データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 第十六回共同通信加盟社編集局長会議における海部内閣総理大臣の特別講演

[場所] 共同通信本社
[年月日] 1991年7月26日
[出典] 海部演説集,653−670頁.
[備考] 
[全文]

 政治改革に理解と協力を

 毎年お呼びいただいて早いもので三回目です。昨年は七月二十七日であったと記憶しています。そのころはちょうど「初めてのお国入りをそろそろさせてやろう」という周辺の暖かい声もあって、七月二十九日に初めて選挙区へ帰していただきました。八月一日から初めての夏休みをもらって喜んで軽井沢へ行くと、着くや否や翌日、例のイラクのクウェート侵略の第一報が入り、夏休みもそこそこに切り上げて飛んで帰って、以来あっという間に今日になりました。いろんなことがありました。今日はサミットの報告から始めて、国内の問題にも触れ、最後に政治改革についてのご理解とご協力を訴えたいと思っております。

 大統領の別荘を訪問

 七月十一日にブッシュ大統領の別荘に家内と招かれました。きょうまで首脳会談もいろいろしましたが、別荘でゆっくりと一晩やろうというのは初めてでした。同行者も限られているから、それだけに思い切った話も出すことができ、サミット終了後、ゴルバチョフ大統領からわれわれにいろいろな報告事項がありました。それに対して西側としてどのような対応をするかという重要な会議もあるので、それに先立ち日米二国間で重要問題の話し合いもしておきたかったので、喜んで飛んでいきました。

 日米関係はこの数か月、懸案はことごとく双方の歩み寄りによって解決をしました。建設の問題も半導体の問題も海亀の問題も双方の歩み寄りによって解決してあるから、当面二国間で角突き合わせなければならない経済問題は日米関係にはなく、ただ一つ、自動車の部品が高いとか安いとか、調達の率が多いとか少ないとかいう問題が残っているが、これについて引き続き誠意をもって話し合っていくことで解決できる問題であります。またガット、ウルグァイ・ラウンドの問題については、十五の分野全体の進行状況は非常にいいわけです。日本では特に農業問題についていろいろな議論があります。日米関係で話を始めると、知的所有権の問題や市場アクセスの問題やサービスの問題、これらの分野が解決しなきゃならん問題ですから、今年中に解決するようにそれぞれの抱えている難しい問題を同時に解決しながら、ウルグァイ・ラウンドは成功させるために努力をしようということで話はついています。

 ソ連にどう対応するか

 問題はソ連に対してどう対応するかについて、日米間でどのような議論があるのか。一時期ソ連がサミットに参加をすることについて、日本だけが孤立しているとか反対しているとか、いろいろ心配されました。私が最初から申し上げていたことは、サミットはやはり自由と民主主義と市場経済の価値をきちんと共有するようになった国が入ってくるべき所であります。そういった過程にあって、そのような形でソ連を世界経済に組み込むことができるかについて前回のサミットから話が続いているさなかであります。去年のサミットでは、IMFと世銀を中心として国際機関にどのような処方箋で協力していくか、どのような技術協力をしたらいいのか、またソ連にどのような決意と展望があるかをしっかりと聞こうという結論であった。私は正式メンバーとして参加してもらうことには消極的であるけれども、終わってからみんなが共通の問題についてソ連の話を聞くことについては同意をしていました。アメリカとも、どのような支援の具体的対応があるか、ソ連の話を聞くことは、日本としてもアメリカとしても、ともに興味のある共通の話題であるということでした。

 事前に議長国になるメージャー首相にも日本の基本的な考え方を述べ、それでどうかという手紙を出しました。メージャー議長からもその基本線に沿った形で、全日程が終了した後でソ連に参加してもらうから、そこで話をしようということでした。

 アジアにも新思考外交を

 ただいろいろな情報が乱れ飛んでいて、プリマコフさんは二千五百億ドルくらい金融支援がいるとか、パブロフ案では西側の金融支援は具体的に要請しないけれども、ヤブリンスキー案では西側の金融支援の要請もあるとか、いろんな話が乱れ飛んでいたので、それについてもまとまった話が聞ければありがたい。日米の間ではとにかくペレストロイカを支持していこう。東西対立の発想を乗り越えて世界の緊張を緩和させて平和を持ってきたという功績は非常に大きいわけだから、ペレストロイカは成功させよう。しかし対外的な新思考外交がヨーロッパだけで花開いている状況はいかにも残念であるから、せっかく素晴らしいものがあるなれば、アジア太平洋地域にもそれは推し及ばせるべきだというのが私の考えですから、アメリカにもきちっと理解と納得を求めます。できれば、サミットの場でもすべての参加国の共通の認識を得たいと思っていたが、その問題について十分話し合いができたのは幸いだったと思っています。

 事前に基本的な考え伝える

 同時にまた、新しい機関を作ってソ連援助の仕組みにするという考えが、ヨーロッパの一部にあるという報道もありました。既にあるEBRD(欧州復興開発銀行)の上限を高めてソ連支援に利用するという考え方もありました。しかしEBRDは東欧支援を主たる目的として作った組織であり、日本としても東欧が民主的にも政治的にも自由と民主主義に変わりつつある。その努力を支援するならば積極的に対応すべきだというので、アメリカに次いで多くの参加をしています。それをソ連支援に差し向けてしまうのはいかにも当初の趣旨が変わるような気がするので、日本はソ連に対する支援の問題については技術協力にとどめるべきであるという基本的な考え方をアメリカとも話し、またイギリスにもその旨を伝えてサミットに臨んだわけであります。

 日ソ首脳会談のときは六回にわたって十三時間近くやり、ゴルバチョフさんが記者会見で「これはギネスブックに登録してもいい。休憩をいれたら八回になる」なんて冗談も言われたが、あそこであれだけ時間を掛けて基本論をやっても、突破口を作るところまで至っていなかった。新思考外交がスターリンの膨張主義の誤りを正すことであるならば、国内的なペレストロイカと同じように新思考外交もグローバルな適応でなければならない。日本にとってそれは北方領土を意味するわけです。しかし話をしてみるとそのほかにもいろいろ二国間関係を持っている国があります。アメリカはキューバとソ連との関係をもう少し明らかにしないと新思考外交が推し及んでいるとは言えないだろう。ベトナムやその他世界の紛争の起こっておる地域へのソ連の支援という状況、これは突き詰めて言えば、ソ連にある資源を軍需から民需へ移し変えていく軍事予算を民主予算に変えていくといったことと関連してきます。これはソ連の根本的な決意を聞かなきゃならん問題だから、日米で合意をすると同時に、サミット全体の合意もしておかなければならない。ソ連に対してはそういう対応で臨むこととしました。

 武器移転で提案

 実はサミットは、今回も「エコノミックサミット」という言葉がついているように、経済問題だけを話し合うものと今日までずっととられてきました。私が副長官として初めて参加したころは、まさに経済そのもので、インフレなき経済成長はいかにするか、あのときでも経済全体の成長率が比較的強かったのは日本で、何とかしてインフレなき経済成長をという、経済問題オンリーのサミットでした。このごろは政治問題も入ってきています。私どもはサミットで政治問題を議論することは非常に大切なことだと考えているので、いろいろな問題を発言すると、出席者のある国が「経済サミットで政治的な話をするのはいかがか」と言う。例えばポスト湾岸の世界の平和秩序を構築するために、日本は何をするかという議論のとき、私は「第二、第三のイラクを作らないように、その地域でずば抜けた力を持った国を作らないためには、武器移転に対して、おのずから節度と透明性と公開性が要るのではないか。このことを国連の組織を強化する中で、国連に報告し、国連が登録をするという制度によって世界に安心感を与える。そのために日本はひとつ役割を果たしたい。それはP5(国連安保理常任理事国)の国々が、幸か不幸かそれぞれイラクあるいは中東地区に対する武器移転の実績を持った国々である。日本はそういった実績がなかったということから言って、言わなきゃならん義務があります。これを率先してイニシアチブをとることが新しい世界の平和秩序を作るために、大切な責任であると考えていると京都での国連軍縮会議の基調報告で申し上げました。それと同じ内容のことをP5でも取り扱ってほしい。G7でも申し合わせとして宣言にも書いてほしい」という提言をしました。そういう問題をG7で話すことがいいのか悪いのかという根本議論も、初めのうちは一部の国から出ました。しかし出席しておったある国が「CSCE(全欧安保協力会議)やNATOには、日本は参加しておらないのだ。きょう初めてG7で日本が参加して、そういう話を提起しているときであるし、それは非常に大事なテーマであるから、ここで扱ったらどうか。自分は賛成だ」と言う参加国の首脳が現れてくれました。それで宣言の中にも書き込まれた。日本としては、それを今度の国連に賛成してくれた国と共同提案の形ででも提出したい。最終的にはG7全部賛成になったわけだから、G7の国々とも共通の問題として提出していきたいと考えています。

 ロシア語で「いいお天気ですね」

 G7のあとにゴルバチョフ大統領を入れての全体会議をやろうということだったが、その前にゴルバチョフさんのほうから二国間の話がしたいということだったので、時間を割いてゴルバチョフさんと二国間会談をしました。率直に申し上げて前回と比べると雰囲気が違っていました。私は定刻にきちっと行っておるのに、カメラマンが「総理、大分遅れてきましたね。もう大分長くあそこで待ってましたよ」と教えてくれました。私は「いや、定刻に来たんだから向こうが早すぎたんだよ」と言いながら「きょうはいいお天気ですね、お久しぶりですね」と、覚えていたロシア語で言ったら通じたので、ロシア語も上手になったという冗談を言いながら会談に入ったのだが、いきなり「氷は動き始めたと自分は思う。日本で約束したことを向こうへ帰っていろいろ努力をしておる。日本はどうだ」と言うので、「日本も協定に従って昨日、お国の軍需を民需に転換するための調査団を出発させました。アメリカと話したら、アメリカからも二人参加するというので、アメリカとの合同調査団が既に出発しております。それを初めいろいろな面で、できるだけ幅広く技術協力の約束は果たすし、人道的協力はやる。共同宣言で作った新しい枠組み、つまり領土問題を解決して、平和条約を締結するための作業を加速的に進めることが、第一義的に大切だという枠組みに従って出来る限りの技術支援をしていくから、あんたのほうもどんどん進めてもらいたい」。

 国民の皆さんによろしく

 そうするとゴルバチョフさんは「G7ではどんな雰囲気になっているか。勝手に改革するならば、勝手に改革しろということか。あるいは本気になって市場経済をやるというならば助けようという雰囲気か」と言うので、「その話は、これからまさに午後全体会議があるので、そこであなたから聞いて、また私からも聞きたいことがいろいろあります。ここでは二国間の話だけをまずやろう。ただ全体の雰囲気としては、本気で市場経済に改革していこうと言われるならば、IMFや世銀なんかの専門家に助けさせる。そのための特別関係も認めて、そしてシャドウプランを作るならば、それに対する指導や技術協力や知的協力も全部国際機関を通じてやろうというところまできておるので、そちらも思い切った改革案を述べられたらいいと思う。ただプリマコフさんが私に話してくださった内容は、どうもよく分からんところがあったから聞いてみた。パブロフ案が正しいのか、ヤブリンスキー案が正しいのか。ちょっと違いがあるようだが、プリマコフさんは個人としてはどっちに近いのかと聞いたら、プリマコフさんは、あの二つは違っておらん。九〇パーセント同じだ。ちょっと違うところがあるというなら、むしろ日本の専門家にどこがどう違うか、よく分析させたらどうか。出すのはあのどちらでもない。今ゴルバチョフさんが自分で鉛筆なめておるんだ。それは近くあなたにお届けすることができるだろうと言った。それをきょうの全体会議で話していただきたいと思っています。日本はできるだけ技術協力やその他の協力を今日までどうり協定案文に従ってやっていくから、どうか共同宣言の線に従って、一刻も早く平和条約が締結できるように。スターリン時代の間違いを、国内ではペレストロイカ、対外的には新思考外交、そしてユーラシア大陸の西の端では完全に解決されて、ノーベル平和賞も受賞されたゴルバチョフさんだから、私はアジア太平洋に必ず推し及んでくるものだということを強く希望します。そして日本もソ連に向かってできる限りの協力をしていきたい。日本へ帰ればすぐ国会がある。国会では日ソの首脳会談はどうであったかと聞かれるに違いない」と私が言ったら、国会議員の皆さんにも、国民の皆さんにもよろしく伝えてくれという返事だから、極めて抽象的でありました。

 さらなる前進へ一つの突破口

 そこで私も「日本が努力していると同じように共同宣言の精神を踏まえて、一生懸命に努力しているんだとゴルバチョフ大統領は答えられた」と伝えるから、その方向でどんどんやってくださいと言ったら、「お互いに努力することで、日本が期待するところに到達することができるだろうと思っている」というので、その言葉を大切にテークノートして、さらなる努力をしようということで別れました。まだまだこの問題については、日ソ間で事務レベル協議や、日ソ平和条約の作業グループなどを通じて努力はあろうと思います。当面は、北方四島に対する往来の問題で、当局者間に具体的な詰めをさせているから、これをきちんと進めていくことが、日ソ関係をさらに前進させる一つの突破口になると考えます。

 「もう後へは引かないんだ」

 なお全体会議でのゴルバチョフ大統領の説明は、ヤブリンスキー案でもパブロフ案でもなく、両方のそれぞれを取った話でした。一時間にわたって熱弁をぶたれたので、再現すると、一時間になるから簡単にしておくが「とにかくやるんだ。もう後へは引かないんだ。西側の報道を見ておると、また後へ引くんじゃないかとか、ゴルバチョフは保守派に引きずられたんじゃないかとか、また急進改革派のほうに寄ったんじゃないかとか、右に行くのか左に行くのかどうするのか、あるいは立場も悪くなってしまうのではないかとか、過激派が押えられないんじゃないかとか、いろいろな報道があるようだが、全部それは心配ない。全部それは解決していく。それから市場経済になるためにはもう自由にする」。自由にするといいながら「混合経済」、「社会主義的な面を残した経済組織」という言葉が、われわれのもらった報告書に出ていたので、私も「混合経済とか社会主義的な残滓の残っておる経済体質と報告書には書かれていますが、市場経済に入る前に、段階的に経過するつもりなのかどうなのか徴税権の問題について、連邦税と共和国の地方税との関係が明確になっていないところがあるように思うが、共和国との関係はどうなるのか。価格の統制を七〇パーセントは外すという話だが、あとの三〇パーセントはいつまでも外さないという意味なのか。あるいは産業の国有化について、国有制度もあれば、公有制度もあれば、私有制度もあるが、その制度の選択の自由は完全に任せてあるという表現がちょっと分かりにくいので、もう少し明らかにしてもらいたい」と言いました。

 軍事予算はどうなんだ

 ほかの国の首脳もいろいろ尋ねられました。経済問題については、連邦と共和国との関係、特に徴税権の関係、債務はだれがどうするかという関係、企業の私有化か、あるいは、企業を公有化するときには共和国はどのような形で加わるかという点とか、だいたい相交わる円のような質問がたくさん続きました。また厳しい言い方では、「ソ連はまだ軍事予算が二三パーセントとも二五パーセントとも言われています。あなた自身が軍事費の重みに耐え兼ねているという報道もあります。昨年のサミット以来言われているが、キューバに対する年々十億ドル超える支援とか、ベトナムその他の支援はどうなんだ。ミサイルはいったいどこを向いておるのか。そんな二三パーセントも軍事予算を使ったミサイルが依然としてこちらを向いているという状況下で、経済協力、経済支援、信頼関係の醸成ということが本当にできるのか。そこらについては明確な意思表示等、態度表明をしてほしい」という角度の議論も出ました。

 改革遂行を強く希望

 まとめて言うと、ゴルバチョフさんの返事は、不退転の決意でやっていくということの繰り返しでした。キューバに対する支援はもう半減したとか、ベトナムに対しては三分の一に減っている、むしろ支援よりも入ってくるもののほうが多いくらいだというやりとりもあったが、まだまだ海外支援が続いているという。昨年のサミット以来、多くの国が懸念した点をすっぱり断ち切って、民需に転換することのほうが大切ではないか。民需に転換をすれば、ソ連の改革は、技術支援をすればたちどころにできるではないか。しかもソ連にはたくさん金があるはずだというような話がありました。そういうときには、石油の資源はあるけれども、パイプが古くなってロスが出ているとか、精製能力が落ちておるとか、いろんなやりとりがあったが、とにかくそれらについては、技術支援を積極的にやっていこう、そしてIMFと世銀の特別関係をG7で認めたわけだから、今後はそれぞれの機関が引き続き、去年の報告書に従って作業を行い、新しい機関や仕組みは作らないけれども、G7としては議長国が代表をしてソ連と連絡を取るというところまで申し合わせを決めて、ソ連に対しては、一刻も早く世界秩序を協力しながら作っていく国として、そしてまた普遍的な価値になった自由と民主主義と市場経済を大切にする国として、改革を遂げていくことを強く皆で希望し、ゴルバチョフさんもその決意を述べてサミットの全体会議は終えたということであります。

 EC委員長と会談

 終わってから、第一回のEC・日本首脳会談のためオランダへ行きました。共同宣言が出るのか、出ないのか、ぎりぎりまでせめぎあいがあったが、その裏の本音を言うと、貿易全体の中で、確かに日本がこの五年間、内需中心、輸入促進、前川リポートの精神に従って本質改善をやり、日米の貿易のアンバランスは次第にいい方向に改善されてきております。にもかかわらず、EC側に言わせると、ECとの関係改善はよくない。私は三年間のトータルをとって、三年間トータルすれば十五億ドル改善されていると言いましたら、三年とればそうだが、この数か月だけをとると、これは大変な逆転状況ではないか。数か月で七十億ドル増えているわけであるから、その数字を言われることも仕方ないんだけれども、アメリカと改善する分ECを増やしているという、理屈も根拠も余りない問題での議論で、利益の均衡を顧みてきちっとトータルがバランスしなければ共同宣言は出せっこないというような発言があったが、それはECの委員長と個別会談で解消しました。

 ドイツが異常に最近輸入を増やしているのは、東ドイツを抱えて急に需要が増えたからだということは分かっているはずだが、コール首相自身が東独との統一問題のその後を率直に振り返って、これは飲みながらの会のときだったけれども、あんなにお金の要る女性だと知らずに、好きになって結婚して気がついたら貯金がなくなっておったんだ、正直言ってしまえばそういうことだ。今後は夫婦が力を合わせて、いかにいい家庭を作るかをやるんだ。日本は有力な皆さん多いから、どうぞ女房の在所のほうへ、東独のほうへどんどん進出してきて、経済が立ち直っていくように協力しろというようなことを言うわけであります。私も「今はゼロになったかもしれんが、来年はまたプラス百億ドルになるという予測はOECDでも出ているし、ドイツの底力というものはたいしたものだから、日本の業界の皆さんにもそのように伝えるし努力もする。まあお互いに頑張りましょう。しかしそうやって日本や欧州からいろいろ輸入をされたために、日本とECとの輸出入のバランスがこの数か月崩れて、共同宣言すらうまくいかないような状況になっては困るので、ECの委員長に、最近の数字のアンバランスだけではだめだと言われないように協力してくださらんか」と率直に話もしました。

 本当に怒っているのは違う国

 けれども影の声は、いやEC全体はそんない怒っておらない。本当に怒っている人は違う国ではないか。フランスが利益の均衡を求めると同時に「日本の自動車の問題をもっと厳しくしろ。現地生産車の台数まで中に入れて規制をきちっとやれ。それをしなければ共同宣言はだめだ」と言って、最後はそれで行き詰まっておったわけです。これについては、ドロール委員長もオランダ首相も「自動車問題はリンクさせずに切り離して、そして現地生産車は直接輸入してくる車と違った角度で見てほしいという日本の主張も一理ある。欧州としても、今ただちにイエスと言えないけれども、引き続いて協議をしていくことにしたらどうか」。現地の記者会見のときには、欧州側の記者の方がいろんな質問をしました。日本は自動車問題でクレッソン首相の言うように、ハンターになって全滅させてしまうつもりか、という質問もあったから「そんな気持ちは毛頭ない。一九九二年のEC統合のときに、EC側がもし国別の規制を全部撤廃するという措置を取るならば、日本から出している自動車に対する日本側の対応も、それも柔軟に考えなきゃならんと思う。ただ現地生産車とは、これはおのずから次元の違う話だと思う」。

 ECと共同宣言もできた

 そんなようなやりとりの後で、ECとの共同宣言もできました。これまでややもすると、貿易面にだけ焦点が当たって、経済的に日本は働き蜂だとか、働き中毒だとか言われました。そんなところだけに焦点を当てられないで、もっと政治面でも、文化面でも幅広い関係をECと日本の間に作っていきたい。そのために首脳会議も第一回を持ちました。今後サミットのあるごとに欧州でサミットがあったときは、欧州、それ以外のときは日本で、ずっと日本とECは協調、政策協議なんかも続けて、少なくとも誤解を解きながら進んでいくようにということで、共同宣言が出るところまできました。皆さんの支援と理解のお蔭で、また日本の経済力が大きくなってきたという背景もあって、アジアの問題もいろいろ主張しましたが、共同宣言の中に取り入れてもらうことができるようになりました。しかしそれだけ日本の責任も、重く大きくなってきつつあるんだということをひしひしと感じながら帰ってきました。

 アジアの問題については、時間の関係で省略させていただくが、いろいろ報道いただいた通りのことを言ってきました。

 雲仙では特別立法も

 帰ってきてからのことも、率直に申し上げなければならないと思いました。

 最初に、昨日も長崎県知事以下県議会の皆さん、雲仙の問題について陳情に来られました。実情を聞くと、まことに心痛むものがあります。私の選出母体である愛知県が、私が初めて志して立候補した年に、伊勢湾台風に遭って、四十数日間水没しました。疎開をしている人々のところへお見舞いに歩いて回ったことを思い起こしながら、この間、雲仙の公民館をお見舞いしてきました。「頑張ってください」と頭を下げた私に、逆に、被災者の皆さんから「政府も頑張ってくれ。われわれが希望をもてるようにどうか海部さん頑張ってくれ」と言われたときには、本当に涙の出るような気持ちと、大きな責任を感じました。九日の閣議でできるだけのことはしました。特例の措置とか、家賃取らないで仮設住宅に入ってもらうとか、営農資金その他の返済の延長とか、地方交付税の前倒し渡しとか、やれることは全部やっているし、災害に対して特別交付税は特に手厚くみるという方途もあるが、それでもできない問題については、特別立法についても、党と鋭意詰めながら解決をして対処したいと考えています。

 法の規制で再発防止

 また、今社会をお騒がせしている証券損失補てんをめぐる一連の問題について、これは厳正に対処をして、国民や内外の投資家の皆さんの疑惑を一掃しなきゃいけないということで、大蔵大臣には直ちに厳しく対処するように指示しました。昨日の国会のやり取りを通じて、あるいは今日も閣議後に大蔵大臣と会ってその検討もしました。これまでも内部取引規制の整備、いわゆるインサイダー取引の問題とか、株式の五パーセントルールということを法律改正をして行いました。仮名取引をやめろという通達とか、損失補てんの禁止とか、大蔵省は通達は出しておるんだけれども、しかしそれがきちっとした結果を表わしていないのでは、じゃあまた通達を出すで済むことではない。大蔵大臣としては証券取引法改正の問題、どこをどう変えたらこのようなことが二度と起こらないのか。通達を出しながら破られて、これだけ大きな疑惑と批判を受けた問題が再び起こらないようにするためには、十八世紀的な発想だと言われるかもしれないけれど、法の規制をきちんとして、再発しないように世に問うことが大切である。この基本について今日改めて大蔵大臣とも合意をしています。

 行革審に検討要請

 また当面のこと、例えば国会の審議を通じて、国民の皆さんからもあれだけ公表しろという声が強く出ているときには、素直に答えてもらわなきゃならない。どうしてもそれができないときには、国会が処置をしなければならない。日本の証券業界はアメリカとはスタートの時点は違うし、登録制か免許制かの違いがあるし、数もうんと違うけれども、アメリカの制度仕組みが直ちに日本に妥当すると思わないという考え方ではなくて、どのようにしたら第三者の目で公正な状況の確保ができるか。これは国会や大蔵省で議論するよりも、むしろ一般の国民の皆さんの良識をそこにはね返しながら議論すべきだというので、行革審会長に私から「今回のこの問題にどのような対応をすべきか。当面は大蔵省の検査官を増やしたり、検査部門の統合を考えたりするが、中長期的にどのような仕組みが必要であるかをご検討願いたい」とお願い申し上げました。行革審でもこの問題は重大だということを理解していただき、これに取り組んでいただくことになっています。

 時代が求めたのが政治改革

 最後に政治改革の問題であります。八月五日から国会が開かれることになりました。期間については政府から申し上げるわけにはいかないので、国対委員長や議運委員長にお願いして国会で決めてもらいますが、私には与えられた任期もあります。その中でできるだけ幅を取って実質的な審議が行われるようにぜひ議会としても協力願いたいということを申し上げてあります。

 最初にここへ呼ばれたとき、すなわち私が総裁に選任されたときには、既に自由民主党には政治改革の大綱ができていました。一連の不祥事に対する、国民の厳しい批判とお叱りを受けて、自由民主党が改革しなければならんというので政治改革大綱を作り、そして参議院選挙を戦いました。あのとき、私は政治改革本部の行動隊長という肩書で全国を政治改革を掲げて回りましたが、惨憺たる敗北をみたわけであります。そして私が選ばれたときには、自由民主党が次の選挙のときまでに、必ず体質改善をして生まれ変わって、国民の審判を受けることができるように頑張れ、というのが党が私に与えた宿題であり、時代が自由民主党に求めたのが、政治改革であったと私は受け止めてきました。ややもすると二年間、議論がまだ足りないんじゃないかとか、もう少し議論を尽くせという声が出たようですが、この二年間に三百三十八回以上の会合を開いています。昨年、中東危機が起こり、世界の目が平和回復、武力行使に向いているさなかも、党の政治改革推進本部は夏休みを返上して、県連との会合や地方との有権者の声を聞く会合を重ねました。当選してきた若手議員には、諸外国の選挙制度の実状調査にも行ってもらいました。見て帰ってきた議員みんなが考えたことは、お金と政治の関係をきちんとしたいということでした。私個人も衆参の合同会議や政治改革本部の合同本部に出ていってお願いをしたりしました。各社の幹部の皆さんにも、選挙制度審議会の委員に参加をしていただいて協力をお願いしました。また、マスコミ代表としてのご意見も賜りました。本当にありがたかったと思います。出して結論が今度の結論であります。

 政策、政党本位の選挙戦を

 一番言いたいことは、議会制民主主義というのは政党政治だとどなたも言います。けれども今行われているのが本当の政党政治かというと、選挙のときには個人政治になってしまう。複数の人間が同じ公約で選挙をやっていれば売り物は同じですから、選択する人のほうから見ればどこが違うのだということになります。まさか身長、体重、胸囲、そんなもので争うわけにはいかないから、言いにくい話だが、サービス合戦に入っていったり、そのほかの助力を求めることになってしまいます。だから一年生の皆さんが、日ごろ使っているお金はこれだけだと言ってさらけ出しただけで平均一億二千万円であったことはご承知のとおりです。国から出るお金が二千数百万円だから、一億近いお金はどうするのか、派閥の親分からもらう。足りないところは励ます会をやっていただく。なお足りないところは、申し上げないけれどもいろいろあるのではないだろうか。そういったことを全部ぶった切っていく。制度仕組みを変えていくことが政治とお金の関係を断ち切り、同時に政策本位、政党本位の選挙戦ができるようにしていくというのが、私はこの政治改革の大きなバックグラウンドであると思っています。

 痛みこらえて乗り越える

 そして第一の政治倫理に関しては、既に自民党の案として政治倫理確立のための資産公開法が国会にも出してあります。必要ならば家族とか、その周辺にも推し及んでもいい。それはこれから今後与野党で議論すればいい。政治資金の問題についても自民党の案が出してありますが、それよりもさらに厳しい案を選挙制度審議会から答申をいただき、自民党の了承を経て、討議決定の手続きを終えてきた法案の中に組み込んであるからこれも国会に出します。

 一票の格差の問題も国会の決議があります。一対三は駄目だという批判がありました。各党の批判を取ると、大体一対二以内にまとめろということです。基本原則は一対二以内にしました。小選挙区制にすれば、完全な政党選挙になるが、小選挙区制だけでは大きい党が必要以上に得をするというので、比例代表制も加味をしました。そのために区割りも内閣が作るといけませんから、選挙制度審議会にお願いして作っていただきました。いろいろ厳しいことも辛いこともありますが、世の中の制度仕組みが変わるというときには、ある程度痛みをこらえて乗り越えて進まなければなりません。

 金との忌まわしい関係断つ

 願うところは、今後十年、二十年経ったときに、政治とお金にまつわる忌まわしい関係だけは後を断ってきました。お金は要るから、要るお金はほどほどの限度までは自分で集めるが、それ以上は党が中心になって集めて党が個人に配布します。同時に国からもある程度出してもらいます。ドイツが一票五マルクという額で、集票に従い、各党に分けて政治活動を助けているように、日本は大体一人当たり二百五十円見当のところのお願いをすると、今行われておる政治活動の中で三分の一ぐらいは公費で負担がしていただけます。あと足りないところを集めるのは、個人や派閥が集めるというのではなくて、党が機関として集めて、公開して、それが日常活動や選挙活動に必要以上にお金がかからないように、かかるお金に透明性、公開性が与えられるようにしたらどうか。こんなことを目指してやっているわけであります。八月五日から国会が始まったら、どうぞそれらの議論にも耳を心も貸していただいて理解と協力を賜りますよう重ねてお願い申し上げます。

 雲仙救済で決意表明を

<問> 長崎県では雲仙・普賢岳の噴火被害がかなり深刻な状態になっています。およそ二か月間にわたって避難住民は体育館等での生活を余儀なくされています。こういう状況の中で、長崎県および島原市、お隣の南高来郡深江町の町長方は、特別立法による根本的な救済対策を国で行ってもらわないと、現在の地方自治段階では救済の手が完全ではないという状態で、きのうも総理のところに見えたと思います。地元民としては、国の思い切った救済策を期待しています。先ほど総理が特別立法を含む形で対応したいと言われたことに対してありがたく思っていますが、今後積極的にその努力をしていただく決意について、総理から再度お答え願いたいと思います。

−◇−

 そのことについては私も犠牲者には心からご冥福も祈っているし、お見舞いに行って実感として心を痛めて帰ってきました。現地で私が要請を受けたことで、できることは皆やっています。交付税の先渡しも島原市に十億円、深江町のほうに四億円近く渡したが、それで終わりではなく、災害に対する問題は特別交付税のほうで重点的に配慮しているからどうぞやってください。仮設住宅も一定の制限があったのだが、拡大解釈で全部とっぱらって無料で入っていただくようにしました。それから一番困ったことは、まだ終わっていないということである。あの周辺地域にマグマがどのように今後出てくるのか、あれで噴火が終わるのか分からないので、最大限できるだけのことをやってください。特別交付税でみられるものは全部みます。それから集団的に移転するとか、今後商売を全部やめてよそに行くときの営農資金とか、それに対する救済資金はどのような規模でどうなるか、具体的な数等が分かっていないので、国土庁長官にもその点の集計と、各官庁にもそういったことに対する対応、共済金の支払いとか、できる限りのことはしていますが、いけないときには特別立法も検討をして、できるだけのことはします。地元の声等で現にやっていることについては、遊覧船借りてきて沖へとめていることもご理解願っていると思うし、旅館やホテルもお客さんのいないところを開放してもらってそこで入浴するとか、思い付く限りのメニューは今の拡大解釈でやっています。どうぞ現地からの協力も願いたいと思います。地元選出の国会議員の皆さんや町長さんや市長さんには昨日私も長時間実状を聞いたところであります。

 続投の声をどう受け止めるか

<問> 二つほどお伺いしたいと思います。一つは十月の自民党の総裁選で、総理続投の声がいろいろと出ていますが、こういった声に総理ご自身、どういうふうに受け止めているかという問題が一つ。

 それから先ほども国会に臨む決意を述べられたけれども、この国会は総理続投ということの視点からみると非常に重大な国会であろう。つまり政治改革の問題に加えて四大証券の金融スキャンダル。むしろスキャンダル追及の国会になる様相も見えています。そういう国会に臨む総理の腹構えをお聞かせいただけると幸いであります。

−◇−

 私は党則で与えられた任期があるので、その先のことについては全く私は考えていません。

 国会のことについては、これは二年間、先輩方が作って私が党から宿題として与えられて、ようやく去年の五月と十二月に党の承認も通り、六月までに内閣で法案作業を終わらせ、そしてそれを党で了承も取りつけて、国会に提出できるところまできました。証券問題も大事だからこれをうやむやにしようとは決して言わないが、それはそれ、これはこれ。私は別の土俵でも作って、同時に八月五日に国会が始まったら審議を進めていただきたい。証券問題はきのうも衆院でやってもらって、八月早々には国会の召集前に参議院でもまたやってもらう。召集されたら政治改革のほうは、政治改革で出す三法案をきちんと審議を始め、野党からも代案を出していただきたい。これが証券の問題のために遅れたり、うやむやになったりすることは本末転倒になるから、両方同時並行でできるだけたくさんの時間をもらって審議を続け、できるものは解明する、進むものは進ませる。そこまでどんなことをしても私はやり遂げたいと思っています。先のことはなんとも考えていません。