[文書名] 竹下登内閣総理大臣の西安記念講演「新たなる飛躍をめざして」
首席接伴員王蒙部長閣下{王蒙に「オウモウ」とルビ}
侯宗賓陜西省省長閣下{侯宗賓に「コウソウヒン」とルビ}
並びに御在席の皆様
このたび,中国政府の御招待により,日中平和友好条約締結10周年という意義深い年に中国を訪問し,長い歴史と文化を誇る古都西安において所信を述べる機会を得ましたことは,私にとりましてこの上ない喜びであり,光栄であります。中国政府,陜西省,ならびに西安市の関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。また,私は日本政府と国民を代表して中国の皆様に心から友好の御挨拶を申し上げたいと存じます。
私は,当地到着に先立って,永年の夢であった敦煌訪問を実現することができました。敦煌については,すでに我が国でもさまざまな形で紹介されておりますが,初めて莫高窟に足を踏み入れ,飛天の舞う壁面の美に触れたとき,私は一瞬,千年余の時空を超えて,これを描いた人々が直接に語りかけてくるように感じ,思わず大きな感動に包まれました。
私は,古来戦乱の地として知られた西域にかくも優れた文化が花開き,それが幾世代を経て継承・保存されて今日に至ったことの貴さにあらためて深い感銘を受けると共に,これを守り伝えた人々がいかに強くこの世の平和を願っていたかを知らされる思いがしたのであります。
御在席の皆様
私が政治に志したのは終戦直後のことであります。日本海に面した山陰地方のふるさとに帰る途すがら,「国破れて山河あり」(注1)の観を目のあたりにして,二度と戦争を起こしてはならない,二度と国土を荒廃させてはならない,との切実な思いを抱き,平和で豊かな国づくりに一身を捧げようと決意したのがその動機でありました。
平和こそ,日本の進むべき道であり,平和以外に日本の生きて行く道はありません。これが,歴史の経験から学んだ私自身の信念であり,また日本国民の総意でもあります。我が国は,この国民的願いを謳った憲法の下で,軍事大国への道を歩まず,政治,経済,文化の面で持てる力を生かして世界の恒久平和の実現のために貢献するとの立場を守ってきました。
幸い日本国民のたゆまぬ努力と恵まれた国際環境の中で世界屈指の経済力を有する国家へと発展した今,日本は,平和国家としてのこれまでの立場を堅持しつつ,国際社会から寄せられる関心と期待の高まりに応えて国力に相応しい役割と責任を果たし,平和を希求する各国民との密接な協力を通じてより一層積極的に世界に貢献すべきであります。このような認識に立てばこそ,私は総理就任以来,「世界に貢献する日本」の建設を最も重要な政策目標として掲げ,力を尽くしてきたのであります。
本日は,かかる外交理念を踏まえて,まず,日中関係に関する私の考えを申し述べたいと存じます。
御在席の皆様
日中国交正常化以来,日中両国は,体制を異にする国家間の友好のモデルを目指して努力を重ねてまいりましたが,この間日本も中国も力強い発展を続け,両国関係は急速に拡大してきました。そして,さらに大きな発展を図るための基盤は着々と整えられつつあります。日中両国は過去2,000年の交流の経験の上に立ち,来るべき21世紀に向けて新たな飛躍へのスタートを切るべき時にきていると確信するものであります。
とりわけ今日,世界は政治・経済両面において大きな変革の時期にあります。今後の国際社会の占める日中両国の比重の大きさを考えるとき,日中関係は両国の利益のみで完結されるには余りに重要であると言わなければなりません。私は,めまぐるしく変化する国際情勢の中で,とくに目覚ましい興隆を遂げつつあるアジア・太平洋地域に位置する日中両国が協力し,世界の平和と繁栄のために積極的に貢献し得る分野は極めて大きいと思うのであります。
私はここで,我が国がその対中基本政策として,過去の歴史に対する厳しい反省を出発点とし,日中共同声明,日中平和友好条約,日中関係4原則の精神に則って,日中友好協力関係の一層の強化発展をはかり,いかなることがあっても揺らぐことのない関係を築き上げるため,引き続き全力を傾注していくことを改めて表明いたしたいと存じます。
このたび,北京において趙紫陽総書記閣下,●小平主席閣下{●は登におおざと/とう},楊尚昆主席閣下及び李鵬総理閣下と共に,国際情勢と二国間関係につき胸襟を開いて意見の交換を行いました。これらの会議を通じて私は中国の指導者の考えを明確に知り,信頼関係を一層強化することができたと自負しております。
日中両国は体制を異にしており,今後も時として困難な問題や摩擦が生ずることがあるかもしれません。しかし,私は,相互信頼の基礎の上に双方がお互いの国情を尊重しながら,友好関係の発展という大局に立って対処していくならば,いかなる問題も必ず解決できると信じております。今次訪中の経験は,このような私の信頼を一段と深めるものとなりました。
また,我が国は,貴国指導者及び国民が英知を結集し近代化に取り組んでおられる努力と熱意を高く評価し,可能な限りの協力を行ってまいる決意であります。貴国の近代化事業は決して容易なものではないと思いますが,広大で豊かな国土と活力ある10億の国民の底力は必ずそれを成功に導くものと確信いたします。日中両国政府間には1979年以来,経済・技術協力が活発に行われておりますが,この訪中を機に,我が国は貴国に対し新規円借款約8,100億円の供与をお約束いたしました。
貴国の「改革と開放」の政策は,我が国のみならず世界各国でも歓迎されております。それは,この政策が貴国の近代化にとって重要であるばかりでなく,日本はじめ近隣諸国との関係の安定強化,並びにアジア・太平洋地域ひいては世界の平和と繁栄にとって極めて重要な意味を持っているからに他なりません。その意味で貴国指導者が現行の政策を堅持し,今後更に加速する旨繰り返し明言しておられることは誠に喜ばしいことであります。日中経済関係の健全な発展は,両国の将来とって極めて重要であり,今後大いに前進させていかなければなりません。今回正式署名の運びとなった日中投資保護協定は,投資及び技術移転の促進に新たな弾みをつけ,両国経済興隆促進に適切な刺激を与えるものとして大いに期待されます。今後貴国におかれても投資環境の整備に引き続き一層の努力を払われ,我が国の民間企業の対中投資が増大することを願うものであります。
また,私は最近両国間の貿易不均衡が改善しつつあり,拡大均衡の方向で発展する傾向が見られることを歓迎いたしております。経済構造の調整の下で内需拡大に取り組む我が国と,開放政策の下で輸出拡大に努力されている貴国との間では,貿易の一層の拡大は十分に可能であり,両国の繁栄にとっても必要不可欠であると信ずるからであります。
私は,近年,貴国が祖国の平和統一の実現に向かって尽力してこられたことを承知いたしております。すでに香港及びマカオについては関係国との間で平和的話合いを通じて円満なる解決への途が開かれました。これは,我が国としても高く評価するところであります。また私は,最近中国大陸と台湾との間の交流が活発化し,人的,物的往来に顕著な進展が見られることを歓迎いたします。日中共同声明に述べられている台湾に関する我が国の基本的立場は不変であり,かかる立場から台湾海峡の両岸の交流が今後一層発展することを期待いたします。
本年は日中平和友好条約締結10周年に当たります。この10年の間,日中両国民の友情の高まりを背景に,両国の友好関係は目覚ましい発展を遂げ,アジア及び世界の平和と安定に大きく寄与してまいりました。我々は,今後一層両国民の交流をはかり,日中関係を双方の努力によって更に大きく飛躍させ世界に貢献するものとしなければなりません。私はそのため,自らの持てる力の限りを尽くす決意であります。
御在席の皆様
私は,「世界に貢献する日本」の理念をより具体化する重要な一環として、「国際協力構想」を提唱し,積極的にこれを実現すべく努力いたしております。それは,我が国の,平和のための協力の強化,発展途上国の社会経済開発のための協力(ODA)の拡充,国際文化交流の推進を3つの柱とし,この3つが調和のとれた形で諸外国との協力関係を打ち立てることを狙いとするものであります。
日中両国関係を将来に向けてさらに揺るぎないものとするにも,各分野にわたって調和のとれた関係の発展をはかることが必要であります。すなわち,私は,両国間で政治,経済関係が大いなる前進を見せつつある現状に鑑み,文化面の交流もこれにふさわしい充実したものとなってこそ,幅広い両国関係の発展が可能になると考える次第であります。
私は,国際社会には多様な文化が存在し,それらは何れも人類共通の財産としてその普遍的価値を広く各国民が享受すべきものであり,文化交流は,体制や価値観の相違を超え民族と民族が互いに尊敬し理解しあう基礎を作る上で,また政治,経済の関係を円滑に促進する上でも,極めて重要な意義を持つものと考えております。そして,このたびの中国訪問によって,私は2つの点で重要な示唆を受けたのであります。
1つは,文化を継承する心は平和希求の原動力であり,平和は文化発展の必須条件であるということであります。文化の基礎があってこそ平和は意味あるものとなり,平和の基礎なしに文化の発展が望めないことは申すまでもありません。
もう1つは,文化はまた,異なる文化の交流を通じ,互いに刺激し合うことによって更に豊かさを加え,そこに各民族の相違工夫が加わって新たな独自の文化を生み出すということであります。
繁栄と文化を誇った「長安の春」の背景には長い平和がありました。戦乱に倦み疲れた人々は,何よりも生活の安定と平和な社会の永続をこいねがい,その中でこそ文化の隆昌も現実のものとなったのであります。
長安は,シルクロードの起点であったのみならず,中国の伝統文化を中心としながら,西域から敦煌を経て流入した文化を融合した新たな文化の発信地でもありました。奈良時代の我々の祖先は,幾多の困難を乗り越えてそれを消化し吸収して,新たな独自の文化を創造しました。いまなお私共日本人が,シルクロード,敦煌,そして長安という言葉を聞くにつけ心の高まりを覚えますのは,かかる来歴を持つ文化が日本人の心の中に今も脈々と生き続けているからでありましょう。
つまり,私が今立っているこの地は,日本人の文化の源流の1つであり,いわば心のふるさとであると言っても過言ではありません。
日中両国間の文化交流は,先人の努力により更に様々の分野で花開いておりますが,これを更に大きく前進させていくためには,賢明な継承と大胆な創造を目指す両国国民のたゆまぬ努力が必要であります。
このような視点から,私は本日この由緒ある西安の地において日中文化・学術交流に関する次のような提案をいたしたいと存じます。
第一に,人的交流の拡大であります。
長い日中間の歴史において,人的交流は一時たりとも途絶えたことはなく,またその友情は極めて深いものがありました。今を去る1200年前,長安の都で育まれた日本人阿倍仲麻呂即ち晁衡と詩仙李白の麗しい交友は{晁衡に「ちょうこう」とルビ},日中両国民の友情を象徴するものとして両国それぞれに今日まで語り伝えられており,それは,当市興慶宮公園の碑にも刻まれているとおりであります{興慶宮に「こうけいきゅう」とルビ}。
また,我が国が17世紀から19世紀半ばの間,海外に門戸を閉ざしたいわゆる鎖国時代においてさえ,日中両国は長崎を通じて人々や文化の交流を続けていたことも事実であります。
こうした日中2,000年の交流史をふりかえると,人的交流の波は,遣隨・遣唐使時代を第1次とし,明治時代を第2次とすれば,現在は,あらゆる分野で量的にも質的にも未曾有の,第3次高潮期に入っていると申せましょう。
この好ましい傾向は更に助長すべきであり,とりわけ21世紀を担う,我が国への留学生を含む両国青少年の交流の充実は極めて大きな意義があると存じます。若い頃,青年団リーダーとして活動した私としては,この面について特に留意していく所存であります。先日私が北京滞在中に,日中青少年平和友好祭に出席して両国の青少年の皆さんにお会いしましたのも,このような私の考えを直接お伝えしたかったからに他なりません。
第二に,心の交流の活発化であります。
貴国においては,優れた伝統文化の基礎の上に,近年における近代化の進展に伴って学術,絵画,音楽,演劇,映画,スポーツ等の各分野で活気がみなぎり,目覚ましい躍進が見られます。最近では,両国間の学術交流も本格化するとともに,両国民相互の関心もかつてない高まりを見せております。貴国のご協力を得て,今年4月から我が国の古都奈良で開催中の「なら・シルクロード博」は毎日4万人の観衆を集めていますし,当地の西安映画製作所で製作された映画「古井戸」やこのほどチェコの国際映画祭でグランプリを獲得した「芙蓉鎮」は我が国で多くの共感を得ています{芙蓉鎮に「ふようちん」とルビ}。
我が国における中国研究・中国語学習熱は高いものがありますが,貴国でも日本研究・日本語学習熱が最近とみに高く,また日本研究者の層も厚みを増してきているとお聞きいたしております。こうした対日関心に対応する事業は着実に実績を上げておりますが,私は,これに弾みを付けるため,貴国の放送大学による日本語普及の充実等の具体的な協力の方策を検討して行きたいと考えております。
文化の交流は,究極的には心の交流に帰着するでありましょう。いかなる交流も心の交流なしには絵を描いた餅に等しく,心の交流あってこそ生気躍動したものとなると考えます。日中両国間では伝統文化の交流に加え,現在の両国民の心情を代表する新しい文化活動の面でも民間と一体となって大いに交流を活発化させていくことが肝要であると思います。
第三に,文化財,遺跡保存に対する協力であります。
文化遺産は有形と無形とを問わず,それを保護しなければ,やがて変化し消滅していく運命にあります。このため文化遺産の保全には各国それぞれ対策を講じており,また国際間の協力や国際機関を通じての保護策も立てられていますが,私は,一国の文化財や遺跡は人類全体の遺産として維持・保存に協力していくべきであると考えております。我が国としても出来る限りこれら人類の文化遺産の維持,保存,研究に協力してまいりたいと存じます。
今次訪中の機会に,敦煌石窟の保存及び西域研究のため,これまで日中両国官民により続けられてきた努力を踏まえ,さらに我が国政府として応分の新たな協力を申し出ましたのも,そのような認識に基づくものに他なりません。
私は,日中間のこれらの文化面の交流と協力を通じて,両国のあらゆる層の人々の心の絆が今後更に強化され,それによって両国国民の間の相互信頼関係が揺るぎないものとなることを心から希望し,政府としても民間も含む各方面との密接な協力を通じて,日中文化・学術交流の一層の促進に努力してまいる所存であります。
御在席の皆様
21世紀を間近に控え,我が国は,これまでの経済発展の成果を真の豊かさに結び付け,さらに大きく世界に開かれた社会を築くため努力いたしております。即ち,物心両面において調和がとれ,文化の香り高い活気に満ちた平和国家を築き,世界的視野に立ってより大きな責任と役割を積極的に果たしていくべきであると確信するからであります。私の政治理念の根幹にあるこのような「ふるさと創生」の考え方は,単に日本にとって適切なものというばかりではなく,世界の多くの国々にもあてはまるものであると思っております。我が国は貴国の悠久の歴史と優れた文化から,これまでと同様今後とも多くのものを学び多くの示唆を得て,私共の「ふるさと創生」を進めてまいりたいと存じます。
大自然は今,豊かな実りの秋に向けて準備を初めております。日中両国もまた、これまで先人が手塩にかけて育んできた花と果実を,より美しく実りのあるものとして,あらたなる飛躍をめざして共に努力すべき時期が到来したと信じます。我々は日中友好の花と果実を両国国民のみの財産とすることなく,アジアや全世界の人々と分かち合い,平和で繁栄した世界を築き上げるため共に協力していこうではありませんか。
最後に,当地の古名・長安の名の通り,貴国が近代化を達成され長しえに安寧であることをお祈り致します{長に「とこ」とルビ}。また,日中両国の友好が末永く発展し,あたかも盛唐の詩人が「塔勢湧出する如く」(注2)と形容した大雁塔さながらに,力強く揺るぎないものとなることを祈念いたしまして,私の講演を終わりたいと思います。有難うございました。
(注1)杜 甫(712−770)の詩「春望」の第一句。
(注2)岑 参(715−770)の詩「高適,薛拠と同に慈恩寺浮図に登る」{岑 参に「しんじん」、高適に「こうせき」、同に「とも」、薛拠に「せっきょ」、浮図に「ふと」とルビ}。
塔勢 湧出する如く 孤高 天宮に聳ゆ
登臨 世界(世俗間)を出で 磴道 虚空を盤る
突兀(高く突出する)として神州を圧し 崢●(高くけわしい)として鬼工の如し
四角 白日を礙げ 七層 蒼穹を摩す
下窺して高鳥を指さし 俯聴して驚風を聞く
連山は波涛の若く 奔走 東に朝するに似たり
青松 馳道を夾み 宮観 何ぞ玲瓏たる
秋色 西より来たり 蒼然として関中に満つ
五陵 北原の上 万古 青きこと濛々たり
浄理(仏法の清浄な理)了として悟る可く 勝因(すぐれた因縁)夙に宗とする所
誓って将に冠を挂けて去り 覚道(正しい悟り)無窮に資けんとす
{3行目の●は山へんに榮/こう}
{聳に「そび」、盤に「めぐ」、突兀に「とうこつ」、崢に「そう」●に「こう」、礙に「さまたげ」、蒼穹に「そうきゅう」、摩に「ま」、 俯聴に「ふちょう」、夾に「はさみ」、上に「ほとり」、夙に「つと」、宗に「そう」、将に「まさ」、冠に「かんむり」、資に「たす」とルビ