[文書名] 小泉総理大臣の対中南米政策に関する演説‐日本と中南米の新たなパートナーシップの確立を目指して‐
アルキミン・サンパウロ州知事閣下、
ご列席の皆様、
本日、暖かな歓迎と、このように多様かつ重要な方々の前で話す機会を与えて下さったアルキミン・サンパウロ州知事に感謝致します。本年はサンパウロ市制450周年と伺っており、この記念すべき年に当地を訪問できたことを大変光栄に存じます。
私は今回初めて南米を訪問しています。私にとり特にサンパウロは、以前からずっと訪れたいと思っていた街です。従兄が長年にわたり移り住んでおり、個人的にも身近に感じてきました。ようやく念願が叶い、嬉しく思いますが、一つ残念なのは、もう少しサンパウロの滞在の予定を組んでおけばよかったと思っています。『未来の国ブラジル』の著者、シュテファン・ツヴァイクは、「サンパウロは一枚の絵には収まらない。ブラジルの、また全世界のどの他の都市も、このサンパウロほどに野心的でダイナミックな発展に身を任せている所はない」と評しています。昨日到着してから街や人々の様子を拝見し、その溢れんばかりの活力を実感しているところです。
本日、私は、日本と中南米の将来に向けた新たな展望を述べたいと思います。未来に向かって発展するサンパウロは、私達の未来を語るのに相応しい場所と言えましょう。
(日本と中南米の関係)
日本と中南米は、「人と人の絆」に支えられてきました。その重要な礎を築いたのは、約30万人の日本人移住者であり、今では、その子孫の方々を含めると150万人以上にのぼる日系人の方々の活躍です。最初の日本人移住者がメキシコへ到着してから、既に1世紀以上の時が流れています。ここブラジルには、1908年に第一回移住者を乗せた「笠戸(かさと)丸」がサントス港に到着し、2008年には百周年を迎えようとしています。私は今朝、イビラプエラ公園内の「開拓先没者慰霊碑」を前に、胸迫る思いが致しました。これらの方々は不断の努力で様々な困難を乗り越え、それぞれの社会にしっかりと根を下ろし、日本と中南米をつなぐ架け橋となってきました。私は深い敬意を表したいと思います。同時に、彼らを暖かい心で受け入れてくれた、中南米社会の懐の深さに、心から感謝するものであります。
翻って、今日、日本は約27万人のブラジル人を含む、33万人余りの中南米の方々を迎え入れています。これらの方々は、新たな文化や価値観を我が国にもたらし、日本の社会をより多様で、豊かなものとしてくれるでしょう。日本の若者たちの中には、学校で在日ブラジル人の子弟と同級生となり、それがきっかけでブラジル、中南米に関心を持ち、こちらへ留学するようになった青年たちも出てきています。
日本とブラジル、日本と中南米との交流は以前にも増して裾野が広がっています。私達の関係は、これまでも、またこれからも、人と人の絆に支えられた、温かみのある「アミーゴの関係」であり続けることを確信しています。
多くの中南米諸国は、過去に軍政や内戦、経済危機、時には大規模な自然災害等、幾多の困難を乗り越え、現在の平和と安定を達成しました。民主主義の基盤を強化し、市場経済を発展させるためには、それぞれの国の弛まぬ努力が不可欠です。日本は、その価値を共有する国として、今後とも中南米諸国の改革努力を支援していきたいと考えます。
経済面においても、長きに亘り日本は、中南米にとってアジアにおける最も安定した貿易・投資パートナーです。しかし、80年代の中南米の債務危機や、90年代の我が国の経済停滞等により、両者の経済関係はかつての勢いが削がれてしまいました。日本と中南米の経済関係は、まだまだ発展の大きな可能性があります。今こそ、日本と中南米の関係について、未来に向けての新たな展望を描こうではありませんか。
(日・中南米 新パートナーシップ構想 "A Vision for a New Japan - Latin America and Caribbean Partnership")
ご列席の皆様、
太平洋をはさんで向かい合う東アジアと中南米は、世界で最もダイナミックに発展を遂げつつある地域です。二つの地域の出会いの中にある、「相互利益の大きな潜在性」を共に開拓するために、私は、「協力」と「交流」という2つの指針に基づき取組を強化する決意です。
<−協力−>
第一の指針は「協力」です。それは、「経済関係の再活性化」と「国際社会の諸課題への取組」の2つの柱から成ります。
日本と中南米にある潜在的な可能性を現実のものとするため、経済関係の再活性化は最重要課題です。中南米は、発展のダイナミズム、5億3千万人の市場、広大な大地、恵まれた天然資源と若くて優秀な人材を有しています。これに対し、日本は民主主義と市場経済に基づいた経済発展の経験、世界第2位の市場、豊富な人材、そして資本と先端技術を有しています。このような相互に補完しあう特徴を持つ日本と中南米が協力していくことは、双方に利益をもたらすことにつながると確信致します。
私は、明後日、フォックス・メキシコ大統領との間で、中南米諸国とは最初となる日本・メキシコ経済連携協定に署名します。この協定は、物、人、サービス、資本の自由な移動を促進し、双方の経済活動の連携を強化すると共に、競争政策、ビジネス環境整備、人材育成や中小企業支援等の二国間協力を含む包括的な経済連携を推進するものです。これにより、日本・メキシコ間の経済交流の活発化のみならず、日本と中南米との一層の関係強化への足がかりとなることを期待します。
南米の大国、ブラジルを中心とするメルコスール諸国を一つの核として、米州の各地域における経済統合が急速に進んでいます。我が国としても、こうした動きに呼応し、中南米との経済関係の緊密化に、政府、民間で共に取り組んでいきたいと考えます。折しも本年は11月にチリでAPEC首脳会議が開催される予定であり、太平洋をはさむアジアと中南米との経済交流の活発化についても討議を深める好機であると考えます。
世界経済の持続的な成長を可能とするために、エネルギーや鉱物・食糧資源は欠かせません。豊かな資源・エネルギーに恵まれた中南米の重要性は高まりつつあります。資源の少ないわが国にとっても、資源の中長期的な安定供給の確保は大変重要な課題です。1960年代から70年代にかけて、我が国はブラジルで、製鉄、パルプ、アルミ、農業開発など資源開発型の国家プロジェクトへ大型投資を行い、数多くの日本企業が進出し、ブラジルの経済発展に貢献しました。
昨日、私はブラジル政府手配の航空機に乗り、サンパウロ州プラドポリス市の上空から広大な農園を拝見しました。改めてブラジルの発展ぶり、その大きな可能性を強く印象づけられたところです。ブラジルには無限の食糧資源、エネルギー資源が存在することを大いに実感しました。日本は、過去5年間でも、中南米の資源開発に関連し、国際協力銀行を通じて、ブラジルのカンポス沖油田開発など、総額約58億ドル規模の資金協力を行っており、こうした協力を引き続き積極的に行っていく考えです。
今日、南米及び中米の双方で、南米インフラ統合計画やプエブラ・パナマ・プランなど、中南米地域統合を見据えたイニシアティブが推進されていることに注目しています。中南米は峻険な山岳や緑深い密林により広大な土地が画されています。地域レベルでのインフラ整備によって中南米が北に南に、東に西に結びつけられれば、地域統合の推進、更には地域全体の発展が一層加速されることでしょう。我が国は、インフラ整備は経済社会開発の重要な基礎条件であるとの認識の下、中南米諸国に対し、同分野に約46億ドルの協力を実施中です。サンパウロ州においても、昨日、私は空港から市内に向かう途中でチエテ川流域環境改善事業を視察しました。洪水対策の効果が現れてきており、大変喜ばしく感じます。
日本・中南米関係における「協力」の第二の柱は、国際社会の諸課題への取組です。日本と中南米は、国際社会の平和と安定を維持するために、協力することができます。国家間紛争のみならず、イラクの復興、テロ対策、大量破壊兵器等の軍縮・不拡散、平和構築、HIV/AIDSといった様々な挑戦に効果的に対処するためには、「国連離れ」ではなく、国連強化が必要です。中でも、21世紀の課題に国連の下での集団行動が一層の実効性・信頼性を有するよう、常任・非常任議席双方を拡大する形で安保理改革を行っていくことは国際社会全体の課題です。
日本と中南米は、国際社会の繁栄の実現に向け、共に協力することができます。私達は、多角的自由貿易体制を維持・強化することに共通の利益を見いだしています。世界経済の発展と開発途上国の開発のためには、現在進められているドーハ開発アジェンダ交渉を成功に導かなければなりません。共通の目標に向け、共に手を携えていきたいと思います。
国際社会の繁栄を持続可能なものとするためには、経済発展と環境を両立させなければなりません。私は、Reduce(廃棄物の発生抑制)、Reuse(再使用)、Recycle(再生利用)の3Rを通じ、地球規模での循環型社会を構築したいと考えます。また、地球温暖化は一刻の猶予も許されない喫緊かつ重要な問題です。本年12月にはブエノスアイレスにおいて気候変動枠組条約第10回締約国会議(COP10)が開催されるなど、中南米のリーダーシップを高く評価します。より良い地球を次世代に残すため、京都議定書の早期発効に向け、共に協力していきたいと考えます。
<−交流−>
日本と中南米の関係強化に向けた第二の指針は「交流」です。日本と中南米は、これまで培った友好を基礎に、より深い相互理解とより強固な信頼を築くべきです。そのためには、両者を隔てる距離と情報の壁を乗り越えなければなりません。
既に、様々なところで壁は取り払われようとしています。ジーコ監督率いるサッカー日本代表チームはジーコ・ジャパンと呼ばれ、日本全体から期待されています。日本のプロのサッカーチームで活躍してきた中南米出身のサッカー選手は50人以上にのぼり、これまでに多くの日本の若者がサッカーを学びに南米に渡りました。ボサノバ音楽やレゲエは幅広いファンを獲得し、私達を楽しませてくれています。
しかし、まだまだお互いを知り合う機会が必要です。何よりもまず、未来を担う若者達が、直接に、互いの歴史、文化、社会、価値観を尊重し、理解し、学びあう機会を作ることが重要です。我が国は、今後5年間に、留学生を含め中南米諸国から延べ約4千名の青年を招聘致します。太平洋を渡る若者たちが、二十年、三十年後の日本と中南米を築く姿が今から眼に浮かびます。
東アジアと中南米が、新たな関係を進めるための一つの重要な場として、東アジア・ラテンアメリカ協力フォーラムにおいて、日本は主導的役割を果たしていきます。将来の適当な時期に、同フォーラムの外相会合を日本で主催する考えです。
(結語)
日本は、アジアの中で最も長きに亘り、中南米との絆を築いてきた国です。これからも、最も信頼ある、重要なパートナーであり続けたいと強く願っています。
私は、この夏、アテネ・オリンピックで展開された多くの競技をテレビ観戦しました。中南米からの選手がサッカーやバレーボール、ヨットなどの競技で活躍する姿を拝見し、強い印象を受けました。特に、オリンピック最終日の男子マラソンにおけるヴァンデルレイ・デ・リマ選手の活躍は、世界中の人々に力強い感動を与えました。私は、テレビで日本選手を心から応援していましたが、デ・リマ選手の健闘を見て、日本選手に勝るとも劣らない拍手を送りました。不幸な出来事、妨害を物ともしない、彼のさわやかな笑顔を今でも幾度も思い出します。まさに、リマ選手は、様々な苦しみを乗り越え栄光の架橋へ進むと共に、人々の心を結ぶ架橋となりました。
皆様、日本とブラジル、中南米の間にも、太平洋をまたぐ大きな「友好の架橋」をかけようではありませんか。既に、私達の間には、100年以上に亘り先人達が築いてきた友好の礎があります。
ブラジルの高名な社会学者、ジルベルト・フレイレは、「ブラジルは近代文明の将来の指導者と見なされるであろう」と述べました。新世紀、揺るぎない「友好の架橋」をかけるにあたり、ブラジルには、この言葉通りの重要な役割を期待しております。
終わりに、アルキミン・サンパウロ州知事をはじめ、皆様の暖かい歓迎に心から感謝しまして、私のスピーチを終えたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。