データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 税制・ふるさと創生・日本の将来を語る(竹下内閣総理大臣)

[場所] 水戸市
[年月日] 1989年1月14日
[出典] 竹下演説集,474−489頁.
[備考] 
[全文]

 活力に満ちた平成の時代

 開会にあたりましては、皆さん方とご一緒に大行天皇の御冥福を折り、黙祷を捧げます。誠に哀惜の極みでございます。しかし、新天皇は即位後朝見の儀、そのお言葉を皆様方もお聞きいただいたと思います。まさに新しい時代の国民統合の象徴として立派に国事を行われることを皆さん方とともに信じるところでございます。

 そしてまた私は昨日新天皇にはじめて五十五分間、国の内外の諸問題についての内情を申しあげる機会がございました。大変熱心に、大行天皇のご徳業をしのびながら、静かに聞きいっていただきました。ありがたいことだと思っております。新年号の決定の手続など、淡々と粛々と行わせていただきました。幸いに国民の皆様方の温かいご理解をいただいておるものと心から感謝を申し上げておるところでございます。

 そして、これから新しい平成の時代というものが本当に活力に満ちたものであり、そして世界平和と国民福祉の増進のために、お互いが喜々としてそれぞれの立場にあって働かなければならない。こういう気持ちでいっぱいでございます。

 たまたま宇野外務大臣がパリで行われておりました化学兵器の会議に参加いたしておりました。百四十か国の参加でございます。そこで、ミッテラン大統領の発案で日本の大行天皇の崩御に対し、一九四五年、すなわち昭和二十年以来平和国家、経済大国として今日までのこのご徳業に対して、一同がだれ一人異議なく黙とうを捧げられて会議がはじまったという報告を受けました。そしてお会いした十二か国の首脳、米ソもとよりでございます。皆さん同じように大行天皇のご偉業、ご遺志について心から哀悼の意を表されたと、宇野外務大臣から本当に涙ぐんだ言葉で私に電話でご報告がされました。

 我が国におきましても、昨日のところで四百十六万人の方が弔問に訪れていらっしゃいます。それから、御大喪の儀等に対しましても、平静粛々の中に進めてまいりたいと思っておるところでございます。

 さて、今日こうしてお伺いいたしました趣旨については、既にお話がございました。やはり税制改革を仕上げるまで、新しい税制でございますだけに、私自身が先頭に立って、より多くの国民の皆様方にご説明申しあげるべきであるという考え方で全国八ブロックをやってまいりました。しかし、この税制、なかんずく新税たる消費税が実施されるのは四月一日であります。この税制改正というものを実際これが定着するまでの間、国民の皆様方になお懸念もございましょう、不安もございましょう、それらに対して可能な限り親切なご指導を申しあげたり、相談相手になったり、それが為政者たるものの責務であろうと思います。その最初の機会をご当地にお引き受けいただきましたことを心から感謝申しあげる次第であります。

 平和・文化・経済に対する協力

 私も、政権を担当いたしまして、四百三十日が過ぎました。月日の経つのは早いものだなという感じがいたします。そして、その前半を考えてみますと、ちょうど九回外国訪問をいたしました。その日数が五十九日でございますから、二か月間は外国へ行っていたという計算になる訳でございます。どの国へまいりましても、我が国の今日の立場に対して大変期待が高まっておることも事実でございます。私は三つの柱を立てまして、「世界に貢献する日本」ということを打ちだしております。

 その一つは平和に対する協力でございます。国際連合は、世界から戦争をなくそう、真の世界平和を追求しようということを目的にできましたものの、これが何だか平和に対する中心的役割を果たしておるだろうか、こういう疑念すらあったのが十年前であったと思います。

 ところが、近時、安全保障理事会等を中心といたしまして、例えば新しいところではイラン・イラク戦争にいたしましても、また、アフガニスタンからのソ連の撤退にいたしましても、和平というものに対する国際連合の働きが目覚ましいものになってまいりました。その背景にはもちろん二つの軍事大国でありますアメリ力とソ連、いってみれば費用と効果からしてそういう結論が出ざるを得なかったという批判も中にはございますけれども、いずれにせよ軍縮、軍事管理の方法が動いてきたということが大きな好ましい環境であったかと思います。

 そうした中で、さて日本はどのように平和に協力するか。確かに国際連合の分担金などは日本は応分に進んで拠出させていただいております。

 ところが、例えばペルシャ湾のことを考えますと、あそこの湾内に機雷が敷設されましても、その機雷を排除する船は他の国がそれぞれ探査して武力実施に移っております。一番多くペルシャ湾から油を運んでくるのは日本のタンカーであるにもかかわらず、日本は現行法上、また自衛隊法上も、また国の方針として自衛艦で機雷を排除する訳にはいかない。したがって、他の航行安全施設でございますとか、あるいは湾岸諸国の経済協力でございますとか、その辺で協力をしてまいりました。やはり金はもとより人も進んで出さなければいかぬ。

 そこで、いわゆる文人の方が、例えば戦争が終わった後の復興計画を立案、これは日本にはそれだけの経験もございます。さらにいろいろ復興がはじまったならば、当然日本はこのような戦後の、あの戦災復興から立ち上がった貴い経験をもっております。そういう人もまた協力して派遣しようというような考え方が平和に対する人の派遣という一つの柱であります。

 二番目は文化協力でございます。確かに日本は東西文化が巧みに日本へ渡ってまいりまして、そこで調和をはかって世界に冠たる文化ができてまいりました。そしてまた一つ留学生の例を申しあげてみますと、私がちょうど日米首脳会談にまいりましたときに、外務省から北村さん、大蔵省から行天さんという二人のスタッフが日米首脳会談に同席してくれました。ふと私が気がついてみたら、北村さんはガリオアの留学生、行天さんはフルブライトの留学生でございました。ああいう当時のアメリカの留学制度の中で勉強してまいった人が、つたない私を補佐してくれておるんだなと、こういう感じがふといたしました。そのことをレーガン大統領にお話ししましたら、レーガンさん、大変これは感激されておられました。

 したがって、我が国も力のついた今日、もちろん先進国間の文化交流はもとより、なかんずく開発途上国、特にアジアの国からのたくさんの留学生をお受けしようではないか。二十一世紀には十万人の方をお呼びしよう。既に二万三千人に達しております。そして、うれしいことには昨年はインドネシアで大臣が我が国の留学生の中から出てまいりました。せっかく日本が蓄積をした科学技術であれ何であれ勉強してお帰りになった方が少しでも反日感情を持つようなことがあってはならぬと。だから、留学生の方の民間のご協力を含め、いろいろな形でこれらの方に日本で勉強してもらえるよう、これらの施策を積極的に行おうということが文化に対する協力であります。

 三番目の経済協力ということにつきましては、これはいまや日本だけ良ければいいなどということでは通じません。世界の中でいかに日本が協力していくか、民間活力の中で、諸外国に投資活動等で協力することも十分ございます。しかし、なかんずく経済援助、経済協力、よく新聞等でODAという言葉で使われております。

 これらを考えて、これも私が計算してみますと、昭和二十一年から昭和二十六年まで、この間のガリオア・エロア基金というものを覚えていらっしゃる方もあろうかと思います。いろいろな産業に対する協力をいただいたり、あるいはもっと端的なもので申しますならば、粉ミルクなどもいただいた。あれがガリオア・エロアでございます。

 そこで、あのときのお金を全部足してみますと、ちょうど二十億ドルになります。二十億ドルというとどういう表現でやったら分かるかなと思いますと、その当時のGNP全体の大体四パーセント程度でございました。そうすると、今はもうGNP三百五十五兆なんていっている訳でございますから、それこそ十四、十五兆円ずつあの当時援助してもらっていたおかげで日本の今日があるのではないかと。日本政府も賢いから、ただでもらったものを幾ばくかの値段をつけて国民の皆さん方に分けた。その値段をつけて売った利益をためておきまして、いろいろな産業を復興させた。

 これは極端な例でございますが、そういうことを考えてみますと、やはり経済協力というものを積極的に行っていこうと。金額ではアメリカを超して大体一番になりそうでございます。したがって、世界全体が豊かに平和になっていくという、そうした世界に貢献する日本というものを考えなければならないと思います。

 さて、その上に私は近くアメリカを訪問して、ブッシュ新大統領と話し合いをしようと思うのであります。いわゆる対ソ外交、ソ連との問題につきまして、外務大臣、つい数日前にもパリで初めてソ連の外務大臣がパリの日本大使館へ来て宇野外務大臣と、今後のゴルバチョフさんの来日、あるいは私が訪ソする等についてまずお互いに平和条約の基礎になる議論をしようというところまでなってまいりました。したがって、これらの問題について外交路線、外交問題として、これからも注意を払ってまいります。

 税制国会と九つの懸念

 さて、その昨年の後半は申すまでもなく、まさに税制国会でございました。百六十三日という大変長い長い国会でございました。最後には牛歩などというものも行われました。これは国会の戦術上あるものでございますが、本当にお孫さんがごらんになっておったら、うちのおじいちゃん、何で国会であんなことしてるんだろうとお思いになったのではなかろうかとも思う訳でございます。いろいろな経過を経まして、税制改革というのはそれこそシャウプ以来、当時コロンビア大学にシャウプ先生という人がいらっしゃいまして、昭和二十五年からおやりになった税制改革、その後いろいろなひずみがありました。いろいろなゆがみが出ました。その辺で国際的にも大体共通に近い税制のやり直しをしようということで大平内閣のとき、昭和五十四年から、当時私は大蔵大臣でありましたが、それこそ皆様方のご理解が逐次進むことによって、やっとこの税制改革を成し遂げることができました。関係者の皆さんに心から感謝を申しあげます。

 それについて私は最初六つの懸念、七つの懸念、八つの懸念、大体九つの懸念ということを説明してまいりました。何しろそもそも間接税というのは逆進性があるではないか、こういう議論がございました。それはそのとおりでございます。松下幸之助さんがたばこをお買いになりましても、浮浪者の方がお買いになりましても、たばこには値段の差はない訳でございます。所得における逆進性というものがある程度あることは事実でございます。

 しかし、これはまた水平的公平性もございます。消費の多寡、多い、少ないによって三パーセントという税というものがついておる訳でございますが、高いものを買えばそれだけ多額のものを税として奉仕しなければならぬ。そして選択の自由もあるではないかと。これは高いからこっちにしよう、そういういいところもあることは事実でございます。

 しかし、そもそも税というのは何で始まったかと申しますと、外敵から集団、社会を守るためとよくいわれます。そうすると何か外国から攻めてこられたときという感じをもつ訳ですが、もっとその前の、税というのはどこからできたかというと、集団生活を人間がいたしますと、必ず野獣が、ライオンやトラやクマが攻めてくる。そこで男は順番に狩り番に立とうではないか、こういうところから労役を提供するところに税というのが始まる訳です。やはり、私は米作りが上手だから狩り番の方は他にお願いして、その代わり米でその分納めるからと、こういうように徐々に変わっていく訳でございます。したがって、国であれ、地方公共団体であれ、社会共通の経費というのが必ず掛かります。

 一例を申しあげますと、学校教育など、一つ例を取りましても、小学校の生徒さん一人には四十五万八千円、先生の給料から教科書代から皆いれますと、一人当たりが年間四十五万八千円、中学校の生徒さんでございますと五十七万二千円かかります。そういう我が国の教育というものは国民全体が社会共通の経費を負担しなければなりません。

 ほかに何があるか。外交、防衛、治安、教育、社会保障、そして社会資本等もございます。これらの国家たるものの基本的なものをあがなうために税金というものが存在する訳でございます。

 これは天からお金が降ってくるわけではございませんから、受益者も国民でございますが、負担する者も国民でございます。その国民の方が自分の所得の段階で負担をなさる、その所得をいわゆる消費する段階で、物をお買いになったりする段階で負担をなさる、それが消費、所得、そしていま一つは資産、これに均衡のとれた、どの辺りが一番よろしいかというのが今次の税制改革の基本であったと思うのであります。

 OECDという先進国の中で消費税のない国はございません。一般的な消費税は日本が一番最後でございます。もちろん個別消費税は日本にもございます。自動車、あるいはたばこもそうでございます。たばこといっても、仮に一箱を二百円とします。内税で出しますならば六円何がしが税でございます、これは相当なものでございますけれども。ビールでありましたら百四十五円ぐらいでございますか、ちょっと今度変えましたが、半分ちょっと以下ぐらいが税である。そういう個別的な物品税はございます。

 しかしそうでなく、可能な限り薄く広くそういう消費の段階で国の共通の経費をちょうだいしようというのが今度の税制改革の基本的な考え方になった訳でございます。

 さあ、懸念が出ます。一体おれたちいままで税金を納めていない者が、実際は酒やたばこなどで納めていらっしゃいますけれども、納めた気が余りありませんから、これは結局増税になるんだという懸念がございます。いま、物品税で日ごろから納めているのに、今度はその方と別にまた消費税がかかる。おれたち中堅になるとちょうど子育ても盛りになる。またぞろ物の値段の中でたとえ一・何パーセントだとしてもそれがかかるのは増税になるではないか。こういうふうな懸念が出てまいる訳でございます。

 そこで、これについて、まず税金を納めていらっしゃらない生活保護の方、これらについては生活保護基準そのものを上げましょうと。だから、税の世界では歳出の世界でこれを中和させる訳でございます。そして課税最低限もまた上げましょうと。ここまでは所得税をお納めにならなくても結構ですと。そこで若い人の分も中和してまいりましょうと。しかし、その真ん中の者はどうだということで、母子家庭でございますとか、在宅福祉の問題でございますとか、そういう諸手当も今度の補正予算等で出そうじゃないか。こんなことで、歳出で埋合せする。もう一つは税の構造の中で埋合せする。

 いままで長く大蔵大臣をやっておりましたが、これは特に中堅の方々に対する対策として教育減税という言葉があります。これぐらい耳触りのいい言葉はないんです。日本人は教育熱心ですから、なるほど教育減税、いい言葉だと。しかしこれは難しい。おれは上の学校へ上がらないで、そしていま一生懸命に働いて、よかれあしかれその当時では九十四万以上になればいくばくかの所得税を払っておるんです。それにもかかわらずおれより出来の悪いあいつのおやじさんが減税になるのかという情緒的な不公平感というのもあると。

 ところが、自由民主党というところは賢いところだと思いました。みんなよく考えている。いや、特に中堅の方は、それこそ十六歳から二十二歳ぐらいの方々、ちょうど学校へ行く年齢です。この万々の分は割増し控除をしようと、控除額をもっと上げようではないか。育ち盛り減税、あるいは大飯食らい減税ということがいえる。しかし、たまたまその年齢は教育の年齢でございますけれども、その辺が知恵をおだしになったと。そういう形で所得税の中で中和をとることも今度の税制改革ではできておる訳でございます。

 それから、四番目、五番目ということになりますと、これは何だインフレになるではないかと。確かに一遍ぽっきりは理屈上三パーセント物価が上昇する。しかし下がるものもありまして、全体的にいま、円高等で輸入材料は安い訳でございますから、経済企画庁の方では平均一・一パーセントぐらいが一遍ぽっきりは値上がりするんだと。一遍ぽっきりの問題です。そしてプラスになる、インフレにはならぬのか。そうすると次の懸念というのはそれこそ手続ができない、こういう懸念が当然でてくる訳でございます。

 確かに手続が新しい税金でございますから、それだけは面倒でございますが、これについてもいろいろな工夫を行うことによりまして、免税点もある。そして簡易納税制度というものもある。こういう手当をいたすことにしますと。

 そしていま一つは、三パーセントといっているが、そのうち上げるのではないか、こういう懸念があります。これにつきましては、私は竹下内閣のときにはありませんと、こう申しております。第一上げられるものではございませんけれども、ただ、ヨーロッパを振り返ってみましても、所得税を減税しながら消費税の税率を上げていったという歴史はございますから、後の世まで断じてこれは固定したものにする、あるいは上げることもあれば下げることもあると思います。そこは後の世の納税者の方の手を縛ってはならぬ、こう思って実はこの点について、竹下内閣のときは上げるつもりはいまございませんと。また上げられようはずもないと、このように申し上げるところであります。

 そのような六つの懸念を上げましたが、やはり納税義務者の方、難しい言葉で言いますと、税を負担するのは消費者の方が負担しています。それを国庫へ運ぶ人、それか納税義務者といういわば商店の方であり、事業者の方が納税義務者になります。この納税義務者、一体転嫁ができるか、こういう懸念が当然出てくる訳でございます。

 まず、ヨーロッパの人たちに言わせますと、あたりまえではないか、これは転嫁するための法律ではないかと。それが転嫁ができるかなどと考えること自体がおかしいではないかと、こうおっしゃいます。それはいわばそういう税制に慣れていらっしゃるからでございます。したがって、この転嫁問題については、難しいことで申しますならば、とにかく独禁法の適用除外も認めましょう、極力指導、助言などをすることによって転嫁されるべき税制だということを国民全体に理解してもらうようにいたしましょう、こういうことを申し上げておる訳であります。

 そうすると今度は八番目の懸念として、地方財政は大丈夫か。今日も知事さん、市長さん、村長さん、議会の先生方がお見えになっていらっしゃいます。これについては決して懸念にならないような施策を行うことにいたします。なかんずく本県は二代にわたって地方財政の責任者であります自治大臣の出身県でございますから、そう竹下登が勝手なことができる訳がない、こういうことでございます。

 さて、九番目の懸念、私か最近申しておりますのは、どんどん勉強してくると、仮に免税点の改革というものがあると、その免税点は現段階でもちろん消費税を払っておるにしても、免税業者というものはそれだけ利益が余計になって、自分は税だと思って買ったものが事実上国庫へ運ばれていかなくてどこかへいくんじゃないか。こんな議論が新しい議論として出ています。これにつきましては、私は国会でも申しました。初めての試みでございますので、いささか精緻さを欠く点はございます。しかし、私のところは大きなお店屋さんはたくさん仕入れすれば、値引きもございます。小さいお店屋さんは値引きのないところもございましょうから、大体経済全体の流通の中で最終的にはご理解いただけるものであると私は理解をいたしておる訳であります。

 新しい税制の定着に全力

 そんなような話も皆さん方には釈迦に説法でございますが、これらが本当に国民の皆さん方に徹底するために、一月六日に推進本部、私が本部長となって本部を作りました。そして、各お役所が便乗値上げがないような監視制度の教育をして、一生懸命仕事にかかったばかりでございます。そして税務署、国税庁もこれから三月の間に八千回研修会を開くと。そんな八千回もやって講師がおるのかなと思います。なるほど税務署の方はいま五万三千人おります。

 それから税理士の方は五万一千人いらっしゃいます。税理士事務所では税理士さんの卵を含めて平均すると三人ぐらい勉強すればすぐ説明のできる人がおるかもしれない。十五万人ぐらいはいると。

 竹下登は本日までいまのようなお話をして歩きましたから、これは確かに初級コースとしては竹下登の右にでる者はいないと思いますが、上級コースでは一品ごとにどの品物でもすぐ説明がつくようにならなければいかぬ。これをこれからやってまいりますので、せっかくこうした体制をとりましたから、便乗値上げのない監視体制の問題、そして納税手続の問題、うちの店はどうしたらいいかという問題、税理士さんも商工会さんも青色申告会も法人会もみんな徹底的な研修をしてもらい、その推進本部の第一回の説明会が講師竹下登を迎えてのことであると理解していただければ幸いでございます。ただし、専門的なことは別の機会に別の講師をお願いをいたしまして、私か初めての機会だというふうに思ってこのように訪れている訳であります。

 さて、そこでこうして税制の問題を説きながら、やはり私はふるさと創生の問題についてお話ししなければならないと思います。

 実際、いま税制の話をして、最後にもう一つ申しあげますならば、私は昭和六十年九月二十二日という日を非常に鮮烈に覚えています。皆さん方には余りはっきりお分かりにならないと思いますが、ニューヨークのプラザホテルというところで行われたG5に私が大蔵大臣として参加いたしました。これは私にとっては大変な日でありました。今まで一ドル二百四十円ぐらいしておったのが、だだだっと円高になった。さあ、日本へ帰ってきてあちこちにまいりますと、竹下大蔵大臣などというのは国賊だ、一体日本の産業はどうなるか、こんな怨嗟の目で見られる。私は心の中では、一年半ぐらい経てば輸入品、すなわち原材料をすべて輸入する日本でございますから、必ずや円高のメリットというものが出て、物価の上がらない国ができるという期待があった。最近、私に対して円高をもたらした国賊であるというようなことをおっしゃる人が余りいなくなりました。そうでなければ、とても皆さんが私を自由民主党総裁に選んでいただげなかったと思います。

 したがって、もう一ついい例を言うならば国鉄、電電ですね。あれはあれだけ国会で議論した。ところが、民営化になった途端に何かサービスがよくなったとか、いろいろなことがあってよかったなと。したがって、この税制も何しろ皆さん方、個々の所得税の大幅減税となる訳ですから、その所得税の大幅減税というのが肌で感じられるようになって、数年経ったら、税制改正をやってよかったなといわれるようになるのではないか。決して竹下内閣の間になとということは申しません。それぐらい中長期に物を考えていただきたいということを心からお願いをしたい訳であります。

 自ら考える地域づくり

 そこで、ふるさと創生ですが、この計画を作りまして、この計画を一番巧みに自分の県の実態に調和させながら施策を行われたのが茨城県でございます

 昭和五年の統計を見ますと、茨城県は一人あたり減免所得、日本で下から三番目でした。私の県はまだ上だった。ところが、この間、梶山前自治大臣に統計をもらったら、茨城県がしりから十二番で私の県の方が三番目でした。それはいるいるな計画を巧みに調和させている。

 いまでは中央政府がいろいろな計画を考えます。メニュー{前4文字ママ}を作ります。さあ皆さん、このメニョーに従って計画を立ててくださいと。それでみんなが計画を立てる。悪かったというのではありません。いいことだったんです。しかし、規格品がたくさんできた。石油コンビナートがやたらとあちこちにできた、こういうことになる。

 私は、田中内閣の「日本列島改造論」はいまでも正しいと思っています。要するに、交通網を整備して均衡ある国土の開発を図ろうと。しかし、あのとき狂乱物価でむちゃくちゃに物価が上がったときですから、何かブルドーザーが最後の力を出して自然破壊をする、狂乱物価、みんな列島改造が悪いと。しかし、実際はそうじゃない。

 その後、大平さんが「田園都市構想」を提案された。そして選挙のときには、あれは覚えていらっしゃる方があろうかと思いますが、「田園都市構想」という言葉があって、大きなポスターで、真ん中に大平先生のお顔がでんと据えてあり、あの顔がまさに田園そのものでした。私はそれにものすごい共鳴を感じたことがあります。

 そこで、そうした経過を経ながら、今度は皆さんに考えてもらいたい。皆さんが考えるところのふるさとの青写真、したがって、第四次全国総合開発計画というもので、いわゆる一極集中から多極分散へ、こういう言葉が出てきます。これが下敷きになる訳です。その流れは常磐道の問題にしても、いろいろな絵が描かれております。しかし、やはり地方自らがその中でいいものを考えて、そしてそれを中央がお手伝いをする。メニューは皆さん方に作っていただく。いろいろなアイデアがあるはずです。そういうふるさとの青写真をまず皆さん方で考える。それを今度は協議会というものを作りまして、そこでこの構想に対してはまずここへどんな施設が必要だと、しからばそれは国の公共投資の中でやりましょうと。

 だから、基本的な青写真を自ら考える地域づくり、これが一番大事な基本的な考え方でございます。ふるさとということをずいぶん私も勉強してまいりました。先般お亡くなりになった名人調理師の辻留のおやじさん、私に、竹下さん、ふるさととは、ふるさとの味とは、すなわちおふくろのみそ汁の味だと。朝、目が覚める。おふくろの手づくりのみそ汁の香りがプーンと自分の鼻に入ってきたとき、これこそふるさとだと。しかし、そのみそ汁は信州で少なくとも二年以上寝かせたみそでないと我々調理師としては真のふるさとのみそとはいえないと。こうおっしゃっている。なるほど、ふるさとというのは信州の二年以上寝かせたみそ汁から出発する。そして学校へ行くようになって地域社会へとだんだんそれが広がっていきます。しかし、みんながやはり生まれ育ったふるさとという意識は日本人共通の底辺にある意識でございます。

 それが更に進んでいきますと、宇宙飛行士の訓練をしている向井さん、あの方と私、かつて懇談したときに、竹下さん、あなたのふるさともいいです。しかし私どもは考えます。できることならば、サミットも宇宙船の中でやるようにしたい、米ソ首脳会議も宇宙船の中でやるようにしたい。私どもはその先駆けとしての訓練を続けている。そうすればアメリ力の飛行士も日本の飛行士も、あるいは首脳たちもソ連の人たちも、宇宙船で議論しながら地球を回っていくと、あの緑が美しい地球、しょせん帰るところはあそこしかない。あそこに何故戦争があるのか、何故そういう危険があるのか、まさに地球ふるさと論であります。これには私もまいった。

 信州のみそ汁の味から地球ふるさとまで広がる訳でございますが、幸い二代にわたる自治大臣の努力によって、地方交付税というものの中に剰余金ができた。それを一億円ずつ、まずふるさと自体の青写真を皆さん方に考えていただく。皆さん方でこれを基礎にして計画を立て、特にハードの面は公共事業等でやりますから、ソフトの面に使ってもらえないか、こういうことが今度各市町村にいった訳であります。

 私は大変数字が好きなんです。数字は何ぼでも覚える。村の数は何ぼある、はい、五百九十一であります。町の数は何ぼあるか。千九百九十九でございます。市の数は何ぼあるか。六百五十五です。合わせて二三四五と覚えて、二と三と引っくり返して三二四五であります。こういいましたら、翌朝、梶山自治大臣が来て、あなたは大変な間違いをしていると。国後、択捉に六か村あるということを知らなかったかと。これには私もまいりました。村民の方、村長さんはいらっしゃいませんけれども、固有の領土であるのは事実でございます。

 一番小さいのは百八十七人の村もございます。そして百万人の市もございます。しかし、いずれにせよ市町村制はじまって、百年です。新しい世代の青写真、それを基礎にしてふるさと創生の足掛かりをつくってもらい具体化する。そこへ今日も知事さん方とお話ししておったときに、日本にはいわゆる筑波といういい例がある。世界中が驚く筑波がある。そうしたことを今後とも手掛けていかなければならないと思います。

 安定政権への基礎づくり

 さて、最後にいま一つ申しあげなければならぬのは、政治改革の問題でございます。これはいま政治不信、私自身が一番よく知っているつもりでございます。確かに、政治家というものはこうしてみますと、選挙区の皆さん方の一生懸命なご努力、応援者の物心両面の浄財によって支えられております。それなくして政治家というものは存在しない訳です。しかし、私生活と政治活動はハッキリ遮断しなくてはならない。

 そこで、今年を政治改革元年と名付けました。自由民主党にあっては後藤田調査会というものが十八日から出発しました。そして政府にあっては私の方で賢人会議というものを作りました。さらには公職選挙法、そして政治資金規正法、これらは国民の方から疑惑を持たれる余地のないような環境づくりをするためにこれに取り組む、いまをおいてその機会はない、このように考える次第でございます。いろいろなご意見をお寄せいただきながら進んでおります。

 さて、いよいよお願いになる訳でございます。今年は参議院の選挙が行われる訳でございます。まさに参議院で複数区というものが二十一区ございます。単数のところが二十六区です。その複数区の中で複数の候補者を立てて、そして政権を引き続き担当する責任政党としての役目を果たそうというのが我が党の考え方でございます。そもそも政権政党についていろいろな定義がございますが、よくいわれます定義の一つは、政権政治、責任政党とは何ぞや、はい、国政レベルの選挙に必ず過半数以上の候補者を立てて国民の審判を仰ぐ政党をして責任政党と申します。こういう定義も確かに一つの考え方でございます。

 はじめから半数に満たない候補者を立てて、全員が当選されたとしても、しょせん過半数には達しない。すなわち政権を担当する訳にはまいらない訳でございます。その意味において唯一の責任政党ということを何度か今日まで果たしてまいりました。その唯一の責任政党たる我が党として、したがって、ここに単独政権というものを基盤にして考える。したがって、複数区で複数の当選をこい願うのは当然のことでございます。

 そうすれば、お互いは切瑳琢磨するでございましょう。切瑳琢磨して底辺が広がることによって、我が党の二十一世紀に向けての安定政権の基礎づくりをしたいということを心から皆様方にお願いを申しあげる次第であります。長い時間のご清聴を心から感謝いたします。