データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 自由民主党婦人部活動者研修会における海部内閣総理大臣の基調講演

[場所] 西熱海ホテル
[年月日] 1991年2月17日
[出典] 海部演説集,579−590頁.
[備考] 
[全文]

 皆さん、こんにちは。ここへ来る前に昨年おじゃまをしたのはいつだったかなあと思ってちょっと記憶をたどってみましたら、六月の十七日ということでございました。今日は二月の十七日でありますから、ちょうど八か月経っております。

 考えますと、今年の、今、皆さんにこうしてお話ができますが、去年の今日は大変だったんです。投票日の前日です。私は前の日に岩手県へ行って、栃木県へ入って、東京都へ飛んで戻って、今の時間はちょうど東京へ飛んで返す時間かも知れません。それから東京をずっと最後の演説をやってお願いをした。自由民主党がこの前の衆議院選挙で、皆さまに勝たせていただいたおかげで、女性閣僚も誕生したわけでありますし、そして自由民主主義というものをきちっと守っていこうと、そういったことでわが党も一歩一歩前進をし続けることができたわけであります。

 全国のそれぞれのお立場で、我が党の婦人組織の中心にいつもあって、ご活躍をいただく皆さん方にこの機会に併せてお礼とお願いを申し上げなければなりません。日頃のご活動はどうも大変ありがとうございます。率直にお礼を申し上げますが、今年は地方選挙の年でございます。地方の基盤がしっかりして、地方の声が政治に結びついて、それが中央の政策努力にはね返って、国民生活を平和と安定に持っていくということが、何よりも大切なことでございますから、今度の地方選挙の勝利のために、より一層皆さん方のご理解とご活動を最初に心からお願いを申し上げておく次第でございます。

 去年ここでの会合が終わって、七月、八月。もうその八月の二日にはイラクのクウェートに対する侵略併合という事件が起きました。私も八月にちょうど夏休みをいただいて、山歩きが好きなものですから、標高二千四百メートルの白根山という山へ登ろうというので、八月一日は一生懸命山登りをしたんです。二日に下へ降りてきて、朝の一番の電話で起こされて、一回すぐ東京へもどってください。あれ以来、今日まで世界中は湾岸危機。それが国連の度重なる決議によってもどうしてもイラクがクウェートから撤退しませんから、五か月以上にわたっていろいろな努力をいたしました。私自身も湾岸を訪問して首脳会議をやって、エジプトの大統領にも、トルコの大統領にも、サウジアラビアの大統領にもいろいろお目にかかって、あの地域の平和の破壊をした者に対して、どのように皆が力を合わせて、心を合わせて、この平和の破壊をこれ以上起こらないように防ぐかということとともに、一日も早く平和的な解決をしなければならないということに努力をし続けてまいりました。

 国連が度重なる決議をしたんです。というのは皆さん、国連という制度ができていたのに、今日まで四十五年間の間はほとんんど世界平和のための役割らしい仕事は国連ではできませんでした。ご承知のように安全保障理事会というのがあって、そこにはアメリカとか、イギリス、フランスという、我々から言うと西側陣営、ソ連、そして中国という共産主義陣営の代表が入っているわけです。今日までの地域の紛争というのは米ソが両方とも絡んできておりまして、拒否権を発動すると話がまとまりませんから、国連が平和を守るということはなかなか難しかった。ですから言葉をかえて言うと、今日までの世界の平和というのはアメリカとソ連というものすごい力を持った、超大国という表現をよくしましたけれども、その東西に分かれた力による均衡、あるときには恐怖の均衡と言われるように、力で押さえつけた世界の平和秩序というものがずっと続いてきたんです。

 それが冷戦時代が終わって、ベルリンの壁がなくなって、東西の対決が終わって、ようやく世界は力の平和ではなくて、話し合いによって、人間の道理によって、平和と繁栄を築いていこう、その中心に据えるべきものはやっぱり国連なんだということで、国連が初めて世界の人々の期待を担って、平和を守るという役割を果たすんですから、国連の決議というのはこれは世界中皆がやはり支持をして、応援をして、力を合わせて守っていかなければならないものだということを私たちは去年の八月以来、いやというほど体験をしてきたんです。けれども、サダム・フセイン大統領はどのような決議がなされようとも、クウェートからは撤退をしない。クウェートは手離さない、クウェートに居続けるんだということを繰り返し主張いたしました。もしこれをこのままほおっておいたらどういうことになるのか。極端なことを言うようですが、しかたがないと言って今度の出来事を黙って認めてしまったらどういうことになるかと言えば、力でもって一つの国を侵略したり、併合することを許してはいけないという人間の理想というものに対して、同時にこれから平和な世界をずっといつまでも続けていきたいと願っている我々にとって、力による平和の破壊というのを黙って見過ごしてはいけないという、この大前提が崩れてしまうことになるわけです。

 ですから今日、アメリカが中心ですが多国籍軍というのは国連の決議に従って、あの地域に平和を回復するために二十八の国が集まって、これ以上平和が破壊されることを防いでいる。同時に国連の決議で、力で侵略、併合してはいけないと言われているクウェートから、なかなかイラクが言うことを聞いて撤兵して行かないので、撤兵しなさいというので最後の武力行使にいま移っているというこの現状でございます。

 本国会もこの問題を中心に長時間論議を続けてまいりました。私はこの平行線のような状況の中で、いま一度今日皆さんととくとお話を申し上げたいと思いましたことは、日本という国が国際社会において果たさなければならない役割は何かということを、ぜひ皆さんと共に考えて、そしてその方向に向かって日本の協力すべきことはこれなんだということも、きちんと皆さんにご理解と、ご同意とをお願いし、同時にさらに我々が考えていないことで、やったほうがいいぞということがあったら、ぜひ皆さんからも今回の研修会のテーマの結論としてお決めをいただきたいと思う、そんな気持ちも願いに持っております。

 例えば、私はいつか新聞の記事の中の、日本はそろそろ片隅の幸福を追求する国家から、世界のために奉仕、協力する国にならなければならないという記事を、感銘を持って読んだことがあるんです。それは初めて日本がいろいろな歴史の中で、敗戦ということを考えたときに、戦後の日本は人様に迷惑をかけるようなことはもう二度としない、もう世界の片隅でそれこそ日本だけでささやかに、平和で豊かに幸福な毎日毎日がおくれたらそれでいいんだ、そういう国になろうと思って出発をしたのではなかったか。言われてみれば私もそんな気持ちを持っておりました。だから学校教育でも人様に迷惑をかけてはいけないということを強く教えました。そのことを政治の世界や一般社会では、もう二度と再び迷惑をかけるような武力行使をしたり、侵略戦争をしたりしてはいけないぞという誓いを立てたことも、これは率直に認めます。

 けれども、当時の日本というのは非常に小さな国でしたから、本当に世界の片隅で目立たない生活をしていたんです。脱線するようですが、ヨーロッパへ行ったり、アメリカへ行ったりして、世界というのを考えますと、地図の真ん中にあるのは日本じゃありません。地図の真ん中に日本があるのは日本だけであって、あれが間違いの元でしたけれども。色まで真赤に塗ってあって、日本から世界に向かって飛行機が飛んでいくような線も書いてありますから、だから私は東側、西側と言われたときに、日本を中心として東と言うとアメリカで、日本を中心として西と言うとソ連や中国のことかななんていう、そんな錯覚を持つんですが、あれは日本しか通用しないものであって、地球の時差が何時間あるというときも、そんな真ん中はちゃんと日本なんです。ヨーロッパが中心となっているわけですから、日本のことはファー・イースト、極東というじゃありませんか。極東。地の果て、東の果てだ。今、争いの起こっているあの付近は、東は東でも極の東ではなくて、中の東、中東。だから中東地区とこう言うんです。だから世界地図を見ると世界の人はもう地の果て、東の果ての小さな小さな島国日本だと。一時暴れたけれども、今度平和憲法を持って、幸せに人に迷惑をかけないでやってくれるならばいいぞと思ってくれたのは四十五年前のことです。

 皆さん方やあるいは皆さん方の先輩たち、お姉様やお母さんたちがうんと頑張っていただいて、戦後日本というのはもう片隅で小さく小さく、一人だけで幸せだということを言っていられる国ではなくなりました。これはいい悪いは別にして、今日世界の中で日本がどれくらいの地位を占めているかということになりますと、最近よく国会でも私は議論しておりますから、お聞きになった方はまたかと思わないでもう一回だけ言わせてください。世界は荒っぽく言うと二十兆ドルの経済力ですよ。二十兆ドル。そのうち五兆ドルがアメリカ、五兆ドルがEC全部。要するにヨーロッパ全部です。日本は三兆ドルあまりあります。荒っぽく分けて五、五、三というその三を一国で日本はつくっております。最近の円の百三十円で計算し直しますと、三兆三千億ドルになるわけです。日本一国の総生産は、世界の中で一五パーセント近くなっているというんです。ですから好むと好まざるとに関わらず、もう極東の東の果ての小さな小さな国で密かに人に迷惑をかけないでいればいいという時代は終わったと思うんです。

 今から数年前に同じこの会場で、世界の中の日本というテーマを抱えてお話に来たことを思い出すんです。ちょうど文部大臣を終わってしばらくたったころです。日本は安くて、丈夫で、長持ちするいいものをつくれと教えられました。教えたのはアメリカや、ヨーロッパでした、歯を食いしばって、我々は安くて、丈夫で、長持ちするいいものをつくるために努力をしてきました。今度はアメリカやヨーロッパが買ってくれるようになりました。買ってくれるようになったので、ああ、よかったなあと喜んでいるうちに、今度は勝手に売りすぎるな、もう少し考えて貿易はやれというおしかりを受けるようになりました。

 というお話をしたことを思い出すんですが、世界中に貿易をやって、荒っぽいことを言うと数年前まではアメリカ一国から輸出の輸入の差引をしますと、年間五百億ドル、日本に黒字として残るようになったんです。分かりやすく言うと買ったものと、売ったものと差引したら五百億ドル儲かったと言うんですか、残ったと言うんですか、黒字なんです。アメリカ一国を相手に。ヨーロッパ全部からまとめて二百億ドルぐらい。その他のアジア地域から二百億ドル以上入ってくる。そこで日本だけ調子がよすぎるじゃないかと。貿易摩擦という問題が起こって、昨年のここの大会が終わったあと、私がいちばん苦労したのは日米経済問題の調整。英語で言うとSIIとこうよく書かれましたが、構造調整問題です。

 そして何とか日米の間の貿易のバランスというものをとっていくように、お互いに生きていて協力しあっていい国だな、いい友達だなと言われるようになろうというので経済調整に励んだのも去年のことでございました。そういう国力が非常についてきた日本であります。

 いま国連の決議によって平和の破壊をやめさせて、力でもって押さえつけることはいけないぞという世論に応えようと世界中がしております。もし今このクウェートの事態をほおっておいたらどういうことになるでしょうか。力の強いものが力の弱いものを侵略してしまっても、しかたがないというようなことにもしなってしまったら、これはいけないわけであります。

 このあいだ国会でも私は率直に紹介した意見があるんですが、ここだけは正確に読ませていただきます。絶対平和がまだ実現しない今日、現在の国際社会において戦争反対だ、平和だ、叫んでいるだけでは、これは対処することはできません。武力侵略行動を結果的に認めてしまうことになるんです。こういうことは侵略者を利することになり、逆にそれじゃあここもやろうかという戦争を誘発することになりはしないでしょうか。反対だ、反対だと言うだけではいちばん喜ぶのはフセイン大統領だけだという、これは二月二日の新聞に載っていた言葉です。驚くことにこの言葉は社会党の若手の議員の集まりであるニューウェーブの会というところの有志が書いた文章だと、出所も紹介してあります。

 私はやっぱり国連が五か月以上にわたって武力行使をしてでも平和の破壊は防がなければならない、侵略は排除しなければならないと決めたのは、新しい国際秩序は力にものを言わせてはいけないんだというこの基本を示そうとしたのだろうと思うんです。今度国連の決議の六百七十八号というのがございまして、そのために国連はあらゆることをしてもいいということになりました。二十八か国が参加していますが、日本の国は最初申し上げたように憲法があって、武力部隊がそこへ行って、日本も一緒になって力でお役に立ちましょうということは、これは言ってはいけないということになっております。その一線はきちっと今日までも守ってきました。

 けれどもそれだけ言っていたのでは最初くどく申し上げたように、世界の中で大きな大きな影響力と責任を持たなければならないその日本が、サミットになれば世界の七つの国の一人だと言って出ていって、いろいろ世界のために責任を持たなければならない日本が、何もしないではいけませんから、私は憲法の九条ももういっぺん皆さん、読んでみてください。正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、と書いてあります。正義と秩序のある国際平和を日本は誠実に求めるんだということが書いてある。同時にお読みいただいていると思うが、日本国の憲法というのは平和主義の憲法であり、国際協調主義の憲法でございます。恒久の平和を念願し、平和を愛する諸国民の信義と公正に信頼して、我々の安全と生存を保持しようと決意をした。そしていずれの国家も自国のことのみに専念して、他国を無視してはならない。要するに自分のことさえよければよその国はどうでもいいと言っていてはいけませんよということを憲法の理念で前文にちゃんと書いてあるんです。国家の名誉にかけてこの崇高な目的を達成することを誓うと。日本国憲法の前文に理念として宣言をしているんです。

 それならばせめてできるだけのことはしようということで、国連の決議で各国が適切な支援をしろと呼び掛けられましたから、九十億ドルの支援をしようと決めたんです。さあ、国会が始まったら根拠を示せ、何の根拠で九十億ドルとしたんだ、戦争は三か月続くといって計算したのか、アメリカの言う通り、一日五億ドルで計算したのかと、まあいろんなご質問が出てきました。テレビが中継してくれたからご覧になったと思いますが。そういうものじゃない。一日も早く終わってくれとこちらは願っているんですし、いつ終わるかは分かりません。早く終わってほしいと願っているんです。それじゃあなぜ九十億ドル出すか根拠を示せと言われても、正直に言って具体的な根拠は最初お示ししたように、日本が大きくなったということぐらいしか言えないのではないかと思っているんです。

 一人当たり一万円になるぞといって怒られましたが、よく考えてみたら一万円というとうちの家内に少し洋服をつくるのを、一年に一回やめろと言うと一万円以上はいくだろうと思って聞いたら、秘書官がもっと生々しい話を教えてくれたんです。秘書官の子供が高校を卒業する旅行に十五万円でバリ島まで行ってきたとこう言われます。十五万円でバリ島へといったら高校生の友達と行ってきた。ちょっと運輸省に聞いて調べたら、去年一年で新婚旅行や高校旅行やシルバー旅行というんですか、いろいろあるんですけれど、海外旅行に出て使ったおカネは二百二十億ドルだとこう言うんです。

 それならば世界の平和のためにそれぞれの国がいろいろな事情を抱えて経済の苦しいところを乗り越えて兵を出して、アメリカだって景気ははっきり言って落ち目になってきた。大統領自身が認めている。アジアの国々も兵隊を出すと言ってくれるが、あのバングラデシュとかいろんな国が、失礼ですがそんなに豊かな国だとは思えない。いろいろ経済協力をしろしろとおっしゃる。アラブの国々も兵を出している。ヨーロッパのフランスもイギリスも、失礼ですがそんなに豊かだとは思わないけれども、皆平和を守らなければという理念、人間の命は尊いんだという理念で経済を乗り越えて出しているんですから、日本もそれぐらいのおカネは出していいだろうというので九十億ドルと決めたわけでありますから、どうぞそれらのことについては皆さん方もご理解をいただいて……。我々も人に頼む頼むと言うだけではありません。先週の閣議で我々閣僚はこの紛争が続く限り、そしてこの国民の皆さんに増税のお願いをいたしましたが、この増税のお願いをしている期間、在任中は毎月一割ずつ、我々閣僚も出そうと決めたんです。

 そして皆で力を合わせて日本全部で国連の平和回復活動というものを皆で支えていく、支持していく。憲法があるから武力部隊が出せない。現に毎日犠牲を払いながら頑張っている二十八の国々の人。それらの人々に日本人は犠牲を払いには行けないけれども、せめてできるだけのことはしますからとお約束を申し上げた以上、そのことを貫くことが私どもの時代よりも私どもの子供や孫の時代にもう日本は調子のいい国だからまた片隅に戻っていてくれ、もう貿易の相手にならない、日本のものは買わない、日本にはものも売らない、この国とは仲良くしておいてもさあというときに友達がいのない国だと言われてしまったら、国際化時代に日本が名誉ある地位を占めるといくら憲法に書いてみても、いくら平和主義だと言ってみても、それは通らないことになってまいります。

 もう一つ、それなればおカネだけ出したって、行動が伴わない、汗をかかないではないかということもいろいろ言われてまいりました。私はそこでIOMという国連に委託された国際機関がありまして、そこから避難民の輸送の問題について日本は協力してくれるかどうか、世界の加盟国三十ぐらいに民間機であろうが、軍用機であろうが、協力できるときは頼んだら協力できるように可能性を検討しておいてほしい、こういう要請が来ました。軍隊を出せという要請はできませんと断りますが、非軍事的な問題で、人道的な問題で、気の毒な人がそこにいたら助けることができる能力があったら、助けてあげよう。助けてくれという要請が来たんですから、さあというときはこれは協力しましょうという決心をしました。具体的な要請が来ましたのでまず民間機にお願いしたら、民間がいろいろな事情を乗り越えて、日本航空も、全日空も出ていってくれましたから、カイロまで行ってもう四機の飛行機でベトナムまで移送をしたことは、ご承知いただいているとおりであります。

 今後もいろいろこの戦いの状況がどうなっていくかはおとといの夜のああいうイラクのほうから条件付きの一つの提案みたいなものも出てきました。どう変わっていくか分かりません。けれども、もし気の毒な避難民の人がいっぱい固まってしまって、本国へ帰りたい、帰してあげてくれと言われたときには、できる限り各国協力して民間機でお帰ししますが、どうしてもそれが数の問題とか、いろいろなことで行けないときには自衛隊の輸送機に運びに行ってもらう、ということを内閣の責任で政令で決めたんですけれども、これも今の国会の論議を通じると非常に意見が対立しております。政令が法律を変えるような憲法違反はだめだということになりますが、しかし憲法違反かどうかということは、武力による威嚇、あるいは武力の行使をするために武装部隊が海外へ行くことが、憲法はいけないと言っているわけであって、避難民の人を移送する、しかも今の自衛隊法の第百条の五を読んでみますと、本来の任務に支障がない限り、政府機関から頼まれたときは、国賓、内閣総理大臣、その他政令で定めるものを飛行機で運んでよろしいと法律に書いてあるわけです。私は素直にその法律を読みまして、国会でも素直にお答えしているんですが、素直に読んだら国賓、総理大臣、並びに政令で定めるものは運んであげてもいいと書いてあるので、例に出された総理大臣ですけれども、私だって、あのサダム・フセインの無茶苦茶な行動によって追い出された可哀想な避難民の人だって、人間という原点に帰れば人間性の尊厳という面からいったら同じではないか。こう思ったんです。

 私は早稲田大学で日頃、慶応大学とは野球のときなんかは相争いますが、しかし慶応の総長のおっしゃったこと、天は人の上に人をつくらず、人の下にも人をつくらず、あの福沢諭吉先生の言葉というのは、学生のころから脳裏を離れない言葉であります。人間性の尊重という面からいったら、私はそこは法律にできると書いてあったら、政令を内閣がきちっとつくって、今度だけですよ、今度の湾岸で気の毒な目に会って、クウェートやイラクの周辺から出てきた人を運んであげるのをまず民間にやってもらいます、世界の国の民間航空にIOMは頼むと言っています。そのためのおカネはもう政府から三千八百万ドル出しました。けれどもどうしても、もし数が多くなって運びきれないときに要請があったときは、じゃあこの政令でお運びしますよということを決めて、心構えと準備だけさせていただいたわけであります。

 だからこれは軍事面でもありませんし、人道的な面でありますから、どうぞお認めくださいと再三国会でも野党に頼んでいるんですが、だめ、憲法違反だ、政令が法律を変えてはいかん、憲法違反はやめろというすれ違いになっております。また、あさっても国会が朝からあるわけですが、私は繰り返し繰り返し一生懸命頼むつもりですから、どうか応援してください。それくらいのことはやれと言って、それくらいのこともできないようだったら偉そうに、全ての国家がひとの国のことを考えろとか、日本は名誉ある地位を持つとかいうようなことは言わないほうがいいんじゃないかという気すら、私はいたしております。

 そして、今度のこの平和回復活動をもう人類最後の武力行使にして、国連をきちっとしたものにして、私が国会で言っているように、一日も早く終わるようにするとともに、終わったら、あの地域でサダム・フセインは原油を海へどんどん流しています。もったいないなんて思うのは我々の発想で、もうちょっと未来を見ると、もったいないと言うよりもあれで環境がどれだけ破壊されるでしょうか。お互い経験したことのない環境破壊が起きたら、人間はそれにどう答えを出し、どうしていったらいいんでしょうか。経験のないことですから土曜、日曜返上して、日本のあらゆる知的レベルを集めて、環境庁長官にはパリまですぐ飛んでいってもらって、国際的枠組であの原油の流出したのを何とか将来地球環境に悪い影響を及ぼさないように始末するために、日本は率先して積極的にまず協力しようと。

 二つ目は、あの地域の国々の経済復興に日本は大いに努力しよう。戦後四十五年、歯を食いしばって頑張ってきた日本は今日ここまで来たんですと。あなた方もひとつ歯を食いしばって頑張ろうじゃないか。イラクも含めて、国連の決議の原則に従って、国際社会へ復帰してきたと言うならば、皆の国に日本の今日までの技術力やノウハウ……そういったものを全部伝えて、おカネも出して経済協力もしよう、私は言っているんです。国会の質疑の中に九十億ドル出すと総理は言うけれど、そして戦争は早く終わるのがいいと言うけれども、終わったら残った分は返してくれと言って取り戻してくるんだろうな、こういうような質問がありましたから、私は、ちょっと待ってください、私は武力行使が終わることは願うと言っていますが、あの地域の安定と回復のために出した九十億ドルですから、安定すればなおいいことだから、経済復興や重油の処理や、そういうことに全部使いますし、いるときはさらに使うかも知れませんから返してもらうということは考えておりませんとお答えをいたしました。皆さんにもそれぞれのお立場でいろいろご負担をおかけする、お願いしますけれども、どうかそういうことに使うなら結構だと認めてください。それは、そういかなきゃなりません。ぜひお願いいたします。

 それが終わったらいよいよ大事なことは、あの地域の恒久の平和のために、日本は初めイスラエルなんかは認めない、海へ落としてしまうと言っていたパレスチナの過激派の人たちも、このごろはイスラエル国家を認めると言うようになってきました。アラファト議長を日本へ呼んだときに、私は初めてアラファト議長を日本が呼ぶんですが、私が首脳会談をするときには、どうかイスラエルを認めるということは認めてください。テロはやらないということは認めてください。そうすれば、イスラエルにも占領地から帰っていかなければならないよと、いうこともきちっと言いますという約束もしてあります。あの地域の恒久平和もします。

 同時にもう一つあります。だれがこんなにしたかというと、八年間のイラン・イラク戦争の間に、イラクへ大量破壊兵器やら、武器やら、いろんなものを渡したのはどこのだれですかと言いたいんです。私ははっきり申し上げるが、いちばんたくさん武器を渡したのはソ連じゃなかったですか。中国もフランスも渡しているじゃありませんか。いろいろな国々ですが、振り返ってどこが悪い、どこが悪いとは言いません。これを徹底的に反省材料として大量破壊兵器をもう拡散しないように、通常兵器も透明性を持って移転するように、ずばぬけた強いものをつくらないとともに、ずばぬけた空白地帯もつくらないで皆その地域の人が集まって平和のために話し合う枠組みをつくっていこう。それが地球的規模になると国連の責任になるわけです。そういったことに日本も大いに頑張って、積極的に参加をしていきたいと思っております。それが日本の果たすべき役割だと信じております。

 大変残念でありますが、今日、私はこれからまた飛んで帰って、対策本部へ入って、世界から入ってきている電報を見たり、日本のこういった枠組みについてこういうことを言うということを言ったり、おとといの夜出たイラクの条件にいろいろなことが書いてありますが、それはどうなるんだ、ほんとはどうなんだということを、国際社会と心を合わせて、力を合わせて、解決するのが大でありますから、汽車に乗って飛んで帰らせていただきます。

 皆さんの一層のご健康、わが党の大きな荷物を背負っての前進、心から期待とお願いをいたしまして挨拶といたします。