データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 森総理大臣によるアフリカ政策スピーチ「新世紀のアフリカと日本」

[場所] ヨハネスブルグ
[年月日] 2001年1月9日
[出典] 外交青書45号,262−265頁.
[備考] 
[全文]

(はじめに)

 ムベキ大統領閣下、ズマ副大統領閣下、ご列席の全ての皆様、 念願のアフリカ訪問の第一歩を、人権闘争勝利の国、アフリカ再生の鍵を握る国、ここ南アフリカに記すことができ、心から喜んでいます。ただ今、ムベキ大統領よりご丁重な歓迎のスピーチを頂き、お礼を申し上げるとともに、大変感激しております。

 新世紀の最初となる訪問先に、日本の総理大臣として初めてサハラ以南アフリカを選んだことには、私なりの深い思いがあります。

 昨年7月、G8サミット議長として、初の試みとなるG8側首脳と途上国代表首脳との対話開催にイニシアティブをとり、アフリカからはムベキ大統領、オバサンジョ大統領、ブーテフリカ大統領の3首脳をお招きし、親しく意見を交わしました。直面する困難に敢然と立ち向かう3大統領の強い決意とほとばしる情熱に、私は心からの共感を覚えました。

 丁度同じ頃、私は、一人のお客様を官邸にお迎えしました。今日、ここにご列席の緒方貞子前国連難民高等弁務官です。任期中だけで31回のアフリカの現場を訪問をされた緒方さんから、難民問題を生んでいる紛争の悲惨さ、また同時にその紛争を自らの手で解決しようとの取り組みがこのアフリカで着実に成果を挙げつつあることを詳しく伺いました。

 アフリカ3首脳との対話は、更に昨年9月の国連ミレニアム・サミットへと続きましたが、一連の対話を通じ、私は、「21世紀こそはアフリカの大飛躍が待ち望まれる世紀」であるとともに、「アフリカ問題の解決なくして21世紀の世界の安定と繁栄はなし」との確信を一層深めました。そして、そのアフリカが、直面する課題を克服し、明るい未来を切り開いていくプロセスに、我々も一緒になって心を砕き、汗を流し、自らの持てる力を出し切っていく、こうした日本の確固たる決意を是非、アフリカの大地でアフリカの人々に対し直接申し上げたい、それこそが日本のグローバル外交の新たな出発にふさわしい、このような思いで私は、あえて新世紀の幕開けにここアフリカ訪問を選んだ次第です。

(アフリカ問題の解決なくして21世紀の世界の安定と繁栄はなし)

 歴史の負の遺産に苦しめられてきたアフリカは、現在なお様々な困難に直面しています。

 かって途上地域中で最も高い水準にあったアフリカの1人当たりGDPは、他の途上地域が高い成長を記録する中、残念なことに70年代の600ドルから90年代には510ドルへと逆に低下しています。

 冷戦終了後の90年代に入りアフリカでの地域紛争はむしろ増加し、現在、この地域では、5人に1人が紛争の被害を受け、国内避難民・難民は625万人に達する、との国連難民高等弁務官事務所の報告に世界が心を痛めています。また、アフリカの財産である活力に溢れる人的資源をエイズ等感染症の蔓延から救うことも急務になっています。

 アフリカが直面する困難は決して容易なものではありません。しかし、私は、アフリカの明るい未来を信じます。困難な現実の一方で、ムベキ大統領が提唱される通りアフリカ・ルネッサンスへの力強い鼓動が伝わってきます。経済的困難は続くとしても、2003年までの中期で見て、サハラ以南47ヶ国中、実に27ヶ国の年平均GDP成長率が5%を上回るとの世銀見通しは、明るい展望を開くものです。紛争についても、マンデラ前大統領の仲介努力によるブルンディ和平合意、OAUによるエティオピア・エリトリア休戦合意のとりまとめ等、アフリカ自身による解決努力が着実に成果を挙げてきている事実は我々を真に勇気づけるものです。感染症との戦いもまだ緒についたばかりではありますが、既にいくつかの国では罹患率低下の具体的成果がでております。

 私は、「21世紀こそはアフリカの大飛躍が待ち望まれる世紀」と申し上げました。今更言うまでもなく、アフリカは、本来、自然の豊かさと活力に溢れた人的資源に恵まれ、過去の繁栄の歴史と未来への無限の可能性を秘める大陸です。歴史を紐解けば、8世紀の欧州においてフランク王国が中央集権国家を築いた頃、アフリカではガーナ帝国が繁栄を謳歌していました。そして14世紀には、マリ帝国ついでソンガイ帝国が栄えましたが、当時、西アフリカの都市トンブクトゥは、経済交流の中心としてのみならず学問の中心地としても栄え、パリのソルボンヌ大学より多くの教授、学生がいたと言われています。また、ここ東南部アフリカからは同じ頃、インド帝国に向け銑鉄が輸出され、インドネシア商人がインド洋を舞台に仲介に預かっていたとも聞いています。

 地球の一体化が進むこのグローバル化の時代に、世界の4分の1の国が属し、世界の陸地の20%と人口の10%を占めるサハラ以南アフリカの存在を抜きにして「明日の世界」を語ることは考えられません。直面する諸困難を克服し、明るい未来を切り開くことができれば、アフリカこそは、21世紀の人類社会の活力溢れる発展の原動力になるでしょう。ムベキ大統領ご自身がローマ人の歴史家の大プリニウスを引用して述べられているように、「新たなることは常にアフリカからやってくる」のです。逆に、アフリカ問題を放置し、その4分の1の構成員が疎外された状況にあって地球共同体が繁栄し、安定できる道理がありません。まさに、「アフリカ問題の解決なくして、21世紀の安定と繁栄はなし」であります。

(アフリカ問題に取り組む日本の決意)

 日本とアフリカとの関係は、1586年に天正遣欧少年使節がバチカン訪問の後、喜望峰を通過して帰国の途上、暴風雨のためモザンビークに6ヶ月滞在したとの記録は残されていますが、その後、日本自身が鎖国に入ったこともあり、交流は途絶えました。1918年にはケープタウンにサハラ以南で初の領事館が開設され、1927年にはガーナで黄熱病研究に献身した野口英世博士が客死する、などの出来事がありましたが、本格的交流の開始は、各国が植民地からの独立を遂げた第二次大戦後であり、その歴史は半世紀にも満ちません。

 しかし、日本は着実にアフリカに対する関わりを深めてきています。新世紀の開幕に当たり、私は、人類の未来への鍵を握るアフリカに対するわが国の揺るぎないコミットメントを改めて明らかにします。日本は、国際社会の責任ある一員としてグローバルな規模で世界の安定と繁栄に貢献していく決意を繰り返し表明していますが、アフリカ問題への取り組みこそ、かかる我が国グローバル外交の最重要課題の一つであります。

(対アフリカ協力の両輪)

 対アフリカ協力を推進するにあたり、わが国は、開発支援と紛争予防・難民支援を車の両輪として取り組んでいく所存です。

 個々の論点に入る前に、先ず、わが国の対アフリカ協力の基底をなす考え方について申し上げます。貧困、紛争、難民、感染症、水資源、環境破壊等、アフリカが直面する課題は、いずれも人間の存在それ自体に対する脅威であります。21世紀の我が国の平和外交は、まさに「人間の安全保障」を中核とするものであり、その意味でアフリカにおいて「人間の安全保障」を確保するための協力が成功するか否かは、我が国の外交の鼎の軽重が問われると言っても過言ではありません。そのような人間の安全保障政策を貫くものは、人間一人一人を大切にすると言う考え方であり、人材の育成は中長期的に見て人間が様々な脅威にうち勝つ上で、大きな鍵を握っていると確信するものであります。

 地下資源に恵まれない日本人は、人的資源が唯一の資源という条件の下で教育に力を注いできました。人間の能力啓発と人々の協力によって必ずや困難を克服していけるとの楽観主義は、慈善行為としてではなく、同じ人間として相手と常に同じ目線で考え、行動するというわが国の協力姿勢の背景になっています。

 次に申し上げたいことは、開発支援と紛争予防・難民支援は車の両輪として有機的に連携しつつ、一体として政策の展開が行われる必要があると言うことであります。即ち、紛争の予防のためには、対立を武力ではなく、対話によって解決する民主主義の成熟と、それを可能にする経済発展が必要です。このためには、当事者の自助努力と外部からの協力、とりわけ、政治安全保障上の枠組み及び貧困を除去するための国際的支援体制がなくてはなりません。しかし、現実には、このような紛争予防は十分ではなく、その結果、大量の難民が発生しております。この難民問題の根本的解決のためには、原因となる対立についての政治的解決が必要なことは当然ですが、難民支援の実際面では、難民等に対する緊急人道支援と開発支援とのスムーズな連携を如何にして確保していくかが大きな課題となっております。この点については難民支援の指揮をとってこられた緒方前国連難民高等弁務官が一番ご苦労されてきたところと拝察いたします。政治、安全保障、人道及び開発の各分野で責任を有する国際機関、政府、NGO等が、開発支援と難民支援の緊密な連携を目指し、円滑な協力関係を築いていけるよう我が国としても尽力したいと考えます。

 以上のことを申し上げた上で、先ずわが国の対アフリカ開発支援の方針を述べたいと存じます。

 我が国の対アフリカ政策において、開発支援は引き続きその中心的な政策手段であります。我が国は、1993年と98年にアフリカ開発会議(TICAD)を開催しました。こうした実績を踏まえ、将来TICAD IIIを開催したいと考えており、その準備として、本年12月、アフリカ開発に関する閣僚レベル会合を東京で開催することを提案いたします。

 これまでのTICADプロセスを経て、政治的安定の確保等を含めた包括的アプローチ、アフリカ自身のオーナーシップと国際社会の側のパートナーシップの構築、南南協力の推進、と言った基本的方向性についての合意があります。こうした基本的方向性を前提とした上で、わが国が考える今後のTICADプロセスの重点は次の三点です。貴国を始めアフリカ諸国からご意見を伺えれば幸いです。

 第一点は、TICADを、アフリカ自身による開発戦略を話し合う場として優先的に位置づけたいと考えます。開発プロジェクトの実施段階での主体性に係わる議論に止まらず、最も根本の開発戦略段階でアフリカの考えが提示されてこそ、真のオーナーシップが確立されるのであります。我が国はムベキ大統領の「アフリカ再生計画」及びそれに基づいてアフリカ諸国が準備中の「アフリカ開発計画」のイニシアティヴを歓迎します。日本政府は、他の援助国とともにこうしたアフリカ自身による開発戦略に耳を傾け、アフリカ側と一緒になってその具体化を話し合いたいと思います。

 第二点目は、南南協力の更なる発展です。私は、わが国自身やアジア諸国などの発展の経験を、アフリカの人と分かち合うことが重要と考えています。アジア・アフリカ間だけでなく、北アフリカとサハラ以南の間など、様々な組合せが考えられます。過去20年間に亘りわが国が協力してきたケニアのジョモ・ケニヤッタ農工大学を舞台とする「アフリカ人造り拠点プロジェクト」の開始もその一つです。

 協力対象分野についても、民間交流も含め、包括的な取り組みが必要になってきています。既にアジア・アフリカフォーラム等様々な政策対話の場がありますが、更に幅広い見地から全体戦略を作る、いわば頭脳が求められています。例えば、双方のトップレベルの知的リーダーから構成される「アジア・アフリカ賢人会議」と言ったフォーラムの創設を真剣に考えても良い時期に入っているのではないでしょうか。

 第三番目は、新たな重点分野としてのエイズ等感染症協力とIT協力です。TICAD II東京行動計画では重点分野を特定し、わが国は、教育、保健医療、水供給分野で五年間で900億円の無償協力を実施する等、着実にその実施に取り組んでいますが、今後はこうした分野に加え、エイズ等感染症対策とIT協力を重視していく考えです。

 エイズ、結核、マラリア等の感染症対策に関しては、わが国は、G8サミットの際の「沖縄感染症対策イニシアチブ」において、今後5年間で30億ドルの支援を表明しました。これをアフリカに対して積極的に活用していく所存です。今後の協力としては、例えば南アフリカのクワズールー・ナタール州においてエイズの予防と緩和のための

 協力を行うほか、ケニア、ガーナ、ザンビアなどの研究協力拠点を核として協力の輪を他のアフリカ諸国に広げていくのが効果的と考えています。去る12月の「感染症対策沖縄国際会議」ではチルバ・ザンビア大統領より基調演説を頂きましたが、感染症問題に係わるアフリカとの協力を一層進めるとの観点から、本年早期にハイレベル調査団を関係国に派遣する考えです。

 また、情報通信技術の普及は経済発展格差を埋める有効な手段であり、この分野では、既にアフリカ側のイニシアティヴも取られています。わが国は、九州沖縄サミットにおいて全世界を対象とする5年間150億ドルのIT協力計画を発表しましたが、この分野でいかなる協力が可能かを検討するため、早い時期にハイレベル調査団を派遣し、関係各国と協議をさせたいと思います。

 なお、以上の他に開発にとっての重要課題として債務問題があります。この点での現在の優先課題は、重債務貧困国に対する債務救済を出来るだけ迅速かつ効果的に進め、貧困削減・社会開発につなげることであります。昨年末までに、22の重債務貧困国が債務救済を受けることになりましたが、これら諸国に対する我が国の債務救済額は38億ドルに上り、G8諸国中で最大級の貢献となります。

 次に、開発支援とともに対アフリカ協力の両輪となる紛争予防・難民支援について述べます。

 この分野での我が国の協力は、1989年に国連ナミビア独立監視グループへ要員を派遣して以降本格化し、対アフリカ協力の両輪が形造られることになりました。我が国は、難民支援、地雷除去、更にはOAU平和基金への拠出やブルンディ和平プロセス促進のための支援等の資金面だけでも、1994年以降今日まで6億ドルの貢献を行ってきました。

 アフリカの紛争は植民地時代の様々な負の遺産や低開発などの要因が極めて複雑に絡み合っていますが、いかなる紛争も関係当事者の英知と断固たる決意があれば必ず途は開けるはずです。私が、今、立っている南アの歴史を顧みれば、あれほどの激しい対立を克服できる英知をアフリカの人々は持ち合わせていることがわかります。我が国は、98年のTICAD IIの際に行ったように紛争当事者とのハイレベルでの接触等を通じて、日本がアフリカの紛争解決に関心を寄せ、和平に向けた関係者の努力を支援していること、紛争継続により「人」というかけがえのない資源が浪費されていることの愚かさを訴え続けていきたいと思います。

 しかしながら、発生している紛争を解決するより、それを予防し、あるいはいったん終息した紛争の再発を防止する方が容易であり、コストも少なくて済みます。昨年のG8サミットで「紛争予防に関するG8宮崎イニシアチブ」をとりまとめたこと、難民支援を重視していること、更には国連の平和維持活動に対して必要資金の20%を分担し、モザンビークやルワンダに自衛隊員を派遣したこともこうした考えによるものです。

 なかでも、難民支援については、1991年に緒方貞子さんが国連難民高等弁務官に就任されたのと軌を一にして、日本国内でも関心が高まり、アフリカ紛争問題に対するわが国取組みの中核になってきました。このことは、わが国NGOによる難民支援活動への参加数の増大、そして先に述べましたアフリカ紛争問題に対する6億ドルの資金貢献の半分の3億ドルが難民支援に向けられていることに端的にあらわれています。この後、私自身、ケニアにおける難民キャンプ視察を予定していますが、今回のアフリカ訪問の経験を今後のわが国の施策の上に生かしていく決意です。

 日本も、太平洋戦争後の廃墟の中で復興に取り組み、一時は茫然自失した国民も新たな国造りに邁進して経済発展を遂げてまいりました。特に、私の世代はまさにこの戦後復興を支えてきたのであります。それだけに、私は、難民・避難民や復員兵士と言った人々をいかに社会復帰させ国造りに参加せしめていくかが、紛争予防・解決と開発とを有機的に結びつけるものとしていかに重要であるかを痛感するものです。2ヶ月ほど前に、東京において「児童兵の社会復帰に関する国際シンポジウム」を開催し、また、シエラ・レオーネでの紛争被災民の社会復帰への協力を開始したのも、こうした認識に基づくものです。

(日本とアフリカ:心と心の交流計画)

 大統領閣下、ご列席の皆様、

 我が国からアフリカに向けての協力につきご紹介しましたが、それ以上に私が重視しているのは、日本とアフリカとの双方向の交流です。ナイジェリアのノーベル賞作家、ウォーレ・ショインカが1987年に日本を訪問した際、「アフリカは、常に優位にある文化に効果的に抵抗を試み、その尊大な風船に風穴をあけ浸食しようとする努力があった。だからこそ、アフリカ文化は破壊されることなく存続することが出来た。」と発言されています。我々は、このような偉大なアフリカの伝統文化、芸術、思想そして人々の日常生活に至るまで、もっとアフリカのことを知り、そしてかってピカソやモディリアニが芸術的啓示を得たようにアフリカから文化的刺激を得たいと念願しています。同時に、アフリカの人々に日本のことをもっと理解して欲しいと思っています。このような心と心が通いあった国民レベルでの幅広い相互理解と友情という大地があって初めて政治、経済諸活動の見事な花が咲くと確信する次第です。

 日・アフリカ間交流と言えば、1965年にケニアとの間で始まった青年海外協力隊のサハラ以南アフリカへの派遣は、本日、新たに派遣取極を締結した南アをはじめ19ケ国に及びます。この計画の下では、シドニー・オリンピックにアフリカから初出場したケニア女子バレー・チームでコーチをする青年や、ニジェールの一農村で野菜栽培をする青年もいます。現在700人近くの日本の青年がアフリカ各国で活動しており、これまでの延べ派遣数は実に6000人以上にもなります。また、現在日本には約400人のアフリカからの留学生の方がおられます。留学生の中には、我が国における毎年年頭の恒例行事である東京・箱根駅伝、これは東京・箱根間を5人でたすきをリレーする競技ですが、で多くの日本人が手に汗握って観戦する中、大変な話題を提供した方がおられます。創立4年目の平成国際大学に創設100年以上の大学を相手に8人抜きの大活躍をし、所属大学である平成国際大学の名を一躍有名にするとともにアフリカの存在を強烈にアピールされたケニアのカーニー及びムヒアの両選手がおられます。また、山梨学院大学もアフリカ選手のおかげで一躍全国的に有名となり、地方の大学であるにもかかわらず入学希望者が増えているとのことです。また、この他にも留学後も日本企業に残り、シドニー五輪女子マラソンで活躍されたケニアのワンジロ選手や、母国ベナンに学校を作ることを夢見てタレントとして活躍しておられるゾマホン氏など多士済々です。このようにアフリカの留学生たちは日本社会によい刺激を与えると同時に帰国後も、留学生同窓会を結成するなど、我が国との友好親善活動を展開する核となっています。

 このように日・アフリカ双方で生活体験を有する青年層の存在は、相互交流の貴重な財産ですが、飛躍的拡大が期待される今後の日・アフリカ関係を展望するとき、この交流の裾野を着実に拡大していくことが望まれます。研究協力等の知的交流、民間経済交流、更には観光振興等、対象分野は多岐にわたりますが、私が特に重視する文化交流と青年交流の二点について述べたいと思います。

 先ずは文化交流についてです。ところで、皆様はわが国の著名な歌手が貴国でレコーディングし、ニューアルバムを発売していることをご存じでしょうか。私自身もファンの一人である加藤登紀子さんが出した「トキコ・スカイ」というアルバムです。この中で、加藤登紀子さんは、次の詩を寄せています。「この星にはじめて人が誕生したというアフリカ。太陽とともに起き、太陽とともに生きた人々の躍動は、いくつもの音楽となって世界に旅立った。ブラジルのサンバ、カリブのレゲエ、キューバのチャチャチャ、ポルトガルのファド、ニューヨークのジャズ……全てのルーツはアフリカにあるという。この宿命ともいえる音楽の血を持ったアフリカのミュージシャンたちと歌ったこの数週間を私は永遠に忘れない。」加藤さんはこう言っておられます。

 日本とアフリカの間では、既にこのような心と心の交流が自然の形で展開されています。こうした交流がより広くより深く国民レベルで発展していくことを祈って止みません。

 1998年のTICAD IIの際には、並行して現代アフリカ美術展が日本で開催され、大人気を博しましたが、将来開催したいと考えているTICAD III等の機会を捉え、日アフリカ交流事業を集中的に実施し、一般国民が相手の文化に親しむ機会としたいと思います。また、日本とアフリカの間の質の高い文化交流を継続的に実施することを可能とするためには、文化事業実施の核ともなるべき人々の間のネットワークを作ることが重要ではないでしょうか。私としては、日本とアフリカの芸術家、美術館・劇場関係者等の計画的交流を促進することを提案いたします。

 日本とアフリカの間の文化交流を豊かなものとするためにも、アフリカにある多様な有形無形の文化遺産を適切に保護することが重要であり、我が国としてもお手伝いしたいと考えています。アジアについては、これまでもユネスコに設置した日本信託基金を利用して支援を行ってきましたが、これをアフリカにも拡大することとし、目下ベナンのアボメイ王宮を対象とする保存修復協力の準備を進めています。アフリカは、また口承文学や伝統音楽、舞踊等の優れた無形文化遺産を豊富に有しています。このような無形文化遺産の保存に対する支援についても、今後アフリカに広げていく方針です。

 最後になりましたが、最も重要なことを述べたいと存じます。それは、豊かな日・アフリカ関係の未来は21世紀を担う青年層の相互理解と友情にかかっているということです。日本とアフリカの間の若人を中心とする交流については、各種研修・派遣制度など様々な制度がありますが、私は、こうした制度を積極的に活用することにより、今後3年間で約6000人の交流の実現を目指したいと考えます。

(結び)

 大統領閣下、ご列席の皆様、

 ムベキ大統領は、東京の国連大学における講演で、「全ての人類は相互依存関係にあり、全ての者が自由でない限り誰も真に自由ではあり得ない。世界の他の地で飢える者がなくならない限り誰も真の意味で豊かではあり得ない。全ての者が環境を護るために行動しない限り質の高い生活は保障されない。アフリカの低開発は世界の全ての人々の関心事でなくてはならない、アフリカ・ルネサンスの勝利はアフリカの人々の生活向上だけではなく人間の尊厳の領域を全ての人類に広げることを意味する。」と指摘されました。

 私は、今日ここの演説の冒頭で、アフリカ問題の解決なくして21世紀の世界の安定と繁栄はないと申し上げましたが、ムベキ大統領の言葉を借りれば、「アフリカの再生」なくして、全ての人類が「真の自由」と「真の豊かさ」を手に入れ「人間の尊厳」をとりもどすことはできないということであります。

 ムベキ大統領は同じ演説の中で、「アフリカの再生は、アフリカ人自身によってその目的と目標が明確化された場合にのみ成功する」とされた上で、再生を求めるアフリカの闘いに参加するよう東京の多くの聴衆に呼びかけられました。

 閣下の呼びかけに対し、私は、今ここで、力強い「イエス」という日本国民からの返事をお伝え申し上げます。一緒にムベキ大統領、アフリカの皆様とともに闘おうではありませんか。

 ご静聴有り難うございました。