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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 国際法曹協会(IBA)東京大会年次総会 安倍総理スピーチ

[場所] 
[年月日] 2014年10月19日
[出典] 首相官邸
[備考] 
[全文]

 天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、内外多数の方々の御参列を得て、国際法曹協会の年次総会を東京にお迎えできたことは、私の深く喜びとするところでございます。

今日は、栄えある国際法曹協会の皆様に、私が「法の支配」について思うところをお話しさせていただきたいと思います。

 「法の支配」との用語は、西洋を起源としますが、その内容は普遍的なものです。決して西洋に限られるものではありません。アジアにも、古くから同じような考え方があります。「法の支配」の本質は、権力は絶対ではなく、権力の上に、権力が奉仕すべき、また、権力が縛られる道徳的実在がある、と言うことです。その実在とは、西洋の啓蒙思想では、「国民の一般意思」と言われたり、日本を始めとする北東アジアの国々では、「天」と呼ばれたりします。

私の郷里は、日本を近代化に導いた明治の志士を数多く輩出した山口県です。この志士たちの先生であり、明治維新の先駆者とも言うべき吉田松陰先生の、次のような言葉を御紹介したいと思います。

「天の視るは我が民の視るにしたがい、天の聴くは我が民の聴くにしたがう」。これは民の声を天の声とするということに他ならない。人の心が天の心であり、全ての人が心を寄せることを「天」と言う。

こうした松陰先生の教えに目覚めた若き侍たちが、やがて大きく歴史を動かし、日本を近代化に導くことになりました。

歴史をさかのぼれば、日本は、6世紀に仏教を受容しましたが、日本文明が花開いてきた頃から、「法の支配」の考え方に親しんできました。当時の為政者によく読まれた「金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)」には、王が法をもって国を治めなければ、あたかも象が花壇を踏み荒らすように、政(まつりごと)は損なわれると教えています。仏教に深く帰依した聖徳太子は、早くも7世紀に、17条からなる日本で最初の憲法を制定しました。

 アジアの各国で、西洋で発展してきた「法の支配」の考え方が根付き、逞しく民主主義を育んでいけるのは、千年以上の歴史を持つ国が多いアジア諸国の精神的伝統の中に、古くから「法の支配」と同じ考え方が深く根付いているからです。

「法の支配」という考え方は普遍的なものです。その根底には、必ず温かい人の心があります。深い人類愛があります。それは、東アジアでは、例えば「仁」とか「慈悲」と呼ばれています。それは、人と人が助け合って社会を作って生きていくために不可欠なものです。インドの宗教家であるヴィヴェーカーナンダも、ロシアの文豪トルストイも、同じことを言っているのかもしれません。「神は愛である」と。

人類愛によって結ばれ、助け合う人間が、合意によって作っていく社会の道徳や規範。それが法です。人の社会のあるところ、必ず法があります。そして、権力は、常に、法の僕(しもべ)なのです。

 国際社会もまた、例外ではありません。20世紀には、国際社会もまた、「法の支配」を基盤として構成されてきました。それまでは、国際社会において、暴力が完全に否定されていませんでした。戦争や植民地支配が当たり前のようにまかり通りました。20世紀半ばに至り、戦争が否定されるようになり、国連憲章を基盤とする新しい国際社会が築かれました。また、世界中で、植民地は独立を果たしました。

21世紀の国際社会は、合意により、ルールに従って、国際秩序が創造され、改良されていかねばなりません。誰ひとり、一方的な暴力におびえる必要のない世界。それが、私たちが、戦後、構築しようとしてきた国際社会です。

2300年前の中国の思想家、孟子は、天下に道のある時は、徳のある賢い国が指導し、天下が乱れれば、力のある大国が支配する、ということを言っています。孟子の言う天下無道の時代に戻ることは許されません。

法と正義の支配する国際社会を守ることが、日本の国益であり、日本外交の理念であります。我が国は、国際社会における「法の支配」の実現のため、幅広い外交を展開しています。

先ず、「法制度整備支援」です。我が国は、法務省、外務省、JICA(独立行政法人国際協力機構)などだけでなく、大学等教育機関、日本弁護士連合会や各地の弁護士会及び弁護士の方々の御協力を得て、まさにオールジャパンの態勢で、これまでアジア各国を中心に法制度整備支援に取り組んできました。

また、我が国は、特に、女性の能力強化と権利の保護・促進の分野で国際的な取組に積極的に参加しています。

本年4月1日、我が国について、国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約が発効しました。我が国は、国際ルールに基づいた子の連れ去り問題の解決に積極的に取り組んでいきます。

 「法の支配」の確立は、国家による取組だけではなし得えないことは言うまでもありません。

国際法曹協会の年次総会を、東アジア地域で初めて我が国にお迎えできたことは、誠に光栄なことであります。「弁護士会の国連」として、半世紀以上にわたり精力的に世界中の弁護士にとって指導的な役割を果たしてきた国際法曹協会は、これからも、国際社会における「法の支配」の実現にとって、極めて重要な職責を担われることでしょう。

また、グローバリゼーションが進む国際社会においては、法的問題も同様に国際化するだけでなく、複雑多様化しています。このような問題を適切に解決するためには、法的な素養と国際的な感覚を兼ね備えた弁護士が、国際社会においてボーダレスに活躍することが求められています。我が国では現在、国際社会の最先端で活躍し得る有能な弁護士の育成・活用に積極的に取り組んでいます。

今後とも、多くの弁護士の方々の御協力を得ながら、国際社会における「法の支配」の確立・強化に努めたいと考えています。

 我が国は、戦後70年にわたり、民主主義、基本的人権を重んじる国、「法の支配」を尊ぶ平和国家として、国際社会の安定と繁栄に向け、努力を続けて参りました。思えば、20世紀前半は、世界が、革命、戦争、植民地独立のための戦いに明け暮れた時代でありました。我々が20世紀から汲み取った教訓は正に「法の支配」であり、民主主義、基本的人権、紛争の平和的解決のためのルールが重要であると思います。私たちは、皆さんと共に、また、皆さんの政府と共に、この地上に遍く「法の支配」が確立されることを目指して、共にリーダーシップを発揮していきたいと思います。

御清聴ありがとうございました。