データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 第十四回全国研修会における講演,二十一世紀への世界平和と安定を目指して(海部内閣総理大臣)

[場所] 
[年月日] 1990年9月8日
[出典] 海部演説集,559−571頁.
[備考] 
[全文]

 思い出しますとちょうど去年の全国研修会で皆さんにお訴えをしてから、早いものでもう一年たったかなあというのが、実感でございます。実にたくさんのことがございました。今年の初めのことからお礼とご報告を申し上げたいと思います。

 まず第一に、二月の衆議院の総選挙では、結党以来の危機感の中で、全ての候補者が真剣に歯を食い縛って地を這うような選挙戦をいたしました。私も、第一声は雪の降る北海道から始めて沖縄まで、全国遊説に行かせていただきました。いたるところ党員同志の皆さん方から力強い真剣なお力添えをいただいたこと、その結果として、過半数取れれるかどうかといわれた厳しい情勢の中で、安定多数の勢力を与えていただくことができました。それは、まさにわが党同志の皆さんの力と心の結集の賜物でありました。このことに対して心からお礼を申し上げさせていただきます。

 欧州の新しい流れを、アジア・大平洋地域に

 今年は昭和から平成へと変わり、内外共に大きな変化が起こる年だという予感が新年早々からございました。その地鳴りともいうべきものは、昨年の暮れのベルリンの壁の崩壊であります。私は、お正月が過ぎると早々にヨーロッパへ飛んで、東西欧州の首脳とそれぞれ膝を交えて会談をいたしましたが、しみじみと実感をしたことは時代が大きく変わったということです。昨日まで一つの壁で一つの民族が分けられていたのが、もう理屈ではない、壁を乗り越えていこう。まさにヨーロッパにおいて、歴史は二つの東西の体制に明確な勝負の結果をつけてくれたんだというのが私の実感でありました。

 そのとき対談したコール首相は、東西ドイツの統一を、三つの段階を示して大体数年がかりの目盛りの説明を私にされました。しかし、壁が崩れて人間の往来が盛んになるとそのスピードはものすごく速くなり、途中の段階は一挙に乗り越えてしまって、統一したほうがいいんだという大きな動きが起こったことは、皆さまご承知の通りであります。私は、東西の力による対決が終わりを遂げて、冷戦時代の発想を乗り越えて新しい世界の秩序を築き上げようという模索が始まった今年は、日本も新しい世界の秩序づくりの中でそれなりの貢献をしなければならないことをしみじみと感じたわけであります。

 あのベルリンの日独センターの演壇で、私は欧州訪問の意味を述べさせていただきました。そのとき強調したことの一つは、昨日までは鉄のカーテンの向こう側のことには、日本はなかなか手を出したり口を出したりお役に立とうということはできなかった。しかし、鉄のカーテンがなくなって、しかも自由と民主主義と市場経済の枠組みの中で価値を同じくする国々に対して日本は、技術力や経済力、人的交流や知的交流を通じてできるかぎりの応援をして、明るい豊かな生活ができるように大いに貢献したいと訴えました。

 私は、民主主義を目指す国々に対する貢献ということは、これから日本がしていかなければならん大きな目標の一つだとしみじみと感じ、そのことを二月の選挙のときに全国の皆さんにお訴えをしたわけであります。

 ヨーロッパの対決と緊張がだんだんと終わりを遂げて、ワルシャワ条約機構とかNATOとかいう軍事対決の枠組みはいまや全く昔話になってまいりました。九二年には、欧州は一つになろうという大きな動きが出てきております。私は選挙以来、一番力を入れたことは、この欧州に起こった新しい流れが、アジア・大平洋地域にも押し及んでこなければならない。そして、待っているだけではなく、積極的に日本も一歩前進して、お役に立つことがあったらお役に立ちましょう、われわれの住んでいるアジア周辺に平和と繁栄が真に定着するよう努力して、ヨーロッパに起こったようなあの緊張緩和の歴史の流れをアジアにも定着させなければならんと考えたわけであります。

 朝鮮半島の平和的統一を期待

 皆さん、お隣の国、韓国との間にも、日本はいろいろな過去のわだかまりがございました。けれども、盧泰愚大統領の来日を迎えて、日韓首脳会談で私は、日本の過去三十六年間にわたる植民地政策の問題について謙虚におわびの気持ちを表明いたしました。歴史の認識についても、盧泰愚大統領も率直に評価をされて、これで過去の歴史に関するわだかまりを乗り越えて日本と韓国とはパートナーとなって、アジアの平和と繁栄のために力を合わせていこうということを固く首脳会談で約束をしていただきました。

 東西ドイツの統一に刺激を受けて朝鮮半島における南北の統一にも大きな夢が持てた、これを実行したい。力によるのではなくて、平和的な交渉によって今世紀のうちに統一を達成して、アジア安定のための一歩の大きな節目にしたいといった盧泰愚大統領の言葉を私は今思い起こします。

 私は、率直にそれについては賛意を表明すると同時に、いつまでたってもお隣との間柄が正常じゃないということはよくありませんから、しかも朝鮮半島全体を一つの対象としてわれわれはものを考え、ものを言い、今日までいろいろな対応もしてきたつもりでありますから、北の政府にも無条件で、何も前提条件も付けないでお話し合いをしたい。どうかその話し合いに応じてもらいたいということを、国会の答弁でも記者会見でも盛んに言い続けてまいりました。

 最近、自民党の石井団長のもとに訪朝団がまいりましていろいろと話をされた。北朝鮮側も、自由民主党とまず話をしなきゃならん。自由民主党の金丸元副総理を団長とする訪朝団にきていただけるなら喜んで歓迎するという、前々からのシグナルは来ておりましたが、今ここにくる途中のラジオでニュースを聞いておりますと、そのお話ができて、金丸訪朝団が十月二十四日に北朝鮮に行かれることになるということでした。

 私は、第十八富士山丸の問題にしても、人道上の立場から何とかお話し合いをして、帰国が促進されるように、また北朝鮮と日本との関係も話し合いによって前進していきますように、そして盧泰愚大統領が願っている朝鮮半島の平和的な統一というものが、東西ドイツの統一と同じように話し合いによって解決されていくことを心から願っておるわけであります。隣国と真に安定的な平和的は関係を持つということは極めて大切なことであります。

 また今年の五月には、日本の外交として一歩前進したカンボジア和平に関する東京会談というのも皆さんの努力で開くことができました。東京会談では、シアヌーク殿下とフン・セン首相との二派の合意はきちっと完全に成立したんですけれども、ポル・ポト派、クメール・ルージュという一派とは、どうしても最後の調印にまでこぎつけなかったという大変残念な問題もありました。

 しかし、アジアでくすぶっている戦争の火種を消火しようという努力が一歩一歩前進していることは、私は大変喜んでいいことだと思っています。

 さらに、今まで比較的足が届かなかった南アジアの地域に五月の連休に行ってまいりました。インドとかパキスタン、バングラディシュ、スリランカ、ここはかつてイギリスの支配下にあった地域であり、今でもSAARCという独特の南アジア連合をつくって、ご承知のように非同盟中立、どこかと違うのは、非同盟・非武装中立といわずに武装だけはしておったことであります。

 その四つの国は、日本はもっともっと援助してほしい、と盛んにいわれますから、「それじゃできるだけご協力もしましょう。どんなことをしたらいいんですか」いろいろ聞いてみました。できることはしようと思いますし、インドなんかではその場で約束してきたこともございます。

 けれども、インドとパキスタンとの間には例のカシミール地帯という、いつ戦争が起こるかわからない極めて物騒な火種があることは皆さんご承知の通りです。だから私は、まず日本のお願いとして、カシミール問題を力で片づけるということはやめてください。そして、インドにもパキスタンにも原子力の可能な工場があるという懸念が世界中にあるわけですから、核拡散防止条約に入ってくださいということを積極的に主張してまいりました。これも大事な問題ですから、アジアが安定していくためにはやっていかなければなりません。そういったようなことを通じて、アジア地域に本当に平和と安定をもたらすことが非常に大切だと私は考えてまいりました。

 ゴルバチョフ大統領の来日を節目に領土問題を

 一昨日(九月六日)、ソ連のシェワルナゼ外相と会談をいたしました。日ソ関係というのは、長い間の極めて難しい問題でございます。私も、国民運動本部長のとき北方領土返還運動の先頭に立って全国遊説をやらしていただいたこともありました。また、青年局長のときには、根室で全国の青年局長さんに合宿してもらって、知床半島の遊覧船を借りて、やや台風に近いお天気の中をみんなで北方領土視察に行ったことを今思い出しております。

 あのとき、われわれの宿舎を訪ねてきた元択捉島の村長さんが、明日の日本のために自民党の青年に語って聞かせておきたいことがある。千島列島はウルップ島からシュムシュ島まで十八の島をいうんだ。十八の島が千島列島だということは、明治八年の千島・樺太交換条約の中に書いてあるんだといって、その原本のコピーをちゃんと示される。その前の下田条約にも、国境線は、日本と当時のロシア政府との間の交換公文にちゃんと書いてあるんだから、よーく憶えておいてくれ。そして、八月十五日になくなったのが、まさにウルップ島からシュムシュ島まで十八の島で、九月三日になってから不法に取られてしまったのが四つの島であったという事実を憶えておいてくれ。ウソだと思ったら、生き証人がいるからこの人に聞いてみろといわれて、帰ってから党の青年局で水津満さんという、終戦当時、北千島守備第九十一師団作戦参謀を務めた陸軍少佐の方にも、お目にかかってお話を伺いました、その通りだとおっしゃいます。

 で、われわれはそういう歴史的な根拠とか事実を十分知っておっても、日ソの長い交渉の間では一歩も前進しないで凍結をされてきたという経緯が今日までございました。しかし、シェワルナゼ外相の発言の中からも、ほんの少しですけれども小さな変化がみられるような感じが私はいたします。

 ソ連自身もこのごろ大きく変わったんです。そしてシェワルナゼさんは来年の四月に初めてゴルバチョフ大統領が日本を訪問するということを明確に私宛のメッセージで伝えてくれました。私はゴルバチョフ大統領の来日されるのを一つの大きな節目にして、領土問題と真剣に取り組んで、四つの島を返してもらう、そして平和条約をきちっと結んでソ連と日本との間に本当に安定的な関係を築きたいと考えています。

 そのためには、ソ連に対する経済協力、今日まで知的協力とか人物交流とかいろんな往来をやってまいりましたが、さらに拡大均衡という方法で幅を広げて、できるだけのことをやっていこうと思います。サミットのときにもいろいろ議論が出ました。今すぐにソ連に経済援助をしなければならないという意見や、まず明確な政治的意志として自由主義になっていくんだ、世界に軍事援助はもうこれでやめるんだというようなことを言ってもらうのが先決じゃないかという意見も出された。

 私は日本の立場としては、東西の対決・対立が終わったといっても、第二次世界大戦の東西対立の残滓、北方領土問題というのがまだ残っておる。この北方領土問題が片づくということ、これが本当の意味の東西対決の終わりであるということを主張しました。それについてはサミット参加国が日本の立場を認めようということで、宣言にもきちっと盛られたことはご承知の通りでございます。

 したがって、ソ連が本当に自由経済の国になろうというのならばうんと応援をしようというのが率直な気持ちであります。領土問題を横に置いて応援だけもらおうといわれると、これはちょっと困ります。ソ連が知的交流や技術協力をうんと受け入れて、日本と同じような価値を認めてやっていこうとするなら、それに対するできるだけの知的協力や技術協力、去年からは留学生も二十人ぐらいずつ交流するようになったわけでありますから、さらに北方領土の問題も加えた拡大均衡の方法で日ソ間の関係をずっと続けていこうと思うんです。

 ソ連は最近、外交政策でもいろいろ変わってきています。特に今度の中東紛争、イラクのクウェート侵入・併合という行為に対して国連の歴史の中で初めて制裁が成立したのは、ソ連が積極的に参加したと、こういうことなんです。私は、今後の中・長期の目盛りで見たときの、二十一世紀への世界の安定のためには、こういった新しい国々との新しい力関係、交流を通じて進んでいかなければならんと思うんです。

 シェワルナゼ外相は私との会談中に、一九九三年にアジア・大平洋地区の外務大臣会議をまずウラジオストックでやろうという提案をされております。来年のことを言っては鬼が笑うということわざが日本にあるけれども、アメリカも賛成、カナダも賛成ということですから、今月(九月)まずニューヨークでやろうではないか。今後はお互いに話し合いで、アジア・大平洋の平和と安定のために日本もソ連も心を開いて、虚心坦懐に協力関係を築き上げるようにしていこうという話をしたら、それに対しても協力の態度、姿勢の素振りが見えたということでございます。来年四月にはゴルバチョフ大統領を迎えて、これが領土問題を解決するための端緒になることを私は心から願って努力を重ねていくつもりであります。

 中東紛争解決に、国連と共に貢献

 さて、そういうようにアジア・大平洋にもいい流れがヨーロッパのみならず出てきたなと思ったところに、あの中東の紛争であります。もう一回言わせていただきますけれども、今度のイラクのクウェート併合・武力侵略というのは平和の破壊であり、人道上も国際法上も許すべからざることであります。これを許したり、このまま定着してしまうようなことになりますと、平成時代の東西対立が終わったあと、国連が初めて平和を守るために決議をして行動しはじめたことが無に帰してしまいますから、どんなことがあっても国際的にみんなの力でイラクが撤兵するようにしなければなりません。

 昨日(九月七日)のブレイディ長官と私の話も、その前のブッシュ大統領との電話のときも、この問題については国際的な協調・協力を進めていこうということで意見が一致をいたしております。国連に入っていないスイスという国でさえ、国連の決めた経済制裁に自分のところも参加するといって同じ態度をとっておるということは、いかに今度のことが人道上も許されないかということであります。

 私はこれに対して、政府は協力をしなければならん。国連が初めて決めたこういった行動に対しては、できるかぎりの協力をしなければならない。昭和の時代の復興途上国といわれたころの日本ならばおカネだけでよかったかもしれませんが、今はサミット参加国、それなりに大きな責任も負わなければならんわけであります。また、国際的にみんながどんどん力を合わせて平和と支えよう、守ろうとしているときに、力のある国が「いや、自分のところはこういうルールでこういうことだから何も協力しませんよ」と言っておるだけでは、大国の傲慢だといわれても仕方がありません。そこで、現在の枠組みの中で何ができるかということをいろいろ閣僚や党の皆さんとも相談をしながら、今考えておる最中であります。

 まず第一弾は、八月二十九日に発表をした中東に対する貢献策であります。日本は四十五年前の反省に立って平和国家としてスタートしましたから、平和主義、民主主義、基本的人権尊重主義の憲法の枠はきちっと守っていかなければなりません。その枠の中でどんなことができるのだろうかということで、第一回目に出した貢献策は輸送協力とか医療協力、資金協力、難民対策、多国籍軍に対する援助という問題でありました。しかし、これはさらに肉付けをしなければなりません。ちょうど二年前にも国際緊急援助法という法律ができておりますけれども、それは地球上で起こる地震とかチェルノブイリといったような災害には助けにいきますよ、ということだけが書いてあるわけであります。

 復興途上国のころには日本は日米安保条約で平和と安全は全部任せて守ってもらって、国が一生懸命、経済的に力をつけることに努力してきましたが、今は経済力では世界のトップクラスになって、世界のGNPの一五パーセント近くを日本が占めるようになりました。

 一九八八年、世界のGNPは二十兆ドルといわれます。アメリカが五兆ドル、ヨーロッパが全部集まって五兆ドル、日本一つで三兆ドルです。これだけの国になったから、日本の地球に対する影響力もふえ、世界の秩序作りにも期待されるようになって、そして、その三兆ドルの日本がいろいろやるがために、今度は肝心のアメリカやヨーロッパとも大変な経済摩擦ができてきた。日本だけはルールが違う国ではないかといわれて、この三月、七月には、私どもは日米構造協議、SIIといわれたもので大変苦労したことも思い出していただけると思います。

 同じルールにして、責任ある国なら責任ある国のように世界に協力をしていかなければなりません。一切、貿易も何もしなくていいと言い切れるほど日本は豊かな幸せな国ではございません。国際社会の中で孤立してしまったら生きていくことは不可能な国であります。今、中東地域から七割に近い石油を日本は入れておる。この一点を考えても、アジア・大平洋地域のことだけではなくて世界に目を向け、力を出し、協力をしなければなりません。

 もっとも、国際紛争を力で解決してはいけない、それが平和国家日本の理念でもありますから、戦闘行動に武力をもって参加しようなんていうことは考えておりません。そうではなくて、皆さんの協力と皆さんの理解に訴えて、医療とか通信、輸送程度のことは何とかして日本も出ていって、平和を守るための国連の動きに、日本も口だけじゃない、カネだけじゃない、汗も流して支援をし協力していくにはどこでどうしたらいいのだろうか。そういう発想で国連の平和の努力を支援し、助けていきたいと思っておるのです。

 そういった意味で、日本の外交は今、復興途上国の外交から責任ある立場に立った国の外交として大きく変わらなければならん。外交の面から平成の改新というものが、今まさに行われなければならんときだということをしみじみと感じておるわけであります。

 活力ある豊かな国づくりと内政課題

 内政の問題に目を移してみますと、皆さんのご理解とご努力で四十五か月間という景気の拡大基調が続いてまいりました。しかし、今、二つ三つ懸念材料もございます。その一つが中東の石油が高くなっていくという傾向であります。企業の皆さんにはそれぞれ企業努力はしていただきますし、便乗値上げなんていうのはもっての他だという監視、指導も十分いたしますが、何しろ、もとがあのような紛争になって上がってくるわけです。

 考えてみると、イラクやクウェートから日本に入ってくる一日二十二万バーレルという石油は、輸入量としては六パーセントずつであります。しかし、もしあの紛争の始まったとき、直ちに米軍の急速な展開がなかったとしたならば、サウジの石油も押さえられたとすれば大変なことでありました。現在、国連の多国籍軍が今の状況を守り、サウジが増産態勢その他について協力をしてくれているということと、備蓄が百四十二日分あり、今直ちに混乱が起こることはないと思います。今日も円は百四十円台と、十円内外上がってきておりますから、ものを買うときのショックはそれだけやわらいでおる。けれども、いつまでもその状況が続いていくとは考えられません。国民の皆さんに、平和を守るために省エネルギーにご理解とご協力をいただきたいとお願いし続けてきたのは、そういうことがあるからでございます。

 一度だけクーラーの温度を日本中で、ご家庭も企業でも上げていただくと二日分の消費量が助かるという報告が通産省からきております。これから寒くなったときには、あまり温度をどんどん上げないで、一度だけ下の温度で、平和のために我慢しとってやるんだとおっしゃることが、無法な国に反省を求めていくための国際的な連帯になっていくわけであります。そういったこともやりながら、物価上昇を皆さんのご協力とお力で押さえていかなければなりません。

 二つ目の懸念は、中・長期の目盛りで、今、外国人労働力の問題が盛んにテーマになっております。地方へ行きますと、企業の皆さん方が、「総理は豊かな国になったなあと実感が持てるように、十年間に公共投資四百三十兆円の枠を決めた。けれども、働き手が足りないんだ。外国人の労働力がもっと簡単に来てもらえるようにしてくれないか」あるいは、「労働力の移動をうんとしてくれないと、特に中小企業は困るんだ。その面から賃金が上がり、物価上昇が起こると大変だから、そういったことも念頭に置いて政治をしていただきたい」と聞かされてまいりました。

 これには出入国管理法を変えたり、技術を持った人に三年なり五年なり研修してもらう。技術を身につけて研修が終わったら、自分の国のために日本で身につけた技術を使っていただければ、日本との技術交流で素晴らしい国際交流になる。そして、新しい人に来てもらえばいいんですから、そういうような制度仕組みを変えていこうと私どもは努力しております。

 二十一世紀を目指して、私は二月の選挙中には全国で高齢化時代を讃え、お年寄りの皆さまが夢と希望を持って生きてくださる世の中をつくりたいと訴えてまいりました。ご高齢の皆さんはどんどん元気に丈夫になられて、「五十、六十花なら蕾」「七十、八十働き盛り。九十になって迎えがきたら、百まで待てと追い返せ」、こういうのが平成時代に流行る歌だとおっしゃる。現に、私の腕を取って官邸の庭でゲートボールを教えてくれた方は九十五歳だったんです。一緒に回って私は負けたんですから。

 ただしかし、そのおじい様たちとお茶を飲んでいろいろ話しておったら、ゲートボールだけでは時間が余る。もっと見たいことや知りたいことやいろんなことがあるんだと、こうおっしゃいました。そのことが不思議に私の耳から離れませんでした。だから、ご高齢対策としては、生涯学習の振興のための体制推進整備法という法律を国会でこの前通してもらって、生涯学習の制度仕組みとか、それを振興するための国の関与、県や市町村の協力、あるいは地域の敬老会の問題等を充実させるような制度仕組みをさっそくスタートさせたわけです。

 また選挙中にお一人のご婦人が生涯に生んでいただく子供さんの数、専門語では「特殊出生率」とかいうんだそうですが、この数の平均を一・六六といって演説をやって歩いておりました。二月はそれで正しかったんです。ところが、今は一・五七になったと訂正しなければならんそうです。丙午といって、圧倒的に生まれる方が少なくなるときでさえ一・五八あったというんです。生まれ出る赤ちゃんの数が少なくなるということは、将来の社会の活力とか教育の上からも看過しえない問題にも相なってきます。

 昔、ヨーロッパで日本よりも出生率が低いところまで落ちかけた国が、いろんな政策努力をして上向きに戻してきた。それらの国々がやった政策は何であったかというと一つは児童手当の制度の整備でした。

 もう一つは親子の時間というものをどうするかという問題の中で、特にスウェーデンがやっておるような親子のための社会保障、子供を持つ親は、(子供の)就学前は八時間働かなくても、六時間で帰ってよろしい。それは早く家にお帰りくださいという意味、そして、親子の時間にしていただければ、賃金は八時間分を国が保障するわけです。

 私がコール首相のSPDからCDUへ政権が代わったときの党大会に招かれて聴いた演説は、ドイツの活力を取り戻すために家庭における主婦の大切さ、家庭における主婦の役割、主婦の立場というものを考えて政策を立てていかなければならん。子供を育て、子供をつくってもらうことが家庭における主婦の大きな役割ではないか。そのために、社会保険の掛金を一定期間免除するという思い切った政策を発表しておったことを今でも鮮やかに憶えております。

 サッチャー首相の演説をロンドンで聴いたときに、英国病と世界が言うけれども、英国には英国病はない。しかし、往年のビクトリア王朝時代のあの素晴らしさ、あの規律をもう一回甦らせるためには何をしたらいいだろうか。それは家庭の復興、家庭のルネッサンスであり、その中心は家庭における主婦の役割の再発見だということを言っておられる。言い方はいろいろ違っておりましたけれども、特殊出生率が下がっていくと先が思いやられるということなんです。私なんか六人きょうだいですと、きょうだい喧嘩をよくやって、放り投げるときに、柱があるか机があるか捜しながら、空いてるところへそっと弟を放り投げた、あの優しい心根は日常生活の中で身についたもので、決して大学で習ったものではございません。そういったことをあれこれ考えますと、やっぱり出生率の問題というのは、ただ単に日本の将来の労働力事情だけではなくて、子供がそれぞれ発達段階において身につけなければならない問題をどうやっていくかという、家庭の教育の一番根幹をなす問題ではないかと思います。

 時間がなくなってきましたからあとは問題提起だけにさせていただきますけれども、これからやらなければならない問題はまず内政では土地問題であります。これについては近く、土地誘導政策や土地税制のことでいろいろな施策を打ち上げていきたいと思っております。

 行政改革については、昨年編成した今年度予算は、赤字公債発行に頼らない財政再建の第一段階だけはおかげ様で突破いたしましたけれども、まだまだ百六十四兆円という累積残高を持っております。行政改革はさらに進めていかなければなりません。近く新しい陣容のもとで、新しい法律を国会でお願いをして、平成の改革に伴うようなスタートもいたします。

 政治改革はこれまた極めて重要なテーマであります。今、政府がいただいた審議会の答申に従って、まず政治家一人一人が自ら政治倫理を確立していくことが極めて大切なことであり、そちらに向かって努力をすることは当然の大前提であります。しかし、世論調査なんかを見ておりますと、おカネがかかりすぎる、もっと政策中心の選挙をやれ、民意を反映した選挙をやれ、一票一票の価値を大切にする選挙をやれ、いろいろ項目がたくさん出ております。どうしたらその理想を達成できるのか。党も今、それぞれの責任者を中心にして全国を回って説明をし、ご意見を聞き、どのようにしていったらいいかということについてご努力を願っております。ご意見なりご意向がありましたら、どうぞこの研修会を通じてお知らせをいただき、本当に政策中心の、制度仕組みが生まれていきますように、皆さんの一層のご理解とお力添えを願いたいのであります。

 消費税の問題についても、やっぱり皆さんのために、一歩でも二歩でも近づいた税制に定着させていきたいと思っております。私自身、北海道から九州まで対話集会に行って、党の皆さんや一般の皆さん、消費者代表にもいろいろ聞いてきたお話しはそっくりそのまま内閣でも報告し、党にも報告してあります。公平に平等に、生きている全てのものが全ての問題を解決するために支えていこうという参加の政治が民主主義の政治だと思っております。どうぞ皆さん方も、この税制改革に対してもご理解とお力添えを賜りますことを心からお願いを申し上げ、終わりといたします。