データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 横浜駅西口における羽田内閣総理大臣の街頭演説

[場所] 横浜駅西口
[年月日] 1994年5月28日
[出典] 羽田演説集,104−110頁.
[備考] 
[全文]

 横浜市民の皆さん、こんなにたくさんの皆様方にお迎えいただきましたこと、心からお礼申し上げます。

 今日は、新生党の党首というよりはまさに連立内閣の責任者として皆様の前に伺っております。

 昨年の六月十八日、二十四年間お世話になりました自由民主党を離れることになりました。宮沢総理とはその日の夕方まで率直な、腹を割った話合いをいたしました。私からは「日本の政治を変えなければならない。この政治改革法案の審議の見通しが立たなくなってしまう。」また、宮沢総理も「もしこれをやり遂げられなかったら、日本丸は沈没する。国民の不信がある。政治改革法案が五年も通らなかったら、これは大変なことになるよ。」私は宮沢総理と率直に話しました。宮沢総理もここまで来たけれど自分でもう一度頑張ってみよう、ということでありました。しかし、内閣不信任案は可決され、ただちに解散ということになったわけであります。

 二十四年、そして、私の父親も戦後の政治に携わっておりまして、その時代も入れますと、三十五・六年位になるのではないでしょうか。そして、私自身も県連の会長をやったり、自民党の幹部をやってきた人間であります。本当に苦しい思いでした。宮沢総理には本当に折角ご努力いただいたのに残念でした。申し訳ありませんと、頭を下げながら白票を投じたものであります。それから選挙戦に入ったことは、皆様ご案内の通りであります。そしてここに集まります連立与党の仲間たち、その他に「さきがけ」ですとか、あるいは社会党の皆様方と一緒になりながら、新しい政治を興そうということで、細川さんを首班として歩んでまいりました。

 細川内閣はたった八か月で終わりました。残念なことです。しかし、私は、この八か月間というものは、けして{前3文字ママ}無駄な歩みではなかったと思います。ともかく政治が大きく変わったと思います。この壇上に立ちまして、集まっていらっしゃる方々のお顔を一人一人拝見いたしますと、時に、かつて私たち自由民主党がこういう場所に立ったときに、集まってくださってる皆さん方と違いました。ほとんどは、今日連立与党の人が話すらしい。ということでお集まりいただいた方々のようであります。私は、三十八年間続いた政治というのは、けっして悪くなかったと思います。しかし、残念ですけども、いろんな問題に対してものを感じなくなってしまうとか、先送りをしてしまうようなことがあったのではないかと感じております。

 国民の皆さんも、新しい内閣が方向を示すというよりは、むしろどろどろしたことしか発信されない。もう政治なんかなにもやってくれないよ、と投票にも行かなくなってしまう。投票率が三十何パーセントとか、四十何パーセントとか、そういう中で市政や、県政や、あるいは国政が行われている。まさに閉塞状況になっている。そんなものを打破して、こうして皆様方に耳を貸していただけるチャンスを作っただけでも新しい政治が興ったといえると思っております。

 国会とは、話合い、議論をし、そしてそこから、新しい方向を捜し出すものなんです。三十八年間の自民党政治が終わって、社会党の皆さんや、公明党の皆さん、あるいは、民社党の皆さんですとか、一緒にでたさきかげの人、新しく生まれた日本新党の皆さん、そういった方々と一緒に政治をやったわけです。そうしますと、おもしろいことがおこりました。ともかく同じ土俵の上で相撲をとるようになってきた。日本の国の安全保障はどう守ったらいいのか、北朝鮮の核の問題が本当に進んでしまったらどうなるんだろうか、そのためには日本の国としてはどういう行動をしたらいいんだろうか。こういう話をするようになりました。

 また、税金の話は、皆様から一票をいただく私たちにとりますと、絶対にやりたくない話です。福祉はどうします。保育園は、学校は、図書館は、福祉センター作りますよ、老人の介護のための人達をどんどん養成しますよ、採用しますよ、皆さんのところに送りますよ。これだけ言っていれば喜ばれる。しかし、本当にそんなことを実現できるはずはないんです。次の時代を考えたときには、税金というのも、やはり皆で考えなくてはいけない。福祉を増進させるためにはどうしたらいいのか、やはり広く皆で負担することを考えなくてはいけない。しかし、その中で困る人がいるだろう。こういう人にはどう対応するのだろう、政策とはそういうものです。甘い話だけでなく、きつい、苦しい話です。しかし、いままではあまり苦しい話はしなかったのです。甘い話だけだった。そんなことでは国はだめになってしまうわけです。子供や孫たちにちゃんとした日本を残してやることができないんです。この会場にも、おじいちゃん、おばあちゃんがいらっしゃる。私の祖父母も、終戦直後、私たちを育てるために自分の着るものを売ったり、遠くまでリヤカーを引いて野菜などをもらいに出掛けてくれました。我々の親たちは、私たちのために大変な犠牲になってくれたものです。今日の私たちだって、子供や孫たちのことを考えなくてはなりません。

 ともかく、辛いことを先送りするのではなく、皆が一緒に、語り合いながら、そういう道を開いていこうという政治が生まれてきたのではないでしょうか。この八か月間の社会党などとの行動は、決して無駄ではなかった。私はこれを誇りにしております。また一日も早く社会党の人達と一緒に仕事ができるようになればよいなと思っていることを改めて申し上げたいと思います。

 政治改革、行政改革、規制緩和、外交など日本にとってどうしてもやらなければならないこと、いくら小さな内閣がいうことであろうと正しいことをいう限り潰すわけにはいかない。謙虚に、誠心誠意努めていくという政治姿勢を持たなければならないものと強く思っております。もう一つは、そういう問題に対してできるだけ情報を皆さんに提供し、ご支援を頂かなくてはいけない。できるだけ目線を一緒にしながら、ある時には「お前がやっていること違うぞ」と怒られながら、お話をする。そんな中で世論の支持を得ながら政治をやっていく、これがやっぱり大事だと思います。

 私は、国会議員に立候補するとき、小田急のサラリーマンが国会に出てどうなのかなと考えました。親父は絶対出ないというので、止むを得ない、と思うようになりました。木曽の「島崎藤村記念館」に掲げてある「血につながるふるさと、心につながるふるさと、言葉につながるふるさと」という言葉があります。藤村が郷里で講演した言葉であります。私は、その言葉を頂戴して、「血につながる政治、心につながる政治、そして普通の言葉の通じる政治」を目指し二十四年間歩んできたつもりであります。小さな子供でもわかる言葉で話そう、お年寄りの人達もわかる言葉で話していこう、語りかけていこうということで、今日までやってきました。大蔵省やその他の役人さんにも言っていることは、君達は頭はいいことはよくわかっている。しかし、東京大学、京都大学の同級生と付き合っていてはだめだよ、役所同士の付き合いだけではだめだよ、一番大事なのは小学校、中学校時代の友達と付き合い、そうするとどんなに偉くなっても「お前」といった調子で怒られるよ、その時はじめて普通の大衆の声が聞こえてくるんだと。いくら優秀な人間でも、優秀な頭だけでものごとを進めちゃいけない、肌で感じたものをやってほしいと。役所には頭の良い人がいる。それに対して、政治家とは血や心を通わせるもの、まさに血につながる政治、心につながる政治なんですね、そんなつもりで、政治をやってきたんです。ですから、内閣が始まったときに、真先にやったことは街頭に出ようということでありました。もう一つは、目安箱。古い言葉ですが、FAXという機械を使っていただけば、どんどん私たちのところに皆様の声が届くようになってきた。一日に二百数十通以上届きます。しかもまじめな政策の提案がたくさん来るようになってきた。私は読むのがたいへん楽しみであります。この前十歳の子供からFAXがきました。「羽田さん、髭生やしたらどう。リンカーンみたいになるよ、とっても人気があがると僕思うんだ。」というんです。僕は「私の父親は、髭がありまして威厳がありました。うちの秘書官も髭があってとても可愛いですよ。私は、墨をぬってみたら残念ながらあまり似合わなかった。髭を生やすのは許してね。」と手紙を出しました。ある時は、韓国の女性から「私は、この国で生まれました。そして学校も出ました。生活しております。税金も払っております。私は日本語しか話せません。韓国に行ったら私はお客さん扱いでした。しかし、私は有権者としての一票がありません。私は日本という国が大好きです。なんとかこの国を良くするために、わたしも一票入れたいんです。」そういう手紙です。しかし、世界を調べてみますと、ほとんどの国が国籍をとっていただかないと駄目なんです。そのことを書いて送ったんです。大事なFAXは、できるだけ各省庁へ配るようにしています。これは文部省、教育の問題だよ、これは労働省、女性の就職がここのところ悪いんです。景気が悪くなると女性の就職がとたんに悪くなっちゃうんです。女子大を出て、総合職になろうと会社に資料を探しても、女子大生のところには、就職の案内パンフレットが送ってもらえないのです。女性差別ですね。この目安箱、得た情報を単に私が読むだけでなく、各省庁に渡して、返事を出してもらう。そして行政に取り入れたものは、皆様にご報告しています。

 長い間お話してしまいましたが、具体的な問題で二、三申し上げたいと思います。第一は、来年度予算です。これは、本当に誠心誠意をつくして、自民党の皆さんにも、社会党の皆さんにも、その他の各党の皆さんにもお願いして、これを一日も早く成立させたい。第二の問題は、公共料金を抑えること。ある人達は安易に公共料金を抑えるけれども、後どうするのか。そんなことよく検討もしないでやって少し無責任ではないかと怒られました。しかし、減税になったと思ったら、次から次へと公共料金が値上げされる。各企業は、不景気のなかで、人に辞めてもらったり、休業したりしているのに、公共機関だけが値上げすることは、なにごとだと。最近では「価格破壊」という言葉が、出てきました。一つの価格を破壊することは、しかし、誰かが無茶しますと、皆が少しずつ下げようという気持ちになっている。そういういろんなことが起きている。まさにこれは政治が一つの方向を示した。自動車会社の社長さんも、テレビ会社の社長さんも、「物価を下げることは大賛成です。規制緩和だけは是非やってくださいよ。」規制緩和は我々内閣の大きな目標です。規制緩和しますと、コストが下がります。生活が少しでも楽になる。私たちは、そういうことをやっていきたい。移動電話の電話機も今まで貸付だった。売りきりにしたら、いままで一万七千円位しましたのが七千五百円位で買える。需要が増えるから、いろんな産業が興る。そこに雇用が生み出されている。それからおもしろいのは、地ビール。こんど日本の場合でもこういうものを作れるようになる。互いに競争すると安くなる。間違いなく、いろんな味のビールが飲める。生活が豊かになって楽しくなります。そんなことができる時代になっています。

 公務員の人数もアメリカやヨーロッパと較べて、現状でも随分人数が少ないが、もう少し縮小できるのではないか。縮小できれば、行政サービスのコストが下がります。そうすると国も豊かになる。そういうことを私たちは、一つずつきめ細かくチェックしていこう。自民党時代には、こういう発想が生まれてこなかった。しかし、いま集まっている皆さんが一緒になることによって、そんな議論もし、そういったことをやらなければならない。

 この間、上智大学の教授と対談したんです。この先生が「この頃日本が、政府開発援助を途上国に対して出しているのは失敗じゃないのかと申されました。私は先生に申し上げたんです。「日本は地下資源がほとんどない。石油にしても石炭にしても、ほとんどゼロに近い、世界中が、理解して日本に売ってくれる。それを日本は頭を使って、腕を使って加工して、世界中の国に買ってもらっている。そういう中で今日の日本というのは成り立っている。

 だとすれば世界の国からほんとに信頼される、愛される国にならなくてはだめです。そういう意味で、私たちは、世界の国から愛される、理解される国にならなければいけない。環境の問題にしても人口の問題にしても、エイズの問題にしても、あるいは麻薬の問題にしても、核実験にしても。広島、長崎と同じような目にあって、こんな時に日本は、広島の経験、長崎の経験を生かすことができる。ですから、お金を出すだけでなく、いろんな技術、そして、平和の中でこの国を作り上げたわけです。平和の中で作り上げたということは、日本という国が戦争で侵した、よその国に迷惑かけてしまった。深い苦しみ、痛み、また日本が何かするのではないか、それではいけない。日本は、平和の中で現在の姿をつくりあげたわけです。平和の中で技術、そしてお金を蓄えることができた。このノウハウを利用して、世界の国に貢献し、役割を分担していきましょう。中欧、東欧、ロシア周辺、それからアフリカとか、アジア周辺、みんなが歴史的繋がりのある国なんです。日本一つの国だけで、アメリカだけに協力しましょうといってもだめなんです、アジアの国の中でも、協力しようという国がどんどん増えている。日本人の生活をあげることは大事です。同時に世界の国に愛されなければいけない。そういう国の人達と協力していく、お手伝いをしていく、これが日本の進む道だと思う。戦争が終わった、核の戦争はなくなるだろうということは事実なんです。日本はそうじゃないのかといわれたりする。しかし、この内閣は、むしろ対話を世界のために役立たせよう、平和の経験を生かしていこう、こういうつもりで対応しています。私は反省すべきところは反省する、小さい子供たちに伝えていく、戦争がいいことではないことを伝える。また、そのことを、世界に訴える。誠心誠意やるならば、自由民主党の皆さんも、社会党の皆さんも、必ず理解していただけるものと、そして正しいものならば、必ず支持してもらえると、私は確信しながら政治を進めていきたいと思っております。そして、私たちの子供や孫達に、「僕は日本人です」、「私は日本人です」と誇りをもっていえる日本を目指します。

 大学時代には遊んだものです。儲からない仕事をやってみたり、自由にものごとをやってきた人間です。政治家になりましてからも、ひたすらに、政治改革であれば鬼だといわれました。しかし、まず政治改革をやることが大事なんです。経済改革は痛みを覚える人だっているんです、そういう人に理解していただくためにも政治改革をまずやらなければならない。少ない人数ですから、ただひたすら努めます。内閣の延命は考えません。皆様方のいろんなご意見をお寄せいただきたいと心からお願い申し上げます。どうもありがとうございました。