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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 内外情勢調査会年次大会における橋本内閣総理大臣の講演−変革の時代と日本

[場所] 
[年月日] 1996年10月1日
[出典] 橋本内閣総理大臣演説集(上),648−667頁.
[備考] 
[全文]

 本日は、こうしてお招きをいただきまして大変ありがとうございました。この席にお招きをいただきますのも、勘定をしてみますと四回目になります。しかし、本日のように絶妙のタイミングでお招きをいただきましたことは初めてでありますし、このような機会を与えていただきましたことに、冒頭お礼を申し上げます。

 同時に、間もなく総選挙の始まりという時期、巷では争点がない選挙戦だなどというお話も伺っておりますが、今日、この機会に私は、私自身がこの国の現在、そして将来について感じておりますことを、少し率直にお話しをさせていただきたい、そのように思っております。

 改めて申し上げるまでもなく今回の選挙は、一九九三年夏の、約四十年間続きました、いわゆる五五年体制、これが崩壊する結果を招いたあの総選挙以来、約三年余り経った選挙であります。前回の総選挙の結果、そして自由民主党が比較第一党となりながら野党という立場に立った、その瞬間を思い出しますと、自由民主党の一員として、私にとりましては本当に痛恨の思いがいたしますし、本当につらい一時期を過ごした。これは隠しようのない話です。

 しかし、同時に振り返ってみて、私はそれからしばらくの自由民主党の野党という立場、これはそれなりに、その後私たちが成長しようとするエネルギーにもつながったと考えておりますし、あの選挙の結果というもの自身が、有権者の政治不信に対する率直な意思の表明だったのではないだろうか。そして、我々はその判断というものを重く受け止めるべきではなかったのか。すなわち、東西冷戦の終結によってイデオロギーの対立が解消し、一方では国内において、バブル経済が崩壊をしていく、戦後長く続きました右肩上がりの成長パターンが完全に過去のものになっていく、そうした中で有権者の方々の思いというものが、本当に日本の政治や経済、そして社会がこのままでいいんだろうか、従来の枠組みをもう根本から見直すべき時期に来ているんじゃなかったのか。

 そんな思いがおありだったのではないだろうかと、今改めてそのような反省とともに、教訓を学び取っている次第であります。

 そして連立の時代が始まり、この三年余りの間、新たな政党の誕生やさまざまな連立の模索などが行われてまいりました。私自身も、その模索の中から内閣総理大臣という役割を与えていただいた一人です。

 今回初めて実施をされることになります選挙制度改革、これを始めとする政治改革にしても、私はこの連立政権の時代を振り返ってみまして、あるいは水俣病問題、あるいは被爆者援護問題など、戦後五十年というものに対する対応を取りましても、また、最近の問題としては米軍の沖縄基地問題の解決への努力にいたしましても、私自身、主体的なかかわりには濃淡がありますけれども、連立政権でこそここまで進んだ、成果を得られたという問題もあると思いますし、これらばかりではなく、連立の結果として解決出来た問題が数多く存在することは私は間違いないと思います。

 加えて、この間に多くの政党が政権与党という立場と、野党という立場の双方を具体的に経験することになりました。そしてこの連立時代というものは、我が国の民主政治、政党政治にも大きな影響を与えております。私としては九三年選挙における有権者の厳しい批判というものを正面から受け止めながら、これまでの政治の在り方を自分の心の中できちんと見詰め直し、国民本位の政治、行政を行っていかなければならない、そんな思いを新たにしておりますし、それぞれ各政党ともに厳しい内外の環境の中で、理想と現実をいかに折り合いを付けて責任ある政策運営をしていくか、そうした意味では、我々と同じような経験を積んでこられたと思っております。こうした意味において、この三年間の連立の歴史というものは、私は日本の民主政治の中で明らかに一定の意義を有したに違いないし、その経験を決して無駄にしてはならないという思いが胸の中に去来をいたしております。

 しかしながら、ではこれまでの連立政治というもの、連立政権というものが、有権者が三年前に下された審判の思いを的確にくみ上げて、現在の我が国の抱えている中長期的な問題に対し、十分取り組んで来ることが出来たかと言えば、私自身の反省も含めて、まあ及第点はぎりぎりいただけるかもしれませんが、やはり、満点をつける、そのような気持ちには私自身がなれないという率直な思いがあります。そしてこれは、まさに何よりも国民の政治不信、そしてそれよりもこわい政治への関心の低下というものによって裏付けられております。

 確かに阪神・淡路大震災やオウム真理教事件のような災害・事件の遭遇、あるいはエイズ問題など、連立政権にとって予期していなかった問題への対応について、多大のエネルギーを費やさなければならなかったという事情はございました。しかし、あえて見れば、こうした問題こそまさに戦後五十年間、我が国を支えてきたシステムの限界を意味するものでありますし、これらの問題の背景に存在する本質を見抜き、それを解決することこそが、本来連立政権が取り組むべき課題であったと思います。

 私は、日本国民の総意は、かつてのキャッチアップ型の発展の時代の日本を支えてきたこの国の政治、経済、行政、社会のさまざまな制度、特に、これまで効率的に機能してきた経済システムや官僚制に代表される行政システムなど、今や深刻な制度疲労の色の濃い既存の枠組みを言わばゼロから見直して、二十一世紀に向けてこの国の経済社会システムを白地から検討しろということであったと信じておりますが、その意味では、問題の本質にかかわる改革はまだ緒についたばかりと言わなければなりません。

 大震災やオウム真理教事件が私どもに残した教訓、すなわち、一連の事件を通じ一国の危機管理というものがいかにおろそかにされてきたか、また、この国の優秀な若者たちがいかに現実の社会や日々の暮らしの中に自分たちの夢、あるいは生きがいを喪失してしまっているかということを、どう我々は問題としてとらえるべきなのか。どのような社会構造の中で住専問題やエイズ問題を生んで、これを大変な問題に発展させてしまったのか。

 更には、最近深刻化しております産業の空洞化や閉塞感の存在といったことに示される我が国経済の構造的な問題や、世界でも最悪の部類になってしまっている財政赤字問題などに対応していくために、この際、戦後長く続いてまいりました政・官・業の関係に代表される従来型の我が国の経済社会構造というものを、私たちは再構築しなければなりません。

 では、これらに代わるべきものは何であるのか。一言で申し上げるなら、個人の自己実現、チャレンジ精神、創造性といったものの尊重でありますし、その反面として自己責任原則を徹底させることでありましょう。こうした変革は、横並び主義や閉鎖的な和の秩序、もたれ合い構造といったものからの脱皮を意味するものですし、単に政治とか行政の制度を改めれば済むといった問題ではなく、私たち一人一人の意識の変革を含め、これを実現していくことは容易なことではありません。しかしながら、我が国の経済・社会の真の改革にとっては、これらの改革は避けて通れないものであります。

 五五年体制が崩壊した際、私が感じましたことは、何とかして五年間程度の間に、二十一世紀に向けて国内的にも対外的にも山積する諸課題に対応出来る安定的な政治体制を築き上げることが、是が非でも必要だという思いでありました。人は、今回の選挙戦を争点なき選挙戦、対立軸の不在と評されます。しかし、私は、今日の政治においては、かつて存在しましたような自由主義と社会主義、あるいは自由か平等か、といったイデオロギー対立、哲学的対立は既に過去のものとなっていると思いますし、また、大きな政府か小さな政府か、タカかハトかといった対立軸は、これは現実を踏まえない抽象的な、あるいは理念的な対立、言い換えれば対立を演出するためだけの人為的な対立軸になっているように思います。

 より重要な問題、それは我が国の経済社会構造全体の変革、具体的には経済構造改革と財政改革が、霞が関によって象徴される行政システムの改革を伴い、こうした課題の解決に具体的にどのように着手し、いかなる手法でこれを実現していくかにかかっていると思います。

 今や、時代は、党利党略の下での政争のための政争や政局の不安定化を求めてはおりません。私は、我々が目指す改革は、時に国民の痛みを伴う厳しい課題であり、またそうであるがゆえに、単に、あるいはいたずらに目先の政党の利害で右顧左眄するものではなく、その思想と具体的な実行の道筋やその手順を国民の前に明らかな形で掲げ、国民の信を問うた上で勇気を持って実行に移していく、これが政治の正道だと堅く信じております。そして、賛否を別にして、このような私の気持ちは必ずや国民の皆様に十分理解していただける、そう確信をいたしております。

 本日は多少問題を絞りまして、私の方から、日頃皆様に問いかけたいと思っておりました具体的な政策から二点ばかり取り出して考え方をお話ししたいと思っております。

 まず第一点は、景気の本格的回復と経済の構造改革です。私どもがさまざまな方々とお話をしておりまして、依然として最も多くのご要望をいただくのがこの点であります。

 我が国の景気につきましては、緩やかながら回復の動きが続いておりますが、依然として雇用情勢は最悪に近い深刻な情勢にありますし、中小企業の景気回復は大企業に比較して大幅に遅れているなど、引き続き懸念すべき状況にあります。

 特に最近地方を遊説し、その土地の中堅あるいは中小の事業者の方々と直に接してみますと、それらの方々が口々におっしゃいますのは、政府が発表いたします各種の統計、これらとて必ずしも一本調子の回復を示すに至っていないわけですけれども、それらに比較してもなお、地方経済の実感は明らかに力強さに欠けるという点であります。大企業はリストラによる経費節減や、海外事業展開によって収益を確保出来ても、そのしわ寄せは地域の下請けの中小企業に深劾な影響を与えておりますし、これが高水準の失業率など雇用情勢に反映しているというものであります。私どもとしては、これまで景気回復こそ、この政権が最も緊急に取り組むべき最重要課題と位置づけて、切れ目のない経済運営に努めてきたわけでありますが、今後、所得税・住民税の特別減税を行うのかどうか、補正予算を編成するのかどうか、まさに、経済運営の在り方が問われることになります。今後とも各種の公共事業の効果が地域の中小企業にも着実に波及するよう適切な配慮を行うとともに、必要なときには、時期を失することなく、行うべき対策は躊躇なく行わなければならないと考えております。

 その際重要なことは、今回の景気の長期低迷で私たちが学んだ教訓、すなわち在来型の公共投資中心の景気刺激策が実体経済に対して大きな影響を与えられなくなりつつあるといった点をも考慮し、経済構造改革を十分に視野に入れた対策を思い切って行わなければならないということであります。いずれにせよ、私としては、引き続きマクロの各種経済指標を注視することは当然として、更に中小事業者の方々や地域経済、雇用の実体など、言わば経済の体感温度というものをきめ細かく把握しながら、こうした問題に結論を得ていくのが政治の役割だと考えております。

 足下の景気の問題を考える場合、重要な問題は経済構造の改革です。私の懸念は、景気が緩やかながらも回復傾向を示す中で、従来とは異なり、雇用情勢が厳しいままとなっているのは、実は産業の空洞化により、雇用機会が失われつつあることの表れではないかという点であります。経済のグローバル化の進展に伴い、世界経済が言わば大競争時代に突入し、企業が国を選ぶ時代を迎えている中において、高コスト構造などの構造的な要因を背景にして、いつの間にか経済活動の舞台としての魅力を、我が国が急速に失いつつあるというのが残念ながら厳しい現実であります。加えて我が国は生産年齢人口が昨年をピークに減少局面に入り、いよいよ本格的な高齢社会に突入いたします。今後、労働力、資本のいずれの面からも、経済の潜在的な成長力の低下が懸念される一方で、このままでは、社会保障需要の増加や構造的な財政赤字体質を通じて、公的負担の増加も避けられないといった中で、質の高い雇用機会を伴いながら、我が国経済の活力を維持・強化するような経済社会を実現することは、並大抵のことではありません。私は、この際、産業の国際競争力の維持と、国民の実質生活水準の向上を図るためにも、経済構造改革と財政構造改革を車の両輪とした、思い切った我が国経済社会の構造転換を実行すべきときに至っていると思います。

 まず第一に必要なこと、それはいつも言われることですが、徹底的な規制緩和の断行であります。我が国の経済活動の高コスト構造を是正して、我が国の事業環境としての魅力を高め、国民一人一人の生活をより豊かなものにしていくためにも、既存の制度や仕組みにとらわれず、大胆な規制緩和や制度改革を実行していかなければなりません。創造性やチャレンジ精神を生かして、日本経済の活力と革新性を発揮しなければなりません。

 数多くの規制は、今まで我が国経済の効率的な発展や国民生活の最低限の安全確保に大きな役割を果たしてきました。しかし、今やその相当部分は新規事業の創出や発展を拒んだり、現状を固定化することによって、最終的には国民生活の実質的向上を妨げ、産業の競争力を著しく劣化させているのではないかという懸念を私は持っております。特に、高コスト構造の是正の観点と、新規産業の創出という観点から、物流、金融、土地・住宅、雇用、情報通信、医療・福祉の各分野、挙げてみますと六分野になるわけですが、特にこの六つの分野を重点とした徹底的な規制の緩和を進めていくことが当面の重要課題であります。

 私としては、経済的規制は原則排除していく。社会的規制は白地から見直して、真に必要最小限のものに絞り込んで、規制の目的を達成しながら、出来るだけ自由で動きやすい活動を妨げないものに改めていくという考え方を大原則としながら、不退転の決意で規制緩和に取り組んでいきたいと思います。

 また規制緩和の実効を上げ、我が国における経済活動を競争的かつダイナミックなものとしていこうとするためには、いわゆる官民規制の緩和だけでは決して十分ではありません。官民の役割分担の在り方についても真剣な議論が必要でありますし、一部には規制緩和を拒む真の原因とも言われている、いわゆる民民規制、民間同士の、不公正とまで言わないにしても、不透明な取引慣行の見直しを図っていかなければなりません。今後、このような視点をも加味しながら一層徹底した規制緩和を政権の最重点政策として実施していくつもりであります。

 第二には、二十一世紀に向かって質の高い雇用機会を提供するベンチャー企業群を始めとした新規事業の創出への思い切った支援の拡充であります。国際的な経済構造の激変の中で我が国産業界が活力を保っていくためには、企業の海外展開や廃業を上回る新規事業の創出によって日本経済、我が国産業の言わば新陳代謝を高めていくことが必要であります。このためには新規事業の創出の上での三つの課題、すなわち技術の芽が事業化に結び付かないという技術面のネックの解消、アイデアはあるけれども資金がない、信用がないという資金面でのネックの解消、企業としての成長を導くだけの人材がいない、採用出来ないという人材面でのネックの解消を、政府として可能な限り支援していきたいと考えます。

 第三には、二十一世紀における我が国の発展基盤を確保するための経済フロンティアの開拓であります。クリントン大統領はその演説の中で、アメリカの子供たちのすべてが八歳で文字を覚え、十二歳でインターネットを使いこなし、十八歳で大学に入学出来る社会を作りたいと述べておられます。天然資源や国土に恵まれない我が国の将来にとっては、人材は唯一と言ってもよいほど貴重な資源であります。二十一世紀を支えることになるこれからの若い有能な人材を、いかに創造力豊かに育てていくかは、国家的な課題とも言えるでありましょう。私は、これからの時代において、人から与えられた画一的な問題の答えをいかにすばやく見出すかの訓練を重視している教育から、一人一人が自らの目標や課題を自分で設定し、その実現に全力を挙げることを奨励する、そのような教育への質的転換を図るべきだと考えております。

 先程このテーブルでお話をしておりましたけれども、私自身、たまたま子供の中に日本の教育制度の下における大学院の修士課程に学ぶ者、アメリカの教育制度の下においてアメリカの大学院に学ぶ者、そして、日本の教育制度における国立大学の大学院、私立大学の大学院に学ぶ者、それぞれの子供を持っております。その子供たちの大学院生としての教育の在り方を見ても、私は深く考えさせられるものを持っているわけであります。そうした教育の理念の転換というものを教育改革の中心に位置づけ、小中学校における教育理念の抜本的な見直し、国際化、情報化時代にふさわしい語学教育やコンピュータ教育の導入の促進、大学の専門課程及び大学院におけるビジネス教育など実学教育や理工系教育の充実など、教育界だけではなく産業界や地域社会をも巻き込んで抜本的な教育改革に着手していきたいと思います。同じような観点から、新たな知的フロンティアを切り開いていく科学技術の振興、地理的・物理的な制約を超えて生産性の飛躍的向上や新規市場の創出にも大きく寄与する情報化の推進など、こうしたことに力を入れていくことも極めて重要であります。

 こうした問題意識に立って、さまざまな経済構造改革を強力に進めていくことが必要であることは申し上げるまでもありませんが、これまでの一連の対策がややもすると対症療法的な効果しか挙げず、本源的な問題解決に寄与しないばかりか、この国に財政の上で大きな負担を残す結果になったことも直視しなければなりません。今や国の財政は約二百四十兆円、地方まで加えれば約四百四十兆円の累積赤字、国民一人当たりに直してみれば約三百五十万円の赤字を私たちは抱えております。この赤字残高のために、国の一般会計だけでも、年に十二兆円もの利払いを行っております。率直に申し上げて、経済構造改革の名前の下に旧態依然たるばらまき行政が行われるのであれば、それは時代の要請にこたえるのではなくて、我々が最も避けなければならない事態を招きかねません。

 一例を挙げれば、公共投資の効率化の問題があります。欧米諸国に比して依然として整備が遅れている我が国の社会資本整備の重要性は、私としても十分過ぎるほど理解しているつもりであります。ただ、現状において、その内容において見直すべき点が少なからず存在していることも、また事実であります。各省庁ごとの縦割りの下に、例えば一般道と農道が、普通港湾と漁港が、あるいは、下水道とこれに類似した汚水処理施設がばらばらに整備されている。投資効果に見合わないものになってはいないか、他方、国家的にも国民経済的にも整備が加速化されるべきハブ空港やハブ港湾、高速自動車道などの整備が必ずしも適切に進められていないのではないか。こうした疑問に真剣に向かい合い、今後、公共事業の改革に取り組むことは、経済構造改革にも資することでありますが、財政の構造改革にも大きく寄与するのではないでしょうか。

 経済のためにはいかなる財政出動も辞さないといった姿勢が、逆に経済構造改革を阻むことになるのと同じように、財政構造改革もただ単に赤字を減らすということだけではなく、経済社会構造の改革とリンクしたものであるべきだと思います。何のためにお金を使うのか、何のためにお金を使わないのか、それが重要であります。両者は決して相矛盾するものではなく、それぞれが密接な連携の下に行われてこそ有効に効果を発揮するものでありましょう。

 今後財政構造改革と経済構造改革を円滑に進めていくために、政府として、これら双方についての基本的なものの考え方、手順というものをまとめるのも一つの案だと思っております。私自身の頭の中でもいまだ整理し切れておりませんけれども、ひとつ問題提起をさせていただきます。

 財政構造改革については、例えば、具体的な赤字削減ないしは財政健全化の目標を設定することは出来ないだろうか。目標だけでは、絵に描いた餅になってしまいかねませんので、中長期的に削減する仕組みを作る必要はないだろうか。また、それはさまざまな制度改革と併せて行われなければならないのではないだろうか、といったことでございます。

 この作業は、本格的な高齢社会における国民負担率のあるべき姿を頭に描いた社会保障の在り方、地方分権を頭に置いた教育の在り方、公共投資の重点化・効率化の計画的な推進といった公的サービス全般にわたる見直しになります。そして、民間の力を活用したり、規制緩和によって競争原理を導入したり、国の業務を民間に委譲するなど、従来の発想にとらわれない見直しでなければなりません。

 財政構造改革は、経済構造改革と密接に結び付いたものでなければなりません。教育についても情報化、コンピュータ化や理工系教育の充実を加速させるものでなければいけませんし、公共投資についても、情報化の進展や科学技術の振興など、経済構造改革も考慮に入れたものとしなければなりません。規制緩和については、明年三月に向け、三か年計画の改定作業を行っているところであり、まず、これを充実させるとともに、前倒し出来るものはすべて前倒ししていくことが必要です。この三か年計画は、来年度計画の最終年度を迎えるわけであり、その後を受け、例えば経済規制についてゼロ・べースで見直すことなど、大胆な規制緩和計画を策定することが不可欠でありましょう。

 そして、この財政構造改革と経済構造改革は具体的な目標とスケジュールの下に、毎年その進捗状況を官邸の強力なリーダーシップによって精査されなければなりませんし、その実現のために法的な枠組みを作っていくことも一案ではないだろうか。是非、皆様にもお考えをいただきたいと思います。

 こうした変革の手法には、あるいは霞が関や一部の産業界、そして政界の中にも反対や反発は強まるかもしれません。

 土光臨調と今も記憶をされております第二次臨時行政調査会の仕事が進んでおりました当時にも、そうしたことはしばしばございました。国民からの強い声に支えられながらも、土光臨調ですら何回か壁にぶつかったことがあります。

 しかし、これまでの諸改革がさまざまな要因はありましても、掛け声倒れという批判にさらされてきたこと、二十一世紀を間近に控え、今やもう一度そのような失敗を繰り返すだけの余裕は、時間の上でも存在しないことを考えれば、今回こそは、私自身、自らをかけて変革のスキームを作らせていただきたいと考えております。

 財政に関連しては消費税についても一言申し上げなければなりません。最近、消費税の凍結論が盛んに言われております。総選挙を目前に自分の地元に戻りました国会議員にとりまして、経済の回復に力強さがない、国民の生活実感の中に明るさが見えない、そうした中で、来年の春からの消費税率の引き上げを選挙民の方々にお願いすることの苦しさ、心苦しさというものは、私自身もよく理解出来るつもりです。

 しかしながら、今回の引き上げは、既に実施されている所得税と個人住民税の恒久的減税などとおおむね見合うものとして行うことは、既に皆様もご承知のことであります。一昨年、長い時間をかけて、景気や税体系について議論し、その結論を税制改革関連法として法律で定めましたものを、去る六月確認したものであることは、皆様がご承知のとおりであります。税というものは、経済の実体や予測を踏まえて、考えるべきものであります。

 未曾有の財政危機の中にあって、選挙で困るからといってその決定を覆す、今後の超高齢社会にあって、ただでさえ重い負担を背負うこととなる私どもの子供たち、あるいは孫の世代により過大なツケを残す、そうした対応が果たして許されるものでありましょうか。一見国民の要望にこたえるようでいて、その場しのぎで、実はツケは知らぬ間に国民に回されてくる、こうした行動の繰り返しこそが、私は国民の政治不信を生んだものだと思っています。私は、国民に実情をありのままにお話を申し上げたい、そうでない限り、我が国の構造改革はあり得ないと思っています。消費税の引き上げについても、国民の皆様には大変なご迷惑をお掛けすることでありますけれども、政府として将来世代にこれ以上の負担を強いないためにも、来年四月からの税率の引き上げについて、国民の皆様のご理解を得るべく、私は率直に訴えてまいりたいと思います。

 消費税の問題で国民の皆様にご負担をお願いをするならば、その大前提として政府自らがなすべきことがあるのではないか。恐らくこの会場の皆様にもそうしたお気持はありましょうし、こうした問いかけは当然の問いかけであり、それは本日私が申し上げたい大きな二つ目の問題、すなわち行政改革の断行が私としてこの問題に対する答えであります。

 今日各党がこぞって行政改革を公約の第一に掲げておられます。昭和四十八年に自由民主党の中に行財政改革特別委員会が生まれ、その後、行財政調査会と変わり、土光臨調をスタートさせて幾つかの仕事に取り組んでまいりました。そして、行政改革にいささか関心を持ってきたと思っております一人の政治家として、この問題の重要性がここまで社会的にも政治的にも関心を集めることに至った、この状況に感なきを得ません。

 しかし同時にこの問題こそは政治家、そして、行政の長たり得る立場にある人間にとって、自らの活動のフィールドをどうとらえ、そしてそれをどう改めていくのか、どのような手段を持って平和で豊かな国民生活を実現していくかという議論そのものにほかなりませんし、決して思いつきや、党利党略で処理してはならない問題であることは、具体的な議論に入る前に十分強調しておかなければなりません。私が考える行政改革の基本は、行革のための行革でもなく、キャッチフレーズとしての行革でもなく、今後我が国の将来を見据えて一体どのような行政が求められるのかを真剣に問い直すところから始めることであります。

 第二次世界大戦後間もなく設置をされた我が国の行政システム、これは貧困や社会的な不平等を解消し、我が国経済の復興と効率的な経済発展に貢献したという意味では、極めて有効なものでありました。しかしながら、経済の成熟化と内外の環境の変化、しかも急激な変化、すなわち急速な高齢化や情報化の進展、国境を超えた経済活動の活発化などの中で、我々が直面する課題は従来に比較してはるかに複雑なシステム、また多様な回答を必要とするものとなっており、従来型の硬直的な縦割り行政のシステムでは、問題解決が極めて困難な状況となりつつあります。

 例えば、現代社会がいかに複雑・多様な要素から成り立っており、現在の行政機能がこうした複合的問題への対応をいかに苦手にしているかを最も痛感させられましたのは、昨年の阪神・淡路大震災でありました。災害時の情報伝達から始まり、人命救助、更に住宅、ライフライン、交通網などの復日作業、避難所、仮設住宅の整備などの救援活動に加えて、中小企業対策、雇用対策、都市再開発などの経済復興対策、更には諸外国からの援助の受け入れなど、およそほとんどすべての官庁がこの問題に深くかかわりを持つことになりました。この中で私たちが得た手痛い教訓は、年々複雑化する経済社会において、過度に細分化された事務をそれぞれの省庁が限られた範囲で、しかも限られた視野でばらばらに行っていたのでは、およそ国民本位の行政を行うということが困難になったということでありました。

 こうした問題は決して災害などの緊急時だけの問題ではありません。社会保障の問題一つをとりましても、従来のように完全雇用に近い日本型の終身雇用システムや六十歳定年制を前提とした制度設計、これがいつまで続くんでしょう。現実の労働慣行や雇用情勢を勘案しながら、労働行政と社会保障政策というものを総合的に検討していく必要が既に生まれております。また、未来への行政という観点では、大学が行っております学術研究と国が行う基礎研究は、一体的に行われるべきではないでしょうか。

 更に、世界に通用する創造性豊かな人材を育てていくためには、科学教育や情報化教育、外国語教育の積極的な導入が不可欠でありますし、国際的に日本の位置づけが大きくなる中で、教育の中に国民文化の伝承、醸成といった視点を盛り込んで、その海外への発信力を高めていくことも重要な課題であります。

 また、現在のように道路や港湾、農道、漁港などがまちまちに整備されている状況を改めて、各種の社会資本整備は効率性の観点から総合的一体的に整備する体制を作り上げていく必要はないでしょうか。

 また、これまで女性に負担が偏りがち、しわ寄せがいきがちでありました子育てや介護などの負担を、社会として公正に分かち合い、女性の一層の社会参加によって社会全体の活力を高めていくためにも、女性の能力を一層生かし、女性と男性が互いに支え合う家庭や職場、特に社会を築いていくことが必要であることは論を待ちません。そのためには、雇用や介護の問題に加えて、子育ての環境という意味での教育や住宅政策などにわたる広範な政策を総合的・一体的に検討、実施していかなければなりません。

 私が、行政改革の中核として、霞が関改革、中央省庁の統廃合が必要だと考えますのは、このような問題意識に基づいたものであります。既に、先日与党が大蔵省改革についての報告を取りまとめましたが、これを受け止めて真剣に検討いたします。しかし、これだけではいけません。更に中央省庁全体について、縦割行政を排除し、地方にお願いすべき事業・事務については、地方にその権限をお渡しをしながら、機動的・弾力的な行政組織をつくり上げていくため、まず現行二十二の省庁に細分されている省庁を大括りして、官邸のリーダーシップにより各省横断的な行政体制をつくり出していくようにすることが大切であります。

 先日他の場所でも申し上げましたが、私は国の機能について大きく四つに分けることが可能ではないかと考えております。また、その括り方が適切ではないかとも考えております。

 一つは、防衛、外交、安全保障、治安と法秩序の維持、財政など国の存続のための機能であります。

 二つ目は、経済と産業政策、社会資本整備、科学技術の振興など、国の富の確保・拡大に向かうものであります。

 三つ目は、福祉、医療、保険・衛生、労働など国民生活の保障であります。

 四つ目が、教育や国民文化の継承、醸成という機能であります。

 私なりに分けてみました、言わばこの四つの国家の機能を、いかに連携して効率よく、かつ、簡素に果たすかという観点から、望ましい省庁体制を築いていくことが必要であります。そして私なりに考えてみまして、省庁の数を現在の半分程度にすべきではないかと考えております。また、大括りにいたしましても、その内部で結局元の官庁組織ごとの縦割り人事が行われたのでは、縦割り行政の根源は解消されません。省庁の壁を出来るだけ取り払うというハード面だけの改革ではなく、人材が円滑かつ弾力的に配置をされ、より広い視野において行政が行われることをソフト面で担保するためにも、職員の採用や人事のローテーションを、専門性や機能の共通性を見て広く運用することが重要な課題になります。

 そして、本当に必要なこと、重要なことと置き換えても結構でありますけれども、省庁の数を幾つにするかといった数合わせが問題なのではなく、大胆な規制緩和や公的部門の仕事の絞り込み・削減を実施するなど、行政のスリム化にも資するような、行政課題に応じたメリハリのついた改革なのであります。

 大括りにした中央官庁を国民本位の行政のため機動的・弾力的に活用していくのが、官邸の大きな役割であることは言うまでもありません。今回、来年度の予算編成に当たりまして、経済構造改革の推進については、内閣官房内政審議室において各省庁の施策の重複を排除すると同時に、連携付けと優先付けを行いながら、最終的に私の判断で大蔵大臣に指示を行うという新たな道筋を切り開きました。私はこれを更に一歩進められないだろうか、更には人事、あるいは行政管理といった機能についても、官邸自身が強い指揮の下に、柔軟に活用していくような姿勢がつくれないか、真剣に検討しなければならないと思っております。

 また、先程申し述べました阪神・淡路大震災の教訓、あるいは男女共同参画型社会の構築の問題、最近の事例ではO−157問題への対応をとりましても、数多くの関係省庁が連携し、最終的には官邸の強いリーダーシップの下に、機動的、弾力的に事に当たらなければ、問題が解決しない事例が飛躍的に増加していることは明らかです。各省庁横断的な強力なプロジェクトチームを機動的に官邸に設置をする。加えて現在の審議会行政と言われる各種の審議会のうち、歳入、歳出、財政投融資、地方財政、社会保障などの審議会を統合して、総理に直結した機関による運営を図っていくことは出来ないだろうか。そしてその際、総理の直接の指揮の下で動く無任所大臣を設置して重要な課題に、機動的・弾力的に当たる体制を作れないだろうか。縦割り主義の弊害除去と行政の機動化・弾力化、官邸の指揮能力の強化を図っていくべきではないでしょうか。

 実は私は総理に就任直後、この審議会の問題に何か工夫が出来ないかと、現行の仕組みの中で考えてみました。そして、財政審、経済審、あるいは税調、行革委、更には社会保障制度審議会等、関係する委員会の会長、会長代理の皆さん、事務局の方々にも一堂に会していただき、相互の情報連絡、論議の方向の情報交換、さまざまな工夫を実際に行ってみました。しかし、今のままではやらないよりましでありますけれども、思い切った効果はこれでは生まれてまいりません。今それぞれに分かれております主要な審議会を一つにまとめていき、そして、総理の直轄下に置く、こうした発想を思い付いた一つの理由であります。

 更に霞が関改革の中で忘れてはならないこと、それは行政の透明化や行政の自己検証であります。住専問題やエイズ問題を契機に、国民の間には従来になく行政に対する不信、この国の行政は国民から隔絶されたところで、官僚によって独善的に決定されているのではないか、行政のための行政となっているのではないかという不信感が増大しております。また、エイズ問題に典型的に見られるように、経済社会が抱える問題が極めて専門化、複合化している中で、行政が常に限られた時間で最適な判断を出来るとは限らない。政策措置について絶えずそのときどきの最新状況の下で、不断の見直しを行わなければならないということも明らかになりました。

 この国民の行政不信の声を正面から受け止めて、行政への信頼を一刻も早く取り戻すためにも、また行政に誤りはないといった、その考え方そのものの誤りをただし、健全な政策の新陳代謝を促していくためにも、行政の立案過程や施策内容を広く国民や専門家に公開し、不断にその批判を仰いでいく、その結果ただすべき政策はためらうことなくただしていくという姿勢が今ほど重要なときはありません。

 行政情報公開法の早期の策定や政府審議会の公開の一層の促進などにより、行政文書や政策立案過程を可能な限りガラス張りにしていくこと、外部有識者による政策評価制度を導入することなどによって、透明で、政策の新陳代謝が活発に行われるような行政システムを構築していかなければなりません。

 こうして申し上げてまいりました行政改革、霞が関改革については、自由民主党を始めさまざまな政党や超党派の議員グループが活発な提案を行っておられますが、問題は掛け声の域を超えて現実の問題として、真にやる気があるかどうかでありますし、実行に向けての具体的なシナリオや手順が示せるかどうかが成否のかぎを握っているとも申せましょう。私はこの霞が関改革を言葉だけの改革に終わらせないためにも、早急に、総理直属の機関を発足させて、その下で、発足後一年程度の間に成案を得ることを具体的な目標として、総合的な霞が関改革の検討を行っていきたいと考えております。

 以上、私なりにここ数年間の政治情勢を顧みながら、経済構造改革と行政、霞が関改革の問題を中心に、この国の進路やそれを支えるべき政治、行政の在り方について、出来る限り率直に私の考えていることをお話申し上げてきたつもりであります。

 時間の関係もあり詳しく触れることが出来ませんでしたけれども、今日申し上げた問題に加えて、行政改革の一環としての地方分権の推進と地方行政改革などの施策をどう両立させていくのか、超高齢社会の到来の中で、適正な国民負担率の下にいかに健全な社会保障政策を展開していくのか、こうした問題が具体的な論議となっていくでありましょう。これらの論点は、いずれも今後のこの国の行方を左右しかねない大きな課題であります。

 政治はその国の、時代と国民を映す鏡だと言いますが、私は、政治とは、国民に対して出来るだけ具体的に、責任を持って未来に向けた政策のかじ取りの方向を指し示すべき存在であり、最終的に示されたその選択肢に従って、政治の方向性を左右していくのは、有権者である国民お一人お一人だと考えております。

 国民にとって耳障りのよい言葉を並べ立てるのではなく、出来れば避けて通りたいような悩ましい問題についてもこれに真正面から向き合い、国民の審判を仰いでいくことこそ政治の責任であります。言い換えれば、政治はそれ自体が目的ではありません。目的を実現するための手段であります。その意味で、私は、政権に恋々とするのではなく、ましてや、党利党略の下、政治を自己目的化するつもりは断じてありませんし、この国の将来についての私自身の思いや悩み、そして現時点で最善と考えられる処方箋を、出来る限り多くの方々に訴えながら、この私たちが生きる時代、国民の賢明な選択を期待したいと考えております。

 そして最後に、この場を借りまして、私は国民各位に一つ心からお願い申し上げたいことがございます。

 先刻ごあいさつの中に、我が社の解散の予測が当たった、という胸を張ってのお話がございました。そして、その報道に対して、私がどれほど不快感を示したかというお話もございました。私はそのとき報道されたものが、その時点における沖縄の方々の心にどのような思いを与えたかを是非お考えをいただきたいのであります。私にとりまして、この職に就きましてから、非常に重い荷を背負った、そのように思っておりましたのは沖縄県民と中央政府の間にいかにして心を通わせるかでありました。なぜそのような状態になったかを、今更お話を申し上げる必要はありません。そして、私は、沖縄県が実施された県民投票というもの、それ自体の数字ではなく、県民投票という手段によってしか自分たちの気持ちを中央政府に理解させられないだろうと思い詰めさせてしまったことに対して、誠に相済まなく思っておりました。

 我が国の面積のわずか〇・六%しかない沖縄県に基地の大半をゆだね、その基地の安定的な提供によって日米安全保障体制が支えられている現実を我々は忘れるわけにいきません。そして、その日米安全保障条約というものを基盤とした上で築き上げられている日米関係というものが、我が国にとって欠くことの出来ない大切な外交関係であることはもう申し上げるまでもないと思います。

 問題は、その基地の圧倒的部分が沖縄県に存在をする。そして、沖縄県の全面積のうちの約一割を、沖縄本島で言うなら二割に近い部分を基地が占めている中で、毎日沖縄県民がどのように過ごしておられるかということについて、我々が余りに無関心であったことが、県民投票という手段を取らせるに至ったと、私はそう考えております。

 しかし、我々にとって日米関係は欠くことの出来ない外交関係でありますし、それを支える日米安全保障条約というものを我々は必要としていると私は思います。そして、その信頼性を確保していくために、県内にあります基地の整理・統合・縮小に努力はしながらも、県の皆さんにもご理解を願わなければなりません。その中で何を我々がすることが出来るか、沖縄の人々の心の痛みというものを我々が少なくとも受け止めている、真剣に受け止めているということを、どうすれば分かっていただけるか、私自身が最も苦しんでいる時期でありました。そして、ようやく少なくとも信頼のきずなを再構築出来るのではないかと思い始めたときに、胸を張られた解散報道が行われました。それが沖縄県民に、その県民を代表される立場の知事さんに、どんな思いを与えたかを是非私はご理解いただきたいと思います。

 そして私は、報道にクレームをつけるのではありませんが、むしろそのような報道によって傷ついた、そして、今信頼のきずなをようやく結ぼうかというところまでまいっている沖縄県との間に、これはだれが政府の責任者でありましょうとも、我々は信頼関係をつくり上げなければならない責任を持っております。そしてその中で、それとは別に沖縄県の経済開発のために努力しなければならない立場を政府は持っております。総理という座にだれが就くということではありません。だれが就いたところでこれはやらなければならないのです。

 そして、長い間私たちはその沖縄の痛みというものに余りにも無頓着であり過ぎた、私自身は自らそのような思いを持っておりますが、この場を借りまして、最後に皆様にお願いを申し上げたいことは、改めて日本全体でこの沖縄の痛みというものを是非分かち合う、そうした思いだけは持っていただきたい、それがこの国の明日にもつながる大切なことだと思います。

 最後に、この一点をお願い申し上げ、私の役回りを終わらせていただきます。本日は大変ありがとうございました。