない、借金は返すと、そういうのは常識ですね。だから、私は平和の安全航法を維持していくための国際的枠組みが、例えば国連のようなものができた場合には普遍性を持っておる。そのような時は日本も応分の財的負担をいたしますと、そう言っておる。そういうことが出てきた場合にはやらなければいけない。それまで日本が逃げたら、日本は道義を知らない国、利己主義の国、エコノミック・アニマルの国というふうに烙印を押されてしまうでしょう。それは決して、国際社会において名誉ある地位を占めたいと書いてある憲法の前文に合致する態度ではないでしょう。

 私は憲法の前文の中でいちばん頭にあるのは、皆さんもいつも聞いていると思いますが、「われわれは国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う」と書いてあることです。それは国際国家たらんとするわれわれの熱願の一つの表現でもあるわけなのであります。憲法というものは国民的合意でできているものなので、それを支持しているわけです。そこへみんなで持って行こうとしているわけです。

 そういう意味において、経済力が強くなった。まずこれだけの大きなGNPを持つ、これだけの大きな債権を持つつ、これだけの大きな科学技術力を持つ、これだけの大きなハイテク能力を持つ、そしてこれだけの大きな金融市場を持ってきている。皆さんが想像する以上のスケールの日本になっているんですよ。そういうことになれば、安全保障との絡みというものは、今までのように小さな日本、あるいは、のほほんとした日本、国際的影響力を持たなかった日本とは違った立場でわれわれがもう一回ここで検討し、われわれの考え方を正しい線に沿ってまとめていかなければならないとそう思うのです。

 しかし、それについては憲法に指針があり、日本の今までのわれわれが言ってきた防衛政策の原理があります。これは国民的コンセンサスを得ていると私は思っております。そのわれわれが持ってきた防衛政策の基本原理というものを基本線にして、そのときの国際情勢と調和をさせながら安定航路帯を歩むようにしていったらいいと思っておるのであります。日本の自我だけですませられるような時代ではなくなってきている。それぐらい日本の大きな力というのは無視できない。他国が安心して放っておけないだけの力になっているということを考えていただきたいと思うのです。日本の道は国際的には軍事的協力の代わりに、経済的、金融的協力をこれから大いにやること、経済大国故に誤解をうける軍事的独走は、大局的に抑制し厳しく節度を持つことが大局的、長期的に得策であることを知ってもらいたい。

 私は景気のいいことや勇壮なことを言うというのは、政治家としては拍手を得られて楽しいことだということを知っております。しかし、実際五年間、総理大臣として政治をやらせていただいて、これは危ない、これはどうしても心していかなければならないということは、今、私の任期が来る前に国民の皆さんにお伝えしておかなければならない。そう思って今日は真面目に耳を澄まして聞いてくださいと、こう言っておるのです。この会場にいる皆さんに言っているだけではない、私は一億二千万人の国民の皆さんに、皆さんを通じて言おうと思って今日はやってきたのであります。

 そういうような二つの問題、つまり日本の座標について、右バネ、左の過激派、それに対する安定航路帯、また安全保障と経済の問題との調整、これが現実政治の大きな、大事な問題であるということをまとめて申し上げたのであります。

【日本は大きな国際的な貢献を行っている】

 しかし、考えてみると、日本は国際的に非常に大きな貢献をしている面もある。それは何であるかといえば、ともかく敗戦のあの瓦礫の中にあった日本が、四十年にして、資源もないのにこれだけの大きな経済・技術国家になったという事実。しかも自由経済によってそれが見事にできたということです。

 このことは私は発展途上国に大きな影響を与えていると思います。ああ、われわれも一生懸命やれば日本みたいになれるんだ。一生懸命教育をやり、また国民が団結し一生懸命やればやれるんだ−−と。

 ちょうど日露戦争において日本がロシアを破って、それがどれぐらいアジアやアフリカの民族に大きな影響を与えたか知れないようにです。現に私は岸さんのお供をしてインドに行ってネール首相に会ったときに、ネール首相は岸さんに、「自分は日露戦争で日本が勝ったということを聞いたときの感激を忘れない。われわれアジア人も日本のようにやればやれるんだという確信を持った。それが独立運動への一つの大きな導火線になった」とネール首相は言った。私はそれがまだ耳に残っています。

 ナセル大統領も言いました。私はナセル大統領になってからエジプトに飛んで行った。ナセルさんはスエズ運河の国有化をやって英仏を向こうに回して戦争して、そしてついに屈伏しなかった。当時、ナセルさんが私に言ったことはやはり同じでした。「日露戦争でロシアを破った、あのときの話を聞いたときの感激を忘れない」とナセルさんは私に言いました。あれがどのくらいアジア、アフリカの国民に刺激を与えたかわからないのですね。日本の身近な体験からもそういう感じがしています。

 今日、日本はあの敗戦のどん底の焼け野原から立ち上がって、資源もないのにこれだけの大きな経済技術国家を、自由経済、市場経済を通して築いたということは、これは大きな影響を陰に陽に与えていると思います。現に韓国は「今度は日本を追い越すんだ」と言っておるでしょう。造船とか一部のものについては追い越されていますね。われわれは追い越されていながら、韓国は立派だ、偉いと、そう思いますよ。アジアNICSがみんなそうです。台湾も香港もシンガポールも隆起してきている。特に東アジアの地帯、この日本列島からオーストラリアにかけての東アジアの南北ラインというものは世界経済の中で最もダイナミズムにあふれ、エネルギーに満ちた将来性のあるところであります。経済成長率はだいたい五パーセントから七パーセントぐらい伸びているのです。これはいわずともおわかりでしょう。韓国にしても台湾にしても、香港にしてもシンガポールにしても、マレーシアにしても、あるいはインドネシア、タイにしても、やはり日本が敗戦から立ち上がってやったのを見ていて、何らかの刺激を受けているのではないでしょうか。これはアジアの国だけではない、アフリカでもそうだし南米でもそうでしょう。

 しかも、それが自由経済において、市場経済においてできたということは、中国にも影響を与えているのではないだろうか。ソ連にも影響を与えているのではないだろうか。外国の大統領、あるいは書記長さんは日本に非常に来たがっている。このあいだもポーランドからヤルゼルスキさんが来たでしょう。あれは日本の経済を見に来たんですよ。社会主義経済がうまくいかないものだから、日本経済は何であんなに発展したか、その秘密を見に来ている。ほとんど大部分がそうです。資本主義や自由主義や市場経済でそれをやったということで、資本主義経済というものを再点検しなければならない−−。

 そういう意味において、中国は近代化に入って、そして開放政策に入りましたね。これが農村そのほかを見ましても、中国の経済力をグッと高めてきましたね。それを見てソ連が驚いて、ゴルバチョフさんがペレストロイカ(立て直し)ということを言い出しましたね。あるいはグラスノスチ(情報公開)とか言い出しました。そういう大改革にソ連もやはり入りつつある。東欧の国々でもやっている国もあるし、やらない国もあるけれども、今、そういうことになっている。北朝鮮あるいはベトナムというものはあまり身にしみてやらないものだから、あまり伸びないではないかと批判されています。しかし、それ以外の国は、中国でもソ連でもモンゴルでも最近そうですね。そういう開放あるいは自由化を盛り込む、責任制を持ってくる、そういうやり方で大きな変化が起きているでしょう。

 私は日本がこれだけ大きく繁栄した最大の恩人(外国)はアメリカだろうと思っております。日本は講和条約でアメリカと非常に密接に結びついて、その後もアメリカと提携してきた。学生と同じで、優秀な強いやつと付き合うと自分も優秀になり強くなる。自分よりダメなやつと付き合うというとダメになってしまう。アメリカと付き合って非常な刺激を受けた。そしてアメリカの自由経済をまねた。QC(クォリティ・コントロール)というようなことだって初めは生産性本部でアメリカから学んだ。それを日本的に改革して、さらに凌駕していったわけですね。戦後、アメリカとこういう関係で来たということが日本の繁栄の大きな原因です。

 このことを国民はみんな知っておる。だからアメリカと仲良くしない政党を国民は支持しない。共産党や社会党は今まであまり人気が出なかったのはそういう面があったのではないでしょうか。こう言うと言い過ぎるかもしれないが……。

 しかし、最近、社会党さんもも{前2文字ママ}変わってきて、山口(鶴男)新見解というものも出てきて、安保条約や自衛隊や韓国、原子力発電、こういう問題についても現状は認めざるをえないというところまで来ましたね。これは国民が何を考えているか、なぜ日本が繁栄したかということを知っているから、それに対する社会党側の分析や検討の結果、こう動いてきたのではないだろうか。それを真一文字にやってきたのは自由民主党である。だからこの道は間違ってるとは思わない。現に中国やソ連ですら大きな影響を受けて改革に入っているではないですか。

【世界における自由の旗手になろう】

 われわれは今や自由経済、市場経済を最大限に護持しようとする国家です。今、アメリカにおいては保護主義が出てきた。統制的な思想が出てきている。それに真っ向から対立して、レーガン大統領と手を組んであの保護主義法案を通させまいとしているのはわれわれですよ。そういう意味においては、世界経済における自由主義、市場経済、そういうものを推し進めている最大国家の一つは日本であります。それだけにまた自分のほうも言われているものは開放しなければいけないのです。だから基準認証制とか、あるいは市場アクセスの問題、輸入の問題、そういうものも自由経済、市場開放という面に向かって一歩一歩、着実に前進していかなければ、われわれが今まで辿ってきた道から逸脱するという形になる。

 日本は過去においても非常に苦渋に満ちた選択をしてきている。(IMF)八条国になる場合でも、金融を開放する場合においても、あるいは関税率を安くする場合にも、国民の皆さんにはかなりの苦しみや負担をかけながらやってきている。しかし、それを乗り切ってきたから、これだけのもっと大きな経済が生まれてきたわけなんであります。われわれは二十一世紀に向けて日本を考える場合に、もっと大きな、もっと安定した日本にしていくためには、今、われわれがやるべきことをやっておかなければならないのです。四十年の軌跡を考えてごらんなさい。そういうことをここで皆さんに申し上げておきたいのであります。

 そういうような関係で、敗戦国がこれだけの自由主義、市場開放経済によって発展したということが世界の歴史の上において、現代において、非常に大きな影響を各国に与えているということを、われわれは自ら認めてもいいと思うのです。

 しかしその上に、われわれはさらに今、二百億ドル、去年の分をいれれば三百億ドルの資金還流を発展途上国に向けて行いつつある。日本にこれだけお金があるのですから、そのお金を外国に安い金利でお使いくださいと言って、われわれの後を追っかけてきている発展途上国−−われわれは百年前は発展途上国だったんですからね。あるいは昭和の三十五年ぐらいまでは、安保騒動をやっているころまでは発展途上国であった。それから先進国になってきたのですから。今やっている国々に「お使いください」と言って、あるお金はできるだけ使っていただくというのは当然です。

 このあいだ、ベネチア・サミットでその話をしたら、ともかくみな評価してくれて、経済宣言の中に日本だけが、日本のこういう処置を歓迎すると書かれた。フランスの大統領からは「日本だけなぜ書くのか」とだいぶ言われましたけれども。しかし、それは国際貢献をやっている証拠でもあります。

 そういうような今の現代社会に与えている影響、それからわれわれが今、個別的にもやっておる貢献、それからさらにそういうような形によって東アジアの国々が生活水準も高まってきた。賠償から始まって、そしてわれわれは相当な円借款で毎年協力しておる。インドネシア、中国あたりは毎年八百億円近く、タイそのほかはやっぱり六百億円ぐらいやっておる。それで国内経済を整備し、インフラストラクチュアを整備し、発電所をつくり、鉄道をつくったりしているわけです。そういうことが社会の安定に非常に役立ってきて、中産階級がどんどん増えてきている。だからNICSと言われる国々がわれわれの肩をこすぐらいまで伸びてきた。それはその国々の自力、その国々の勤勉、その国々の経営力、その国々の英知の所産であって、われわれはそれに深く敬意を表すものであります。が、しかし、日本が歩んできた道というものも若干は参考になっているのではないかと思われる。

 日本の社会は提灯型です。大きな金持ちもいなければ、ひどい貧乏人もいない、提灯みたいに真ん中でふくれ上がっている。今わりあいにそうです。夏休みになればハワイへみんな行くとか、OLもヨーロッパ旅行をするとか、みんなやってきているでしょう。そんなこと明治以来なかったことですよ。いろいろ批判されるけれども、そういう状況になってきておるのです。そういうような関係で東アジア地帯の社会的安定というものにも若干は貢献しているのではないかと思います。

 そういう意味において、われわれが今やっているこの努力というものは決して無になっているのではない、大きな歴史的意味を持ってやっているのだということを国民の皆さんに知っていただきたいし、われわれはこの道に向かってさらに一生懸命汗をかき努力して名誉ある地位を占めるようにやっていきたい、そう思っておるのであります。

【日本が対象になったことは日本を理解させるチャンスである】

 そこでいちばん大事なことは、私は前からいつも言っていますが、「民族共存・共生の原理」というものを日本人が哲学的にはっきり持つことであります。私は京都学派の今西錦司さんや梅原猛さん、桑原武夫さんと非常に親しい。そういう人たちの哲学書をだいぶ読んで、そしてだいたいそれに近い考えを私は持っております。それはつまり日本の主体性というものを出していく。そのためにはやはり日本独自の考え方や生き方や哲学、それを理論や言葉で説明できるという体系を持たなくては駄目です。さもなければ「日本人は勝手に何しているんだか訳のわからん国民だ。自分の考えていること、自分のやっていることすら体系的に言えない国民じゃないか。あれはまぐれ当たりにすぎないよ」と、そう言われるだけです。

 最近、日本論が非常に多くなった。経済摩擦で「日本のやつ、けしからんッ」という声も出る。あるいはまた、ゴルフで日本の女子プロがアメリカに行って制覇しようとした、そういう話もある。競輪でも中野選手は十連覇をやった。しかしボクシングは今度はほとんど負けてしまった。いろいろありますが、日本が非常に話題になってきている。これは非常にいいことなのです。

 今までの日本人の頭の中にはアメリカがそうとう入っている。ところが、アメリカ人の頭の中には日本なんかほとんど入っていないのです。ヨーロッパ人の頭の中にも日本なんか入っていないですよ。ところが最近はジャパン・バッシングとか何とか言われて、悪いほうの意味かもしれんが、日本が問題になって頭の中に入ってきた。入ってきたということだけでも、これは発信ですからね。今まで受信ばかりであったのが今度発信になってきた。だから認識されるということがまず大事なのです。政治で候補者になって当選しようと思ったらまず名前を知られなきゃ駄目で、そういうことと似てるでしょう。しかし、悪い印象でやられたらいけない。これをいいほうに切り換えていく。しかし、知られることはやはり大事なことなんですから、この知られたことをうまく活用して、これをいい方向に切り換えていくということがこれからの日本の大きな仕事です。

 ともかく、ほかの国々に知られなかったのですから。それがこれだけ知られてきて、日本語熱がうんと増えてきた。オーストラリアでは、高校あたりでは第一外国語が日本語になってきた。ドイツあたりでは三十ぐらいの大学で日本語の講座をやろうとしている。ということは、ジャパン・バッシングの一連かもしれないが、日本を勉強したい、日本とは何だ? という関心がわいてきたことなのです。こういうことは今まで歴史上ないことです。これをうまくひっくり返して、そして日本をよく認識してもらう方向に全力を注ぐことが、われわれの今後二十一世紀にかけての仕事です。日本のチャンスでもあります。

【地球倫理の実践を】

 それには日本人が「地球倫理」というものを持たなければ駄目です。日本倫理だけでは駄目ですし、アジア倫理だけでも駄目です。もう今、この段階になれば地球全体、地球村の村民の一人というぐらいの意識を持って、そして人類共存の哲学の上に立った日本人の生きざまというものを教える。

 それは日本の今までの茶の湯でも哲学でも、あるいは政治形態でも、こんな平和な国ではないのですからね。それはもう平安時代なんていうのは軍隊もなかったのですから。徳川時代だって外征軍なんか持っていなかったでしょう。国内だけでわさわさケンカしておったので、外とは明治維新から始まったので、それまでは蒙古襲来でやっつけられるほうだけですから。そういうような国柄、生きざまというものを外国の人にだんだん知ってもらえば、日本人というものが理解されるのです。そういう意味の地球倫理というものをわれわれが一人一人実践し、そして大きな歴史的な仕事もしているというプライドを持って、しかも謙虚に、着実に前進していくべきである−−。このことを申し上げて私の終わりの言葉にいたします。