データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 海部俊樹内閣総理大臣

[場所] ベルリン
[年月日] 1990年1月9日
[出典] ベルリンにおける海部俊樹内閣総理大臣演説
[備考] 
[全文]

 モンパー市長閣下,ベルリン市民をはじめとする御列席の皆様。

 最初に,温かい御歓迎を心から感謝いたします。

 本日私は,このベルリン日独センターで演説を行う機会を得ましたが,このセンターは,東洋と西洋の文化交流の場,東西の相互理解のかけ橋となることを目指して設立されたものであります。まさに東西関係はヨーロッパを中心として大きく動こうとしております。先程はモンパー市長閣下の御案内で,あの壁の前に立って参りました。大勢の市民が集まって喜びの表情で声をかけて下さるあの雰囲気を見ますと,今日の気候は寒かったけれども,私の心は極めて温かったのであります。そして,この日独センターの演壇に立っていることに,私は大きな感慨を覚えるものであります。

 御列席の皆様。

 チャーチル元英国首相が「鉄のカーテンの背後には,古いヨーロッパの国々の首府がある。」と述べたのが,1946年3月のあの有名な「鉄のカーテン演説」でありました。

 その後,ウィーンとベオグラードは鉄のカーテンの外に出ることができましたが,その他の首府は,長く苦難の歴史を歩んできました。西ベルリンでは自由と民主主義が,幾多の挑戦にもかかわらず西側の団結によって維持され続けて参りましたが,ベルリンの壁は,人間が本来有する自由に対する明らさまな挑戦であったと同時に,これを築いた者が,支配下にある人々に対して自由を拒否し,繁栄を与えることに失敗した象徴となってきたのであります。

 私は壁が築かれた翌年,国会議員となって初めてベルリンを訪問いたしました。境界線にある建物の窓がレンガで埋め尽くされていたあの荒々しい光景は,今も鮮やかに思い起こされます。当時私は,ドイツ連邦共和国のスポーツ・ユーゲントが夏休みの活動の一環としてバイエルンの山の中で合宿し,最後にこのベルリンに飛んできて,壁の前に立ってこの壁が崩壊する日まで頑張ろうと誓うとの話を聞きましたが,私はこれを今でも忘れることができません。その後数回にわたる訪問のたびごとに,壁を越えようとして銃弾に倒れた人々の墓標の前に立って,ベルリンに自由が甦ってくる日の一日も早からんことを私も共に祈ったのであります。今回,この壁の崩壊についてベルリン市民の皆様に対し心から祝福の言葉を述べることができますことは,私の大きな喜びであります。私はまたここで,東側の関係者に対してもその勇気ある決定を称えたいと思います。なぜなら,過去のあやまちを正す勇気によって歴史というものは前進するからであります。

 思えば,1989年に東欧で起きたもろもろの事件は,20世紀後半の最大の事件として歴史に残るのではないでしようか。情勢の変化の速度は誰も予測できず,その変化の内容も極めて劇的であり,まさに歴史はドラマであると感じさせるものでありました。ポーランドにおいて「連帯」が連立内閣を組織することも,ハンガリーにおいて国名や支配政党の党名まで変えられることも,またチェッコスロヴァキアにおいてドゥプチェク氏がプラハの大衆の前で演説を行うことも,更にティミショアラという町がルーマニアにおける自由の発火点となるということも,私達のうち誰が予想し得たでありましょうか。そして東欧情勢の激変を最も劇的に象徴するベルリンの壁の事実上の崩壊についても,1週間前に私達のうち誰が予想し得たでありましょうか。

 私はこの際,東欧諸国が歩いてきた戦後の苦難の道のりの中で,また最近ではルーマニアの政変において,自由を求めた多くの方々の尊い命が失われていったことに対し,深く哀悼の誠を捧げたいと思います。東欧諸国の人々は,このような困難と犠牲を乗り越えながら,今,新しい歴史を自分達の手で築き上げているのであります。

 御列席の皆様。

 私は今回,西欧諸国及びポーランド,ハンガリーを訪問するところですが,その背後にある基本的考え方を申し述べたいと思います。

 第1に,東欧諸国の改革の動きは,ヨーロッパの情勢のみならず,戦後の国際秩序の基本的構造に影響を与える性格のものであり,当然ながらアジア・太平洋地域の安定化にも大きな意味を有するものであります。今日,先進民主主義諸国の主要な一員として経済的役割のみならず政治的役割をも期待されるようになったわが国は,世界の平和と繁栄のために汗を流す志ある外交を展開していくべきであると私は確信しており,このような国際秩序の安定化のために積極的に貢献していきたいと考えております。

 更に,東欧諸国の改革が,自由と民主主義及び市場経済に基づく体制を目標とするものであるが故に,このような改革へのわが国の関与は特別な意味を有するものであります。即ち,わが国は,戦後,自由と民主主義と市場経済に基づく体制を選択しました。その選択が正しかったが故に国民生活の向上と国力の増大に邁進することができたのであります。わが国としては,我々と同じような価値観に基づく改革の目標が東欧諸国において円滑に達成されることに多大の関心を有しており,私がポーランドとハンガリーの改革への努力を勇気づけるために両国を訪問しようとしておりますのも,このような認識に基づくものであります。

 ポーランドとハンガリーの改革が安定的かつ円滑にその目的を達成するためには,中央統制経済体制から市場経済体制への移行が円滑に行われ,経済再建と経済開発が共に進むことが極めて重要であります。そのためには,まず両国が自助努力を続けることが不可欠ですが,国際的協力により市場経済体制の経験が両国に伝えられていくことも必要でありましょう。わが国としては,経営管理,環境等の分野での研修生の受け入れ,専門家の派遣等によって,改革に必要な技術の移転を図るよう協力したいと考えており,向こう数年間にわたって2,500万ドル程度の技術協力を行うこととしました。わが国は,資金を供与する形の協力だけでなく,青年海外協力隊という制度を有しており,技術を身につけたわが国の若者が,海外で現地の人々と生活と労働を共にしながら経済と社会の発展に協力しております。私は要請があれば,両国に対する技術協力を進める中で,このような志あるわが国の青年を派遣する枠組みづくりを検討したいと思います。

 またわが国は,外貨事情及び食糧事情の悪化しているポーランドに対し,通貨安定化基金に対する支援として1億5,000万ドルの協力を行うとともに,2,500万ドル程度の緊急の食糧援助を行うこととしました。

 更にわが国は,一定の条件の下に日本輸出入銀行よりポーランド及びハンガリーに対してそれぞれ3年間に5億ドル程度を目途とする融資の供与を予定しております。また貿易保険については,ポーランドに対して一定の条件の下に保険の引受を再開し2年間に3億5,000万ドルの引受枠を設定することを予定するとともに,ハンガリーに対する引受枠を2年間で2億ドルから4億ドルに拡大したところであります。

 私は,わが国と両国との間の経済関係の緊密化が,両国の発展に寄与するものと確信しております。このような観点から政府としては,本年春に両国に対し大型の経済投資環境調査ミッションを派遣する考えであります。更にわが国としては,両国が希望する場合には,それぞれの国との間で投資保護協定締結交渉を開始する方針であります。

 わが国としては,これら諸国の経済改革を支援するため,欧州復興開発銀行の設立の検討への参加を含め,多数国間の枠組みにおいても他の先進民主主義諸国と協調しつつ協力していく考えであります。

 この際,私は,ポーランドとハンガリー以外の東欧諸国についても,これら諸国が民主化と市場経済を目標とする改革を実施するときには,他の先進民主主義と共に積極的に対応していく用意があることも明らかにしておきたいと考えます。

 またわが国は,東欧諸国との間でも文化交流を強化したいと考えており,意思の疎通を促進し,相互理解を深めるため,今後これら諸国から報道,教育,情報・通信等の分野の青年指導者をわが国に招待していきたいと考えています。

 御列席の皆様。

 第2に,今日の東欧の事態は,わが国と西欧諸国が協力関係を強化していく必要性を改めて示すものであります。私の欧州訪問の主要な目的の1つは,まさに,新しい秩序を模索する今日の世界の中で,わが国と西欧の国々がグローバル・パートナーとして協力していく関係を一層強化していくことにあります。西欧諸国と米国は大西洋を越えて,又わが国と米国は太平洋を越えて,緊密な関係を発展させてきました。私は,先進民主主義諸国が,この変化の時代がもたらす挑戦に効果的に対応するためには,欧亜大陸を越えて日欧の協力関係を一層強化させることが焦眉の急であると信じているものであります。

 ヨーロッパの今後について展望すれば,東欧諸国における改革が進展していくにつれて,ヨーロッパの分断の克服への動きが活発化していくでありましょう。ドイツの統一問題については,私は,戦後2つに分断されたドイツ人の統一への正当な願望が民族自決権の自由な行使を通じて円満に実現されるような平和と安定の枠組みが確立されるよう心から希望しております。

 百数十年前に近代化を志した時からヨーロッパ諸国より自由と民主主義の価値や多くの進んだ制度,技術,文化を学んだわが国としては,かねてより,政治的に強力で,経済的に繁栄し,自信に満ち溢れたヨーロッパの復活を希望してきました。わが国は,1992年末に向けてのECの動きやEFTA諸国の動きを歓迎いたします。私は,先進民主主義諸国が,自由と民主主義及び市場経済に基づく体制を採用したという選択の正しさに甘んじることなく,より一層発展していくための努力を続けなければならないと確信しており,西欧諸国と共に,開放的経済体制の維持・発展に引き続き努めなければならないと考えております。

 このような経済問題のみならず,今日世界が直面している諸問題は,米国をも加えた日米欧の協力関係を世界的規模で更に強化すべきことを求めております。まさに,ソ連と東欧に今日の変化をもたらしたのも,結局は,西側が結束して,自由と民主主義の旗を掲げ続けてきたことにあると私は信じます。

 わが国は,1988年に開始した「国際協力構想」を着実に実施しております。私はこれを更に発展させ,この構想の三本柱,即ち,平和のための協力,政府開発援助の拡充及び国際文化交流の強化に加えて,人間性が豊かで,より住みやすい地球を作るため協力を強化することとしております。これは,わが国がその取り組みに豊富な経験を有する環境問題等の地球的規模の問題の解決や科学技術の発展のための協力を含むものであります。私は,これらの問題を世界経済の運営の問題と併せ,日米欧の共同作業の中にできる限り組み込みながら,世界の平和と繁栄のために積極的に貢献したいと考えております。

 御列席の皆様。

 第3に,最近の東西関係においてはイデオロギー上の敵対関係が薄れ,総じて対決から対話と協調へと力点が移されてはおりますものの,国際情勢はいまだ不透明かつ流動的であり,また,ソ連は今日のところ依然として軍事超大国であり,また,世界の安全が抑止と力の均衡によって確保されていることに変わりはないということであります。勿論,力の均衡ができる限り低いレベルで達成されるよう,努力する必要があることは当然であり,この観点からわが国は,軍備管理・軍縮交渉の進展に期待するものであります。

 御列席の皆様。

 最後に,このような東西関係における動きとアジア・太平洋地域及びわが国との関係,並びにこの地域に対するわが国の外交努力について触れさせていただきます。

 東欧で現在起こっていることは,ゴルバチョフ・ソ連最高会議議長を始めとするソ連指導部の推進する新思考外交の1つの結果であると見られ,私達はそのようなソ連の外交的態度の変化を歓迎するものであります。

 アジア・太平洋地域との関係については,ゴルバチョフ議長が,その著書『ペレストロイカ』の中で「世界の政治は21世紀にはアジア・太平洋地域に焦点をあてることになろう。」という見方を示していることを指摘したいと思います。私は,ソ連が新思考外交をこの地域においても積極的に適用し,ソ連とアジア・太平洋地域の各国との関係が真の友好と真の信頼を基礎に発展するようになることを心から願うものであります。

 また,わが国はソ連のペレストロイカの正しい方向を支持しており,日ソ関係についてはその正常化を目ざして政治,経済等の諸分野を均衡のとれた形で拡大していきたいという考え方で臨んでおります。外務大臣等ハイ・レベルの交流が活発化し,ゴルバチョフ議長の訪日も1991年に予定され,日ソ貿易も,ソ連の西側貿易相手国のうち第3位のパートナーとして順調に進んでおります。他方,最近の急速な東西関係の進展にともなって冷戦構造に起因する事態が解消されつつある中で,極東において未だ残されている問題として北方領土問題があります。私はこの問題を解決して平和条約を締結し,日ソ間で新に安定した友好関係を発展させる決意であります。また,このようにして,アジア・太平洋地域の平和と繁栄のために,米国,中国等とともに,ソ連とも協力していくことを強く臨むものであります。このことからも明らかなように,日ソ関係は決して日ソ二国間だけの問題ではなく,アジア・太平洋地域,ひいては世界の平和と安定のために大きな意義を有するものであることを強調させていただきたいと思います。

 わが国はアジアの一員として,アジア・太平洋地域の平和と繁栄のためにできる限り貢献することを外交政策の基本の1つとして参りました。わが国は,この地域に対する外交努力を更に強化することといたします。第1に,朝鮮半島の緊張の緩和については,基本的には南北両当事者の努力によるべきであるとの立場に立ちつつ,韓国との友好関係を更に進めながら北朝鮮との直接対話の実現に努めて参ります。第2に,中国については,先般の天安門事件は誠に遺憾な事件ではありますが,中国が孤立化の道を進むことなく世界の諸国と安定した協力関係を維持することは,アジア・太平洋地域の平和と繁栄にとり極めて重要であり,今後とも,かかる認識に立った双方の努力が積み重ねられるべきであると考えております。第3に,カンボディア和平の問題については,わが国は包括的政治解決への国際的努力に引き続き積極的に参加するとともに,これが達成された暁には,復興援助の面で主要な役割を果たす決意でおります。

 御列席の皆様。

 今人々は,冷戦が終わったのかどうか,あるいは,終わろうとしているのかどうかについて論じておりますが,私達が今新しい時代を迎えつつあることは確かでありましょう。私は,先に述べたわが国の努力を含む世界的規模の協力を積み重ねていくことによって,新たな国際秩序を作り上げ,あと10年に迫った21世紀を,戦争という言葉のいらない世紀,人類の福祉の向上に向けて大きく前進していく世紀とするよう強く訴えたいと思っているのであります。

 28年間,歴史と人々の自由に対して挑戦し続けたベルリンの壁。私も初訪問の時以来,心を痛めて見つめ,日本に帰ったら日本の人々に対してその非を訴え続けてきた,恐怖と憎しみの象徴であったあの壁。私達日本国民は,この壁が崩壊して,東西ベルリン市民が交流する感動的な場面をテレビに釘付けになりながら見つめておりました。昨年11月のあの数日間の興奮を私は決して忘れないでしょう。西ベルリン市民が東ベルリン市民に差し出したあの1杯のスープ。壁の上にいた西ベルリンの少女に東ベルリンの警官が差し出したあの1本のバラ。1杯のスープ,1本のバラがこれほど大きな意味を持った時があったでしょうか。恐怖と憎しみの壁は喜びと再び繰り返してはならないという誓いと思い出の壁になったのであります。私は,誰よりも高く,誰よりも勇敢に今日まで自由と民主主義の旗を掲げ続けてきたベルリン市民の皆様に対して,心から深く敬意を表したいと思います。

 モンパー市長閣下とベルリン市民の皆様の御発展を祈り,ベルリンの壁の西からも東からも春の歌が湧き上がってきたこの今日を大切にしながら,皆様の一層の御発展と世界の平和と安定を期待して,私の演説を終わりたいと思います。

 御静聴ありがとうございました。