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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 日本記者クラブにおける橋本内閣総理大臣の講演

[場所] 
[年月日] 1996年9月11日
[出典] 橋本内閣総理大臣演説集(上),632−647頁.
[備考] 
[全文]

 −総理には、まず冒頭三十分から四十分ぐらいのお話を伺いまして、その後、質疑応答に移りたいと思います。

 国政・政局の重大局面に、今日は橋本総理のお話を伺うことが出来まして、本当にうれしく思います。総理、本当にありがとうございました。

 それでは、総理お願いしたいと思います。

○総理 それでは、座ったままで失礼をいたします。

 まず、何よりも先に本日、四半世紀を超える歴史と伝統のある、この日本記者クラブにお招きをいただきまして、こうしてお話しをさせていただく機会を与えていただきましたことを、大変光栄にも思いますし、心から感謝をいたしております。同時に、少々心臓に負担がかかっておることも事実でありますし、あと、質問の時間と言われましたけれども、どうぞ私でも答えられるようなやさしい質問に、是非内容を整理していただきたいと思います。

 今日という日をお選びをいただきましたわけですが、ちょうど私が新年早々一月十一日に政権をお預かりすることになりましてから、ちょうど今日で八か月経過をいたしました。国会におきまして内閣総理大臣の指名を受けましたその日に、私はこの内閣を変革創造の内閣と位置づけてまいりました。それは戦後五十年を経過した日本、それが国内的にも国際的にも、今までにも、経験したことのない大きな転換点に差しかかっていく中で、言わば今年を構造改革元年とでも言うべき年として位置づけて、政治、行政、経済、社会、より抜本的な構造改革を実行に移していかなければならない、そうした思いからでございました。そして、決断・実行を政治信条にし、自らの政治生命をかけて全力を挙げて取り組んでいくことをお約束をしてまいりました。

 この八か月間を振り返ってみますと、これまで不良債権問題の解決を始めとする機動的な経済運営によります景気の回復、その突破口としての住専問題の処理、沖縄米軍基地問題の解決への具体的な前進や日米安全保障共同宣言、こうした二十一世紀を展望した新しい日米関係の再構築など、前政権から引き継ぎました、どれも極めて重要であり、かつ緊急性の高い政策課題について、正面から問題に向き合い、その解決に全力を傾けてきたつもりです。

 もちろん、これらの問題は、一朝一夕に解決するものではありませんし、今後とも継続的な努力が必要であることは言うまでもありません。しかし、ご列席の皆さんを始めとする関係各位のご理解、さまざまなご協力の中で、これまでに何とか一定の成果と解決の方向性を見出してきたのではないかと考えております。

 今日は、せっかくこうしたチャンスをいただきましたので、今後、取り組まなければならない数多くの政策課題の中から、私の方で勝手に三つほどテーマを取り上げて、最近、私が感じております問題意識を中心にお話しを申し上げたいと思います。

 まず最初に沖縄の問題、それから経済の問題、最後に行政改革の問題という順にお話しをさせていただきたいと思っておりますので、よろしくお願いをいたします。

 沖縄の問題に関連いたしましては、もう皆様がご案内のとおり、昨日大田知事とゆっくりお話しをする時間を持つことが出来ました。その席上、大田知事の方からは、八日の日曜日に行われました日米地位協定の見直しと、米軍基地の整理・縮小についての県民投票の投票結果のご報告がございました。その中で、沖縄県民の方々の、この問題に対する歴史的な体験を踏まえた熱い思い、今まで長い歴史の中で、自らが物を決する機会を持ち得なかった、そうした認識の中で初めて県民投票という形で県民の意思を表明することが出来たという知事のお気持ちのご紹介もございました。

 大田沖縄県知事のお言葉、これは沖縄県の長い苦難に満ちた歴史とともにお聞きをし、非常に胸を打つものでした。私は、沖縄の問題というものを、単に戦後の五十年、その歴史のみを頭において対応していくのでは十分ではないという気持ちを前から持っておりました。

 大田知事を始めとして、沖縄県民のいわゆる本土に対して抱かれている複雑な感情というものは、米軍による占領、そして日本復帰後の米軍基地問題に始まったものではありません。

 遠く振り返れば、薩摩藩による琉球侵攻、以後の薩摩藩と清国に対する二元的な従属体制、明治維新後、明治政府による琉球処分といった歴史の積み重ね、そして、その上に、先の大戦時における日本の全土の中でたった一つ悲惨な地上戦闘の経験、そして当時の県民人口の約三分の一に近い、十万人以上の犠牲という悲しい事実、こうしたものの上に成り立っているということを念頭に置かなければならない、私はそう考えております。

 そして、その上で現在全国に存在しております米軍基地のうち、面積で見ました場合には、約四分の三が沖縄県に集中している。逆に、沖縄の方々の目から見たときには、沖縄県の全面積の一割以上、沖縄本島だけに関して言うなら、約二割の面積が米軍基地に提供されているという、その事実をどう受けとめ、是正していくのか、そういう思いを持ちながらも、他方で、日本という国を考えていかなければならない立場にある内閣総理大臣としての私にとりましては、日本にとって一番機軸となる外交関係が日米関係であり、その日米関係の安定の基になっている日米安全保障条約というものは、この国にとりましても、同時にアジア・太平洋地域の平和と安全のためにも、世界のためにも何としても堅持をしていかなければならない存在であることも、極めて重要な事実でございます。

 私は四月の日米首脳会談の際、クリントン大統領との間で、政治・経済・文化など、本当に幅広い分野にわたって議論をすることが出来、世界の将来にとってかけがえのない日米関係の大切さを再確認いたしました。

 なぜ、この点を強調するか、それは、昨年、私自身がカンターUSTR代表との間で激しく論議を闘わせました自動車協議の際、双方の言い分が平行しておりますときに、アメリカも日本もそれぞれが世界に対して自分の主張の正しさをアピールし、自分の主張へ支持を求めた時期がございます。

 結果として、その時点でEUもまたアジア・太平洋の国々も、日本の主張をこの問題については支持してくれました。しかし同時に、その支持の言葉とともに、自動車問題で日米関係を破局に導かないでくれという言葉は全部付いたんです。それだけ我々自身が感じている以上に、日米関係が安定しているということが、世界にとってどれだけ大切なことか、そのとき私は本当に改めてこうした重みを知らされる思いでした。

 四月十七日に署名いたしました日米安保共同宣言の中で、日米安保体制というものが、我が国の安全とアジア・太平洋地域の平和と安定のために果たしていく重要な役割を、ここでも再確認させていただいたわけです。

 そして、こうした日米安保体制を堅持していきますためには、在日米軍基地の安定的な使用を今後とも確保していくことがどうしても必要なんです。

 ただし、我々がこの安保体制を沖縄県民の方々にさまざまなご負担をお願いをしながら維持してきているということも事実です。より正確に申し上げるなら、沖縄県民を始め、基地所在の市町村にお住まいの皆さんに大変な負担をかけていると申し上げる方がより正確かもしれません。

 したがいまして、常々いろいろな機会に申し上げてきていることでありますけれども、この沖縄の問題というのは、私ども行政に携る者だけでなく、沖縄県民、あるいは基地を現に抱えていただいている地域の皆さんを除くすべての国民の方々が、その沖縄県民、これまで歩んできたその歴史、その中で背負ってきた重い荷物に十分思いをはせて解決をしていくべき問題だと私は思います。

 そして、政府として今後更に努力を傾注していかなければならない分野は大別して二点あろうかと思います。

 まず第一には、沖縄における米軍基地の整理・統合・縮小です。

 皆様もご承知のように、政府としては昨年来、日米間で日米特別行動委員会を設けて、米軍基地の整理・統合・縮小に努力を重ねてまいりました。今回のSACOの中間報告が最終的に実現すれば、普天間飛行場の返還など、現在沖縄県に存在する基地面積の約二〇%を削減することが可能になりますし、県道百四号線越えの訓練の本土移転、嘉手納飛行場などにおける騒音軽減措置の実施、更に日米地位協定の運用の改善など、沖縄県における米軍基地の存在に伴う負担の大幅な軽減が実現をいたします。

 我々としては、まだ現在解決の状況になっていない普天間基地の返還へ向けての努力など、引き続き米国側との交渉によって整理・統合・縮小の推進を図っていくと同時に、新たな負担を受け入れていただくことになります関係自治体、住民の方々のご理解とご協力を粘り強く求めていく考えであります。

 第二には、基地問題とも密接に関連した沖縄経済の振興です。

 米軍の沖縄基地なくしては、第二次大戦後の我が国とアジア・太平洋地域の平和と安定は確保されなかったと、そう申し上げても過言ではありませんが、同時にそれは戦後長らく沖縄の経済社会や住民の生活の観点からは、これが大きな重しとなってきたことも事実であります。沖縄県における基地の存続が、我が国の安全保障を確保する上で不可欠であり、その負担がある程度沖縄に偏らざるを得ない以上、沖縄県が抱える、その負担は我が国国民全体で分かち合っていく必要があります。

 そのためには、基地のもたらしてきた経済社会上の負担だけではなく、最初に私が申し上げました、沖縄がこれまで経験してきた歴史の積み重ねというものを十分理解をし、念頭に置いた上で、その結果として、依然存在する沖縄県と本土との経済格差をいかに埋めていくことが出来るか、これを真剣に議論していくことが必要であります。

 政府としては、「二十一世紀・沖縄のグランドデザイン」構想というものを踏まえ、通信、空港、港湾の整備、国際経済交流、文化交流の拠点の整備を行っていきますとともに、自由貿易の拡充などによる産業や貿易の振興、観光施策の新たな発掘と充実、亜熱帯の特性に配慮して、医療、環境、農業などの分野を中心とした国際的な学術交流の推進と、それに伴う関連産業の振興などのプロジェクトについて、沖縄県とともに検討を行い、沖縄県が地域経済として自立し、雇用が確保され、沖縄県民の生活の向上に資するように、また、我が国経済社会の発展に寄与する地域として整備されるよう、全力を傾けてまいりたいと、そう考えております。

 こうした趣旨に沿った沖縄のための各般の施策を進めるために、特別の調整費を予算に計上するよう大蔵大臣に既に指示をいたしました。

 こうした課題の解決の在り型{ママ}を考えます際、私は最近つくづく感じますことは、そして、本日この会場においでになっております皆様方にも、是非ともご一考を煩わせたい。

 それは国益とは一体何であって、個人や地域の利益とは一体何なのか。そして、それをいかに両立させていくかということであります。

 最近の中東情勢を例に挙げるまでもなく、国際社会は依然として数多くの不安定要素を抱えております。我々は戦後長きにわたって平和の恩恵に浴してきました。そして、逆に日々の生活の中でしばしば平和というものの価値、そして、それを今日まで支えてきた日米安保体制の価値というものを忘れがちであります。また、その価値を支えるために重い負担を強いられている方々のお立場や、苦労を見落としがちであります。

 これは何も安全保障の問題だけに限るものではありません。もっと身近な、皆さんの日日の暮らしに直結したものとして、例えばエネルギーの問題、あるいはごみの問題でも同じことが言えます。

 現代は本当に多くの方々にとりまして、真夏の暑い盛りでありましても、クーラーを動かす電力が不足して停電になる、そんな心配をする必要のない、また、ご家庭のごみは近所の電信柱の脇に出しておけば、自治体の回収車が運び去ってくれる、極めて幸せな時代です。

 しかしながら、このような便益というものは、どのような仕組みによってもたらされているのか。目立たないところで、どのような方々が、そして、どのような地域がこうした社会の利便のために負担を余儀なくされているのか。必ずしも一般の人々の意識に上る機会が多いとは申せません。

 政治がなさなければならないことは第一に、何が真の国益、国民全体の利益であるかを見極めることであり、そして、仮にそのために犠牲になって、重い負担を背負うことを余儀なくされておられる方々や地域が存在するのであれば、国民全体でその犠牲を償い、負担を分担していくという合意の形成を図ることだと、私は確信をいたしております。

 次の問題、経済問題に移らせていただきます。

 経済問題における私の最大の関心、というより懸念と申し上げた方がより正確ですが、経済のグローバル化の進展に伴って、世界経済がいわゆる大競争の時代に突入し、企業が国を選ぶ時代を迎えている中で、高コスト構造などの構造的な要因を背景にして、いつの間にか経済活動の舞台としての魅力を日本が急速に失いつつある。そして、産業の空洞化の危機が現実のものとなっていることであります。

 実際のところ我が国から海外への投資の水準に比較して、海外から我が国への投資はわずか十四分の一にとどまっています。その中でも私が強く懸念いたしておりますのは、我が国の製造業、更には研究機能に至るまでの急速な海外展開により、物づくりを支えてきた裾野産業の地域的集積、あるいは地域経済の自立発展基盤である中小地場産業の集積についてへ空洞化が問題化しているということであります。

 産業活動はそれ自体が経済社会活動の重要な部分であるだけではなく、すべての国民生活の経済的な基盤です。この経済的な基盤なくしては、子供たちが健やかに育ち、人々が楽しく働き、だれにも訪れる老いと病気の不安というものをやわらげることは出来ません。

 すなわち、教育、雇用、そして医療、年金、あるいは介護などの社会保障の、言わば源といってもよいと思います。

 日本という国を自動車にたとえるなら、産業経済活動というのは豊かな乗り心地の支えとなるエンジン、あるいはその足回りと言うべきものであります。今、そのエンジンの重要なパーツが歯こぼれをし、あるいはその足回りが急速に衰えつつあるのではないかと、私にはそんな危機感が感じられてなりません。

 具体的な例を申し上げた方がご理解をいただきやすいと思いますが、東京都の大田区、ここは言うまでもなく京浜工業地帯の中核に位置し、ハイテク産業などに用いられる高機能部品、あるいは試作品産業の集積地としては、世界に冠たる存在です。

 しかしながら、このところの大手組立メーカーの海外展開の余波もありまして、昭和五十八年には九千百九十存在しておりました工場が、十年後の平成五年には七千百八十工場へ、約二千工場、率にして二〇%以上減少しております。

 こうした状況は大都市圏ばかりでなく、地方の産地と呼ばれる産業集積地におきまして一層深刻な状況で進展しています。更に、この二、三年、こうした傾向が一層加速していることは、皆様が既にご承知のとおりであります。

 また、工場の移転や廃止までに及ばなくても、規模の縮小、あるいは熟練労働者の離職といった実例は枚挙に暇がありません。こうした工場の中には、世界的に見ても稀有な技術や技能を有し、文字どおり日本の産業の競争力の基盤を形成してきた機器、あるいは工場が数多く存在しておりましたが、こうした企業群が一つ、また一つと姿を消しつつあるのが厳しい現実であります。

 私は景気が緩やかではあるものの、回復基調を示している中で、従来とは異なり雇用情勢が依然として厳しい状況となっておりますのも、実はこうした産業の空洞化の顕在化によって、質の高い雇用機会が失われつつある予兆ではないかと心配しています。

 加えて、我が国は生産年齢人口が昨年をピークに減少局面に入り、いよいよ本格的な高齢社会に突入をいたします。今後、労働力、資本のいずれの面からも、経済の潜在的な成長力の低下が懸念される一方、社会保障需要の増加など、公的負担の増加も不可避となってくる中で、質の高い雇用機会を伴いながら我が国経済の活力を維持・強化するような経済社会、これを実現することは並大抵のことではありません。

 私が考える処方箋は、大きく分けて四つです。

 まず第一は、もう言い古されている言葉ですけれども、規制緩和の重点的実施などによる高コスト構造の是正です。公的負担の問題も含めて、我が国の事業環境としての魅力を高める上に、既存の制度や仕組みにとらわれず、大胆な規制緩和や制度改革を進めていかなければなりません。具体的には本年度末に向けて前倒しをいたしました規制緩和三か年計画を真に実りのあるものにしていくこと。特に先週金曜日にも閣僚懇談会の席上、私から各閣僚に指示をいたしましたように、高度情報通信、物流、金融、土地、住宅、雇用、医療、福祉など、こうしたところを重点とした徹底的な規制の緩和を進めていくことが当面の重要課題であります。

 また、我が国の経済活動をより競争的、かつダイナミックなものにしていくためには、いわゆる官民の規制緩和だけではなしに、いわゆる民民規制、民間同士の不公正と言っては言葉が過ぎるかもしれませんが、不透明な取引慣行の見直しを図っていかなければなりませんし、官官規制と呼ばれる中央官庁の在り方、地方分権の問題にもより鋭くメスを入れていかなければならないと思います。

 第二には、先程も例に挙げましたような具体的、かつ切実な問題となっております地域産業の空洞化への対応です。これまで中小、中堅企業を含めた地域産業の集積こそ、我が国産業界全体の国際競争力の源泉でありましたし、かつ大きな事業環境としての魅力の重要要素だったことは、皆様がご承知のとおりであります。

 現状において、全国各地で、そうした高度なサポーティング・インダストリーの集積、中小地場産業集積が崩壊の危機に瀕していることを考えますと、この対応に時間のゆとりはございません。それら地域の産業が新たな事業展開を行うことを円滑にするための産業インフラ整備、集積における研究開発や人材育成、投資の促進などを柱として、政策資源を集中的に投入していくべく、総合的な政策を早急にまとめていくことが重要と考えております。

 三番目には、二十一世紀に向けて質の高い雇用機会を提供するベンチャー企業群を始めとした新規産業の創出、新規事業の創出への思い切った支援の拡充であります。

 国際的な経済構造の激変の中で、我が国の産業が活力を保っていくためには、企業の海外展開や廃業を上回る新規事業の創出によって、日本経済、我が国産業の言わば新陳代謝を高めていくことが重要です。そのためには、市場の力も借りながら、新規事業の創出上の三つの課題、一つは、技術の芽が事業化に結び付かないという技術面のネックの解消。アイデアはあるけれども資金がない、信用がないという資金面でのネックの解消。そして、企業としての成長を導くだけの人材がいない、採用出来ないという人材面でのネックの解消を、政府として可能な限り支援をしていきたいと考えております。

 四番目には、経済フロンティアの開拓です。

 先般策定されました科学技術基本計画に基づく科学技術の振興、高度情報通信社会の建設などを通じて、自由で創造的な経済社会の将来の発展基盤の整備にも努力をしていかなければなりません。

 こうした問題意識に立って、一連の経済構造改革を強力に推進していくことが必要であることは言うまでもありませんけれども、他方で、国の財政は約二百四十兆円、地方まで加えますと、約四百四十二兆円の累積赤字、国民一人当たりにいたしますと、三百五十万円の赤字を今私たちは抱えております。

 私としては今年を財政構造改革元年にする、そんな意気込みで緒についたばかりの財政構造改革と経済構造改革を両立させるために、来年度予算の概算要求におきましても、全体を極めて厳しい要求基準としながら、三千億円の経済構造改革特別措置を設けたわけであります。今後の予算編成過程におきましても、経済構造改革を真に後押し出来るものとして仕上げられるように、自分自身でもイニシアチブを発揮していきたいと考えております。

 最後に、三つ目の問題として行政改革の問題に触れたいと思います。

 政府といたしまては、一昨年成立した税制改革関連法に基づいて、既に実施されております所得税と個人住民税の恒久減税などとおおねむ{ママ}見合うものとして、来年四月から消費税率を五%に引き上げることを確認したところであります。今、さまざまなところがら反発が起きておりますように、大胆な行政改革による行政の簡素化、効率化を行わなければ国民の理解は得られません。

 時あたかも住専問題、あるいはエイズ問題を契機に、国民の方々の行政、そして行政をリードすべき政治を見る目は、率直に申し上げて極めて厳しいものになっております。

 国民の行政への信頼を回復するために、今こそ政治が強いリーダーシップを発揮しながら行政改革を断行していくべき時期だと確信しています。

 今日、私は沖縄の米軍基地問題、そして産業の空洞化の問題を中心にお話をここまで進めてきました。我が国を取り巻く環境というのは極めて厳しい。そして、内外に難問は山積しています。そして、これらの課題を解決していくためにも、まず、行政自らがその在り方を抜本的に見直していく必要があります。

 戦後間もなく形づくられました現在の行政システムは、この五十年間、貧困や社会的不平等というものを解消して、我が国経済の復興と効率的な経済発展に貢献したという意味では、大変有効なものでありました。

 しかしながら、本格的な高齢化が進展している。そして、国際的な大競争時代に突入している中で、我が国が自らの知恵と力で国家運営を行っていかなければならない時代が到来をしております。

 そして、我々はまだほかの国々が経験をしたことのない世界に今船出をしょうとしているといってもいいでしょう。

 これまで自民、社民、さきがけの連立政権で、規制緩和や地方分権、あるいは特殊法人改革などの諸課題に着手し、まだ、途中とは言いながらも一定の成果を生み出してきましたが、私はこの際、いよいよ行政改革の本丸とも言うべき中央省庁の在り方自体を、白地から見直すべき時期に至っていると、そう確信をいたしております。

 既に大蔵省改革については、与党内における議論の俎上にのっておりますし、結論を出していかなければならないことは当然であります。更に私が行政全体について最も今必要だと考えておりますのは、一言で申すなら、縦割行政の排除と、国民本意の行政というものを目指した、言わば霞ヶ関の改革です。何分、中央省庁の改革につきましては、これまで政府として公式に検討を開始しているわけでもありませんし、私自身が具体的なことを申し上げるのも初めてであります。本日のところは、私個人としての中央省庁の再編・改革に関連した幾つかの問題提起をこの場で行うのにとどめたいと考えております。

 まず私は、省庁を大くくりするということを申し上げてみたいと思います。省の大くくり化といってもいいでしょう。

 私は行政でも政治家でも、個人として、あるいは組織として専門的な知識を蓄積して、高次な政策判断を行うことの重要性というものは、十分過ぎるほど認識しているつもりでありますし、専門的な知見と判断を備えて行政のプロフェッショナルとしての尊敬を社会から集められることは言うまでもありません。

 また、霞ヶ関の官僚諸君の多くは、極めて誠実に自らの専門領域を調査して、その業務に当たっていることも、私は彼らの名誉のために強調しておきたいと思います。

 しかし、私自身、土光臨調の時代、党の行財政調査会会長を経験し、また、通産、大蔵、運輸、厚生という各省の閣僚を歴任させていただき、現在、総理という立場で国政全般に責任を持って行政をつかさどろうとする中で痛感しておりますのは、行政課題というものが日々、省庁の枠を超えて複雑化している。そして、現行の二十二省庁体制では省庁が細分化され過ぎているために、的確な業務の分担、連携が困難になりつつあるということであります。

 私なりに国の機能を考えますと、大きく四つに分けることが出来るように思います。

 一つは、防衛、外交と安全保障、治安と法秩序の維持、財政など、国家としての存続機能。

 二つ目は、経済と産業政策、社会資本整備、科学技術の振興など、国の富を拡大し確保していく、こうした役割。

 そして、三つ目は、福祉、医療、保健、衛生、労働など、まさに国民生活の保障であります。

 四つ目に、教育や国民文化の伝承、形成、醸成。こうした機能があるように思います。

 この言わば国家の四大機能。私なりに考えてみますと、この四大機能に即した省庁体制がどうあるべきなのか。そして、この二十二省庁を、この四つの機能に応じて半分程度にすべきではないのか。その際に、例えば各国家機能の重要部分と国政全体に大きな責任を有する省所管の大臣と、専門的な事務を政治的責任をもって執行する任意省大臣を組み合わせていく。

 あるいは、職員の採用や人事ローテーション、これは各機能ごとに一元的に運用することなどを新たな方式として考えられないだろうか。こうしたことを一度原点に立ち返って真剣に検討すべきではないでしょうか。

 第二には、官邸のリーダーシップの強化、行政の機動的、弾力的な運用というものがあります。私は来年度の予算編成に当たって、経済構造改革の推進については、内閣の内政審議室におきまして、各省庁の施策の重複を排除すると同時に、個別に出てきております各省の施策を連携づけする。そして、優先づけを行う。最終的に私の判断で大蔵大臣に指示を行うという新しい道を切り開きました。しかし、これをもう一歩更に進めることは出来ないか。その予算編成、人事、あるいは行政管理の機能を官邸の下に置けないものだろうか。こうした基本的な問題にもきちんとした整理が不可欠だと思っております。

 また、本当につらい思い出になっておりますけれども、昨年一月十七日の阪神・淡路大震災の教訓、あるいは最近の事例では、0一五七問題の対応一つを取りましても、数多くの関係省庁が連携し、最終的には官邸のリーダーシップの下で事に当たらなければ解決しない事例が、飛躍的に増えていることは明らかであります。

 今回の0一五七問題の教訓を踏まえて、省庁の横断的な強力なプロジェクト・チームを官邸に設置するように態勢をつくり出せないものだろうか。そして、その際任意省大臣を活用出来ないか。こうして考えていきますと、縦割行政の縦割主義の弊害を排除する。そして、行政の機動化、弾力化と、官邸のリーダーシップの強化を図っていくべきではないかと、そのように感じております。

 三番目に申し上げるべきことは行政の透明化、また、行政の自己検証でございます。

 一連の行政不祥事や、護送船団型の行政の破綻、こうしたことから国民の間には従来になく行政への不信、この国の行政が国民から隔絶されたところで、官僚によって独善的に決定されているのではないか。あるいは、行政のための行政になっているのではないかという不信感が増大をしております。

 こうした国民の声を真正面から受けとめて、行政への信頼を一刻も早く取り戻すために、従来の霞ヶ関を改革して、行政の立案過程や施策内容を幅広く、出来るだけ多く国民に公開をし、不断にその批判を仰いでいくという姿勢が、今ほど重要な時期はないのではないか。行政情報公開法の早期の策定や、政府審議会の公開の一層の促進などによって、行政文書や政策立案過程を可能な限りガラス張りにしていくこと。外部有識者による主要政策の第三者評価、監査制度を導入することなどで、透明、国民参加、新陳代謝型の行政システムを構築していくべきではないでしょうか。

 もう一度、これは念のために申し上げることでありますが、中央省庁の再編、改革というのは、行政改革の中の中核中の中核でございます。

 本日、私が申し上げた論点は、あくまでも私個人、一私人としての議論の一つの出発点でありますけれども、そう受けとめていただくと同時に、今後、ご来会の皆様方から、いろいろなご意見、あるいはご批判などをいただきながら、慎重に、しかし大胆な発想で議論を進めていきたいと、心から願っております。

 以上、最近私の頭の中をよぎる幾つかの問題意識を率直に申し上げてきました。先程来、自分でお話しを申し上げながら、また、皆さんの表情を拝見しながら、一つ付け加えておかなければいけないと思いましたのは、本日申し上げましたような政策を実現していくために、今後の政局、政権の枠組みというものをいかに考えていくかであります。

 いずれにせよ、明年の七月までには私どもは総選挙を行わなければなりません。三年前に五五年体制が崩壊いたしました後に、新たな政党の誕生、さまざまな連立の模索などが行われてまいりました。また、現在も行われております。私は個人的にはおおむね五年の間には安定的な政治体制をつくり上げていかなければならないと考えておりました。今、我々がその過程にあるわけであります。

 本日触れました問題に限らず、安保理の常任理事国問題をはじめとする国連改革、あるいは日露問題など外交的な課題を解決していきますために、国民の信を背景とした、より安定的な政権基盤が必要なことは言うまでもありません。

 ただ、私は、具体的な時期を決断するに当たりましては、沖縄問題について、沖縄県民から見てもある程度の節目を迎えたという受けとめをしていただけること、また、景気が自立的回復軌道に乗ったことの確認など、緊急性の高い課題にきちんとした目途がつくこと、それなりの方向づけが出てくることが必要だと思います。

 同時に、外国からのお客様をお迎えするに当たって、礼を失しないような配慮も必要だと思います。併せて、この総選挙が、党利党略のための合従連衡ではない、また単に、大衆に迎合するような空約束ではない、地に足のついた政策議論によって、我が国の抱えるさまざまな問題の解決へ向けての有力な選択肢である、あるいは有益な選択肢が示される、そのような総選挙でなければならないと考えておりますし、政権の枠組みというものも、そうした政策議論を通じ、国民の選択によって、当然かたまっていくものである、また、そうあらねばならないと確信をいたしております。

 この言葉を最後に付け加えさせていただいて、少し長くなりまして申し訳ありませんでしたが、私の役目を終わりたいと思います。今日は本当にありがとうございました。