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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] インドネシアにおける安倍総理大臣政策スピーチ「日本とASEAN‐思いやり、分かち合う未来を共に」

[場所] インドネシア
[年月日] 2007年8月20日
[出典] 外務省
[備考] 
[全文]

ヒダヤット国民評議会議長、

アリフィン・シレガールICWA会長、

アリ・アラタス元外相、

ご列席の皆様、

 本日ここに栄誉ある場をいただき、日本国総理大臣として所感を申し述べることができますのは、私にとってこの上ない喜びであります。皆様を通じて、インドネシア2億3000万の国民お一人びとりにまで、さらにはASEAN各国、各界各層の、なるべく多くの方々に届くことを願いつつ、日本とASEANの未来について、思うところを述べてみたいと思っております。

 私が日本国民に代わってまず申し上げたく思いますのは、心からなる祝福の言葉であります。皆様がたを一つの核とするASEANは、つい先日、晴れて設立40周年を迎えられました。私はしばし皆様と共に来し方を振り返り、40年の達成を確かめたいと存じます。そして皆様がつくる祝福の輪に、私と日本国民をぜひ加えていただきたいと、そう強く思いながら、本日この会場に足を踏み入れました。

 私は、アジアの歴史が雄渾なる筆致によってその一章を成功裡に閉じ、新しい章の扉が開かれようとするその瞬間に居合わせ、皆様に直接語りかける機会に恵まれました。私はこの幸運に、感謝したいと思います。そして日本国民になり代わり、ある一つの決意を申し述べるつもりでおります。それはまた、皆様に対する熱い期待の表明ともなることでしょう。

 いまその決意と期待を申し上げますならば、これまでの40年一貫してそうでありましたように、これから先の40年、いやそれ以上、日本はASEANの諸国、諸国民と、すべからく「ケア・アンド・シェア」の精神で共に歩んで参りたい。‐‐これが、決意であります。

 またこの先アジアと世界が直面するであろう挑戦に対し、インドネシア、そしてASEANの皆様には、ぜひともわれわれ日本人と一緒に立ち向かっていただきたい。‐‐これは、期待であります。

 Bhinneka Tunggal Ika(ビネカ・トゥンガル・イカ)、「多様性の中の統一」という、インドネシアの崇高なる国是は、建国の当初において、あたかも空高くに望み見るものであったことでしょう。その頃インドネシアにおいて一体どれだけの人が、この言葉がやがて真の命と実質を勝ち取り、貴国6万3000の村々に行き渡るとご想像になったことでしょうか。

 図らずも今からちょうど50年前の1957年11月、私の祖父に当たる時の日本国総理大臣・岸信介は当地ジャカルタを訪れ、両国関係を今日にまで至らしめる最初の礎を定めました。私は、いま同じ場所に立ち、往時を偲ぼうとしております。そしてインドネシアは当時、統一国家をつくろうとして、なお産みの苦しみの中にあったのを知るのであります。

 また私は、インドネシアの人々が守り育ててきたGotong Royong(ゴトン・ロヨン)の伝統について、日本の地域社会が長く残してきた相互扶助の習慣と良く似ていることに興味を覚えます。日本はインドネシアと同様、地震や台風、自然災害の多い国です。なにか災厄が見舞った時、日本人は決まって「困った時は相身互い」と言い合い、手を差し伸べ合って乗り越えました。

 私はインドネシアにこれに似通った生活慣習があり、ゴトン・ロヨンと言うのだと知って、はたと思い当たるところがありました。インドネシアが国造りの苦労に耐え、見事に「多様性の中の統一」を達成することができたのは、互いにケアをし、シェアをしようとするゴトン・ロヨンの豊かな土壌、精神的風土があったからに違いあるまいと、このように想像をしたのであります。

 思いますにこれは、インドネシア一国に限らず、ASEAN全体についても当てはまるとは言えないでしょうか。

 なぜならASEANこそは、多様性の中に統一を得ようとし、三歩進んで二歩下がる試練の時期を時には経ながらも、40年孜々として歩みを止めず、今日あるを迎えた偉大な達成にほかならないからです。

 私はその背後に、ASEANの人々の柔和な笑顔を見ます。争いあうことの無意味を悟り、40年平和を保ってきた、心の穏やかさを見ます。どこかにインドネシアの人々が言うゴトン・ロヨンの精神に通じるものがあったからこそ、ASEANは今日、ASEANなりの「多様性の中の統一」を我が物とするに至ったのではないか‐‐、そのように考えたいと思うのです。

 その結果、あたかも欧州における統合のプロセスが徐々に「ヨーロッパ人」という一つの集合アイデンティティを彫り出したのと同様に、ASEAN40年の歩みは、ナショナルな境界を超えた、「アジア人」という集合的な自画像を次第に充実させ、今や世界に認めさせたと言ってよい。私はそう信じて疑いません。

 ここで言うアジア人とは、ASEANの持つ長所を性格として分かちもつ人々のことであります。すなわち互いの差、宗教や文化の違いに対して寛容である。争いを避け、根気よく時間を費やしてでも、共生と調和を図る。外部世界に広々と開かれ、足りないところがあれば互いに補い合おうとする。したがって常に笑みを絶やさず、未来に希望を見失わない。そういう人々のことであろうと思うのです。

 私はアジアとアジア人にこのようなポートレイト(横顔)を与えたことこそは、ASEANの真に驚嘆に値する達成であろうと信じます。歴史を数世紀分さかのぼって見てみますと、これが人類史にどれほど画期的であるか、もはや多言を要しないであろうと思います。そして申すまでもなく、「多様性の中の統一」を国是に掲げ、長い道のりを歩んで今日に至った皆様方の国インドネシアは、この人類史に刻まれる偉業において、常にパイオニアの地位を引き受けて来られたのであります。

 このように、しばらく皆様とともにASEANの来し方を振り返ってみますと、次に申しますいくつかの事の重みが、より一層響いて参るように思えます。

 それは第一に、例えばインドネシアが2004年、その先5年間を見通して打ち立てた国家の達成目標、ミッションステートメントであります。2009年までに目掛ける国家の最重点課題として、「安全で平和な」インドネシアをつくるのだとした後、ミッションステートメントは次に、「公正で民主的な」インドネシアにしなければならないと明言しています。

 スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領閣下が先頃独立記念日に当たって発表されたステートメントにおいても、大統領は再び公正で民主的な社会の実現に向けた決意を語っておられます。長い歴史をもつインドネシアのように大きな国が初めて国民の直接選挙によって選んだ大統領が、このように国民に向かって自らを叱咤するごとく、倦まずに決意を語り続けられるとき、そこには万人を打たずにおかない何ものかがあります。

 しかし第二に、このことは、インドネシア一国に限って起きている動きではないのだと理解しています。

 ASEAN憲章の起草を続けてきた賢人会議の議論においてはもとより、各国指導者が述べる言葉の端々にも、この頃では「民主的諸価値の強化」、「グッド・ガバナンスの保証」、「法の支配の維持」、さらには「人権の尊重」といった、基本的価値に対する真摯な取り組みを語る部分が出て参ります。

 親愛なるインドネシアの皆様‐‐、私達日本国民が、このようなASEANの動きにどれほど深く喜び、かつ励まされているか、言葉ではなかなか伝えきれないくらいです。

 日本とASEANは、海の交易ネットワークによって遠い昔から深く結ばれてきました。近年では製造業における目を見張るような細かく、かつ重層的な分業活動が、日本経済とASEANを一体的な、一つの工場にした感さえあります。また地理的条件から、日本は南半球や南アジア地域の友邦諸国へ行く際に、さらには石油やガスを持ってくるために、未来永劫必ずASEANを経由しなければならないことも、言うを俟ちません。

 だからこそ、私はASEANが長い助走期間を経て、今日「ASEAN憲章」という確かな土台に基づく強い共同体をつくろうとするまでに至ったこと、しかも日本国民が大切に思う基本的価値を旗印として掲げつつ、One ASEANとして新しい門出を遂げようとしていることに、静かな興奮を覚えるのです。

 ASEANと日本は、ケア・アンド・シェアの関係を守り、育てていきたいと申し上げました。ASEANは向こう10年間、本格的な脱皮を遂げようとしています。2015年までに共同体をつくろうとしていますし、東アジア・サミットを始め、重なり合って広がる地域協力の枠組みのいずれでも、ASEANにはドライバーズ・シートに座り続け、東アジア協力の「ハブ」、推進力になってもらわなくてはなりません。ASEANの発展は、ですからそのまま、アジアの利益、日本の利益です。そのためなら日本は、今後とも助力を惜しみません。この場をお借りし、皆様にそう申し上げておきたいと思います。

 そのような節目にあって、とりわけASEAN憲章をつくる議論の中で、皆様方自身、盛んな自問自答をなさっておいでです。ASEANとはいかなるものであるべきか。今までに比べ、これからは何をしなければならないか。‐‐向こう40年を見通し、新たな土台づくりに乗り出されたのだとお見受けします。

 皆様がいま大いに気にかけておられるのが、いわゆる発展・開発における格差であると承知しています。ASEANには国によって、社会経済の発展度合いに元々開きがありました。その後加盟国が10カ国に増え、国と国との間にある格差は、まだ十分には埋まっておりません。

 皆様がASEANをOne ASEANでなければならない、すなわち均整の取れた一体的存在でなくてはならないとお考えになり、互いの差を埋めるよう協力し合っていこうとなさっていることに、私は真摯な認識を見、強い感動を覚えます。

 皆様の問題意識を共にする者として、私と日本国民は、あたうる限りの努力を一緒にさせていただきたい、そう念じてやみません。

 では私の政府は今、具体的に何をしようとしているのか。この点では、三つのことを申し上げます。初めにEPA、それからメコン地域への重点施策、最後に全体の基礎となる、平和構築のお手伝いです。その順番で、お話しさせてください。

 第一に、経済連携協定、EPAのネットワークを活用し、皆様方ASEAN諸国との間に、これまでよりもっと深く、かつ幅広い経済関係をつくろうとしています。

 今すでに、貿易、投資の網の目によって、日本はASEAN各国と強く結びついています。ここにEPAという法律的にしっかりした土台が据わりますと、上に乗る経済関係がそれだけ安定します。国と国とが、自分たちの後続世代まで視野に入れ、未来に向かって約束を交わしあうのがEPAですから、商売をする人たちにとっては何より大切な、将来の「予見可能性」というものが高まります。

 それから日本が皆様との間で進めているEPAは、FTAと似て非なるものです。FTAは、言わば垣根越しのお付き合いであります。互いを隔てる垣根を、どれだけ低くしあうかを決める約束です。それに比べてASEAN諸国とのEPAは、もっと深いお付き合いができるようにするもので、いろんな制度の擦り合わせを図ったり、日本からは技術やノウハウが伝わるようにします。

 まさしく互いにケアし、シェアする関係が、EPAならもっとできるようになると、私はそう考えています。人と人の交流を促し、ヒューマンキャピタルを豊かにしていく枠組みも、EPAには盛り込まれています。私はそのようなEPAが、ASEAN経済を一段と高めていくだろうと思います。また日本も、大いに裨益するに違いないと思っています。

 本日私は、皆様のご支持によって、ユドヨノ大統領との間に「日本・インドネシア経済連携協定(JIEPA)」の署名をすることができました。どうかこれを、皆様にも祝福いただきたいと存じます。

 これで我が国は、ASEANの6カ国とEPAを締結したか、または署名したことになりました。ASEAN全体との間で包括的なEPAを結ぶことも、いよいよ現実味を増してきています。

 第二に、メコン流域各国、具体的には、カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナムについてです。皆様がデベロップメント・ギャップスを気にかけられる際、これら諸国が念頭にあるように、日本にとってもメコン流域各国の支援は近年ますます大切な課題になっています。

 まずはこれらの国々と機会をとらえてなるべく頻繁にハイレベルの相談を重ね、希望や悩みを聞くことにしています。これらの国は、皆様にもよくお分かりでしょう。一度にいろいろなことをしなくてはならず、それだけに、到底一人ではできないという時期を今まさに通過中です。橋を架けている暇には、緊急食糧援助が必要で、未来の礎石となる青少年の教育も一瞬とて疎かにできず、というのが、これらの国に少なからず見出せる状況です。

 私は、我が国政府がご提供できる経済協力が、このような状態にある国々にとっていくらかは役に立つことを知っているつもりです。今後とも、日本政府はメコン流域諸国の安定的な成長のため、助力を惜しまないと申し上げます。

 カンボジアやベトナムでは、市場経済が根づくのに必要な法制度を整備し、法の支配を促していくためにも、日本はお手伝いをさせていただいて参りました。まだ若い女性の法律家が、日本から出かけていき、頑張ってくれている光景もあります。このような協力が、One Caring and Sharing ASEANの実現に、必ずや貢献できるものであることを私は信じて疑いません。これは私どもなりの、ゴトン・ロヨン精神に基づく協力なのであると、そうご理解いただけますと嬉しく思います。

 三つ目として申し上げたいのは、平和を築いて、定着させていくことの大切さについてです。言うまでもなく、平和のないところ、経済の発展はありませんから、強いASEAN、安定したASEANにとって、大本の土台になるのが平和の構築でしょう。

 戦い合う人々が銃を置いたその瞬間に、長く続くもう一つの戦いが始まります。選挙を実施し、民意を政治が反映する仕組みをどうやったらつくれるか。地方自治制度や徴税システムは、どうすれば組み立てることができるのか。その間にも、激しく戦い合った人たちの憎しみを解き、和解へと導いていかなくてはなりません。

 我が国は、カンボジアの平和構築プロセスに長く関わる中で、このことの大切さ、難しさを深く学びました。ですからいまインドネシア政府がアチェで、またフィリピン政府がミンダナオで続けている平和構築の営みがどれほど重要か、よく承知しています。東ティモールで、国民自身の続けている努力もわれわれ皆の支援に値するものだと思っています。日本政府はこれらの努力に対し、支援を惜しむものではありません。

 それに、嬉しい発見として、平和構築と国づくりにお手伝いをした人たちは、皆たくましく、人間として鍛えられることも私は見てきています。

 そこで日本ではこのたび、平和構築の専門家を養成する小さなスクールをつくることにしました。「寺子屋」と私たちの呼ぶこの学校には、ASEANの若者にも来ていただくつもりです。ASEANには、PKOについて豊富な経験を積んだ国もありますから、お互いに対話を重ね、情報を共有し、専門家同士の交流を深めることで、PKOや平和構築に関する協力を皆様と進めて参りたい、そう申し上げようと思います。

 ところで皆様、本年私は、"Cool Earth 50"という名で、新たな地球環境防衛策を世界へ向けて提案しました。「50」という数字に、2つの意味を託しています。いまのレベルから、温室効果ガスの排出量を、「50」%減らすことにしよう、それを、20「50」年までに、達成しよう、ということであります。

 この枠組みは、温室効果ガス排出量の多い国「すべて」に入ってもらうことのできるものとなって、初めて効果をもちます。私は自分の提案を、そのような意味で効果的なものとしたいと考え、ここに皆様に、参加を強く呼びかけたいと思うものです。

 しかし一方で私は、発展途上にある国々の立場や事情を十分に踏まえなければ、決して事はうまく運ばないことを知っております。ですから私の提案は、各国の事情に配慮した柔軟で、多様な枠組みをつくろうとするものです。幸い、技術の進歩には目覚しいものがあります。これを味方につけることで、環境を守ること、経済を伸ばすことは、決して二律背反になりません。両立させられるはずであります。

 ぜひASEANの皆様も、私達日本国民と一緒になって、2050年までに地球温暖化を止める計画の力強い一翼を担っていただきたい。そのように、期待を申し述べさせていただきます。

 私の見るところ、皆様方と深く、豊かに結ばれることを抜きにして、私自身の国、日本の将来図を描くことはかないません。日本はいま、人口自体が縮小傾向に入る難関にさしかかっています。この先、経済的に豊かで、社会的に安定し、民主主義においていささかも揺らぐところなく、かつ若い諸君が将来に希望を持てる国を、アジアと世界の平和を守る中でどうつくっていくべきか。私が考えるべきは、実にその一点にあります。

 暫定的ながら、私は二つのキーになる言葉をもって、筋道を示すことにいたしました。すなわち、オープンネスと、イノベーションであります。国家と社会、経済と市場をオープンにし、外部世界の活力を、自らのものとして取り込むことのできる国でなければならないと、私はそう考えます。また、投入労働量一単位当たりの生産性を上げることが急務ですから、新しい技術、新しい経営手法、新しいアイデアに、常に貪欲でなければなりません。

 日本においてこれらの実現を図るうえでも、皆様方の活力、元気というものを、ぜひいただかなくてはならないのであります。したがって私の青写真は、ASEANを始めとするアジア諸国と日本との接点を、全面的に広く、太くしていくこと抜きに、完結しようのないものです。ここに、アジアから日本へつながるヒト、モノ、カネ、知恵の「ゲートウェイ」を広くしようとする、私のもう一つの政策が出て参ります。

 以上、本日は貴重な機会に浴し、私のASEAN認識をまず申し上げました。それから、皆様が気にかけておられる格差解消策について、日本の立場からできることは何か、三つ申し上げました。あわせてこれは全地球的課題といえる、環境問題への取り組みを、皆様に呼びかけさせていただきました。

 以上を通じて、皆様にたった一つ、これだけはぜひご記憶いただきたいことがあるとするならば、それはいまや日本とASEANに、名実とも相互補完的な関係が成立するに至っているという、その一点にほかなりません。

 日本は昔も今も、皆様を必要としています。例えば貴国インドネシアには、資源の安定供給でひとかたならぬお世話になり、また今後ともなることでありましょう。日本国民を代表する者として、お礼の言葉を述べるのを忘れないようにしたいと思っております。

 しかし、ふりかかる問題の多くに国境の制約がなくなった今、私達、日本とASEANが、互いを必要とするその度合いたるや、はるかに深く、重なり合うものとなったとは言えませんでしょうか。

 互いの経済が互いを必要とする関係から、きょう、あす、あさって、私達を見舞う問題を一緒に解くためにこそ、互いを必要とする‐‐そういういわば「問題を共有し、解決を共に模索する」関係を結ぶ段階へと、実は私達は、既に突入していたのであります。

 私は、そのことを皆様と確かめ合うために、ここを訪れたのだという気がしております。改めて、私には心の底から自然に出て参る言葉を繰り返し、締め括りとさせていただきたいと存じます。すなわちそれは、日本はASEANと‐‐、ダイナミックに伸び行くアジアの中心にあるASEANと、ケアし、シェアする関係を、つくって育て、大事に維持していきたいと、いうことであります。

ご清聴有難うございました。