データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 第十一回全国研修会での中曽根内閣総理大臣の講演,戦後政治の総決算とは何か,中曽根政治の原点と展開

[場所] 
[年月日] 1987年9月12日
[出典] 中曽根演説集,445−476頁.
[備考] 
[全文]

【戦後の国内政治の原点について】

 皆さん、こんにちは。皆さんに箱根でお目にかかるのは非常にうれしく思いますが、待合室もだいぶ混んできたようで、私もそろそろおいとまをしなければならない時間がきつつあるようであります。この間、自民党の党員の皆様及び国民の皆様方から大変なご鞭撻とご支援をいただきまして、この機会を通じて、心から感謝申し上げる次第であります。

 そこで今日は、五年間、内閣総理大臣、自由民主党総裁として政治をやらせていただきましたので、自分の体験にかんがみまして、日本の政治はこうあるべきだという方向と内容について、私の卑見を申し上げてみたいと思うのです。今日の話はそういう意味において、私がたどってきた軌跡の分析、我々がたどってきた政治の跡を振り返ってみて、どういう道をたどってきたか、どういう理由によってこういう政治が行われたのか、そういうところから日本の政治はどういうふうにあるべきかというお話を申し上げてみたいと思うのです。それは五年間政治をやらせていただき、自分の過去のことを振り返ってみて、間違っていると思った点や、あるいはよかったと思っている点を、国民の皆さんや後世の政治を志す人々に申し上げておくことは、私の責任であり、かつきわめて意義深いことである、そう思いまして、申し上げるのであります。したがいまして、今日はわりあいまじめくさった話をしますので、面白い話を聞けると思って来た人がいらしたら失望するだろと思います。いわんや、生臭い話が聞かれると思ってきていらしたら、大失望するだろうと思うのであります。いわば、大学の法学部の講義みたいな話になるので……。

 しかし、実際は政治家も国民の皆さんも、日本の政治がいま運航している政治の原点、原理というものを余り考えたことはないと思うのです。新聞やテレビで見たり読んだりしてみても、そういうまじめくさった政治の原理や原点というものに論及したものは非常に少ないのです。箸が転んだとかお茶がこぼれたとか、ほっぺをひっつねったとか、そういうような面白おかしい話はわりあい載りますし、みんな喜んで見るし、スイッチをそっちへひねります。しかし、自民党員として、あるいは党の研修会として我々が皆さんに訴える場合には、一回ぐらいはそういう日本の政治の基盤についてまじめな論理的な反省をし、現在我々が生きている、また非常に激しく揺れ動いている日本の社会の実態、あるいは国際情勢の分析、そういうものを通じて学問的にも日本の政治はこうあるべきであるということを打ち立てることは、非常に大事であると思うのであります。それが政治をきままにやらない、そして政治自体が安定帯をがっちり進んでいく、そういうことになると思うのです。恐らく皆様方はこういう話はお聞きにならないと思うのですけれども、私は去るに臨んで、大事であると思うがゆえにあえて申し上げる。

 私の話は、第一部は軽井沢の研修会で申し上げました。軽井沢の研修会で申し上げたことは皆さんのお手元にパンフレットになって既にできているので、今晩でも読んでもらいたい。軽井沢で申し上げたことは、主として対外関係の問題です。今日申し上げるのは、内政上の原点の問題です。そういう意味で、一部と二部が合体して、私の政治に関する所見というものは完結をするのです。そういう計画をもって今年の夏休みはいろいろ考え、そして八月末と九月の初めにわたって私の考えを申し述べる、こういうことになったのであります。

【国際社会における日本の位置】

 そこで、第一部で申し上げた中身はどういうことかということを、まずご参考に申し上げてみたいと思うのです。それはまず第一に、日本が現在、どういう国際的位置にあるか。日本の座標、日本の国際的な座布団の位置をよく知ることが大事だ。それからスタートする。それはどういうことであるかといえば、日本は第二次世界大戦の敗戦国であったが、ここまで興隆してきたということなのです。そういう意味において、日本とドイツを比較してみると、日本がはるかに幸せな立場にあるということが分かる。分かるけれども、だからといって経済や技術や産業がこれだけ興隆したことに驕って、もし我々が思うがままの道をたどるようなことがあったら、日本はまた転落するであろう。我々がこれだけ興隆したということは我々国民の力であり、あるいは更に世界的環境に恵まれたからであります。しかし、我々がこれだけ興隆したということを外国はどう見ているかというと、一面においては非常に評価をし、尊敬をしている面もある。だがしかし、一面においては、非常に大きな疑いの眼をもって見、警戒している向きも非常に多いということを知らなければならない。

 世界大戦というものは言い換えれば、歴史の洪水のようなものだ。あるうっせきがたまりたまると大地震が起こるように、うっせきがたまりたまって第一次世界大戦というものが起きて、洪水が起きた。洪水の跡を収めたのが国際連盟というものです。しかし、あとでヒトラーとかいろいろなものが立ち上がって、日本もそれに眩惑されて、第二次世界大戦となった。また歴史の洪水が起こった。その洪水の跡を収めたのは何であるかといえば、国際連合というものです。それと同時に、いろいろな仕組みを考えて、第一次世界大戦後の失敗を繰り返さないように、つまり第三次世界大戦を起こさないようにという配慮のもとに今の仕組みはできている。それが国際連合であり、あるいは核拡散防止条約であり、原子力に関するいろいろな規制である。あるいは不況を再び起こさない。あの一九二九年のような恐慌を再び起こさないために世界銀行をつくったり、GATT、IMFをつくったりしている。そういうものを巧みに利用し、恩恵も受けて、日本はこれだけ大きな国になった。

 そういう中に生きてきた日本にとって一番大事なことは、右のバネがはね上がり、これが飛び上がりをしないということです。それと同時に左の過激派を制圧していかなければならない。我々は右に偏せず、左に傾かずという中庸の道を歩んだ、安定航路帯を今まで歩んできた。そこでこれだけの大きな繁栄を得てきた。この、今まで歩んできた安定航路帯を踏みはずすようなことがあってはならない。右バネ、左の過激派、これを我々は注意深くコントロールしながら安定航路帯を進まなければならない。それが私の第一の結論であります。

【漂流していた戦前の政治】

 ということは何であるかといえば、ナショナリズムとインターナショナリズムの調和を適切に行っていくということです。これは国民と政治家が協力してやることです。特に政治家が指導して、間違った道に行かないように努力することです。第二次世界大戦の前を振り返ってみると、なぜあんなばかな大戦争に日本は突入したのか。あるいは日支事変にしろ、日中戦争にせよ、太平洋戦争にせよ、反省してみると、戦争しようと思ってやった政治家は一人もいない。また参謀本部や陸軍省においても、そうである。現地の人間が勝手にやって、それが拡大されていったという現象です。言い換えれば、中央のブレーキが故障していたということでしょう。

 あえて言うならば、中央の政治機構や政治家にそれだけの自覚と迫力と責任感がなかったということです。特に第二次世界大戦などを見ていると、まるで日本の政治は漂流していた。流れ流れていったら滝壺に落ちるぞとみんな分かっていた。分かっていながら、漂流にまかせて、誰かがやるだろう、誰かが何とかしてくれるだろうと思っているうちに、あれよあれよといううちに滝壺に落ちて、あれだけの大惨害を起こした。そういう結果になっている。そのことは、同じ民族の体質として、現代の日本にもあるということなのです。誰かが何かしてくれるだろうと。ちょうど、電車の中で暴力を振るったり悪いことをしたりする人間がいても、それに対してお客さんは知らんぷりして見ている。俺はかかずらうのはいやだといって無責任な態度をとる。これは極端な比喩であるけれども、似たところがある。誰かがやってくれるだろうと。漂流しているうちに、あれだけの大惨害を起こした。

 そういう意味において、私は五年間政治をやらせていただいて、一番それに注意を砕き、非常なセンシビリティ(敏感性)をもって対処しました。国を代表し、あるいは行政を行う責任者は総理大臣であり、総裁であり、たとえ一人になっても、そういうような奔馬が来た場合には、自分の体で国と国民の運命を守らなければならない。そして、それがまた自由民主党でなければならない、そう思っている。それにはみんなが勇気を持たなければならない、見識をもたなければならない。勇気というものはどこから発するかというと、道徳性から発する。これが正しいのだ、これが日本の行く道だと倫理的にも悟ったら、普段考えられないような大きな勇気が飛び出てくる。このためには死んでもいいという気分にもなるでしょう。それが政治の本質であり、政治家の本質である。今から考えてみると、昭和十六年以前、第二次世界大戦勃発前、まことに日本の政治は目標を失って、漂流していた。あのとき誰かが命がけで大手を振ってさえぎったら、あるいは戦争はなかったかもしれない、と悔やまれるわけです。我々は学生であり、あるいは出陣の命令を受けて前線へ出動したために、あとのことは分からないけれども、あとで読んでみて、しみじみそう感ずる。

 一番大事なことは、そういう気迫と責任感を政治家が持って、そして道徳的勇気に裏付けされ、論理性と見識の上に裏打ちされた行動を政治家がとる必要があるということなのであります。

【世界に刺激を与えた日本の復興】

 そこで日本は、戦後いまやジャパン・バッシング(日本たたき)とかいろいろ言われるような状態になってきたけれども、また一面考えてみると、日本民族は偉大なことをやってきたともいえるのです。ということは、どういうことかというと、ともかく敗戦国で、あれだけは瓦礫の中で、もう再び立ち上がれない、農業だけの四等国になるだろうと言われていた日本が、またたくまに不死鳥のごとく蘇った。そして、何で蘇ったかといえば、共産主義でもなければ社会主義でもない。自由主義経済によって、そして市場経済によってこれだけ蘇った。経済的にはアメリカに次ぐ大国になって、技術的にはアメリカを追い越すぐらいのものが部分的に出てくるぐらいになった。

 ということは、何を意味するかというと、ちょうど日露戦争のときに、日本がロシアを破ったようなインパクトを世界に与えているだろうと思うのです。あのときは、アジア人や黄色人種がまさか、白人のロシア人に勝てると思った人はいなかった。それを極東の小国である日本が、大帝国のロシアを破ったというのでみんな驚いた。それによってアジアの覚醒あるいは植民地の独立という気運が非常に醸成された。

 私は岸先生のお供をしてインドへ昭和三十二年に行ったけれど、インドのネール首相が、岸先生に、「自分は子供のころ、日本がロシアを破ったという話を聞いて、あれぐらいうれしく思い、かつ激励されたことはなかった。あのときのしびれるような感激を今でも持っている」と言いましたね。私はそばで聞いていた。私はそれからエジプトへ飛んで、ナセル大統領に会った。ナセル氏はあのころ、スエズ運河の国有化を断行して、イギリスとフランスと戦争して打ち勝ったときです。そして腐敗した王制を追放して、今のエジプトのもとをつくった人です。そのナセル氏が私に同じようなことを言った。それを聞いてみて、なるほど日露戦争というものは世界の歴史に大きなインパクトを与えたなと思った。いま世界にそういう声は起きているわけではないけれども、事実上、日本がこれだけ戦後、復興したということは、俺の国だって、日本のように勉強し、学問を広げ、教育を高め、政局を安定させて、自由経済、市場経済をうまくやっていけばやれるのだという勇気と希望を与えているだろうと思う。

 現にそれで日本へ接近して、日本を追い越そうとしているのは韓国です。あるいはNICSといわれるアジアの東の端にある国々です。これらの国々は日本を追い越せという気持ちでやっているのでしょう。それに続くのはインドネシアであるとか、世界中の発展途上国が{前1文字ママ}あります。みんな独立意識に燃えて、同じように生活を改善し、インフラストラクチャーを充実し、そして教育を高めようと思って、為政者も国民の皆さんも一生懸命やっている。それを日本が自由経済、市場経済でやったというところに、それらの国々が大きな影響を受けている。

 それらの国々だけではない。ソ連も中国も大きな影響を受けて、また東ヨーロッパの共産圏がみんな影響を受けているでしょう。言い換えれば、経済における自由化あるいは規制の解除、国有化をやめていく、個人のイニシアチブを重んずる、経営に能率と市場原理を導入する、競争原理を導入する、開放政策を導入する、そういうことがいまや社会主義国家にもしんしんと伸びているのが分かるでしょう。それは自由世界の繁栄、なかんずく日本の繁栄というものがインパクトを与えているということは否定できない。

 現に二カ月ぐらい前でしたか、ポーランドのヤルゼルスキ国家評議会議長が日本に来たけれども、私が正月、ポーランドに行って会ったときに、「ぜひ日本へ行って、日本復興の理由を探りたい」と言っていました。そして東京へ来て私に会ったときに、今それを探るので一生懸命やっているのだということを彼は言っていた。ポーランドも自由化を今やりつつある。

 ソ連においてもペレストロイカ(再編・改革)とか、あるいはグラスノスチ(情報公開)という言葉が公然と世界中に流れてきている。中国においても●{登におおざと/トウ}小平主任は、「開放政策は不変である」「近代化は不変である」と言って農業以下、工業にいたるまで変えてきた。ソ連でも中国でも合弁法という法律をつくって、市場原理を取り入れた。今までの社会主義では考えられないような方向まで出てきています。ソ連では新しい国家企業法という法律をこの間成立させ、倒産もあり得るという原理になってきた。国有化の社会には倒産というものはないはずだ。しかし、ソ連には今度、独立採算制というものが導入されて、倒産もあり得るということが言われるようになってきた。

 こういう点を見ると、それだけの大きなインパクトを世界中に与え、共産圏にも与えてきているということは、大きな事実である。それにやはり日本が敗戦のどん底からこれだけ立ち上がって、アメリカと肩を並べるぐらいまでに追いついてきたというこの現実が大きな影響を与えているということも、世界史的に見たら、後世言われるであろうと私は思う。また、そのためにアジア全般や途上国が張り切ってきている。東アジアの日本列島からオーストラリアにいたるまでの島国の地域は、世界でも一番安定している地帯です。インドネシアからずーっと南に下ってオーストラリアにいたるまで、タイももちろん含む。それは最もダイナミックな、経済活動の激しい、成長率の高い地帯です。これはある意味においては、日本に一番近いところで、陰に陽に日本というものを見ている。そういう影響もなしとはしないのではないであろうか。その国々の努力、その国々の指導者の政策の卓抜さによることはもちろんであるけれども。

 我々が今までたどってきた道は、一面においてはジャパン・バッシングとか、あるいは世界中の不均衡の元祖は日本であるとかいろいろ言われなければならないところもある。それは率直に我々も反省しなければならない。しかし、一面において、我々が過去、営々として四〇年間やってきた汗と努力の結晶には、そういう世界史的な意味もあるということを、私はこの際、国民の皆さんに申し上げたい。そして、反省すべき点は反省すべきである。しかし、我々が努力した成果でほむべき点はほむべきである。そういう堂々たる態度をもって、今後も我々は努力してまいりたいと思うのです。

【経済と安全保障との調和】

 ところで、日本のこれからの問題は、経済がこれだけ大きくなってくると、貿易摩擦とか黒字の累積という以外に大きな問題が出てきた。それは何であるかというと、経済と安全保障との調和という問題である。これが東芝事件になり、あるいはペルシャ湾において日本がどういう貢献をするかという問題にいまやなってきた。日本が小さな国で経済力も弱ければ、そんな問題は起きない。これだけの大国になって、これだけの高度の技術を持って、これだけの蓄積を持っている国。しかも、ペルシャ湾からは、日本の油の五五パーセントが来ている。日本へ来ているクウェートの船は、アメリカが護衛しているという面もある。そういう中で日本だけが何もしないで恩恵だけ受けていいものだろうか。こういう問題がここへきて出てきたわけだ。東芝の問題は、懸命にさばきつつあるし、今後も努力していかなければならない。我々の落ち度は落ち度として率直に認めて、適切に改革しなければならない。この間の国会においても、外為法の改正を驚くほどのスピードをもって、与野党が協力してくださって成立させ、大変な評価を実は受けている。

 しかも、もう一つ出てきたのはペルシャ湾の問題です。これについては、私は国会で答弁をしている。それは自衛隊を出すようなことはしません。しかし、舞鶴の沖で、国籍不明の浮遊物の機雷か障害物が出てきた場合には、日本の自衛隊が、その障害物を除去するために出ていって活動することは、自衛隊法にも違反しなければ、憲法にも違反するものではない。掃海ということは、自衛隊の仕事にもなっている。公海であるから、ペルシャ湾に行っても同じことである。それが国籍のない浮遊物であり、そういうような無主の障害物である場合には、日本の船の安全のためにこれを除去して、お掃除をするということは、舞鶴の沖であるのとちっとも変わっていない。法律的には合法である。しかし、ああいう国際紛争が起きているところにおいては、ややっこしい問題が起きる危険があるから、政策的に自衛隊を出すことはやらない。そういうことを私は議会で答弁している。

 それでは何で貢献するのか。そういう問題がこれからの政治の課題として必ず出てくる。また、しなければならない。やるべきことはやらなければならない。それはそうでしょう。日本が五五パーセントも油を使っていて、俺は知らんよといって恩恵だけ受けておくというようなことは、ほかの国が税金を納めている国民の前で、黙って見ていられるわけではないでしょう。最近においては、ベルギーとかオランダのような日本ほどの大きな経済力のない国ですら、そういう共同行為をやろうといって掃海艇を出す情勢が出てきている。これについてどういうふうにやったら一番いいのか、いま私は一番頭を痛めて研究をしているが、ともかく経済と安全保障という問題が、日本がこれだけ大きな大国になってくると新しく登場してきて、日本人は日本人として国際的に了解され、国際的に支持されるような行動をとらなければならない。そうして日本の国内的な世論、法制、そういうものと調和のとれたことを政府が考えていく。そういう責任があるということをここに申し上げるのであります。

 我々の憲法には、「日本は国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う」と書いてある。これが国際国家の目標です。この国際国家の目標を実行していくためにも、今のような国際的な倫理性というものに違反しないような堂々たる態度を、日本人はとらなければならない。それはどういう方法がいいか、いろいろ考える必要があると思います。いろいろな知恵を皆さんも浮かばせて、我々に助言していただければありがたいと思う。

【地球倫理の時代】

 「国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う」という憲法の理想を我々は実現していくという背景には、地球的倫理というものが出てくる。いま地球倫理というものを我々は考える時代になってきた。米ソはもう、核兵器を減らそうというので、数年にわたって血のにじむような交渉をしてきて、いよいよこの十五日にはワシントンでシュルツ長官とシェワレナゼ外務大臣の会見が行われる。それがレーガン、ゴルバチョフ会談につながるように祈ってやまないのであります。核兵器はやめようではないか、そういうことに地球倫理というものが響いてきている。そのために私は、年中アメリカにもソ連にもそれを言ってきた一人であります。

【日本文化の発信】

 そういうような地球倫理というものを考えると同時に、日本をよく知ってもらうということが大事です。日本は土星みたいであって、雲の中に包まれていて、中が分からないといわれる。そういう国のように、まだ思われている。そういう意味において、日本をよく知ってもらうことが大事である。

 つまり、日本はモノは莫大に輸出しているけれども、文化の輸出が少ない。モノの輸出と文化の輸出のバランスがとれるようにしていくということが、我々のこれからの大きな仕事です。言い換えれば、文化とか日本の事情に対する発信が少ない。受信ばかり多い。この受信と発信とをバランスをとるようにするということが、国際国家として進む日本のこれからの大きな仕事であるということを申し上げたわけです。これが第一部の話です。

【戦後日本の憲法的基礎】

 そこで、今日、皆さんに申し上げるのは、日本の内政について、どういう原理に立って、何をやるかという問題です。まず考えなければならないのは、戦後政治の憲法的基盤は何であるかということです。言い換えれば、戦後、憲法が変わったのだから、戦前の政治と違った構造になってきている。ところが、まず五十代ぐらいまでの人の頭には、旧憲法的な政治、あるいは明治憲法的な総理大臣、あるいは明治憲法的な政党のあり方というようなものがややもすれば先入観としてある。だから、新しい政治を開拓していこうとすると、違和感をもつ向きがなきにしもあらずです。

 そこで大事なことは、昔の政治と今日の政治はどこが違ったのか。その基礎は憲法にある。憲法のどこが違ったからこういうふうに政治は変わらなければならないのだということを、もう一回ここで強調する必要がある。私は、それを明確に意識して、五年間の政治をやってきたつもりです。私が大統領的政治というものが日本の憲法に合った政治であると申し上げたら、それをジャーナリズムは一言で、中曽根は大統領的政治を志向する、大統領という偉いものになりたいのかな、などと皮肉りましたね。しかし、もう少し学問的に分析してもらいたいと思うのであります。

 それはどういうことかというと、まず第一に、総理大臣の地位が戦前と戦後はガラッと変わってしまった。よく言われるとおり、今日の日本の総理大臣の地位は、アメリカの大統領と英国の総理大臣とを一緒にしたような性格を持っている。いわゆる大統領制的な総理大臣であり、また英国の議院内閣制的な総理大臣、それを一緒にしてできている。それだけの権限が与えられた。なぜかといえば、天皇が象徴になって、政治的実権がなくなるという形になったからです。政治的実権というものは、それ以下の行政、司法、立法のそれぞれの国家機関のほうへ下りてきている。その三権の中でも行政を担当する総理大臣というものの仕事は大きいのです。昔は天皇の名前において、天皇の判こで行われたことが、今は総理大臣の判こで行われるようになってきている。その変化を知る必要がある。

 どういうふうに変わっているかというと、戦争前の総理大臣は、内閣をつくるけれども、これは内閣の各国務大臣の首席である、第一席である。上に立つ人ではないのです。統一を保持する人、調和を保つ人なのです。ところが今日の総理大臣というものは、昔の憲法の下では内閣の首班といったが、今日の憲法では首長といわれている。ヘッド、首という意味です。昔の憲法で首班というのは、調整者の親玉という意味です。憲法的用語でいうと、プリマス・インター・パレスという言葉ですが、同輩中の首席、仲間の中の第一番目である。要するに筆頭国務大臣みたいなものである。ところが、今日の総理大臣というのはそうではない。憲法でも首長と書いてあって、国務大臣を任命する。クビにすることもできる。去年、私はやりましたね。昔はどうであるかというと、国務大臣というものは天皇に直結していたのです。憲法によれば、昔の国務大臣は、「天皇を輔弼し、その責めに任ず」と書いてある。だから総理大臣も外務大臣も大蔵大臣も天皇に直結して、そして平等に天皇に責任をしょった。今はそうではない。内閣総理大臣が任命する。昔は天皇が任命したのです。今は内閣総理大臣が国務大臣を任命する。天皇は、それを認証するのです。文章の上からも、昔は内閣総理大臣というのは、「首班として行政各部の統一を保持する」と書いてある。「統一を保持する」というのは、調和を保つという意味です。ところが今の総理大臣は、「行政各部を指揮監督する」と書いてある。「指揮監督」という言葉と「統一を保持する」というのはまるっきり違うでしょう。そういう地位になってきている。

 それから最高裁判所の裁判官はどうするかといえば、昔のそれにあたる大審院の院長や大審院の判事、最高裁判所の長や、あるいは裁判官というのは、天皇が任命する。すべての天皇の名において裁判も行われた。今はどうであるかというと、最高裁判所の長官は内閣が指名して、天皇が任命する。これは天皇の任命になっている。しかし内閣が、「この人です」と指名する。それから最高裁判所の裁判官はどうであるかといえば、内閣が任命するのです。それ以下の下級裁判官も、最高裁で出した名簿に基づいて内閣が任命する。そういうように内閣及び内閣総理大臣の地位というのは、アメリカの大統領に近くなってきている。そのほか大きな変化が行われた。

 それは何であるかというと、防衛庁です。昔は天皇が統帥権を持っていて、軍というものは天皇のもとに直結していた。そういう作戦要務に関することは、内閣総理大臣も内閣もくちばしをはさむわけにいかない。内閣の外の仕事であった。いまや防衛庁の仕事、国防というものは、内閣総理大臣が最高指揮権者として掌握するという形になっているわけです。これは大きな変化ですね。そういうようにして最高裁の構成人事、あるいは国防という問題について、著しく内閣総理大臣の権限というのが張り出てきた。

 そういうようなことを総覧して、憲法で内閣総理大臣の仕事をどういうふうに書いてあるかというと、憲法七二条に「内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する」と書いてある。この中で顕著なことは、外交関係を国会に報告すると書いてあることです。しかも外務大臣は、総理大臣が任命する。そうすると、外務大臣というものは総理大臣に対する補助者です。外交関係については、特に憲法上、このように内閣総理大臣は内閣の首長として、「議案を国会に提出し、一般国務並びに外交関係について国会に報告し、行政各部を指揮監督する」と書いてあり、外交関係というものは総理大臣が直接掌握して、大きな責任をもつということです。これはアメリカ大統領あるいはフランスの大統領、各国の大統領がやっていることであります。つまり、首脳外交の時代というものに、これは合うようになっているわけなのです。最近、外交問題や何かについて、総理大臣がいろいろ表へ出てくる。サミットへ行ったり、あるいは首脳会談をやったりするでしょう。その相手はだいたい大統領です。イギリスの場合は総理大臣です。あるいはカナダの場合も総理大臣だけれども、昔の英国系の国というものは総理大臣制でやっている。その総理大臣はかなりの権限をやはり持っているわけです。

 そういう意味で、首脳外交とかサミットというものを考えてみると、総理大臣の地位が戦前の総理大臣とまるっきり違った。昔は外務大臣が天皇に任命されて、直接天皇に報告したりして責任をとった。内閣総理大臣は内閣全体の統一を保持するという仕事だけであって、外交の仕事の内容それ自体は、天皇に外務大臣が直結して報告していた。そういうような大きな変化が憲法上も出てきている。そういうような変化に相応するような政治が行われていかなければいけない。私はそういうことを意識して、総理大臣がイニシアチブをとって政治をやってきたつもりだけれども、新聞やジャーナリズムの一部が、ややもすれば総理大臣が突出しているというようなことを論評する向きがないでもない。しかし、それは新しい憲法の構造というものをもう少し勉強願いたいと思う。旧憲法的頭でいたら間違いです。むしろ大統領制的な総理大臣の地位になっている。裁判官についても、いま言ったような選任上の地位にある。各大臣の任免権を持っている。あるいは大臣が訴追されようとするときには、総理大臣が同意しなければ訴追できないことになっている。検事局が訴追しようとしても、現役の国務大臣については、総理大臣が同意しなければできないことになっている。それぐらい、今の総理大臣というものは戦前の総理大臣と違う。そういう認識をまず持つことが大事なのであります。特に外交問題と防衛問題についてはまるっきり変わった。防衛については、昔は天皇が直接握って、統帥権を総覧した。今日は自衛隊の最高指揮権は総理大臣である。外交についても、いま言ったように最高責任者は総理大臣であります。そして国会に対して報告する責任というものが明記されているのであります。

【大衆民主主義と情報化の時代】

 そういうような大きな変化があったうえに、次に大事なことは、時代が大きく変わってきたということです。言い換えれば、大衆民主主義の時代になった。情報化の時代になった。高学歴社会になった。日本は熟成社会になってきたということです。そして、所得が平準化して、大きな大尽もいなければ、小さな貧乏人もいない。みんな同じぐらいの中産階層になって、九〇パーセントに近い人が、「自分は中産階層に属している」という認識を持った。こういう熟成された高度の知的社会が今の日本の社会です。こんなにジャーナリズムから毎日毎日、情報の入る国はないです。テレビのチャンネルはいくつもあり、時事解説があり、ニュース解説があり、ニュースは何回となく流れる。こんな情報がフランクに、外国からの情報まで衛星を通じて直接入ってくる国はない。これだけ高度で、中央と地方における知的水準も一致してきている。これは戦後の教育、六・三・三・四制の力である。あるいは青年会議所(JC)、若い青年諸君がそういうものの力を全国に広めましたね。婦人の意欲も非常に高まってきました。そういう大衆民主主義の時代に入って、情報時代に入り、それに合う政治をやるということが、いまや非常に大事になってきた。まだるっこしいこと、あいまいなこと、わけの分からないことを言ったら政治は動かない。そこには、フラストレーションがたまるばかりです。そのフラストレーションをたまらせないで、そして流通のいい、風通しのいい政治をする。つまり、テンポとリズムです。それが戦前に比べて非常に要請されてきた。

【首相像について】

 昔は、総理大臣というと、奥の院に鎮座してデーンと座っていて、大衆の前には余り顔は出さないで、ニコニコした顔なんかしないで、謹厳な人という印象であった。一番いい例が浜口雄幸さんです。ところが、外国の政治家はどうであるかというと、外国の政治家は、大衆の前に出ればウィンクしたりしますね。ルーズベルトでも、チャーチルでもそうであるし、今のサッチャーさんでもレーガンさんでも、コールさんでもみんなそうです。それは大衆民主主義の時代に入ってきているからであります。

 私は総理大臣になったときに、ある友人が、「おまえ、これを参考にしろ」と言ってくれたものがある。それは有名な漢学者、安岡正篤先生が書いたものですが、総理大臣というものはこういうものであるべきだというのをもらったことがある。今日は思い出して、書庫の中から引っ張りだして、あれはどういうのだったかなと思って、持ってきて読んだ。安岡正篤先生曰く、「宰相の姿は、その位には淡々落々として私心がなく、自信を温容で包み、おかしがたい威厳を備えながら、どこかユーモアがあり、しかも一抹の寂しさを含んでいる人物である」こう言っている。面白いね。一抹の寂しさを持っていなければいけない。しかし、ユーモアもなければいけない。ユーモアも必要だ。政治に不可欠のものです。これが安岡先生が言われた総理大臣の影像です。

 確かにこれは一つの極致の姿ではある。しかし、日常の活動というものを見れば、あのときの総理大臣と今日の総理大臣は違いますね。今日の総理大臣というものは、そういう静的(スタティック)なものではなくして、むしろ国民の先頭に立って、バイタリティーに満ちて、そして気迫が充満して、頼もしい姿である−−というのがむしろ若い人に合うのではないでしょうか。また、ご婦人も頼もしく思うのではないでしょうか。謹厳で、一抹の寂しさが漂っているというのが、はたして分かるだろうか。これはお年寄りや見識のある人にはよく理解されるところであるけれども、国をいま盛り立てていくという面から見ると、総理大臣というものはいろいろな面が要る。いま言ったバイタリティーに満ちて、陣頭を進んでいくという姿もあれば、やはりユーモアもあれば一抹の寂しさも漂っているという面もなければならない。総理大臣ともなると複雑なものですね。日本中が見ているのだから、みんな好み好みを持っているのだから、それに合うようなことを考えたら、八面鏡みたいに光り輝かなければ合わないかもしれませんがね。しかし、人間の本質というものは一つである。本質は同じです。いま安岡先生がおっしゃったようなものでしょう。しかし、運用というものは、その場面によって変わるのです。そういう大衆社会に合うという、新しい時代が出てきたということです。言い換えれば、主権者が国民になった。ここに大きな変化があるわけです。戦前は、主権は天皇にあった。今日は主権は国民にある。そこに大きな変化がある。そこへ大衆民主主義の時代、情報化時代、そういう高度の熟成された社会が現出したということです。

 そういうような点から考えてみると、政治の中には国民に直接訴えて、国民の意見をよく分析しながら、常にそれを吸収していくという力がなければ駄目です。それが大衆民主主義であって、それはある意味においては国民投票型国家の性格を為政者の側としては念頭に持つ。常に国民の反応を考えて、何を欲し、何を憂え、何を喜んでいるか。常に第一線の国民の皆さんの表情を考えながら政治を考えていく。それは言い換えれば、国民投票型ともいえるでしょう。毎日毎日が国民投票である、そう思って国民のご意思を忖度しながら、その結果を見ながら進めるというやり方です。何も毎日、国民投票しろというのではないですよ。また、国民投票型ばかりを乱用すると、独裁者が出るという危険性もよく言われている。もちろん。そういうことはよく我々は点検しなければならないところではあるけれども、政治の姿勢としては、そういうものである。それだけ大きな変化がここに行われたということを申し上げているわけです。

 そこで、次に政治をどうやるかということです。余り話は面白くないだろうね。面白くないけれども、初めて聞いたという人は多いでしょう。これが薬なんだから。良薬は口に苦しだから、一生懸命聞いてもらいたいと思う。

【戦略的着眼と政策の決定】

 そういうような時代、テンポの速い時代に対応する政治のあり方とはどういうことであるかというと、まず第一に大事なことは、戦略的着眼と政策の展開ということです。政治をやる前に、どういう戦略でいくか。その着眼点をまず明確に決めて、それを政策展開していく。その第一は、目標の明確化と決定であります。国民は何を欲しているか。いつ、どれぐらいに、何をやるか。今年は何が重点か。五年後にはどういうことをやるか。そういう目標の明確化、それと決定。それがまず第一に大事です。

【目標の明確化と決定】

 私は、そういう意味で「戦後政治の総決算」という大段びらみたいなものを出したわけだ。あるいは「国際国家日本」ということを言った。あるいは最初の施政方針演説で、日本の目標は何かといえば、「たくましい文化と福祉の国をつくる」ということを申し上げた。やり方はどうであるかといえば、困難にたじろがない。もう波がどんどん押し寄せてくる時代だから、波に向かってへさきを向けて、エンジン全開で突っ走る、そういうことを施政方針のときから申し上げた。それはそういう明確な意識を持って言ってるからです。

 私がそういう発想を持ったのは、昭和二十年代にハーバード大学へ行きまして、そこで講演をしたときに首相公選論をやった。そして、昭和三十年代に憲法調査会ができたときに私は委員になって、私の首相公選論を展開した。総理大臣は国民投票で選ぶべきであるということを展開した。永田町だけで選ぶべきではない。国民投票で選ぶべきであると、憲法改正論として展開した。なぜそういうことになったか。一九六〇年のアメリカの大統領選挙は、ケネディをつくった。そのときセオドア・H・ホワイト著の「メーキング・オブ・プレジデント・一九六〇」という厚い本がありますが、いかにケネディ・マシーンというものが大統領をつくり上げていったかという過程を読んだ。あれを読むと完全に、私がいま言ったような戦略的展開をやって、目標の明確化ということをやっている。私がやっていることは間違いないと思ったわけです。

【テンポとリズムの政治】

 第二に大事なことは、テンポとリズムにあわせる政治。つまり、先手必勝ということです。それと同時に、国民的課題を投げかけて、国民全体の参加を求める。それで国民の反応を見、その反応によってこっちが修正するところは修正する、また追加するところは追加する。常に国民に投げかけて、皆さんの参加を求める。だから、行政改革にしても教育改革にしても、審議会をつくりました。臨調をつくり、行革審をつくり、今度も教育臨調をつくり、ともかくそういうものをつくった。これは国民の参加を求めている。それが中間答申を出すとか何とかというたびに新聞がわあーと書いてくれる、テレビがわあーっと報道してくれる。そうすると、みんなが茶の間で議論をする。いじめがどうだとか、共通一次はどうだとか、東大は悪いけれども、京大はいいのではないかとか、二つに試験を分けるのはいいとか悪いとか、いろいろそういう議論が分かるでしょう。それは国民に参加をお願いしているわけです。これが国会だけで、自民党と野党だけで議論するという形になると、国民のところへ広がらない。どうしても永田町の限界に入ってしまう。これだけ熟成した高度な、知的レベルの高い国民というものを考えてみた場合には、国民に投げかけたほうがいい。そして一緒に議論し、一緒にこの問題を解決しようという考え方でやったつもりです。

 私は、中曽根内閣というものはグライダーであるといった。国民の風がなくなったら落ちてしまいます。この国民の皆さんの風で浮いているグライダーみたいなものですと言ったわけです。風が怪しくなったのが売上税であって、グライダーは地をはおうとしたわけだ。あわててカーブを切り替えたわけだ、正直に言えばね。失敗もあれば成功もあるわけだ。それが第二です。要するに国民的課題というのを持って、テンポとリズムを考え、先手先手で問題を投げかけていく。そして、フラストレーションを起こさないように常にやっていくということ。

【中長期展望】

 第三番目は、中長期の計画を提示していくということです。つまり、今日の問題だけではない。二年後にどうなるか。三年後に何が出てくるか。五年後にどうするかという問題です。例えば六十五年、赤字公債依存体質脱却とか、あるいは防衛にしたら五カ年計画をつくって、中期防で五年目にはこういうふうにする、防衛計画の大綱水準を達成する、そういうような目標をつくっていく。そして国民の皆様方の頭にのみ込んでもらっていくという必要がある。つまり、遠近法というものが大事なんです。

【人間の配置と国民の政治への参加】

 その次に大事なものは、人間の配置です。そういう政策を国民に投げかけ、国民世論を起こして、みんなと一緒にやるという姿勢でやっていくについて、自民党、内閣ではどういうスタッフでやるのか。そうなると、閣僚の選任とか、あるいは党の役員の選任とか、そういう問題を慎重にやらなければならない。この仕事をやると、まず目標を考える。この内閣は、この時代には、この仕事をやる。それには党はどうしたらいいか。幹事長は誰がいいか、政調会長は誰がいいか、それは問題によって決まってくる。こういう仕事がある。内閣はこれをやらなければならない。外務大臣は誰にすべきか、大蔵大臣は誰にすべきか、文部大臣は誰にすべきか、そういうふうに仕事本位で人間が決まっていくということが大事なのです。政治をやると必ずしもそうもいきませんがね。しかし、少なくともそういう基準で最大限、努力をする。

 それと同時に対外関係の閣僚、ポストというものはなるたけ同じ人間がやるということが大事です。シュルツ長官などは五年ぐらいやっているでしょう。ともかく外国の大臣というものは、特に対外関係は四、五年はやります。そういう点を考えてみると、日本はネコの目のように替わる。替わったら、もう一年生になってしまう。国際会議に出ても一番すみっこへ座らなければいけない。発言権がない。ともかく国際社会においては、ロン・ヤスとかファーストネームで呼ばなければ駄目だ。それをミスター・プレジデントとか言っているのでは駄目なのです。ミスター・プライム・ミニスターなどと言っているのでは駄目なのである。キッシンジャーなどはヘンリーとか、やはりファーストネームで呼びます。そういう関係になるには、やはり長くやらなければならない。何回も合わなければならない。家族付き合いをしなければならない。外国の大臣や総理大臣はみんな私のところへ、家族の写真をクリスマスカードで送ってくる。日本人のクリスマスカードというのは富士山の絵とか羽子板だとか、そういうものでやるでしょう。そういうようなやり方でこちらも家族の写真を送らなければ駄目です。ことほどさように、人間の配置、あるいはあり方というものを考えていく。

【国民参加と野党】

 それと同時に、外部の皆さんの世論、支援は得なければならない。そのためには、臨調とか審議会というものをつくったわけです。臨調をつくったために土光(敏夫)さんに出てきていただいて、土光さんにどれくらい我々は恩恵にあずかったか分からない。国民全体が土光さんを応援してくれました。中曽根なんかよりも土光さんを応援してくれたわけです。その土光さんの恩恵にあずかったわけなのです。臨調には百人以上の多くの人が参加をした。その人たちが里に帰り、職場に帰れば、みんな今こういうことをやっているということを言ってくれる。中にはテレビに出て言ってくださる方もある。一政党や一内閣だけの力などというものはこれっぽっちのものです。それを何十人という日本のスタッフの一番優秀な人たちが参加して、難しい問題について、国民に接触して話してくれれば、こんないいPR係はないわけだ。別にそういう目的でやったのではないけれども、国民と一緒にやるというアンガジュマン(参加)が大事なのです。外国の社会においては、非常にボランティアが盛んですね。家庭の主婦でもPTAの役員をしているとか、赤十字の幹部をやっているとか、ボーイスカウトをやっているとか、ガールスカウトをやっているとか、みんなボランティア活動をやっている。身体障害者の面倒を見ていらっしゃるとか、社会福祉をやっている人は非常に多いです。

 つまり、外国の基本的習慣の一つに参加ということがある。自分の家庭、自分の本来の仕事はこれであるが、しかし、それ以外に自分は社会にこれで奉仕する、それで人間として完成するんだという意識がある。日本人はそうではない。自分のうちと自分のことだけを一生懸命、一番よくやれば、それでいいのだという、その差がある。しかし、いまやこれだけの近代社会になってきたら、やはり参加することが大事です。主婦も青年も女性も、自分の法務のほかに社会奉仕とか趣味とか、そういうもので参加するというものを持つ時代になってきている。豊かになってきていますし、おカネも入ってくるようになってきているのですから。それで自分の満足感というものが得られているわけです。そういう参加のチャンスをいかにつくるかということが政治としても大事です。

 それと同時に野党との連絡ということも大事です。外国に対するPRということも非常に大事です。今日の日本において外国に対するPRというものは、政治の半分ぐらい大事な要素に実はなってきている。それについては非常に努力していることが分かるでしょう。田村通産大臣はここ、一、二カ月の間に何回アメリカへ行ったですか。二回行っていますよ。そして、行けば行くだけ情は濃くなっていく。「日本のやつはけしからん。また、いやなやつが来た」と初めは思っている人でも、二回目に行けば、「また、来たか。ご苦労ですな」ということになる。「外為法をよく通してくれたな。随分早くやってくれましたね」ということになる。こういう時代になったので、今までの政治のペースでやってはいけない。特に国際関係においてはテンポとリズムが大事である。そういう時代になったと申し上げるのであります。

【テレビの時代】

 そのほか、党の役員とか、閣僚とか、あるいは総理大臣になった者は、テレビに出なければならない。政治で一番大事な要素の中の一つに出てきたのは、テレビという問題です。これは国民に直接訴える。新聞には、顔は出てこない。また、本人が直接言ったことでないことが書いてあることもしばしばある。それから新聞の論評で、新聞の目で見たことが随分書かれている。テレビは正直だから、言ったとおり直接出てしまう。「俺は知らないよ」とは言えない。あのとおり言ったではないか、ということになる。それだけ緊迫性がある。訴える力がある。それを最大限に活用するというのがレーガンさんです。あるいはサッチャーさんです。近代政治というものはテレビを無視しては行えない。世論形成というものは非常にテレビでできてきている。そういう意味において、テレビあるいはインタビューというものをいかにこなしていくかという、特別の勉強もやる必要がある。これは外国の政治家はみんなやっています。アイゼンハワーの時代からいろいろやっていたといわれている。そういうふうに、現在、政治というものは昔とは変わってきたということをここで申し上げる。

【日本の政治の方向】

 そこで、そういうことを前提にして、日本の政治をどういうふうに向けていくべきか、向かうべき方向について申し上げます。まず第一に、現代の現状分析である。現状分析を考えると、新聞に一番出てくる言葉は、サラリーマン給与。クロヨンだとか、サラリーマンという言葉です。それから長寿社会、高齢化時代、それから土地、土地の暴騰、それから物価、老後、こういう問題が今たくさん出てきている。老後ですよ。お互い、六十になったらあとどうなるのだろうか。自分の時代は年金はどうなるのだろうか。国保はそこまで続いているだろうか。それから一番関心が強いのは物価です。それから土地の値段です。「働けど働けど、うちは建たざりけり、ジッと手を見る」ということになる。そして高齢化、サラリーマン。こういうものが政治の対象として非常に重要になってきて、これをどういうふうにこなしていくかというスケジュールをつくることが大事です。我々はそのつもりでやってきたけれども、まだ緒戦に入った程度です。緒についたという程度です。

【社会主義に対する幻滅】

 それと同時に、現代を見ると非常に大きな変化は、この世紀に入ってから、一九一七年にロシア革命が行われ、それ以来、社会主義、共産主義というものが出てきて非常に魅力があった。特にインテリゲンチャに魅力があった。最近は共産主義や社会主義に対する幻滅が出てきた。それは一つは何かというと、アフガニスタンへソ連が侵入して侵略をした。それからカンボジアに対してベトナムが侵略した。これでいっぺんに、共産主義や社会主義は言うことと、やることが違うではないかと幻滅が出てきた。

 今度は国内経済です。国内経済は発展しない。そして自由が抑圧されるとか、人権がないとか、サハロフ博士の問題があれだけ新聞に出る。そして経済が進まないということがよく言われて、共産主義、社会主義社会においてもペレストロイカ(再編・改革)あるいはグラスノスチ(情報公開)が言われ、何でも新聞に出させる、隠してはいかんと。隠してはいかんというのなら、今まで隠していたということかもしれませんね。あるいは開放政策はあくまでも続けますと。こういうことは自由社会がやっていることだ。そうすると、自由社会というものをよく見てむこうも気がついてきて、欠陥というものを直そうとしているのかなというふうに考えざるを得ない。つまり、共産主義、社会主義に対する幻滅、国有化というものがいかに不能率で、官僚主義になって、硬直するかということが分かった。日本の国鉄改革を見れば、一目瞭然で分かるわけだ。こういうものに対して社会主義政党はどう対応するのだろうか。日本の社会党の皆さんは何を考えているのだろうか。どうも明確な考えはまだ出てきていませんね。

【核兵器の削減、廃止】

 それからもう一つ大事な点は、核兵器の問題です。核兵器は業の兵器だと私は言っている。一人が持つというと、対抗上こっちも持たなくてはならない。しかし、増やしたくはない。科学が発達して、精巧なものがどんどん出てくる。ほっておくわけにいかない。そういうわけで、核兵器というものは広島で爆発してからは増えるばかりだ。せいぜい一定以上増やすまいという程度であった。今度初めて、レーガンさんとゴルバチョフさんが減らそうという方向に変わってきた。これは大変化です。大転換です。初めて減らそうという話になったのだから。これはぜひ実現させなければならない。質的変化です。それで最初の一歩は小さな一歩だけれども、大きな一歩に前進できる可能性を持っている。だから私はINFについて一生懸命努力してきた。特にシベリアにソ連の核兵器を残してはならない。アジアを犠牲にしてはならないということは、ウィリアムズバーグ・サミットのときからレーガンさんにしつこく言い、また前に会ったとき、ゴルバチョフさんにも直接言ってきたところです。そういうような努力をやってきた。核兵器は一定以上たまると意味がない。何も一万発も要りはせん。そんなにあったら、地球は何十回もぶっこわされてしまう。意味がないということが分かってきた。そこで減らそうと。こんな業をいつまでもしょっているバカはない。そうやっているうちに経済が、アメリカもソ連も両方とも悪くなってしまった。日本がどんどん出てきた。ドイツがどんどん出てきた。ばからしいではないか、という意識もあって、本格的に核兵器を減らす逆流の時代にしていかなければならないと思っている。

 それには同じ均衡を維持しながら、レベルダウンをして、最終的にゼロにするということです。その過程においてアンバランスがあったり猜疑心が起こるというと、戦争の危険が起こる。その過程の管理が非常に大事なわけです。ゼロにしていくまでの間にアンバランスとか猜疑心とか、相手がボタンを押しはしないかとか起こさせないようにしながらゼロに持っていくというのが、これからの政治家の腕前である。その第一歩が今度のINF交渉で行われようとしている。ということは、もはや核兵器の恐怖というものは、イデオロギーを超えてきたということなのです。

【イデオロギーは死んだ】

 経済にしてもそうです。共産主義、社会主義のイデオロギーというものがあって、国家統制というものを中心にやってきたけれども、やはり人間性を無視できない。それは三年や五年はもつけれども、六十年、七十年とはもたない。そこでソ連も六十年、七十年たってみて、ようやく今の人間性とか、自由だ、競争だ、市場原理だと、そういうものに返る、そういうようなペレストロイカに入ってきたのではないだろうか。しかし、どこまで行くか。これは分かりません。これから実証して見せてもらうのを我々は見守っているということであります。

 しかし、経済の原理においても国際の軍縮の問題においても、いまやイデオロギーを圧伏するだけのもっと尊いものが出てきたということは偉大なことです。これを我々は更に大きく成長させるということが国際政治における、また国内政治における我々の大きな仕事として出てきたということを申し上げたい。この芽を育てどんどん大木にすることです。

【自由化と開放化、参加の政治を推進】

 そこで最後に、どういう政治をこれからしていくかということを考えると、私は私の考え、主張をもってやってきたから、言い換えれば、「戦後政治の総決算」を更に前進させる。屍を越えていくということだろうと私は思っている。

 それはどういう方向であるかといえば、三つの方向がある。まず内政については、自由化と開放化と参加(アンガジュマン)ということを更に促進する諸般の改革を実行するということです。これは経済についても教育についても、国際関係についても同じである。例えば臨時教育審議会というものができて、答申が行われ、いよいよ実行する。実行するについても、大事なことはデレギュレーション、国政全般について規制を緩和する。規制を解除して、自由にやらせる。言い換えれば、国鉄と同じです。国有鉄道という拘束を切り破って、民間にしてしまう。ことほどさように国内政策全般についてデレギュレーションを進めるということです。国民の能力、国民のイニシアチブ、国民の活力というものを中心に政治を動かしていく。これが自由化であり、開放化であり、参加ということであります。

【春夏秋冬の哲学】

 この中で政治家として考えなければならないことは、人間の世界でも政治でも四季があるわけです。春夏秋冬というものがある。春があり、サクラが咲き、ウグイスが鳴き、夏があり、秋になれば月が冴える、冬になれば雪が降る。これで体は丈夫になり、きめは細かくなり、強靱な面が生まれるわけです。これが春と夏だけだったら、ウドの大木みたいにボーッとしたものになるだけだ。秋が来、コオロギが鳴き、そして寂しみを人間がおぼえる。そこで哲学性とか宗教性も生まれるわけだ。冬が来て、木は雪の中で耐えていくところに年輪が固くなっていくという点がある。この大自然の四季というものは、経済にも政治にもあり得る。年中おめでたい、花が咲いて、あったかい夏ばかりであるという、そんな政治はあり得ない。そういう国の政治は淫逸になり、堕落します。それはかつての衰退期のローマみたいになるでしょう。政治もそうだし、経済もそうです。試練を受けなければ駄目です。これは必ずしも我々は喜んで迎えるものではないけれども、石油危機だとか円高であるとか、流れの中で、サーキュレーションの中で神様が与えてくれる。しかし、これは冬である、これは秋である。それがなければ引き締まらないのだ。現に石油危機を日本は受けたから、非常に省資源が発達した。そうして経済は緊縮になり、精神も緊張して、労働組合も変わったでしょう。そして行政改革はどんどん推進されたでしょう。行政改革が推進されて、NTTが民間に移り、国鉄が民間に移ったら、労働組合は変わってしまったではないですか。行革というものは、組合関係において大変化を起こしている。いまや総評や官公労はだんだん力がなくなって、日教組ごときは大会も開けないという状況になってきている。そうして全民労協という巨大なものが民間労組を中心に生まれつつあるでしょう。

【国民に勇気と希望を与えよ】

 これは石油危機、臨調、あるいは臨教審、そういうものに結集してきた国民の力、言い換えれば秋に耐え、冬に耐えていくという挑戦できる精神、不屈の面魂、根性というものがこういうふうに世の中を変えている。だから、きついことであり、いやなことであるけれども、我々はあえてそれを受け、克服するだけの勇気を持たなければならない。政治家は国民に勇気と希望を与えていかなければならないのです。政治にとって一番大事なことは何かといえば、政策や演説もある、いろいろあるけれども、レーガンさんがやり、サッチャーさんがやった国民に勇気と希望を与えていくということです。カーターさんの末期には、アメリカはもうイランにはやられ、ソ連はどんどん軍備を拡大してきてしまって、見る姿がなかった。そのときにレーガンさんが出てきて、偉大なるアメリカをもう一回築こうといってアメリカはまた世界の国々を結集して、自由世界を団結させてここまできた。それでソ連がとうとう軍縮に応ずるような形になってきたのでしょう。我々はサッチャーさんと一緒にレーガンさんと協力して、そういうふうに積極的に努力してきたのです。そういう意味において、国民は支持してくれました。希望を持ったと思うのです。日本もこれだけの大国になって、日本の発言権も強くなってきた。そういう勇気と希望を与えるということは、やはり一番大事な仕事だ。何にもまして大事な仕事である、そう思うのです。

【「八六年体制」への前進】

 第二番目は、この前ここで申し上げた「八六体制」というものに前進していくということです。さっき申し上げたけれども、春夏秋冬という場合に、秋や冬の話をするのは、政治家にはきついことです。雪が降るから我慢してくださいとか、秋は冷たい風が来るから風邪を引かないようにしてくださいということは、票を失うから損なことなのです。みんな、春や夏のことを言いたい。政治家の中には、年中春と夏しかないようなことを言っている人もいる。しかし、秋と冬があってはじめて春があるのである。そういう最も単純な理屈を国民の皆様は知っていただかなければならない。誰が本当のことを言っているか。それを見分けてもらわなければならない。そういう本当のことを言って、国民にはきついけれども、「あいつは本当のことを言っている」という人を支持していただかなければ民主主義は成り立たないのであります。

 「八六年体制」というのはどういうことか。今までは「五五年体制」(昭和三十年)、つまり保守合同の体制であった。私は、昨年、総選挙のあとの結果をみて、これは与党と野党の政策が余りにも離れすぎて、自民党がワンサイド・ゲームでやってきた。しかし、いまや時代は変わった。いま申し上げたような時代で、国民は非常に高い水準になって、モノをよく見分けてくれる段階になった。イデオロギーは死んだ。デマゴギーも死んだ。真実が生きてくる。これだけ情報過多の日本になって、国民はみんな情報を耳にして、判断力をもってきている。そうなると、センターラインに自民党も接近している。都市のサラリーマン層、婦人層、青年層まで自民党は十分支持を受けるようにウィングを左へ伸ばす。それで三百四とれた。この間の選挙のときはそれを非常に意識して、私は注意深く演説もした。これを減らしてはならない。これは三百五十までいけるのだという人がいる。余り欲張ると笑われるかもしれないが、可能性としては、大阪などはまだ三人区で一人しかとっていないとか、五人区で一人しか出ていないところがある。大阪の人は、どこの選挙区か知っているでしょう。だいたい大阪の地域はみんなそうです。東京などは、一区は三人区で二人出ているでしょう。二区も五人区で二人出ている。そういうように見るというと、努力のしがいはまだまだある。うっかりするというと、また転落しますからね。それには政策だ。

 つまり、都市のサラリーマンや婦人や、いわゆるグレー・ゾーンといわれている、今までは政治に興味もない、いわんや自民党なんかにも興味のない人たちに接近し、その人たちに何回もあって話をして、味方にしていくということが必要である。センターラインを左にオーバーせよということです。社会党は右へこようとしている。韓国をどうする、原子力をどうする、安保条約と自衛隊をどうする、そういう問題について「山口見解」というのが出てきた。これは右へこようとしている。それがどこまで行くか。まだまだ眉唾の要素があるけれども、社会党が党大会でどういう方向へ進んでいくか。石橋委員長のときも非常に努力したのだけれども、あれだけ勇気のある人でもやりきれなかった。今度の女性の党首がおやりになるかどうか、はなはだ刮目して見ているところであります。

 つまり、センターラインを中心にして我々は左にオーバーランをする。むこうは右側にセンターラインをオーバーランをする。それで穏健な、国民が安心できるような政党関係が出てくる。また我々が野党に渡しても心配ないという情勢が将来は生まれるかもしれない。それが日本の安定のもとになる。また、我々が多数を失わない根拠になる。そういう意味において、新しい「八六年体制」というものをめがけて、我々は営々として努力していかなければならない。

【「国際国家」としての責任】

 第三番目は何かというと、「国際国家」へ前進する。これは前から申し上げているとおり、確かに日本の発言は強まってきた。それと同時に責任も大きくなってきたということを知らなければならない。ますますもって「国際国家」らしい「国際国家」に前進していかなければならないのであります。

 これだけ高度情報社会になってはっきり言えることは、デマゴギーが消えたということです。余り調子のいいことばかり言って民衆を扇動するようなことばかり言っている人は、その当座はもつけれども、そう長続きはするものではない。それからイデオロギーは死んだということです。これはソ連も中国もああいうふうな関係で、経済的現実、核兵器という大きな重さ、こういうもので要するに人間の真実というものについてイデオロギーは無条件降伏しなければならないという事態になってきたということです。

【保守本流とは何ぞや】

 そういうこととあわせて最後に申し上げたいのは、自民党の中でよく、「保守本流は自分だ」「私は保守本流であります」と言うのだけれども、私はあんなナンセンスな言葉はないと思っている。保守本流とは一体何であるか。吉田(茂)さんが保守本流であるのか、岸(信介)さんが保守本流であるのか、池田(勇人)さんが保守本流であるのか、あるいは佐藤(栄作)さんが保守本流であるのか。保守本流とは何ぞや。みんな本流になりたがっているらしいのだけれども、それではそういう吉田さんの政治、岸さんの政治、池田さんの政治、佐藤さんの政治が何を原点にして、どういう政策をやったか。それを明確に論述して、そこで俺はこれをやるから保守本流なんだというのならある程度は分かる。しかし、保守本流というのが、本家みたいなもので偉いのだというような調子で、「自分は保守本流だ」というぐらいナンセンスなことはない。看板争いよりも中身が大切だ。保守本流などに固執しているものは、自信がないからではないか。私は、そう思うね。

 それよりも、現代はどういう時代であるか、それに対する政治の原理はどうあるべきか。それに対する政治の応用動作はどうあるべきか。それを国民に訴えて、国民に一番支持されたものが保守本流である、そう考えればいい。保守本流は何であるかといえば、国民である、そう考えたほうがいいのです。自民党の内部に、一派閥の中に保守本流があるなどと思ったら、とんでもない話だ。

 そういうような、人に頼み、プラカードとか標語とか言葉だけに頼るということは、政治の真実からは遠いものであります。もっと勇気を持って、自分のものを持たなければならない。そして自分の政治を開拓していかなければならない。そうして、国民に勇気と希望を与えなければならない。これが私の結論であります。

 以上で、私の話を終わりにいたします。大いに頑張ってください。