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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 「故 三木武夫氏」衆議院・内閣合同葬儀における竹下内閣総理大臣の追悼の辞

[場所] 
[年月日] 1988年12月5日
[出典] 竹下内閣総理大臣演説集,448−449頁.
[備考] 
[全文]

 本日、ここに、元内閣総理大臣、故三木武夫先生の衆議院・内閣合同葬が執り行われるに当たり、謹んでご霊前に追悼の言葉を捧げます。

 三木先生、半世紀余に亘る長い国会議員活動、本当にご苦労さまでした。

 先生は、昭和四十九年十二月から二年間、「対話と協調」を掲げて内閣総理大臣の重責を担われました。ご就任当時は、まさに世界経済が石油ショックによる深刻なインフレと不況の中にあり、資源の乏しいわが国も未曽有の経済的難局に直面していた時期であります。

 このような石油危機に端を発した世界的インフレの進行、国際通貨秩序の動揺などに対応するため、昭和五十年秋、フランスのジスカールデスタン大統領の呼びかけにより、第一回サミットがランブイエにおいて開催されましたが、三木先生は、この首脳会議に出席して積極的な外交を展開されたのであります。サミットも今や二巡目を終了し、世界経済の安定と成長にとって極めて大きな役割を果してきているところであります。

 内政にあたっては、当時のわが国経済の立直しに全力を尽くされ、いち早く安定成長に導くことに成功される一方、時代に先駆けて総合福祉を考える「ライフサイクル計画」構想を打ち出し、先見性を示されました。

 また先生は、政治倫理の確立を求めて、政治資金規正法の改正を実現されましたが、これはいまなお、私たちの記憶に新しいところであります。

 先生は、生粋の議会人であり、そして信念の人でありました。「平和と軍縮」の実現に情熱を注ぐとともに、「政治倫理の確立」を終生の政治信条として追求してこられました。

 そして先生は、一貫して大衆を何よりも大切なものと考えられ、「国民をおそれ、国民を信頼する」という自らの言葉でこれを表わされました。この言葉は、政治にたずさわる者が深く肝に銘ずるべきことであり、しかも、今日ほどその必要性が強く求められている時代はありません。

 このような時に、偉大な指導者を失ったことは誠に残念であり、そのご逝去は惜しみて余りあるものがあります。

 政治家三木武夫先生の足跡を語る時、常にその傍らにあって、先生に寄り添い支えてこられた奥様のお姿を忘れることはできません。私は、長年に亘る睦子夫人のご内助の功に改めて敬意を表するとともに、かけがえのない方を失われた深いお悲しみに対し、衷心よりお悔やみを申し上げる次第であります。

 三木先生、今こそ私たちは、政治に対する国民の信頼を回復すべく、あらゆる努力を傾注して、政治の改革に全力をあげて取り組むことをお誓い申し上げ、お別れの言葉といたします。

 安らかにお眠り下さい。