[文書名] 第21回国際交流会議「アジアの未来」晩餐会 安倍内閣総理大臣スピーチ
“the Future of Asia - Be innovative”
毎年、新緑の美しい季節に、ここ東京に、アジアのリーダーたちが集い、そしてアジアの未来を議論する。この素晴らしいシンポジウムがスタートしたのは、20年前でありました。
記念すべき第一回には、今年もお越しくださったマハティール元首相をはじめ、錚々たるメンバーが集いました。その創設メンバーの一人であった、リー・クアン・ユー元首相が、今年、お亡くなりになりました。
本日は、ゴー・チョクトン元首相もご出席されていますが、まず冒頭、出席者の皆様と共に、リー元首相の御冥福をお祈りしたいと思います。
先日、国会審議の合間を縫って、私も、リー元首相の国葬に参列させていただきました。
シンガポールに降り立った時は、土砂降りの雨でありました。偉大なリーダーを失った、シンガポールの人たち、アジアの人たちの悲しみの涙のように、感じられました。
セレモニーが終わり、外に出ると、雨はすっかりやんでいました。熱帯ならではの気まぐれな天気だ、と言えば、それまでです。
しかし、私は、昨年、短時間ではありましたが、リー元首相にお目にかかったときのことを思い出しました。日本が、アジアや世界の平和と繁栄のために、これまで以上に貢献していく。私が掲げる「積極的平和主義」の考え方を、高く評価し、温かく励ましてくださった。リー元首相は、常に、未来への眼差しを持っている方でありました。
「さぁ、顔をあげて、未来に向かって、進んで行こう。」
シンガポールの抜けるような青空から、リー元首相の言葉が聞こえてくるような気がいたしました。
2015年。この年は、アジアの未来にとって、大きな転機となる年であることは、間違いありません。
いよいよASEAN経済共同体が発足するからです。
アジアは、政治体制も、文化の有り様も、民族や宗教も、多様であります。そして、その多様性こそが、アジアのダイナミズムの源であると、私は、考えております。
そのアジアが、多様性を大切にしながら、経済統合を進めていく。これは、大きなチャレンジです。
マハティール元首相は、25年前から、すでに見通しておられたのかもしれません。アジアの国々が、ERIAを創設し、国境を越えた経済的な絆の深化に本格的に動き出したのは、7年前のことでした。そうした先人たちの多大な苦労の積み重ねの上に、今年、アジアは、一つの経済圏に向かって、大きな一歩を踏み出そうとしています。
インドネシア独立の父、スカルノ元大統領の言葉を思い出します。
「私たちが結束している限り、多様性はなんらの障害にもならないはずだ」と。
先の大戦の後、アジアにおいて、たくさんの国々が独立を成し遂げました。そして、奇跡的ともよぶべき経済発展を実現しました。
その70年に及ぶ歴史を振り返る時、「繁栄こそが、平和の苗床」であり、「平和こそが、繁栄を生みだす」。その教訓を、私たちは共有しています。
そして、アジアの永続的な平和と繁栄を、確かなものとするためには、自由で、フェアで、ダイナミックな経済圏をつくりあげなければならない。将来目指すべきゴールを、私たちは共有しています。
ですから、私たちの目線の先には、東南アジアだけにとどまらない、もっと大きな経済統合、RCEP、そしてFTAAPがあります。本年発足する、ASEAN経済共同体は、その偉大なマイルストーンです。TPP交渉も、いよいよ出口が見えてきました。
2015年は、必ずや、アジアの経済統合の歴史において、特記されるべき年となる。私は、そう確信しています。
今、私たちは、歴史の岐路に立っています。アジアの成長の先に、どんな未来が待っているのか。
しかし、それは、必ずしも、いいニュースばかりではありません。
伸び続けるエネルギー需要を、賄うことができなければ、高成長にブレーキがかかってしまいます。アジアにおいても、高齢化の波が、押し寄せようとしています。
ですから、アジアは、イノベーティブでなければならない。イノベーションによって、待ち受ける課題に立ち向かっていかなければならない。これが、今夜、私が申し上げたいことであります。
幸か不幸か、日本は、資源の乏しい島国として、長年、エネルギー制約の問題と格闘してきました。高齢化の課題にも、かなり早くから直面し、医療サービスを進歩させてきました。
その技術や経験を、日本は、アジアの皆さんと、惜しむことなく共有したいと考えています。そして、アジアの若い頭脳との融合の中から、共に、更なるイノベーションを起こしていきたいと考えています。
具体的に申し上げましょう。
今、アジアと言えば、「若々しさ」の代名詞に他なりません。
しかし、30年も経つと、多くの国で、60歳以上の人口が2割を超えます。高齢化の現実が、アジアの国々にも、確実に迫りつつあります。
もうすでに、アジア各国では、社会が豊かになるにつれて、これまで猛威をふるってきた感染症は影をひそめ、糖尿病やがんといった生活習慣病が、幅を利かせるようになっています。
名医でもあるマハティール元首相ならば、そうした社会の変化を、肌で感じておられるのではないでしょうか。
当然、求められる医療サービスは、変わっていきます。
私も、定期的に、自分の内臓の状況を、内視鏡でチェックしているのですが、生活習慣病への対策は、一にも、二にも、早期発見と予防です。
画像診断、粒子線による治療。医療機器のテクノロジーは、日進月歩です。さらに、そうした最新鋭機器を使いこなすだけの、医師の技量も、不断に高めていかなければなりません。
ですから、「Be innovative」。日本と共にやりましょう。
現在、日本は、ハノイやジャカルタで、最先端の内視鏡センターを設立し、若い医師の皆さんのトレーニングも手助けしています。マンダレーでは、女性たちのために、乳がんの検診センターをつくりました。
おととし、私は、プノンペンの母子保健センターを訪れました。日本が立ち上げ、現地の皆さんから「ジャパン・ホスピタル」とも呼ばれる、その病院では、現在でも、日本人の女性医師たちが、現地の皆さんと共に、汗を流しています。20年近い努力によって、乳幼児と妊産婦の死亡率を半減することに成功しています。
これからも、アジアの医療水準の向上のため、日本は、これまでの経験と技術を活かして、できる限りの努力をしていく考えであります。医療・保健分野において、今後5年間で、8千人のASEANの若者たちの能力開発をお手伝いすることを予定しています。
エネルギーの分野でも、私たちには、イノベーションが必要です。
これから、30億人もの人々が、どんどん豊かになっていくのですから、その消費するエネルギーは、当然、とてつもない量になります。IEAの予測によれば、2040年には、アジアのエネルギー消費量は、今よりも60%以上増加すると見込まれています。
これをすべて輸入で賄うこととなれば、現在の安いエネルギー価格を前提としても、4000億ドル以上、国際収支が悪化します。天然ガスは、今は、ASEANにとって貴重な輸出品です。しかし、それも、2040年には、輸入超過に転落してしまいます。
だから、「Be innovative」。
日本は、エネルギーショックや、公害を経験して、何十年にもわたって、高度な技術を磨いてきました。その経験や技術を、アジアの皆さんと共有しながら、アジアの国々のエネルギー戦略の実現や技術発展に貢献します。私たちは、協力を惜しみません。
エネルギー分野においても、今後5年間で、アジアにおいて、5千人規模の人材育成を進めていきたいと考えています。
日本のお家芸とも呼ぶべき、省エネ分野では、すでに、様々な協力プロジェクトが進展しています。
バンコクでは、ホテルに、日本から最新の省エネ技術を持ち込んでみました。そうしたところ、照明のLED化で9割のエネルギー削減を実現し、空調にインバータをとりつけることで4割削減できました。
マレーシアのプトラジャヤでは、公共バスを電気自動車にする実験を進めています。これが成功すれば、あの空気を汚す排気ガスとは無縁な都市づくりが可能となります。
さらには、アジアの資源とも呼ぶべき、石炭を、もっと効率的に活用してはどうでしょう。
石炭火力発電は、世界の発電量の4割を担うにもかかわらず、地球温暖化の元凶のように言われ、敬遠されがちです。しかし、それもまた、イノベーションによって、解決できる問題です。
日本は、高温で石炭を燃焼する技術で、すでに世界の平均を大幅に上回る効率を実現しています。この日本の技術が、米国、中国、インドに広まるだけで、年15億トンの温室効果ガスが削減される。日本が、産業革命前に逆戻りして、排出ゼロになる、それ以上の効果がもたらされます。
さらに、石炭をガス化して燃焼する最新の技術を用いれば、効率は格段に向上します。さらに、燃料電池をつけるなど技術を進化させていけば、石炭を使って天然ガス火力並みのCO2排出量に抑えることも、十分可能となります。
それだけではありません。ガス化する技術を用いることによって、これまで石炭火力には不向きだとされてきた、褐炭が、有望な資源となってくるのです。
エルベグドルジ大統領。この2年で5回以上も会談を重ねてきた親友ですから、正直に申し上げます。
モンゴルに日本のガス化技術を導入すれば、モンゴルの大地に眠る、たくさんの褐炭が、宝の山となります。
私と大統領でリードしてきた、日・モンゴルEPAは、民間における自由なライセンス契約を可能とするものです。EPAを早期に発効させることで、日本とモンゴルの間で、様々な技術協力や投資が加速することは間違いありません。
モンゴルだけではありません。タイや、インドネシアにも、褐炭は、たくさん分布しています。
アジアならではの、石炭火力の分野で、更なるイノベーションを、共に、生み出すことによって、伸び行くエネルギー需要に応えていきたいと考えています。
エネルギーや、医療だけではありません。安全で、信頼性の高い高速鉄道システムは、人や物の流れを劇的に変える力を持っています。高度な水処理システムがあれば、人々の生活環境は大いに改善します。
イノベーションが、未来を創る。日本は、そうした、進化を続ける技術、システムを、世界中で共有していきたいと思います。
アジアの隅々にまで、イノベーションを行き渡らせる。そのためには、もはや、「安かろう悪かろう」は、いりません。
イノベーティブなものが選ばれるマインドを、このアジアで根付かせるため、日本は、ファイナンスの面でも、大きな役割を果たしていく決意です。
「安物買いの銭失い」
400年も前から、この言葉は、日本において、親から子へ、子から孫へと、代々受け継がれてきました。少々値段が高くても、長持ちするもの、品質のよいものを選ぶ。ライフサイクルで見てリターンを考える、という発想です。
ただ、逆から言えば、質の高いものを求めると、値段が高く、リターンまで時間がかかる、ということでもあります。
これまで、インフラ・ファイナンスにおいては、その短期的なリスクについて、必要以上に、現地政府に支払い保証を求める。そんなやり方が、まかりとおってきました。
日本政府は、そうした慣習を変えていきます。
JBICを通じてリスク・マネーを供給する、新たな制度を立ち上げます。JBICが短期的な採算リスクを積極的にとり、現地政府に保証を求めるやり方を改めます。
この資金をどんどん活用していただくことで、長い目で見て、質の高いインフラ、イノベーティブなインフラを、アジアに広げていきたいと考えています。
「量よりも質」などと、牽強付会するつもりはありません。アジアには、毎年100兆円にものぼる、旺盛なインフラ需要があります。「質も量も」。二兎を追う野心的なチャレンジこそ、アジアには似合います。
しかし、これだけの需要を、公的資金だけで賄うという発想には、限界があります。需要が大きいからこそ、むしろ、私たちは、もっと、民間の多様な資金が、アジアに流れこむ仕組みを考えなければなりません。
ADBは、このほど融資能力を5割増やし、さらなる増資も検討しています。とりわけ、民間セクターへの貸付を拡大しようとしています。日本は、この決断を、大いに歓迎します。
さらに、融資にとどまることなく、民間セクターへの出資も拡大すべきです。JICAが、ADBと協力して、民間のインフラ・プロジェクトへの出融資を行う、新たな仕組みを設けます。ADBの民間向け出資能力は、従来の3倍に増える予定です。
日本政府も、民間とパートナーシップを組んでインフラ整備を進めるアジア各国への支援を拡大します。今後5年間で4兆円を超える支援を行ってまいります。
日本は、こうした新たなイニシアティブをスタートします。ADBと連携しながら、5年間で、総額約1100億ドル、13兆円規模の、イノベーティブなインフラ資金を、アジアに提供してまいります。
そのことにより、世界中から、さらに多様な資金をアジアに呼び込み、このアジアという場所を、ダイナミックなイノベーションが開花する大地へと、変えていきたい、と考えています。
ですから、私たちが目指す経済統合の姿もまた、それが、RCEPであろうと、FTAAPであろうと、民間の活力にあふれ、多様なイノベーションを促進するものでなければならない。私は、そう考えます。
近い将来、RCEPが実現すれば、経済規模もさることながら、人口では、世界の半分の人々が暮らす、世界最大の経済圏が生まれることになります。
人口が多いということは、それだけ頭脳がたくさんある、ということ。それは、イノベーションが生まれやすい、ということを意味します。
この芽を摘むようなマーケットであってはならない。政府部門による過度な経済活動が、民間部門の多様なアイデアを押しのけてはいけません。模造品や海賊版が先進技術を排除する、悪貨が良貨を駆逐するようなマーケットは、イノベーションを尊ぶアジアにおいて、つくってはなりません。
より良い製品やサービスが、適正に評価され、さらなるイノベーションが誘発される。そのようなダイナミックな経済圏こそが、RCEP、さらにはFTAAPが目指すべきゴールであるべきです。
そのために、私たちは、結束すべきです。アジアにおいて、いかなる国の恣意的な思惑によっても左右されない、フェアで、持続可能なマーケットをつくりあげようではありませんか。
今年は、戦後70年の節目の年でもあります。
先の大戦の深い反省と共に、日本は、戦後、アジアの平和と繁栄のために、全力を尽くさなければならないと、自らに言い聞かせてきました。
そして、国内ではまだ敗戦の傷跡が色濃く残る、戦後間もない頃から、独立したばかりのアジアの国々への支援を始めました。
ミャンマーでは、60年前、水力発電所をつくりました。
密林の中で、大蛇や象、虎と格闘しながら、日本人技術者たちの執念がつくりあげたバルーチャン水力発電所は、数度にわたる増設と補修を行いながら、今もなお、立派に現役で、ミャンマーの電力需要の2割近くを賄っています。
質の良いものをこしらえる。これが、日本のやり方です。
半世紀以上前、インドネシアでは、洪水を防ぎ、農地に水を引き、水力によって電気をつくる。30年以上の時間をかけて、ブランタス川の開発を行ってきました。
「ダムを造ることと、人を造ることと、どちらが主目的なのか分からなくなっていた。」
初代ブランタス川総合開発事務所長のスリヨノさんの言葉です。
日本の支援は、一方的なものではありません。現地の技術者たちと寝食を共にしながら、共に考え、共に歩む。日本の技術を、単に持ち込むのではなく、人を育て、しっかりとその地に根付かせる。これが、日本のやり方です。
マハティール元首相であれば、80年代以降、日本の電機メーカーや自動車メーカーが、マレーシアと共に成し遂げた実績を思い浮かべていただければ、御理解いただけると思います。
そして、暦はめぐりました。
ダイナミックに成長を続けるアジアは、もはや、支援の対象ではありません。成長のパートナーであります。このアジアで、イノベーションを起こすパートナーでもあります。
だからこそ、今、日本のこれまでのやり方が、普遍的な価値を持ってくる。私は、そう思います。
質の良いものをこしらえる。
そして、アジアの人たちと、共に考え、共に歩む。
その中から、きっと、アジアがこれから直面するであろう、様々な課題を解決できる、素晴らしいイノベーションを生み出すことができるに違いありません。
アジアの未来を切り拓くキーワードは、ただ一つ。
「Be innovative」。
日本は、その中で、出来る限りの努力を行う覚悟であります。
ありがとうございました。