データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 中華人民共和国行政院における橋本総理大臣演説,新時代の日中関係−対話と協力の新たな発展

[場所] 北京
[年月日] 1997年9月5日
[出典] 外交青書41号,233−241頁.
[備考] 
[全文]

一、(前言)

李貴鮮院長先生並びに御列席の皆様。

 時は九月、北京に美しい秋が巡ってまいりました。今を去る25年前、日中国交正常化という偉大な事業が行われたのも、時まさに豊穣の秋、九月の候でありした{前5文字ママ}。この記念すべき年に貴国を訪問し、本日、ここ国家行政学院において、中国各界を代表する方々や将来の中国政府の指導層となられる方々を前に、日中関係についての私の思いを述べさせて頂くことは、大きな喜びであり、また光栄であります。国交正常化以降の25年間は、両国国民に豊かな善隣友好の果実を産んでまいりました。この成果を基礎として、将来にわたり、両国関係にさらに大きな果実をもたらす重要な仕事は、本日ここにおられる次代を担う方々の双肩にかかっております。その意味で、このような場でお話しする貴重な機会を与えていただいた関係者の方々に厚くお礼申し上げます。ことにこの行政学院で演説を行うことが決定した時、李貴鮮院長がこの学院の院長をしておられることは存じておりませんでしたが、大蔵大臣であった際、李貴鮮院長は中国人民銀行行長として、厳しい交渉の相手であり、非常に良き友人でありました。こうして李院長に本日お迎えいただき、大変すばらしい思い出を作っていただきました。この意味でも感謝させていただきたいと思います。

 我が国にとり、極めて重要な貴国との関係を如何に発展させていくか。これは私自身に{前1文字ママ}考え続けている課題であります。1979年に初めて貴国を訪問した際、私は厚生大臣でした。私が一政治家として或いは閣僚として度々貴国を訪れて参りましたのも、そうした課題に取り組むためであります。また、1991年私が大蔵大臣の任にありました時、西側先進国が閣僚レベルの訪問をストップしていた中で、先進国の閣僚として最初に貴国を公式に訪問したのも、国際社会における貴国の重要性、日中関係の重要性についての私の信念に基づくものであります。

二、(アジア太平洋地域の平和・発展への動き)

 私は、去る8月28日東京で「新たな対中外交を目指して」と題する講演を行いました。その中で私は、「ポスト冷戦」の時代の中で、各国が新たな国際秩序形成へ向けて大変な努力を重ねていることに触れながら、アジアの安定と発展のために4つの視点、即ち、アジア各国の多様性に対する認識、対話の機会拡大、具体的な協力関係の創造、共通の秩序形成の必要性について述べました。

 新たな国際関係秩序の構築が着実に進む中、両国が存在するアジア太平洋地域は、世界の成長センターとして大きな経済発展を遂げ、域内各国間の相互依存関係が急速に深まっています。同時に、アジア太平洋経済協力(APEC)、アセアン地域フォーラム(ARF)等を中心として域内の対話が進展してきております。私はここで、こうした発展を歓迎するとともに、その趨勢を継続しながら発展していくためには、平和こそが何にも増して大切であること、そして、その平和は発展を通じて更に強化されるものであることを強調したいと思います。振り返ってみますと、これまで、こうした平和と発展の相互関係の最大の受益国の一つは、他ならぬ我々日本でありました。戦後、過去への厳しい反省の上に、軍事大国への道を完全に否定し、平和国家を目指してきたことが我が国の今日までの発展をもたらしてきたと申せましょう。平和な国際環境を確保し、地域、世界の発展を促すことが自国の今後の発展の基礎である−これは、我が国国民の明確な 総意であります。

三、(中国の改革、変化)

 このような世界や地域の流れは、国際情勢の中で日中両国に与件として与えられるものではありません。寧ろ、日中両国こそは、こうした流れを大きく左右する主体であります。

 とりわけ、ポスト冷戦時代の国際社会の最も顕著な変化の一つは、急速な経済発展を背景とした貴国の役割の増大であり、同時に、貴国が国際問題解決の場において建設的かつ積極的な役割を果たしつつあることであります。12億の人口を擁し、国際社会の主要な構成員である貴国における急速な経済発展は、地域の平和と安定及び発展にとって、皆様自身の想像を遥かに越えた影響を有しております。この関連ではAPECやARF等の域内対話は、貴国の参加があって、より意義深いものとなっていることを指摘したいと思います。

 貴国の目覚ましい経済発展、国際社会への積極的な参画を語る際に、私としては、敢然と改革・開放路線を構想し、実行し、成功に導かれた●{トウ/登におおざと}小平先生の偉大さを思わないわけにはいきません。この改革・開放政策は、今、江沢民主席を中核とする中国指導部に引き継がれ着実に進められております。また、香港返還という大事業を一国二制度という智恵によって実現した背後にも●{トウ/登におおざと}小平先生の慧眼を見ることが出来ます。

 わが国も、現在、財政・金融改革や教育改革のみならず行政改革など様々な面で改革を進めようと努力しております。第二次大戦後、50年余りをかけて作られてきた仕組・制度を改革することはたやすいことではありません。しかし、21世紀にむけて、我が国をより競争的で活力ある社会とするため、痛みを避けていては日本の将来はないとの信念の下、私は、これらの諸改革に全力を挙げて取り組んでおります。貴国は、これだけの大きな国土と人口を有しており、改革の困難さは、我々の想像を越えるものがあるでしょう。貴国が新しい世紀に向けて、この困難を克服しようと努力しておられることに隣人として敬意を表するとともに、その成功を心よりお祈りするものであります。

四、(国交正常化後25年間の評価)

 御列席の皆様。

 私は、将来の日中関係を展望するに先立ち、ここで皆様と共に国交正常化後の両国関係の進展を振り返ってみたいと思います。

 25年前、戦後初めて日本の首相としてこの北京を訪れた田中角栄総理大臣は、9月29日に周恩来総理との間で日中共同声明に署名し、ここに国交正常化が達成されました。現在でこそ、日中友好の重要性は至極当然のように思われておりますが、国交正常化に至る過程では両国の先人達の並々ならぬ努力があり、そうした苦労に満ちた過程と英断を経て初めて、両国 関係の基礎となる共同声明が署名されたのであります。「初心忘るべからず」−私たちは、正常化当時の両国国民の感情、熱気を忘れてはなりません。

 この25年間の歴史は、日中両国が体制を異にしつつも、その違いを乗り越えて友好的におつきあいをし、それにより両国が共に利益を得ることができるという貴重な事実を証明してきました。その間1978年に日中平和友好条約が締結され、1992年には、初めて我が国から天皇皇后両陛下が訪中され、両国関係に更にしっかりとした基礎が築かれたわけであります。

 25年間の両国関係の発展には、他に類を見ない目を見張るものがあります。貿易額は飛躍的に増大し、今や日本にとって中国は世界で第2番目の{原文読点欠如}中国にとって日本は世界で第1番目の貿易相手国です。我が国の対中投資も累計では、100億ドルを優に超すレベルに達しました。人の往来も当時の約150倍の1年間128万人にまで拡大しています。

 日本と中国との間の経済協力も中国の改革・開放政策を支援するとの目的で着実に実施され、両国関係拡大のため多大な貢献をしてきております。昨日も本年度分の円借款供与の交換公文に署名がなされましたが、中国への経済協力は、これまで累積で日本円で言うなら2兆円。そして、今朝のレートで計算するなら約1,500億元を超える規模にまで至り、両国関係の緊密さを示すものとなっています。

 御列席の皆様。

 このように飛躍的な発展を遂げている日中関係の基礎に共同声明と平和友好条約という基本的な文書があることを我々は忘れてはなりません。我が国は、今後とも、日中共同声明と日中平和友好条約を基礎としつつ、変化する時代に対応して貴国との関係を一層幅広い高度な関係へと発展させていきたいと心から願っております。

五、(新時代に向けた対話と協力の発展)

 御列席の皆様。

 私は、日中両国がともにアジア太平洋地域における建設的パートナーとして、さらに多くの国際的課題に取り組んでいく必要があると考えます。貴国の江沢民主席は、「高きに登りて遠くを望む」という言葉をよく引用し、戦略的視点の重要性を強調されます。まさにこのような立場に立って、我々両国が地域ないし地球規模の問題に共同で対処していく必要があると思います。

 先日の東京での講演で私は、今後の日中関係を考えていく上で、対話の強化、協力関係の拡大が特に重要であると申し上げました。ここでは、この日中間の対話と協力の強化ということにつき私の考えを多少敷衍して述べさせていただきたいと思います。新しい時代にむけた相互の理解と信頼を強化するための対話であり、互恵の関係を強化し、責任を果たすための協力であります。私は、日中両国が有する4つの共通の側面に着目して、対話と協力の重要性を提起したいと思います。

 まずはじめに、「地理的に隣接する国同士としての対話と協力」です。日中両国は一衣帯水の隣国であります。遣隋使・遣唐使の時代、或いはそれ以前から、我が国と貴国との間では盛んな人的交流が行われてまいりましたが、これからの新しい時代に向けて、より一層対話を拡充していくことが必要です。首脳レベルでは最低毎年1回は首脳の相手国訪問が行われるようにすることで昨日の李鵬総理との会談で合意いたしました。幸い、本年間もなく、貴国から李鵬総理が、そして来年には江沢民主席が訪日の予定となっています。将来的には、公式の訪問のみならず、より頻繁に、より肩肘のはらない方式で、膝をつき合わせて両国関係の課題について議論するような場を持つようになれば、互いの意思疎通を円滑にし、指導者間の信頼関係を構築する上で有用でありましょう。いつ、どんな環境にあっても、いやむしろ懸案がある時こそ、緊密な対話を行っていくことは隣人として是非とも必要なことと考えます。

 国民同士の信頼関係醸成のためには、政府や経済界の指導者の往来ばかりでなく、両国の政治家や青年等各層の交流がこれまでよりも一層大きな規模で行われる必要があります。孫中山先生は、その政治生涯30年の3分の1を日本で過ごされましたが、多くの日本人が彼の政治運動に対し力強い支援を行いました。魯迅先生が仙台の東北大学で医学を学んでいた際の藤野先生との心温まる交流は皆様もよく御存知のことと思います。まして我々日本人で貴国と接しその交流から多くのものを学んだ例は数え上げれば切りがありません。

 両国の間では、真の信頼関係構築に役立つような交流を、地道に積み上げていくことが大切です。先般、国交正常化及びその後の日中関係の発展に大変な努力をされた孫平化先生が、逝去されました。ここで心から哀悼の意を表したいと思います。「喧嘩して初めて仲良くなれる」と言いますが、私自身、かつて孫平化先生とは、半ば喧嘩になりながら、真剣に議論させて頂いた懐かしい記憶がございます。隣人同士では、関係も深い代わりに、ともすれば、問題も生じがちです。そうした問題を生じさせない、或いは、生じても適切に解決していくためには、相互の対話を絶やさず、率直に互いの思っていることを述べ合えるようになることが大切です。もとより両国は体制も異なり、また、過去の一時期の不幸な歴史も存在することから、相手の立場や感情に十分な理解と尊重を示すことが必要ですが、交流を積み重ね接触を深めることが、より率直な対話を可能にしていくものと思います。この観点から、特に皆様のような次代を担う方々には、互いに耳の痛い発言も交えながら真の相互理解を目指すことの重要性を強く呼びかけたいと思います。

 国交正常化が達成されるまでには、中国側においても周恩来総理の指導の下、廖承志先生始め孫平化先生らの多大な努力がございました。日本側においても、松村謙三先生、高碕達之助先生ら多くの人々が日中間の架け橋として尽力したわけです。ここにおられる皆様の中から、第二の廖承志先生、孫平化先生が現れることを願っています。同時に日本の側でも若い世代の中から日中関係の重要さを理解し、これを支えていく人たちが育っていくよう努力する所存です。

 次に、日中両国間では、「歴史的に深い関わりを持つ国としての対話と協力」を進めていくことが必要です。両国は、これまでの交流の歴史の殆どの時代において良好な協力関係を有してきましたが、過去に不幸な一時期があったこともまた事実であります。日本政府は、一昨年の内閣総理大臣談話で、過去の歴史に対する認識を明らかにいたしました。私自身も内閣の一員としてその作成に携わったわけであります。我が国としてはそこに示された厳しい反省を踏まえ、過去を直視し、歴史に対する認識を深め、未来を切り開くための対話と協力を進めていきたいと思います。私は、戦後の日本の総理大臣として、今回初めて東北地方を訪問し、貴国の地方の現状を視察するとともに、瀋陽では「9・18事変博物館」を訪れることとしております。9・18という日付がどのような意味を中国の皆様に与えているか、それを知った上で訪問するのです。これは過去の歴史を正面から直視し、未来に向けて友好協力の実をあげていきたいという自分の気持ちに出ずるものであります。

 また、現在、日本政府は、中国政府の御協力を得つつ、旧日本軍が中国に遺棄した化学兵器の処理の問題に真剣に取り組んでおりますが、これも過去の残した問題に誠実に対処しようとするものであります。日中間には心に大きな傷を残すことになった過去があることは確かでありますが、両国は2000年に及ぶ長い友好交流の歴史を共有してきたのであり、過去を踏まえつつ、将来永きに亘る協力関係を築いていきたいと心から思います。

 第三の対話と協力として、「文化的共通性を持つ国同士としての対話と協力」が挙げられます。過去の長い交流の結果として、日中両国の文化は共通するものを多く持っており、私を含めて、多くの日本人が中国文化に対する強い尊敬の念を有しております。敦煌を始めとするシルクロードの文化遺跡、『三国志』の物語が繰り広げられた三峡の諸風景と沿岸の遺跡など国際的にも貴重な文化遺産に魅せられた日本人は少なくありません。こうした日本人の気持ちの表れとして、これまでも我が国は、貴国の文化遺産に対し、敦煌の遺跡保存センター、大明宮含元殿{だいめいきゅうがんげんでんとルビ}をはじめとして、その保存のための協力を行ってきました。中国の文化遺産はもとより中国の方々のものでありますが、その価値の大きさは人類全体のものであると申し上げるに値するものであり、そうした文化遺産の保全には、我が国としても協力を続けていきたいと考えております。昨日李鵬総理にも申し上げましたが、例えば、三峡ダムの建設により影響を受ける遺跡があれば、その保存のため我が国として最大限の協力を行います。

 また、日中間の文化交流には一層力を入れていかなければなりません。日中両国は、文化的共通性が大きいが故に、安易に理解しやすいような錯覚に陥ってしまいがちです。過去にもそういうことがありました。しかし、実際には、それぞれ独自の文化・習慣を有しており、却って文化的な共通性があるがために、お互いが誤解し合うケースがしばしば見受けられます。その意味で、文化交流を意識的に積み重ね、強化していく努力が必要と考えています。

 文化交流というと、双方の伝統文化の交流をややもすると思いがちではありますが、現代の映画、演劇、音楽、絵画等の分野の交流もお互い盛んにしていきたいものです。最近は日本でも貴国の映画や音楽が人気を得ております。言語の相違を乗り越え、日中双方で国境を越えた活動が円滑に行われるよう制度的側面を改善することにより、文化交流を一層活発にしていきたいと思います。

 そして4番目に、私として、最も強調したい対話・協力の分野として、「地域と世界に責任を持つ国同士としての対話と協力」があります。

 就中、日中両国が安全保障面での対話を深めていくことは、両国の信頼醸成につながるのみならず、地域全体の安定に直接寄与する重要なものであります。両国の外交、防衛実務者による安保対話が年に一度開かれている他、随時両国の当局者による意見交換が進められています。しかし、残念ながらこの分野の対話は日中関係の進展や経済面での交流に比べて未だ不十分であり、特に、両国の国防・防衛に直接関与する当局者間では、一層交流を深め信頼関係を強化していくことが必要です。

 我が国は、先般、「日米防衛協力のための指針」の見直しに関する中間とりまとめの発表に当たって、この作業に直接携わっている担当者を貴国に派遣し説明を行わせました。これはまさに、両国の防衛・安全保障政策について、互いに透明性をもって対話を進めることが肝要であるとの観点から行ったものです。貴国が、この「日米防衛協力のための指針」の見直しに関連し、強い関心を有しておられることは十分承知しています。この機会に「指針」の見直しについて申し上げれば、それは日米防衛協力の在り方に関する一般的な大枠を示すことを目的としているものであります。「指針」の見直し、及び新たな「指針」の下での取り組みは、我が国憲法上の制約の範囲内において、専守防衛、非核三原則等の基本的な方針に従って行われることが前提となっています。「指針」の見直しに当たっては、日米間で、中国を含め特定の国や地域における事態を議論して行っているものではありません。日米両国とも地域の安定と繁栄のために中国との間に建設的関係を築いていきたいと真剣に考えており、その趣旨は、昨年私がクリントン大統領との間で発表した日米安保共同宣言でも明らかにいたしました。我が国としては、中国が台湾を巡る問題の平和的解決を目指していると信じており、現下の情勢の下で、台湾地域を巡る武力紛争が現実に発生するとは考えておりません。我が国として今後とも日中共同声明、日中平和友好条約を遵守していくとの方針は不変です。そうした方針の下、我が国が「二つの中国」や台湾の独立を支持するといったことは今後ともあり得ないことは明確に申し上げます。いずれにせよ、日本としては、台湾を巡る問題は、台湾海峡両岸の当事者の話し合いにより平和的に解決されることを切に期待しています。

 次に、国際政治の分野についてであります。現在、冷戦後の安定的な国際システムの構築を目指して、様々なレベルの試みがなされています。例えば、国連の安保理改革や行財政改革が盛んに議論されており、更に、APEC、ASEAN拡大外相会議等の地域対話も進んできております。中国は、 国連安保理常任理事国として、国際平和と安全の維持のため、重要な責務を負っています。国連改革の問題には我が国も積極的に取り組んできており、日中両国が、このような分野において、建設的態度で対話と協力を重ねていければ、両国のみならず世界全体にとって意義深いものとなるでしょう。特に、アジア太平洋地域の問題、例えば、朝鮮半島の問題などにつ いては、問題解決のための当事者の努力を尊重しつつ、我々がより一層協力する余地があるのではないでしょうか。地域の安定と繁栄のために汗をかくべき役割を我々日中両国は期待されていると確信しております。

 国際経済面での対話と協力も、貴国が果たす役割の増大に比例して重要性を増しています。先般のタイの通貨をめぐる問題に際しての日中両国の協力はその一例です。中国は今や世界で10番目の貿易量を誇る貿易大国であり、この中国を抜きに世界の貿易秩序を強化していくことにはどう考えても無理があります。また、貴国が国際経済の共通のルールに参加していくことは、貴国の経済発展にとって不可欠であり、また、国際社会としてもそれを切望しています。こうした観点から、貴国のWTO早期加盟実現のため、私自身重大な関心をもって対応してまいりました。日中間では、このほどモノとサービスのうち、モノの交渉において実質的合意が達成されました。これは、日中関係のためにも大変喜ばしいことと思います。貴国のWTO加盟へのプロセスを更に加速させるために、引き続き緊密に協力していきたいと考えております。

 更に、日中両国の協力は、国際社会に責任を持つ国として、環境、或いはエネルギー、食糧といった地球規模の諸問題にも向けられるべきでしょう。

 地球環境問題は、国際社会全体としての取り組みなくしては対処できないものであり、この面で貴国のような大国の果たす役割は極めて大きなものがあります。12月には、気候変動枠組条約第3回締約国会議(COP3)が京都で開催されます。この会議は地球温暖化問題の解決のための第一歩を踏み出す機会であり、是非とも成功させなければなりません。このために、日中間でも更に対話を深めていく必要があると考えています。更に、中国の経済発展に伴う、大気汚染をはじめとする環境問題は、中国自身の問題であると同時に、酸性雨などによる影響は国際的にも大きな関心を集めております。私は、今回の中国訪問の折りに、李鵬総理との会談の中で、今までに行ってきた日中間の環境協力を新たな観点で進めていくために「21世紀に向けた日中環境協力」と題する新構想を中国側に提案し、基本的に賛同を得ました。この構想の1つの柱は、汚染の状況を測定した環境情報を中国全土で収集し、これを統合・分析して公害対策に役立てようとするものです。また、いま1つの柱は、中国国内でモデル都市を指定し、規制を厳格に実施するための中国側の努力と我が国の資金・技術を組み合わせ、循環型産業・社会システムの構築を目指した環境対策を行うものです。私はこうした日中双方の努力が実を結び、将来他の都市にも広がり、中国の環境改善に大いに役立つことを切に望みます。

 また、特に貴国の動向が世界の関心を集めている問題としてエネルギーや食糧の問題が挙げられています。いずれの面においても、貴国が今後益々巨大な消費国となっていくことは疑う余地のないところであり、消費、供給の両面において、如何なる対策を講じていくかは世界全体にとっても重要な課題です。そのため、省エネルギー、資源開発、原子力利用や食糧増産、農業開発等様々な分野において、貴国との協力を行っていく考えであります。ここで原稿を離れて、私自身の経験からお話しをさせていただくと、日本は第二次世界大戦後、廃墟の中から復興し、確かに経済大国となりました。しかしその途中で我々は自然の力、浄化力の限界を見誤り、70年代に入って公害列島と呼ばれるほど各地で公害が起こり、その解決には多くのエネルギーと費用が費やされました。2回のオイルショックもくぐり抜けましたが、資源のない日本として使える技術を利用し、解決して参りました。このような中で尊い人命を数多く失いましたが、このようなことが地球上で再び繰り返されるのを見たくありません。こうした考えから、過去の失敗の経験と、その失敗をどう克服したのか、どんな失敗をして新たな方法を生み出したのか、こうした全てを含めて、お国が求められるならばそうした資料を提供する用意があります。お国には同じ失敗を繰り返して欲しくないと心から願っております。このような資料を提供する用意があることも昨日、李鵬総理に申し上げましたが、ことに省エネの分野については李鵬総理自身も今後の中国の経済成長にとって重要な柱と位置づけておられました。

 地球規模の諸問題での協力という時に、今日の日中両国は、他の途上国の問題解決のために協力できる分野もあるのではないでしょうか。例えば、多くの途上国では医療分野での支援を依然として必要としています。これまで日中間で実績を積んできた医療協力案件を中国で更に活用していくに当たって、第三国からの研修員を受け入れるなどのあらたな協力形態も十分検討に値します。また、途上国の多くは人口問題に苦しんでおります。もとより貴国にとっても、この問題は重要な問題であり、その解決のため様々な知恵を出してきておられますが、地球規模の人口増加問題に取り組んでいくため、如何なる対策が良いのか、中国の専門家との対話も是非進められていくべきでしょう。

 なお、私は、昨年「世界福祉構想」という1つの考え方をサミットにおいて提唱し、今年のデンバー・サミットにおいても、私から高齢化と寄生虫対策を含む感染症の問題を本格的に取り上げました。この問題については明年のサミットでも引き続き検討が進められることになっております。この構想を進めていくために、貴国との間でも、知恵や経験を分かち合い、協力を進めていければ本当に幸いです。

 以上、私は、4つの角度から日中間の「対話と協力」の重要性を述べてまいりました。それは、即ち、国境と歴史を、そして文化と責任を相共にする両国の間の対話と協力です。お互いの関係を一層深め、そして、地域や世界の発展のために、話し合い、力を合わせていく—日中両国はそうあるべきではないでしょうか。次代を担う皆様が、日本の若い世代とともに、そうした新しい時代の日中関係を築いていっていただきたい、私は心からそう願っています。

六、(結語−今回の訪中での成果)

 かつて、1200年以上の昔、遣唐使に従って中国に渡った阿倍仲麻呂の帰国にあたって、詩佛{しぶつとルビ}と称された王維{おういとルビ}は別れを惜しみ「積水極{せきすいきわとルビ}む可{べとルビ}からず、安{いずくとルビ}んぞ滄海{そうかいとルビ}の東を知らんや」とうたいました。そして、その安部仲麻呂は風波に阻まれ、結局日本に帰り着くことはなかったのであります。長安に永眠することになった仲麻呂や、逆に仏教の布教のために日本に渡られ日本で生涯を終えられた、かの鑑真和上の例を引くまでもなく、両国間の友を求め真理を求める旅はしばしば苛烈な様相を呈したのであります。今日では日中両国間の首都はわずか3時間ほどの時間で結ばれております。21世紀を目前に控えた今日、我々が世紀を超えて交流を発展させていく道筋は眼前に大きく広がっております。

 今回の私の訪中が新たな日中関係構築の1つのスタート地点となり、日中両国が手を携えて21世紀の幕を開け、新たな四半世紀を対話と協力の新時代とすることを願ってやみません。

 今日はこうした機会を与えて下さったことに改めて感謝し、両国の友情が長く続くことを願いながらこの話を締め括りたいと思います。

 ご静聴ありがとうございました。