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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 国際科学者会議における小泉内閣総理大臣演説

[場所] モスクワ(クルチャトフ研究所)
[年月日] 2003年1月11日
[出典] 首相官邸
[備考] 
[全文]

 ご列席の皆様、

 本日は各国から著名な科学者の集うこの国際科学者会議にて講演する機会を頂き、大変嬉しく思います。ヴェリホフ・クルチャトフ研究所所長を始めとする関係者の皆様にまずお礼を申し上げます。本日は、科学技術と人類の未来に関する私の考えを述べたいと思います。

(科学技術と人類の責任)

 ご列席の皆様、

 20世紀は、人類に経済の飛躍をもたらしました。しかし、同時に、人類が幾度に渡り、悲惨な戦争を経験した世紀となりました。経済発展に大きく貢献してきた科学技術は、残念なことに、こうした戦争のためにも使われてしまいました。21世紀には、人類の叡智を結集し、科学技術を、平和と繁栄のために使わなければなりません。

 原子力エネルギーという、人類の未来を開くべき科学技術が、まず核爆弾として用いられました。その悲劇を、被爆国であるわが国は最も強く認識しています。

 核兵器は廃絶されなければなりません。米露の大幅な核兵器削減という、近年の歓迎すべき動きの一方で、今日においても核兵器の開発、そして獲得を目指していると疑われている国があることは、国際社会にとり大きな懸念です。核兵器のない平和で安全な世界の実現に向けて、我々は、力を合わせていかなければなりません。

 この観点から北朝鮮の核開発の問題に一言触れたいと考えます。昨日、北朝鮮がNPTからの脱退を宣言したことは極めて遺憾であり、重大な懸念を有します。わが国としては、北朝鮮が今般の決定を直ちに撤回し、核開発計画を廃棄するための迅速な行動をとることを強く求めます。そのため、米国、韓国と緊密な連携をとりつつ、ロシアを始めとするその他の関係国やIAEAと協力していきます。この問題については、昨日、プーチン大統領とも話し合い、認識が一致しました。

 今年生誕100年を迎えた、クルチャトフ博士は、米ソ対立の狭間で、国家のために核兵器の開発に関与しました。博士は、こうした核兵器開発と並行して、原子力の平和利用の方法について研究を進めました。しかしながら、東西冷戦の中で、核兵器をめぐる米ソ軍拡競争という歴史がもたらされたことは、博士にとっても、極めて残念なことであったに違いありません。

 博士は、亡くなる前の月、最後となる講演において、こう語っています。

 「私は信じている。私たちの政府と国民が、科学を、人類の幸福のためにだけ使っていくことを。」

 このクルチャトフ博士の遺言とも言える言葉に、我々は今一度思いを致さなければなりません。科学技術を真に人類の幸福に繋げていくために、我々は重大な責務を背負っていることを、博士の生誕100周年シンポジウムの機会に、強く訴えたいと思います。

(20世紀の負の遺産としての領土問題)

 ご列席の皆様、

 20世紀は、科学技術の進歩の裏で、対立と破壊の不幸な歴史を刻みました。特に、世紀後半の冷戦対立は、今も未解決のまま残る、大きな後遺症を残しています。いわば、「20世紀の負の遺産」ともいうべき、こうした問題を、一つ一つ片付けていくことは、21世紀に生きる我々が、我々の子供や孫たちに負っている重要な責務なのです。

 日露両国の間にも、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の帰属の問題という、大きな「負の遺産」があります。私は、日露両国には大きな発展の潜在性があると確信しています。しかし、現実には、この問題の存在を一因として、日露関係はその潜在性のほんの一部しか現実のものに出来ていません。

 2006年にG8サミットを主催する大国ロシアと、アジア唯一のG8メンバーである日本の関係発展に、世界が注目しています。仮に日露両国間に存在する過去の負の遺産を克服することができれば、日露関係発展の潜在性を十二分に引き出すことができます。そうなれば日露双方、更には国際社会全体に大きな利益をもたらすこととなるでしょう。

 こうした観点から、今回私は、プーチン大統領と共に日露関係に新たな息吹を吹き込みたい、との強い決意を持って、ロシアを訪れました。その成果が、昨日、私とプーチン大統領が採択した「日露行動計画」です。

 この文書は、これまでの日露間の協力の成果をとりまとめると共に、今後の関係進展の方向性を示すものであり、今後の日露関係の「海図」とも言うべきものです。我々は、今後行動計画に基づき、幅広い日露関係を進展させていく中で、平和条約締結問題という、困難な過去の遺産の解決を図り、国際舞台や経済分野での日露関係の潜在的可能性を、現実のものとしたいと考えています。

(非核化にむけた日露の協力)

 ご列席の皆様、

 ロシア自身が直面する「20世紀の負の遺産」は、大きな国際問題でもあります。ロシアに残存する、膨大な量の大量破壊兵器、危険な状態で放置された退役原子力潜水艦などを、世界の平和と安全のため、あるいは地球環境を守るため、早急に片付けていかなければなりません。

 昨年六月のG8カナナスキス・サミットにおいて、これらの問題に対処する国際協力の枠組みとして、G8グローバル・パートナーシップが合意されました。私は、この枠組みに、当面「2億ドル余り」の貢献を行うことを明らかにしました。

 わが国は10年前、日露非核化協力の枠組みを作り、以来この問題に積極的に取り組む姿勢を示してきました。極東海域に数多く放置された退役原子力潜水艦。これらを解体する取組みは、単に軍縮のための協力というだけでなく、日本海における放射能による環境汚染を未然に防止する、重要な事業です。わが国は、すでに液体放射性廃棄物処理施設「すずらん」を、ロシアに供与しました。世界でも最大級の能力を持つ「すずらん」により、日本海への液体放射性廃棄物の流出は食い止められました。

 しかし、その後、退役原潜解体の実施には、困難が見られました。日露双方は、どのようにすればこうした困難を克服し、実施を促進できるかについて、協議を重ねました。その結果、この度、日露合同で実施促進のためのチームを作り、日露が一体となってこの重要な案件にあたる体制を作ることになりました。

 私は、この事業を、「希望の星」(ズベズダ・ナデージュディ)と名付けたいと考えます。これは、これからの長い道のりの第一歩です。極東海域の環境を守るため、退役原潜解体協力を更に進めていきたいと考えます。

 解体された核兵器から生じる余剰プルトニウムの処分も、重要な課題です。冷戦が終了し、ロシアは米国とともに、大幅な核兵器削減に向けて、大きな一歩を踏み出しました。しかし、核兵器が解体されても、弾頭部分のプルトニウムがそのまま残るなら、再び核弾頭として使われたり、テロリストの手に渡るなどの危険が消えません。余剰プルトニウム処分の道を整えることは、国際平和の強化と軍縮促進の重要な方途なのです。

 日露両国の研究機関の間で、高速増殖炉の技術開発について、研究協力が進んでいます。我が国の協力のもと、ロシアの科学者が開発した先進技術を用いて、先般、世界に先駆けて、原子爆弾2〜3個に相当する量(20キログラム)の兵器級プルトニウムを処分することに成功しました。また、わが国は、G8の余剰プルトニウム処分構想に対し、カナナスキス・サミットにおいて表明した資金貢献のうち、1億ドルを充てることにしています。私は、この資金貢献が、日露研究協力の、更なる発展につながることを希望しています。

 旧ソ連諸国の大量破壊兵器研究関連の科学者や研究者を、有意義な民生研究への人材として活用するための、国際科学技術センター(ISTC)の活動も重要です。このセンターの枠組みの下で、これまで延べ3万6千人の科学者や研究者が、平和目的の研究案件に従事するなど、大きな成果をあげています。わが国は、これまで約5600万ドルのプロジェクト支援を行っており、引き続き積極的に協力していく考えです。

 このように、20世紀の残した諸問題を克服し、脅威の無い、安全な21世紀を作るため、日露両国が力を結集していかなければなりません。

(平和と繁栄の21世紀のための科学技術)

 ご列席の皆様、

 そうした努力と並行して、我々の目は、平和と繁栄の21世紀を切り開くことに向けられる必要があります。世界の平和を維持するために、高度成長が築いた繁栄を、持続可能なものにしていかなければなりません。そのため、私は、環境問題とエネルギー問題の重要性を強調したいと思います。この二つの分野は相互に関連しており、こうした分野においてこそ、科学技術が力を発揮すべきなのです。

 環境保護と経済発展は、両立させなければなりません。私は、環境を保護することによって経済発展も果たせる、それを実現するのが科学技術の力である、と考えています。昨年、ヨハネスブルグにおいて、「持続可能な開発に関する世界首脳会議」が開催されました。ここで、私は、科学技術を、開発と環境保護の両者をともに達成するための、突破口と位置付ける考え方を表明しました。

 わが国は3月、「世界水フォーラム」を開催します。ここでとりあげる水の問題を含め、不確実な部分が多い地球環境問題を科学的に解明することが重要です。この観点から、わが国は、気候変動を予測するために地球環境のモニタリングや予測モデリングを推進しています。また、温室効果ガスの排出を最小化し、これらのガスを回収するために、地球温暖化対策技術を開発することに取り組んでいます。

 こうした取組みと並行して、環境にやさしい新しいエネルギーを、科学技術の力で開発していくことが、何より重要です。燃料電池は、そうした有望なエネルギーの一つでありましょう。水素と酸素の反応で発電し、後には水しか残さない燃料電池を使った車に、私も試乗いたしました。私は、人類が地球という乗り物に、安心して乗れるようにしなければならない、との思いを強くしつつ、この未来の車の静かで快適な乗り心地を楽しんだのであります。

 環境の問題を心配しないでいい、安全性が高く、恒久的に利用が可能なエネルギー資源の確保は、人類の夢であります。世界が持続的な成長を確保し、繁栄を遂げるためには、必ずや達成されなければならない目標です。資源面での制約や、環境への負荷が殆ど無い核融合は、この夢をかなえてくれる可能性を秘めた、大変重要な科学技術です。そして、国際熱核融合実験炉(ITER)こそ、科学技術分野における日露パートナーシップの意義を象徴的に示すプロジェクトであると言えましょう。

 ロシアでは、ヴェリホフ所長をはじめとするクルチャトフ研究所を中心として、ITERの研究開発を進めてこられました。なにより、ITERで使われるトカマク型炉は、このクルチャトフ研究所において開発されたものです。ITERの設計にあたって、ロシアが製作した超伝導コイルを、日本の試験装置に組み込み、トロイダル磁場コイルの実現性を実証したことは、ITERの歴史において、日露協力の輝かしい成果であります。

 わが国は、ITERが青森県六ヶ所村において建設されることを強く期待しています。ロシアの開発した技術が、わが国で花開くならば、日露科学技術協力の成果として、これに勝るものは無いでしょう。わが国は、六ヶ所村にITERを誘致して、ロシアをはじめ世界の研究者の皆様とともに働けることを、心から楽しみにしています。

(結語)

 「人間は全て、人類全体の理性が造ったものを利用できるし、利用しなければならない。しかし、同時に、人類全体が作り出したものを、自分の理性で精査しなければならない。」

 これは、文豪トルストイの言葉です。科学技術には危険が内包していることを踏まえつつ、それに人間の理性でもって立ち向かうべきであることを、正しく指摘したものであります。私は、日露両国の科学者や研究者達が、こうした知恵に常に立ち戻り、真に人類の幸福につながるような研究協力を進めていく力があると信じています。

 科学技術による、21世紀の平和と繁栄を願いつつ、講演を終えたいと思います。

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