[文書名] 第70回国連総会における安倍内閣総理大臣一般討論演説
議長とご列席のみなさま、今年で設立70年を迎える国連とは、絶望的現実を前にして、容易に絶望しない人々の集団でした。だからこそ風雪に耐え、今日を迎えたのではありませんか。
エボラ熱の跳梁(ちょうりょう)がありました。過激主義の跋扈(ばっこ)があります。今また私たちの目の前で、多くの難民が命を賭してでも、恐怖から逃れようとしています。
しかしたとえどんな問題があろうとも、国連のもと、ともに立ち向かいましょう。各国が、それぞれもつ能力を持ち寄ろうではありませんか。
日本には、いろいろな場所で、国造りを支えた実績があります。人材を育て、人道支援を惜しまず、女性の人権を守ろうと努めた経験があります。その蓄積を、いまこそ惜しみなく提供したいと思っています。
日本は、シリア・イラクの難民・国内避難民に向けた支援を一層厚くします。金額に換算すると、今年は約8.1億ドル。昨年実績の3倍となるでしょう。
レバノンでは、200万ドルの支援を新たに実行します。これをテコとして、人道援助機関と、開発援助機関の連携に、弾みをつけてまいります。
セルビア、マケドニアなど、EUの周辺にあって、難民・移民の受け入れと格闘する諸国に対し、新たに約250万ドルの人道支援を実行します。
これらはいずれも、日本がなし得る緊急対策です。一方、私たちの変わらぬ原則とは、いかなる時にも、問題の根元へ赴き、状況を良くしようとすることです。
イラクの民生に安定をもたらすには、上下水道が信頼に足るものでなければなりません。これを含め、中東とアフリカにまたがり、平和を築き、確かなものとするため、日本は約7億5000万ドルの支援を準備しています。
難民たちの背後には、難民となって逃れることのできない人々がはるかに多くいるという現実を、直視したいと思います。
壊れてしまった国を建て直し、再び人々に幸福の追求を許す場とするには、人間一人、ひとりの力を育て、恐怖・欠乏と闘う能力を草の根から培うことが、回り道のように見えて、実は近道です。
その信念が、教育、保健医療の普及を重んじ、とりわけ、あらゆる年齢層の女性に力をつけようとするわが国の政策になりました。「人間の安全保障」を確かなものにしようとする政策です。
こうした人間一人ひとりを大切にする取り組みが、国連コミュニティが新たに設けた開発目標にしっかり組み込まれたことを、大変嬉しく思います。
嬰児(みどりご)をもつ母ならば、その健やかな成長を、それのみを願うことができる環境を、日本は作りたいと念じます。
そう考えていたとき、一枚の写真に出会いました。ある難民女性の、カバンの中身を写した写真です。
手荷物をたった一つだけ持って難を逃れるとき、人はカバンに、何を詰め込むのか。
ダマスカス南方にあるパレスチナ難民キャンプを逃れ、ゴムボートで地中海を渡った二十歳(はたち)の女性、アベーサ(Aboessa)は、多くを持ち出せませんでした。
写真に写っているのは、生後10ヵ月の、娘のものばかりです。
靴下の替えが一足。一つの帽子と一ビンのベビーフード。眺めるうち、私の目は、ノートのような何かに釘付けになりました。
ビニールで大切に包み、水がかかっても大丈夫なようにしてあるノートをよく見ると、それは、私たちがシリアの難民キャンプで配った「母子健康手帳」だったのです。
日本では、懐妊を知った女性は手帳を貰います。母子の健康を長く記録するノートで「母子健康手帳」といい、この制度は70年以上続いています。
手帳が書き留めた身長や体重を見て、わが子の成長に目を細める母のうち一体誰が、その同じ子が、成長したのち、恐怖の使徒となるのを望むでしょう。
手帳は母の、「わが子よ、健やかなれ」と願う、祈りの記録です。それは力を帯びる。この子に、命を粗末にはさせじと、母親に念じさせる力です。
絶望や恐怖を生む土壌を、母の愛で変えたいと願えばこそ、私たちは、パレスチナや、シリア、ヨルダンの難民キャンプで、母子健康手帳を配ってきました。
そんな願いのこもった手帳を、脱出行(こう)のさなか、大切に持ち続けた女性が確かにいた。
一人、ひとりを強くすることを目指す「人間の安全保障」の思想が、悲しくも、雄弁な結実を生んだことに、私は打たれたのであります。
議長、ご列席のみなさま、
法の前の平等と、法の支配の原則もまた、日本がこのうえなく尊ぶ価値であります。その伸張も、人の力を育てるところに始まります。
ご紹介するのは、法の番人となる警察官の育成を、日本が手伝っている、そのため、日本の若い女性が奮闘しているエピソードです。
暴力・恐怖をその根底で絶つには、よい警察官と、その組織を育てなくてはならない。私たちはそう信じ、アフガニスタンほか随所で、警察官の養成に力を注ぎました。
コンゴ民主共和国で、日本が2004年以来続けているのが、まさしくそれです。日本の国際協力機構(JICA)は同国で、国家警察の警官研修を支援し、今日に至ります。
現在まで、2万人以上の警官が研修を受けました。中には女性の警官がいます。武装勢力の兵士だった人も、少なからず含まれていました。モットーは、「市民に親しまれる警察」を作ること。
研修計画を立て、実行に移す役目を担ってきたのがJICAで、現地の日本側担当者は一貫して女性です。
例えばその一人は、同僚の目に映る姿たるや「小さな巨人」でした。
男性警官に混じると、なるほど小柄です。しかし、困難に臆せず、身につけたフランス語を駆使して率先立ち向かう様は、「巨人」のそれだったのでしょう。国家警察の人たちは、彼女に尊敬と、信頼を寄せました。
日本の新しい旗が「国際協調主義にもとづく積極的平和主義」だということを、一昨年来、この場でみなさまに強調してきました。いま紹介した女性など、その最前線に身を投じた一人です。
みなさま私は、日本の未来を拓く役割の多くを女性に期待する点で、人後に落ちません。日本が実施する対外援助も、女性に安全と健康、安心を与え、その人権を守る策に力点を置いています。
内戦から復興途上の国で、法の支配の守り手を育てる仕事に、日本人女性が立派な貢献をしている。二重の意味で、誇らしく思います。
私は、これまで機会をとらえて、21世紀こそ、女性の人権が蹂躙されない時代にすべきであると訴えてきました。
本日は、日本も、安保理決議1325号にもとづく女性の参画と保護に関する「行動計画」を定めたことを、ご報告できるのを嬉しく思います。
わが国の「行動計画」では、女性、少女を暴力から守り、基礎的保健サービスを行き渡らせることが、ひときわ重要な項目をなしています。
また、昨年に続き本年も、「女性が輝く社会に向けた国際シンポジウム」 (WAW!)を開催し、有意義な議論を行いました。
議長とご列席のみなさま、
国連とは実に、「楽観主義的現実主義者」の集う場ではありませんか。
将来をいたずらに悲観しない。しかし現実から目を離しもしない。そのようにして、国連は70年の歴史を刻んできました。
私も、いくつかの点に関しては、現実を直視せざるを得ません。
初めに北朝鮮について。拉致、核、ミサイルといった諸懸案の包括的解決のため、日本は、関係国と協調して働きかけを続けます。
本年は、原子爆弾がヒロシマ、ナガサキに落とされて70年、悲しみを新たにした年でもありました。
しかし遺憾にも、一部で核戦力の増強が透明性を欠くまま続くかにみえる中、本年のNPT運用検討会議は、将来の核軍縮・不拡散の指針を示せませんでした。
核削減は、米露の間で休みなく進むべきです。しかし他の核保有国 も進めるべきものだということを、わが国は強く主張し続けます。
核兵器廃絶に向けた決意の下、国際社会の共同行動を促すため、日本は、新しい決議案を準備しています。多くの国々から支持をいただけると信じて疑いません。
議長、ご列席のみなさま、
国連創設70年の慶賀すべき年、安保理改革に関わる大きな動きが始まりました。
前会期、関係者、各国の真摯な姿勢は、安保理改革の議論を大いに深めました。そして2週間前、私たちは本議場で、満場の拍手によって、今会期に熱意を引き継いだのであります。
この熱意、さらには日本が果たすべき役割への確信をもって、私は、議長ならびに各国との協力のもと、安保理改革を実現し、日本が安保理常任理事国となり、ふさわしい貢献をする道を、追い求めてやみません。
第一に、日本には、戦後70年、平和を愛する国として自らを持し、世界の平和と繁栄のため努力を積んだ実績があります。
カンボジアや東ティモールで、日本は外交努力、PKO派遣、その後長年にわたる支援に力を尽くしてまいりました。
PKOには、実施に3つのレイヤー(層)があります。まず、どこで何をするか決める意思決定の層があり、次いで、要員や資金の手当てが必要となり、さらに、現場での実働が続きます。
その間に、得てして生じる格差に対し、日本は、"ギャップ・ブリッジャー(Gap Bridger)"になることができます。そして日本には、どのレイヤーでも言動に責任をもつ主体として、プラスの貢献をすることができます。
今しも南スーダンで、自衛隊施設部隊の諸君が日夜努力を続けている。ケニアでは、陸上自衛隊の専門家たちが、ケニア、ウガンダ、タンザニア、ルワンダ各国軍隊を対象に、重機の扱い方を伝えています。道がなく、橋が壊れた環境では、PKOは随所で滞るからです。
そして日本自身がこの先PKOにもっと幅広く貢献することができるよう、最近、法制度を整えました。
第二に、「オーナーシップ」と「パートナーシップ」を重んじるのが日本です。
絶望と戦い、幸福を伸ばすには、当事者の意思、国際協力の二つが、二つとも大切なのだと、日本は主張し続けてきました。
すべての人々が、自分の人生を自分で決定するオーナーシップを獲得することこそが、私たちにとって究極の目標でしょう。これを強調するところからは、「人間の安全保障」を重んじる発想も生まれました。
第三に日本は、当事者の声に、いつも耳を傾ける国であろうと努めます。
3日前には、一昨年、昨年に続き、アフリカRECs議長国首脳のみなさんと会合をもちました。
日本には、アフリカ開発を進めるため20年続けた、TICADという集まりがあります。来年私はこれを初めてアフリカで開き、一層多くの声に耳を澄ますつもりです。
太平洋島嶼国の首脳とも、昨晩再び集まりをもちました。「11月5日、世界津波の日」をみなで共有し、訓練や、能力の向上を図ることなどを論じています。
日本が初めて安保理の非常任理事国となったのは、1958年、国連加盟後、2年のことでした。この秋、ご支持を得て選ばれれば、通算11回目に当たります。
日本は最も頻繁に、同僚たちのレビューに自らをさらした国でした。
以上三つは、これまで刻んだ足跡から、みなさまに頷いていただける日本の強みです。この強みをもって、私たちは、国連を強くしたいと思っています。
日本国民とは、UNの2文字に輝きを見る、見続ける者であります。「国際協調主義にもとづく積極的平和主義」を高く掲げ、日本は、国連を21世紀にふさわしいものとするため、安保理改革を行い、そこで、安保理常任理事国として、世界の平和と繁栄に一層の貢献をする責任を果たしていく覚悟であります。
みなさまのご理解を期待し、私の議論を終えます。
ありがとうございました。