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政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 第50回 国家公務員合同初任研修開講式 安倍内閣総理大臣訓示

[場所] 
[年月日] 2016年4月6日
[出典] 首相官邸
[備考] 
[全文]

 合同初任研修に当たり、国家公務員の道を選んだ皆さんを、まず、内閣総理大臣として、心から歓迎したいと思います。

 春は、就職、入学、卒業、人生の大きな節目となる季節であります。今年、73歳で高校を卒業し、その春を迎えた女性がいます。先日、一つの新聞記事を目にしました。

 佐賀県にお住いの、その女性は、中学卒業後、経済的理由によって、高校への進学を断念せざるを得なかったと言います。

 その後、21歳の時にやっと念願が叶い、佐賀北高校・通信制の門をたたきますが、結婚し、2人の子育てに忙しくなり、学業を中断したそうであります。

 そして、70歳を前に再び入学し、見事、卒業の日を迎えました。お孫さんと並んで卒業証書を持つ、その女性の顔は誇らしげでありました。本当に「輝く女性」だと思います。心から「おめでとう」と申し上げたいと思います。

 皆さんは、この話を今聞いて、どんな感想を抱いたでしょうか。

 家庭の経済事情に左右されることなく、意欲さえあれば、誰もが高校にも、大学、専修学校にも進学できる。教育を受けられる社会を創らなければならない。

 結婚、子育て、更には介護といった事情に関わりなく、学んだり、仕事したり、自分のやりたいことができる。誰もが活躍できる日本にしなければならない。

 感想は、様々であると思います。その率直な思いを、どうか皆さん、仕事にぶつけてもらいたいと思います。ほとばしるような情熱なくして、政策を実行していくことはできません。「人々の暮らしを支え、より良い日本を築く」、皆さんの熱い思いこそが、国を動かすエンジンであります。

 国家公務員の務めとは何か。

 それは、一人ひとりの国民の人生、日々の暮らしと向き合うことであります。

 そこから、何をなすべきかが、見えてくるはずであります。もっと言えば、そこから「しか」見えてこない。霞が関や永田町の半径1キロメートルの世界に、汲々としていては、国家公務員としての職務を全うすることはできません。

 安倍内閣は、今年、新しい挑戦を始めました。「一億総活躍社会」を創る、という挑戦であります。

 若者もお年寄りも、女性も男性も、難病や障害のある方も、一度失敗を経験した人も、誰もが活躍できる社会であります。誰もが生き甲斐を感じられる社会を創り、少子高齢化に歯止めをかける。「一億総活躍」とは、国民一人一人の前に立ち塞がる、様々な「壁」を取り除くことであります。

 「一億総活躍・元年」とも言うべき、本年、国家公務員としてのスタートを切る皆さんには、どうか、これからの公務員人生において、常に、一人一人の国民と向き合う「感受性」を持ち続けてほしいと思います。

 「50年後に人口一億人を維持する」

 「希望出生率1.8を目指す」

 「戦後最大のGDP600兆円を達成する」

 「介護離職ゼロを実現する」

 私が掲げた、こうした目標には、「日本はもう成長できない」、あるいはまた「少子高齢化は止めることはできない」といった悲観論ばかりであります。挑戦すると言えば言うほど、「実現できるはずがない」という「批判の嵐」であります。

 しかし、批判があるということは、新しいことに挑戦している証であります。「挑戦」には、批判は避けられません。私も、批判をエネルギーに変えるように努力をしています。ここから皆さんの顔を見ていると、少しばかりの批判に私は負けない、という決意が伝わってきました。安心しました。

 73歳で高校を卒業した女性も、決して諦めることなく、挑戦を続けたからこそ、夢を叶えることができました。そして、挑戦を始めるには、いつであっても「遅過ぎる」ということはありません。

 皆さんも、これからの公務員人生において、困難な課題に直面しても、決して諦めることなく、挑戦してほしいと思います。

 300年以上前、日本の物流革命という困難な課題に挑戦した、一人の商人がいました。

 江戸時代の初め、東北で収穫された米は、海を下り、川を上り、陸路を進んで、ほぼ1年かけて江戸に届けられました。米は古くなり、何度も荷を載せ替えたりするうちに、道中で多くの米を損失してしまう、という有様でありました。

 これに対して、江戸の商人であった河村瑞賢は、東回り航路、西回り航路を開拓し、米の流通に劇的な改善をもたらしました。

 彼は、材木商です。海運については、全くの素人でした。更に、参考になるような書物や、海外の情報などもまったく無い時代でありました。

 しかし、彼は、幕府の命を受けるとすぐに「現場」へと出かけました。日本中を回って、熟練の水夫を探し、船頭たちの話に耳を傾けました。

 そうした中から、積荷の量を制限するなど海上輸送の新しいルールを創りました。海の難所には、一晩中かがり火を焚く、水先案内船の仕組みを整えるなど、工夫を凝らしました。さらに、堅牢な船を日本中から確保し、そして、良質な港を発掘して回りました。

 「人生50年」の時代にあって、瑞賢は、既に50歳を超えていましたが、徹底的な現場主義を貫くことで、前例のない、航路開拓という挑戦を見事に成功に導きました。

 後に幕府の中核を担う新井白石は、瑞賢のことを振り返りながら、70歳になった瑞賢が、封建時代にあって、弱冠20歳ほどの白石にも積極的に意見を求めるような柔軟な人物であった、と記しています。

 皆さんも、「現場」に足を運んでください。そして、「現場」の声に耳を傾けてもらいたいと思います。「現場」も知らずに、机の上で資料作成の「技術」だけを磨いても、何の意味もありません。ゼロは、いくら積んでも、ゼロであります。

 「現場」にこそ、「答え」がある。私は、そう確信しています。私自身も、「現場」の声を活かしていきたい。一番「現場」に近い場所で仕事をしている皆さんもそうでしょうが、そういう方々の声を、是非聞きたいと考えていますし、そういう声に耳を傾ける柔軟性を持ち続けていきたいと考えています。

 皆さんがこれから立ち向かう課題は、少子高齢化もそうでありますが、最初から模範解答などありません。参考にするような教科書も存在しません。皆さんなりの「答え」を、「現場」で見つけてもらいたいと思います。

 さらに、グローバル化が進む現代において、皆さんの「現場」は、もはや、日本国内にとどまりません。内向きな発想は、捨ててもらわなければなりません。

 広い世界へ飛び出し、世界の人々と交わりながら、日本が進むべき針路を見定めてほしい。いかなる困難な課題にも、敢然と挑戦し、しっかりと「答え」を出して行ってもらいたいと思います。もちろん、「答え」を出すためには、判断が必要です。困難な判断もあるでしょう。その困難な判断を出すことができるようになるまで、皆さんもしっかりと研鑽を積んで行ってもらいたいと思います。

 昔、一匹の蚊が、百獣の王であるライオンに挑みました。

 鋭い爪や、恐ろしい牙にも、ひるむことなく、その蚊は、ライオンの鼻先を目がけて飛んでいきました。そして、ライオンの反撃を身軽にかわしながら、その鼻を刺しまくりました。そして、鼻が痒くてたまらなくなったライオンは、最後は、自分の爪で鼻をかきむしりながら、たった一匹の蚊の前に、ついに降参したそうであります。

 皆さんは1年目の新人であります。大きな課題を前にして、自らの無力さを感じることもあるかもしれません。

 しかし、皆さんには、前例にとらわれない柔軟な発想力があります。「若さ」という特権、すなわち、失敗を恐れない行動力があるはずであります。

 であれば、ライオンのように立ちはだかる困難な課題にも、果敢に挑戦し、そしてそれを乗り越えていくことができる。私は、そう確信しています。

 先ほどの話には、実は続きがあります。

 ライオンを降参させた蚊は、意気揚々、口のラッパを鳴らしながら、凱歌をあげて、飛んで帰っていきました。しかし、その途中で、蜘蛛の巣に捕まってしまった。

 あの百獣の王を倒した自分が、小さな蜘蛛につかまり、食べられてしまうことを、大いに嘆いたと言います。

 皆さんのこれからの公務員人生は、前途洋々、大きな可能性に満ちあふれていると信じます。しかし、そのことに、決して驕ってはなりません。

 常に謙虚さを忘れることなく、全ては国家・国民のため、大胆に構想し、そして果敢に行動していってもらいたいと思います。私は、皆さんに大いに期待しています。頑張ってください。