[文書名] 第十六回自民党全国研修会における宮澤内閣総理大臣の挨拶
皆さん、よくおいでくださいました。心から歓迎を申し上げます。この研修会も既に十六回を重ねることになりまして、毎回、質、量ともに充実をしてまいりました。今年もこうやって各地城・職域において指導的な立場にあり、影響力を持っておられるたくさんの皆様が、お忙しいところを三日間よく都合をつけていただきました。こうやってこの場で研修を受けられた皆様がこれからも各地城・職域において自由・民主という我々の政治信条のためにご活躍願えることは私どもとしても誠に心強いことでございます。心からご参加を歓迎を申し上げます。
私どもの党も今や党員三百八十万余、党友二十八万余でございます。皆様方の不断のご努力によって我々の政治の理想、政治の信条を国民とともに分かち合っていくことができるわけでありまして、心からお礼を申し上げますとともに、どうぞ今後ともよろしくお願いを申し上げます。
去る八月の下旬に金丸(信)副総裁がいわゆる東京佐川問題で副総裁を辞任せられました。金丸副総裁には私ども党内のとりまとめや、国際平和協力法の成立等々国会の運営について特にご尽力をいただいてまいりました。この問題で金丸副総裁は政治資金規正法違反で略式命令を受けられましたが、このことは誠に残念なことであります。金丸副総裁は「人生に二度とこういうことのないように誓う」と言って深く反省の言葉を述べておられます。
党の総裁として私自身、この問題を厳粛に受け止めております。今度の問題は私どもに政治と金の問題、政治倫理の問題など政治改革の必要性を再び強く迫っていると申すことができると思います。このようなことが今後起こりませんように政治に対する国民の信頼を回復しなければならないと、決意を新たにしているところでございます。この件につきましては既に何人かの講師からお話があったことと思います。また、この本日のお話の中で私もさらに敷衍をさせていただきたいと思っております。
本日は当面する、我が国内外のいくつかの問題について申し上げようと思っております。まず経済の問題があります。今回の不況、かなり難しい不況でありますけれども、それでもしかし、あの昭和六十一年からの円高不況に比べますと、いろいろな意味で今度の不況のほうが対応がしやすいと考えています。
例えば、六十一年のときには雇用の不安が直ちに起こってまいりまして、いわゆる企業城下町といわれるような状態になる地域は非常に心配をいたしたわけです。今度の場合もだんだんに残業手当、時間外労働がなくなるとか、パートの募集をやめるとか、雇用への影響が出はじめており、有効求人倍率も徐々に下がっていますけれども、しかし、なんといっても基本的に人手不足がありますから、そういう点では今回の問題の処理は前回のあのときほど難しくはない。
ただ、今回はあのときとは別に、いわゆる総需要の落ち込みということのほかに金融・証券という、いわゆる金融面での資金の円滑な調達が阻害されているという、かつて我々の経験のしたことのない新しい不況の要素が加わっておりますので、対応としてはそういう問題についても考えていかなければならないという前回とは違った面を持っております。
既にご存知の通りですが、八月二十八日に政府、党一体になりまして総合経済対策を決定し、発表をいたしたところであります。それは十兆七千億円というかつてない大きな規模のものでありました。
国際的にも、これはすぐ八百六十億ドルの施策として各国に報道されました。確かに八百六十億ドルというのは国際的なスケールで非常に大きなものでございますから、各国が非常に驚いた。よく日本がそれだけのことをやったなという反響がありましたけれども、考えてみますと、やはりそれだけ日本の経済の規模が大きくなっていた。
確かに私自身も八百六十億ドルと言われたときに“大きいな”という感じがいたしましたが、それだけ日本の経済が国際的に大きくなってきたということにほかならないと思います。この十兆七千億円、国、地方を通じまして公共事業を拡大する、あるいはそのための用地の先行取得をする、住宅投資を促進する、民間設備投資をさらに促進してもらうための措置、中小企業対策でありますとか、あるいは雇用対策等々考えられるほとんどあらゆる施策を総合経済対策として決定をして、即日施行をいたしまして、今日に及んでいます。
先ほど申しましたように今度の不況には金融・証券という面があるものですから、実はこの八月二十八日に先んじまして、経済状況が多少心配だと思われる点がありましたので、八月十八日にその部分だけ切り離しまして大蔵大臣、日銀総裁にもよく検討していただいて、“当面の金融行政の運営について”という政策発表をいたしました。その中で金融機関の問題、あるいは証券市場の活性化等の問題に触れました。その結果、株式市況等々は落ちつきを取り戻しましたが、二十八日の総合的な施策の中で内需拡大策に加え、この金融、証券対策をさらに展開をしたわけです。
この十兆七千億円という規模はGNPの比率で申しますと二・三パーセントになるわけですが、いわゆる乗数効果がどのぐらいあるかということですが、年度ベースで年の中途から始まりますからすぐ足し算をするわけにはいかないわけですが、一年間の乗数効果で大体GNPの二・四パーセントぐらいあるだろう、というのが専門家の計算です。
現にそれは施行されつつあり、そうしてやがて国会が開かれますと必要な部分は補正予算として国会のご決定を得るわけであります。しかし、大部分のところは既に成立しております予算の前倒しをすることによって、あるいは財政投融資は弾力条項を活用することによって、実際上は実施できるし、既に実施しています。
そういう意味で補正予算がなければ動かないということではありませんので、施策そのものは現実にフルに動いております。しかし、何分にも不況の底はかなり深うございますから、決めただけで、やっただけでいいというわけではありませんで、政府と党は一体になってこのフォローアップをそのつど、そのつどしていきたいと思っております。十月の九日には経済対策閣僚会議を開いて、さしずめどのような施行状況になっているかをチェックをしていきたいと思っております。
皆様方におかれても、いろいろな意味でお気づきの点がありましたら、直接にでも党を通じてでも、私どもに「こういうことがあるぞ」と言ってご注意をしていただきましたなら、一連の施策が間違いなく行われるだろうと思いますので、その点もひとつよろしくお願いを申し上げたいと思います。
先ほどちょっと申し上げましたようにこの施策のうちで一部とり急ぎましたのは、七月の終わり頃から八月にかけまして証券市場がかなり動揺をしたわけでございます。その底は八月十八日になった。図らずも大蔵大臣の施策発表されましたその翌日から市況は回復いたしましたが、一時かなり動揺をいたしましたので、その部分だけを取り出して先に対策を講じました。実は本来であれば市場経済というのは金融市場にしましても、証券市場にしましても、為替市場にしましても、物の市場にしましても、いわゆる市場原則で動くのが当然のことであって、我が国のように優れた市場原則の国が政府なり、中央銀行なりが市場のあり方になにかの干渉をする、なにかの調整をするということは普段あってはならないことであります。めったにあってはならないことでございますけれども、今度の場合、内外のそういう状況がありましたので証券市場、あるいは銀行の不良資産の問題等を頭に置きまして、この総合経済対策の中でそれについての対策を発表し、講じているわけでございます。
こういうことは我が国でそうめったにあることではございませんけれども、例えばイギリスなどで一九七三年、七四年頃に不動産の価格や株式の価格が乱高下をいたしまして、中央銀行、バンク・オブ・イングランドが自分で事態の処理に乗り出して、それは当時、救命艇、ライフボートと呼ばれておりましたが、それによって市場の正常化を図ったことがありました。
またアメリカなどでも、財政の一番大きな負担になっている一つは地方の金融機関、信用金庫、信用組合とでも申せばよろしいんでしょうか。S&L、セービングス・アンド・ローン・アソシエーションが、やはり多くの不動産への投資、それからジャンク・ボンドと申しますけれども、非常に利回りのいい、しかし、あまり確かでない債券への投資をした結果、支払い不能になった。
それに対して政府が既に千五百億ドルといいますから二十兆円に近いわけですが、そういう大金を投入して預金者の救済を行っているわけであります。これはアメリカの財政の非常に大きな負担になっているのですが、やはり資本主義の市場経済の国でも政府なり、なんなりがそういうことをしなければならない場合がまれにあります。
一九八五年の九月にいわゆる“ブラック・マンデー”がありました。ウォール・ストリートで一種のパニックに近い状態が一日ありましたけれども、その日に連銀の総裁のアラン・グリンスパンが最初に申しましたことは、「金はいくらでもあります。皆さん、ご心配なさらないように」ということであったわけです。しかし、そういうことを政府なり、中央銀行なりがするということは決して望ましいことではございません。本来、市場経済というものはそういうものではないわけですが、しかし、なにかのときに必要であればやはり政府なり、中央銀行はそういう務めを果たさなければならないことがあるわけです。
幸いにして我が国の場合、今度そういうことは起こりませんでしたけれども、そういう意味では私ども十分注意して経済の運営をいたしておりますから、その点は皆様方にご心配をいただくことはありません。ご安心をしていただきたいと思います。
先ほども申し上げましたけれども、我が国の人手不足の状態というのは解消する見通しはないわけでございますから、企業のうち、ことに中小企業においては省カ投資、合理化投資というのはどうしてもしなければならない。製造業でも非製造業でも皆さん、そう思っていらっしゃるわけです。
ただ、このような不況になって、そして在庫がなかなか重いというようなときにはちょっと合理化投資が手控えられるのは当然のことですから、経済がまた普通の動きになりましたら必ずそういう省カ投資というものは起こる。起こらざるを得ない。皆さん方のお立場からそれは必要になってくるわけでありますから、そのための状況、金融にいたしましてもそのための状況をちゃんと整備することが私どもの務めだと思っております。
我が国経済はまだまだ高齢化社会になったわけではございません。今のところ、つい九月十五日にも発表がありましたけれども、六十五歳以上の人の割合は国民の一三パーセントでございますから、まだまだ高齢化社会というわけではない。
しかし、二〇二〇年頃になりますと二五パーセントを超えるそうですから、大体今の倍になる。これは本当の高齢化社会であろうと思います。しかし、そこにいきますまでの間に我々としては実際にしなければならない仕事がたくさんあります。
今これから申し上げます生活環境の整備にしても、あるいはこれだけ国際的な期待を持たれました我が国として経済援助をはじめ対外的ないろいろな務め等々しなければならない仕事がたくさんあって、また我が国が大きな期待を世界の中で受けている。そういうことを考えますと、やはりこれだけの潜在力を持っている経済というもの???を顕在化させていかなければいけないと思っておりまして、このたびのいろいろな総合的な不況対策は、やがてこれが正常な経済環境をつくることによって皆様方のいわゆる市場における活動に結びつけていくためのいわば緊急の措置をただいまやっていると、私どもこういうふうに考えております。
そこで生活大国ということについてですけれども、なんか生活大国といいますと大変ごてごてした家でもつくろうか、あるいはなんか立派な集会所でもつくろうかという印象をお受けになるのかもしれませんが、そういうつもりではもとよりありません。よく皆さんが外国の人々からお聞きになる、「日本はともかくたくさんの輸出をしてきて、いいものを安く売ってくれるのはありがたいけれども、だんだん自分たちのほうの産業がみんなやられてしまう。そんなに物をお売りにならなくても、行ってみると日本人の多くの方が都会ではうさぎ小屋みたいなところに住んでいらっしゃるので、あのほうをもう少しどうかなさったらどうですかね」ということは長年言われていて、残念ながらそれは本当なのです。
確かに外国を困らせるだけの輸出をするぐらいなら我々の身の回りにしなければならないことがたくさんあるのではありませんか。そうしてもう少し人生をリラックスしてもいいのではないのでしょうか。怠けるという意味ではありませんけれども、“狭い日本、そんなに急いでどこへ行く”と交通標語のようなことを言われるまでのことはないでしょう。一生懸命働くことは大事なことですが、家族とろくに一緒に飯を食べる時間もないし、旅行することもできない。人生あっての経済なのであって、経済あっての人生ではないでしょう、ということが言えない国もありますけれども、日本はそういうことが言えるようになったんですから、そうしたらどうですか、というのが生活大国というものの考え方です。今年から我が国の五か年間の経済計画がここで切り換えになりますので、今度の五か年計画の主たる目標は生活大国の推進ということにさせていただいたわけです。
今度いままでと違いましたことは、きちんと目標を、それも政府の側というよりは生活される方々、消費をされる方々の立場に立って五年間になにがどうなのかということをきちんと目標を立てて、それを年次でもってちゃんと達成していこうではないかということを提案しましたことが今度の五か年計画の一つの特色であります。
例えば労働時間のことですが、今我が国は一人がちょうど二千時間余りまだ働いておりますけれども、国際的な標準は大体千八百時間ですから、五年、あるいは五年と言わなくともそのへんまでいけないだろうか。私は怠けていいと思ったことはかつてございません。怠けることがいいことだと思ったことはございませんけれども、しかし、きちっと働いて、そうして残った時間は自分の人生のために、あるいは社会奉仕のために使うということはやはり大事なことであろう。ということで千八百時間という具体的な政策目標を掲げております。
あるいは東京や大阪では一生働いても自分の家が持てない、マンションの部屋が持てないというようなことはやっぱりどうにかしなければならないことでしょう。それでこのたびの目標では大体平均年収の五倍ぐらいで自分の家が持てるようにしたい。五年間のうちに大体そういうことにしたいと考えております。
それは東京なり、大阪なり通勤問題の非常にきついところの話ですけれども、どういうことになるかと申しますと、例えば今の勤労者の平均年収はたぶん八百万円ぐらいです。その五年分は四千万円ですから、四千万円ということは最初は中古になるかもしれませんが、坪二百万円のマンションでしたら二十坪ということになります。
東京で申しますと、山の手線のどこかから三、四十分ぐらいのところ、さらにそこから十分ぐらいは歩くかもしれませんが、ある一定の距離の中で大体四千万円というマンションが買えましたらほぼ五倍ということになるわけですけれども、幸いにして地価が下がってきていることもあり、需給関係は緩んでおりますから、そういうことがこの機会に何年間かで実現ができるのではないか。ぜひそうさせたいということを考えております。
あるいは下水道にしてみますと、これだけの経済大国で下水道がこれほどお粗末だということは恐らくお互いが知らないというか、外国の人も知らないのだろうと思いますが、我が国の下水道の普及率は大体四五パーセントです。という意味は国民の四五パーセントの人が下水道を利用している。
それは大体都会の周りに下水道が集中しているということになっていまして、県によっては一〇パーセントに満たない県がありますから、それを二〇〇〇年ぐらいまでには一生懸命やってもまだ七〇パーセントぐらいにしかなりません。これでいいというわけにはいきませんのですけれども、少なくともまずそこまでいこうではないかと。
先ほど申しましたようにだんだん高齢化が進んでいきますが、お年寄りが安心して暮らしていただくことは大事ですが、それよりもっと生きがいのある、自分は社会でなにか貢献しているんだという生活をしていただくことがやはり同じぐらい大事です。できるだけ地域にいてほしい、家にいていただきたい。在宅をしていただきたいとすれば、デイサービス・センターであるとか、あるいはいろいろなそういう意味でのデイサービスみたいなもの、ショートステイであるとか、そういうものがありませんとなかなかお年寄りは安心して在宅できない。
いまデイサービス・センターというのが全国に二千六百ぐらいあるそうですが、大体二〇〇〇年ぐらいまでの間に中学校区に一つぐらいつくりたい。そうしますと、歩いて、あるいはバスに乗ってお通いになれる。一万ぐらいつくりますとそうなりますが、それをこれから各市町村と一緒になって年次計画でやってまいります。大体まずできるだろうと思っています。それでも十分ではありませんけれども、かなりこれでお年寄りにとっては安心をして、しかも、地域で、自分の家でお暮らしになれるだろうという風に考えています。
こういう生活関連のための施設の充実、あるいは公園にしても、下水にしてもなんでもそうですが、実は非常に問題がありますのは、今まで国の公共事業をやってまいって、長い間のしきたりがありますものですから新しい生活関連のほうへ振り向けるということが事実上なかなか難しい面があります。今それを一生懸命党のほうも各省庁の諸君とも一緒にやっていまして、平成五年度のこれから編成いたします予算でも新たに生活関連の重点枠というのを二千五百億円ほど、それから生活・学術研究の枠というのを千百億円ほど別に設けることにいたしました。
ちょっと余談になりますが、学術研究というのはずーっと今までいわゆるシーリングということで予算は前の年を超えてはなりませんということを長年やってまいりました。ところが、学校はことに先生への給与が大きいものですから給与が増えていくために予算を食われてしまって、教育なり、学術のための設備・施設というものは金を使う余裕がなくなってしまって、それが長年累積をしておりまして、実は大変に心配な状態になってきました。ですから、シーリングはシーリングで大事ですけれども、やっぱり思い切って処置をいたしませんと国の将来に災いを残すという風に考えまして、今年度あたりから特に学術、あるいは研究等々については特別なことをし始めております。それをこれからも続けてまいりたいと思っております。
生活大国と言いましても口で言うのは易しいのですが、いま申しましたように相当の金を使っても生活関連のいわゆるインフラストラクチュアの充実というものはなかなか時間がかかります。一生懸命これから長いことかかってやっていかなければならない。幸いにして我が国の経済にまだそれだけの力がありますから、ぜひやってまいりたいと思っております。
国内のことを一応このくらいにいたしまして、少し国際的な問題をお話し申し上げたいと思いますが、なんといってもソビエト・ロシアというものが崩壊をした。お互いに自由主義がいいのか、共産主義がいいのか、市場経済がいいのか、統制経済がいいのかと長いこと議論をし、長いこと争ってまいりましたけれども、この話にはもうはっきり勝負がついた。お互いが長いこと信じ、また実践してきた我々の道が正しかったことが証明されたことは誠に喜ばしいことであります。
そうしてそれによって初めていわゆる冷戦というものが終わった。米ソが核兵器によるいわゆる抑止力という不安定な状態で平和が維持されているところから、もっと本当に本格的な平和への道が開けてきたということはなんといっても喜ばしいことで、平和への大きな流れに向かって新しい歴史が開かれようとしていることは確かだと思います。
そうではあっても、しかし、それでしたら今までいわば大きな地球を半分に割っていたソ連をはじめとするそういう国々がこれから果たして民主主義の道、市場経済の道を進んでいくのだろうかということは、そういう努力が行われていることは知っておりますけれども、まだ誰も将来をきちんと確信を持って言えるわけではありません。また別の意味で民族の問題であるとか、あるいは宗教の問題であるとかいうことから世界のあらゆる所で争いが起こっているということを我々は知っております。
そのほかにも地球の環境であるとか、難民であるとか、飢餓であるとか、麻薬であるとかいうことが基本的にそういう平和を脅かす冷戦というものがなくなったことによって(それは進歩だと思いますが)必ずしも簡単でない次の問題として現れてきているということをお互いが毎日経験をしているわけです。そういう新しい時代の中で国連というものの重要性というものがこの一、二年非常に強く印象づけられる出来事になってまいりました。
湾岸戦争のことはまだまだよくお互いが憶えておりますけれども、あの湾岸戦争を国連が中心になって、国連の安全保障事会というものが決議を重ねてあの処理をしたということは、歴史上初めてのことでした。もちろんなにか事があれば米ソの利害が対立して国連というものが動けなかったわけですけれども、米ソの利害の対立がなくなりましたから国連がああいう処理をすることができたということをお互い経験をいたしました。いろいろな意味で湾岸戦争が直接のきっかけになって国連の平和維持活動というのが今世界のあらゆる所から求められるようになった訳です。
そういう状況の中で私どもとしても我々の憲法でできないことはできない。しかし、できないことをできないとはっきりさせるためにはできることはやっばりきちんとやるということが大事なのではないか。
確かに湾岸戦争のときに財政的な貢献はしました。しかし、それだけでいいのかという国内の議論があって、そしてやはり我々としても汗を流さなければならないところには汗を流さなければならないだろう。国連から求められ、紛争当事国から求められて、例えば、力ンボジアのように、あそこは十三年の戦争がありましたから三十何万という難民が国の外でいわばテント生活をしているわけです。それが戦争が終わった。そうして自分の故郷へその人たちが帰れるようになった。しかし、三十何万という人が地雷がいっぱいあるところで、道もない、橋も落ちているところへ、いくら自分の故郷といっても昔の田畑があるわけではないでしょうから、帰るということだけでも大変な仕事です。そこで、たくさんの国が行ってその仕事の応援をしてやっているときに、アジアの国である日本が「我々はどうもそのことはお手伝いができません」と言うのはおかしいでしょう。行って道でもつくったらいいではないか、橋でも直さなければならないのではないかということがあって、そしてあの国際平和協力法というものを国会で成立させていただきました。
いろいろな経緯がありまして、全国各地で指導的なお立場にあるご出席の皆様も、「また子供を戦場に送る、そのためのスタートになるんだ」などという全く関係のない、いわばアジ演説のようなものに随分対抗して戦っていただいたことをよく知っております。今日こうやって現実に自衛隊の諸君にカンボジアに出ていってもらって、いま道を直そうとしている、橋をつくろうとしているということを多くの国民がテレビで見ていてくださいますから、「こういうことだったのか」と大体今になって私は国民の皆さまに分かっていただけたと思っています。
そうして恐らく三十何万の難民が国へ帰る手伝いをする。そうしてこれから国づくりをして、最後は選挙までして見届けて帰ってくるということですけれども、そういうための貢献を我々ができるようになったというのが皆様からご支援をいただきました国際平和協力法の成果でございます。皆さまのご努力をいただきましたことに改めてお礼を申し上げたいと思います。
もう一つの問題は、ロシアの問題でございます。私が今年の一月にニューヨークでエリツィン大統領に会いましたときに、向こうのほうから「じゃ、九月に行きましょう。領土問題もあるし、平和条約のこともあるしね」と。むしろ先方から言われたことであったので、その間にずーっと最近まで次官のレベルで、あるいは外務大臣のレベルで準備が進んでいたわけです。ところが、この間、九月九日の夜、私のところに突然電話がありまして、もうエリツィン大統領の来日を三、四日あとに控えてのことですが、どうも行けなくなったと言ってきました。実は先遣隊まで来ていたわけですが、「実は自分の国の事情で行けなくなって自分としても残念だし、あなたとしても残念だろうが、了解をしてほしい」ということでした。
三、四日前になってこういうことをいうのは先進国の間ではあまりないことですから、よほどの事情がおありになっただろうということは想像がつきます。それはソ連の経済状態のことをいろいろ考えても、あるいはいわゆる体制が改まるところで旧体制側からのいろいろな反撃があるということも想像が容易にできることですから分からないことではありませんが、いかにも急なことでありました。
ただ、これはくれぐれも日本側に不平を申し上げる点は一点もございません。自分のほうの事情ですから、続けてこれからまた交渉の準備を進めさせていただきますし、どういうわけか知りませんが、サハリンの天然ガス等々の開発のことも続けさせていただきたいというようなことも言われました。そういうことだから一つ了解をしてくださいということでありました。
続いて渡辺(美智雄)外務大臣がニューヨークの国連総会に行かれましたときに先方の外務大臣も来ておられて、条約交渉、領土問題の交渉を次官レベルで続けてやろうという合意ができたわけですけれども、同時にもう一つ。実はこのたびのこの交渉の段階で、お互いに過去にこういう条約がある、過去にこういう約束があるといったような、そういう基本になります法律関係をきちんと整理して、できれば一つの本にしておこうではないか、資料集をつくろうということになって、これは、ロシアの外務当局は非常に協力的でありまして、資料集づくりというものについて実は合意ができた。この合意ができますと、そんな約束はなかったはずだとか、そんな条約は認められないとかいうことはこれから議論しなくていい。ですから、一八五五年というのは安政二年でございますが、安政二年に我が国と−−幕府時代ですが、幕府と帝政ロシアとの間で日露修好条約というものができて、そうして四島というものが我々の領土ということがその中に書かれているといったような、例えばそのような条約ですが、そういったようなものをみんな資料集に載せる合意ができて、それを先月の末に刊行いたしました。これはこれからの交渉を続けていく上で非常に役に立つ成果ですけれども、そういう意味では事務的な準備というのは比較的順調に進みまして、今日に及んでおります。
したがって、ロシアの側における政治的な事情によりエリツィンさんがこのたび訪日を延期されざるを得ないということになったのであると思っています。
七月にミュンヘンでサミットがございましたときに先進七か国、我々が“政治宣言”というものを出しました。その中で各国が日本の北方領土に対する基本的な態度を支持してくれたということがございます。このことを人によってはソ連に対して圧力をかけたというふうに考えておられる向きがあるのですが、基本の考え方はそうではなくて、このサミットのミュンヘンでの“政治宣言”と申しますのは、「新しいパートナーシップをつくるために」という副題がついております。
これはどういう意味かといいますと、冷戦が終わった。今までソ連と自由主義陣営、ソ連とG7という対立が終わって、願わくばロシアが新しい民主主義、市場経済、平和主義、そういうものに変わってくれて我々と一緒のパートナーになろうではありませんか、という呼びかけ、それが新しいパートナーシップの形成に向かって、ということであったわけで、そういう立場からG7が終わりましたときにもエリツィンさんにも来てもらったのですが、そういう風に我々としては深く希望をしている。
ということは、日常の政治においては民主主義になってもらいたい、経済政策としては市場経済というものに入ってもらいたい。また外交政策はスターリン主義の時代の膨張主義、領土拡張主義というのをやめてもらいたいということです。その一番端的な問題が最後の問題で、そのいわば現実の残りというものが北方領土になっているわけですから、そういう意味でソ連としては新しい我々のパートナーになることの一番の証しが、この問題について法と正義で解決をするということでした。そういうことを我々G7の国々が言ったわけでして、そういう期待を表明したのであって、ソ連に対して圧力をかけるというような意図で言ったわけではなかったのです。
ですから、エリツィンさんにしてみますと、国内に対して、これはそういう意味で我々が今いわゆるG7の国々と新しいパートナーになるための道なんだとご説明をなさるのなら、これは正にご説明のための根拠を我々がつくって、そうしてミュンヘンであの“政治宣言”になったということであったわけであります。そのことは今でも変わりません。そういう気持ちでこの問題の解決を我々としても期待をしているし、また努力をしなければならないと思っております。
日本はこれが片づかなければソ連になんにも援助をしないのかというと、もちろんそんなことはありませんで、既に最近のことでありますけれども、天然ガスの開発のためにシームレス・パイプのようなものを送ったりする必要があるわけですが、そのための貿易保険は七億ドル、あるいはくすり等の人道的援助で輸出入銀行の一億ドルというようなことは両方の国の間で今度調印をいたしますから、そういう批判を受ける心配はありません。
ただ、非常に大きな援助をこれからするということになりますれば、それは皆さん方の税金を使わさせていただくわけですから、そのためにはやっぱり両国の間で基本的な親善友好関係というものが平和条約の形で結ばれなければならない。この平和の時代にこの二つの大きな国の間に平和条約がないということはいかにも不自然なことですから、そういうことを我々としては考えているわけです。
最後に冒頭に申し上げたことですけれども、政治改革の問題でございます。既に何人かの講師が話をされたと思いますけれども、今年の三月に私どもの党内で政治改革についてのいくつかの問題を、まず緊急に処理すべき問題をまとめていただきまして、それを各党との政治改革協議会で随分苦労して協議をしていただきました。
そして幸いにして十八項目については合意ができて、ちょうど先頃の国会の最後の十日ぐらいの間で法律として成立するところまで大体話は詰まっていたわけでございました。ところが一部の党の辞表提出というようなことで、非常に正常さを欠いたことになりまして、最後の十日ほど空費してしまって、これが成案を得ることができませんでした。したがって、来るべき臨時国会には冒頭にこの懸案の処理をしていただいて、とりあえず、政治改革の緊急分を成立させていただきたいと思っています。
共産党は別ですが、各党とも大体そういう内容、並びにタイミングについて大きなご異存がないようですから、まず今度の臨時国会の冒頭にはそういう処理をさせていただけるものと思います。しかし、それは緊急の政治改革ですから、あとの本格的ないろいろな問題が残ります。それは十一月の末ぐらいまでには私どもの党内で議論をしていただいて、成案を得て、また各党の協議会でお願いをいたしたい。こういうふうに考えております。
政治改革というのは国民が我々に一番強く求めておられるところですけれども、政治と金の問題というのはなかなかあとを絶ちません。そのつど議論を呼ぶというようなことです。今、このときにこそ抜本的な政治改革をいたしまして、国民の皆様から、これは党派を問わず日本の民主政治というものがきれいなきちんとしたガラス張りの中で行われているという、そういうご信頼をもう一遍取り戻さなければならない。
ことに昨今そういう風に強く感じております。私としても一身を捧げて党の同僚諸君と一緒に、そしてまた各党の皆さんとご一緒に政治改革を実現してまいりたいと思っております。どうぞ皆様におかれましても、この点につきまして従来に変わらぬご支援を賜りますように心からお願いを申し上げます。
たくさんの皆様が非常にお忙しいお方であるにもかかわらず、こうやって三日間我々の研修に参加をしていただきまして、我々の信ずる自由と民主主義のためにこれからも地域の、職域のリーダーとしてご活躍をされますように心からご健勝を祈りまして、私の挨拶にいたします。