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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] チュラロンコーン大学名誉政治学博士号授与式における中曽根内閣総理大臣のスピーチ,新世紀のアジア,活力と調和の時代へ

[場所] チュラロンコーン大学
[年月日] 1987年9月26日
[出典] 中曽根演説集,259−266頁.
[備考] 
[全文]

 チュラロンコーン大学ブンロート理事長、カセム学長、タナット・アジア工科大学理事長並びに御列席の皆様

 ただ今は温かい歓迎のお言葉と懇切なる御紹介を頂き、心から御礼申し上げます。

 本日、日・タイ修好百周年に当たっての貴国訪問に際し、タイ近代化の礎を築いたチュラロンコーン大王の建学にかかる貴国最古の大学、チュラロンコーン大学を訪れる機会を得ましたことは、私と妻にとって、非常な喜びであります。

 本学は、タイの最高学府として輝かしい業績を挙げるとともに、タイの国造りの原動力となる数多くの人材を輩出しており、アジアにおける最高の学術{前1文字に傍点}の拠点の一つとして、その名声は広く日本にも及んでおります。

 私は、四年前の一九八三年の貴国訪問時に、この伝統ある本学の一部の学生諸君と懇談し、日・タイ関係やアジアにおける日本の役割などにつき意見を交える機会を得ましたが、その際、学生諸君の学問に対する情熱に強く感銘するとともに、同じアジア人としての物の考え方、感じ方に大きな共感を覚えました。

 いま、ここに、私にとって忘れがたく、また親愛の情を禁じ得ない本学から名誉政治学博士号を授与され、世界の高名な政治家、学者と栄誉を分かつことができましたことは無上の光栄であり、感激であります。

 私の今回の貴国訪問の目的の一つは、チュラロンコーン大王と同じく「大王」の称号を受けられた英君プーミポン国王陛下が本年御還暦を迎えられることについて、貴国民と同じく皇室を敬愛する日本国民からの同慶の念をお伝えすることにありました。私は、昨日、国王陛下にお祝いの言葉を申し述べることができ、また本日は、御王室ゆかりの本学を訪れて、思いがけない名誉に浴することができました。私にとって二重の喜びであります。

【日・タイ修好百周年】

 御列席の皆様

 一八八七年九月二十六日は、両国間に正式な国交が樹立された記念すべき日であります。本日はその「日・タイ修好通商宣言」の調印以来百周年にあたり、ここに両国の交流史は新たな節目を迎えることとなりました。私は、本席の後、プレム首相を始めとするタイ政府関係者、並びに両国国民の代表各位とともに記念式典に臨んでこの慶節を祝賀することとなっており、同時に東京においても、我が国皇太子殿下並びに御訪日中のワチラロンコーン皇太子殿下の御臨席を得て記念式典が営まれる予定であります。

 我が国と貴国との交流は、すでに六百年以上の長きにわたります。アユタヤ王朝の時代に隆盛を迎えた両国の交易は、財貨のみならず人的、文化的交流をもたらし、今日の友好関係の基礎となっております。

 しかし、本日このような歴史的瞬間に貴国の地にあって、私の胸にとりわけ切実な重みをもって迫ってまいりますのは、近代社会の形成と国際関係の緊密化という背景の下で刻まれた国交百年の歴史であります。すなわち、チュラロンコーン大王の下で貴国が近代化の道を歩み始めたのと同じ時期、奇しくも大王と同じ一八六八年に即位された名君、明治天皇の下で、我が国も近代国家建設に取り組み、そして、その後今日まで、両国国民は世界史の大きなうねりの中を歩んできたのであります。

 二十一世紀の日・タイ関係を展望するには、こうしたうねりの行く末を見据えなければなりません。特に、両国が共に所在するアジアは、これまでその多様性と人口の多さから必ずしも経済発展に適した地域とは見られていなかったにもかかわらず、近年、世界でも最も力強い経済発展を遂げ、現在更なる飛躍の時を迎えつつあるかに見えます。また、次世紀の日・タイ両国の命運は、ASEANを中心とするアジアの友邦の命運と密接・不可分なものとなるでありましょう。

 そこで、私は、本日、皆様の前で過去百年間のアジアの軌跡を踏まえつつ、今後のアジアの展望、および日・タイ両国の将来について所信の一端を申し述べたいと思います。

【過去百年のアジアの回顧と展望】

 御列席の皆様

 一口に「百年」と申しましても、私共アジアの人民が歩んできた道は決して平坦ではありませんでした。

 第二次世界大戦前のアジアにおいては、我が国やタイなど独立を維持した一部の国を除いて殆どの民族は西欧列強の影響下にあり、自らの独自性を発揮する道を閉ざされていました。こうした中で我が国は、近代化の歩みを進め、アジアの一員としてその発展を尽くす力を持つにいたりましたが、その後軍国主義という誤った道に踏み入ったことは、誠に遺憾なことであります。日本の戦後の歩みはかかる誤りに対する深い反省を出発点といたしております。

 一九四五年以降、アジアでは多くの国で民族独立の悲願が達成されたものの、東西対立という新たなコンテクストの下で、域内の各地に紛争・対立が見られるようになりました。特に、タイが所在するインドシナ半島は戦後一貫してこのような悲劇の舞台となるという運命に見舞われております。

 かかる試練にも拘わらず、近年タイを始めとするASEAN諸国は目ざましい発展を遂げてきました。本年創立二十周年を迎えるASEANの姿は、アジアの諸国がその特質たる多様性を生かし、潜在性を発揮して、結束・連帯したとき、いかに大きな知恵とエネルギーを生み出しうるかを如実に物語っているものと言えましょう。

 特に、私は、ASEANが、カンボディア問題等、アジア地域全域の平和と安定に関わる問題にも一致して取り組み、その国際的地位を高めていることについて、深い敬意を抱かずにはいられません。本年末マニラで予定されている首脳会議においては、設立二十周年を期し、域内結束の一層の強化につき検討が行われるとのことでありますが、私はその成果に大きく期待するものであります。

 他方、経済面では、ASEAN各国は、先進国経済の後退、一次産品価格の低迷等に起因する成長率の停滞に直面しました、民間活力の増大等を通じて、難局を克服すべく努力を進めており、中でも、王室を中心とした国内の調和や優秀な人的資源に恵まれた貴国は、先年来の構造調整政策が奏功し、現在安定した経済成長を遂げつつあり、他の途上国の羨望の的となっております。

 私は、貴国をはじめとするASEAN諸国の政治・経済面のこうした努力が更に結実し、各国が一層の強靱性をもって飛躍するならば、東南アジアが世界で最も注目され、影響力を発揮する地域になると確信いたします。

【「新世紀のアジア」および日本の立場と役割】

 御列席の皆様

 私たちの住むアジアは、地球上の如何なる地域よりも広大な土地と多くの人口を擁しており、民族、文化、産業等の面で他の地域に見られない多様性を有しております。

 私の待望する新たなアジアは、かかる多様性をむしろその活力の源泉としつつ、各国国民が対立や貧困を克服し、個々の国家や国民がその潜在力を最大限に発揮するとともに、域内の調和を通じてその活力を世界の平和と安定に活用していく地域であります。そしてASEANがこのような「活力と調和の時代」へ向けて新たな歩みを進めつつある今日、我が国もまた、一層の「活力」と「調和」を求める歴史的転機を迎えております。

 このような観点から、次に私は、「新世紀のアジア」の建設に向けての我が国の立場と役割について述べたいと思います。

 第一に、我が国の政治的役割についてであります。

 我が国が、平和国家として軍事大国への道を歩まないとの方針は、現政権を含め日本政府が戦後一貫して示してきた対アジア外交の基本前提であります。我が国が、将来に亘りこれを堅持してまいることは申すまでもありません。

 現在我が国に求められていることは、こうした前提の下で、我が国がその国際的地位にふさわしい政治的役割を果たしていくことであります。私は、東西関係、軍縮・軍備管理等、アジアの平和と安定に大きな関わりを有する問題に関しては、問題解決のための国際的努力に積極的に貢献するのみならず、域外諸国との対話等において、アジアの立場が反映された形で問題の解決が図られるよう訴えていく考えであります。

 こうした努力は、アジア域内の対立、紛争の解決に特に傾注されるべきであります。我が国としては、東南アジア地域の重大な不安定要因であるカンボディア問題に関しては、その包括的政治解決を図る観点から、ASEAN諸国の和平努力を引き続き支援するとともに、関係当事国間の対話の促進、越軍の早期撤退並びにカンボディア人の民族自決を実現すべく積極的貢献を行う決意であります。

 第二は、経済協力を含む経済分野における役割であります。

 まず、我が国は、世界経済がアジアの諸国に稗益しつつ拡大均衡に向かうよう、累積債務問題、新ラウンド等の懸案に鋭意取り組んでいく所存であります。

 我が国は、近年、その経済社会を国際経済社会と調和のとれたものとするため一連の構造調整措置を推進するとともに、南の繁栄なくして北の繁栄なしとの考えに立って、開発途上国の支援に力を傾けてまいりました。かかる立場からしても、我が国がアジアの一国としてアジア各国民がそれぞれの持つ大きな潜在力を最大限に発揮し、経済発展を遂げうるよう協力を進めるべきことは、もちろんであります。

 こうした我が国の協力の焦点が、各国の民生・福祉の向上、および経済基盤の拡充に置かれることは今後も変わりませんが、私は、かかる分野においてすでに一定の成果を収めている国々については、各国の民間セクターの成長促進に一層直接的に資する協力も積極的に検討していくべきであると考えております。

 我が国は、こうした観点から、ASEAN創立二十周年をも記念し、年末の首脳会議の際にASEAN各国における合弁事業を含む民間産業部門の成長を促進し、また将来の資本市場の育成にも資するため、ASEAN諸国と協議の上、総額二十億ドルを下回らない額の新たな資金協力を打ち出すことを検討しております。私は、この資金協力計画が、日・ASEAN双方の叡知を結集してこれを具体化することにより、新たな協力関係の礎になることを心から念願するものであります。

 第三は、文化の交流に関してであります。

 私がアジア地域に大きな期待を抱いておりますのは、アジアが単に天然資源や経済的活力に恵まれているからばかりでなく、数千年の歴史に育まれた豊かな文化的伝統を有しているからであります。一時代の繁栄は確かにその世代の人間に大きな安寧と充足をもたらしますが、その真価は子々孫々の世代に伝えうる文化的遺産を創造するか否かにかかっております。とりわけ、物質文明のもたらしたさまざまなひずみを目にする時、私は、経済的繁栄の下で見失われがちな精神的価値をいま再び見つめ直す必要を痛感いたします。

 私はタイを始め多くのアジア諸国が近代文明を摂取する一方で、民族的独自性や伝統的価値観を維持していることに意を強くいたしております。このような各国が相互の交流を深め、各々の持つ文化的伝統を高め合う時、アジアは、後世人類に伝えうる「時代の文明」の土壌たりうるでありましょう。

 かかる意味をも含め、私は先般のASEAN訪問時に、青年交流のための「二十一世紀の友情計画」を提唱いたしましたが、これによって、我が国を訪れたタイ国青年の数は、すでに六百名に達しております。現在日・タイ両国では、修好百周年を記念し、種々の文化行事が行われておりますが、我が国は、今後ともこうした交流を推進して、「時代の文明」創造のための一助といたしてまいる決意であります。また、十一月には、ASEAN各国に大型文化ミッションを派遣し、我が国とASEANとの文化交流促進につき具体的提言を得たいと考えております。

【結び】

 御列席の皆様

 タイは、「ランド・オブ・スマイル」として知られ、その国民のたおやかな微笑に接した者すべてを虜にする魅力をたたえた国であります。

 今回の訪問において再びその微笑に囲まれ、自らの心が和らぐのを感じる時、私は、こうした微笑が互いの独自性を尊重し、異質なものを包容するタイの国民性に根ざしたものであり、タイが多くの歴史的困難に遭遇しつつも、長きにわたり独立と統一を保ってきた秘密もかかる国民性に求められるのではないかとの思いにかられております。そして多様性に富むアジアが私の理想とする「活力」と「調和」の地域となるために最も必要とされることは、正しくこうした相互尊重、寛容の精神であります。

 本日、ここに「修好百周年」という記念すべき日を迎えるに当たり、私は、日・タイ両国が長年にわたり相互尊重、寛容の精神に立脚する友好関係を育んできたことに大きな喜びを感じております。そして新たな世紀の幕開けを前に、こうした関係がアジアの国々の間に等しく拡がり、その固い結び付きの上に「活力」と「調和」に満ちた時代が一日も早く到来するよう、また、名誉と伝統を誇る貴大学の益々の御発展を祈念しつつ本日の講演を終わりたいと思います。

 御清聴ありがとうございました。