データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 衆議院選挙における宮澤内閣総理大臣の演説

[場所] 
[年月日] 1993年7月10日
[出典] 宮沢演説集,571−581頁.
[備考] 
[全文]

 私はこうして地方に出ますのは、今日、初めてでございます。ちょうど今週初めから、世界の主要国の首脳が日本に到着をされ初めまして、個別の会談がございましたり、それから水、木、金と三日間、私が議長で会議をいたしました。それは昨日夕方終了いたしましたんですが、米国との間にいろいろ、後で申しますが、問題が残っておりまして、クリントンさんと昨夜と、それから今朝また早く会談をいたしまして、それが終わってから私が飛行機に乗りまして、こちらへまいりましたが、クリントンさんもそれから韓国へ向かわれて、ロシアのエリツィンさんなども含めまして、主要国の大統領、総理大臣、万一のことがなければいいなと心配をしておりましたが、皆さん無事に日本をお離れになりました。その点は主人役といたしましては、肩の荷をおろした思いでございます。

 何分にもソ連という国がなくなってしまった訳でございますから、これで地球上も大分平和になる、冷戦後だという思いをお互いにしておる。そういう中での主要国会議だったんですけれども、そうなりますと、また一方、世界はあちこちにかえって小さな紛争がたくさんございますことは、皆様、テレビなどでよく見ていらっしゃいます。なかなかこれが始末がつかないという。お互いがそういう悩みがございます上に、もう一つ先進国において共通の悩みは、大変失業率が高くなっているということでございます。

 我が国は別でございますけれども、大体ヨーロッパの国々、今度来られた国々の失業率というのは一〇パーセントを超えておる訳でございますから、それは働きたい人が十人おりましても、一人は失業しなきゃならないという大変高い率であります。これがなかなか直らない訳です。普通でしたら、公共事業でもやって、大いに景気をよくして、そうしたら失業も減るだろうと、昔はそう考えられたものですけれども、一向に減らない。

 そうして、外国の失業というのは、我が国のものと違いまして、ある日突然、お父さんが明日から会社へ行かないといったようなことが家庭で起ころ訳ですから、大変暗い出来事なんでございます。

 それが一〇パーセントと言いますと、これはとても政治にとっては大変深刻な問題で、今後議論になりましたのは、国が公共事業などをやれば失業は減るだろうというのは、どうもそうでなくなっている。世の中、変わってきているんじゃないかということをみんなが深刻に考えている訳です。

 それは例えば、こうやって技術進歩の時代でございますから、昔の技術しかない人は、新しいものについていけない。そういうことも随分あるし、我が国では、そういうのは幸いございませんけれども、学校の教育の問題でもあるかもしれませんね。

 それから、社会保障がかなり進んでまいりますと、いやな仕事をしなくても、なんとか暮らしていけるということも多分あるんでございましょう。

 ですから、こういう何々病、何々病という新しい病気、我が国は別にしまして、先進国がみんなかかっているということが、今度の大きな話題でございました。

 我が国の場合は、それはもう誠に幸せなことで、ある程度企業の方で、この仕事がなくても、この仕事をしてくれたら、なんとかかんとかして、支えてくれますから、そんな深刻な問題になることはない。しかし、先進国の間では、これが今一番深刻な、今度の会議を通じましての、問題であったという風に思いました。

 もう一つの問題は、どの国も全部貿易が赤字であるということでございます。我が国は、私が議長でございますから、ずっと六人並んで、全部我が国だけが黒字で、みんなから赤字をつめて、日本が黒字でためておるということは、誠に具合は悪い。みんな遠慮なく物を言いますから、日本は黒字をためるけれども、東京や大阪へ行くとウサギ小屋みたいな家に住んでいて、ろくに人間らしい暮らしもしていない。あるだけ輸出する力があるなら、どうして家でもなんでもつくらぬのですかなと言われると、これは全く言いようがないことで、その通りなんですね。

 ですから、私は先年から、お互いに生活大国をつくろうじゃないかと。もう輸出をしなくても大丈夫なんですから、豊かな生活を国の中でつくろうじゃないですか、ということを呼び掛け、そういうことを一年余りお願いしておりますけれども、まだまだ日本の黒字が増えていって、みんな赤字だと。そうすると、日本はしっかり内需を振興して、そして、黒字を減らして、黒字がたまったら、我々の方へ貸すなり回すなりいろいろしてくれないと困るじゃないかと、いつも言われますが、今度は議長ですから、よけい言われたということが、もう一つの私の頭痛の種でございました。

 それから、今度、私どもはやっぱりロシアというものがちゃんとした国になってくれないと、あれだけ図体の大きい国ですから、民主主義なり市場経済なり、外交もちゃんとやってもらわなければ困るということから、ロシアのエリツィン大統領に来てもらいまして、我々の会議とは別に最終的に三時間ほど話し会いをした訳でございます。

 それは大変よかったんですが、実はエリツィンさんと言えば、去年の九月に日本に来られる。領土問題もあり、条約がまだできていない訳ですから、その交渉に来られるはずであって、二、三日前に急に私に電話を掛けてこられて、どうもいけなくなったとおっしゃったから、国民の中には随分憤慨をなすった方もいらっしゃった訳です。

 しかし、今度は日本を訪問されるというよりも、議長としての私が、サミットにお呼びをしたんでございますから、これはそういう話し合いをする場でない。それはそれでよろしゅうございますけれども、二つ目に、私のところへ見えまして、どうも去年の九月には来られなくて遺憾であったという話があって、その後、今年の十月の中旬でよろしければ、そのときにまいりまして、領土の話もいたしますし、平和条約交渉の話もいたしたいと、向こうからそういうお話がございましたから、私はそれで結構でございますと。いろいろ都合いたしまして、そのときに、ではまずお話をいたしましょうということに、これはまあそれだけ進歩がありましたので、まあまあ良かったことだという風に思っております。

 エリツィンさんが東京へ来られて、そういうこともあるものですから、随分警戒も厳重にいたしましたけれども、さしたることもなくて、ほっといたしております。

 もう一つはアメリカでございますけれども、これは今年の四月に私がアメリカへまいりましたときに、こういうことなんでございます。今のアメリカのクリントン政権にとっても、前のブッシュさんもそうですけれども、日本との赤字が非常に大きいということです。これはお互いに十年も、どうしたら減らせるだろうと随分やってみていて、なかなか減らないので、とうとう我慢ができないというようなことで、クリントンさんは前の政権を非常に批判をされて当選をされているものですから、なんとかしなきゃならぬ。日本となんとか仕組みを作って、急に明日という訳にはいかないけれども、やはり何年間のうちにはこれは減り始めたと、こういうことにしたいんだと言われて、私はそれは分かります。それはよく分かりますが、しかし、このコップを二年間に何億個買ってくれ、あるいはこのマイクロフォンを一月に二千万本買えと、そういう話はだめなんです。

 日本は、アメリカもそうですけれども、市場経済でございますから、総理大臣が約束したって、民間の人が買ってくれなきゃ、買える訳がないです。政府が買うんじゃございません。そういうことは困りますよと。

 しかし、日本政府として余り黒字がたまっていくのは、これは確かにその通りです。一生懸命我々もできるだけそれをなんとか減らすように、これはいたしますというような話が四月からあって、それをどういう仕組みでやったらいいかということが、なかなか手間が掛かりまして、今度クリントンさんが来られた今週の月曜日でした。飛行場からすぐ私のところへ来られて、そこで今度こそはどうかしなきゃいかぬなというので、昨夜も会い、昨夜はなんと寿司を食べたいというので、寿司屋で会談をいたしました。

 そうしたら、写真屋さんがたくさん来ていまして、いつ会談するのか。デザートのときから話をするんですかというから、寿司にはデザートというのはないと私は言ったんですけれども、それで今朝、ようやく話がまとまりまして、二人で記者会見をしまして、私はそれから羽田へ行ってこちらへまいりましたし、クリントンさんはそれから韓国へ行かれたというのが、今朝の次第でありまして、まあまあ日本もこれだけ大きな役割を担うようになった。ですから、これは世界に一番訴えないといけないということを、今度のサミットでもつぐつぐ{前4文字ママ}感じております。ちょうど昨日の今日、今日の今日でございますから、一言ご報告をいたしました訳ですが、そういう大きな国際的な変化がある。また、国内でも、先ほどもどなたかのお話にありました、こういう不況というものが、かなり先が見えてきましたが、まだまだこれで十分という訳ではないという、内外ともにいろんなことでございますから、やはり政権というものは、きちんと落ち着いて、指導力がなければいけない。なにとかふらふらしておったのでは、こういう内外の問題が難しいときに、私はやっぱり良くないなと。今度の選挙でも是非そのことを皆様にお願いを申し上げたい。

 私ども戦後長い間、ほとんどすべての期間、私ども皆様のご声援を得て、この戦後の日本というものをご一緒に作ってきましたけれども、まずまず、おおづかみに見て、日本が間違えない道を歩んできた。これだけの国になったということ。私どもには、皆様のご支援を得て、それだけの仕事をした、言わば実績もございますし、それなりの道も知っておりますので、やはりこういう大事なときには、是非とも、最後私どもに政治というものをやるように、ひとつ皆様からご信頼をいただけないかという、殊に田沢さん、竹内さん、まさに中心になってそれをやってこられた方でございますので、これを是非皆様にお願いを申し上げたいと思うのでございます。

 ところが、今度の選挙は、いやそうではない。いろんなことがございましたけれども、野党、他の政党がみんなお互いに組んで、連合をして、政治をやるんだというお話がしきりにある。これは是非私は聞いていただかなければならないんですが、野党の第一党は社会党でございますが、社会党と私どもは大変に政策の考え方が違う。私も社会党とその他の野党、共産党はちょつと別にいたしますが、これとも実は大変違うということは、皆様ご存知の通りと思います。

 例えば、社会党は、自衛隊というものは、違法違反であるということをいまだに言われるんです。先週でございましたか、党首の討論会がありまして、山花委員長は私の前で今の自衛隊は今のままでは、これは憲法違反であるとはっきり、たくさん聞いておられる方がおりましたが、はっきりと言われる。

 そうしますと、そういう政権ができるとしますと、今、自衛隊の数百人の人にカンボジアでああやって汗を流してもらっておりますけれども、違法違反であれば、それは引き揚げなければ、恐らく筋道は通らないと思います。

 また、仕事が終わって、無事に帰ってきてくれたならば、ご苦労様でしたと言うのが本当でしょうが、憲法違反のことをやってくれたとおっしゃる訳ではまずいと思うんです。

 実は一番困りますのは、毎年毎年国の予算がございます。この平成五年度なども大変なときでございますから、是非そういう対策も盛り込んで、年度内に成立させていただきましたが、社会党は常に反対、どういう予算でも反対でございます。それには理由があります。必ず防衛庁の、自衛隊の人々の給与、総務にしてもなににしても予算に組まれておりますから、違法違反のものを組んでいる予算だから、反対だという主張で、常に反対をしてこられました。

 その政党が政権を取ったら、予算というものはできない訳です。自衛隊の方はたくさんいるけれども、憲法違反のものに給料を出す訳にはいかない訳ですから、そのところで非常に困ってしまう訳です。

 そんなことはないでしょうと、皆様お考えでしょうね。今までそういう政権ができたことはありませんから。そういうことをこの間の党首討論で私が申し上げたら、社会党の委員長は、いや、政権を取ったならば、今まであなた方がやってきたことを、大事なことはそのまま承継します、引き継ぐから大丈夫だと言われるので、それは是非大丈夫なようにしてもらいたいけれども、それなら、社会党という政党は一体どうなるんですかと。伝家の宝刀で、極めていろいろなことを言っていらしたのが、いざ、政権を取ったら、それはやらない。お前たちのやっていることを続けてやるんだというなら、申し訳ないけれども、社会党というのは、どういう存在の意義があるんでしょうかと申し上げざるを得ない。

 私が今こう申し上げておりますのは、社会党を批判するというよりは、そういう社会党と一緒になって政権を取ろうという、そういう方々は、必ず野党第一党のそういう主張に引っ張られるのに決まっている訳です。無論、そういう方々は、もっともっと穏健な人たちですけれども、そういうはっきりした社会党の主張と一緒に政権を組めば、そっちへ引っ張られるのに決まっている。そういうことをしていただいては困るということを、私は皆様に聞いていただきたい。

 しかし、まさかとおっしゃいますでしょうけれども、主権者である皆様がそういう選択をなされば、そういうことにならざるを得ないものですから、今までお陰様でこうやってきましたから、そんな非常識なことは起こらずに済みました。何十年も起こらなかったが、今後も起こらないだろうという訳にいかなくて、皆様が選択をしていただかなければならない。是非これを申し上げておきたいと思います。

 と申しましても、私ども自身がしっかりしなければならないことは、もう当然のことでありまして、私この頃よく一つの安定と三つの改革ということを申すのでございますけれども、一つの安定というのは、先ほど申し上げましたように、やはりこういう内外が難しいときには、安定した政権に政治をやらせていただきたい。こういうことでございます。

 そして、三つの改革というのは、勿論、第一に政治改革でございます。これは国民の声なんです。私が先だっての国会で、百時間以上この問題を議論いたしました。何分にも、選挙の作り方というのは、与野党の土俵の問題でございますから、できるならみんなが、このあたりでいいかなという共通点を本当は見つけたらそれが一番いい。私は百時間の審議の中で随分自分なりにその共通点をいろんなことで見つけようとして、見つかったなと思ったときが実はありました。そのようなときに桜内議長が私を呼ばれて、これまで議論したんだから、会期を延ばしてもう少しやったらどうだと言われるから、私もそう思います。議長のおっしゃることですから、その場で承知いたしましたと申し上げて、それから数時間、野党の党首を一人一人議長が呼ばれて、そういう裁定をなさろうとしたけれども、それを言われたら困るからでしょう。とうとう議長のところへおいでにならない。

 議長の話をお断りしたというならまだいいんですが、議長に呼ばれても何時間も出て行かなかったというのは、私は、それはやっぱり議会の在り方としてはまずいということで、ああやって時間切れになりました。この話に嘘、偽りはございません。残念なことだったと思っています。

 しかし、これだけ議論をいたしましたから、それを将来に向かって無駄にしてはいけないと思うので、なんとかこれについてはもう一遍、私は挑戦をいたさなければならない。国民のこの問題についての関心は、決して低くなっている訳ではない。第一の改革は政治改革だと思います。第二の改革は、先ほど申し上げましたことにも関係をいたしますけれども、やはりお互いの生活というものをもっと豊かにしていきたい。例えば、こうやって大きな都会になれば、下水道というのは、やはりもっともっと早くしてほしいなと思われでしょうし、それから、これだけ高齢化が進んでまいりますと、お年寄りはなんとなく、言わば特養老人ホームなどに行かれずに、なるべく在宅で、そして生きがいのある生活をしていただきたいとなれば、やはりデイサービス・センターなどというものは、歩いて行ける、少なくともちょっとバスで行けるくらいのところにありませんと、これから高齢化社会には困ります。まだそこまで全国でいっていませんで、私は中学の校区に一つくらいデイサービス・センターを置いたら、まあまあお年寄りもめんどくさがらずに利用していただけるんじゃないかなと。

 例えば、国民生活の中で、国民の側から見て、しなければならないことは実はたくさんございます。それを生活大国五か年計画ということで、昨年からスタートいたしました。五年経ちましたら、さらにそういうことが整備されるだろうと。やはり一番福祉の問題が大変でございます。ボランティアだけでやるということができませんから、福祉関連の方の人材を確保するということが、一番大変であると思いますから、今から準備しておきませんと、間に合わなくなる。そういう生活大国というプログラムを推し進めてまいりました。

 そして、やはり学校であるとか、科学技術であるとかいうことが、どうも遅れだして、先ほどの失業の話ではありませんけれども、国の将来を考えると、やはりそういうことが大事になる。

 あるいは先ほども皆さんがおっしゃいましたけれども、地方地方によって、その地方の問題があって、例えば、ここで言えば、米だとかりンゴだとかいうものは、やはり皆様方の生活の基本でございますから、そういう足腰の強い農業を作っていかなければならない。あるいは付加価値の高い物を作っていかなければならない。あるいは交通で言えば、先ほどもお話がありましたが、新幹線であるとか、東京の一極集中ということを配慮して、文化を地方に一番うまく広げていく方法は、次のような方法が一番有効でございますから、これは金も出すけれども、そういうことも進めてまいらなければならない。

 そういう中から、お互いが、まあまあ自分自身の生活設計ができるような、そういう社会にしていきたい。

 ご婦人が男性と平等にということは、これは当然当たり前のことであって、どうしたらそういうことがどのような家庭に対する理解、あるいは職場に対する理解、あるいはどのような施策によって、女性が十分に男性と仕事を分かちながら平等に自分の仕事をしていただくかといったようなことも、この生活大国にとっては非常に大切な問題です。

 第三の改革は、やはりこれも冒頭に申し上げましたけれども、我が国がどれだけ世界に対して、期待もされ、また責任も負うように、そんなような立場に立ったということについて、日本はこういう憲法を持っておりますが、できることとできないこととございます。これははっきりしておかなければいけないと思います。先年も、いわゆる平和協力等で国会で牛歩があったりいろんなことがございました。これはできることとできないことは、きちんと私は出しておかないといけない。

 ですから、日本はここへ来て軍隊の派遣という風なことは、これは我々に、日本の憲法でそういうことは簡単にできる訳ではないですから、できないことはできないが、しかし例えばカンボジアで橋をつくってくれ、道路を直してくれということは、これはできることであります。今まで法律がなかったからいたしませんでしたが、できることであって、今も数百人の方が行って、あるいは選挙を手伝うために文民警察の方が行かれた。貴重な若い方の命を失ったことは、実は私は大変に申し訳ないと思っています。思っていますが、お陰でああいう立派な選挙ができて、国づくりが進んでいるということについての、世界に対する貢献は、今度のサミットでも随分私は言われた。日本が初めてそういうことをしたいということを言われました。できることはやっぱりしていくべきだろう。勿論、財政的な負担も相当していかなければならないということは、これはもう当たり前のことで、今、日本は、世界に対する援助の金額では、世界一位でございます。アメリカより日本の援助額の方が多うございます。

 今度のサミットでもこの話が当然のことながらございましたけれども、先ほど申しましたように各国が失業に悩んでおる。経済が悪いということで、これ以上発展途上国を援助するのを財源がない。ロシアも援助しなきゃならないだろうから、財源がないということを言われました。日本はそれでも皆さん方のお力があって、それから十年間に、今までの五割増しぐらいはいたしますということが言える、ただ一つの国でございますけれども、やはりそういう国際貢献というのは、これから我々に与えられた大切な仕事であろうという風に考えております。

 もう一遍申し上げますと、やはり我々がこれから引き続いて政治をさせていただくということであれば、我々なりの政策、我々なりの考え方を皆様にお分かりいただかなければならない。それは一つは、政治改革ということでございますし、一つは、豊かな自分の生活設計ができるように。それはただ、物理的にと言いますか、家が広くなった、道がよくなったと、それも元より大事なことですけれども、社会全体にそういうおのおのの人が自分の、でたらめをしていただいたら困りますけれども、自分の考えで、自分の生活設計がやっていけるというような、そういうものは社会的にも作っていきたい。

 そして最後に、そういう日本というものはやはり国際的にいろんな貢献が期待される。それについては、できることはやっていかなければならない。我々が大変大きな軍備を持って世界のために貢献することはできません。そういうことは憲法が許しておりません。ですから、我々のできる方法で、いかに困っている人たちを救い、世界の平和のために働くということでなければならないであろうと考えております。

 そういう政策を進めまして、皆様方のご支援を得て、こういう内外ともに不透明なことの多い時期ではありますが、続いて政治をやらねばならないと思っております。

 ただ、お気づきのように、非常に情勢は私どもにとっては厳しい、言わば結党以来の危機であるという風に考えております。

 そうして、皆様から長いこと声援していただいてこられました田沢先生、まだ、お年でいえば上の方がたくさん実はおられますけれども、これだけのキャリアを持つ方はほとんど見当たりません。

 そういう意味で、大臣も何度もなさいましたけれども、これからもっともっと大きな仕事をしていただかなければならないと思います。

 竹内先生も、私は長いことご懇意にしていただき、一緒に勉強会などもしてきて、本当に身ぎれいな、清潔な、そして温かい、それはもう皆さんご存知の通りでございますけれども、名門の出身でもある。このお二人が座っていますと、お互いに一緒にやろうやと。実は仲良く皆さんに訴えておられるのは、本当に私はうるわしいことだと。それだけ皆さんが今までお二人を大事にしてこられたんだろうと思いますけれども、そう思って、裾の方でお話を拝聴しておりました。

 どうかこの優れた二人の、皆様方をお育てになった候補をどうぞよろしく皆さん方のご支援とご奔走をお願い申し上げたい。それによってまた私ども自由民主党が、皆様方の引き続いたご支援を得て、この難しい時期にある日本の内外ともに困難な政局を振り切ってまいりたい。

 今日は実は初めて東京を離れまして、ご支援に出るのにつきまして、この二人の私の古い尊敬する友人のためにまいりましたが、こうしてたくさんの皆様にお目にかかれましたことは、本当に光栄でございます。

 岩に爪を立てる気持ちで、今度の選挙をやらしていただきますが、どうぞ皆様よろしくご支援を賜りますように、心からご健闘をお祈りいたしまして、挨拶に代えさせていただきます。