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日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 第20回「海の日」特別行事 総合開会式における安倍内閣総理大臣スピーチ

[場所] 
[年月日] 2015年7月20日
[出典] 首相官邸
[備考] 
[全文]

 本日は、「海の日」祝日制定20回目の記念すべき日に、お集まりいただきありがとうございます。

 140年前の今日、明治天皇が東北・北海道を巡る旅から、無事、横浜港にお帰りになられました。これが「海の日」の由来です。その際、明治天皇が乗船されていた船が、当時、最新鋭の巡視船であった「明治丸」です。

 「明治丸」は、日本の周囲に広がる海を駆け巡り、1875年、いち早く小笠原に駆け付けました。イギリスに先駆けること、実に2日前の出来事です。たった2日。この差が、日本の小笠原領有を決定づけたのです。この船がなければ、豊かな海洋資源をたたえる小笠原は、イギリスのものになっていたかもしれません。

 日本は、世界第6位の規模となる広大な排他的経済水域を管轄していますが、その約3割が小笠原を起点とした海域です。全国津々浦々の漁師が、この海域をめざしてやってきます。小笠原が、日本の食卓に豊かな海の恵みをもたらしているといっても過言ではありません。海岸線に沿って、約5kmごとに漁村が存在する。そんな国は、世界中見回しても日本くらいではないでしょうか。

 「日本の漁村は、衰退の一途を辿っているのではないか」と、お思いの方もいらっしゃるでしょう。そんなことはありません。茨城県大洗町では、漁師の奥さんが経営する食堂、「かあちゃんの店」が大盛況です。地元の新鮮な魚を目当てに長蛇の列ができています。女性が中心となって、6次産業化にも果敢に取り組む。東日本大震災で大きな被害を受けたそうですが、震災後81日で営業を再開し、現在の来客数は震災前を上回るほどです。漁村は、これからも生活と仕事の拠点。明るい未来を感じさせます。水産資源だけではありません。日本の輸出入貨物の99%以上、国内輸送の約4割が海上輸送に依存しています。日本人にとっては、海が無い生活を想像することができないほど、海は身近な存在なのです。

 古来より、海洋と貿易の自由は、人類の発展・繁栄の礎でした。私は、いかなる紛争も力の行使や威嚇ではなく、国際法に基づいて平和的に解決すべきだと国際社会で繰り返し訴えてきました。強い者が弱い者を振り回す。そのようなことは、自由な海においてはあってはなりません。国際社会全体の平和と繁栄に不可欠な、法の支配が貫徹する公共財として「海」を保つことにこそ、全ての者に共通する利益があります。

 「海は万人のもの」。400年前に、「国際法の父」グロティウスが唱えた言葉は、今後も変わることがありません。この素晴らしい海を、次の時代に引き継がなければなりません。世界に広がるシーレーンを脅かす海賊の存在は、日本のみならず、海上交易を行う国にとっては、死活問題です。「海に守られた国」から「海を守る国」へ。日本は、自由で、平和な海の確保にリーダーシップを発揮しなければなりません。

 アジアでは、我が国主導の下、20か国が「アジア海賊対策地域協力協定(リキャップ)」を締結し、シンガポールを拠点として監視の目を光らせています。ソマリア沖では、自衛隊の護衛艦と哨戒機が海上保安官と協力して、航行する民間船舶を守っています。国際社会と連携して行ったこうした取組の結果、年間200件を超えていたソマリア沖の海賊発生件数は、今年の上半期はゼロに激減しております。

 1896年、「明治丸」は現役を退き、商船大学の若き学生のため、シーマンシップ練成のための神聖な道場となりました。1945年までの50年間、5000人の海の若人が、毎朝、その甲板をヤシの実で磨き、マストに登って帆を張ってきました。厳しい訓練を潜り抜けてきたからこそ、卒業生たちは心の故郷として「明治丸」を慕い、海の仕事を誇りにしていたのです。

 しかし、残念ながら現在、海に関係する大学の学科が減少しております。私が若い頃は、海洋関係の仕事といえば、7つの海を渡り歩くロマンにあふれ、多くの若者の憧れの的でした。現在の若者たちにも、海に未来を見出していただきたい。日本にとって、海はこれからも恵みの母です。例えば近年、日本の周囲には、メタンハイドレートを始めとして、多様な資源が眠っていることがわかってきました。海には資源も仕事もあります。是非、次世代の若手には果敢に海洋開発にチャレンジしてもらいたいと思います。

 そのためには、若者を鍛え、心の拠り所となる、現代の「明治丸」が必要です。海洋開発技術者の育成をオールジャパンで推進するため、産学官を挙げたコンソーシアム、「未来の海 パイオニア育成プロジェクト」を立ち上げることといたします。このコンソーシアムにより、大学では、企業から派遣された講師が、実践的な授業を展開し、企業が提供する実際の事業現場で実習も行います。

 私は、現在2000人程度とされる、日本の海洋開発技術者の数を、2030年までに5倍の1万人程度に引き上げることを目指します。コンソーシアムが輩出する人材が海洋資源開発をリードし、新たな海の恵みを手にすることを期待しています。

 もちろん、海洋人材の育成の対象は、日本人にとどまりません。「海はつながっている。だからこそ自国を超えて協力関係を築き、共通の認識を育んでいくことがいかに重要か学ぶことができた」。日本で学んだインドネシア研修生の言葉です。国際社会全体の平和と繁栄のため、海でつながる同志と、知識や経験を分かち合うのが日本の使命です。

 その先頭に立っておられたのが、本日御列席されている笹川会長です。日本財団は、延べ129か国1075人を世界各国に留学させ、卒業生を「笹川フェロー」として世の中に送り出してきました。彼らは、海洋先進国の知識を武器に、各国海洋行政の最前線で活躍しています。こうした功績を讃え、IMO国際海事賞を受賞されることとなりました。これまでの笹川会長、日本財団の功績に、改めて敬意を表したいと思います。

 政府も、負けてはいられません。この秋、日本の大学院に、世界で初となる海上保安政策の修士課程を新たに開設し、アジア各国から幹部候補を受け入れます。単なる知識の習得ではありません。波濤を越えて、アジア全体で「思いを共有する」。そんな教育を目指していきたいと思います。

 このイギリス生まれの美しい帆船に「明治丸」と名付け、生命の息吹を吹き込んだのが、時の工部卿、伊藤博文です。伊藤博文は、長州ファイブの一人として、他の4人の志ある若者とともに、果敢に海を渡りました。その成果が、日本の近代化を力強く牽引する原動力となったのです。海は無限の可能性に満ちあふれています。若者には、立ちはだかる荒波にも臆することなく、海に飛び込み、未来を切り拓いていただくことを期待しています。

 最後に、海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願い、また、海洋が育む世界の平和と繁栄を願いながら、第20回「海の日」の私からのメッセージを締め括りたいと思います。

 ありがとうございました。