データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] ASEAN訪問における宮澤喜一内閣総理大臣政策演説(インドシナ総合開発計画の提唱)

[場所] バンコク
[年月日] 1993年1月16日
[出典] 外交青書37号,168ー173頁.
[備考] 
[全文]

1.はじめに

タン・リアン・チュー会長,

御列席の皆様,

 本日は,伝統あるタイ外国記者クラブの主催,タイ・ジャーナリスト連合の協賛の下にこのような機会を設けて頂き,誠に光栄に存じます。

冷戦構造の崩壊にともない,国際情勢が歴史的な展開をとげつつある中で,アジア・太平洋の将来に向けて日本とASEAN諸国との協力はどのようにあるべきか,そのために日本は何をなすべきか,あらためてこれらのことを考えてみたい,それがこのたびの私のASEAN諸国訪問の目的でありました。

2. アジア・太平洋の新たな役割

 私たちの住むアジア・太平洋地域では,一部に紛争,対立はあるものの,政治情勢は概ね安定しております。経済的にもこの地域特有の豊かな多様性と高い開放性を活かして,ダイナミックな成長が続き,このダイナミズムの波は今や中国の沿海部インドシナにも及んでおります。この経済発展は,それぞれの国や地域に,より成熟した政治社会状況をもたらしつつあります。そして,このことは,この地域における国際関係の安定にもつながっております。今やアジア・太平洋は,政治的にも,経済的にも,世界の平和と繁栄に貢献する大きな可能性を身につけつつあると言えます。私は,このたびお目にかかったASEAN諸国の首脳の方々の言葉のなかに,国際社会に発言力を持ち,国際貢献を果たしたいとの自信あふれる強い意欲を感じました。ASEAN諸国のこの願いを達成し,アジア・太平洋をさらに強靭かつ豊かな地域にしつつ,世界の平和と繁栄に資することーそれが,これからの日本・ASEAN協力の最も重要な使命でありましょう。本日は,このような観点から,日本とASEAN諸国の新たな協力のあり方につき,特に次の三つの分野を取り上げたいと存じます。

3.日本・ASEAN協力

(1)平和と安定への協力

 第1は,域内の平和と安定を確保するための協力であります。

 アジア・太平洋地域と一口に申しますが,その最大の特質は多様性にあります。安全保障面でも,国毎に脅威の源泉は一様ではなく,また,脅威に対する対応振りも様々であります。従って,この地域では,それぞれの国が自国の歴史的,政治・経済的,地政学的な状況に照らし最適と考える安全保障の道を選択しております。そのような選択としては,二国間の安全保障の枠組みも重要でありましょう。また多くの国においては,自国の経済開発を通じ社会の強靭性を高めることが,国内及び対外的な安全のための最優先課題となっております。このような多様性は,今後ともこの地域の安全保障を考える上での固有の要素と認識されるべきものと思われます。朝鮮半島,カンボディア,南シナ海といった地域の紛争も各々異なる背景を有しており,その解決については,各々の状況に適した枠組みを通じて努力するのが最も効果的であります。

 同時に,冷戦構造の終焉とそれに伴う国際関係の流動化が,この地域全体の安全保障の構図に影響を与えずにはおかないことも明らかであります。このような認識から,近年この地域全体の平和と安定に関する関心がとみに増大しております。アジア・太平洋の諸国がこのような関心を分ち,政策の透明性とお互いの安心感を高めていくことは重要であり,昨年からASEAN拡大外相会議の場でこのような政治・安全保障対話が本格化していることは誠に意義深いことであります。

 国際社会が変革期にある今,アジア・太平洋地域諸国がこの地域の将来の平和と安全のあるべき秩序につき長期的ビジョンを持つことが必要です。域内諸国間の政治・安全保障対話の中でいろいろな考え方が提示され,そのようなプロセスを経て,共通の問題認識に基づいたこの地域の安全保障のあり方が次第に明確になっていくことを期待するとともに,そのような論議に日本も積極的に参画していきたいと考えております。

 日本としては,その場合,この地域の平和と繁栄を支えてきた米国の関与とプレゼンスが将来にわたり地域のスタビライジング・ファクターとして重要な役割を果し続けるものと考えております。このような考え方に立って,日本は日米安保体制を堅持し,引き続き積極的な接受国支援を提供していく所存ですが,このことは地域全体の平和と安定にも貢献するものと考えております。

(2)開かれた経済と活力ある発展への協力

 第2に,日本とASEAN諸国は,アジア・太平洋地域の経済を,開かれた,活力あふれるものとして発展させるため協力していく必要があります。

(イ)開放性の推進

 アジア・太平洋経済の発展は,市場メカニズムを通じて,開かれた多角的自由貿易体制の下でもたらされたものであります。この地域の中でも,また,外に向かっても,開かれた経済であり続けることが,この地域自身の発展の活力となるものであり,ひいては世界経済全体の活性化にもつながるものと考えます。世界が1930年代の如く不信と独善の相互作用によって,偏狭な保護主義やブロック化に向かうことは是非とも回避しなければならないシナリオであります。現在喫緊の課題は,各国が長期的視野から譲り合い,ウルグアイ・ラウンドを,早期に成功させることです。また,開かれた協力を基本理念とし,いまや独自の事務局と予算を持つにいたったAPECの活動の一層の充実をはかることが重要なことも言うまでもありません。

(ロ)経済発展の促進

 世界経済の見通しが未だ十分に明るいとは言えない状況の中,アジア・太平洋地域の経済,就中ASEAN諸国の経済が引き続き活力あふれる発展を続けていくことが極めて重要であります。

 日本とASEAN諸国の経済関係をみれば,貿易については,ここ数年,年率20%前後で拡大しております。特に,ASEAN諸国からの日本への製品輸出は目覚ましく,1986年から91年にかけ4.6倍に急増しております。また直接投資については,1985年のプラザ合意以降のASEAN諸国向けわが国の直接投資は約200億ドルに上ります。これがこれら諸国の経済発展に寄与してきたことは明白でありましょう。

 いまASEAN諸国にとっての大きな関心の一つは,今後の投資の流れと技術移転の問題であろうかと思います。これについては,わが国として,公的信用制度の活用等により,投資や技術移転の促進を引き続き強化してまいるとともに,インフラ充実,サポーティング・インダストリー育成,人材養成,制度面の検討を含む広い意味での受入れ環境の整備など,お互いに新たな知恵を出し合って進めていきたいと考えております。

 日本からASEAN諸国への途上国援助の流れは,1969年以降これまで総額約200億ドルに上り,過去10年をとってみても毎年我が国の二国間援助全体のおよそ1/3から1/4程度を占めております。わが国としては,昨年策定した政府開発援助大綱を踏まえつつ,今後とも途上国援助を着実に拡充する所存であります。ASEAN諸国がその経済的離陸に向けて進んでいることは喜ぶべきことであり,日本は,ASEAN諸国を含むアジア地域をこれまで通り途上国援助の重点地域としてまいります。

 また,ASEAN諸国のなかに,自らの開発の過程で得た経験や技術を他の途上国に対して伝播するなど,途上国同士が助け合う形での協力を強化していく機運が生まれていることが注目されます。わが国としては,このような動きにも協力してまいりたいと思います。

 こうした日・ASEAN協力関係の展開には,国民同士の相互理解の増進が極めて重要であります。1984年に開始された「21世紀のための友情計画」はこのために大きな役割を果していると考えます。これまでにASEAN諸国より,7,000人以上の青年がわが国に招聘されておりますが,来年3月に終了するこの計画を,その後5年間延長することと致したいと思います。

 また,日本が以上のような協力を進めていくためにも,日本経済の健全な発展が重要であることは申すまでもありません。わが国は,先に約900億ドルの総合経済対策を決定し,その円滑な実施を図るとともに,来年度予算についても景気に十分配慮したものとする等内需を中心とするインフレなき持続可能な成長を図るよう適切かつ機動的な経済運営につとめているところであります。

(3)人類共通の課題への取り組み

 第3に,日本とASEAN諸国は人類共通の課題に共同して取り組んでいくことが求められております。

 私は,アジア・太平洋地域が,来るべき21世紀に向けて,安全で,豊かで,公平な社会の建設のため,大きな可能性を有していると確信しておりますが,その実現のためには,この地域の人々が,自らの力を十分に発揮し得るような政治的,社会的基盤が必要であります。民主化と基本的人権の増進は人類の普遍的課題の一つであり,最近のタイにおける民主化の動きには大変勇気付けられるものがあります。日本としては,こうした価値がこの地域で現実に増進されるよう,個別の状況に応じた最も効果的な方法で取り組んでいきたいと考えております。 この地域にとって経済開発は今後とも重要でありますが,同時にこれと環境の保全とをいかにして両立させるかという課題があります。私は,昨年の国連環境開発会議において,1992年度から5年間にわたり,わが国の環境分野の途上国援助を9,000億円から1兆円(約70億ドルから77億ドル)を目処に,大幅に拡充・強化することに努めることを表明しました。これは,それまで3年間の年平均実績の1.5倍に近いものとなります。ASEAN諸国に対しても,同様の拡充をはかる所存であります。環境分野の援助に関しては,援助供与国と途上国との共同の努力がとくに緊密でなければなりません。ASEAN側からの積極的かつ具体的な提案や助言を歓迎いたします。

 また,急激な経済的,社会的変化の中で,我々固有の文化を見失うことがあってはなりません。むしろこれを将来の世代に引き継いでいくことが我々の義務であり,豊かな世界文化への貢献でもあります。わが国はすでにタイのスコタイ遺跡や,インドネシアのボロブドール遺跡,カンボディアのアンコール遺跡等の修復保存に協力してきておりますが,さらにこの地域は重要な文化財や多様な伝統芸術の宝庫であります。私は,今後この地域におけるかけがえのない伝統文化を保存し,各国が協力を進めていくための国際専門家会議を開催することを提唱したいと思います。

4. 対インドシナ協力

ご列席の皆様,

 ここでインドシナに対する協力について触れたいと存じます。

 1991年10月のカンボディア和平協定の締結は,東南アジアにおける平和と安定を実現するための歴史的第一歩でした。

 私は,カンボディアに永続的な和平が達成され,近い将来,すべてのカンボディア人が心を一つにして祖国の再建と発展に討ち込む日が訪れることを切に希望しております。しかしながら,和平プロセスは関係者の大変な努力にもかかわらず,依然脆弱であり,私は,カンボディアすべての当事者,なかんずく民主カンボディアに対して,ここでふたたびUNTACへの全面協力を呼びかけます。わが国としては,昨年成立をみた国際平和協力法にもとづき約700名の要員を現地に派遣しておりますが,このような人的貢献を継続するほか,引き続き和平プロセスの円滑な実施のための努力をしてまいりたいと考えております。

 また,私は,この間ASEAN諸国がたゆまぬ外交努力と人的貢献を続け,とりわけ,カンボディアの隣国たるタイが,多数の避難民を受け入れるとともに,先般の安保理決議の実施のため国内的に負担を強いる措置をとるなど,多大の犠牲を払ってこられたことに,深い敬意を表したいと存じます。

 カンボディア和平合意の成立は,カンボディア復興ばかりでなく,ヴィエトナム,ラオスの開放政策の推進に道を開き,ASEAN諸国とインドシナ諸国からなる東南アジアが一体として発展する可能性を示しております。このような展開は,1977年に福田総理がマニラで,東南アジア全域に相互協力と理解の輪を広げることにより,地域全体の平和と繁栄の構築に寄与するとの方針を打ち出して以来,わが国が一貫して目指してきたものであります。その後のカンボディア問題の推移は,遺憾乍ら,このような目標の実現を困難なものとして参りましたが,いま漸く東南アジアの諸国が平和と繁栄を分かちあうことができる状況が到来しました。ASEANとインドシナの諸国が,良き隣人,良きパートナーとして,手を携えつつあることは歓迎すべきことであります。日本としても,東南アジアの諸国が有機的な一体性を強め,地域全体として発展していくことが重要であると考え,そのような認識のもとに,とりわけインドシナ地域の社会経済発展のためにインフラ整備,人材養成等の面で協力していきたいと考えております。私は,このような観点から,関係国・国際機関の専門家,官民の有識者の参加を得てインドシナ地域の国境を越えた協力と開発のあり方につき率直で建設的な討議・意見交換を行い,インドシナ地域全体の調和のとれた開発戦略を策定する場として,「インドシナ総合開発フォーラム」の設置を提案したく,その準備のための国際会議を本年秋を目処にわが国にて開催したいと思います。

5. 日本の基本姿勢

ご列席の皆様,

 私はここで,日本とASEAN諸国が,アジア・太平洋の平和と繁栄,更には,世界の平和と繁栄のために貢献していく上で,特に次の4点が重要であることを改めて強調しておきたいと思います。

 第1の点は,アジア・太平洋の平和と安定の強化のため,域内の政治・安全保障対話を促進することであります。そして,その中で,将来のこの地域の安全保障のあるべき姿についても真剣に考えていくことが重要であると考えます。

 第2の点は,アジア・太平洋地域の経済の開放性を今後とも推進し,また,活力ある経済発展を促進していくことであります。

 第3の点は,民主化の増進や,開発と環境の両立等人類普遍の課題に積極的に共同して取り組んでいくことであります。

 第4の点は,インドシナの平和と繁栄の構築のため,日本とASEAN諸国が連携して協力することであります。

 このような日本・ASEAN協力を考えるに当たり,私は,その前提ともいうべき二つのことを申し上げておきたいと思います。

 その一つは,日本が2度と軍事大国になることはないということであります。わが国はすでに戦後半世紀の間,平和憲法のもとで一貫して平和国家としての道を歩んでまいました{前5字ママ}。これは日本国民の過去の反省に基づく強い意思であり,今後もこの道を踏み外すことはありません。私は,日本国民の日々の行動の中にも歴史の教訓が活かされていくよう,わが国における教育の充実に一層意を用いて参る所存であります。

 もう一つは,日本として,ASEAN諸国との話し合いのプロセスを大切にしていくということであります。共に考え,共に行動するという姿勢をもってまいります。「ASEANウェイ」という言葉があると聞きますが,過程を大切にし,手続きを尽くすことの中で,より良い考えが生まれることが稀でないことは,私たちのしばしば経験するところであります。

6. おわりに

御列席の皆様,

 アジア・太平洋地域は,いま大きな未来に向かって力強い前進をはじめました。昨年創設25周年を迎えたASEANは,その最も重要な原動力の一つであります。本年7月には,東京で主要国首脳会議(サミット)が開催され,私はその議長をつとめることになっておりますが,私としては,この会議の場にASEAN諸国をはじめとするアジア・太平洋諸国のダイナミズムの重要性を十分に反映するようつとめます。世界が新しい国際秩序を求めて模索しているとき,ASEAN諸国の英知と活力は,国際社会の将来を支える重要な柱となるであろうことを,私は確信してやみません。

御清聴ありがとうございました。