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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 第十三回全国研修会における講演,「対話と改革の政治」をめざして(海部内閣総理大臣)

[場所] 
[年月日] 1989年9月30日
[出典] 海部演説集,522−533頁.
[備考] 
[全文]

 このたび自由民主党総裁にご選任をいただき、身に余る光栄であります。同時に、結党以来の危機と言われる時に総裁の任に就きましたことに、責任の重さ、大きさを痛感致すのであります。この責任を全うしていくためには、すべての皆さんのご理解とお力添えがなければ出来ませんので、まず最初に会場の皆さんに心からご支援を賜わりますようお願いする次第であります。

 三か月前の七月、私はまだ党政治改革推進本部の行動委員長という肩書で、参院選挙で全国を飛び回っておりました。そのとき訴えましたテーマの一つは、リクルート事件に端を発した政治不信を乗り切っていくためには、党が思い切って改革し、生まれ変わっていかなければならないということでした。

 また、来たるべき高齢化社会を控え、安定的な税収を確保するため、それまでの不公平や高すぎるというご批判に応えて、税制の抜本的な改正をしたのですが、国民のご理解ご納得を十分いただくことができず、あの厳しい結果を受けたことを、いま謙虚に反省をしなければなりません。

 しかし、自由民主党にはいろいろな責務があります。政権党の自覚と責任に立って、参院選の結果は厳しく受けとめ反省しますが、いつまでも沈滞しているわけにはいきません。新しい政治の展開に向け、力強く前進していかねばならない大切な時であります。臨時国会ではしっかり論議していきたいと考えております。

 社会党は選挙の公約として、消費税廃止を言われます。私たちは、消費税はこれからの高齢化社会や、公平な税負担という面からいって廃止することはできない。最近の世論調査の結果を見ても、一番多いのは「見直しをして続けよ」ということですから、どこをどう見直すことが国民の皆さんのご期待に添えるか、いま率直に各方面のご意見を伺っているところであります。

 県連からも文書で届いております。党の税制調査会や、政府税制調査会も見直しをやっております。私自身もいろいろ意見を聞いております。これからさらに国民の皆さんの声に耳を傾けます。台所を預かる主婦の方々、戦後の日本に明るい希望を持てるように支えて下さった農家の皆さんにも、そのご苦労に敬意を表しつつその声を聞き、「対話と改革」を旗印にした私の内閣ですから、皆さんのご意見をきちっとまとめて改革案を提案していきたいと考えております。

 政治改革・税制改革

 さて、いま自民党が最初に取り組むべき仕事は政治改革であります。政治が信頼を取り戻して、自由民主党が力強く、瑞々しくよみがえっていくためには、まず我々自身の手で片づけなければならぬ大きな問題があります。

 既にわが党は「政治資金規正法」と「公職選挙法」の両改正案を国会に提出いたしました。さらに資産公開法案を準備中でして、この三つを通していただきますことを各党にお願いしております。しかし、これは入り口であります。

 私は先般、政府の選挙制度審議会に行き、選挙制度や政治資金、選挙区定数の問題や、抜本的な改正をどうしたらいいかを、各界を代表する委員の皆さんにお願いし、三月までにご返事をいただきたいとお願いしました。そして来年十一月が議会制度開設百周年という節目ですから、党の政治改革推進本部が決めた大綱に示してある終点のときにしっかりした青写真を示し、国民、同志のお力添えを得て片づけていきたいと思います。

 中長期の目標を言えば、政策本位の選挙ができるように改める。同じ選挙区に同じ政党の候補が複数で立候補することによって起こる状況にかんがみ、政党本位の選挙ができるような制度に抜本改革をしたいと思っております。

 二つ目の税制改革の問題では、税というものに対する一昨年までの世論調査を思い出して下さい。一番大きかったのは「税金は高すぎる」という意見でした。

 私の選挙区は毛織物の産地で小さなメーカーが多いわけです。そのころ新聞に時々「製造業の空洞化」という難しい言葉が出てきました。日本は法人税が大きすぎる。人件費もずいぶん高くなってきたので、東南アジアに工場を移したほうがコストが安くなるから、生産拠点を移そうという動きが、愛知県の私の周りでも始まったのです。そこには、法人税が国際的に見て高すぎるから、国際水準まで下げろという要求があったことを思い出して下さい。

 世論調査で上位を占めていたのは「不公平である」「特にサラリーマンの月給袋にかかる所得税が高すぎる」ということでした。そういうご意見を謙虚に踏まえて、公平な、国際的に見ても安い税制にしましょう。そして個人と法人の所得だけではなくて、所得にも資産への課税も、物を買ってもらうときの消費に伴う税も、みんなバランスのとれたものに公平にして、社会に必要な経費はなるべく多くの人に、なるべく安く少なく負担をしていただこうという哲学で、あの税体系の仕組みを作ったわけです。

 もう一つ、「高齢化社会」という言葉がよく出てきますが、世界に類をみない激しいスピードで高齢化社会がきていることはご承知のとおりです。

 私が当選したころ池田首相が敬老の日に満百歳の方を表彰して色紙を書いてあげました。あのころは全国で百五十人程度でした。ところが二年目から色紙が届かなくなりました。途中の経過は省きますが、昨年は百歳以上の方が二千六百余人、今年は三千七十八名でした。老齢人口といわれる六十五歳になられる方が毎年百万人の大台で増えていくのであります。

 生まれる方はどうでしょうか。例えば今年成人になった人は百五十七万人でした。この人たちが生まれた二十年前に成人式に来られた人は二百四十万人だそうです。海部俊樹が成人式の頃は三百六十万人でした。それが今は百五十万人台です。この傾向は続きます。平成二十年、今から二十年先の成人式には推定で百三十一万人出ます。なぜわかるかというと、今年生まれた子供が二十年後に成人式を迎えるからです。

 高齢者に対して「五十五歳で定年、六十歳で還暦、六十五歳で敬老会。おじいさま、おばあさまお大事に。お暇がありましたらゲートボールをどうぞ」なんて言っていたのはこの間までの話であって、平成の今日、進歩的な自由民主党の皆さんは「還暦は八十、敬老会は九十。百になったらゲートボールでお楽しみください」というぐらいにしないと、この高齢化社会は寸法が合わなくなる。

 今日、私の話を聞いて下さる皆さんは、新しい総理大臣は二十一世紀の夢をどんなふうに考えているか、興味をお持ちであろうと思います。一番大事なことは、今後の人口構造の変化の中で、ものすごく増えていく負担を、ものすごく少なくなっていく若い人に、今の姿のまま押しつけては大変なので、参加するみんなで負担できる仕組みに変え、長寿社会を豊かに、明るくすごせるように政策努力をしていかなければなりません。

 そのためには、財政の基盤をしっかり固めると同時に、その根底となる製造業にもしっかりと活力を持ってもらう。知識を伝達することだけや、モノを買ってきて、モノを売ることだけの国家になってしまったのでは底が薄くなるわけです。土に親しみながら、あるいは工場で頑張りながら、製造業、モノを作るというところに根本の力を尽くしていくことが国の総合的力の基盤になるわけであります。

 それが当面、この国会を通じて大いに議論をしなければならない問題点の一つであります。国会が終わると恒例の予算編成で、我々のめざす未来に向けての政策努力を姿形に表さなければなりません。皆さんにご理解とお力添えを求めたのも、その大きな目的を達したいという願いからです。

 国際化時代の課題

 さて、日本は二十年、三十年前と違って国際的な地位が格段に高まり、同時に責任も大きくなってきました。

 私は総理就任後すぐアメリカ、メキシコ、カナダを訪問してきました。出発前はちょっと心配もありました。「カイフ・フウ?」という言葉が新聞をにぎわしていたからです。私が知られてないからでしょう。それよりも日本に対して「儲けすぎだ。五百億ドルもの対米黒字があるのは偏りすぎている。これは日本の責任だぞ」という声が知人のアメリカ人からどんどん聞こえてきました。

 私はこうした問題についても言うだけのことは言わなきゃならん。私を知らないアメリカ人に「私が海部俊樹です」と顔と名前ぐらいは覚えてもらってこないと、国民の皆さんに申し訳ないと思って、新聞、テレビのインタビューなどに積極的に出ました。

 そのときに親切なご注意をいただきました。「アメリカで答えるときは、日本語と英語では発想が違うから、先に結論を言って、あとでその理由を説明するようにすべきだ。初めにグジャグジャ言って、最後にならなきゃ結論が出ないようなことは通用しない」「あなたは喋りすぎるくせがあるから、短かく要領よく答えなさい」と。

 同志の皆さん、お陰さまで向こうで失敗せずに済みましたので、皆さんもこれからは結論を先に言って、理由を簡単に言う方法でアメリカ人とは付き合って下さい。

 間違ってもお客さんを招んで「これは粗末なものですが召し上がって下さい」と言ってはならない。「わが家で一番おいしいものです。どうぞ召し上がって下さい」と。帰りにお土産品を出す際も「つまらないものですが」と言わずに「わが家で極めて価値の高いものです」と言って渡す。ムリに謙遜したりせずに率直に言うことが大切だと。文化の違いなどを乗り越え、こなしていくことが国際化時代には必要だと思うのです。

 一昨日、横綱千代の富士に「国民栄誉賞」を差し上げながら、ふと思ったことは、日本の国技・相撲は、ちょっと手がついても、ちょっと足が出ても、五秒でも十秒でも「勝負あった!」で、お客さんは納得されます。

 ところが、欧米ではやったスポーツはそうはいかない。ボクシングは三分戦って一分休み、仮にダウンしても十数えるうちに立ち上がれば、試合を続行できる。プロレスは三本勝負ですから、相撲の鮮やかさとは違う。日本では桜の花のように散り際のいい花が好かれる。しかし欧米では少々トゲがあってもバラの花のように美しく咲いて、二週間や三週間、しっかりしているのが価値があるわけです。

 歴史や文化、伝統を乗り越えて、ものの考え方やめざす方向の違う国と国が協力し、協調していくためには、あまり小さいことにはこだわらないで、率直な意見の交換、話し合いの中から誤解をときながら、合意の道を探ることが大切だと思いました。

 私たちは戦後アメリカから、自由と民主主義の原則を学びました。そして、日米安全保障条約では、「アメリカは日本を守るけれども、日本はアメリカを守る必要はない」というバンデンバーグ決議の唯一の例外だといわれる、日本にとって極めて条件のいい安全保障条約で戦後日本のスタートができました。これは両国の強い信頼関係と、わが党の大先輩方の英知とご努力によるものであることを夢忘れてはなりません。

 そして、世界の自由貿易体制、世界の市場経済体制、IMF(国際通貨基金)とかGATT(関税貿易一般協定)などの機関、仕組みの中で日本は成長してきたのであります。

 また、戦後から二十年ほど、日本は復興、再建のために、例えば名神高速道路や東海道新幹線などの公共事業に、世界銀行からおカネを借りて仕事をしたことを忘れてはならないと思います。その後、国民の皆さん方のご努力で、また恵まれた幸運な環境の中で大きくなってきました。この自由と民主主義が間違った理念であったかどうかは、最近の世界の社会主義国で起きている民主化運動などが証明してくれているではありませんか。

 アジアで難民問題といえば、政治的な迫害や経済的な厳しい状況の中から発生するかわいそうな人たちという認識ですが、ヨーロッパのそれは、東ドイツから西ドイツへ大量に移動する人々のように自由を求めてというものであります。反対に西側から東側に逃げていく人が全くないという事実をどう判断すべきでしょうか。それこそ、自由と民主主義の価値をいま高らかに再確認していいときだと思います。

 九月下旬、世界の保守党の党首会議を東京で開催しました。出席したサッチャー英首相や、クエール米副大統領ら参加国の党首たちが口々に言ったのがこのことでした。しかし、これで自由主義陣営が油断し、慢心していいというものではありません。我々のほうにも経済摩擦など解決しなければならない問題があります。

 日本は幸いなことに物価が安定し、横バイ状態が続いているので今は心配ありませんが、物価の問題に悩んでいる国もあります。保護主義が台頭してきたら、自由貿易体制はぐっと縮まりますから、この問題もウルグアイラウンド(新多角的貿易交渉)等を通じて各国が話し合い、協力していかなければなりません。このことを決めたIDU(国際民主同盟)の結論に私も全く賛成であります。

 この会議では、地球的規模で片づける必要があるとして二つ決議しました。一つは、地球環境です。

 今までは各国が自分の国の環境を汚さないようにしていればよかったし、また、山や川や海には自然の浄化作用もありました。しかし現代のように工業化が普及すると自然の力を超えて汚染が広がるようになりました。

 学者の話では、一千万トンぐらいの容量の炭酸ガスならば、自然環境の中で解決できるそうですが、最近はさらに人為的に五十万トン余分に出るようになった分が、この数年間、激しく地球の状況を変えていると。このまま何もしないでいると、やがてその層が厚くなって、地球の温度を上げていく、いわゆる、“地球温暖化”現象になります。温室のような感じになって、二十一世紀には気温が三・五度とか四・五度上がる、北極の氷がとけて海水面が上がると農作物にも異変が起きてくるといいます。

 私は昔、南極観測本部長という職務に就いていたことがあり、一週間ほど南極のアメリカ基地で暮らしたことがあります。厚さ二千三百メートルの氷の塊が南極大陸の上に乗っかっている。零下三十度でした。そこで聞いた話では「この氷が全部とけてしまったら、世界中の陸地が一メートルないし一・五メートル水没する」ということでした。一か月ほど前、NHKがやったシュミレーション画像で、銀座四丁目が水没するところがありました。

 さらに、炭酸ガスの層だけではなくて、オゾン層というのがあり、地球を取り巻くこのオゾン層に穴があいたり、薄くなったりすると、有害な紫外線を大量にあびることで皮膚ガンになるなど、不都合なことが起こると言われています。

 オゾン層に穴があいてはいけないという警告を発した人は、日本の南極観測隊で、絶えず南極の上空を観測し続けた忠鉢{ちゅうばちとルビ}さんという隊員で、世界で初めて発表した。それを飛行機や衛星で六年がかりで確認したのがアメリカの航空宇宙局(NASA)です。日米の共同作業でその事実が立証されたのです。

 日本は世界で一番早く、一九七〇年に環境庁という役所を作りました。排ガス規制や、産業公害への対策なども官民一致してやってきました。そこで、日本は公害防除の基礎知識や技術に優れている。しかし日本の知らないこともあるかもしれない。ともかく日本はこの面の先進国だから、世界に貢献してもらいたい、という要望がきて、九月十一日から三日間、東京で世界環境会議を開きました。

 さて皆さん、これからは世界地図を眺めての国際議論は自民党でもやめることにします。世界地図を見ると必ず日本が赤く塗られて真ん中に位置しています。そこから飛行機が右や左へ飛ぶように線が引かれている。これだとどうしても平面的に地球を見る。実際の地球は球体であって、どの国も中心ではなく、また端っこではない。丸い地球儀を見てこそ初めて地球規模の環境問題が実感としてわかるのです。

 空気に国境はない。パスポートを持たなくても、おカネがなくても、空気は国境を越えて隣りの国へ行きます。雲も雨も、水もそうです。だから隣国のせいで酸性雨が大事な森林資源を枯らし、国連に訴えたところがあります。

 二十一世紀に生きる子や孫のために、この素晴らしい地球を美しい姿で引き継ぐことが現代に生きる大人の責任であります。いま新聞で盛んに言われる「グローバルな国際協力」というテーマにとって、日本が地球環境を守るための経験や技術、情報を提供して世界に役立つことが大事です。

 心ゆたかな社会づくり

 日本という国は戦後、日本にとってまことに都合のいい安保条約のもと軍事力に大きなカネを使わず、経済に力を入れることができたお陰で、世界一ともいえる金持ち国になったわけですが、日本は世界のために一生懸命に貢献してくれているから、この国とは仲良くしておくほうが得策だとする気持ちが国際的に起こってくることを心から念願しながら、高い志を持った外交を展開していきたいと考えております。

 率直に言って、今の世の中は物の面で豊かになりました。一人当たりの国民所得もドル換算しますと世界のトップクラスになりました。大変結構なことであります。しかし、このままの状態で次の世代に渡していいのでしょうか。がむしゃらに豊かさを求める時代はこのへんで終わり、これからは心の豊かさを求める時代であるということを、皆さんとともに私は再確認したいと思います。

 この夏、新聞、テレビをにぎわした女子高校生のコンクリート詰め殺人事件とか、幼女連続殺害事件などを見ますと、豊かになっていく過程で我々の心の中から、我々の周辺から、もっと厳しく自分を責めていうなれば、我々の政策努力の中から何か欠落したものがあったのではないかということを、私はいま謙虚に思い直してみたいと思います。

 そして一人ひとりが心豊かになっていかねばなりません。その意味で、心の豊かさを求める教育改革は、自由民主党が降ろしてはならない大きな改革の旗印であります。教育は学校でやるもののように思われがちですが、家庭の教育もあれば社会教育もあります。

 私が今日、特に訴えたいことは、人生で最初に出会う教師は親だということです。親が子供の欠点を見つけて叱るより、いいところを見つけて励まし、落ち込みそうなときに勇気づけるその一言が、いかに人間の心を瑞々しく、豊かにしていくかということです。

 私の体験を申しますと、私は旧制中学の入学試験に落ちました。自分では受かるものと思って親と一緒に発表を見に行ったのです。人生の最初のうぬぼれの鼻をへし折られたのは、中学試験発表の場でした。級長をやっていた私が落ちて、級長をしていなかった人が隣で合格して喜んでいらっしゃる。あの時の悲しさはたとえようもありません。

 そのとき、悲しい屈辱の場から私を救い出してくれたのは「俊ちゃん泣くな。学校はここだけじゃないよ。泣くほど口惜しかったら、お母さんと一緒に勉強を一生懸命しよう。さあ帰ろう」と手を引っ張ってくれた母の言葉でした。あんな嬉しかったことはありませんでした。怒らないで、くじけようとする子供に「頑張れよ」という親の励ましの言葉がどれだけ子供の心を豊かにするでしょうか。

 私ごとを申し上げて恐縮でしたが、世のお父さん、お母さんにお願いしたいことは、あなた方は子供の人生にとって最初に出会う教師であるということです。そして小学校へ入ったならば、そこで基礎、基本をしっかりと身につけていただくということです。

 昔から、読むこと、書くこと、数えることが学問の基本だと言われましたが、それをしっかりと身につける。日本のどこで生まれても、日本人として恥ずかしくない基礎を身につけていただく。幸いその制度、仕組みは出来ております。一部心ない現場の教師の偏った指導によって歪められていることはまことに残念です。私は、大人の世界のイデオロギーや雑音が教育現場に入っていくことだけは決して繰り返してはならんと、主張し続けてきました。

 全国統一のカリキュラムがあることがいかに正しかったかというのは、二週間前、サッチャー英首相が日本へ来られ、私とテレビで対談し、司会者の質問に答えてサッチャーさんがおっしゃった教育改革のポイントを、お聞きになった方は思い出して下さい。

 「全国バラバラの教科書で、全国の教師にカリキュラムを作ることを任せ、何を教えても、どの教科書を使ってもいいということを教師に任せておいたから、今や英国はバラバラになって、転校したら教科書が違うということで英国の相対的学力が落ちる原因をつくった。したがって、教師個人の自由ではなく、国の責任で全国一律の教育基準をきちんと作ります」ということを言っておられました。

 私は先輩たちが作ってこられた日本の教育は正しかったと思っています。むしろ江戸時代の四万五千とも五万ともいわれる寺子屋で、読み・書き・そろばんは頭の教育、庭はき・まき割り・ぞうきんがけは体力づくりの教育、三尺下がって師の影を踏まずというのは心の教育、と教えた寺子屋時代の先輩に、私は率直にお礼を言いたい気持ちすらするのであります。

 そういういい伝統のある義務教育、基礎教育が終わったならば、高等教育では一点でも多くとる子がいい子だという教育は改める。点数だけでいい子、悪い子、普通の子と分けるのではなく、能力、素質、体格などがそれぞれ違うのだから、持てる能力を十分に発揮できるような教育にするのが自由社会のいいところですから、それを断行していきたいと考えております。

 歴代文部大臣とお話してやってきた大学の入学試験も、共通一次試験が「新テスト」に変わりました。あれはなるべくレベルを低くして、まじめに高校教育を終えた生徒は誰でも乗り越えられる水準にして、一次試験が終わったら大学側は四科目も五科目もやらないで、その人が胸を張って「私はこれができます」という一科目か二科目に絞った問題をやって下さい。あるいは芸術関係の大学だったら、体育関係の大学だったら、英語や数学などに関係なく実技だけで入れてあげたらどうでしょうか。

 そしてもう一つ、自分は頭脳に自信がない、特別な実技もない。しかし心の暖かさがあって、在学中ボランティア活動に励み、老人ホームや孤児院でこんなに奉仕してきた、という実績を持つ人や、運動部その他の部活動などで地味でもたゆまぬ努力をしてきた人。そういう人の行為や努力を評価してやる方法はないものかと。昔は「内申書」といいましたが、今は成績通知表。そこに人柄や足跡を書くなり、あるいは面接をやって一人ひとりに聞くなりして、その人のいい面を掘り出すようにしてほしいと絶えず言っております。

 これからはもう制度、仕組みをいじるのはやめて、一人ひとりの個性や資質、能力を幅広く、奥深く探っていって、選抜の対象にして、みんなの相乗的な切磋琢磨というものが、この社会の、この国の活力になるようにしていきたい。

 そのためには、公正な競争の世の中をつくらなければなりません。結果の平等だけを言うのは間違いです。形式的平等主義は間違いです。機会均等、参加するときの平等、競争するときの公正、努力が報われ、能力によって方向が変わってくるのは、人間の選択の自由の問題であります。

 私たち自由民主党は、そうした公正に競争のできる、そして心豊かな社会をつくっていこうということを、内政の基本において、皆さんのご意見に耳を傾け、ご理解とご協力をいただきながら頑張っていきたいと決意を新たにしている次第であります。