[文書名] ダボス会議における森総理大臣のスピーチ「日本と地球の将来を形作る」
シュワブ理事長、
御列席の皆様
御紹介ありがとうございます。森喜朗です。
昨日遅くチューリッヒに到着し、今朝ダボスにやって参りました。時差ぼけを心配していたのですが、こちらに向かう途中で真っ白な雪山を眺め、大変爽快な気持ちでおります。私自身、石川県という雪国で生まれ育ち、雪は見慣れていたはずだったのですが、ダボスの白さはたいへん新鮮で強烈でした。
私たち日本人は、白という色を非常に大切にします。実際、日本語は、「白」にいくつかの異なった意味を持たせています。例えば、白地は、「純粋、無垢」であることを象徴します。また、「白紙にもどす」という表現がありますが、これは従来の経緯や考え方を改めて、新しくやり直すことを意味します。皆様には、是非日本に関する先入観を「白紙にもどし」て、私の話をお聞きいただきたいと思います。そのことを通じ、皆様の共感を得ることが私の希望であります。
さて、私にとって初めてのダボス訪問と申し上げましたが、同時に、日本の総理大臣がダボス会議に出席するというのも今日が初めてであります。さらに言えば、これまで現職の日本の閣僚がこのダボス会議に出席して、世界の知的リーダー達と意見を交換することがなかったのです。
これは、世界のGDPの約13パーセントを占める日本の世界経済における地位と責任に照らせば、驚くべきことと言わねばなりません。日本の政治指導者の間でも、このダボス会議に対する注目度は極めて高く、会議への参加は長年の願いでもありました。しかし、ちょうど毎年この時期に、日本国内で、次年度の予算を決める極めて大切な国会の審議が行われるため、総理大臣や閣僚はこの会議に出席できなかったのです。今年、日程上の都合がつき、ようやく私自身が出席する機会を得ました。来年以降も、この会議を通じ国際社会の指導者の方々との知的交流が深まるよう、努力をしたいと思います。
御列席の皆様
さて、本日のスピーチの本題に入りたいと思いますが、私は今日三つのことを皆さんにお伝えしたいと思っています。
第一は、日本経済は間もなく本格的な再生を終え、再び世界経済の最先端に立って、貢献できる状況になるという点です。1990年代に入って以降、いわゆるバブル経済の崩壊と世界経済の環境の変化によって、日本の経済・社会における、いくつかの構造的な問題が顕在化しました。20世紀の最後の10年は、日本にとって失われた10年である、といった見方も生まれました。しかし、日本は、バブルの負の遺産を解消し、完全に復活する体制を整えつつあることをお伝えしたいと思います。
第二は、日本経済が海外の皆様が考えている以上に変化しているという点です。これまでも、日本の経済・社会構造はユニークであり、それ故外部からわかりにくいとの指摘を受けてきました。このため、ここ数年日本で生じてきた変化も、海外からはなかなかわかりにくいのではないかと私自身は思っております。しかし、日本は経済・社会構造の様々な面でいま急速に変化し、新しい成長軌道にむけた歩みを進めつつあります。
第三に、21世紀に向けてのグローバルな課題に対し、日本が積極的に貢献していくという、私なりの決意を述べたいと思います。
こうした議論を通じ、皆様にご理解いただきたいことは、新しい日本を形作ることと、地球の将来を形作ることとの間には、密接不可分の関係があることです。我が国は、この二つの課題に同じ決意で取り組む、そのことが、本日私がお伝えしたい最も重要なメッセージです。
御列席の皆様
第一の問題、日本経済の「失われた10年」からの復活についてお話しします。約10年前、バブルが崩壊した日本経済は、厳しい資産デフレと戦ってきました。政府の試算によると、バブルのピークであった91年から98年までの間に、株と土地の価格低下だけで、国民は約1000兆円の資産を失いました。これは、GDPの約2倍という規模です。
私自身、この間ずっと政治の中枢にいた人間として反省しなければならない点があると考えています。日本は、明らかに資産デフレが経済成長に及ぼす負の影響を過小評価していました。このため、金融システムの痛みが一時予想以上に深刻化し、世界の資産市場への影響が懸念されるような事態も招いたのでした。
しかし、98年以降、日本の経済は着実に変わり始めました。金融システム安定化のため、大規模な公的資金を銀行部門に投入するとともに、需要喚起のための大規模な財政政策、超低金利の金融政策を進めてきたのです。こうした政策の結果、2001年度は、潜在成長力への復帰にもう一息のところまで、経済成長率が高まる見込みです。
しばしば、内外の専門家から、資産デフレ後の経済調整のスピードが、日本はあまりに遅いのではないか、という批判を受けます。調整が決して早くなかったという点についての批判は、甘んじて受けるべきかも知れません。しかし、着目して頂きたいのは、この間、国民の所得水準の大幅な低下を招かない形で、GDPの2倍という巨額の資産デフレの調整を行ってきたことです。
資産デフレからの急速な調整は一時的に大幅な所得低下を招き、その後急速に回復するというパターンを意味します。ちょうどアジアの途上国が通貨危機後に経験した深刻なGDP低下と、その後のV字型回復です。しかし、現実問題として、日本のような経済規模が大きく、世界への影響の大きな国が、一時的であれ10パーセントといった大幅な所得低下を選択する余地は無かったと確信しています。
GDPの2倍の資産デフレを経験したにもかかわらず、今日の日本の一人あたりGDPは、バブルのピークより13パーセントも高い水準にあります。日本は、GDPと国民の生活水準を下げることなく、巨額な資産デフレ後のバランスシート調整を進めています。そしてそれが、いよいよ最終段階に入ったと認識しています。
昨年後半から、日本の株価が弱含んでおり、これを景気低下へのサインと見る向きもあります。しかし、こうした動向は、企業と銀行がバランスシート調整を積極的に進め、また株式保有の構造をより効率的にしようとする前向きの調整の過程で生じているものであります。日本経済は間もなくバランスシート調整を終え、資産を回復する、という、私の確信に変わりはありません。
御列席の皆様
第二のテーマ、日本の経済社会構造の変化に論点を移しましょう。先ほど、私は、資産デフレに対応した、経済全体のバランスシートの調整問題を論じてきましたが、それらは、いずれも日本経済の「守りの再構築」です。それに対して、今日進行している構造的な動きは、まさに「攻めの再構築」です。
ここ数年、日本経済の原動力となってきた一つの大きな要因がIT革命でした。今やIT関連の設備投資とIT関連製品の輸出が日本の経済を押し上げています。私は昨年、総理大臣の政策諮問機関として、IT戦略会議を作りました。今日この会議にも出席しておられるソニーの出井会長に議長をお願いし、野心的なIT促進政策を作成しました。それは、2003年までに電子政府を実現するとともに、5年以内に、日本に世界最先端のインターネット・インフラを整備するという計画です。日本の技術と資金力を活用し、競争政策で民間部門の活力を引き出すという手法で、この計画は間違いなく実現できると確信しています。
また、今後のITの促進に当たっては、インターネットの新しいプロトコールであるIPバージョン6(IPv6)への移行も視野に入れております。日本はこのIPv6でも高い技術を有しており、この下にインターネットアドレスをほぼ無制限に利用できる仕組みを定着させることによって、IT時代の新しいライフスタイルと産業が生まれると考えます。また、IPv6への移行は、ITの後発国である開発途上国にとってのデジタル・オポチュニティーをも拡大するものであり、世界に対する日本の貢献となるでしょう。
さらに、パソコンを使用せず携帯電話を活用してデジタル情報をやりとりするという、日本型IT革命の促進も重要な課題です。そもそも日本は、国民のうち50パーセントが携帯電話を保有している国ですが、携帯電話を直接インターネットに活用している人もすでに国民の約15パーセントに達しています。今年5月から次世代携帯電話の時代に入ります。これは、現在の携帯電話の情報伝送速度を当初は40倍に、その後200倍に高速化するもので、ヨーロッパやアメリカに先駆けて日本で実用化されます。携帯電話の普及率は、他のアジアの国々においても極めて高く、これがアジア型のITとして定着していくことも期待されます。なお、携帯電話を活用した、インターネット網の構築という、コンセプトは、ある女性実業家を中心に開発されたものです。経済の最先端分野における女性の活躍も、日本経済・社会構造の変化を象徴するものと言えましょう。
さて、日本の構造改革のためには、経済の各分野で一層の規制改革と競争政策の促進が必要となります。私は、断固、強力な競争促進政策を進めていきます。実はそのためにも、政治のリーダーシップを発揮できるように、行政システムの改革が必要になります。98年以降の日本は、政策決定のプロセスを政治主導型に大きく変更するような努力を積み重ねてきました。
まず先の小渕内閣の下では、民間の専門家及び有識者からなる経済戦略会議を総理直属の機関として作り、経済再生の計画を作成しました。私が総理就任後推進している「日本新生」のプロセスにおいても、産業、教育、社会保障、司法制度など、幅広い分野において、有識者の方々の叡智を結集しながら、今後の政策の在り方について検討を進めております。先にご紹介したIT戦略についても、本年新たなIT基本法に基づき、全閣僚と民間有識者からなる戦略本部を設置したところであり、政策の具体化を図っております。さらに今年1月6日に政治主導型の政策体制を確立するため、過去に例を見ない大幅な中央省庁再編を実施したのです。
この再編に伴い、中央省庁の数は、23から13に削減されました。のみならず、行政のスリム化を目指して、他の先進国と比べすでに低い水準にある国家公務員の数を10年間で25パーセントさらに削減するという、世界にも類を見ない厳しいリストラも進行しています。かねてより、日本の政策は強固な官僚組織が担ってきたとの認識がありますが、現実にこの2、3年の動きは、そのような見方とは異なるものです。こうした変化と平行して、日本の経済・社会の構造変化が予想以上に進行していることを改めて指摘したいと思います。
スリムな政府を確立し、国民が自主性と創意を発揮する環境を整備する一方で、こうした環境の中で潜在性を十分に発揮する、人材を育んでいかなければなりません。こうした人材は、一朝一夕で育つものではありません。将来の世代への責務として、教育制度そのものの改革を推進していくことが必要となります。
また、この改革は、第二次大戦後半世紀の日本の変化を踏まえたものとしなければなりません。戦後の教育制度の下で、日本は戦争の惨禍から奇跡的な復興を遂げ、平和と物質的な豊かさを享受するに至っています。今回の教育改革では、こうした豊かな時代において、子どもの社会性を育み、自立を促し、人間性豊かで、グローバルな社会に貢献できる日本人を育成していくために何をなすべきか、真剣に考えていく必要があります。
私は、この課題についてさらに国民的議論を重ね、帰国後審議入りする次期通常国会において、直ちに取り組むべき課題について関連法案を提出することとしています。
日本経済には今後ともいくつかの大きな課題が残されています。人口の高齢化の中で年金を含む財政の健全化を実現しなければなりません。近年の経済対策の結果、日本の財政赤字が極めて高い水準になっていることを我々は十分に認識しております。また、ごく近い将来、日本は本格的な人口減少社会に向かうという、世界でも稀な経験をします。まさに他の国々に先駆けて、日本は壮大な社会実験をすることになるのです。
しかし、「日本新生」という、包括的なプログラムの下で、(1)着実に経済のバランスシート調整を進めること、(2)規制改革による新産業の創出、競争促進、教育改革を通じた人的資源の強化など、サプライサイドの政策によって潜在成長率を高めること(3)この政策の中核としてIT革命を強力に推進すること、(4)行政をスリム化し、政治のリーダーシップを確立すること、など、改革の方向性はすべて出揃いました。
さりとて経済は生き物です。米国経済の減速がみられる今日、日本は国際経済の運営に格別の責任を負っています。既に道筋はつけられています。私は、断固、この道筋に沿って機動的な政策運営を行い、日本経済の復活を達成したいと考えています。
御列席の皆様
ここで私が今日のグローバルな問題をどのように考えているのか、それに対し、日本がどのような立場で貢献していくのか、お話ししたいと思います。これが第三のテーマです。
日本は、これまでも、グローバルな課題に対し、他国と協力しながら積極的な貢献を行ってきました。政府開発援助(ODA)の分野で、近年世界最大の援助国としての役割を果たしてきたこともその一例です。90年代における経済の停滞の中でも、円建てのODA額は増加を続けてきました。私は、これからも日本は最大のODA供与国であり続けたいと思います。
しかし、新しい世紀においては、理念においても、具体的なアプローチにおいても、新しい発想でグローバルな課題に取り組んでいく必要があります。本日のスピーチにおいては、「人間の安全保障」の理念とアジア地域のダイナミズムを国際社会の繁栄と福祉に役立てるという、考え方をご紹介したいと思います。
私が昨年秋の国連ミレニアム・サミットで提唱した「人間の安全保障」という理念は、貧困、紛争、難民、感染症、環境破壊といった、人間の存在自体への脅威に打克つことを目的としています。この理念を貫くものは、人間一人一人を大切にするという視点です。このことは、20世紀が、科学と技術を発達させる一方、二度の世界大戦や様々な紛争によって多大な犠牲を払った、「栄光と悔恨」の百年であった、という私の歴史観に基づくものでもあります。
人類が新しい世紀において、様々な課題を克服し、「人間の安全保障」を真に確立し得るか。この問題への解答の重要な鍵は、アフリカの将来にあります。アフリカの人々が直面する困難については、多言を要しません。経済の長期的停滞、紛争の頻発が難民を増加させる悪循環、次代を担う人材の命を奪う感染症の蔓延、どれをとっても「人間の安全保障」の確立に向けた人類の叡智と決意が問われているといっても過言ではありません。
私は、昨年の九州・沖縄サミットの機会に、この会議に出席されているムベキ・南アフリカ大統領、オバサンジョ・ナイジェリア大統領、そしてブーテフリカ・アルジェリア大統領の三人の指導者と親しく意見を交わしました。この対話は、その後昨年9月の国連ミレニアム・サミットへと続きましたが、一連の対話を通じ、私は、「アフリカ問題の解決なくして、21世紀の世界の安定と繁栄はない」という、確信を深めました。私は、今月はじめ日本の総理としては初めてサハラ以南のアフリカ諸国を訪問しました。この訪問は、新しい世紀における日本のグローバル外交の出発点として、アフリカの再生への取り組みに最大限の貢献を行いたい、との、私の決意の現れであります。
今回の訪問に当たっては、一連の首脳会談において、今後の対アフリカ協力の基本的な考え方として、開発支援と紛争予防・難民支援を車の両輪として推進していく方針をお伝えしました。この方針は、紛争、難民の発生、貧困の継続、という悪循環を断ち切るため、様々な支援を有機的に連携させつつ、一体として推進していくことを目的とするものです。関係国の指導者の方々からは、こうした方針について理解と賛同を得ることができたと考えます。
言うまでもなく国際社会が直面する課題は、アフリカの再生に限られません。国際社会の急速な変化の中で、我々が踏まえるべき一つの視点として、科学技術の進歩とグローバル化のダイナミズムを国際社会の真の繁栄と福祉に役立てていくことについて触れたいと思います。
アジア地域は、97年以降の金融危機によって一時的な停滞を余儀なくされましたが、新世紀における世界経済の成長を支える最も重要な地域の一つであることは間違いありません。危機の影響を受けた国もダイナミックな成長を取り戻しつつあります。また成長の回復を背景に、地域協力の新しい発展を求める動きも生まれつつあります。私は、アジアのダイナミズムを世界の繁栄につなげていくため、東アジアにおける地域協力をさらに活性化させていきたいと考えています。
IT協力は、こうした方針の重要な要素です。「ASEAN+3」首脳会議に当たっては、会議に先立ちASEAN加盟国間で「e−ASEAN枠組合意」が署名されたことを踏まえ、私から、ASEAN、日、中、韓各国間の政策対話の強化を呼びかけ、他の首脳の賛同を得たところです。5年間で150億ドルを目処とした、我が国が提供する包括的協力策は、アジアにおけるIT協力の促進にも重要な貢献をなすものと期待しております。
また、域内金融協力については、いわゆる「チェンマイ・イニシアティブ」の下で、ASEANスワップ取極の拡大、さらには日、中、韓を含む二国間のスワップおよびレポ取極のネットワークの確立に向けた努力が進捗しています。こうした金融協力の枠組みは、域内における今後の通貨・金融危機に対する予防メカニズムとして効果的に機能することが期待されます。
地球環境の保全も重要な課題です。特に、地球温暖化への対処は人類にとって急を要する課題です。このため、我が国としては、2002年の京都議定書発効に向け、国際社会による最大限の努力を促したいと思います。2002年のリオ+10「持続可能な開発世界首脳会議」においては、今世紀全体を見据えた未来志向の構想が議論されるべきと考えます。この会議に向けて、アジア太平洋地域から新しいモデルを提言すべく、「アジア太平洋環境開発有識者会議」の準備をすすめているところです。
さらに我が国は、本年1月からシンガポールとの間で経済連携協定の締結交渉に入りました。この協定は、貿易・投資面に留まらず、幅広い分野における二国間協力の拡大をも視野に入れたものです。私は、この協定は多角的自由貿易体制を補完する方途としてのみならず、グローバル化時代の新たな経済的連携の一つのモデルとなるべきと考えています。
私は、アジアのダイナミズムを活かすべく、ただ今ご紹介したような協力を促進したいと考えます。同時にグローバル化の時代においてこうした地域協力が自己完結的なものとなることはあり得ません。私は、この協力を、IMF、WTOといった、グローバルなシステムとの整合性や北米、欧州といった諸地域との協力関係も強化する方向で進めていきたいと考えています。
この観点からも、多角的自由貿易体制を強化していかなければなりません。私は、昨年秋のAPEC首脳会議において確認された通り、本年中にWTOの新しいラウンドを立ち上げることが必要であると考えます。我が国としては、引き続きこの目標に向けたコンセンサスの構築に積極的に貢献する決意です。
御列席の皆様
グローバル化の究極的な帰結は、人と人の交流の深まりです。しかしながら、我々は、こうした交流の深化が直ちに相互理解の深化につながるものではないことを銘記する必要があります。IT革命は、世代や社会的境遇を越え、そして国境を越えたコミュニケーションのための強力な手段を提供しています。しかし、情報量の単純な拡大だけでは、相互理解は深まりません。文化の画一化を招き、偏見を拡大させる危険すらあります。
今や日本と世界各国の間では瞬時のコミュニケーションが可能です。しかし、人と人の直接のふれあいがなければ、真の相互理解と相互信頼は達成できません。
私は、今回のアフリカ訪問の機会に、ケニア北部のカクマの難民キャンプを視察しました。このキャンプには、スーダン、ソマリア、エティオピアなど、8カ国からの難民の方々、8万8000人が生活しています。「中央病院」とは名ばかりの、テント張りの医療施設では、マラリアや栄養失調に苦しむ子供達、そして我が子を一日も早くこうした痛みから解放させたいと願う母親達の悲痛な姿を目の当たりにしました。しかしながら、そうした中にあっても、キャンプの方々は、私共一行をあたたかく歓迎してくれました。人々の笑顔や握手のあたたかさをEメイルで送ることはできません。今回の訪問を通じ、私は、人と人とのふれあいの重要性を改めて痛感しました。
私が、本日お集まりの皆様に最後に呼びかけたいことは、この会議において地球の将来について意見を戦わせると同時に、ダボスを取り巻く50億の人々の営みへの真の共感を深めていただくことです。
この点について、私がこれ以上言葉を重ねることには余り意味がありません。カクマの難民キャンプでは、祖国を追われた子供たちが、彼らのささやかな願いを込めた歌を歌ってくれました。その歌を紹介することで、私のスピーチの結びとしたいと思います。
「女の子が、男の子と一緒に学校に行って、結婚のために早く学校をやめる必要がなくなる日がいつか来ないか、私は夢を見る。みんな、こういう日はいつかくるのだろうか。
女性が男性と同じくらい重要な職、例えば、先生、医者、技師といった職につく日がいつかこないかと私は夢を見る。こういう日はいつかくるのだろうか。
世界で戦争がなくなり、みんなが平等になる日がいつか来ないかと私は夢を見る。みんな、こういう日はいつかくるのだろうか。」
御清聴ありがとうございました。