データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 経済団体連合会臨時総会における竹下内閣総理大臣の挨拶

[場所] 
[年月日] 1989年1月18日
[出典] 竹下演説集,411−424頁.
[備考] 
[全文]

 今日は、記念すべき臨時総会に当たりまして、ご挨拶する機会をいただきましたことを心からお礼を申し上げる次第であります。

 大行天皇崩御、これは正に哀悼の極みであります。皆さん方からいろいろお見舞い等ちょうだいしたということを皇太子殿下、いまの新天皇から本当は自分としてはそのことを何とか朝見の儀の際にも言葉に出したかったというようなお気持ちの表れといたしまして、宮内庁長官を通じまして私の方へ天皇陛下としての大行天皇の闘病生活中のお見舞いに対して心から感謝しておる旨のお伝えがあった訳であります。

 新元号制定、そしてまた御大喪と、こういう段取りになる訳でございますが、これにつきましては、国民が極めて平静な中にこれを迎えていただいておりますことを心から感謝をしながら、私自身もこれらの行事をたんたんと進めると同時に、国政にもまた寸時たりとも停滞があってはならないという考え方で対応してまいりたいと、このように考えておるところであります。

 そして、ちょうどその際世界百四十九か国がパリに集まっておりました化学兵器禁止に関する国際会議がございました。宇野外務大臣がこれに出席をいたしておりまして、ミッテラン大統領のご発議によりまして、全参加者が大行天皇の一九四五年以来、平和、そしてまた世界経済、それぞれお尽くしいただいたご遺徳に対して一同が心から黙とうを申し上げたと、このような報告がございましたことをまたお伝え申し上げておきます。

 四百四十日間に九回の外遊

 さて、昨年、私にとっては前半、後半に分けてみますと、前半はいってみれば外交の前半ではなかったかと、このように考えております。事実、政権担当以来、もう四百四十日という日にちを数えた訳でありますが、その間自分で計算してみますと、実に九回外国へまいっております。そしてその日にちが五十九日ございますから、やはり二か月は首脳外交等がいわれておる今日、日本の総理大臣はそういう日程の中に自らの生活を律していかなければならないということを感じた次第であります。この九回にわたります外遊につきましては、とにかく行くたびごとにいってみれば我が国に対する世界全体の期待の高まりというものを痛感いたした次第でございます。

 そこで私はこの世界に貢献する日本ということで三つの柱を申し上げてきております。一つは平和への協力ということでございます。確かに国際連合というものは世界平和というものを達成するために設けられた機関であります。しかしながら実際問題、国際連合がそれだけの力を持っておるかいないか、いろいろな議論が絶え間なくあった訳でございますけれども、最近アフガニスタンのソ連軍撤退問題、あるいはイラン・イラク戦争、中東和平、やがて我が国も力をいたさなければならないカンボジア問題等々列挙してみましても、確かに国連安保理事会を中心といたしましての平和への貢献というのは大きな実績を残しつつあると思う訳であります。ところが、我が国はそれらに対するお金がかかりますと、特別拠出金でございますとか、そういうことにはそれなりの協力をいたしております。

 しかし、例えばペルシャ湾問題一つ取りあげてみましても、他の国はいわゆる機雷を除去するための艦船の派遣を行っておる訳であります。しかし、我が国の場合、憲法、自衛隊法、そして我が国がとっております今日までの政策からして、いわゆる掃海艇を派遣するということをいたしておりません。したがって、湾岸諸国の経済協力でございますとか、あるいは交通安全、航行安全の操業でございますとか、そういうところへ言わばお金で協力しておるというのが実態であります。しかし、今日これだけの力のついた我が国でありますだけに、例えば、これが戦後復興のためにどのようなプランで進むべきであるか、そういうところに人も出しましょう、そしていよいよ戦災復興がはじまったら我が国は戦後の貴い経験を有しておりますだけに、これらに対しては積極的に金のみでなく、人も派遣をしてまいりましょうというのが平和に対する協力の柱であります。

 第二番目は、いわゆる文化協力の問題でございます。もとより東西文化が巧みに調和・融合いたしまして、そして今日の世界に冠たる文化を打ち立てた我が国でありますだけに、具体的に申しますならば遺跡の保存問題でありますとか、そういう原点にさかのぼりながら世界に協力していくと同時に、いま一つは留学生問題でございます。

 ちょうど私が日米首脳会談に参加しておりましたときに、ふと気がついてみましたら、外務省から北村審議官、いま、カナダ大使でございます。大蔵省からは行天財務官、この二人が私の会合に同席いたしておりました。この北村さんはガリオアの留学生でございます。そして行天さんはフルブライトの留学生でございます。なるほど、私のプアーな知識をこのガリオアとフルブライトの留学生が支えてくれているんだなと、こういう感じを持ちましたときに、その留学生の数、当時から六千名といわれておりましたが、これらが我が国のいわば経済復興等のために果たしてくれた役割というものを考えながら、当時の留学生制度で得た我が国の恩恵等も顧みつつ、やはり二十一世紀までに十万人という中曾根前総理が打ち立てられました留学生計画、なかんずくアジアのASEAN諸国の留学生問題に力をいたさなければならないと感じた次第であります。

 もう二万数千を数えておりますから、二十一世紀の十万人などというのは可能な数字であります。この方々の中にはやっとインドネシアで一人の日本の留学生の閣僚が出来てまいりました。少なくとも日本で学ばれた方々がそれらの国へお帰りになって、いわば反日的な考え方をお持ちになることがないように、それこそ皆様方にもお願いしておるところでございますが、国全体をあげてこれらの対策に協力しなければならないと思う次第であります。

 三番目は、いうまでもなく経済協力の問題でございます。直接ご関係の皆様方もいらっしゃいますだけに私からくどくど申し上げる理由もございません。ただ、私も元来数字が好きでございますので、よく数字をみておりますが、たまたまガリオア・エロア基金というものをご記憶の方もいらっしゃると思います。昭和二十一年から二十六年まで、この間いわゆるガリオア・エロア基金によって我が国へ入ってきたお金は幾らだったろうかと。約二十億ドルでございます。いまにして言えば二十億ドル、そう我々の計算の外にある数字ではございませんが、その二十億ドルというのをその六年間の日本の国のGNPに比較いたしてみますと、約四パーセントぐらいになる訳であります。ということは、今にして思いますならば、毎年十四、十五兆円、今のGNPとの比較は難しい問題でございますけれども、一例として計算してみますと、その程度の完全な援助を受けておった体験を我が国は持っておる訳であります。今、世界第一の債権国になったと。今日そういう時代を思い起こしながら、それが産業投資特別会計になり、それが戦後の傾斜重点産業の復興にもつながっていったということでございます。また、金額としての問題は別として、それがガリオア・エロア基金、ユニセフを通じてのいわゆる粉ミルクにもなっておる訳であります。

 先日、自民党の長老が一人お亡くなりになりました。ふと私なりに計算をしてみましたら、いま、明治生まれの衆議院議員の方が二十四名いらっしゃいます。そして昭和二十年八月十五日生まれ以降の方が二十五名いらっしゃいます。はあ、昭和といっても戦後生まれの国会議員が明治の数を超したんだなと、こう思ってその人たちの会合に出ました。みんな私よりもいい体でございます。この人たちはあのガリオア・エロアの粉ミルクで育った人だなと。したがって、あなた方もそのことを考えるならば、経済協力を真剣に考えなきゃいけないよと、このようなことを申したのであります。

 いま、アメリカを超してODA世界一ということがいわれておりますが、私はこれが量も質ももっと本当にそれが生きますような人、機構も含めた前進をすることによって世界に貢献する日本の経済協力としての柱を立てなければならないと思っておるところであります。

 いま一つ申し上げますのは、何としても米ソ首脳会談というものがありました。したがって、これが費用対効果を考えれば、そういうことほどむだなことはないから、必然的に軍縮軍備管理の方向へいくのは当然だという議論もございましょうけれども、それが一つのいわば平和への環境というものが、少なくともムードとして前進しつつあるという恵まれた環境でありますだけに、我が国といたしましては、例えば外相定期協議等を重ねながらソ連との平和条約締結への努力、これをしなければならないと思います。また、何としても日米機軸という我が国の外交方針の中において可能な限り早い機会に新大統領とのワーキング・ビジットの形において対談を持ちたいと考えておるところであります。

 新税はすべて悪税か?

 さて、次の問題は、一連の外交日程が終わりましてからは、懸案の税制改革をするための国会を開かせていただきました。この問題につきましては、皆さん方に大変長い時間ご協力を賜りましたことをこの際お礼を申し上げる次第であります。

 カナールという税制学者の言葉がございます。すなわち新税はすべて悪税である。しかし、これが国民の暮らしの中に定着することにより、また良税になるであろうという言葉がございます。そうしたような言葉をぼんやりと背中に置きながら、私にとりましては多年の懸案事項であるということももとよりでございますけれども、皆様方もご記憶があろうと思います。いわゆる一般消費税というものが議論されましたのは昭和五十三年の税制調査会の答申からでございます。私は五十四年から大蔵大臣をいたしておりました。したがって、私にとってはいわゆる一般消費税、そして売上税、正に十年間の私自身の過去を振り返っても大きな課題であったことも事実でございます。何としても新しい税制、なかんずく間接税というものがもちます欠点、長所というもの、それぞれございますものの、新税であればやはり何よりも不安とか懸念かつきまとってくるのは当然のことであります。

 私はこれをいろいろ整理をいたしてみました。大体考えてみると、いままで税を納めない者にとっては消費税が付くだけで増税になるではないかと。我々若い者にとってはやはり所得税の減税よりも増税の方が多くはないか。いわゆる中堅階層といわれる人々にとっては、それこそ負担も一番掛かるときだし、やはり学校へ行く子供等を抱えておれば育ち盛りでもあるし、増税ではないかと、このような懸念もありました。そしてまたインフレになるではないかと、こうした懸念もありました。

 さらにまた、税率三パーセントなどというのはいつでも上げられるではないかと、この懸念もありました。

 それから、また国民自身が税金を負担する訳でございますが、これを国庫へ納める方は事業者の皆さん方でございます。そうしますといずれにせよ手続きが大変面倒ではないか、そして転嫁が果たして出来るかやと、こんな懸念が七つばかりありますところに、また、地方財政はどうなるんだという八つ目の懸念もありました。

 さらに、国会の議論で最終的な、私が九つ目の懸念と申しておりますのは、これは簡易納税制度とか免税点があれば精緻さをいささか欠くということは私も認めております。すなわち、我々が税として負担したものが国庫に入らない畿ばくかの部分が出来てくるではないかと、このような懸念に基づくいろいろな議論が行われてきた訳でございます。しかし、国民の皆様方の理解と協力の中にこの国会を通過いたしました。そうなるといかにしてこれが本当に国民の皆さん方の暮らしの中に習慣として定着していくかということに力を注がなければなりません。したがって、推進本部を設置いたしました。今朝も私は中小企業四団体の方に対する、私から見れば辻立ちということでございましょう、説明会に出させていただきました。そして、先般また国税局長の皆さん方との懇談もいたしてみました。

 例えば、東京国税局で年末までに、いわば私のような初級講師ではなくして、上級講師で皆さん方から質問があったらこの業種はこのようになりますとか、それがすぐ説明出来る上級講師がどれぐらい出来たか。国税職員は五万三千人おります。そして、税理士の先生方は五万一千人いらっしゃいます。しかし、少なくとももう上級的な話が出来るのが東京国税局で年末までに三百六十人出来た。それで、これから八千回の説明会を行うことによりまして、国民の皆様方の懸念を解消し、四月一日からこれが実施に移され、そしてこれが国民の皆様方の暮らしの中に定着せしめていかなければならない訳でございます。これにつきましては、私も先般水戸から説明の会を始めましたが、この三月までも、そして三月を過ぎてからも、いわば辻立ちの方において可能な限り国民の皆様方の理解を求める努力を政府をあげて行わなければならないと思います。

 ちょうどいま、正に予算編成をいたしておるさなかでございます。今度の予算編成は、この予算の性格をみますならば、今夕大体経済見通し等は発表することが出来ると思います。すなわちインフレなき持続的成長、物価が世界どこから見ても落ち着いて、そして持続的安定成長の四パーセントの実質成長というものが一応見通され、そのうえにいろいろご協力賜っております経常収支問題についてもなるほどと世界の先進国がみてくれるような形のものを出さなければならないと思っておる次第でございます。それに基づいて六十三年度補正予算と。そして平成元年度本予算と、この二つを本日から濃密な協議の中に詰めていく訳でございます。

 先ほど懸念と申しあげましたように、いってみれば生活保護基準はこれをあげることにいたしましょう。課税最低限はこれをあげることにいたしましょう。また、税制の中で中堅の皆さん方には十六歳から二十二歳、ちょうど学校適齢期の皆様方の特別控除の問題とか、税制のみでなく財政支出の中においてもこれらの懸念に対応するのを、主として補正予算を中心にこれを実行に移していこうと。

 したがって、補正予算と平成元年度予算とを一体として、私はそういう税制に対する懸念もぬぐい去ると同時に、

インフレなき持続的成長、内需中心の予算というものの編成が可能であろうということを考えております。

 財政再建と行政改革

 それにいたしましても、やはり財政再建ということを忘れてはなりません。昭和五十四年の暮れ、国会で決議がなされました。財政再建に関する決議というのものであります。当時大蔵大臣としてそれに参画させていただいただけによく記憶いたしております。国民福祉充実のためには安定した財源が必要であると。しかし、いわゆる一般消費税はその仕組み、構造等について国民の理解を得るに至らなかったと。よってまず行政改革をやり、歳出削減をやり、その上で税制の抜本改正を行いながらこれにあたるべきであるという決議でございます。したがって、やはり基本にありました最初に書かれておりましたところの行政改革というものを忘れ去ってはなりません。何分国鉄、電電、専売、これらが民営・分割、こういうことで一つ決着を見た訳でございます。

 この問題で日本でおよそ総裁と名の付く人が二十六名おりました。日本銀行総裁から国鉄総裁から電電総裁から二十六名おった訳です。しかし、その中で国鉄総裁がなくなり、そして電電総裁がなくなり、専売の総裁がなくなりました。

 それから東北開発株式会社も総裁となっておりましたが、それがなくなり、そして電源開発株式会社の総裁も社長さんにおなりになりました。ただし、自由民主党総裁、愛国党総裁、これは除くといたします。そういうことで、何か目にみえる大きなことが終わりますと、ああ、これで済んだではないか、こんな気持ちになりがちでございますだけに、これからもせっかく土光臨調の下で手掛けられたこの問題について、精一杯押しあげてきた荷車が手を放すとがらがらとまた坂を下っていくようなことがないように、これからもこれを締めていかなければならないと思います。

 そしていま一つ、皆様方のご協力によりまして、確かに自然増収という環境に恵まれております。しかし、やはり財政改革というもの、まずは第一義的としていわゆる平成二年度には赤字国債依存体質から脱却すると、その可能性が今見定められるだけに、これを何としてもやりとげていかなければならないという行財政改革の柱はこれまた引き続き強力に打ち立てていかなければならないと思う次第でございます。

 さて、そういうことから思いますと、私もふと考えてみまして、本当に昭和六十年九月二十二日という日、これは私にとって忘れられない日でございます。ニューヨークにおいて行いましたいわゆるプラザ合意でございます。G5、G7、いまこそいろいろいわれる耳慣れた言葉でございますが、あの際のG5というものは実に強烈なインパクトを与えたことと思います。

 私自身も本当に中曾根総理にお願いをいたしまして、まず総理大臣が大蔵大臣を兼務していただきたいと。その兼務ということを知っておりましたから、このたびも税制が通るまでは私は大蔵大臣を兼務してまいりました。それはそれといたしまして、それはそのときには兼務した形だから閣僚の了承をとらなくて結構でございますから、いわばプラザ合意に参加したことが伏せておかれるということがあった訳であります。

 したがって、ゴルフウェアをまといまして、大蔵大臣でございますから、税関を通るということだけは簡単に通れますから、あそこから乗りまして、ニューヨークへまいりました。二百四十二円、余りにもドルの独歩高であるという考えが私にありました。しかしこれだけは審議会で決める訳にもいきません。だれに相談する訳にもいかない。日本銀行総裁とご一緒いたしまして、いわゆるドルの独歩高修正に対する合意をいたしてまいりました。

 その後私も一割程度のことはおよそ期待出来ると思っておりましたが、これが急速な円高を招いた大きなきっかけになりました。心の中で、いや、一年半もすれば、あるいは十五か月ぐらいすれば円高のメリットも出るじゃないかという気持ちはございました。しかし、どこへまいりましてもこれで一体日本の産業はどうなるんだと。私自身に対しても大変怨嗟の声であったような感じがいたす訳であります。しかし、それが今日に至ってみますと円高のメリットというものも出てまいりました。それとて基本にあるのは皆さん方のいわゆる構造調整への努力というものが基本であることは忘れてはなりません。

 したがって、いまはあの為替調整のことに対して、私に怨嗟の声を送る人よりも、あれも日本の経済の歩みの中に避けて通れない道であったと、円高メリットをご享受いただく人も多くなってきたというふうに思います。あるいはもう一つは、国鉄の分割・民営につきましても一体どうなるんだという議論が行われておりましたのも、サービスがよくなったそうだなと。したがって、こう大きな改革というのは私は直ちには評価していただけるものとは思いません。いわばG5の円高メリットの問題が、あるいは国鉄のサービス向上の問題等が今日多少なりとも国民の皆様方に理解と評価をいただいておるといたしますならば、税制改革もまた後世の人がこれを評価してくれるであろうということを私は確信をしながら、大幅減税と一緒に税制改革はやはりなされてよかったな、こういう気持ちがでてくることを期待をしつつ、これが国民生活への定着のためには最大の努力を払っていく所存であります。

 さて、今次予算のインフレなき持続的成長、内需中心のお話はいたしましたが、確かに経済は今他の先進国からみれば優等生も優等生、大優等生でございましょう。しかし、これから本当に構造調整というものもなお一層皆さん方の自らの問題としてご努力を賜らなければならない問題でございましょう。また、製品輸入の問題もお願いしなければなりません。

 「一億円構想」は発想の転換

 そういう努力をお願いすると同時に、いま一つ二十一世紀というものをみまして、私が本当は若いころから演説をするときによく申しておりました「ふるさと創生」というものに焦点を当ててみたいと思う訳であります。

 確かに、第四次全国総合開発計画というものにおきまして、一極集中から多極分散へ、こういう下敷きができた訳であります。ところが、いままで考えてみますと、新産業都市とかあるいは工業特別地域とか、いろいろな政策がございました。これは決して間違っておったとは思いませんが、どちらかといえば政府がメニューを示しまして、地方の皆さん方にそのどれかを選択してもらいたいという姿勢でございました。したがって、やたらと石油コンビナート計画が出てみたり、いわば画一的な傾向があったではないかという一つの反省も必要でありましょう。

 また、田中角栄先生が総理大臣におなりになる前にお出しになったいわゆる日本列島改造論、いわば交通網等を整備して均衡のとれた国土開発を図っていくという考え方は未来永劫にわたって哲学として私は正しいと思っております。ただ、たまたまそれがいわゆる石油ショックとぶつかりまして、狂乱物価という言葉で象徴されました。

 そこで、大平元総理が田園都市構想というものを打ちあげられた訳であります。なるほど、大平先生のあの顔が当時「田園都市構想」という大きなポスターの中の真ん中へでんと座っておりますと、正に田園そのものの顔だと、こんな感じでございました。

 したがって、今度考えておりますふるさと構想というものは、いわば地方には地方の伝統なり歴史なり文化なり産業なりあるでございましょう。これらを地方の発意で考えて、それに国がお手伝いしていこうという発想の転換というものを考えてみたいと思ったからでございます。ばらまきではないかという批判をうけながら一市町村一億円、これを地方交付税の算定基準の中で位置付けることにいたしました。これは政府が金を支出するのではなく、地方交付税でございますものが昭和六十二年度の剰余金の一兆八百億の中から三千三百億程度をお出しする訳でございます。村の数が五百九十一ございます。町の数が二千引く一、一千九百九十九ございます。市の数が六百五十五ございます。合わせて二、三四五の三と二を引っ繰り返しまして、三、二四五とおぼえていただければおぼえやすい数字でございます。私も数宇をおぼえるのに若干の工夫をいたしております。

 そういうところで、百万人も一億ではないかと。そのとおりでございます。百八十七名の村もございます。九十六世帯しかございません。そこも一億ではないかと。それは広域的に十か町村が組んで物をお考えになるところもございましょう。実際は主として離島などでございます。あるいはそれの金利で医科大学と契約した巡回医療をお考えになるようなところもふるさと構想でございましょう。あるいは町で商店街づくりというのも一つの地域のふるさとの目玉でございましょう。そこへハイビジョンテレビをお据えになるところもございましょう。いってみれば知恵比べコンクール。市町村制が出来てからすでに百年目でございます。したがって、これを契機として二十一世紀に向かったふるさと創生というものを政策の課題の中心に据えなければならないというふうに考えておるところでございます。

 今日ご審議いただいたと聞いておりますこの地域活性化問題、若者の定着する地域社会への創造というのは、私のふるさと構想をより皆様方の頭脳によって高度な哲学として位置付けたものが地域活性化構想でありましょう。決してごますりに申しあげた訳ではないことを付け加えておく次第でございます。

 自浄能力を発揮して政治改革

 さて、そういうことを考えながら、また皆さん方の今次のディスカッション等を聞きながら、やはりいま一つ考えなければならないのは、いわば政治改革という問題でございます。確かに私自身国会でも考えてみました。リクルート問題というものは四つの点があろうかと思います。一つは証券取引上の問題、二つ目にはこれが税法上の問題、三つ目にはいわゆる刑法上の問題、四つ目がやはり政治すべての基本になる倫理の問題であると思います。

 確かに日本の株式市場というのはこのように発達してまいりまして、ニューヨークを超しました。大阪の市場とてロンドンより大きい訳でございます。したがって、いってみれば我が国の市場の発達と経済の発達というものと法律制度というのがついていけなかったほど急速な発達であったかとも思われます。

 創業者利得の問題、税法上の問題にしましても、本当に私ども大蔵省でよく創業者利得の議論をいたしますと、松下幸之助翁の話とか石橋正二郎翁の話になってまいります。しかし、いま急速に発達したそうした問題が別の意味において創業者利得の問題について一つの不公平感という角度から議論をされるようになったともいえる訳であります。

 そうした証券取引上の問題、あるいは税法上の問題、これは手直ししていかなければなりません。刑法上の問題、これはいうに及ばないところでございます。しかし、政治倫理という問題、私は基本はそこにあると思います。政治改革を唱え、今日、後藤田委員会というものを発足いたしまして、いままで議論いたしてまいりました。確かに私どもが政治家という職業の下に皆様方の前にまみえておるということは、これは大変な選挙区の皆様方の努力とお支えと、いま一つは多数の後援者の皆様方の物心両面にわたる浄財に支えられて今日ある訳であります。それなくして政治家というものは選挙という試練を受ける限りにおいては存在しないでありましょう。しかし、政治資金規正法というのは、少なくとも私生活と政治活動とを峻厳に遮断する性格のものでございます。

 したがって、本当に政治倫理というのを仮にいかに追求してきましても、それが守れるような環境というものの整備、それが公職選挙法であり、政治資金規正法という問題になってまいる訳でございます。

 これらについて徹底的に議論をし、短期のものは当然今国会中に成案を得、具体化しなければなりません。中長期にわたる政党法を作るとか、あるいは選挙制度全体の問題は中期課題とでもいわざるを得ないかもしれないと。これに取り組むことによりまして、私どもはそれこそこの立法府改革への具体案として政治臨調ということのご提言の問題につきましても、我々自身目浄能力をもっておるということをお示ししなければならない、そのいわば出発点として政治改革というものが今年度の大きな課題になっておることをこの際申し上げ、私どもの考え方に対し、絶えず叱磔咤鞭撻を賜りたいというふうに考える次第でございます。

 そうしたことで、この平成元年というものを見詰めてみますと、確かに諸外国に比べれば経済環境は順調でありましょう。しかし、そうしたすべての土台である政治そのものの改革、それこそ新しい時代を迎えた二十一世紀に向かっての本当に世界の中における日本として、そしてまた国際社会ということを本当に実感出来るお互いの暮らしとして、これからの政治の原点にそれらの考えを置きながら進めていかなければならない。これが私どもに課せられた使命ではなかろうかと思う訳でございます。

 今日、大変いい機会をお与えいただきまして、昨日会長にお願いしました。十五分という日程になっておるが、これから全国を歩くので、済まないけれども、今日の総会を私のいってみれば辻立ちのけいこ台ぐらいのつもりで行かしてもらえないだろうか。あんたの話なら案外話もうまいから、それは四十分以上やろうと。このおぼしめしに従いまして、こちらへまいりましてあたり前のお話を申し上げましたが、どうか私どもに対してたゆまぬ叱咤鞭撻のムチと、そしてお互い共同意識に基づく国際化したこの国というものを念頭に置いた企業に、社会活動にご尽瘁賜らんことを心から祈念をいたしまして、私のお話を終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。