データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 経済団体連合会第四百八十一回常任理事会における竹下内閣総理大臣の挨拶

[場所] 
[年月日] 1989年1月10日
[出典] 竹下演説集,397−408頁.
[備考] 
[全文]

 ご遺徳をしのぶ

 本日は、ご挨拶する機会をお与えいただきましたことを、心からお礼を申し上げます。

 天皇陛下御崩御に相なりまして、一同誠に痛惜に絶えないところでございます。しかし、朝見の儀が行われまして、新天皇はご立派なご挨拶をなさいました。新憲法下における初めての公式の場におけるご挨拶でございましたが、淡々として大行天皇の御聖徳を引き継ぎながら、世界の平和と国民福祉の増進に尽くしたいと、本当に厳粛な中にも新しい時代の幕開けを感じた次第でございます。

 そしてまた、初めてのことでございました元号制定の問題につきまして、国民の皆様方から、淡々と進めたこの手続きに対しまして、およそ共感をいただいておるということを、これまた心からお礼を申し上げたいと存じます。

 そこで、今日ちょうど閣議でも披露したところでございますが、宇野外務大臣が今パリにおきまして百四十か国の会合に参加しております。その百四十か国の会合の開会に当たり、ミッテラン大統領のご発意によりまして、まず最初に大行天皇のご遺徳をしのびつつ、参加者全員が黙とうをささげたところから会が始まった。そして、米ソはもとより、十二か国の国の外務大臣等々と会談を持ったが、その間一人の漏れなく大行天皇のご遺徳をしのび、そして新天皇陛下に対するお悔やみの言葉があった。一九四五年、正に平和と今日の我が国の経済繁栄、世界に寄与する日本というものに大行天皇の果たされたご徳行に対して、皆が一人残らずそれをたたえたという報告を受けまして、宇野外務大臣の言葉を借りますならば、「大正生まれの私は終始涙で返礼が出来ないほどでございました」ということを電話で報告をしてまいりました。

 そしてまた、弔問に訪れた国民の数が、今日、今のところで二百八十八万人、そして昨日は儀式が終わりました後、天皇陛下が藤森宮内庁長官を通じまして、多数の国民の皆さんから寄せられた温かい心遣いに対して心からありがたく思っておるということを国民の皆さんに伝えてほしいというお言葉もあった次第でございます。今後、御大喪の儀等をこれからも平静に淡々と国事行為として進めていきたい。このように思っておるところでございます。

 さて、今日は大変ありがたい機会をお与えいただきました。と申しますのは、私は税制が通りますまで、いわゆる辻立ちと申しまして、全国各地をご要望に応じて新税制の説明会に歩いておりました。ところが、この税制というのは何分消費税という新税でございますから、音から言われるごとく、新税とはすべて悪税である。国民の暮らしの中に習慣として定着するならば、これまた良税となるという言葉がございますだけに、四月一日実施でございますが、この十四日水戸を皮切りに、四月一日までの間、新税実施の可能な限りの定着化のために努力をしたいと思っておりまして、言ってみれば今日のこの機会はその練習の場所を提供していただいたというふうに感じまして、大変ありがたいことだと思っておるところでございます。

 私自身、今日数えてみましたら、政権担当四百三十一日目になりました。あっという問に過ぎた感がいたしております。前半は、ご案内のとおりおおむね外国訪問に時間を費やしてまいりました。九回、五十九日間でございますから、なるほど私のような者でも二か月間は外国におったなという印象を深くいたした次第でございます。申すまでもなく、どこへ参りましても、我が国に対する期待感が大変強まっておるということを肌で感じた次第であります。

 国際協力の重要性

 世界に貢献する日本ということで、三つの柱を立ててみました。一つは、いま国際連合という機関がよく平和問題について機能するようになっております。これは、当然米ソ首脳会談からくる世界全体の雰囲気がそのような環境を作り上げておることも事実でございます。ところが、国際連合というのは、分担金ということになりますと手元不如意のところでございます。したがって、日本はこれらの平和に対する貢献として、確かにお金はそれ相応に負担をいたしております。しかしながら、例えばペルシャ湾におきまして機雷を掃海する掃海艇の派遣というようなことになりますと、我が国の憲法なり、自衛隊法なり、また国の方針なりがあって、それに参加することはできません。

 したがって、せめて金も出すが人も出すということで、まずはアフガニスタン等に文民の方に行ってもらうとか、あるいはまた、これからイラン、イラク等々積極的に平和への準備活動等に人そのものが参加するという形において貢献していきたいと思います。戦災復興ということになりますと、確かに日本はその体験からして大変優れております。それに、人も、物も、お手伝いするというのはもとより当然のことでありますが、アフガニスタン撤兵とか、イラン・イラク問題とか、それに至る間の問題についても、人の派遣等を含め貢献していきたいと思います。

 次には、文化交流協力の問題であります。東西文化というものが、それこそ巧みに融合調和いたしまして、我が国は世界に冠たる文化を持っております。これら世界の遺跡等の保存に協力することはもとよりでありますが、なかんずく皆さん方にもお世話になっております人的交流、留学生問題等にこれからも力を尽くさなければならないと思う訳であります。

 たまたま、日米首脳会議に参っておりましたときに、私ふと気がつきましたのは、私の随員が、一人は今カナダ大使になりました北村外務審議官であり、一人が今大蔵省の行天財務官であります。この北村さんがガリオアの留学生であり、そして行天さんがフルブライトの留学生であります。およそ六千人のガリオア、フルブライトの留学生というものを、当時一方的にアメリカが引き受けた。そして、首脳会談の私の空なる頭脳を補佐していただいておる二人がたまたまガリオア、フルブライトの留学生であるということを発見し、一層我が国がそういう関係にも果たさなければならない協力というものの必要性を痛感をいたした訳であります。

 幸いに、ASEANの留学生の中から初めて大臣も出てくるようになりました。二十一世紀、十万人といっておりますが、今のペースでいきますと、これは十分達成し得る留学生対策でございます。したがって、昨年来お願いしておりますが、皆さん方にもいろいろな角度からご協力を賜ることを、この際お願いしたい次第であります。

 さて、三番目は申すまでもなく、経済協力の問題でございます。これも、私なりに分析をしてみましたら、ガリオア・エロア基金というものを皆さん方もご記憶にあろうかと思うのであります。あのガリオア・エロア基金というのが、昭和二十一年からおよそ昭和二十六年まで、幾ら我が国がその恩恵にあずかっただろうと思って計算してみますと、ざっと二十億ドルでございます。二十億ドルと一口に申しましても、その当時、昭和二十一年から二十六年までの我が国のGNP全体の大体四パーセントにこれが当たる訳でございます。というのは、今に直しますならば、毎年十五、十六兆円ずつもらっておった。これは、比較するにはちょっと適切さを欠くかもしれませんけれども、それほど大きな財政援助というものがガリオア・エロア資金によってなされた訳であります。

 ただ、日本は国民が賢明でありました。それをただ使いっ放しにしないで、それを邦貨に換算しながら、国民がそれなりの対価を払って、それが基礎になって産業投資特別会計などいうものも出来たというようなことを考えてみましても、今後世界に貢献する日本として経済協力に果たさなければならない役割ということを痛感をいたしてきておる次第であります。

 なお、私も可能な限り早い機会にアメリカのブッシュ新大統領と会談を持ちたいと思っております。また、正に平成元年の一つの課題としまして、ゴルバチョフ書記長の訪日ということも、今、具体的に外務大臣段階において協議に入っておるところでございます。

 “九つの懸念”の解消

 さて、九回合わせて二か月の外遊というもの、これを前半の大きな課題としますならば、後半の課題というのはやはり百六十三日間の臨時国会であったと思う訳でございます。懸案の税制改革を通過させることが出来ました。それこそ、皆さん方には長い間それぞれの立場からいろいろご議論をいただき、そして新税でございますから、国民の中にある不安とか、懸念とか、こういうことに対して私どもにもたびたび注意を喚起していただいて、それが今次税制改革をなすために大変に役に立ったと、心から感謝を申し上げる次第であります。

 私自身で思いますことは、宮沢先生が大蔵大臣を辞任された後、十二月九日から二十四日までの間、内閣総理大臣兼大蔵大臣を務めました。このことは、結果として今振り返ってみますと、内閣全体の税制改革に対する一つの姿勢というものが現れていたという意味において、私が選択した大蔵大臣兼任ということはよかったと、自分で自己評価をいたしておるところであります。

 そこで、六日に推進本部を設置いたしました。私が、本部長でございます。それで、今朝第一回の会合を開きました。それから、お昼には国税庁の出先でございます各国税局長の会合に出掛けて、今ここへ着いたところでございます。税務署だけで考えてみましても、五万三千人おります。そして、五万一千人税理士さんもいらっしゃいます。税理士事務所は大体上級講師、いろいろなことにすぐ研修会に出て答えられる人が、大体その三倍おるだろう。十五万人です。この方々にも大変お骨折りをいただきながら、これの定着のために努力をしなければならないと思っておるところでございます。

 したがって、まず国民の皆さん方に対する広報、指導、相談というところからやってまいります。東京国税局だけでも、大体昨年暮れから今日まで、およそどんな質問にでも答えられる、言わば講師陣営とでも申しましょうか、三百六十人出来たそうでございます。これから四月までの間に、全国八千か所で講演、指導等の会合を開いていきたいと思っておるところでございます。

 私、いつも辻立ち等をしてまいりますと、初級講師としては私の右に出る者はいないぐらいに思っておりましたが、いよいよ今度は実際問題どの業種に対しても、あるいはどの品物に対しても、これはこのようになりますということが直ちに答えられなければならない上級講師にならなきゃいかぬ訳でございますから、昨日申告用紙の説明を受けまして、自分で書いて、私にでも書けますと、こういう説明もしなきゃならぬのかな、このように思っておるところでございます。

 と同時に、国会議員の諸君にも、どの質問にも答えますという訳にももとよりいく訳でもございませんが、ある種の基礎的なそういう実務についても、選挙区で答えられるように、渡辺政調会長を中心として、かなり勉強してきておりますが、一層実務家としての能力もつけなければならぬというふうに考えておるところでございます。

 そして、これからの問題につきまして、私は六つの懸念というようなことを最初申しました。その税制の中で、何分大幅減税というものがありますだけに、その中で中和されるものがたくさんございます。そして、どうしてもなかなか中和されないものは生活保護、これは生活保護基準を上げることによって中和をいたしましょう。そして、課税最低限を上げることによって中和出来るところもございますが、その中間でございます。生活保護まではいかず、そして課税最低限にまではいかない。そこに対しましては、在宅福祉等、一時金の形でございまずが、補正予算において措置して六つの懸念をそれぞれ中和していこうと考えた訳であります。

 そして、さらに七つの懸念というのは転嫁の問題であることは申すまでもありません。ヨーロッパへよく大蔵大臣当時まいりますと、そもそも消費税というのは転嫁が前提になる税制であるから、その議論をあなた自体がすることがおかしいという質問も度々受けました。しかし、何分我が国にはなじみのない税制でありますだけに、この問題につきましては今朝も公正取引委員会をはじめとして、それぞれ各省具体的な問題について国民の皆様方にお手伝いをする体制を整えてきた訳でございます。

 そうして八つの懸念と申しておったのが、地方自治体の問題でございます。この地方自治体が、消費税の負担者になる訳でございます。この辺は、今まで国税局の守備範囲の外にありましたが、これらは説明すれば理解出来ることでございます。とにかく、三千二百四十五市町村、四十七都道府県、東京の二十三区、これで三千三百十五でございますから、数も分かっておりますし、理解度も早いのでございましょうが、自治体の中に新税導入のためになくなった固有の財源というのがどういうふうにして補てんされるかという懸念は、大方の説明の中で私は終わったのではないかと思います。

 そこで、新たに出てきた第九の懸念というものを、私は今日出してみました。それは何かと申しますと、免税点というものが存在し、そして簡易納税方式というものがある限りにおいては、ある種の精緻さを欠くのはやむを得ないことでございます。すなわち、納税負担者たる消費者が負担したものが仮に免税点であった場合、それがそっくり、前段階の問題は別といたしまして、国庫の中へは入らないのではないか。いってみれば、宙に浮いたものが出来てくるんじゃないか。こういう議論が、参議院へ行きましてから特にございました。

 これらに対しましては、若干の精緻さが欠ける点があるということは是認した上で、国民の皆さん方において習慣、習熟することによって懸念が解消されていくということをお願いしていきたいと思っておるところでございます。何としても、大幅減税を含めまして、私は税制改革があってよかったなと言われる日が必ずや将来後世の人々がこれを評価するというと余りにもオーバーでございますが、そのような感じがいたしておるところでございます。

 そしてまた、今日の国税局長とのお話にもありましたが、国際化、法人税等の問題、国際化の問題ということについて、なお国民の理解と協力を求めていかなければならないと考えておるところでございます。

 さて、経済は比較的順調でございます。本当に、その意味においては明るい新春を総じてお迎えになったかとも思います。私は、昭和六十年九月二十二日、ニューヨークはプラザホテルにおきまして、いわゆるG5というものを行った当初の本人でございます。あれから一年半ぐらい、円高不況という言葉に象徴されるごとく批判を受けてまいりました。

 あるいは、話を変えるようですが、税制の問題もまた、一年半ぐらいの日にちが経ったならば、なるほどという定着をするかとも思うのでありますが、しかし、特に円高の問題につきまして、それこそ経済界の皆さん方の本当に大変な努力の中にこれを克服することが出来た。むしろ、それを構造調整の一つの環境としてとらえていただいたのが、今日皆様方の歩んでおられる道ではなかろうかと思います。したがって、今数字で見まして、インフレなき持続的成長という言葉からすれば、どこの国に比較しても優等生は正に日本でございます。

 今年も、内需主導のインフレなき持続的成長という旗印の下に、それこそ世界の経済見通し、これも昨日大筋の説明を受けておりますが、大体内外に配慮した実質成長率も、物価の問題も、そして経常収支、貿易収支の問題も、内外に配慮してまずまずだなと認めていただけるような経済見通しが出来るであろうと確信をいたしておるところであります。

 “ふるさと創生”と一億円構想

 さて、あと二つだけ、少し話が長くなりましたが、お許しを得まして話をさせていただきます。ふるさと創生ということを申しております。二十一世紀につながる内政課題であり、その元年としてこれを位置付けたいと思っております。何分、昨年第四次全国総合開発計画というものが出来ました。この四全総というものを下敷きにしてまいりまして、これから地方自ら考える地域づくりと、こういうことを基礎的に考えておる訳でございます。いずれ、懇談会等をお願いして、その哲学等のまとめ方をお願いしようかとも思っておるところでございます。

 そもそも、田中内閣のときに日本列島改造論というものが華々しく出発いたしました。あの哲学は、今でも決して間違っていないと確信をいたしております。ただ、四十八年の第一次オイルショックに始まった当時でございましたので、その環境は狂乱物価とか、あるいは自然破壊とか、いろいろな批判を受けた面もあったことは事実であります。

 少し落ち着いて、大平内閣のときにこれを別の角度から田園都市構想という名前で位置付けられた訳であります。また、田園都市構想というポスターが出来まして、大きなポスターに田園都市構想、真ん中に大平総理の顔がでんと座っておりますと、正に田園そのものの顔でございますので、大変勇気づけられた当時を想起いたす訳であります。

 したがって、今まで新産業都市とか、あるいは工業特別導入地区とか、いろいろなものをやりました。ところが、結果的に見ますと、やはりメニューを政府が作りまして、このメニューに似たものを何か選択なさいと、こういう形であった。それが、至るところ石油コンビナートであったり、いってみれば規格品型のそれぞれの地域づくりというものがそれなりの効果を上げたと思う訳であります。

 しかし、もう一つ考えてみますと、その地域にはその地域の伝統とか、歴史とか、文化とか、産業とか、そういうものが存在しております。したがって、国民皆がその地域の人が知恵を出し、あるいは知恵比べコンクールをしながら、それを中央政府がサポートしていこうという発想の転換ということを考えておる訳であります。

 まず、手初めに、自治省が一市町村一億円構想というものを出しました。ある人がまいりまして、十億円ずつ配りなさい。そうすれば、二つや三つはいいのが出来ますから、そうすれば大いに刺激になります。そんなお話でございましたが、十億円などということが可能であろう訳もございません。一億円というのは、これまた皆様方のお蔭で、六十二年度の交付税の剰余金がある訳でございます。その中から、村の数が五百九十一あります。町の数が二千引く一でございますから千九百九十九あります。市の数が六百五十五ございます。これで二、三、四、五、の三と二を引っくり返して三千二百四十五ある訳でございます。これは、私が数字を覚える一つのこつを申し上げた訳でございますけれども、それにとにかく大筋一億円ずつ、交付税だからもともと政府の金ではなく地方の金でありますが、それを剰余金の中から三千三百億円程度のものでもって、言わばその知恵比べのスタートに立ってもらおうじゃないか。

 いろいろな知恵が出ております。中には、無医村などはそれを基金にして自治大学へ子供を預けることによって、それらがまた帰ってお医者になってくれるんじゃないかとか、あるいはそれより四、五か村寄ってヘリコプター契約して巡回医療団を大学と相談して作った方がいいじゃないか。いや、うちの町には繁華街のところへ、やはり商工会青年部などがハイビジョンのテレビを据え付けたらいいじゃないか。いや、テレビ電話を郵便局ごとに持ったらいいじゃないかと、いろいろな発想が出てきております。

 ただ、批判は覚悟しておりますのは、幾ら何でも一律一億円というのはという議論があることも承知しております。何分、百八十七名の村もございますから、一億と言えば相当なものでございます。しかし、そこはちょうど市町村が始まって百年です。これから新しい出発の青写真というものの土台を築くために、公共事業等は当然今後の施策の中でやっていく訳でございますから、ソフトの面と、公共事業等が細み合わせられるような青写真というもの、それらの点について地方の知恵比べをしていただこうという考え方でございます。

 当然のこととして、皆さん方には研究所の設置でございますとか、工場を作ってくださいますとか、地方の地場産業と結び付いた民活プロジェクト等、ご協力をお願いにくることが多かろうと思う訳でございます。

 さて、次なる課題は、申すまでもなく政治改革の問題であります。この政治改革というのは、すべての土台であります。そこで、実際問題私ども考えておりますのは、およそ私を含め、こうしてお話させていただける立場に政治家として存在しておるということは、選挙区の大変な協力と、そして後援者の皆さん方の物心両面における浄財によって、私どもの存在そのものがある訳でございます。したがって、政治資金規正法というものは、本来は政治活動と、私生活をある程度遮断することによって、政治家たるものがその倫理綱領の上に立ちながら、身を律していくための環境づくりが政治資金規正法の役割の一つであろうと思う訳であります。

 この出と入りの問題がございます。一度、公職選挙法が改正されました十五、十六年前のことでございますが、花輪とか、寄附、一切まかりならぬという申し合わせが出来まして、確かに二、三年は守られたことがございます。特に私どものように、同じ顔ぶれで長くやっておるところは比較的守られやすい訳でございますけれども、新陳代謝をいずれにしてもやっていかなきゃなりません。そういう新陳代謝の激しい地域というようなところから、また環境がそれを許さないようになってきて、新聞紙上等にもございますように、一年生代議士で最低月七百万というお話もございます。

 そうした環境を整備するために、公費の部分でどこまで補えるのか。そして、政治資金規正法、善意の寄附によってどこまで補えるか。そうして、かつてイギリスで行いましたごとく、非常に危険性を伴うにしてもある種の罰則をもうける。これは、自浄能力がないから罰則を作るんだということにもなる訳でありますが、お互いの身を律していくことも必要でありましょう。

 そういう点で、真に政治そのものが国民の信頼を仰ぐことが出来るように、これまた自由民主党の方では後藤田さんを会長にして取り組んでもらおう。政府におきましても懇談会等をお願いしまして、政府そのもののやらなきゃならぬ問題と国会の問題、党の問題、それらを完全に連絡を密にしながら、短期にやれること、中期にやれること、長期にやるべきこと、これらを区分して進んでいかなければならない。これらが、今年度の私どもに課せられた使命であろうと思う訳でございます。

 大変長いお話をいたしましたが、平成元年がいい年でありますことを皆さん方とともに祈念し、私の挨拶を終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。