[文書名] 東京商工会議所夏期役員懇談会における村山内閣総理大臣の講演
どうも皆さんこんにちは。今、御紹介いただきました、総理という大役を仰せつかって一生懸命苦労しております村山富市でございます。初めてお目に掛かる方ばかりで、私もこういう席でお話を申し上げる機会というのは余りないので、ちょっと上がった格好になっていますけれども、幸いネクタイだけは締めてくれるなというお話でリラックスした気持ちでお話をさせてもらえると思います。
出来ればざっくばらんな話を申し上げようというぐらいの気持ちで来たんですけれども、やはりこうして見るとマスコミの方がたくさんおりまして、余り本当のことをしゃべり過ぎるとちょっと障害が起こるような気もしますし、そうかと言ってうそを言う訳にはいきませんし、なかなか話が難しいんですけれども、どうしても形式的な話にならざるを得ないような状況ですが、出来るだけ差し障りのない範囲で私が率直に思っていることやら感じていることを話をさせていただきたいというふうに思っていますから、どうぞよろしくお願いいたします。
私は、先般ナポリサミットに行ってクリントン大統領と初めてお会いして一時間半ばかりお話をする機会があったんですが、どういう話をすれば一番いいかなということを考えたんです。それで、日本の政権が一年間に四回変わった訳ですから、宮沢さんから細川さんになって、羽田さんになって、それから私になってと、一年間に四回も政権が変わるなどということは余りないですね。しかも、最後になった総理が社会党の委員長だということで、これは世の中は一体どうなるんだろうかという戸惑いやら不安があるんじゃないか。ですから、そこらのところを少し話をして、そんな御心配は要りませんよということを知っていただくことが一番いいんじゃないかという意味で、若干時間をいただいてお話を申し上げた。
それで、つまらない話で時間をいただいて恐縮ですと言ったら、いやいやそれは一番私が知りたいところですと言っていましたから、それで救われたような格好ですけれども、恐らく国の内外でそういう見方をされている方がたくさんおられたんじゃないかと思います。それで、どうせ自民党と社会党が一緒になって政権をつくっても、水と油が一緒になったようなもので長く続く訳はないよ。これは短命で終わるわいと、こういう見方を専らされている方が多かった。これは、率直のところそのとおりだと思います。そこで、そこらのことを少し皆さん方にも理解をしていただくという意味で、若干これまでの経過をお話をしてみたいというふうに思うんです。
昨年の七月に総選挙がございました。その総選挙があったのは、宮沢内閣に対して不信任案が可決された訳ですね。その不信任案を受けて、宮沢さんは解散の道を選んだ訳です。不信任案が成立したということは、もう自民党が単独で過半数を割っている訳ですから、したがって解散をして総選挙をやってみても、恐らく一つの政党が単独で政権を担当するという時代はもう終わったのではないか。これから日本の政界もいよいよ連立政権の時代に入っていく。複数の政党が連立として政権を担当する、こういう時代になっていくのではないか。
私は、総選挙の際に有権者の皆さんにはそういう話を専らしてまいりました。それで、どういう政権が出来るかということについては、主権者がどういう判定を下すかという選挙の結果によるのであって、今は想定は出来ないけれども、いずれにしても連立政権の時代に入っていくと、こういう気持ちで私どもは選挙にも臨んだ訳です。
それで、その選挙の結果、非自民の政党会派が一応新党さきがけ、日本新党の呼び掛けにこたえて集まって、そして非自民の連立政権を作ろうというので細川連立政権が誕生した訳です。
その際に、やはり一番引っ掛かったのは小選挙区制度です。社会党はもともと小選挙区制度には反対という態度を取り続けてきた訳ですから、この連立政権に入るということは小選挙区制度を受け入れることになる。これはちゃんとその合意事項の中にある訳ですから、したがってどうすべきかということで大分議論があったのではないかと思います。
私はその当時はまだ役員ではありませんでしたから、そういう議論には参画していませんけれども、結局社会党としては国民の大多数が非自民の連立政権をつくって日本の政情が変わっていく、変えてくれということを期待している。その大きな国民の期待に社会党もこたえる必要があるのではないか。だから、ここは少々のことは乗り越えても、その国民の期待は無視する訳にはいかぬというので社会党も踏み切って連立政権に入ったと、こういう経過ではなかったかと私は思うんですね。
当時、細川連立政権というのは七十五%以上の国民の支持があった訳ですから、大変高い支持ですね。それだけやはり期待も大きかったと思います。そして、八か月間細川連立政権はやってこられた。政治改革を標榜して大変スマートな出発をした訳です。しかも、国民の期待も非常に高かった。
それで、この八か月間でいろいろなことがありましたけれども、振り返ってみますと、やはり細川さん御自身のNTT問題やら、佐川事件問題やら等々のいろいろなこともございました。それも一つの退陣をする原因だったと思います。
しかし、考えてみますと、例えば国民福祉税の問題が出てまいりましたね。あの国民福祉税の問題が出たときに、毎週一回政府与党首脳会議というのがあるんですが、党首は全部入閣していますね。入閣していないのは社会党の私だけですから、したがって政府与党首脳会議には私は委員長として出る訳です。それで、そのときに細川さんが突然、国民福祉税をやりたいという話をいたしました。それで、資料も配られてその資料も見た訳ですけれども、私はその資料を初めて見たので、これは総理いけません、こんなことを突然出されても、それは結構ですと言う訳にはいかぬ。これは消費税を国民福祉税という名前に変えただけであって、名前を変えて率を七%に上げる。これは国民を欺くことになる。そんなことをしてはいけません。社会党は賛成出来ませんと、こう言って反対した訳です。それで、もしあなたがどうしてもやると言うので押し切ってやるのならば、社会党は予算案に反対せざるを得ませんよ。そのことを承知でおやりになるんですかと、こういうお話を申し上げたんです。そうしたら、細川さんが、まあそんなことにならぬようにお願いしますというような話をしていましたけれども、いやだめですと言って突っ張ねたんですね。
それで、ちょうど大内さんが厚生大臣で民社党の委員長で私の隣りにおりましたから、国民福祉税は大内さん、あなたの所管じゃないですか、あなたはこれは御存じですかと聞いたら、いや私も初めてですと言うんです。それならば、あなた、初めてならば初めてと言いなさいよと言ったら、いやこれは私も初めて聞くのでこんなものは同意出来ませんと言ってこもごも声が挙がってくる訳です。それで、結局つぶれたんですね。
そういうこともありましたし、それから内閣改造問題もございましたね。これは、やはり総理が一遍口にしたら何とかしてやらせなければいかぬという気持ちはありますよ。ありますけれども、国民全体の立場に立って、いい結果になるのか、悪い結果になるのかということも政治家としては考えざるを得ませんし、総理を立てるために国民はどうなってもいいという訳にはいきませんから、したがって私どもは予算審議を前にして突然内閣改造するようなことはやめた方がいい。おやりになるならば予算でも上がった後おやりになるというならば話は分かるけれども、それはいけません。第一、特別なねらいがあって内閣改造するようなことをしてはいけませんと言って、そのときも反対したんです。
だから、社会党さえ内閣にいなければもっとスムーズにうまくいったなという気持ちがあったかもしれないと思いますけれども、私はある意味では社会党は厄介者であるからこそ存在価値があるので、何でもかんでも言われたとおり、はいそうですか、結構ですと言って引くのならば社会党の存在価値はないというふうにも思っていましたから、それなりに意識をして務めてきたつもりですけれども、そういうことがやはり最終的には退陣せざるを得ない背景であったんじゃないかと今、振り返ってみてそう思います。やはり、運営上若干問題があったということは当然指摘をせざるを得ないと思っています。
それで、細川さんが退陣することになって、あとは政権をどう作っていくかというので羽田政権が出来る訳ですね。そのときにも、いろいろ合意的な政策の話をしました。政策の話もして、そしてその合意が出来た上で首班をだれにするかというときに、各党首が集まった席上で私が冒頭に口を切って、副総理で苦労をされた羽田さんが一番適任ではないか、私は推薦をすると、こういうことで皆さん同意をされて羽田政権が出来たんです。ですから、羽田政権を作った責任が私どもにはあるんです。
あるけれども、その羽田政権の首班指名選挙が済んだのは、たしかその日の二時半ごろでしたか。それで、それが済んだ後、恐らく組閣に入るだろうから、どういう組閣をしたいという組閣の方針について各党首が集まって相談をする。それを確認した上で、今度は幹事長、書記長が集まって具体的な組閣の話をすると、こういう段取りになるんだろうと思って待機をして待っておった訳ですね。そうしましたら、なかなか連絡がないものですから、これは間に合うのかなと思って総理に電話を掛けたら、いやいやまだいろいろ話していますからもうちょっとお待ちくださいと言うから、ああそうですかと言って持っていたんです。何のことはない、テレビを見ていたらテレビのニュースで改新という派が結成されたと。だから、改新という派を結成するための時間を稼いでいたんですね。そして、改新派というものが出来た。
これは連立政権ですから、枠組みを変更したりする場合にはやはりそれなりの了解を得るということになっている訳です。ですから、連立政権を支えている各会派の枠組みが変更になる訳ですから、事前に相談があってしかるべきなんですね。それを、相談もなしに組閣前に片を付けて、そして体制が出来てから組閣に入る。これは余りにも信義に反するというので、私どもは抗議もした訳です。これはよろしくない、先が思いやられる。そんな信義にもとるようなことをされたのではこの政権はうまくいかぬと言って、社会党は政権に加わらなかった。それで、結局羽田内閣は少数与党でもって発足するという状況になりまして、予算だけ上げて退陣をすることになった訳です。
私は、やはり連立政権というのはもともと理念も政策も違うんですよね。理念も政策も違う政党が集まって、一つの政権をつくっていく訳です。ですから、よほど信頼関係が前段にあって、そして政策の違いについては十分議論をし合って、出来れば透明度を高めて公開で議論をし合って、真剣な議論の中から合意点を求めて、そして政権をつくっていく。こういう透明度の高い民主的な運営のルールというものをしっかりお互いに保障していかなければ、一部の力を持った権力だけがどんどん先行してやるような運営がもしあるとすれば、それはやはり破綻を来す。うまくいかないんじゃないかということがございますから、羽田政権をつくる際に、この八か月間の細川連立政権の経験に学んで、反省すべき点は反省をして、出直すところは出直すべきじゃないかと、こういう御意見も申し上げましたけれども、そういうことも余り聞き入れられずにどんどん事が進んでいったと、こういう経過になっております。
そういう話が出来れば、さきがけは何も連立政権から出る必要はなかったんです。あれもまたそういうことで出たんですから、したがってさきがけが離脱をしたことも今の連立政権のうまくいかない一つの要因でもあったと、私は今から考えるとそう思いますけれども、そういうことがあって羽田さんもついに予算を上げたら退陣ということになった訳です。
これは、自民党の方が不信任案を出すということになりまして、私どもは羽田さんがお辞めになればお辞めになった時点で白紙の立場でもう一遍テーブルについて、新しい連立政権をどうつくっていくか。国民の期待にこたえるかという話を真剣にやろうじゃないかというので、社会党はさきがけと相談をして、新しい連立政権樹立に当たる構想を発表して、政策の合意を求めるというので政策を決めて、それぞれ各党会派に提示をして、そしてテーブルについて話をしようということにした訳です。
それでもって話を進めてきたんです。進めてきて、国会は六月二十九日で終わる訳ですけれども、各党会派の取引やら掛け引きでもって首班も決まらずに国会の会期が延長されたというのでは国民に対して申し訳ない。ですから、この会期中に何が何でも連立政権をつくって、組閣が出来るところまでひとつ運ぼうじゃないかということはお互いに相談をして合意していましたから、それでやっていこうというので話をずっと進めてきた訳ですね。羽田さんがお辞めになってからですよ。
それで、私はそのときにもう連立政権は必ず出来るというふうに踏んでいました。自民党が加わらない新しい連立政権が出来てくる。そのために社会党もやろうという決意で取り組んだ訳ですから、ほとんど政策点についても相違がなくてほぼ合意がされている。若干一、二残っておったと、こういう状況の中でいよいよ会期末が迫ってきた訳です。
それで、その会期末が迫ってくる三、四日前ですかね。河野自民党総裁と森幹事長が会いたいというので、私は差し障りのない意味で時間を設定して、ではお会いしましょうと言ってお会いしました。そのときに河野総裁から、社会党の村山委員長を首班に推薦をしたいという話を切々と三十分ばかり訴えられて聞かされました。
私は本当に掛け引きなしに今の政局を考えて、こういう不安定な政権でいつまでも混乱をしているような状況はよろしくない。何としても安定した政権をつくって、そして国民の期待にこたえ、内外の諸問題が処理出来るような体制を作る責任がある。ついては、今の状況の中で社会党の委員長を首班に担ぐことが一番安定政権になると私は考えるというので切々とお話がありました。
そのときには、まだ私どもは新生党やら公明党の皆さんと新しい連立政権をどう作っていくかという話をしている過程ですから、二君にまみえて両またを掛けて話をうまくやろうなどという考えを持つことは出来ませんから、したがってそのとき河野さんには明確に申し上げました。今、連立政権をどう作っていくかという話をしている最中です。その最中にそんな話を聞かされても私は聞く訳にはいきませんから、今日はこんな話があったということにとどめてほしいと言って、大変悪かったんですけれどもお断りをした訳です。それで、こっちの方の話に、もう出来ると思っていましたから専念してやっていた訳です。
やっていたところが二十九日の、今でも覚えていますけれども休憩になったんです。それで、二時半から話を再開するということで、その二時半からの再開でもう話は出来るものと私どもは踏んでいました。そうしたら、二時半からの再開が二時間延長されて四時半になったんです。四時半になって、今日で会期は終わりなのにどんな話をするつもりだろうと思ってちょっと不思議に思いましたけれども、まあいいや、時間があるから恐らく話はもう出来るだろうというふうに、それだけを念願して待っておった訳です。
そして四時半から再開されたときに、今まで話をしてきた素材と全然違う素材を今度は出してきたんです。それで、これを話をしろと。もう時間もないのに何でそんなことをするんだろうかと思いましたけれども、これは社会党を切る気だなと私は思ったんです。もう社会党は同意しなくて結構だと。社会党が同意しなくて結構だということは、恐らくもう多数を占める算段がついたんだな。もう厄介な社会党を抱えるよりも、こちらの方がうまくいくというふうに思ったんじゃないかなと思ったんです。
そこまでこけにされるならば私どもも、それはそうですか、それでもついていきますという訳にはいかぬから、もうこれはしようがない。では、腹を決めようというのが国会最終日の六時ごろですから、これは逡巡をしてどうする、こうするなどという話じゃないんです。そして、そのまま本会議に臨めば、各党首を首班にした選挙をする以外にないという話になりますので全然あれがつかないんです。そうすると、社会党は委員長である村山を首班に推す以外にないというので執行委員会では満場一致で決まったんです。
これはどういうことになるのかなと私は思っていたんです。まさか今のような立場になるとは思っていませんから、困ったことになったな、一体どういうことになるのかなと思ったけれども、もうそのままずるずるです。ずるずるっと本会議場に入って行ったんです。
そして、選挙になった。選挙になったら、自民党はみんな村山を首班に入れるというので大分割れましたけれども、結局私と海部さんが決戦投票をする。これは過半数にならないものですから決戦投票をするということになって、私が首班になってしまった。そういう経過ですね。
ですから、私はやはりあのときに、いやもう結構です、それでやりましょうと言えば、恐らく羽田さんが再選されてまた総理に返り咲いたということになっていたんじゃないかと、今から考えますと私は思います。私どもはそういうつもりでしたから。それを、何であんなことまでしてあんなことになったのか。これはやはり社会党は一緒にやれぬという腹で、裏で工作をして、そして海部さんを首班に担げば必ずいけるというふうに票を読んで、そしてやられたのかなという気持ちもしましたけれども、結果は仕方ありませんね。
それで、私も閣僚を一遍でもやった経験があるというならば大体要領も分かるけれども、閣僚の経験もないし、ずっと野党で来て、そしていきなり官邸の中に引っ張り込まれてあそこにぽっと座らされたときに、右も左も、これからどうなるんですかというような格好でしたが、それから一か月たちました。それは、あっという間に過ぎました。全く駆け足で走りまくるというような状況ですけれども、幸いに皆さんの御協力もいただいて余り粗相もなくやってこられたんじゃないかというふうに思いますけれども、そういう経過で生まれた政権であります。
私はクリントンさんとお会いしたり、各国の首脳と会ったときにも申し上げたんですけれども、やはりどういう政権が出来ようとも日本の場合には外交については国際的な約束事がある訳ですから、したがって継続をします。約束は必ず守ります。どうぞ御安心ください。ただ、内政についてはまだまだ変革の時期ですから大いに改革は進めてまいります。それで、内政は改革、外交は継続という方針でやりますから、どうぞ御安心くださいというお話を申し上げました。
私は、やはりそれはそうしなければいかぬと思うんです。ですから、社会党の政権が出来たからもう安保条約は破棄するんだ、何はどうするんだと言って百八十度変えるようなことは出来ないことですから、そのとおりに私は申し上げた訳です。
そして、臨時国会が開かれる状況になりまして、これは所信表明演説もやりましたし、代表質問にも答えなければならぬ訳です。さて、総理になると三軍の最高指揮官ですから、三軍の最高指揮官が自衛隊は憲法違反ですなどと言ったら、これは次の日に辞めなければいかぬのです。それは、とてもじゃないけれども出来ませんね。そこで、党がこれまで掲げた方針と、内閣を担当した社会党首班の内閣の総理としてどう臨むべきかというのであちこち意見も聞いたりいたしましたし、私も二晩ほど答弁をするのに考えた訳です。だけど、やはり政権を担当するということになれば現実を無視する訳にはいがぬ。
それで、私は委員長のときにこういう話をよく言ってきたんです。自衛隊が違憲であるか、合憲であるかという議論はもうお互いにやめようじゃないか。これは、最高裁もまだ明確な判決をしていませんし、なじまないと言って出さない訳ですから、同時に学者の中にもそれはいろいろ意見がある。そういう意見が学者の中にもあるときに、憲法学者でもない我々が違憲とか合憲とか判断を出すことについては問題がある。したがって、そんな不毛な議論はやめよう。そうじゃなくて、今ある自衛隊というのはもうこれだけの巨大な組織が現実にある訳だから、これを無視する訳にはいかぬ。この自衛隊をどう改編してどうしていくかということについては政治の問題だし、政策の問題だから大いに議論することは結構だ、議論しようじゃないか。こういうことは、私は代議士会やらいろいろな会合の中で申し上げたことはあります。
しかし、総理になったら質問があれば、いやそれは違憲か合憲か分かりませんという答弁をする訳にもいきませんし、これはやはり明確に答えざるを得ないのではないか。そうしますと、一時違憲合法論などという話もありましたけれども、憲法に違反するものが合法で存在するなどということもちょっと理屈の上ではおかしな話じゃないかと思っていろいろ考えた挙げ句、これはやはり連立政権ですし、社会党単独政権でもないんだから、ここはひとつすっきり割り切ってやった方がいいというので私は申し上げた訳です。これは合意ですという話をした訳です。
ただ、その際にこういう前提がある訳です。三十八年間、自民党が政権を担当してまいりました。それで、国際的には冷戦構造があって米ソの超大国が対立している。それで、世界は両方に二分されるような格好になっていますね。その際に、自民党がアメリ力の方針もあって軍拡をずっと進めてきた訳ですね。それで、やはり憲法が障害になるというので、これは自主憲法制定で憲法を改正しようという動きもありました。しかし、国民がなかなか賛成しないので憲法改正が出来ないということで、憲法を必要以上に拡大解釈して、そして今の巨大な自衛隊を作って、既成事実を作ってきた訳です。
それに対して社会党は、飽くまでもこれは違憲だというので非武装中立を唱えて抵抗してきたんです。それで、片や進めていこうとする自民党と、それを阻止しようとする社会党がお互いに拮抗して頑張ってきたんです。これが、言うならば冷戦構造から来る五十年体制なんです。
私は、社会党が拡大しようとする自民党の方針に抵抗して頑張ってきた、この働きというものは歴史的に大変大きな役割を果たしていると思います。だから、今の自衛隊には、例えばシビリアン・コントロールをもっとしっかりしろとか、あるいは専守防衛で自衛隊は海外に出さないとか、いろいろな意味で歯止めを掛けて来ている。これは、やはり大事なことだと思います。私は本会議でああいう答弁をして、そして海外の記者から質問を受けたときに、韓国の記者などが一番心配していましたのは、これで日本の国は歯止めが効かないようになって再び軍事大国になるんじゃないですかというようなことを質問した人がありますけれども、そういう懸念を持たれている方はたくさんあると思います。
そういう意味から申し上げますと、社会党が自衛隊に対して違憲だ。非武装中立を掲げて闘ってきたこの運動の役割というものは大変私はある意味では大きなものがあった。そういう拮抗する中から国民的な世論もつくられてきて、そして自衛のための最小限度の実力組織を持つことはやむを得ないのではないかという国民の理解というものが出来た。世論調査などを見ますと、八十%近くは今の自衛隊は認めるということになっていますから、私はそういう闘いの成果というものが、言うならば健全な国民の世論というものを作っていく大きな役割を果たしたのではないか。こういう役割を果たしたことも十分踏まえた上で国民の世論を大事にするということもあって、今の自衛隊は合憲であるということを位置づけることはやむを得ないのではないか。
ただ、合意と位置づけても、国際的にはいろいろな問題があって、まだまだ軍拡しているところもある訳です。しかし、何と言ってもやはり冷戦構造が崩壊してこれからは軍縮と協調の時代だということが大きな流れになっている訳ですから、したがって今こそ平和憲法を高く掲げて、軍縮を推し進めて軍備を持たなくていいような、そういう世界を作るために社会党は奮闘するということも話に入れて、そして党内では何とか合意を求めていこうという話も今している訳です。
そういう意味で、もう社会党は必要なくなるんじゃないかなどという話もあるぐらい、思い切った転換をさせてもらいました。これは、私は社会党が政権をこれから担っていく意味では踏ん切らなければならぬ一つのものでなかったかというふうに思いますから、これからどうなるかは分かりませんけれども、そういう決意でやった訳です。そういう点は、そういうふうに皆様方にも御理解を願っておきたいと思います。
これからまた予算編成も始まりますし、臨時国会も開くことになる訳ですけれども、話が大分長くなりましたが、当面する課題について若干お話を申し上げておきたいと思います。
今、政権を担当してみて大きな課題があると言えば、一つは政治改革の問題ですね。これは、恐らく今日の新聞を見ますと、十一日ごろには今の審議会から区割りの案が報告されるのではないかということが報道されています。したがって、案がまとまって出てくれは、それを早く受け入れて法案をつくって、次の臨時国会に提出をして、可能な限り速やかに御審議をいただいて何とか成立を図りたい。そして、一定の周知期間が必要ですから、周知期間も決めて年内に施行出来るようにすれば、次の例えば政党助成法とか、いろいろな法案がありますけれども、そういう法案も全部一月一日から施行することになります。これは、年を越しますと平成八年の施行になりますから一年遅れになる訳です。そうなりますと、これはまたいろいろ支障がありますから、出来るだけ来年の一月一日から施行出来るように段取りをするためには、この区割り法案はそのことを前提にして法案の成立を図る必要があるというふうに思いますので、政治改革は何としてもやり遂げなければいかぬという気持ちであります。
ただ、私は政府与党首脳会議で皆さんにもお願いしてありますけれども、やはり政党助成法が出来て、そしてそれぞれ政党が党活動の資金を税金で賄ってもらうということになる訳ですから、その限りにおいてはやはり腐敗防止をもっと徹底させて、そして変な利権に絡まったような腐敗が起こらないようにする必要があるというので、もう少し腐敗防止については徹底したものにしてほしいということをお願いしてあります。それで、これは政治家もそうですし、有権者の皆様方にもその気持ちになっていただいて、ガラス張りで不正の起こらない政治の仕組みというものをしっかり考えていく必要があるんじゃないかというふうに思いますから、そのことは強くお願いしておきました。
それで、政治改革が一段落つくということになれば、その次はやはり経済改革ですね。経済改革の中で一番の柱は何かといいますと、今の日米包括協議も何とか早く片をつけていかなければいかぬ。そのためには、出来るだけ黒字を減らさなければいかぬというところに一番大きな要因がある訳ですから、したがってその黒字を減らすために何をすべきかというので三つのことを今やっている訳です。
一つは、減税ですね。減税は今年六兆円近くやりましたから、来年もまた今年と同規模ぐらいの減税はやりたいというので今、段取りをいたしております。それで、この減税に絡めて増税はどうするんだ、財源はどうするんだという話が当然ある訳です。私どもが今、考えておりますのは、これは理屈を言えばいろいろある訳ですけれども、何のために減税をするのかということになればやはり景気浮揚のために減税をやる。それで、内需を拡大していく。そのためには、消費を伸ばさなければいかぬ。そのために減税をやるんですというので減税がなされる訳です。減税を景気回復のためにするならば、その減税の効果が表れて景気が回復されればまた税の自然増も増えてくる訳ですから、それでもって財源を賄えるじゃないかということになるので、それも一つの理屈だということを一つ踏まえておきます。
それからもう一つは、今の税体系の中にやはり不公平がある。例えば、中堅サラリーマン層に一番大きな負担が掛かるとか、いろいろな意味で議論がありますが、そういう不公平を是正した結果として減税が出てくるというのであれば、それも一つの減税の柱になるというので議論をしておる訳です。その場合に、所得税だけに課税対象を絞っていくことについては問題があるので、やはり資産とか消費とか、そういう面に水平的な公平な課税というものを考える必要があるというので議論をしている訳です。
それで、減税は確かにそういうことで行われるんだろうけれども、しかしその減税をした分だけ財源が賄えるかどうか、対応出来るかどうかということについても問題がありますし、同時にこれから高齢化がどんどんやってくれば、医療とか年金とか福祉とか介護とか必要以上に金が掛かってくる訳ですから、そういう福祉の負担というものはだれが一体するのかということにも掛かってきますし、その財源をどうするかという話も当然課題になる訳ですね。そういうものを総合的に絡めて見て判断をし、そして結論を出していこうと、これで今、議論をしてもらっている訳です。
それで、減税が先行することは当然やむを得ないと思います。それで、その結果、その財源は今、申しましたような中身についてどういう財源対応を図っていくかということについても出来るだけ九月ごろまでに結論を出して、そして年内に出来れば立法化出来るように段取りをつけていこう。これは、減税はした、景気はそれなりによくなったけれども、その財源を賄うだけの税収は入ってこない。あとは借金だけでやれという訳にはまいりませんから、そんな無責任なことは出来ません。
今、二百兆円からの公債も発行されて大変財政は硬直化している訳です。私は、来年の予算の概算要求なども見させてもらいましたけれども、ほとんど弾力的な裁量が出来ないぐらいに硬直化しています。わずか公共事業に五%ぐらいの積み増しをして、そして弾力的に配分出来るのはもう三千億円ぐらいしかないというぐらいに非常に窮屈な財政になっていますから、もう少し弾力性のある財政運用が出来るようなものにしていくためには、やはり健全な財政運営というものが必要ですから、当然財源も考えなければいかぬというので今、議論をしているところでありますけれども、そういうことが一つあります。
それからもう一つは、やはり規制緩和をもっと徹底させて、そして許認可事業なども見直していく必要がある。先般、二百七十九項目の規制緩和を発表しましたけれども、これだけではまだ不十分だというので五か年計画を立てて、そして五か年間に計画的に規制緩和を進めていくというので今、段取りをいたしていますから、これも何とかしてやりたいというふうに思っています。
それからもう一つの柱は、公共事業の在り方ですね。これは、日米構造協議の中で十年間でようやく三十兆円という大枠を決められています。しかし、これだけではまだ不十分ですから、したがって今、見直しをしてもっと業務を増やそうじゃないか。同時に、質ももう少し検討をして、高齢化社会になったときに、先ほどお話もございましたように、人に優しい政治という限りにおいてはもう少し、これだけ経済成長が遂げられて、そして金持ちの国になった日本にふさわしく、国民の皆さんが豊かさが実感出来るような、そういう政治というものを実現させていくためには、高齢化になっても心配ないんだというぐらいの社会的な資本というものをもっと充実させる。生活基盤ももっと強化していくという意味で、公共事業の質の転換というものも十分検討していく必要があるのではないかということから、質量両面から公共事業の見直しをするというので今、作業をやってもらっています。いずれ結果は出ると思いますけれども、そういう配慮もする必要があるということも考えながら、政治の体質を変えていこうと、こういう意味で頑張っておるところであります。
それからもう一つは、やはり戦後処理の問題ですね。来年は五十周年が来る訳です。私は、今晩立って広島に参ります。それで、明日広島の集会に出ていろいろな方々の陳情も受ける訳ですけれども、広島、長崎に行けば関係者の悲願として何としても被爆者援護法は作ってほしいと。これは単にどういうことをしてほしいというだけではなくて、やはり核というものに対する特別な感情で、社会的に核はだめなんだ、廃止してもらいたいという気持ちを表すためにも、広島の心、長崎の心を世界に伝えたい。そのためには被爆者援護法を是非作ってほしいと、こういう切実な願いもある訳ですね。そういう気持ちをどう組み込んで政治の中に反映させていくか。
一方では、核だけを特別な扱いにするのでは不公平で、被災者は同じではないかという反論もありますけれども、そこらの調整をどうしていくかということが一つの問題です。
それから、慰安婦の問題やら、強制労働の問題やら、これからいろいろ問題が派生して出てくると思います。こういう問題も、私はもう戦後五十年ですから整理出来るものは整理をする。そして、整理出来ないものについてはどういうふうにこれから始末をつけていくかという方向だけは決めていくというので、五十年を境目に国民全体が戦争に対する反省も深めて、しなければならぬ償いは償いとしてやる。そして、けじめをつけるというぐらいの節目はきちんとした方がいいのではないか。こういう意味で、出来れば官房長官を中心に戦後処理をやっていく一つのチームをこしらえて、そして大いに議論をして何とかけじめだけはつけられるようにしてほしいという気持ちでおる訳ですけれども、そういうこともこれから大きな一つの政治課題になるというふうに思います。
そして、何よりも一番心配されるのは経済ですね。どこに行っても、円高は困るということを言われる訳です。ちなみに、いろいろ調べてみますと、中小企業に対する円高の影響で調査の結果がある訳ですけれども、円高の影響があるというのが六十五%ですね。それで、今後出るというのが三十二%ぐらいあります。それから、採算レートが一ドル百円未満でもやっていけるという企業は二%です。それで、百十円以上とする企業が六十%ですから、一ドル百十円以上でないとうまく採算に乗れないということを言っている方が六十%ぐらいあり、百万未満でもまあやっていけますというのはわずか二%しかないというような結果が出ています。
それだけ、為替レートの影響というのは大変大きい訳ですから、私は首脳会議でもそのことははっきり申し上げておきました。そして、クリントン大統領も、何もドル安でもってアメリカの経済をよくしようなどという気はありません。やはり実態に即したレートというものが大事なので、これは総合的にいろいろ協調し合って何とか片が付けられるようにやっていきましょうというような話もしておりました。
そういう点が一番今、心配なんですけれども、これは決め手がこれにすれば必ずレートは落ち着くということはないので、今まで申し上げましたような話を総合的にやって、そして日本の国としては出来るだけ貿易収支の黒字を減らしていく。そのためには、内需を拡大して外国の商品をもっと日本で売れるようにしていくということも大事でしょうし、同時にアメリカについてはもう少し貯蓄を増やして、貯蓄と投資やら、あるいは消費のバランスを取ってやってもらう必要がある。これは、それぞれ国々の事情がある訳ですから、その国々の事情を話しながら総合的に安定するような方策を取っていく以外にないと思っておりますから、そういう点についてもこれから神経を使いながら頑張っていきたいというふうに思っております。
私はリベラルという勢力を結集しようという気持ちですけれども、リベラル勢力の結集というのは何かといいますと、私はやはり規制は緩和する必要があるし、どんどん自由化する必要があるというふうに思いますけれども、規制が徹底して緩和される、徹底して自由化されますと、世の中には力の強い者と弱い者がある訳ですから、したがって力の強い者が弱い者をしいたげていく。弱い者は浮かばれない。こんなことはありがちですから、したがってその弱い者に手助けをして、そして力の強い者も弱い者も社会的に公正に平等に生きられる、こういう条件をどう作っていくかというのが私は政治の大きな役割だと思っています。
そんな意味では、中小企業の皆さんももっと希望と期待を持って前向きの仕事が出来るような環境をつくっていくということも大変大きな政治の課題だと思っていますから、精一杯努力をさせていただきたいというふうに思っているところでございます。
ちょっと時間が長くなりましたけれども、以上の話を申し上げまして私の話は終わらせていただきます。
どうも御清聴ありがとうございました。
○司会 村山総理、どうも本当にありがとうございました。
それでは、せっかくの機会でございますので、皆さんからの御発言を求めたいと存じますが、総理の御都合で一時半にはきっかりここを出なきゃならない。後の御日程がございますので、それを頭に入れていただきまして簡潔にお話をいただければと思います。
御発言の方は手を挙げて名前をおっしゃっていただきたいと思います。どうぞ。
○問 中小企業委員長を務めております中西でございます。座ったままで失礼します。
私は、実は政府の税制調査会の委員を仰せつかっておりますので、今日は税制改革について三点ほど質問なりお願いを申し上げたいと思います。
その一つは、これは税調の場でも申し上げたことですが、仮にも国民に増税を求めるということは大変なことでありまして、やはり行財政改革は当然のこととして必須不可欠の前提条件にすべきであるというふうに思っております。これは企業でも一家でも、まず財政が行き詰まれば当然譲るを制するのがものの常道でございまして、そういう意味で第三次行革審まで十年近い検討がなされておる訳ですから、あとはこれを実行するというアクション・プログラムを国民に目に見える形で提示をして、是非ひとつ総理にこの辺を踏み切っていただきたい。その上での税制改革であると、このように考えますが、総理はいかがお考えでしょうかということが一つです。
いま一つは、さっきお触れになりました消費税問題ですけれども、これは経済のボーダレス化が言われるように進んでおりまして、世界の税体系の在り様が、一言で言えばフラット化が進んでいる訳ですね。したがいまして、その流れを受けて我が国も当然直接税比重の重いものを是正する。法人税、所得税を軽減して消費税を上げていくということは当然施行出来ることでございます。
いま一つは、総理がおっしゃった国債発行残高も含めて二百兆円を超える財政赤字を抱えている。財政当局の立場に立てば、高齢化社会を迎えて当然社会保障費も増えてくる訳ですから、この辺を踏まえてこれも施行せざるを得ないだろう。安定した財源原資として、消費税にそれを求めるというのは非常に真っ当な筋の通った考え方ではなかろうかと我々は考えておりますが、今日は与党税調で今この消費税アップをいかほどにするか。時期をいつにするかということは御検討の最中やに伺っておりますので、この辺は御遠慮させていただきまして、会議所は中小企業の圧倒的に多い団体でございますから、中小業者が関心を持っておる点を二点ほどお願いしたい。
一つは、例の中小企業三特例ですね。要するに、中小企業の納税義務者としての徴税義務を簡素化にするという原則の上に立って出来たのが、この三特例の簡易課税と限界控除と免税点でございます。この辺の意義は今も厳然として生き続けておる訳でございますから、是非ひとつその辺の配慮をお願いしたい。
それから、益税云々で免税点三千万円を引き下げよという意見がありますが、これは通産省その他等の調査によりまして、年商三千万円の事業者というのは年収三百万円、年収三百万円というと大体最低零細生活者なんですね。こういう人たちから、なおこれを公平の名において引き下げる必要があるのかどうか。この辺は、我々は非常に疑義を感じます。この辺を総理はどうお考えか。
第三点は、中小企業者にとって圧倒的に関心の高い問題が、中小企業者は同時にオーナー社長が断トツで多い訳でございまして、事業承継という視点に立ったときに非常に相続税問題が重要な意味を持ってくる訳でございます。
この間の政府税調の場で某財政学者がおっしゃるのに、フローはフラット化していい。だけど、ストックは是認する訳にはまいらぬ。逆に強化しろと、こういう言がありまして私は議論をやり合ったんですけれども、富を社会的に平均化すべきだと。要するに、相続の時点をとらえて富の再配分を税に持たせるという、これは一つの道理のあることでございまして、富の平均化は社会正義であるという哲学を真っ当とするならば、これはそれなりに重みがありますが、今日訴えたいのは、実はこの中小企業者は今、申し上げましたように個人の人格であると同時に社会的存在としての企業のオーナーでもある訳ですね。企業の結局承継という問題と不可分になっている訳でございますから、事業はやはりゴーイング・コンサーンでございまして、これは相続せざるを得ないということになってまいりますと、現在の相続税が余りにも過酷でございまして、東京都の町村辺りでもかなりの企業が土地を売却するか、資産を売却するかしないと相続が出来ないという状況に立ち至っている訳ですから……。
○司会 途中ですが、その程度でひとつ。
○間 もう終わります。
この辺、是非ひとつ御検討いただいて、税率その他、あるいは評価方法その他御検討をお願いいたしたいと思います。
以上でございます。
○司会 どうもありがとうございました。
それでは、三人で三十秒ずつ、今、手を挙げられた三人に限ります。前の方から順番に三十秒ずつでお願いします。
○問 ただいま総理の方から、円高に対していろいろ御配慮いただいているということを伺いまして力強く思ったんですけれども、ただ、現在のまま時間がたちますと、非常に資源の乏しい、我々が国民生活に必要な物資をあがなう原資を賄っている主役である製造業が崩壊しちゃうんじゃないかというような気もいたしますし、また若者は現在のような製造業の状況を見ますと、製造業離れが促進して、その未来もちょっと危うくなってきているような気がいたして気が気でない訳です。
それからもう一つ、観点を変えますと、企業が産業の発展のためにいろいろ貢献いたしますと、それが円高になって跳ね返ってきて自分の企業の存在もおかしくなってしまう。
一方においては、国際投機筋が汗一つかかずに巨大な利益を得ているということを聞きますと、自由主義経済はそれなりに努力すれば必ず報われるといったようなことが一つの長所になっておりますが、そういったことすらおかしくなってくるんじゃないかと、かように思います。それで、政府といたしましてもいろいろ御配慮いただいているようですけれども、現在の為替変動相場というのは移行してから二十年ぐらいたちまして、いいところもあるけれども大変欠陥が目立ってきている。
その一つとしては、主要国の高官と国際投機筋の行動によって相場が支配されているということは致命的じゃないかと、かように思いますし、またこの制度に移行しましてから急速にその箇所が減殺されて、常に最近は暴落のうわさも出ているというような、国の政府が基軸にしていることに無理が出てきているんじゃないかと思いますので、方策といたしまして制度改革ですね。現在の通貨制度の改革について我が国が、これはなかなか難しいと思いますけれども、難しくても国の基盤がだんだん崩れていくときに放置する訳にはいきませんので、十分に御検討された上で各国に呼び掛けるおつもりはあるかどうか、この点について御感触でも述べていただければと思います。
○問 時間がないようなので、端的に申し上げます。
円高の件で、今たまたま百円まで円安に触れていますが、ここで一息つけるような状態でないということを御認識いただきたいと思います。先ほどのお話でもそれはよく御認識されておるようでございますが、あさひ銀行さんがごく最近やられた調査でも、輸出の採算は大体企業は平均で百七円という数字を出しております。それから、先ほど総理もおっしゃいましたように、九十五%あるいは九十八%の企業は百円を割ってはやっていけないということがはっきりしておりますので、更に円安にいくようにひとつ御尽力賜りたいということが第一点であります。
第二点は、この円高対策というのは非常に緊急を要すると思いますので、先ほどアプローチの方法としては内需拡大、規制緩和、この方向でやりますという大変心強いお言葉なんですが、特に減税は非常に効いていると思うんです。それで、アメリ力も非常に評価しております。更にこれに付け加えましてお願いしたいのは、例えば住宅など今あるいわゆる個人消費を刺激するような政策減税、住宅関係、あるいは公共投資でも個人消費につながるようなものを優先的にやっていただきたいということをお願いしたいと思います。一部には、自主規制をして輸出を減らして黒字を減らしたらどうかという御意見もございますが、私はこれは正攻法ではないと思います。
それから三つ目でございますが、今まで日米交渉は大体パターンが決まっておりまして、アメリ力がスーパー三〇一、あるいは制裁、そういった脅しをかけながら日本の譲歩を迫る。そして、徹夜の交渉をしながら最終的には決着を図るというパターンでしたが、二月はそうはいかなかった訳であります。それで今、心配しておりますのは九月で、これは非常に重要だと思いますので、先ほど総理がおっしゃったような内容でクリントン大統領にメッセージが伝われば私は必ず政治的決着が図れると思いますので、是非そういった意味でも政治的なりーダーシップをお願いしたい、かように思います。
どうもありがとうございました。
○問 市民活動推進委員会の委員長、それからエイズ問題の座長をやっています神谷でございます。
先ほど総理がおっしゃったように、日本の総理が平成になって七人替わっているんですね。六年間で七人替わっておりまして、コール首相が、おれ一人のうちに八人替わったと笑っておられたということですが、非常に日本の政治は信頼感を外国から失っているということで、結局そんな短い時間では思い切った政策が出来ない。それで、私は村山さんに、今の枠組みを絶対崩さないと。要するに、この三党のですね。そうすれば、三年間はみっちり出来ますから、その三年間のうちに思い切った政治をやっていただく。そして、自民党のアドバイスを受けてしっかりやっていただく。
それと同時に、私が申し上げるのも何ですけれども、九月三日の大会をとにかく乗り切っていただくということが国家のためになるんですね。ですから、三年間いろいろな新しい区割りが決まっても選挙をやらない。次の三年間問びっちりやっていただいてやっていただくということをお願いしたい。
それから、円高の解消ですが、いろいろと先ほどおっしゃいましたことは当然やっていかなきゃいかぬ問題で、こんなものはなかなか解決がつかない。日本とアメリカは慢性的に経済問題は出ますから、思い切った政策を打たなければいかぬ。
その一つとして、これはアイデアですけれども、私はソ連の北方四島を無条件で返していただくために、ソ連に二百億ドルか三百億ドルぐらい金を長期で無利子で貸す。そうしますと、要するに相当外貨が減る訳です。ドルで貸すんですから、それは思い切った外貨減らしにつながるんですね。それで、特にソ連の極東ロシアの開発、シベリアを含めたこの資源を開発することにおいて、日本にはものすごく大きな影響があるんです。それから、これから中国が伸びてまいりますと、やはり中国も力を付けると同時に極東、ロシアも付けることによって均衡を取らせていく。これがアジアの平和につながるんです。
そういう意味で、私は日本が何百億ドルというお金を二十年ぐらいの長期で貸して、そして北方四島を返していただく。日本は領土を買うんじゃなくて、無利子ですけれども金を貸すんですから、それはアメリ力の口座を通してやるかどうかは別として、そのぐらいの思い切ったことをやらないと完全な円高解消はならないということでございます。
私は、村山さんは二度と総理をおやりになるつもりはないと思いますけれども、思い切った政治をやられることが村山さんの役割で国家のためだと思いますので、そんなつもりでお願いします。
○司会 どうもありがとうございました。
本来ならばここで総理に御発言をいただくべきところでございますが、本当に公務で時間がございませんので……。
○総理 では、一言だけ申し上げます。
税金の話はおっしゃるとおりで、これは行政改革を思い切ってやろう。やはり国民に増税を強いる限りは、身を切るというぐらいの気持ちでやらなければいかぬ。人に優しい政治をするためには自らに厳しくなければいかぬということを申し上げておりますから、それはおっしゃるとおりです。
益税の話につきましては、昨日商工連合会の会長さんもお見えになりましてお話がございました。これは益税などというものは大変な誤解であって、そんなものじゃありませんというような話も聞きましたが、これはまたこれから検討課題になると思いますから、十分御意見は参考にしながら検討させてもらいます。
それから、全部お答えすることは出来ませんけれども、ちなみに円高のためにどんどん日本から企業が海外に出て行くという状況を見ていますと、ここに資料がありますが、例えば力ラーテレビの場合は八十五年には三十八・八%は海外生産をしていた訳です。それが九十年になりますと六十・一%、九十三年には七十一・九%が海外で生産されている。こういうふうにどんどん出て行っている訳ですね。それから、電子レンジの場合は二十二・七%が八十五年、九十年には四十五・三%、九十三年には六十三・三%というふうにだんだん空洞化が進んでいる。これは雇用問題も深刻になってまいりますから、そこらの点も十分考えておく必要があるんじゃないかというので、円高問題について総合的な対策を急いでやる必要がある。これは、人為的に何とかお互いに努力すればレートが落ち着くというのであれば、それは惜し身なくやるべきだという気持ちで今、取り組んでいますから、そういうふうに御理解いただきたいと思います。
それから、北方領土を返してもらえというのはなかなか大胆な発言ですけれども、そう簡単にいくかどうか。今、ロシアの政治は極めて不安定ですから、したがってまとまってどのような話が出来るのかというのはちょっと分からないものですから、そこらも十分冷静に見ながら北方領土だけは何としても返してもらわなければいけませんから努力していきたいと思っています。
為替レートは、そういう意見はあります。意見はありますけれども、今、変動相場制をどうこうするというのはなかなか難しいんじゃないかというふうに思っていますが、機会があればまたそういうことも十分検討させていただきたいというふうに思います。
○司会 どうもありがとうございました。
それでは、総理大臣大変多忙の中本当にありがとうございました。皆様、退席されますので、感謝の意を込めて拍手をもってお送りいただきたいと思います。