データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] シティ主催歓迎晩餐会 安倍内閣総理大臣スピーチ

[場所] 
[年月日] 2014年5月1日
[出典] 首相官邸
[備考] 
[全文]

皆さんこんばんは。安倍晋三でございます。

今日は素晴らしいメンバーの皆さんと、美味しいディナーを堪能させていただきました。

しかし、私はこのスピーチがあるために、お酒の誘惑に打ち勝たなければなりませんでした。もっとも、私の妻が私の代わりに飲んでおりました。

先ほど紹介されましたとおり、私は午年生まれであります。素晴らしいプレゼントをいただきました。政治家で午年生まれは、小泉総理大臣と中曽根総理大臣でありまして、2人の特長は何かと言えば、総理大臣を長く務めたということになります。私は午年でありますが、私の妻は寅年でありまして、常に私は妻に従うことにしております。

 さて、本日はUCLのキャンパスを訪れ、一隅に建つ碑の前で、しばし佇む時間をもちました。「長州ファイブ」と後に呼ばれることになる、若い5人のサムライたちを偲んで立てられた記念碑です。

「長州」とは、現在の山口県、私の故郷です。今からちょうど150年前、5人の若者は国外渡航を御法度とする掟をあえて犯し、知識に対する渇望に導かれるままここロンドンを訪れて、UCLに学びました。

時の潮流は、日本に来る外国勢力を、ともかく排斥せよとの一辺倒です。そんな時代の正統にも、抗う勇気を備えていたのが長州ファイブでした。

国を強くするなら、むしろ世界に対して開くべきだと信じた、慧眼の持ち主だったと言えます。

彼らは祖国に、多くを持ち帰りました。やがて5人は、初代の総理大臣・伊藤博文を始め、近代の礎を築く父祖となります。

守るべき伝統と、追い求めるべき革新のはざまで恐らくは悩みながら、列強ひしめく荒海へ、日本を船出させました。その、先頭に立った人たちでした。

彼らの大きな夢の力が、日本を変えたのです。

 いま、私たちには、新たな夢があります。2020年、東京オリンピック、パラリンピックを成功させるという夢です。

東京にとって、2020年とは、ただ単に大きなイベントを開く年ではありません。皆さん方にとってもそうだったでしょうが、目標の年に向かって、経済や、社会の難しい課題になんとか取り組み、どう解決を図ったか、その努力の道筋を、世界の人たちに見てもらう節目でもある。そう、思います。

私たちの経済政策は、そのためにも成功させなければなりません。ますます強く、そう思えるようになりました。

いま「3本の矢」の政策によってデフレから脱却しようとしている私たちは、オリンポスの女神からもらった福音をテコとして、難しいチャレンジに、立ち向かっていこう。2020年まで、多くの目標を達成しようと、前向きに、考え始めました。

この1年、日本に行っていないという皆様には、お越しになることをお勧めします。わずかな1年で、私たちがいかに変わったか、日本が、どう変わり始めているか、ご自身の目で確かめてほしいと思います。

今宵は私と一緒に、三重、広島両県の知事、神戸、福岡という大都市の市長が参加しています。いずれも、魅力あふれる街、地域、皆さんにとって有望な投資先です。

日本の変化が確かに本物だと思われたなら、これらの街にビジネス・チャンスがあると思われたなら、日本への投資を、どうかお忘れなくと申し上げます。

 先進産業国にして、成熟した民主主義国には、どこにも似た課題があります。労働生産性を上げることは、容易なわざではありません。社会福祉政策の改革は、その合意に、膨大な政治的コストがかかります。

しかしまたしても、150年前の若者が、身をもって教えた遺訓を思います。強くなろうとするなら、自らを、開かなければならないという訓えです。

私たちがいま、日本に投資と人材を呼び込み、男女の垣根を取り払い、社会の多様性をできるだけ寿ぐことに専一しているゆえんは、そこにあります。

守りたい伝統や、国柄が、私にはあります。

夕陽を水面にたたえ、黄金色に染まった棚田の美しさ。災害や、危機に臨んでこそ発揮される、日本の人々が持つ、助け合いの心。

しかし、競争から身を遠ざけ、心に高い堤を巡らせば、日本のこうした、いわゆる醇風美俗が守れるわけではありません。

むしろ競争に身をさらし、寒風に打ち勝っていく粘り腰を鍛えることこそが、大切でしょう。それこそが、日本を、長い尺度で成長軌道へ乗せ直すため、不可欠なのだと思います。

よい例が、皆さん方の国ではありませんか。

皆さん方は、はるか昔から、資本と、物と、ヒトを、効率本位、能力本位でどしどし外国から取り入れ、いつも新しいもの、もっと新しいものを、取り込もうとしてきた、それによって、地位と、経済力を、保ってきた国だと、私には思えます。

シティからは、帽子とステッキ、オールド・スクール・タイが、すっかり見えなくなりました。いまだに郷愁を誘うマーチャント・バンクやブローカーの名前も、もう聞くことはありません。

 オープンにすることで、強くなる。

それが、英国の教える世界史的教訓だとすら言っていいのだとすると、日本はいま、まさしくそのルールブックに基づいた政策を進めています。

去る4月7日には、トニー・アボット・オーストラリア首相と私との間で、日豪EPAの大筋合意を成し遂げました。困難だと言われ続けて、7年経っていたものです。

TPPについては、先般オバマ大統領と、日本と米国が力を合わせ、交渉参加12か国全体の妥結に向け、交渉を急がせようと約束し合いました。大きな前進だったと思います。

次は、日・EUのEPAです。何としても実現させよう私は、そう決意しています。

TPP、そして日・EUのEPA。その先には、包括的で、オープンで、透明なルールに貫かれた、世界中を裨益させる自由貿易の枠組が生まれます。自由と、民主主義、法の支配と、ルールの遵守を旨とする国々の連携によって、初めて生まれる枠組です。

日EU・EPA交渉を、来年中に妥結させるという目標を、ともに掲げようではありませんか。

 日本は、いま、自らを変える力を取り戻しました。

大手金融機関、野村信託銀行に、女性の社長が生まれました。みずほフィナンシャル・グループの取締役会議長は、女性になる予定です。

アリアナ・ハフィントンさんから聞いた言葉を、思い出します。「リーマン・ブラザーズがもしリーマン・ブラザーズ・アンド・シスターズだったなら、今でも隆々としていただろう」という話です。

昨年、ここ、ギルド・ホールで、私は経済再生にかけた決意を述べました。

「TINA」と、故サッチャー首相の言葉を使って、この道以外ないのだと言いました。規制や慣習を破るため、自らドリルの刃になると言いました。

1年経って、自分の言葉に恥じることなく再訪できたことを、嬉しく思います。アベノミクスは、前進中だからです。

アイデア段階だった国家戦略特区は、実施に段階を移しました。

60年続いた電力の地域独占は、ちょうど五輪が東京へ来るまでに、すっかり打ち破られます。

医療制度の改革には、もう着手しました。

労働の制度は、新しい時代の、新しい働き方に合わせ、見直しを進めます。

日本を、能力にあふれる外国人が、もっと活躍しやすい場所にします。

法人税の改革を、一層進めます。

コーポレート・ガバナンスの仕組みも、大きく変わりました。

それから、世界最大の年金基金、7300億ポンドを超える 運用資産を持つGPIFについては、1月、ダボスでお話ししたように、フォワード・ルッキングな改革を進めています。

その一環として、ファンドマネジメントのストラテジーを決める委員会のメンバーが、一新されました。

ドリルの刃は、最大速度で回転しています。

なにより私たちを勇気づけたのは、今年の春、久方ぶりに賃上げに踏み切る企業が増えたことでした。

雇用関係の統計は、すべて上向きです。有効求人倍率は、6年半ぶりの高水準。大学生の採用数を増やす企業が、次々現れています。

賃金と、雇用が目に見えて上向くことこそ、デフレーション克服に欠かせません。

もっと嬉しいのは、中小企業の景況感が、製造業では6年ぶり、非製造業では、実に22年ぶりの、プラスになりました。成長の実感が、徐々に浸透してきたということでした。

加えて、景気変動の専門家が言うのですが、コンドラチェフの超長期波動から、短期のキチン・サイクルまで、すべてのカーブは、いま揃って上向きである、と。その意味で、極めて珍しいのだそうです。

320億ポンド 規模を準備し、しかも前倒しで実施する追加景気浮揚策の効果もあり、消費税率の引き上げが、消費を冷え込ませる恐れは、もちろんまだ注意が必要ですが、心配したほどないのではないか。楽観論をとる人たちが増えています。

成長のあくなき追求と、財政健全化の同時達成。growthと、austerityは、アベノミクスにおいて、あれか、これか、ではありません。互いが、互いを補い合い、ポジティブなスパイラルをつくっていくことを、私たちは目指しています。

経済成長のためには、安定的で、安いエネルギー供給の実現が不可欠です。この観点から、私は、「責任あるエネルギー政策」を決定しました。

世界のどこにも劣らないレベルの厳しい安全基準を満たしたところから、目下ひとつとして動いていない原子力発電所を、ひとつ、ひとつ、慎重な手順を踏んで稼働させていくことにしました。

原子力における協力で、英国と日本は、長い関わり合いをもっています。原発事業会社、ホライズン・ニュークリア・パワー社は、ご承知のように、日立製作所の子会社です。

また、東芝は、本年1月、原発事業会社ニュージェン社の全株式の6割を取得することを発表しました。

フクシマの教訓を、英国と共有し、より優れた技術の開発に取り組めればよいと願っています。

 そろそろ二杯目のコーヒーが必要な頃合いでしょうか。ここからは、日本と英国の深い絆に話題を移します。まずは、企業活動の側面から見てみましょう。

英国のインターネット・トラフィックは、実にその70パーセントが、イースト・ロンドンのデータセンターを通過します。いま、皆様が見ておいでのタブレットに来た情報も、そこを通ったに違いありません。

ところでこのデータセンターを1990年以来運営し、皆様のインターネット活動の安全、安定を支えてきたのが、KDDI、日本の会社です。

今年のダヴォスで、デイビッド・キャメロン首相は、英国は「リショアリング」の国になるとおっしゃいました。一度はオフショアに出た産業を、再び呼び込む国にする、そういう意味でしょう。

それなら日本企業こそ、そのよい成功例です。日産サンダーランド工場が生産する自動車の台数は、イタリア全体でできるクルマの数を、もはや凌駕しました。ホンダとトヨタを合わせれば、英国が年間に生産する自動車約151万台のうち、半分以上を日系企業がこしらえています。

インターシティの電車をつくるため、工場建設に踏み切った日立の例もあります。

その日立がつくるジャベリンに乗って、明日、私はオリンピック・パークを訪ねます。かつて英国の鉄道技術に深く学んで日本にそれを持ち帰り、近代日本鉄道の父と呼ばれた長州ファイブのひとり井上勝は、さぞかし泉下で、うたた感慨無量でしょう。

英国にオンショアした日本企業の活発な活動は、これまで英国で、先ほど紹介があったとおり、16万人以上の雇用を生んできました。

昨年、2013年の、86億ポンドという対英投資フローは、過去最高レベル。日本企業は英国における、押しも、押されもしないジョブ・クリエイターです。

 安全保障面でも、両国はこれまでと違う次元の結びつきをもちつつあることを申し上げ、締め括りといたします。

昨年12月、巨大な台風が、フィリピンを襲った時のことです。被災者たちを助けようと、ロイヤル・ネイビーの「イラストリアス」と、わが海上自衛隊の「いせ」は、力を合わせました。

私は、世界の平和と、航空・航海の自由といった国際公共財を守るのは、法の支配を重んじ、民主主義と自由を奉じる国々でなければならないと考えます。その、責任を果たしたいと念じて、私の政府は「積極的平和主義」のバナーを掲げることにしました。

「いせ」と「イラストリアス」が示した協力くらい、日本の新しい旗、積極的平和主義が、志と、価値観を同じくする国々と力を合わせる中、よりよく追求できることを、裏書きしてくれるものはありませんでした。

私はゆくゆく、日英両国は、海の平和から、空、宇宙、サイバー空間の安全まで、もっと緊密に、一緒に働いて、ともに担っていくべきだと考えます。

「いせ」と、「イラストリアス」の間でできたような協力が、必要なときいつでもできるよう、日頃から、交際を深めていくべきだと思います。

そのために、本日、キャメロン首相との間で、外務・防衛閣僚会合、いわゆる「2+2」に加え、両国の国家安全保障局トップの協議を緊密化することで合意しました。

防衛装備品の協力は、すでに緒に就きました。また、日英ACSAの締結に向け着実に、努力していきたいと思います。

 今宵は、アベノミクスが前進中だと申し上げました。国を開き、伸びて行きたいと申し上げ、日EU・EPAに向けての抱負をお話しました。

日本と英国が、企業活動においても、安全保障においても、「ア・プリオリの」パートナーだといえる現状について、みなさんに関心を向けていただきました。

最後に、ロード・メイヤーと、シティ・オブ・ロンドンのご協力に対し、感謝のさかずきを挙げたく思います。