[文書名] 安倍晋三日本国総理大臣基調講演
開催へ尽力された、秋元千明RUSIアジア本部所長ほか、RUSI関係者の皆様、笹川平和財団の皆様のご努力に、敬意を表します。
今回は、ヨーク公アンドルー王子をお迎えできました。日英関係発展にとって、ことのほか喜ばしく存じます。
今年はもうじき、第一海軍卿が、来日の運びと伺います。前後して、ロイヤル・ネイビーの新鋭艦デアリングも日本へ。もしも、わが海上自衛隊艦船との親善訓練が実現しますなら、それを、ヨーク公にご覧いただけないのは、まことに残念です。
例えば海自の、手旗の捌きです。発光、旗りゅうなど信号の動作ひとつとっても、海自の練度がいかばかりか、例えば、ご自身ネイバル・オフィサーであられるヨーク公には、お察しいただけるでしょう。
ところで日本は、近代ネイビーのイロハを全部英国に教わったのですから、海自の諸君もさぞや、晴れがましさを覚えるに違いありません。
(節目の年)
本年は、英国と日本が海を通じて初めて出会ってから、400年の節目に当たります。ジェームズ一世の命で、東インド会社の船が長崎へ来航し、引退していた徳川家康にプレゼント、二代将軍秀忠に、王の書簡とギフトが届けられたのが、1613年夏のことでした。家康はこの時、望遠鏡を貰ったようです。
いまから150年前には、私の郷里、長州山口から、22歳だった、後に初代首相となる伊藤博文、5歳年長の、伊藤内閣で初代外務大臣となる井上馨ら5人の若侍が、幕府の目を忍んで英国へ留学します。
ジャーディン・マゼソン商会が、便宜をはかったようです。5人は後に長州五傑と呼ばれ、明治近代化に偉大な役割を果たしました。
忘れてならないのは、来年ちょうどその勃発から100周年を迎える「グレート・ウォー」において、日本海軍将兵は並外れた操艦技術を発揮、英国船護衛に成果をあげ、「地中海の守護神」と呼ばれた事実です。
このとき犠牲となった日本海軍戦没者の御霊を祭る慰霊碑は、いまもマルタの、英軍墓地の一角にたたずんで、訪れる人を待っています。
爾来、幾星霜、日本と英国は、その間に挿入された苦い思い出、苦しい記憶を時と共に超克、昇華して、本来の関係へ立ち返りました。
(ア・プリオリのパートナーシップ)
日英の、本来の関係とは、なんでしょうか。
それは、海の安全を一緒に守る関係です。100年後のいま、ところはソマリア沖、あるいはアデン湾に移りましたが、英国と日本は、力を合わせて航海の安全を守る仲間に戻りました。
私は、日英関係を、本来の、おのずから結ばれているという意味で、「ア・プリオリの」パートナーシップだと、呼んでいいだろうと思います。
両国とも、海がもたらす恵みとともに生きています。通商を、命綱としています。
シーマンシップを重んじる点にかけて、自他ともに誇るところがあるのも、海の平安が、国益に直結しているからです。
ところで海の平安とは、誰かが、責任感をもって守らなくてはならないものです。ルールには、これをエンフォースする人間の集団が要る。なければ海は、海賊が跳梁跋扈した往時に逆戻りしかねません。
ロイヤル・ネイビーがそれを一身に担っていたころ、我が国は、英国との同盟を結びました。戦後は米国が、世界の海、そのすべての波を、統べる立場を担いました。我が国は、英国とともに、その米国と強固な同盟を約して今日に至ります。
海のルール、すなわち海洋法は、国連海洋法条約の形で具体化し、今日その規範性を確立しました。いまや、国際法の重要な一部。すべての国家の振る舞いを、ほぼ有効に、規定するに至っています。
海洋法の解釈や運用、その進化・発展のなかで、英国と日本は、常に知見を交換し合い、高め合う関係にあるのも周知のとおりです。
それができるのは、英国と日本が、航海の自由、公共の利益といった、海洋法のファンダメンタルズを長年にわたり、心の底から共有し、揺らぐところがないからではないでしょうか。
ならばこそ、新たにひらかれようとしている北極海航路においても、日英のパートナーシップに期待されるところ、大なるものがあると言わねばなりません。
加えて私たちには、そのあらゆる違いにもかかわらず、ひきあわずにはおかない何かがあります。
ともに君主をいただき、そのご一家におのずからなる崇敬の念を抱いています。ヨーク公のご訪問を、慶賀するゆえんです。
伝統と革新、どちらを取るかと問われたら、「佳き伝統を守るためにこそ、革新が必要だ」と、英国の賢者は言うでしょう。私達日本人も、近代化の始まり以来、常にこれを、自分に言い聞かせてきたように思います。
実に、日英は、「ア・プリオリの」パートナーなのです。
(なんのためのパートナーか)
パートナーとは、なんのためか。次にはそこが問われます。
答えは、お互いの振る舞いにおいて、すでに雄弁だというのが私の考えです。
英国は、厳しい財政下、それでもロイヤル・ネイビーの近代化、能力向上に励んでおられます。
インド洋から、太平洋にかけての一円は、英国の盟邦国が散在する一帯ですが、この地域で果たすべき役割とは何か、再び考えておいでです。
他方、我が国は、マラッカ海峡からインド洋、中東地域にかけて、航海の自由を守り、その安全を守る努力を、相当期間続けて参りました。そのうえで、さらに何ができるか、英国と同様に、真摯に考えているところです。
東と西は、こうして再び海で出会い、海洋秩序の保全というミッションの共通性によって、結ばれました。そこに、おのずと答はあるというのが私の考えです。
(歴史の画期と日本の課題)
そんな両国は、安保の協力関係で、大きな前進を遂げつつあります。
折も折、ヨーク公がおいでになった。第一海軍卿も来日される。本シンポジウムの副題であります「21世紀の新たな関係に向けて」、本年は後代、歴史家によって、画期をなす年だったと評価されるかもしれません。
装備品の共同開発は、我が国の場合、年来、米国とだけ実施してきたものです。このほど、初めて、英国ともできるようにしました。キャメロン首相と私の間で、合意に至るべく、仕上げを急ぎました。
ソマリア沖・アデン湾では、この12月以降、我が自衛隊は第151連合任務部隊(CTF151)に参加し、「ゾーンディフェンス」による海賊対処行動を実施する予定です。英海軍との連携は、これまで以上に充実するでしょう。
私ども日本の側では、私が再び政権に就いてこの方、海がつなぐ国々との間、あるいは、宇宙、サイバースペースを大切に思う国々との間で、安全保障のスカイスケープ、シースケープ、ならびにランドスケープを、広く、互いに共有するよう努めてきました。
もちろん米国は、常に変わらず、第一の協力相手です。英国にとっても、そうに違いありません。そのうえで、申し上げようとしているのは、英国と、知見を交換し合い、経験を分かち合って、世界の平和、安定に責任を分有する仲間として、ともに歩んでいきたいという、私どもの意欲です。
いまや、人類にとっての公共空間がすべてボーダーレスになり、そこにある一切合財が、ネットワークによって結ばれるとき、法の支配を重んじる、価値観をともにする国々は、ますます力を合わせ、叡智を分かち合わなくてはなりません。
そんなとき、私は、私の愛する祖国に、進んで、世界の平和と、安定に奉仕する、ネットの貢献者であり続けてほしい。日本は世界の平和と安定を支える鎖の弱い環であってはならないと思います。
長らく自由で平和な国際環境、穏やかな海洋秩序から裨益してきた一大通商国家なのですから、日本には、果たすべき相応の責任があります。
そんなつもりで、私は先週、国連総会などニューヨークにおける一連の機会をとらえ、新しい日本の自画像を打ち出すことにしました。「積極的平和主義」という、これからの日本を代表し、導いて行くひとつの旗印です。
いま私の政権では、国家安全保障会議の設置、国家安全保障戦略の策定、集団的自衛権や、集団安全保障措置と憲法との関係など、「積極的平和主義」の旗を掲げるにふさわしい基礎的枠組を、いかにすれば充実できるか、衆知をあつめて検討しているところです。
どうしていま、こんな検討が必要なのか、先週私はニューヨークで、具体例を挙げて説明しています。お手元に、その際の講演原稿をお配りしました。どうぞご参照ください。
核戦略の基礎理論から、いまや金融界では不可欠の「モンテカルロ分析」の手法まで、「考えられないことを考える」天才だった、ハーマン・カーンの名を冠した賞をいただいた時の公演です。
(一本の道を行くとき、英国に出会う)
この道のほかに、行く道なし。それをマーガレット・サッチャーは、TINAの頭文字で言い表しました。私の、よく引く言い回しです。
まずは経済を強くする。それなしには何事も始まりません。そのため女性の力、「ウィメノミクス」が必要不可欠だと、再三言っております。
経済を強くするのは、後の世代に、安心で、安全な日本を残すためであるのはもちろんのこと、世界に対し、「積極的平和主義」の旗にふさわしい、務めを果たせる国であろうとするからです。
TINAとは、このように、国内経済の建て直しから、外交、安全保障分野で責任ある貢献をしていく課題であります。すべてに通ずる一筋の道です。
その一本の道を行くとき、日本は英国と、いくつもの場面で出会い、力を合わせ、知恵を持ち寄ることになる。それは、必然的に、そうなります。なぜなら日英は、「ア・プリオリの」パートナーだからです。
ご清聴、ありがとうございました。