データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 日本記者クラブにおける羽田内閣総理大臣の講演

[場所] 
[年月日] 1994年5月31日
[出典] 羽田演説集,124−145頁.
[備考] 
[全文]

 今日は、今、お話がありましたように、この伝統ある日本記者クラブでお話することが出来ますことを大変光栄に存じております。

 たしか私は農政の問題、あるいは財政でしたか、大蔵大臣のときに、それからたしか外務大臣のときには二度ほど伺ったような記憶がございますけれども、再びこうやって皆様のところに伺うことが出来ますことを大変光栄に思っております。

 今、三十六日ぶりということでありましたけれども、多分これは二十五日に指名を得た、その日からだと思うんでございます。

 いずれにしましても、私はそれこそ思いもかけないという言い方をしますと、よくおしかりを受けることがあるんですけれども、正直なところ、自らも望まず、思いもかけず、この地位に就いたと言って差し支えないと思っております。

 私は自由民主党を離党いたしますときにも、そして選挙に望みますときにも、自らが権力を取ろうということ、それよりは今の政治改革がああいう状態の中でこれがだめになってしまったならば、日本の国というのは大変おかしな方向に行ってしまう。当時は宮沢総理も思いもかけないことが起こる可能性があるだろうということを言われておった訳でありまして、そういったものを回避するためにも、改革をあれだけ言ってきた以上、あのままあそこの席に座っている、あるいは信任してしまうということは許されないだろうということで、飛び出たというのが率直なところでありまして、政策がお互いにぶつかってしまって飛び出たとか、あるいは何か個人的な争いによって、怨念によって飛び出た、そんな性質のものではないということだけは明確に申し上げたいと思います。

 それと同時に、もう一つは、私どもは、私自身権力を求めずということを実は申してきまして、ともかく今までは自由民主党と社会党の五十五年体制というのが続いてきたけれども、我々が飛び出ることによって、そして今、お互いに合意をしながらこの選挙戦に臨んでおる、この闘いが終わるならば、今まではまさに水と油みたいな関係であった社会党と一緒になることになるだろうと。しかし、私たちはそこから日本の新しい政治というものを求めていきたいと。

 そして、よく野合という指摘があるけれども、アメリカではクリントンさんとエリツィンさん、あれはアメリカではなくてカナダのモントリオールだったですか。お互い抱き合いながら次の新しい時代の国際秩序というものをどう作ろうかということを語り合っておると。そういう時代なんであって、ここまで来た日本の国が、何故イデオロギーだけで真正面からぶつかって、同じ一つの土俵の中で相撲が取れないのかということを言いながら、私たちは社会党と一緒になるであろうということを申し上げました。

 ただし、私自身が権力を握ろうと、権力を取ろうというつもりはない。むしろ、そういう中で調整をしながら、お互いに必ずぶつかり合うだろう。だとするならば、それを調整しよう。そして、それを支えていこうということを申して、この八か月間を過ごしてまいった訳であります。

 その意味で、自らがこんなに早く権力の座に就くということになるとは、思ってなかったことは、これは心外であったというふうに思っております。

 しかも、その私がスタートすることになりましたこの政権は、まさに少数与党という、日本の歴史の中では大変まれな少数与党の上に乗った政権であるということ。この中でこれからの政治を運営していかなければいけないということで、いろんな国の方々も関心を持たれますし、また、私に対してもいろんな方がどうやって運営していくんですかということを聞かれる方、また、日本の国はどうなっちゃいますかということを聞かれる方が大変多うございま す。

 ただ、私はそのときに申し上げますことは、今、日本が当面する内外の課題というものは、外に向かって日本がしなければならないこと、内の中に積み重ねられた大きな課題というのは、一つの政党は、この政党の場合にはあるいは違うかもしれませんけれども、今、自民党でも、あるいは社会党、さきがけでも、避けて通れない問題であろうという、ことを申しておりまして、その意味で、私たちが皆さんの意見も聞きながら、これも自民党も社会党もですけれども、意見を聞きながら、この問題を進めるのであれば、必ず協力はいただけるものであろうと確信をしております。

 ですから、少数政権であるけれども、これらの難しい問題に対して、案外私はこれを乗り越えていくことが出来るのではないかということを実は申しておるところであります。

 そして、幸いなことに、日本の国というのは、国の力というものもある程度付いてまいりましたけれども、国民も非常に冷静に物を見ておるということ。

 一方では、官僚によって振り回されているんじゃないのかという指摘がありますけれども、しかし一方では、官僚の人たちが非常に、政権がどうだということに惑わされることなく、非常に優秀な人たちが一つずつ積み上げ、しかも継続性を持ってやっておる。一貫性を持って物事をやっておる。このことがあることもありますでしょう。

 いずれにしても、日本の政治というのは、多少政局というのが動いたとしても、そんな大きな変化というものは起こらないでしょうということを実は申して、いい意味で、要するに悪い意味での変化というもの、大変な混乱に陥ってしまうということはあり得ない。勿論、政治は時の政権によって、多少の方向性とか、そういったものは変わってくるでしょうけれども、しかし、基本は変わらないでしょうということを今、申し上げておる訳でありますけれども、いずれにしましても、私たちは新しくスタートしております。

 ですから、その意味で、先ほど申し上げたように、山積する課題というのは、避けて通れない問題であるということでありますから、私どもといたしましては、政治改革の問題、経済改革の問題、行政改革、こういった問題、あるいは税制の問題というのは非常に難しいことは承知しておりますけれども、私はやはりこの問題と真正面から取り組まなければいけない問題であろうと考えております。

 それと、これは行政改革にもつながりますけれども、地方分権の問題というのも、何とか一つの方向を見出していきたいと考えておるところであります。

 さて、今日は、そういうことで我々はこういう難しい問題に対し、少数政権でありますけれども、私はこれを逃げることをせずに、真正面から取り組んでみたいと思っております。

 まあ、政局については余り細かいことを今日は申し上げる気はありませんけれども、また、ご質問があればお答えすることにいたしますけれども、いずれにしましても、一つの、揺籃期と言いますか、大きな爆発がある。そして、マグマが全部山から飛び出してしまったのではなくて、まだマグマは山の中に残っておる。山の底に残っておるということで、まだ揺れてく。そして、あるときにはこれが爆発する可能性があるという、ちょうど揺籃期であろうと私は受け止めております。

 ですから、多少日本の政治、これからも動きがあるだろうと思っておりますけれども、しかし、底流はそんな大きなむちゃくちゃなことになることはない。むしろ、今まで真正面から対立しておったのが、同じ土俵の中で相撲が取れるようになっただけ、むしろそういう面では私は安定していくんではなかろうかという見通しを持っておるということを申し上げることが出来る訳でございます。

 さて、これについて、ちょっと私、解説しておきたいと思いますけれども、社会党が離脱したということについて、国会でも今日も実は、これは民社党の委員長さんの方に質問があったりした、今日は私に対してではありませんでしたけれども、質問が今日も実はこの問題があります。

 この問題については、何かまた特別なパワーが動いたんじゃないかなんていうことを言われておりましたり、お前さんが知らなかったというのは、少しは不明じゃないかというので、あちこちから笑われたり、怒られたり、馬鹿にされたりしております。

 これについては簡単に申し上げておきますと、私は前からテレビなどでも出演をいたしましたときにも申しておったんですけれども、この八か月間と言いますか、あるときには七か月間でもありましたけれども、ちょうどあのときというのは、みんな大きな課題だったんですね。

 例えば、ウルグァイ・ラウンドの問題にいたしましても、選挙制度の問題にしましても、税制の問題にしても、日米の問題にしましても、なかなか難しい問題で、リミットがある問題でありました。ですから、確かに一つ、相当強い姿勢で臨まなければならない。だれか中心である人たちが動かなければならない。そして、党の方が動いてくれないと、内閣が幾らやろうとしても、法律やなんかにしなければならない問題は、党に動いてもらわなければならないということで、党が相当な力を振るっていたということは間違いない事実であり、また、そうでなければならなかったんだと私は評価をいたしております。勿論、いろんな反省をしなければならないところでもありますけれども、評価をいたしている訳であります。

 いずれにしましても、そういうものを振り返ってみて私が思いましたことは、余りにも多いグループでは、なかなかいろんな物事を進めていくことは大変だと。いちいち党に持って帰らなければならないということで、これは非常に大変なことで、出来うれば私は数の少ないグループに集約してもらうといいと。一つの政党になればいいけれども、なかなかそれは無理だろうと。取りあえずはまず一つのグループが出来てくるといいということを実は言っておりました。

 ですから、首班指名の四月二十五日でありましたけれども、確かあの日の午後一時か二時ごろに、ちょうど参議院に行くときの間だったんですが、党の本部に寄りましたときに、ちょうど代表幹事の小沢君がおりまして、彼と話したときには、実は今こんなような動きがあって、こんなふうになっておりますよという話を聞きました。

 それから、参議院が終わって、官邸に行ったときですかね。そうしましたら、ちょうど大内委員長が記者会見をおやりになっておりまして、こういうことでこう進んでおりますという話です。

 そのとき私は小沢さんと会ったときにも、大内さんのテレビを見ておりますときにも、さて、社会党や、そういった各皆さんはどうなのかという実は思いがあり、これは小沢君に対しては、私は一体どうだったんだという話を聞きました。いや、それが今度は実によくやっていただいて、社会党も理解をしてもらったんだと。その後、テレビを見たときに、大内さんはまさにそのことを語っておられたということで、これはよかったなということで、実は私はほっとしたということであった訳でございまして、その後、夜になってから、どうも何かいろんなものの報告が少しおかしいと思っている間に、ああいうことがだんだん表に出て来、そして、いわゆる組閣について説明をいたしますときに、その話を聞いて、私は実はびっくりした訳でございますけれども、それが実は本当のところでありまして、組閣の日とか、首班指名を受けたときというのは、陣容が官邸の中はがらっと変わってしまうということで、情報が案外入りにくいということがあるんです。

 そういったことのために、しかも連立与党という非常に難しい、連立政権という難しいものであるということでありまして、その辺りに結果としてああいうことになってしまったということで、私は大変残念に思っておりますし、まさに社会党にしてみれば、本当にみんなが理解してなかったとすれば、本当に後ろ足で砂をかぶせられたと言うと、外国の方に分かるかどうか分かりませんけれども、いずれにしましても、そういう思いを持たれるのは、やむを得なかったのかなという思いをいたしておるところであります。

 その意味で、社会党の皆さんには、しかし、あなた方と歩んできて、私は八か月間、困ったなと思ったり、どうしてんだと思ったことはあるけれども、しかし、一緒に歩んで、一緒にだんだん歩み寄ってきたこと。例えばみんな世の中の人たちは社会党だけが歩み寄ったと思って、大変だ大変だと言っている訳ですね。

 しかし、我々どちらかというと、PL法にしても、情報公開なんていうことに対しても、どちらかというと躊躇する政党の方にあった人間なんです。しかし、今ではむしろ積極的にそういったものを進めましょうということは、むしろ向こうの方に歩み寄ったので、我々の方が垣根を越えたのであって、お互いに垣根を越えてきた。お互いにつらい思いをしてきた。

 しかし、つらい思いをしたかもしれないけれども、やっぱり新しい時代の、これから我々が目指さなければならないものというのは、そういうもんだったんだろうと思っている訳でございまして、私はこの八か月間の歩みというものは、日本の政治というものを変化させる新しい一つの方向が、間違いなく私は見えてきたということで、この八か月間というものは誇りに思っておりますし、評価をいたしております。

 その意味で、社会党、いろんな問題があったんでしょうけれども、しかし私は、せっかく歩んできた道、このまま放っておいていいのかと。むしろ共に一緒に仕事をしていくことが出来ればという思いを、今でも強く持っていることをこの際明確にしておきたいと思います。

 それともう一つは、先ほど申し上げましたように、政策の面では、今の課題はどの政党が政権を取ってもやらなければならない問題であるということを考えたときに、私はこれは率直に自由民主党の皆様方とも話し合う機会があれば話合い、この間河野さん、森さんともお話した訳でありますけれども、自民党とも話合いながら、協力して、今山積しているこの課題だけは何とか片づける。成立させていく、それをこれから進めていきたいと思っております。

 ですから、その意味では改革、そして併せて私が掲げた旗は、もう一つの旗は、協調という旗を実は掲げておる訳でございまして、これから改革と協調ということを基本にしながら、謙虚に、誠心誠意私は働いていきたいと考えております。

 さて、いろいろなことを申し上げていきたい訳でありますけれども、特別な課題といたしまして、私どもが持ちますものはやはり改革ということでありまして、これは先ほども申し上げました幾つかの改革があります。

 そしてまず何としても最初にやらなければいけないのは、政治改革を完成させることだろうと思っているんです。そうでなかったら、人はどう考えるか知らないけれども、私は日本の政治は、日本の国は変わらないと思っております。経済の方を改革しなさい、行政の方を改革しなさい、政治は変えませんよ、これでは私は許されないと思うんです。

 しかも、七十年間続けてきた選挙制度でありますから、これはだれもが郷愁を持つことは当然でありますし、私の場合には、父親と私と合わせて五十年以上掛けて私が選挙基盤というのはつくられてきた訳でありますから、これが変わったら私自身当選出来るかどうか分からない訳でありまして、こんなことちっともやりたくない訳です。それで私の場合には、費用も何にもそんなに大きく掛けない。むしろみんなのボランティアのような中で選挙は出来たんです。その選挙区を失うなんてことは絶対にいやなんですけれども、しかし私自身が残っても、日本の国の政治が変わらなければしようがないと思ってやっている訳なんです。

 ですから、今日はくどく申し上げません。一つは、やはり複数が選ばれるという中で本当の議論が出来ないということがあるということ。だから一人が選ばれるということになると、やはり責任ある発言、そして政党が背景にあるから、本人が言わなくても政党がどんどん前に出てきて説明しますから、税の問題だって今までは政党の方は出ていけなかったんですね。同じ政党から三人も四人も立候補しているものですから、政党は出ていかなかった。ですから、みんなが言わなかったら、だれもその地区では税の問題について語られなかった。ウルグァイ・ラウンドの問題についても、だめだったらだめと言うだけで済んでしまったということだろうと思うんです。

 ですけれども、これからは一々踏み絵を踏まされる訳ですから、責任ある回答をしていかなければいけない。責任ある自らの政治行動の方針というものを打ち出していかなければ許されないということ。それによって選ばれた人たちが国会に出てくれば、また真っ正面からの議論が出来るだろうと私は思います。

 それから腐敗防止的な問題にいたしましても、これは個人的に政治倫理というところから人間的な問題が全然皆無かというと、そんなことはないんですけれども、しかし、結局一番の元というのは、選挙制度が複数を選ぶということですから、複数が一つの選挙区から選ばれるものですから、結局複数を当選させたい、過半数を当選させたいという政党は三人区であり、四人区であるにもかかわらず、三人も四人も五人も立候補してしまうということで、後援会、自分党という「党」を作っている訳ですね。そのための費用というものを自分で無理して集めなければならなかった。それが大変な問題を起こしてきたというところにつながることでありまして、私はこの問題を追求するということも大事であるけれども、やはり根っこを断ち切らないことには、本当の改革は出来ないであろうと思っております。

 そしてこういうものが出来上がったときに、勿論政党も変えていくし、当然候補者の選定なんていうものもいろいろな、一回では出来ませんでしょうけれども、二回三回のうちにはちゃんとしたものが出来てくる。そういう中に、人格、識見ともにすぐれた人たちが出てくるようになるだろうと思っております。

 そういう中で、いよいよ本格的な政治というものが日本に起こってくると思います。そして自らの選挙区というものを、自分が落選するかもしれないことまでやったとなる。これを国民が理解してくれたときに、ああ、政治は本当に動き出したぞ、やる気になったぞということで、政治の場から発信するものが国民に受けていただけるようになるだろう。そこに私は日本の政治、日本の国は変わると思っておる訳であります。

 そういうことで私どもは、せっかく各制度は全部法律が出来上がった訳でありますから、後は選挙区の区画、要するにどことどこの町村と、どことどこの町村というこの区割りだけがまだ法律として残っておる。そしてこれを実施する日にちだけが残っておるということでありますから、一日も早くこの区画というものを作って、新しい制度を作ったんですから、この下で解散をするということが望ましいんだろうと私は考えております。

 中選挙区でやればいいじゃないか、私は後戻りしてしまうと考えておりますし、また、中選挙区でもしやった場合には、政治資金規正法について、そのほかの法律についても実際に動かないということになってしまう訳です。そうすると、本当に元の木阿彌になってしまって歯車をまた元へ戻してしまうという結果になるということであります。そういう意味で、私は何としてもこれを戻してはならないと思っております。

 そして私がこの間話しましたらある政党の方が、羽田さん、そんなことを言ったって、その次の中選挙区で選挙やって、出てきた人がこれをつぶしてしまうかもしれないと言ったけれども、それが世論じゃないかと言うけれども、私はそうじゃないと思うんですね。この中選挙区で出てきた人はこの選挙で当選したんだから、またそれを主張する可能性というのは非常に強くなっておるということで、私はやはり出来得る限り解散はこの新しい制度の下でやるということが大事だろうと考えております。

 それからもう一つの改革というのは、これは行政の改革、あるいは地方分権、こういったものが重要であろうと思っております。

 行政改革について今さら細かく申し上げることはよしますけれども、何といっても今まで土光さんが会長をおやりになりながら、土光臨調の中で物事を進めてきた。この中では、公団、例えば今、NTTになった、あるいはたばこですとか、かつての国鉄ですとか、こういったところが全部民営化されたということで非常に大きな成果を上げたと思っております。

 また、私自身が担当しておりましたのも、郵政省の現場ですとか、あるいは農林省の食糧事務所ですとか、統計事務所ですとか、営林署の職員の方々ですとか、こういった方々の人員を削減するということ。その代わりどうしても必要な外務省の職員なんかを少し増やすと。片っ方は大きく減らす、片っ方は少し増やすというようなことで、相当大きな成果を上げてきたと思っております。ですから、これからやることというのは、そんなに大きな成果を直ちに上げるということは難しいだろうと思っております。

 しかし、特殊法人は相当まだ問題がありますし、また、特殊法人にもいろいろな問題があるということ。特殊法人がいろいろなものを逆にねじ曲げちゃっているじゃないかなんて指摘されるところもあるということ。

 それから役所なんかについても、そこを、そのものをいじらなきゃだめじゃないかという話もあること。

 これはそう簡単に出来る問題じゃありませんけれども、その方向というものをきちんと示していくことが今、我々に対して望まれているところであろうというふうに思っております。

 特に財政が二百兆円も超えるような、いわゆる国債というものを発行しているような状況の中で、財政を健全化させるためには、何といっても行政改革をするという努力がなかったら、ただ税だけやりますと言ったって理解してもらえないということを考えたときにも、やはり行政改革というのは本気にやっていかなければならないだろうと思っております。

 そしてもう一つの地方の分権という問題がある訳でございますけれども、この地方分権につきましては、年末までに大綱を作ろう、そして来年に法律にいたしましょうということで今、方向づけをしながら我々は作業を開始し、今度は起草する人たちの小さなグループのメンバーもこの間決めまして、私自身出ていって皆様にお願いを申し上げてまいった訳でありますけれども、やはり地方分権というのは本当にやらなければならないと思っております。

 というのはやっぱり、中央に余り大きな権限が出てきたということ。そしてかつて日本の国が新しく戦後出発するときにはこれでよかったのかもしれない、あるいは明治維新で日本の国が出発するときにはこれでよかったのかもしれませんけれども、しかしここまで日本の国が大きなことになってきますと、何でも中央でやるというのではこれはどうにもならないということ。

 例えば福祉でも、身近なものは身近なところでやるということが非常に重要なことになってくるでしょうし、教育の一部なんかもそういったことが言えるんだろうと思っております。

 そして地方も大変やる気になってきまして、歴史とか、あるいは置かれた自然環境ですとか、そういったものを土台にしながら特色のあるものを作り上げていこう。そういったことがそこに生まれ住み、働いていく人たちに一つの誇りとか、あるいはやる気を起こさせる。こんな気概というものが地方に生まれてきたということで、ちょうどいいチャンスであろうと思っておりまして、その意味でも、今、このときに方向づけ、やはり政治が大きく変わった、こういうときじゃないといけないのではないかと思っておりまして、この地方分権という問題についても、財源問題も含めてこういった問題に対して対応をしていかなければいけないだろうと考えております。

 それからもう一点は、経済の改革ということであります。この経済改革につきましては、日本の経済というのは今日まで非常に順風満帆といいますか、途中でいろいろなものがありましたけれども、順風満帆でここまで来たと言っても差し支えないと思います。

 しかし、大きなパイを作る、そしてそれをうまくこうやって分配するということで今日まで来た訳でありますけれども、ただ大きなものだけではやっぱりいけないということ。

 それから、我々はシェア戦争というものをそのためにした訳ですね。しかし、シェア競争をするがために利益率は低くて、それで進めているということがよその国にとってみれば、失業を日本は輸出してくるなんていうおしかりにもなったりなんかしているという現状もある訳でございます。

 こういうものを考えたときに、それからシェアを大きくするといったときに、どうも国民生活といいますか、そういったものがどちらかというと置き去りということじゃない、給与は間違いなくすごい勢いで伸びてきて、世界の最高の部類に上ってきた訳でありまして、それでは、本当に可処分所得といいますか、いわゆる本当に所得に見合った購買が出来るかということを言われたときに、なかなかそうでもないという悩みというのが出てきておる。立派なビルは出来ました。若い人たちはみんなそこから出たり入ったりしている。また、中年のサラリーマンもそうであります。

 しかし、追いかけていくと、とんでもない遠いところの小さな一部屋に住んでいる人、あるいは家を持っているといっても、二時間、あるいは二時間半も掛かってようやく家にたどり着く、あるいはそこから出てくるという方、そしてローンは追い回されているということ。こういうものを考えたときに、企業が非常に大きく立派になったけれども、それでいいのかということが実は今、問われているんじゃなかろうかと思っております。

 それと今、自動車ですとか、あるいは家電製品ですとか、ともかくどちらかというとそういったものが今日の日本の経済というものを支えてまいりましたけれども、各家庭でもみんな自動車を一台、あるいは二台、まあ三台持っている家もあるでしょう。テレビなんかでも各家の中に幾つも持つようになったり、あるいは電話なんかについても、まあこれは端末が幾つかぶら下がるということもあるんでしょうけれども、そういうものも行き届いてきたこと。最近では電子関係のものも相当多く各家庭の中に入り込んできた。

 ですから、こういったものだけど、本当にこれから日本経済いいかねというと、なかなかそうじゃないという考え方があります。

 そういうときに、最近では私ども、たしか郵政の政務次官をやったりした関係で、電気通信だとか、そういった問題について勉強しているころから一つの理想みたいな形で言ってきたんですけれども、最近では、各政策官庁が、その問題を語るようになりまして、高度情報化社会ということを言われたり、あるいはマルチメディアという言葉が言われておりますけれども、アメリカでも、NIIと言われたり、GIIということを、グローバルといって、もっと国際的なものをというふうな言い方をされるようになってきましたけれども、私ども実はこれを追い求めておった訳ですけれども、そういったものをする中で新しい産業なんかが起こってくる。それと同時にソフト産業なんかもまた生まれてくるであろうということで、そういう意味での改革もしなければいけない。

 それから日本のサービスなんてものも、余りにも行き過ぎなんじゃないかと。これはうっかりしたことを言うと怒られますけれども、スタンドに行くと、三人、四人の人たちがさっと飛んでくる。アメリカのある方が、これで日本の失業者というのは救われているのだなという話をされて、ああそうか、そういう見方があるのかという思いをしたことがあります。

 しかし、こういったものも、これは一つだけ例に挙げた訳ですけれども、デパートに行ったら、何に行ったらって考えていただければ、相当そういったところにサービスする、それが失業というものを救い、そして結構その人たちもある程度の生活をみんなするようになって、これはいいことだったんだけれども、もうちょっと限られた人的な資材、資源というものを有効に活用していくことも大事なんじゃないか。失業をみんな心配するんですけれども、つい最近までは人が足りないから、あの国からもこの国からも人が欲しいなんてことを言っておった日本なんです。あっという間に今度は失業、雇用の問題を心配するようになっておりますけれども、しかし将来は、必ずまた人が不足するような事態が起こってくるだろうと思っております。そういった問題なんかについても考えなければいけない。

 という意味で、企業はバブルがはじけたということがありまして、リストラ等をやっていらっしゃるということで、産業のこれからの行き方というものも変えていかなきゃならないし、あるいはサービスの在り方というもの、いろいろな問題で構造改革していかなければならない。これが今日であろうと思っております。

 しかし、そういったものをよりよく進めていくためには、何といっても規制緩和なんて言うこと。規制緩和というのはこのごろはやり言葉みたいになって、何か規制緩和というと物ごとがすべて進み、規制緩和ということになるとすべてがうまくいくんだというように取られたり、また、お前そんなつもりでいるんじゃないのかと、国会でも怒られることが多い訳でありますけれども、規制緩和は決して何も、そんなたやすい話じゃありませんし、大体反対がなかったら本物の規制緩和じゃないぞと言ったら、ここのところあちこちからおしかりを受けているので、だんだん本物になってきているかなと思っておりますけれども、やはり規制緩和というのは痛みが伴うものであるということであろうと思っております。

 しかし、経済界の方も、あるいは労働界の方も、きついけれども、厳しいけれども、やはり今やってもらわぬと困るねという声が方々から出てきておるということでありまして、我々としても、これは今どうしても進めなければならないだろうと思っております。

 携帯電話がこの前、これは貸出制を売切制にしたんですかね。それをやることによって効果が、基本料金が月額が一万二千円から一万七千円ぐらいだったものが、七千五百円から九千五百円ぐらいで、契約台数というのが十万台ぐらいになって、それで月の平均が大体、純増数というのが約三倍になっておるということで、企業も数社だったものが今二十社を超えておる。しかもよその国から入ってきておるということでありまして、そういった面白い現象も起きております。

 また、住宅建築についても、地価というものを容積率の中にチェックしないということになりますと、これは本当にコストが下がるということ。ですから住宅を持とうとする人たちは大変いいということでありますし、また、こういったことによって、すぐお金を計算する人がありまして、これだけで九百億円ぐらい新しく生まれるであろうなんていうことが言われておりまして、そういったことなんかもあります。

 それから、自動車の点検ですとか整備なんかの問題についても大分みんなの負担が安くなるということ。

 あるいは、地ビールというものがありますけれども、これはもう今まで数社だったビール会社、これが地酒と同じように各地方、ドイツだとか、ヨーロッパの方へ行きますと、どこどこの州、あるいはどこどこの村のビールなんていうので私たち楽しむことがありますけれども、そういった楽しみというものをまた、我々も享受することが出来るというようなことがあります。

 この後、土地だ、情報通信は先ほどのマルチメディアなんかやるためには情報通信関係についても徹底したリストラを、いわゆる規制緩和というものをしなかったら、本当の意味で起こってこないだろうと思っております。

 いずれにしましても、経済改革を進めるためには、どうしてもそういったところに、これも手をつけなければいけないだろうと思っております。

 そして、私ども対外的な問題でもいろいろな大きな問題がありますけれども、木材なんかにしても、また薬品なんかの場合もよく言われましたり、肥料ですとか、餌ですとか、そういった問題についてもいろいろな規制がある。あるいは基準だ、認証だ、いろいろなものがありまして、なかなか入れにくいということがあります。

 ですから、我が国は今、市場開放しましょうと、その気になっておるときでありますから、その意味でも、規制の緩和とか、基準、認証というものを外したり、あるいはそういったものの適用というものを緩めていくことをしてかなければならないのだろうと今、思っております。

 それともう一つはやはり内需、経済運営そのものもどちらかというと今まで輸出主導ということだった。これは輸出主導だけでもなかったんですけれども、内需、これを主導型にしていくということ。輸出に依存するというより内需主導型に。

 ということは、やはりいい意味での社会資本整備というもの、いい意味という言い方もちょっとおかしいですけれども、社会資本整備、先ほど申し上げたような、マルチメディアを進めるためにはどうしても光ファイバー等相当敷設していかなければならないということ。

 それから国際社会から、日本の場合には基礎科学なんかについての恩恵を受けてきた訳ですけれども、これからは恩恵を受けるだけではいけない、やはりお答えをしていかなければいけない。そういう意味でのそういった研究機関、研究施設といったものについての整備なんていうものもしていく。これは新社会資本というのを私たち正式に認めた訳じゃありませんけれども、しかし、新社会資本なんていうことも言われておる訳で、そういったものなんかもこれから考えていかなければならないだろうというふうに思っておりまして、経済全体を大きく改革していくことが必要だろうと思っております。

 時間がまいりましたので、そろそろやめたいと思いますけれども、あと、五分だけよろしゅうございましょうか。時間をいただきたいと思うんですけれども、やはり、この間公共料金についておしかりを受けたり、ほめたりしておりますけれども、いずれにいたしましても、企業がみんなリストラしております。経済を刺激しましょう。そのときに公共料金だけ上がりました。これは、なかなか国民に理解されないということであろうというふうに思っております。決して安易な料金の値上げじゃない。今までむしろ抑えられていたから一遍に出てきたんだろうというふうに私は、今、善意に解釈をいたしております。

 しかし、一遍に出てくるということは問題があるということでストップをし、そしてコストのあれ等について、点検をするように実は今日閣議でも決定をいたしたところでございまして、来年の一月からこれは一遍にまたあのまま上がるというものではないんだということもこの機会に申し上げておきたいと思います。

 それと同時に、やはり日本の物価というのが、ロンドンだ、やれニューヨークだ、やれボンだ、パリだ、いろいろな国の主要都市とかと比較しますと、何十パーセントか高いという現状。これは基礎物価が高いというところに問題があろうということでありまして、こういうものの、これはただ機械的に抑え込むのは簡単に出来ない。変なことをやったらいびつになってしまうし、自由経済というものを進めようとしている者がそんなことをすることは出来ないことはよく承知しております。

 しかし、先ほど申し上げた規制緩和をしたり、あるいは内外価格差という中で、特に輸入したものが、流通ですとかそういった中で上がってしまっている面なんかがあるということがあります。

 ですから、やはり我々が考え、そして方向を示すことによって、そういうものの努力というのが行われる。既に私は、細川内閣のときから提言してまいったんですけれども、もういろいろな皆さん方にお話し掛けをしてきましたら、今スーパーでも、あるいは百貨店なんかでも、例えば内外価格差縮小のためにコーナーなんていうのを設けて、わざわざこれだけ安くなっているんですよというのを見せながら売っている店なんかもだんだん出来てくるということでありまして、また、今、価格革命なんてことが言われたり、価格破壊なんてことも言われておりますけれども、ともかくそういう動きが今ちょうど出てきておるということでありますから、このときをとらまえながら{原文ママ}ですね、そのかわり賛成のところに対してどういう対応するかということも我々合せて考えながらやる、これがまた協調でもあろうかと思いますけれども、革命をやるつもりはございませんけれども、やはりこの面でも改革をして、それをすることによって、余りもこれからはやたらに給料は上がっていきません。なだらかなものだと思います。あるときは上がらないかもしれない。そのときに物価が少しでも下がっていくということになったら、下がっていくといいますか、ある程度下がるということになれば、みんなの生活も、内容というものは更に高いものになるだろうということを考えたときに、こういった面についても、常に我々内閣としては注視していきたいと考えておるところであります。

 さて終わりに申し上げることは、私ども外交ということが非常に重要なことになってきております。私は、政権が出来ました五日後にはイタリアにおりました。何でそんなむちゃなことをやるんだという批判する方がありましたけれども、しかし私はあの連休というのを無駄にしたくなかったからであります。いろんな国、アジアの国も本当は行きたいと思ったんですけれども、残念ですけれども、一月に細川さんが行くと約束していたものですから、これをほごにしてはいけないということのためにヨーロッパに行きました。

 しかし、ヨーロッパに私が行きました一つの理由は、ナポリサミットということもありますけれども、それだけではない、また約束があったというだけではない、やはり日本の国はこれから世界の中で生きていくために、今日の日本を作り上げるためには、世界中からいろんな意味での協力というものをいただいてきた。そういうことを考えたときに、やはりお応えをしていかなければならないということを考えると、中欧、東欧に対して、中東に対して、アフリカに対して、あるいはアジアに対しても中南米に対しても、一番ノウハウを持っているのはヨーロッパなんです。いろんな議論はありますよ。しかし、歴史的にもあるいはその後のいろんな関係からいっても、一番そういうことに対してノウハウを持っているのはヨーロッパであります。その意味でここの首脳たちと本当に隔意ない話合いが出来る、そのチャンスを作ることはどうしてもやはり必要であると考えまして、ヨーロッパに行ってまいった訳であります。

 私が申し上げたいのは、ヨーロッパに行ったということだけではなくて、そのようにして日本の国は、これからただどこの国が動きました、それじゃ私も動きますというのではなくて、日本自らが主体性を持って積極的に動いていく。日米の包括協議についても、残念ですけれども、不調に終わりました。しかし、私は不調に終わった瞬間に、一緒に行った各役所の代表の諸君に対して言ったことは、これでほっとしちゃいけないと、ノーと言ったなんていうので余りのんきな顔をされては困ると、ともかく黒字がたくさんあり過ぎるから問題があるんだから、これは自らが主体性を持ってやるべきだと、帰ったら直ちに作業に入ろうじゃないかということで三月二十九日に一応の方向を示したということであります。

 いずれにしましても、そういったふうにして、日本の国の外交というものも、方々を見ながらということ、勿論協調しながらやらなきゃならない訳でありますけれども、いずれにしても、積極的に物事をやっていこう、中東は遠いからではなくて、油が来なかったら日本はどうにもならない国です。ところが、そういった問題に対して今まで余り関心を持たなかったということでありますけれども、しかし、これからは中東の和平に対しても、日本もお金を出すだけではなくて、日本が蓄えた、戦後五十年の間に蓄えたものを提供しながらやっていこうということ、そういうことのためにこれからも努力していきたいと思いますし、やっぱり平和の中で日本の国がここまで繁栄してきたということは、平和というものがどんなに尊いものであるかということは、日本こそが言うべきであろうと思っております。

 そして、環境だ、人口だ、エイズだ、あるいはエネルギーだとか食糧の問題ですとか、こういった問題みんな世界の恩恵の中で日本は今日まで来た訳でございますから、そういった問題については特に日本の国は積極的に努めるべきであろうと考えておりまして、私ども内閣、全力を尽くしながら、このために働いていきたいと思っております。そして、グローバルな問題には、各国とやっぱり協力しながら、これを進めていくということを申し上げたいと思っております。

 そして終わりに申し上げることは、北朝鮮問題というのが外交の中で非常に難しい問題がありますけれども、私はこの問題については、今度も例のIAEAの査察の中で核の燃料棒を取り出すということに対してIAEAと今ぶつかってしまいました。しかし、国際社会の代表である国連としては、また議長声明を出して、やっぱりこのIAEAのきちんとした査察、そういう中で作業を進めるべきであるということを声明として打ち出しておりますので、私どもといたしましても、そういったことについて対応をしていきたいと思っております。

 一つ税制改革が抜けているという話であります。これについてもご説明ですけれども、一言で申し上げるならば、税制改革というのは単に私たちは何といいますか、今歳入が減ってきておる、それから財政赤字がたまっておるからやるというだけではなくて、やっぱり高齢化社会に向けて、いろんなものを整備しなければいけないということ、あるいは年金への対応というものも今から準備しておかなければならないということ。

 それともう一つは、やっぱり直接税からもうちょっと幅広い皆さん方に負担していただくということが重要であろうということを考えておるということ。

 そしてもう一つは、今度やった特例の税というものも、これは一年限りでやっぱりまた元に戻ってしまうということになる訳でございまして、それでは何のための減税だったのかということになってしまう。そういうことを考えたときにも、私どもは何とかこういったものに対しても対応したいということ。

 それともう一つは、やっぱり先ほど申し上げた新社会資本などを含めての公共事業というものも、今のうちにやっておかないと高齢化社会がやってきてからだと、私はもう遅いと思う。そういうことを考えたときに、今、経企庁でも作業をしていただいておりますけれども、これを積み重ねなければいけないということもあります。そんなものも含めまして、税制改革というものをやっていかなければいけない。幸い今年、この税をやるための法律を作りましたときに、これは共産党さんまで含めまして、全会一致で抜本的な改革をやれと、思いは同床異夢なのかもしれませんけれども、いずれにしましても、抜本的な改革をやりなさいという、実は国会で法案を修正されているということでありまして、私どもはそういったものを踏まえながら、いろんな国民の声も聞きながら、何とか六月の末までに方向は出したい。そして今年中に、これを法案にしてこれを通過させていかなければいけないなという思いを言っていることを合せて申し上げておきたいと思っております。

 まだまだお話したいこと、抜けていることいろいろとありますけれども、またご質問などに応じながらお答えしていきたいと思います。どうもありがとうございました。