[文書名] カザフスタンにおける安倍内閣総理大臣政策スピーチ
まず冒頭、昨日、発生した地震によって、アフガニスタン、パキスタンなどで、大きな被害が発生しています。お亡くなりになられた方々に、心からの哀悼の意を表します。家屋の倒壊など、被害を受けた皆様に、お見舞いを申し上げます。
日本は、「アジアの友人」として、食料や医薬品の提供を始め、被災された方々のために出来る限りの支援を行ってまいります。その日本としての考えを、この場を借りて、申し上げたいと思います。
勝学長、御紹介ありがとうございました。ナザルバエフ大学の皆さん、皆さんはカザフスタン全国の俊英であります。だからこそ、ナザルバエフ大統領が自らの名前を冠し、そして今日も御出席をいただいているわけであります。授業が、世界一流の教授陣により、全て英語で行われていると聞き、驚きました。お目にかかれて嬉しく思います。
ここから地平の彼方に日本があります。日本人がいて、皆様への敬意と、友情を抱いています。日本の私たちがみな大好きなフィギュア・スケートの浅田真央選手が、お国のデニス・テン選手に敬意と友情を抱いているようにです。
私は、この2年間で国際会議の場でナザルバエフ大統領に3回お会いしてきましたが、今回、初めて中央アジアを訪問しました。日本の総理大臣として9年ぶり、一度に中央アジア5か国を訪れた日本の総理大臣は私が初めてです。
訪問の締めくくりとなるカザフスタンで、ここナザルバエフ大学にやってまいりました。
私のメッセージは、3つの柱からなります。
第1に、中央アジア各国との関係を抜本的に強化します。このために、産業の高度化を図り、人材を育成する。
付加価値の階段を上がりたい、産業を多角化させたい、そのために質の高いインフラを作りたい。今回の訪問で、希望の声を随所で聞きました。日本への期待がどれほど高いか、今回私自身、つくづく実感いたしました。
このような協力は既に始まっています。カザフスタンには、昨年コスタナイにトヨタの工場が完成しました。ここで製造されたトヨタの自動車は、カザフスタンの若きエンジニアたちが、日本の高い自動車技術を活用することで生み出しているものです。
豊富なガス資源も、日本の「GTL(ガス・トゥー・リキッド)」技術を使うことで、トルクメニスタンのモータリゼーションの原動力となる自動車の燃料へと生まれ変わります。
そして、日本では、自動車技術は更なる進化を遂げつつあります。CO2を排出しない水素エネルギー技術が実用段階に移りました。2017年には、ここアスタナで、この大学の隣で、国際博覧会が開催されます。日本は早速参加の手を挙げました。日本は、そこで、将来の水素社会の絵姿を皆さんに御覧いただきたいと思っています。
皆様、「国づくりは、人づくり」。それは、古来、私たち日本人が大切にしてきた考えです。近代が扉を開き、科学技術の面で西欧の圧倒的な優位を目の当たりにした時、日本はひたすら教育に資金と努力を注ぐことで、キャッチアップを始めました。先の大戦は日本全土を荒廃させましたが、それでも日本には「人」という資源がありました。そこから、再び急速な成長を成し遂げることができました。
どうして日本は、中央アジア各国から過去24年、8,723人のトレイニーを喜んで受け入れ、また日本から各国に、2,299人の専門家をインストラクターとしてお送りしてきたか。また例えば、ここナザルバエフ大学で、産業自動化の手法をお伝えしてきたか。言うまでもありません。これからも、日本は皆様方に対し、皆様一人ひとりの力を強くする点に重きを置き続けることでしょう。新たに、日本型の質の高い工学教育を活用し、お国や中央アジア各国の高度産業人材の育成を支援していきます。
第2に、日本は、中央アジア地域に共通する課題により積極的に関わっていきます。
日本は、「中央アジア+日本」対話を2004年から続けています。何か問題が、地域全体で解くことを求められているなら、日本は、どなたにとっても信頼に足る「触媒」になれたらいいと思ったからです。この対話は、今、中央アジア各国と日本が地域に共通する課題に取り組むための枠組みに発展しつつあります。
例えば、この対話で農業分野での協力を取り上げています。タジキスタンから、バッタは国境を越えて作物を食い荒らす、バッタ被害への対策は、この地域全体にとって有益なものだ、是非日本に協力してほしいと提案がありました。今回の訪問で、日本はこのための支援を表明しました。
高品質の代名詞であるメイド・イン・ジャパンは、自動車やテレビに限ったものではありません。おいしくて安全な日本の農産物も、世界に誇るべきものです。土を耕し、水を引く。自然と共に生き、自然を活かしながら、日本は悠久の歴史の中で、農業のノウハウを培ってきました。
ここカザフスタンの広大で肥沃な大地において、日本の「カイゼン」を取り入れ、収穫や労働を大変効率化させている例もあると聞きます。
さらに日本は、中央アジア地域の発展に不可欠な、運輸や物流の課題にも応えていきたい。これも大変興味深い分野です。
鉄道に限りませんが、内陸にあり、大平原から峻険な山々まで実に多様な土地に暮らす中央アジアの皆さんにとり、日本の技術と経験、ノウハウが、ここカザフスタンや中央アジアで活かされる日を楽しみにしております。運輸・物流をテーマとする来年の「中央アジア+日本」対話・外相会合に向けて、議論を深めてほしいと思います。
カザフスタンは、今後、対外援助機関を設立すると伺いました。JICAにはこの分野での経験が豊富にあります。カザフスタンと手を携え、地域の発展に協力できる日を楽しみにしています。
日本は、それぞれの国が抱えるニーズを丹念に聞き取りながら、地域全体の発展に積極的な貢献を果たしていきたい。
日本は、中央アジアの、開かれ、安定し、自立的な発展を官民で連携して支えていきます。民間企業の意欲は既に高まっています。日本政府も、公的協力を通じて、民間投資の後押し、インフラ整備、人づくりを支援してまいります。そのことによって、今後、3兆円を超えるビジネスチャンスを生み出してまいります。
そして、第3の柱です。日本と中央アジアはグローバルな舞台でも協力を深めていきたい。
いまやカザフスタンと日本は、核軍縮・不拡散という人類史的課題の先頭を、手を携えて歩んでいます。去る9月以来、今後2年にわたって、お国と日本は、包括的核実験禁止条約(CTBT)発効促進会議において、共同調整国になっているからです。本日のナザルバエフ大統領との会談では、一緒に頑張ろうという意思を、文字にしてお互いに確かめました。
また、核不拡散のための頭脳流出防止に取り組む国際科学技術センターは、この夏、ここナザルバエフ大学で新たなスタートを切りました。20年以上に及ぶその活動を、日本は今後も支援してまいります。
思えば、必然の成り行きでした。広島と、長崎、それからセミパラチンスク。今年は私たちにとって、原爆投下から70年、来年は皆様にとって、実験場閉鎖から四半世紀。節目の年に、思いは同じだからです。核軍縮・不拡散への意思、その不退転の決意です。
幸い日本は、11度目に当たりますが、このほど国連安全保障理事会のメンバーを務めることになりました。国連を舞台に皆様と一緒に、核軍縮・不拡散や安保理改革に向け努力したいと思っています。
私には、この中央アジアの地を、是非とも訪れてみたい、もう一つの理由がありました。
70年前の戦争の後、多くの同胞が、この地に抑留されました。祖国に思いを残したまま、悲しい最期をこの地で終えた方々も少なくありません。そうした御霊に、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御冥福をお祈りいたしました。
こうした尊い犠牲の上に、現在の日本の平和がある。この重みを噛みしめながら、中央アジアの皆さん、世界の友人と手を携え、世界の平和と繁栄に積極的に貢献していく。その決意を新たにいたしました。
訪れた先々では、かつて抑留された日本人たちの建てた建物が、皆様に大事にされ、立派に残っている様子を見聞きしました。アルマティの科学アカデミーがそうでしょう。お隣ウズベキスタン、タシケントにあるナボイ劇場。シムケントや、テミルタウにも、たくさん残っていることを、御存知だろうと思います。
毎朝、この中央アジアの大地に昇る朝日を見て、その地平線の先にある、祖国、ふるさと、そして家族へと、思いを馳せたであろう、先人たちの姿を偲ぶとき、今も胸が詰まります。しかし、強制された労働であっても、決して手を抜かなかった。父祖たちは、そこに誇りを託したのだと思います。
当時、遠い異郷の地に抑留された多くの日本人。その中には、若き日の加藤 九祚(ぞう)教授の姿もありました。
有名なイリヤス・エセンベルリンの大作「遊牧民」を翻訳し、550年前のカザフ・ハン国建国の壮大な歴史を、私たち日本人に紹介した人です。生涯現役。齢93の今でも炎天下、この中央アジアに魅了され、古代遺跡の発掘に、仕事に邁進されています。
かつてインドで生まれた仏教は、ここ中央アジアを経て、日本へと伝わってきたそうであります。それだけではありません。この地は、何千年にもわたって、東西の文明の交差点となってきた。様々な民族、宗教の人たちが、この地を行き交ってきました。
多様な文化を受け入れる包容力、そして、多様性の中から生み出される、未来を切り拓く活力。それこそが、中央アジアの魅力なのだと思います。
ですから、私は、地理的には遠く離れていても、国の成り立ちは違っていても、日本と中央アジアとの未来には、大きな「可能性」が眠っていると信じます。互いを受け入れ、互いの強みを生かす。共に交わり、力を合わせることで、互いの未来は、一層輝かしいものとなるはずです。
早速、その努力を、始めようと思います。文化交流使節団を中央アジアの皆様の下に送って、あるいは、中央アジアの皆様の中、日本語を学ぶ人たちを日本にお招きして、勢いと、弾みをつけたいと思います。
私たちは、地図の上でこそ離れています。でも、心の交わりに、距離は関係ありません。
皆さん、これから日本とカザフスタンの、そして日本と中央アジアの皆さんが、手を携えて、共に未来に向かって歩んでいこうではありませんか。
御清聴ありがとうございました。