[文書名] 全国婦人議員政策研究会における海部内閣総理大臣の講演
今日はこうして大勢お集まりをいただいておりますが、このあいだの地方選挙のときに全国で私は、婦人議員の皆さんもっと立候補するべきだ、党大会でお願いをしたはずです。その私のお願いを聞いてみんな出てきてもらった方々、心からおめでとうございました、ありがとうございましたと、最初にお礼を申し上げておきます。それがわが党の活力になると思います。
また、ご挨拶を始める前に、今日はきっと長崎の皆さんも、あの周辺の皆さんもおいでになっていると思います。雲仙岳の犠牲者の皆さん、そして被災者の皆さんに心からお見舞いを申し上げますと同時に、その上引き続いて台風十八号、そして十九号、全国的に犠牲になられた方も、あるいは出水の被害等も多々あったようでございます。心からお見舞い申し上げるとともに、そういった試練を乗り越えてこそ強くなっていくんだということで、一層皆さん方のご理解と、復興に対する全国の皆さん方の力強い立ち上がりに対して、もしご近所に、周辺にそういう方があったらそう言ってあげてください。そのことを最初に心からお願いを申し上げておきます。ありがとうございます。
小渕さんは、幹事長としていろいろと行動を共にしながら、やっぱり海部内閣がどん底からスタートしたときにこれだけはやろうと決めたのが、政治改革だったのではないかということをいつもいつも言い続けてまいりました。そうした中、私が最初に総裁に指名されましたときもやはりそのことが出ることも党員の皆さま、特に婦人部の皆さま方、強く厳しくご指導を聞いてまいったことを忘れません。やっぱり非常に大切な問題であり、このことは今も幹事長が正確に言ってくれましたが、火を消してはいけないということではなくて、この炎は燃やし続けながら、必ず実現させていかなきゃならない。形づくっていただかなきゃならんわけです。党内にいろんな意見があることは百も承知しております。政治改革と言ってもその第一は政治倫理の確立であります。そして政治倫理の確立をするとともに今度は政治の日常生活を、あるいは選挙活動を問わず、政治と政治資金の関係が必要以上に多くなりすぎたことと、これをもっと透明性を持たせなければならないということは、全国の皆さんがおっしゃり続けたことであり、不祥事件を通じて厳しい批判を受けて、政治改革をやらなければならないと平成元年五月、自由民主党の当時の先輩たちが、政治改革大綱をつくって、これをやりますと国民の皆さんにお約束をされた。これは公党としてやり遂げなければならないことでございます。
同時にそのためには私は皆さんにも日頃の日常生活や選挙活動を思い出していただきたいんですけれど、本当は議会制民主主義というのは政党政治だと思いますが、政党がやらなければならないことを一人ひとりの個人に責任を持たせてしまっている分がいま余りにも多いのではないでしょうか。だから必要以上におカネも使わなければならないようになってくるだろうし、同時に選挙という最も大切な場面で、ややもすると政策論争というものが影をひそめて、日頃の人間関係、政党の支部でなくて個人の後援会との関係、地域の利益との関係というものに対して、どうしても政策論争以外のところに労力や時間が使われすぎるのはよくないことだ。これは歴代自由民主党の先輩方が言い続けてこられたことだと私は受け止めております。
第百十六国会というのが、私が総裁になって最初に迎えた国会議事だった。そのとき自由民主党を代表して、自由民主党の代表質問者はときの政調会長、演壇から私のほうに総理ご苦労さま、けれども政党政治の本義に立ち返って、二十一世紀に向かってがぁーっと目を見開いて、本来の政党政治に戻すために小選挙区制をきちっと断行して、努力をして、国民は結果を示してもらいたい、政治倫理の確立も、政治資金の確立も、選挙制度の改革によってきちっと信頼を取り戻して、自由民主党の責任を果たしていこうではないかということを厳しく注文されたことを私は鮮やかに覚えております。初心忘るべからずであります。党の政治改革大綱をきちっと実現するために、幹事長以下に精一杯の努力をしてもらいました。
思い出してください、二年間にわたって三百回以上の議論の中には婦人部の皆さんにもいろいろな形でご参加いただいた。私自身も地方に対話集会で出ていきました。議員の皆さんには外国の選挙制度の視察をしてきてもらった。政府の選挙制度審議会で二年間を超える議論をして答申をいただいた。ようやく法案にして国会に出したときに、党からは執行部に闊達な議論をやれという注文をいただきました。議論は闊達にいたします。それが議会ですから。本会議で一つの法案に三日間も質問を受けたというのはこれは異例なことではないでしょうか。私は誠心誠意、三日間本会議でお答えをしました。委員会になってからはこれまた三日間、二十五人の議員の質問を受けましたが、そのうち十七人がたしか自由民主党の議員でありました。意見はいろいろありました。幅広い議論がありましたが私が誠心誠意討議をし、議論をし、理解を求めて努力をいたしました。文字通り闊達な議論をしたと私は考えております。
火は燃やし続けなければなりません。幹事長の努力で枠組みもきちっとつくってもらいました。私はその枠組みの中でその火を燃やし続けるだけじゃなくて、必ずなし遂げていくんだと。政治倫理も、政治資金も、選挙制度も、皆きちっと枠組みをつくっていくのだ。この二年間を省みて、衆議院の総選挙も、地方選挙も国民の皆さんがこの前の参議院議員のあの選挙の結果を忘れることができるぐらい勝たせてもらったということは、それをしっかりやれという激励半分、おしかり半分だったと思っております。このことはぜひやってもらいたいということを強く申し上げるとともに、全力をあげてこれからも党はこれに取り組んでいかなければなりません。
ほかにもいろんなことがこの二年間ございます。世界の対立が終わってよくベルリンの壁が崩壊してとかいろいろ言いますが、もう冷戦時代の流れは変わってしまった。今まさに最近では核兵器に対する一方的なブッシュ大統領の政策発表があり、数日前にゴルバチョフ大統領がそれに応えるとこう言うわけです。私はこれは大きな大きな世界の流れだと思います。ただ一つ、ユーラシア大陸の西の端のヨーロッパでああいったことができるならば、ユーラシア大陸の東の端のアジア・太平洋でもそれはしなければならないということなんです。ゴルバチョフ大統領に反対するクーデターがソ連で起こったときに、私はG7の首脳と電話しながら、一つエリツィンさんとも話してみようと。これからは共和国が強くなるかもしれない。モスクワの大使館にエリツィン大統領に電話をつないでくれ、話したいと言ったら、日本の大使館は努力をして、苦労をしてつないでくれたと。私は話しました。そしていろいろ激励もしましたが、アジア・太平洋にソ連の新思考外交が及んでくることを自分は強く期待しているということも言いました。
その翌日、ゴルバチョフ大統領がモスクワへ帰ってきたという情報が入りましたから、ここへもすぐ電話をつないでくれと言ったら電話がかかった。お話もしました。そしてさらにあなたとは四月に東京で日ソ首脳会談をやったじゃないか。予定を倍にして六回、十四時間議論をして、一時期は皆さん何回戦まで持つかな、相手はなにしろゴルバだぞ、俊樹は何回戦まで持つかななんて心配してくれた人がなかにはいたけれども、私は精魂込めて議論をして、ゴルバチョフ大統領が終わったあとの記者会見で冗談まじりに、今度の首脳会談はギネス・ブックに載るものだということを言うくらい、本当に誠心誠意の長時間の議論をしました。歯舞・色丹・国後・択捉という四つの島の名前が公式文書にきちっと載ったということは、長年の婦人部の皆さん方の行動の目標でもあったわけです。そして、それがただ単に四つの名前が載ったというだけではなくて、現実のことにしていかなければなりませんから、このあいだエリツィン大統領からも親書がまいりました。平和条約交渉を獲得しよう。ゴルバチョフ大統領ともそういう約束になっておりますから、私は今度、このあいだの記者会見でも申し上げたように、中山外務大臣に親書を托して、モスクワに行ってもらいます。両大統領に私の親書を渡し、真意を伝え、同時に待っていらっしゃるならば事情もよく分かっているから緊急ないろいろなことは考えよう、協力もしよう、約束した技術支援もやろう。
またロンドン・サミットのときにはゴルバチョフさんも入れて、サミット七か国で合意した問題もあります。しかしそれはそれ、極東のソ連に対しては日本は隣国ですから、緊急援助も、食糧も、医療も、技術もいろんな援助はできるだけしたいと思う。技術協力もします、けれど肝心なことを一つだけどうか忘れないように。拡大均衡の形で領土問題を解決し、平和条約を締結するということが、アジア・太平洋地域の平和と安定のためにどれだけ大切かということも、併せて私は強く日本の気持ちももう一回伝えて、お互いに歩み寄りながら、お互いに相互理解、信頼の関係を高めながら、この問題は固めていきたいと思う。
なんか演説会みたいになってしまいました。今日は研修会とおっしゃるから全国の応援に行ったときに、それぞれご活躍願った方ばっかり。ですから甘えた気持ちでもう一点だけお許しいただきたいと思う。
僕は日本の国はやはり国際社会の中で好むと好まざるとに関わらず、大きな国になってきました。幼稚園に行っていたかわいいお子さんが、大学を卒業していまや一人前の社会人になったのを親の目で見ていらっしゃるのと同じように、国際社会、特に自由と民主主義の国々は日本に対していま大きな期待と、そして日本の行動に対してもう一歩こっちへ入ってくれないかなという気持ちを持っておられる。同時に昨年のイラクのクウェート侵攻、侵略以来、国連が大きな役割を果たすようになりました。国連に対して協力をしていくということも、日本にとっては大事な使命になってまいります。国連平和理事会で停戦の合意が成立して、当事国が皆約束をして国連と相談をして平和を守るための役割を果たすPKFと新聞には出ておりますが、あれ戦争をやりに行くんじゃありません。平和維持軍。だからこういったものに対しては日本も積極的にできる限りの協力をすべきだ。一歩中へ入って世界と共に生きる日本ならば一緒になってやれることはやろうじゃないかというのが、このあいだ国会に法案を提出して頑張ってもらったんですが、継続審議となりました。これは自由民主党の責任で必ずなし遂げて行かなければならないのです。世界国家に対する役割で。
あとは今日まで五十七か月間、日本の経済は景気は維持されてまいりました。いざなぎ景気と同じぐらいだと言われたものです。私は至るところで人間にとっていちばん幸せなことは、国が平和で国民生活が安定向上していることだと選挙のたびに言い続けてきました。お父様にとっていちばん可哀相な、気の毒なことは何かと言うと失業者になることです。お母様にとってと言うか、ご家庭の大蔵大臣にとっていちばん辛いことは物価が上がるということなんです。物価を上げないように、失業問題を起こさないようにやっていくのが政治の最後の責任である。ここへ焦点を置いてやってまいりました。金融が出動をして、物価も、そして失業率も優等生だと言われるように低いところで収まっている。
ごく最近の発表では両方併せて五パーセント台。あの優等生だとかつて言われたドイツでさえ、今は二ケタになっていると言います。ミゼラブル指数と私がいくら言ってもあまりはやらないので、お父さんとお母さんなんかがいちばん気になる失業率と物価の上昇率をうんと優等生に押さえてきた。これが今日までの光の面でした。
けれど光には影もできます。影の面が土地や株のバブル現象であり、証券の一連の不祥事件というのはそのバブルによって咲いた徒花であり、公正な心豊かな社会、公正な社会の理念から言ったらこれは反省しなければならない、行政府として最も責任を感じなければならない大きな問題です。二度とこのようなことを起こさないために、証券取引法を成立をさせることができました。これからも皆さん方とともに、自由と民主主義と市場経済の政策というものは、世界的に見て間違いなかったんだ、あの(社会主義の)本家本元のソ連も、仲間に入れてくれ、教えてくれ、やり方をちょっとお知恵拝借、人も助けてくれ、困ったときには緊急に食糧も医療も出してほしい。そこまでなってまいりました。これは世界的規模の平和と繁栄のために大事な大事なことでございます。
これを目指して今日までの自由民主党の政策は全体として間違いなかったという、大きな強い誇りをもう一回お互いに持とうじゃありませんか。そしてこれから先もわが党の政策を実行していくことによって、皆さんとともにまた喜びあえるような日本がこんなに素晴らしい、こんなに安定した、こんなにいい状態を続けていることができるんだということを、またの日によかったねと言うことができるように、今日の研修会を有意義なものにしてください。
今日の研修会で耳に入れたことはどうぞそれぞれ地方へ帰っていって、皆に広めてください。私は基調講演をやれというご要求を前から聞いておりましたので、だいたい今ぐらいのことを考えていました。パーティーのご挨拶にしてはいささか固かったと思いますけれども、そういう気持ちを込めてのご挨拶ですからお許しをいただいて、どうぞ皆さん頑張ってください。