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政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 第六十七回夏期全国経営者大会における特別講演,「二十一世紀への日本の選択」(海部内閣総理大臣)

[場所] 帝国ホテル
[年月日] 1990年7月19日
[出典] 海部演説集,633−650頁.
[備考] 
[全文]

 ご紹介をいただきました海部俊樹でございます。花村仁八郎会長がわざわざ総理官邸までお出でになりまして、ぜひとも今日のこの時間、ここへ来て内外の諸問題のお話をするようにというご懇請をいただきました。お役には立ちませんが、日頃考えていることを率直に皆さまにお訴えをして、政府与党の立場から一層のご理解とご協力をいただこうと思って、私はお約束をしてとんでまいりました。

 先ほど控え室に座っておりますと、ここの開会のご挨拶から何から全部聞こえるわけであります。海部総理の話を聴いて企業の明日の経営のために役立つようになんてことを言われますといささか汗が出てまいりまして、私は企業の経営者でもなんでもありませんから、お役に立つようなことになるかならないかは、それは皆さま方の勝手なご判断にお任せするということにして、私は率直にただいまの現状を申し述べさせていただきたいと思います。

 最初に、ここへ出発します前に、官邸の秘書官と雑談をしておりますと、戦後の景気のいちばん長かったのがいざなぎ景気と言うんですけれども、それに向かって毎月毎月最近の好景気は着々と更新しつつある。たしか昭和から始まって平成の今日まで四十三か月という長期にわたる好景気が続いている。これは何よりも物価がきちっと安定基調にあるということと、将来に向かっての大きな明るさと希望が持てるような国内の安定的な状況があるから、そういったものが続いているんだと。しかも去年は予算編成に全力をあげますときに、長い間の懸案でありました先輩総理大臣が汗を流して努力をしてきた財政の再建、赤字公債に頼らない予算編成をようやく成しとげることができて、今年はその第一歩を予算において踏み出したところでありますが、こういった姿、形を今後も続けていかなければならないということを皆で話しながら、お互いに将来に向かって戒め合いながら、昼食をして出てきたところでございます。

 顧みますと、ちょうど政権を担当させていただいてもうじき一年になるということでありますけれども、そんなに長い間政権を担当していたという実感がございません。毎日毎日新しい問題に歯を食いしばって、精一杯、力一杯対応して、あっという間に駆け抜けてきたというような実感であります。昨年の参議院の選挙で、ちょうど今ごろでしたが、わが党は非常に厳しい国民の皆さんの審判を受けて、参議院で始まって以来の与野党逆転という状況を迎えました。結党以来の危機だと言われて、海部内閣はどん底からスタートをして、しかし掲げている自由民主党の基本政策というのは決して間違っているとは思っていませんから、政治改革をやって、政治に対する信頼を取り戻して、そして自由民主党の政策をさらに発展させていくために、衆議院の選挙だけは何としてもご支持をいただいて勝たせていただかなきゃならんという気持ちで、みんなが力を合わせて頑張ってまいりました。お陰様で衆議院の選挙で安定過半数を取らせていただけたということは、第一にすべてのわが党の候補者が全国いたるところでひたむきに真剣な危機感に燃えて、選挙を戦ったということだろうと思います。私も全国遊説で回りましたけれども、この危機感が本当に実を結ぶようにと心から願いましたが、それは皆さんの高い次元に立ってのご理解のおかげであったことは申すまでもありません。そういったみんながひたむきに努力したことと併せて、世界の歴史の大きな流れが、ご承知のように去年の終わりごろから今年にかけてものすごいテンポで変化を始めたということでございます。

 その最たる例は、私が今年の一月にヨーロッパを訪問して西ドイツのコール首相と首脳会談しましたときに、ドイツは統一をする、統一の方向へ向かって必ず前進をさせる。そして三つの段階があって、十の項目があって、まず初めは条約共同体から始めて、最後はゆるやかな連邦国家を形成する。何か話を聴いておりますと、十年ぐらいの目盛りで考えていらっしゃるような説明が、今年の一月のコール首相の発言でありました。それがどうでしょう。わずか数か月の間にテンポはものすごい勢いで進み、ベルリンの壁の崩壊を契機に東西の交流が自由になりましたら、もっと早く、もっと劇的にということが合言葉のようになって、とうとう既に通貨は西ドイツの通貨がそのまま東ドイツにも通用する。西ドイツの制度、仕組みがそのまま東ドイツに適用されることでも、早く統合したほうがいいんだという、その国民の世論というものがドイツの統一をあんなスピードで実現させつつあるわけです。

 さすがにこの大きな歴史の流れにゴルバチョフ大統領もこれを見て、当初は統一ドイツがNATOにそのまま居残ることには明らかに反対の立場であったのが、最近はそうではなくて、とうとうこのあいだの大会で、統一ドイツがNATOに留まるかどうかはドイツが自主的に決めることであるというところまでまいりましたから、今年中のドイツ統一というものは、これは現実の問題として目の前にあるわけです。

 そういたしますと、ここで私自身も含めて皆さんも正直に、一年前、去年の今ごろに世界も国内も世の中がこんなに変わるんだということ確実に予言をし、見抜かれた方は少なかったのではないかと思っております。私が選挙のときに国民の皆さんに訴えたことも、世界は今までソ連とアメリカを頂点とする、対決の時代でありました。その冷戦時代の発想を乗り越えて、対決から調和と協力、平和と繁栄を求めるように歴史が大きく動き出したわけであります。それは資本主義が正しいとか、共産主義が間違いだったとかいうような難しい理屈を言い合う必要はなくなって、事実としてベルリンの壁が崩壊したということだけを皆さん見てください。同じドイツ人を西と東に分けて二十八年間、こちら自由と民主主義、こちら社会主義、共産主義、統制経済と分けておいたら、あんなに差ができたのでありますから、もう社会主義よ、さようなら、統制経済よ、さようならと言うのが、現実にヨーロッパでは声として起こり、行動となって表れて、とうとう東ヨーロッパでは、社会主義という名前を国の名前から取ってしまう国も出てきたし、すべてが自由主義経済に自分たちの国の運営を、軸足をかけていきたいという決定をみんながしたことはご承知のとおりであります。

 私は今年の一月にその変わりつつある東西のヨーロッパを回って、まだ西側の首脳はいま言いましたようにコール首相でさえ、十年ぐらいの目盛りでものを考えていらっしゃったのが一月のこと。言っていいか悪いか知りませんが、イタリアのアンドレオッチ首相だって、仲のいいお友達が二人いるんだから、一つになって一人になってしまうということは、なるべくゆっくりとやってもらったほうがいいと思っている。そうとうゆっくりになるだろうというような見通しを述べていらっしゃったほど、ヨーロッパ全体の中でもこんなにスピードが速くなるとはだれも考えなかったはずであります。

 ポーランドへ行きましたときには、労働組合の連帯というのがありますが、あそこの議長は有名なワレサという人であります。あの人は私に“第二の日本になりたい”ということを率直に言いました。そして一回日本を訪問したことのあるワレサさんは、第二の日本になりたいんだと。難しい日本じゃなくてもいい、普通の日本でいい。明るい、平和な、何をしゃべっても罰せられない、そういう社会の空気、豊かな家庭生活、そういったものをそのままポーランドは輸入したいと思っているんだから、日本はどんどんと来てほしいということを盛んに言われます。ちょうどそんなころ、ヨーロッパに対して日本の企業の皆さんの中で出ていこうかという話があり、ハンガリーに対してスズキ自動車が進出するという計画が発表になった直後でありましたから、ポーランドへももっとどんどん来てほしいということを盛んに言うわけであります。

 そのハンガリーへ行ったときには、あそこにその名もマルクス経済大学という大学がありますが、そこの大学で講演をしました。終わったら学生の質問でありますけれども、その中で一つだけ取り上げて申し上げると、日本はいろいろハンガリーのことを考えて経済協力もしてくれる、投資もしてくれる。私は日本青年海外協力隊の東欧版もつくって、アジア、アフリカで喜ばれている青年技術者を、ハンガリーにも望まれるなれば派遣をして、技術移転やいろいろな問題について国づくりにご協力しますということを、首脳会談で提起したあとだったものですから、質問した学生は日本はハンガリーに協力をしてくれるようだが、日本がハンガリーとの関係が強くなったら、どんなような姿でハンガリーを管理するつもりか言ってもらいたいという質問であります。私は経済協力、技術協力をするからと言って、自由社会というのはその国を管理しようという発想は毛頭ありませんから、そういう考えはこんりんざい持たないように横に置いてくださいと、自由経済の問題をいろいろ話したんですけれど、なにしろ経験をお持ちにならない学生の疑問はなかなかそんな説得ぐらいで解けるものではありません。首をかしげながら、そうならいいがなあというような顔をして聞いていてくれたことが、非常に印象的でありました。

 今後日本は、世界が自由と民主主義と市場経済の方向へ向かって国づくりをしようという地域があるなら、どんな地域にも出掛けていってご協力をして、世界の平和と安定と、力の対決から、新しい平和と繁栄を作り上げていこうという世界の秩序の中で、それ相当の貢献をしていかなければならないということを、この国の二十一世紀に向けての理念として心から世界に向かってメッセージを出しているところであります。鉄のカーテンの向こう側の国、社会主義であった国には今日まであんまり出ていこうと思っても出ていけない事情がありました。それはご承知のように力の対決の世界のときには、ヨーロッパはワルシャワ条約機構軍とNATO軍との対決ですから、そのワルシャワのほうへは日本はなかなか出掛けていきにくい問題がありました。同時に世界のためにお役に立ちたいと言っても、力の対決のときには、じゃあ日本も力でお役に立ちましょうと言って、西側陣営のどこかの部分を分担しましょうかというような、そんな大それた発想は許されませんでしたし、間違っても力関係の中に日本が力で入っていくことは、その能力もありませんでした。

 ご承知のように戦後日本は日米安全保障条約の下で、日本の専守防衛と言われる日本の安全ですら、自分の国の防衛力だけでは十分でありませんから、日米安全保障条約によってそれを抑止力として、日米安保条約によって平和を守り、今日あるわけでありますから、逆に言うと非常にある意味では幸運な立場でありましたけれど、力の世界に発言をしていく立場ではありませんでした。それが力の対決に終わってしまって、軍備を持ってやろうという時代ではありませんから、政治の目的が世界の平和と国民生活の安定豊かさにありとするならば、国民生活の安定豊かさのためには経済の発展であり、戦後あのまぶしい敗戦国のどん底から今日アメリカと二国で世界経済の四〇パーセントを支える、重要な責任を持つ立場にまで到達した日本の今日までの足跡とか、技術力とか、ノウハウというようなものは、これが今後世界のお役に立つ部面でありますし、積極的にこんどはお役に立っていかなければ、今日まではただ乗りただ乗りと言われた汚名をまた返していかなければならないときだと、私は思っているんです。

 ちょっと話が脱線するようですが、応援するのは何も東欧諸国だけではございません。東欧諸国にいま世界中の目がいっておりますけれども、例えば今年の五月の連休に、私は南西アジア諸国を訪問してまいりました。日本から総理大臣が行ったのが三十三年目だと言われた国もあれば、初めてだと言われた国もあれば、十一年目だと言われた国もあればいろいろでしたが、あの南西アジア地域というのは非常に疎遠であった地域であります。大きな声では言いにくいんですけれども、それには理由があって南西アジアというのはインドを中心にして非同盟中立の地区でありましたから、あの南西アジア地域は域外の国とはあまりいろいろ太い同盟関係や強い関係をつくらないというのも、南西アジアの地域の国是みたいなものでありましたから、非同盟中立の第三世界を形成しておられた。インドやパキスタンへ行って私がお話をしますと、そこの国の大統領や首相がきわめて熱心に言われることは、日本もアジアの一員としてそろそろ南西アジアにもっと政治的、もっと経済的に発言力を出し、積極的にイニシアチブをとってほしいということを言われます。

 そこで私は誤解を招くといけませんからあらかじめお願いしておきたいが、あなた方の国はSAARCと言って、域外とは特別な関係を持たない、非同盟中立だとおっしゃっていたから今日までは非常に控え気味に、遠慮気味にお付き合いしてきたんだけれども、もうあの原則はどうするんですか、日本が入りこんでいろいろお手伝いして、政治的なものを言ってもいいんですかと言ったら、大歓迎すると。それはどうもこのごろハンガリーだ、ポーランドだ、ヨーロッパだ、ベルリンだといって、あっちばかりに世界の目が向いている。

 はっきり言うと日本のあなたまでが今年の正月は我々を素通りして、東ヨーロッパに行ってベルリンで演説をして、助けてあげる、応援する、しっかり自由主義の国になれなんて言ってきた。そのこと自体はいいことだけれども、わが方へ来る落ち分はどうなるんだろうかという心配があったと。

 非同盟、非武装というのはある意味で非常に都合のいい立場で、東西両陣営がいろいろものを言ったり、援助をしたりしたようですが、対立がなくなってしまうとだれと非同盟なのか、だれに対して中立なのかという目標がなくなっちゃったわけですから。ちょうど闘牛場の牛が赤い闘牛士のふる赤い布を目掛けてパァーッと突っ込めばよかったというように、東西対決対立があればどちらとも仲良くしません、うちは中立ですというのは一つの立派な旗印だったんですが。もう対決がなくなったんですから、そろそろ日本がもっと政治的に経済的に入ってもらいたいということで、私はインドとも、パキスタンとも、バングラディシュとも、スリランカとも、今後いろいろ一層今日まで以上に、経済協力、技術協力を進めていくという約束をしましたし、政治的発言をしてもいいかと言ったらいいと言いますから、じゃあ私もアジアの一員で、アジアのことを非常に心配をし、アジアの平和と繁栄のためにはぜひお願いしたいこともあるから、どうぞインドとパキスタンの国境付近にあるあのカシミールというところは、ときどき戦争の火種が残っていてくすぶりますから、今後カシミール紛争には絶対力を使わないこと。インドもパキスタンも核拡散防止条約に入っていませんから、お互い核を持っているんじゃないかという懸念を持たれながら、核拡散防止条約に入らないというのは、どうも我々にとっても安心できないから、核拡散防止条約に入ってくれということを両方で率直に言ってきました。シン首相もパキスタンのブットさんというこれは女性の首相でありますが、分かった、相手国が一歩前進すればわが方は二歩前進する、お互いに力を使わないで平和のために仲良くすることを約束する、だから日本も技術協力や経済協力や、企業がどんどん出てくる企業の投資もひとつ促進してほしい。それぞれの首脳から頼まれてまいりました。

 だから東南アジアの国も、南西アジアの国も、あるいはヨーロッパも、あるいは中南米も世界がとにかく社会主義や共産主義や統制経済を離れて、民主主義と自由経済をやろうというそういう大きな変化の流れにありますときですから、これに向かって日本はできるだけアメリカやヨーロッパのG7の国と協力をしながら、その開発のために技術協力、経済協力を続けていくことが、新しい世界の流れの中で日本が世界から頼りにされる国として、共に仲良くしていくことがいい国だというふうに協力を願うためにも果たさなければならない大きな役割ではなかろうかと、こう感じております。

 ところが東西の対立は自由民主主義陣営の勝利であったということをいま私は申し上げましたが、率直に申し上げてそれじゃあ自由と民主主義の陣営の内部に問題はありはしないかと反省してみますと、これもあるわけでございます。例えばサミットというのは先進七か国の首脳会議と呼ばれておりますが、偶然のことにサミットが最初に行われましたのは、今から十五年前、フランスのランブイエというところでございました。当時私は三木内閣で内閣官房副長官という仕事をしておりましたので、最初にサミットのときは政府のスポークスマンとして随行いたしました。東西対決のまっ最中に西側の自由主義陣営の中でどうもインフレが盛んになっている、経済成長がみんなストップしてきた、インフレのない経済成長をするためにはどうすることがいいのか、西側の自由主義陣営だけで政策協調をしようというのが、第一回のサミットの大きなテーマであったことを私は鮮やかに覚えております。

 それからサミットというのはだんだん性格が変わってきまして、ちょうど数年前にドイツのボンでサミットがあったときは時の中曾根総理が行かれましたけれども、私は日独議員連盟の理事長という仕事をやっておりました関係で、随行国会議員の一人としてボン・サミットへまいりました。そんなころは経済問題だけからだいぶ政治問題のほうに議論も入ってくるように、サミットの姿が変わっておりました。しかし今度のサミットがいちばんはっきり変わったことは、敵対する相手国としてソ連を目標にして、ソ連の脅威に対してどう対処していくかという角度ではなくて、そのソ連を自由と市場経済の国になりたいという願いを聞き入れて、その先頭に立って旗を振っているゴルバチョフ大統領を通じてソ連の民主化を支援し、自由経済のソ連をつくることにみんなで協力しようということになったんですから、サミットの大きな様変わりは世界の歴史の大きな様変わりの一環として受け止めたらいいのではないかと考えました。

 そしてソ連自身もGATTにオブザーバーとして参加をしたいという意志表示を正確に言い、共産党一党の独裁体制をやめにすると言い、ドイツのコール首相やアメリカの大統領に対しては、西側のいろいろな市場経済を取り入れるために金融援助をしてほしいということを、あのソ連が昨日までの相手陣営の首脳に率直に言う。そして西側の首脳全員にブッシュ大統領を通じてそういった手紙が配られたわけでありますから、これは大変な様変わりでありました。これからのサミットというのは地球を経済的に市場経済に変質させていくためには、どのような協力、どのような努力をしていくべきかというのが大きなテーマになってまいります。

 結論から言いますと、今度決まったことはIMFとか、世界銀行とか、欧州開発銀行とか、OECDという、そういった世界の西側の大きな経済機構が協力して、いったいソ連経済のどこにどのような変化を求め、どこにどのような支援をしたらソ連経済は我々の西側と同じような制度仕組みとして発展していくことができるかということを調べて、調査をして、そしてその調査の結果をまたお互いサミットで議論しよう。それまでに個々別々の国でいろいろ事情はありましょうから、まずやってやろうという国はそれは進んでおやりになることは結構だ。けれど今のままの段階でソ連へ金融援助をどんどん出すということは、ソ連自身が今まだ予算全体の規模の中で軍事費の占める割合が非常に多い。アメリカやイギリスの調査によると一八パーセントが軍事費になっているということです。またアメリカやイギリスの調査によると今でもキューバに年五十億ドルからの軍事援助が出されたではないか。ベトナムに援助がいっていることもこれは天下周知の事実である。

 だからそういったものがきちっと終わりを告げて、そして新しく国内の経済体質改善のためにそれらの援助のおカネが使われるんだということがはっきり筋道として立つことと、ソ連の指導部がそのようなふうにするという政治的な意志を明確に世界に示すようになるまでは、各国ともそれぞれ国民の税金を使うわけでありますから、その調査をやろうということが全体会議では決まったわけであります。

 私は日本の立場としては、ヨーロッパはソ連の西の端にあるんですが、日本はソ連の東の端にあるわけですから、ユーラシア大陸の西と東にある日本とヨーロッパの立場は自ずから違うところもありますけれども、日本の戦後四十五年のこの近代化、経済が力を持ったやり方というものがソ連には大変参考になると、ソ連から言われておりますので、去年の十一月と今年の四月と、二度にわたってソ連から経済調査団を迎えいれております。

 そしてソ連に対しては知的協力や技術的な協力については、いろいろな面でソ連に対してのできる限りの協力はスタートを既にしているわけですから、こういった実現可能な問題については人物交流や文化交流も含めて、これから進めていきたいと思っておりますが、ただ一つ日本だけが持っている特殊な事情として皆さますぐお気づき願えると思いますが、北方領土の問題がございます。

 これは日本とソ連の二国間の問題だとして捉えるのではなくて、第二次世界大戦が終わったときのスターリンの拡張主義の結果である。東西対立関係が終わりを告げて、地球の上から第二次世界大戦の結果である東西対立が終わって、東西関係はなくなったんだと国際的に言いきるためには、日本とソ連の間にある北方領土の問題も国際的な見地に立って東西対立関係の残滓{ざんしとルビ}を完全に払拭するためには、この北方問題の解決は大事なことであるということを、G7の国も認めてもらいたいということを日本の立場として主張をいたしました。

 今度のサミットでは初めて議長のサマリーにおいてはベーカー国務長官が日本の立場を参加国すべては支援をするという発表をしました。また宣言の中にもこの問題に対してサミット参加国は留意をする。こういう国際的な取り決めもされたわけでありますから、これはこういった国際問題の中での解決を目指しながら、九月にシェワルナゼ外務大臣が来る、来年ゴルバチョフ大統領の来日までは決まっておりますから、そのときを一つの改革のための節目にしたいと私は思って、これからの対話やソ連との間柄を大切にして、本当に領土問題解決に向けてのいい動きをこれに結びつけていきたいと思っております。

 またもう一つ、先ほど控室で聞いておりましたらむしろ中国との問題についてもいろいろヤナギダ顧問からお話があったようでございます。中国の問題になりますといま申し上げたソ連の問題とはちょっとまた違った雰囲気がありまして、ヨーロッパの国々から見ると中国の天安門事件というのは許すべからざる事件であって、その後何も反省も改革もないというような受け止め方がされているんです。日本の私から言わしむれば、前半の天安門事件は許すべからざる非人道的な事件であった。

 これは全くそうだと思いますから繰り返しそれは主張しております。ただその後一年間中国の行ってきたいろいろな努力、例えば改革開放路線は変えないで、今後も一生懸命続けていくというメッセージは、いろいろな人を通じて私のところへ直接来ております。また政治犯の釈放とか、戒厳令の解除とか、ついこの間は方励之という人の出国の自由を認めたとか、それなりに中国側からも民主化への努力が行われ、行為があるわけですから、それはそれなりに評価をして、そして日本は隣国でありますから第三次円借款というのは元の竹下総理大臣のときに約束済みの問題で、すでにその期限が来ていることでありますから、十七の項目について徐々に民生を向上させていくという面の問題から再開していきたいというのが日本の立場でありました。

 そこで諸外国の首脳の理解を得るためにも、それらの問題を話しますと同時に、皆さん中国を孤立化させてしまったのではアジアの安定のためにもなりませんし、それから別の問題ですが、いま環境問題というのが非常に盛んに議論されておりますけれども、環境問題の難しいのは空気や水には国境がないということでありますから、いかに税関や飛行場で厳しく取り締まっても、水や大気の汚染はパスポートを持たずに自由に地球を徘徊{はいかいとルビ}しているということです。ですからいま各国で問題になっているCO2の規制量を(西暦)二〇〇〇年前にどれだけにするとかいろんな議論をしておりますが、ずばり裏側から皮肉なことを言うと、中国がおれは知らんよと言ってそれらの問題に全然、共通の土俵に乗って歩みを始めてくれなければ、先進七か国だけが集まって、CO2の排気量は日本は二〇〇〇年までにこうします、アメリカはこうします、イギリスはこうしますと言ってみんな決めても、それは完全に理想を達成することにはならないわけであります。

 特に開発途上国の皆さんには森林の焼き畑農業の協力も得なきゃなりませんし、中国にはCO2の問題についての共通のテーブルについて話し合ってもらわなければ、二十一世紀に向けての長い目盛りの環境問題の解決も完全な目標を立てるわけにはいきません。そういったことの必要性等も考えると中国を孤立化させるということは、世界の安定と繁栄のためにもなりませんし、もっと中国がアジアの緊張緩和、アジアの平和のためにも果たしてもらう役割は大きいわけです。東西の対立、対決と言いますが、中国が東側でも西側でもない国であります。そこへ十億も国民はあるわけですから、そういった意味でどうか中国を共通のテーブルについて話し合う仲間にしたいんだということを、私は率直に言いました。

 日本のそういう立場はちょうどヨーロッパでドイツが五十億マルク、ソ連に対して既に信用供与を出した。今後も必要に応じてやるということが、それはその国の自主権でおやりなさいということで認められると同じように、日本もそういったことをするということについて、サミットの諸国は反対する人は一国もありませんでした。けれども非常にまだ厳しい目を持っていることも事実であります。今日も孫平化さんという長い間日中友好に協力してきた向こうの会長が訪ねてこられましたので、私は今後ともより一層西側陣営と中国との間にもっと距離が縮まっていくように、私は中国の積極的な努力を期待し、それを正当に評価するように西側に伝えるけれども、中国もまた自らの努力によって歩みよることのできる環境を、日本だけが円借款をして、日本だけが仲良くなればいいという問題ではなくて、世界のすべての国が中国とのいい環境を安定的につくっていくことが大事でありますから、そのような努力をぜひ続けてもらいたいということも、私の立場からも強く要望をし、孫会長もそれをうなずいて聴いて帰られたわけであります。

 皆さん、アジアの代表として一人だけサミットに参加をいたしておりますと、アジアの立場、アジアの問題というものを中国のみならず、ヨーロッパの国々に伝える義務もございます。今日までサミットに参加された歴代の総理大臣にも出発前にご意見を聞いてまいりましたし、また、財界の明さん方からもいろんなご意見、ご要望もありましたし、党内のいろんな立場の人々からもご意見を聞きましたし、野党の党首とも出発前に党首会談で意見を求めてみましたが、アジアの立場で、アジアの問題を地球的にきちっと関心を持つように話せというのは、皆さんのほとんど共通した意見でありました。そのことは私も伝えなければならない、同時にアジアの一国として、これだけアジアのことを考え、しかも二十一世紀はアジアは経済的に世界で非常に存在感の強い地域になると、私は確信をいたしております。

 現に経済成長率一つを捉えても、世界の平均の成長率よりもアジアの成長率は驚くなかれ二倍近くのところにいっているわけであります。そして日本の輸入も内需の拡大、輸入の拡大の政策がだんだんこのごろ浸透しております。去年一年間、アジアからの輸入は六百四十億ドルということになっております。そしてアジア地域に対する経済投資もどんどん進んでおりますから、アジアの経済発展、アジアの経済の底力をつけるために日本はアジアの国に対して非常に貢献をしていると、謙虚な気持ちで申し上げてもいいし、アジアの国もそれは認めていてくれるわけであります。

 しかし残念なことに最初申し上げたヨーロッパのようにワルシャワ条約機構とNATO、自由陣営と社会主義、共産主義陣営というように、線を引いて分かれてきたアジアじゃありませんから、一国一国にそれぞれの複雑な理由や環境がございます。お隣の朝鮮半島問題一つを捉えても、この間盧泰愚大統領と首脳会談をしたときに時間の関係で全部触れることができませんので残念ですけれども、ドイツの統一に盧泰愚大統領をはじめ韓国の人々が非常に心を動かして、ドイツでできることが韓国でできないはずがないんだ、我々も戦争に訴えないで、平和的に韓半島の統一をこの世紀中に実現したいんだという強い希望を述べられた。

 日本には南の人も、北の人もいるはずだから、総理大臣、あなたの立場でどうか南と北が話し合いで仲良くしていくように、自分もそう信じているから総理から北の人にも南の人にも伝えて協力をしてほしい。同時に東西ドイツの融合がうまくいったのは、西ドイツのようになれば東ドイツもいいなということを、国民の皆さんが素直に思ってくださった経済の基盤の底板の厚さにあったのだと思う。韓国も一緒になる以上は、韓国となら一緒になってもいいと思われるように経済的な力をつけなければならないと。力はつけてきた。だからもう中曾根内閣のときに借りた借款が日本からは最後でも、もう借款をしたいとは思わないけれども、カネはいいけれども、ほしいのは技術力だ、技術移転をしてほしい、どんどん技術移転をしろということを強く要請をうけました。

 私は企業の皆さんにお目にかかるときに、どうぞ韓国から頼まれたら技術移転にはご協力くださいということをいつも申し上げておりますので、今日もこの場をお借りして、首脳会談の結果のお願いを率直に申し上げておきますけれども、ただ言うべきことは言わなければならないと思いましたので、ソウルのオリンピック以来、韓国は投資環境がやや悪くなっているんじゃないか。度重なるストの問題やいろいろな問題を見ていると、日本の投資家の意欲を欠くようなことがあるのではないか。また技術移転をするにもそれなりのお話し合いをしてもらう条件を、もっとお互い企業家同士が納得できるような話し合いと結果を招来するように、私も日本の国内で訴えますから大統領も韓国のほうで受け入れ側となって強くそれは訴えてくださいと頼んでおきましたら、そうするということでございます。

 私は韓半島、朝鮮半島の統一というものが本当に平和的にできるとすれば、これはアジアの平和のために大きな前進でありますから、ぜひご理解とご協力願いたいと思うし、ブッシュ大統領に聞きましたら、ソ連と韓国の首脳会談は非常に物分かりのいい友好的な話し合いが行われて、あと時間的な問題と、手続き的な問題があるけれども、韓国とソ連が国交回復をするのは時間的な問題だということまでなっているわけでありますから、私は朝鮮半島の平和のために、北朝鮮の政府に対しては、日本は一切の前提条件を付けずに、いろいろな問題についてお話し合いをしたいと思うから、どこかのところで接触をしてくださいということを事あるごとにお訴えをし、今日出発された社会党の訪朝団の皆さんにも出発前にお目にかかって、私のそういった気持ちを北朝鮮で伝えてもらうようにお願いをしているところであります。

 少し西のほうへ行くと、さっきちょっと話に出たカンボジア問題がありますが、カンボジアはアジアで今でも戦争が、内戦に続いている地域であります。なんとかこれは日本も心を寄せている地域として、この間シアヌーク殿下や、フン・セン首相を招いてその間における調印には成功したんですが、クメール・ルージュ、ポル・ポト派と言ったほうが皆さまにはお馴染みが深いかも知れないが、そちらキュー・サムファンという人は捺印に参加しないで帰ってしまわれましたので、まだまだ東京会談はその意味では不完全なものでありました。早く平和が到来するように、引き続いて今日までの関係のあったパリ会議を再開して、フランスが指導力を持って、このカンボジア内戦の終結に努力をしてほしいということを、サミットの場でも強く要請してまいりましたが、出席していたフランスのミッテラン大統領はアジアでそのような努力をしてくれたことに感謝をして、それを引き継ぎ、パリ会議が成功するようにしていくけれども、今後とも一層そういったことに心配りの努力をしてほしいという発言もございました。

 私はこのようにアジアのそれぞれの地域にあります紛争や戦争の火種を一つ一つ少なくし、またアジアの国々が経済的に成長して、二十一世紀には存在感を持つ地域になるように、できる限りの経済協力、技術協力なんかも含めて、精一杯の努力をしていかなければならない、こうすることは二十一世紀に日本が世界の中の一国としてそれぞれ協調行動をとることができる大きな背景になるものと信じて疑いません。

 そのためにも、国内の政局においても成さなければならないことはたくさんございます。申すまでもなく政治改革というのは海部内閣の最重要課題であります。ややもするとこれは選挙区制度の問題にいま非常にスポットが当たっているようでありますけれど、それは審議会の答申にそこのところが象徴的に表れてきたことと、もう一つございます政治資金の改革の問題についての議論と併せて、いま行っているということを率直にご報告いたしたいと思います。そして何よりも政治改革の第一歩というのは、本当は一人一人の政治家の個々の心の持ち方の問題、これが政治倫理の確立でありますから、一人一人の政治家の責任において自らを正していくべきであると思いますけれども、しかし十八世紀的だと言われるかも知れませんが、一、二の三でやるためには、いろいろ法律の規制も必要だ、こういった世論もあって今年の二月から公職選挙法の一部改正案を通して、政治家が買収と言われるような面でのおカネの使い方を規制するような法律もスタートさせてございます。非常に十八世紀的な発想ですが、法律をつくって正すべきは正さなければならない。

 その意味でもう一歩踏み込んで、連座制の問題とか、国会にあります政治倫理委員会の運用問題についても、党の政治改革本部でもそれに対する代案を出しておりますから、そういったものについての改革も含めてしていかなければならないことであります。そして政治倫理と政治資金と選挙制度だけではなくて、七月の末には選挙制度の審議会から引き続いて第二次の答申がいただけることになっておりまして、政党というものがいったいどのような姿かたちで、どのような限度であるべきなのか。あるいは衆議院のみならず、参議院の今の制度もあれでいいのかどうかということについても答申をいただきますので、それらの問題を包括して、全体的な選挙の仕組み、できれば政策本位で、政党本位で選挙ができますように。個人個人の候補者が自分の責任で政治資金も集め、自分の責任で政策宣伝もやり、自分の責任で日ごろの政治行動も、選挙のときの選挙事務所も、行動隊の編成も、全部個人の責任でやらなければならなかったというところにいろいろ問題はありはしないかというご指摘に対しても、ただいま自民党の中でも各議員のそれぞれの立場に立って、夏休みを返上して、議論をいろいろ重ねていてもらいますから、十一月の二十九日が国会開設百周年記念ですから、そのときまでにでき得る限り議論を集約をして、政治改革の端緒を開いていきたいという決意を持って臨んでいるところでございます。

 また税の問題につきましては、皆さまにもいろいろとそれぞれのお立場でご理解いただき、あるいはご迷惑をおかけしながらご協力をいただき、いろいろご意見もあったろうと思います。私どももいいことだと思って去年の四月からスタートさせた税制の改革でありましたし、消費税だけを置いたのではなくて、法人税の減税や、所得税の減税や、あるいは資産課税のほうでは証券その他については原則非課税を原則課税にしてご協力願ったり、いろいろなことをしてきて、総合的に考えていただければご理解がいただけるものと信じて行ったんですけれども、残念ながら昨年の参議院議員の総選挙の結果等も踏まえ、また私自身が全国へ行って国民対話集会をやって、直接消費者の皆さんの意見を聞いたり、国会の質疑応答を聞いたりした結果、自分だけいいと思ってもいけませんから、思い切って見直し案をつくって国会に提案をしてご議論を願ったんです。

 衆議院ではおかげさまでご理解いただき通過成立しましたが、参議院では廃案となってしまいました。野党の皆さんは消費税廃止法案、廃止ということに焦点を絞ってこられましたので、選挙の前に廃止だけではまやかしではありませんか、間接税は必要だとおっしゃっているではありませんか。個別物品税は昔もやった慣れている制度だからいいということを土井委員長も選挙中におっしゃったので、昔の名前で出ていますというようなことならば結局同じことになるじゃありませんか、どうか廃止と言わずに代わりの案はこれだと言って、間接税の案も出して、国会で十分議論してくださいとお願いしたんですが、こちらのほうは結局衆議院段階で否決となりましたから元へ戻りました。

 従いまして今はもう廃止法案も、見直し法案も国会に存在しなくなりました。それなれば私は現在行われている消費税というものは何とかして世論の方向へ一歩でも二歩でも近づけていかなければならないわけでありますし、政治は国民の皆さんの理解と納得を得て、初めて定着するものであります。何の努力もしないでほおっておくわけにはいきませんから、各党にお願いをして、もういっぺん白紙の立場に立って、見直し法案というものの自民党も案を一応出したんですけれども、それが否決されて廃案になった以上はもう一回新たな角度で税はどうあるべきかをご議論ください。

 ただ今のままの仕組みでほおっておきますと、どんどん長生きの時代が来て、満百歳を超えるお方がいま三千七十八名おいでになります。今後どんどん増えていきます。毎年何百人という数で満百歳以上の方が増えていくわけであります。誠に喜ばしいことでございますが、反面、生まれてくるほうの赤ちゃんはだんだん減っております。去年は百二十四万七千六百人だったと思います。百二十五万と丸めて覚えておきましょう。一昨年は百三十一万人生まれていらっしゃるんです。一年間で約七万人誕生が減っちゃった。私は選挙中は一人の女性が生涯に生んでくださる赤ちゃんの数は一・六六ですと言って演説をぶっていたんです。そしたら秘書官から注意があって、いちばん新しい数字は一・五七でございます。あの丙午のときが一・五八でしたから、丙午のときよりも下回って、開びゃく以来の出生率の激減でありますとこういう報告を受けたところであります。

 さあ、生まれる方がそれだけ少なくなってくると、去年生まれた百二十五万の人が満二十歳になられた二〇一〇年を想定してみますと、よく言われていることですが、二・六人で一人の六十五歳以上をお支えしなきゃならん。今の税の仕組みそのままを変えないであれも反対、これも反対と言って今のままの税制をずっと持っていったら、働く人々の租税負担率は確実に二倍以上、一八パーセントを超えるわけです。そうなると重税感どころの騒ぎではありません。そんなに税が重くなる、不公平になることが分かっているならば、所得と、資産と、消費の間にバランスのとれた税制をつくって、二〇一〇年になっても二〇二〇年になっても通用するようにしておくのが、今日の政治の大きな責務であると考えます。

 幸い野党各党もそれらの必要は認めていただいて、野党が出された税制再改革法案にはこれも今は姿がなくなりましたけれども、その中には資産と、所得と、消費に課税をして、すべての流通、すべてのサービスを課税の対象として、直間比率の間接税は三割ぐらいのところが妥当ではないかということも、野党の政審会長も認めていてくださるわけですから、そこが話し合いの糸口になると、私は期待をしておりますので、この夏中に与野党で議論を重ねまして、秋の臨時国会のときにはこれらの問題も国民の皆さんの前で議論を詰めさせていただきたいとこう思っております。内政外交共に非常にたくさんの問題を掲げて、二十一世紀を目指して公正で心豊かな国内の政治をつくり、世界に向かっては日本と仲良くしていることはいいことだな、あの国とは仲良くしようという気持ちをみんなの国々が心から持ってくれるような、そんな汗を流していく、志のある外交を展開していきたいと考えておりますので、どうぞ政府与党のこの政策に対しまして、皆さん方の高い次元に立ってのご理解とご協力を心からお願いを申し上げまして、私の今日の責任を果たさせていただきたいと思います。