データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] ナショナル・プレス・クラブにおける海部内閣総理大臣の演説

[場所] 
[年月日] 1989年9月1日
[出典] 海部内閣総理大臣演説集,276−283頁.
[備考] 
[全文]

ホームズ会長,並びにご列席の皆さま

権威あるナショナル・プレス・クラブにおいて皆さまの前でお話できますことは,私の大変光栄とするところであります。本日,私は,日米関係と,国際社会における日本の役割について,私が日頃考えているところを率直にお話したいと思います。

私はまず,政治家として,そして一人の個人として,私がどのような信条のもとに生きてきたか,そして総理大臣として何をしようとしているのかをお話ししたいと存じます。

私は,初めての昭和生まれの総理大臣として,より若い世代を代表していることに誇りと責務を感じています。私は,日本において,戦場に行ったこのとない世代に属しています。しかし,私の世代は,戦争を知らない世代ではありません。世界に大恐慌の起こった直後に生まれ,第二次大戦下に多感な青春時代を過ごし,戦後の飢えと混乱をこの身で体験してきた世代です。それだけに,私は,平和の尊さと,自由の重要性を痛切に感じ,そして,豊かさへの憧憬を常に抱いてきました。私は,日本の政治の責任者として,また,私の属する世代の代表として,平和や自由や豊かさを生まれたときから享受してきた若い世代にこれらの重要性を訴え,そして,これから二十一世紀を担っていく世代にこれらの財産を引き継いでいかなければならないと考えています。

私がこのような確信を抱くに至った過程において,大きな影響を与えたのは米国です。

三か月前,我々は戦後の日本を代表する国民的歌手を失いました。国民栄誉賞を受けたその人は,美しい空でさえずるひばりという意味を持つ「美空ひばり」という希望に満ちた名前を持っておりました。一九五〇年に大流行した「東京キッド」という,彼女が十三歳の時に歌った曲の一節に,「右のポッケにゃ夢がある,左のポッケにゃチュウインガム」という表現があります。戦後の当時の飢えた子供達にとり,ガムはかんでもかんでも口の中から消えない魔法の食べ物でした。チュウインガムという魔法の食べ物,チョコレートという信じ難い程美味なお菓子やキャンディーを焼け跡の子供達に配ったのは,昨日まで日本軍と戦ってきた米国のGI達でした。そしてその人達の属する米国は,子供達にとっては夢と希望の国でありました。

子供達のみならず,軍国主義の厳しい統制と規律の下で自由と人間性に対する著しい制約を受けてきた大多数の日本人にとって,米国は,日本には無いもの,日本がこれから学び取り入れていかねばならないものを無数に持っている国でありました。今から二十七年前に若い政治家として国務省の招待を受けた私もまた,そのような憧れの気持ちをもって米国の土を踏みました。

米国に来て私がまず驚いたのは,そのとてつもない大きさです。ニューヨークでは部屋数一千八百室という巨大なホテルに驚きました。全部の部屋に泊まるには五年を要するのだなと考えたことを思い出します。テキサスの農場を視察するためには飛行機が必要でした。そのような驚きの次にきたものは,かくも大きな国が,どこに行っても明るく,豊かで,そして何よりも未来に向けた強い理想主義が息づいているとの強烈な印象でした。私は,この最初の米国との出会いを通じ,米国社会のそのような強さが,自由と民主主義によってもたらされていることを学んだのです。

戦後四十余年,我が国もまた,自由と民主主義を基本的な価値として,国造りを進めてきました。しかしその過程で,いろいろなことがあり,国民の政治への信頼を失いかけたこともありました。特に,先の参議院選挙の国民の厳しい審判を受けた後に総理大臣に選ばれたものとして,私は,健全な民主主義を維持するために不可欠な政治に対する国民の信頼を回復するため全力を傾ける決意でおります。信なくば不立であります。

そのため,私は,いまの日本においては,より高い倫理性に支えられた,公正な政治を推進していくことが何よりも求められていると考えています。より具体的には,清廉潔白な政治を確保するための政治改革,長期的に我が国の財政基盤を支え,かつ,より公正感を高めるための税制改革で,貧富の差の拡大をもたらした土地問題への対応,消費者の立場に立った生活の質の向上等が,私の内閣の重要な課題となるものと考えております。

ご列席の皆さま

このような政治信条を持つ私にとって,日米の友好協力関係は最も自然な関係であり,かつ,極めて大切な関係であります。

私が日米関係についてどのような基本的認識を有しているか,次に話を進めたいと思います。

先ず第一に,米国は我が国にとって,死活的に重要な安全保障を支える盟友であります。

第二次大戦という大きな過ちから出発した我が国は,平和憲法のもと,軍事大国への道は歩まないとの国民的選択を行いました。私たち日本国民は,そのような基本的生き方に誇りを有しており,将来も変わることなくこの政策を追求していく決意でおります。

他方,世界の平和と安定が,基本的には力の均衡と抑止によって保たれているということも冷厳な事実であります。そのような中で,我が国としては,我が国が戦争の尊い犠牲を通じて目覚め,育んできた自由と民主主義という価値を分かちあう米国との同盟によって,我が国の生存を確保するとの道を選びました。このことが日米両国にとり正しい選択であったことは,何よりも戦後四十数年の歴史が証明しており,私はここに日米の協力関係の基盤があるものと考えています。

日米安保体制は,単に我が国の安全保障のためのみならず,東アジア・西太平洋全体の安全保障の大きな柱にもなっています。戦後の国際政治構造が大きく変化しつつある現在,国際の,とりわけ東アジア・西太平洋の平和を確保して行く上で,これまでの地域的安定の枠組みが今後とも安定的に維持されることが極めて重要であります。我が国としては,我が国及びアジア・太平洋の平和と安定のために,我が国自身の節度ある防衛力の整備に努めると共に,日米安保体制の効果的運用を確保すべく,努力を継続していく所存であります。

次に経済面に目を転じますと,日米両国は,今や,それぞれにとって欠くべからざる存在になっております。このような日米両国の相互依存は,米国の発展により日本が恩恵を受け,また,日本の成長により,米国が利益を受けうる関係にあるという意味において,英語で言いますところの「ポジティヴ・サム」の関係を可能とする状況となっております。しかし,実際にこのような関係にできるか否かは,日米双方がこの状況にどのように取り組んでいくかにかかっております。

我が国の経済発展は,直接投資の形態を通じて,世界各国で雇用を創出しており,米国においては,実に二十万人以上の雇用機会が日本企業によって作り出されています。また,米国における日本企業の経営面,技術革新面での努力は,米国における部品調達比率を着実に高め,経済的乗数効果を生み出しています。更に,これら企業は,その産品を日本を含め世界市場に輸出し,米国の貿易収支の改善にも貢献することが期待されています。資本面についていえば,我が国の対外投資は,米国の貯蓄の不足を補い,その経済の円滑化に貢献しています。

更に,技術面においても,最近まで,米国との関係で我が国のみが一方的に利益を享受していたとの批判もあった両国間の技術移転は,両国の努力を通じ,より均整の取れたものとなってきております。私は,特に日本の産業技術の対米移転が米国企業の生産性を高めていることは大変喜ばしいことであると考えています。

他方,日米間の相互依存が拡大してくると,必然的に摩擦が起こることも事実であります。その場合に,対立ではなく,引き続き日米両国が共同して,問題を一つ一つ解決して行くことが肝要です。実際に,これまで多くの課題について日米で共同で取組み,具体的な成果があがってきております。

もちろん全ての問題が解決されたわけではありません。日米間には依然として大きな貿易不均衡があります。日米双方の努力によって改善をみなければならない大きな問題であります。我が国は,引続き構造改革,内需の拡大,輸入の拡大に努力し,必要な政策を積極的に,かつ,後戻りすることなく行っていく決意であります。それは我が国自身にとっての利益だからでもあります。同時に,米国においても,その産業競争力の強化,財政赤字の縮小,為替レートの一層の安定等の努力を強化していくことが必要であります。その意味で,日米間の重要な問題については何ごともあくまでも協力と共同作業で解決していくことが肝要であり,スーパー三〇一条の如き手法に頼ることは,問題の解決にならないばかりか,大局的に見れば,健全な両国関係の発展に否定的な影響を及ぼしうることに注意を払う必要があります。また,間もなく開始される日米構造問題協議も,同様の協力と共同作業の精神から有意義な成果が生まれることを期待しています。更に,ウルグァイ・ラウンドを成功させて,多角的自由貿易体制を維持・強化することは,日米経済関係の一層の円滑化のためにも重要です。

ご列席の皆さま

日米両国は,自由と民主主義という基本的価値を共有し,GNPで世界の四割近くを占める国として,国際社会で大きな責任を分かちあっています。我が国としては,世界に対する貢献として,平和のための協力と,ODAの拡充,国際文化交流を柱とする国際協力構想を推進しているところですが,このような日米両国の世界における重要性は,両国が協力関係を一層強化していくことを求めています。

私は,一九九〇年代は「封じ込め」を超えてソ連を国際社会に統合していくべきであるとするブッシュ大統領の見識に,敬意を表するものであります。政治制度としての民主主義は,ソ連や東欧における政治制度の改革の動き,特にポーランドにおける「連帯」主導のマゾビエツキ内閣の誕生等に見られるように,世界のいたるところでその優位性を示しています。また,開放経済体制は,多くの開発途上国においてもその有効性を立証し,今やソ連においてさえ,経済活性化のためにペレストロイカが進められています。

しかし,民主主義についても,国際経済体制についても,なお多くの課題が存在することも事実であります。例えば,国際テロリズムは,人間の生命,自由及び尊厳を脅かしています。麻薬もそれに劣らない脅威です。中東,中米,カンボジア等においては,依然として紛争が続いております。安定的な国際経済秩序を維持・強化していくための不可欠な要素として,途上国や累積債務問題に積極的に取組んでいくことが必要です。また,ガットに基礎を置く多角的貿易体制は,保護主義や閉鎖的な地域主義の誘惑に曝されています。これら全ての領域において,日米両国が建設的な協力を拡大していくことが重要であり,我が国としても積極的な貢献を行っていく所存であります。一例として途上国の累積債務問題をとれば,我が国は,メキシコに対して,日本輸出入銀行による融資を通じて,新債務戦略の同国への適用とその円滑な実施のため積極的な貢献を行っているところであります。

政治や経済での面でこのような諸問題と並んで重要なのは,我々の世界が今,地球環境問題という,新しい,また,より困難な問題に直面していることであります。フロンによるオゾン層の破壊,急速な熱帯林の減少,酸性雨による森林の破壊,地球の温暖化等,これまで我々が当然のこととして享受してきたこの地球の素晴らしい環境が,今や大きな危険に直面しています。我々は,国際経済において国境がなくなってきたとよく言います。しかし環境について言えば,大気も水も,もともと国境を越えて地球上の全ての生物が共有しているものです。環境の保全は,そのまま地球的性格を有しているのです。もとより地球環境問題は一朝一夕に解決し得るものではありません。というのも,地球環境問題は人間の諸活動に密接に結びついて生じているものであり,地球環境問題を解決しようと思えば,どうしても私たちの生活にも影響が出てくるからです。

ただ人類には知恵があります。地球環境の保全と世界経済の発展が両立し得るような新しい技術が可能だと思います。我が国は,自動車公害規制その他の我が国における環境保護措置についての技術開発には大きな努力を払ってきました。私は,我が国がこれまでの努力の成果を結集して,これを更に広く地球環境問題の研究開発に役立てるべく取り組むことをここにお約束します。同時に,その成果を開発途上国を含む諸外国と分ち合い,また,諸外国の研究開発の成果をも積極的に取り入れるようにしていきたいと思います。

以上のような世界の現状認識を踏まえ,好ましい歴史の流れを更に推し進め,より確実なものとするとともに,困難な課題に立ち向かうために,日米両国は,相携えて,より多くの政治的,経済的役割を果たしていかなければなりません。この様な日米両国の協力を,我々はいわば,「地球的規模でのパートナーシップ」として日米間で一層発展させていきたいと念じております。特に私は,地球環境保全のための国際協力は,その緊要性において特別な考慮が払われるべきであると考えています。

我々の前に広がる協調と共同作業の分野は,今述べたように実に広範であります。私は,このような協調と共同作業を通じ,日本にふさわしい貢献を,国際社会のために行っていく決意であります。

ご列席の皆さま

私は,私の政治家としての使命は,全ての国民に対して,未来への展望を切り開いていくことであると考えています。そのための前提として,私は,我が国外交の基軸である日米関係を更に強固なものとしつつ,日本が国際社会においてその責務を引き続き果たしていくことが重要であり,私としてそのためにできるかぎりの努力をしていく決意であることをお話してきました。

私たちの社会の目標は,一人一人がその個性を十分発揮して幸福を追求することを保証することにあると私は考えます。そして,平和と自由と豊かさは,そのための必要条件であると言えましょう。今日,米国においても日本においても,この三つの要素が基本的には満たされています。しかしそれは,空気のように自然に存在しているのではありません。これらは,過去の多くの人々の努力と犠牲の上に獲得されたもので,今後とも守り育てていかなければならないものです。私たちは,子供達に,そのことをしっかり教えなければなりません。

また,平和と自由と豊かさは,幸福追求にとっての必要条件ではあっても,決して十分条件ではありません。一人一人がその個性を十分に発揮しうるようにするためには,教育の果たす役割が極めて重要であります。また,量的な豊かさの影に隠れて犠牲にされがちな質的豊かさを確保していくためにも,より一層環境の保全に務め,豊かな緑,きれいな水を守っていくことがますます必要になってきています。更に,物質的に人々の生活が豊かになればなるほど,より公正な社会であることが求められます。

ご列席の皆さま

私が二十一世紀に向け実現したい社会は,今述べたように,平和や自由や豊かさについて自覚と責任をもった人々に支えられた,より公正な,そして人間性のあふれる社会であります。我が国がそのような社会へと成熟していくことは,それ自体,国際社会への大きな貢献となるものと確信しています。

実際,日米両国は,単に自由や民主主義という原則的価値を共有しているだけではなく,よりよい社会の実現を目指し,教育や環境の問題も含めた,広範な,そして具体的な問題や課題を共有しています。

我々が互いをよりよく理解し,力をあわせ,ともに考え,行動していけば,こうした問題や課題を必ずや克服していけるものと私は信じています。そしてそのことは,日米両国の関係をより広く厚みをもったものとすることでありましょう。

ご静聴有難うございました。