[文書名] 東方経済フォーラム全体会合 安倍総理スピーチ
司会のケヴィン・ラッド豪州元首相、御紹介ありがとうございます。そして朴槿恵大統領、再びお会いできて大変光栄に思います。何よりもウラジーミル・プーチン大統領、お招きに応じて、初めてウラジオストクの地を踏むことができました。心より嬉しく思っております。
今回は、もちろん飛行機でやって来ました。しかしこの街では、港がその玄関です。海から見ると一際美しいといいますから、ウラジオストクは本来なら、船で来るべき街なのかもしれません。約百年前、湾内から見た景色に息を呑み、「ここより美しい場所が、何処にあるだろう」と著書に記した人がいます。かの有名な、極地探検家のフリチョフ・ナンセンでした。
街の中にも訪れたい場所があります。アリューツカヤ通りへ行くと、「王様と私」でオスカーを取ったユル・ブリンナーの生家があって、銅像も立っているそうです。ここは外せません。
それからプーチン大統領ならよく御存知の、ロシアに初めて講道館柔道をもたらしたワシリー・オシェプコフは、コラベリナヤ通り21番地というところで最初の道場を開いたそうです。その建物もまだ残っているのでしょうか。そんなあちこちへ行くのは、いつかまた来た時の楽しみに取っておきます。
その「いつか」を、そう遠くない将来にしたいと思っています。どうしてかは、後ほど申し上げたいと思います。
プーチン大統領は、議会に報告する年次教書で毎年、国家発展のため最も重要なのは、ロシア極東地域の開発だと指摘しています。ウラジオストクを「自由港」とし、これをモデルに、他の港湾都市も自由港にするお考えです。ウラジオストクに、往年の、真の国際都市としての面目を取り戻させたいと思っておいでなのでしょう。
プーチン大統領のそんな夢は、私の夢でもあります。プーチン大統領、このウラジオストクを、ユーラシアと太平洋とを結ぶ、ゲートウェイにしようではありませんか。
太平洋は、今、自由で、公正で、開かれた経済圏へと、進化を遂げようとしています。ユーラシアという広大な後背地は、そのダイナミズムに、さらなる弾みを与えることでありましょう。ウラジオストクの輝きは、太平洋の隅々までを照らす、巨大な相乗効果を生み出すと確信しています。
プーチン大統領、先般ソチでお会いした時、私は大統領に、日本がロシアに協力できる分野を8つに絞り込んで提案しました。
その1つに、「快適・清潔で、住みやすく、活動しやすい都市づくり」を挙げています。これを両国で実施するためのモデル都市として、ウラジオストクくらい、ふさわしい街はないと思います。
郷愁を誘う(いざなう)、革命前の建築物、ソヴィエト時代の特徴あるデザイン、それに現代の意匠が入り混じり、海と、丘からなる独特の美を生かしながら、住民にとって便利で、観光客にとっては魅力あふれるウラジオストクを育てていく営みに、日本を加えてください。真剣な提案です。是非とも一緒にやろうではありませんか。
今度の旅を準備する過程で、ロシアの人口統計を目にする機会がありました。そして、私は驚かざるを得ませんでした。
1976年からの10年間に生まれた男女が2300万人近くに達しているのに、今ちょうど10代の人口となると、1400万人を切っています。96年からの10年に生まれた人たちで、統計はあたかも、90年代後半に、ロシアがくぐった困難を物語っているようであります。
世界でも稀なことに、ロシアは、平均寿命の着実な向上と、人口の増加を成し遂げつつあります。就学期の子供が増えて学校が足りないという、日本から見ると誠に羨ましい現実が生まれました。
しかし、生産年齢人口はこれから顕著に減っていき、しわ寄せは、いまの10代に、集中して及ぶことでしょう。彼らが働き盛りになる頃には、老人医療の負担が重くのしかかります。私たちはそこに目を留めて、「最先端の医療施設を整備して、ロシア国民の健康寿命を伸ばす」という提案を、8項目の第1に掲げました。
日本の問題は、よく似ています。少子高齢化が進む日本では、医療・年金制度に負担がかかります。老いていく世代に健康を維持してもらうため、あらゆる施策を打たなければなりません。ですから人口統計に感じるプーチン大統領の悩みは、私の悩みでもあります。
プーチン大統領は、ロシアの10代たちに対し、年長世代が多いからといってひるまず頑張れと、励ましておいでです。日本の若者に必要な激励も、実はまったく同じものです。
ただし、こうした問題に即効薬はありません。政治指導者にできることは、国家の命運を常に20年、30年という長い尺度で考えることです。勇気を持って問題に直面し、創造的な政策を打ち出しては、倦まず、弛まず働いて、確実に実行していくことだけです。
このように言うと、きっと朴槿恵大統領も頷いてくださると思います。未来はすぐ良くならないかもしれないが、頑張りさえすればきっと良くなると若い世代に思ってもらうには、一体何をすべきか。私たちには共通の課題があり、悩みがあるのだと思います。
皆様、経済成長をもたらすには、手段は3つしかありません。資本ストックの更新と、労働投入の増加、それに労働生産性の向上です。私の経済政策、いわゆる「アベノミクス」は、この3要素全てに働きかけることで、なんとか日本の成長を押し上げようとしています。
しかし経済学者が一致して言うように、成長にとって他の何よりも重要なのは、人間の「期待」です。人々が、明日はきっと、今日より良くなると信じることが、全ての基本です。
そのためにも、プーチン大統領、まずあなたと私とで、日本とロシアの最も緊密な協力が生み出す将来の可能性について、強い確信を共有しましょう。
ロシアと日本の経済は、競合関係にありません。見事に補完する間柄だと、私は確信しています。需要面でも、供給面でも、互いに刺激し合い、伸びていく未来を思いましょう。両国民がそこに明るい未来を託せるように、必要なことをすべてやっていきましょう。
例えば中小企業同士の協力は、大いに有望です。エネルギー資源の開発とその生産能力の拡充は、双方をwin-winにする最たるものです。
ロシア産業の多様化を進めて生産性を上げ、それを生かしながら、ロシア極東地域を、アジア太平洋に向けた輸出の拠点にしましょう。先端技術の協力と人的交流に弾みをつけ、つまりは未来への投資を、共に進めようではありませんか。
そこでプーチン大統領に、新しい提案をいたします。年に一度、ウラジオストクで会い、この8項目の進捗状況を、互いに確認しませんか。時にはタイガの原生林に入って、黒澤明監督が「デルス・ウザーラ」で撮った木々の木漏れ日に包まれながら、20年、30年先、日本とロシアはどんな関係にならねばならないかを考えましょう。そのために、今何をなすべきか、日常を離れてゆっくり相談する機会を毎年持つという、そういう提案です。会場の皆様も、今拍手で、良い提案だと御賛同をいただいたと、このように思います。
何より、そうすればウラジオストクに毎年来ることができます。
会場においでの、ロシア経営者の皆様。皆様が渡ってこられた橋の建設には、日本の杭打ち機が使われました。この会場の電気は、日本のガスタービンが作り出しています。皆様一刻も早く、日本企業と働く経験を積み重ねてください。
日本企業の生産現場には、必ずと言っていいほど、生産ラインの効率を良くしようと打ち込む労働者の姿があります。ボトムからの改善を求める声が、管理者、設計者に届くようになっています。一歩一歩、現場の智慧を生かして不良品を減らし、安全性、効率を上げる「カイゼン」が、そうして定着しました。上意下達や階級差のない日本の労働現場で、初めて生まれた独創です。
また、競争的な市場では、価値はマーケットが決めるもので、企業の自由になりません。このとき、品質を落とさずに、競争の中、それでも利益を保って勝ち抜くにはどうすればいいでしょうか。
コストを下げて、粗利を確保するのだと割り切って、まさしく「カイゼン」の手法に拠りながら、工程で無駄を削り取ったのが日本企業です。
どこに珍しさがあるのかと言わないでください。日本企業がやって見せるまで、「安い、しかし良い」モノづくりなど、できないと信じ込まれてきました。ハーバード・ビジネススクールのマイケル・ポーター教授が、そう指摘しています。
多くの国々が、早く、この手法に習熟する中で、そのうねりは、まだロシアの地には到達していない。日本企業と深く付き合うことで起きる生産思想の革新を、ロシアはまだ経験していません。
プーチン大統領、目指しておられる生産業大国へ至る道には、実証済みの近道がある。日本企業と組むことだと、声を大にして申し上げたいと思います。
ウラジーミル、あなたと私には、この先、大きな課題が待ち受けています。
限りない可能性を秘めているはずの、重要な隣国同士であるロシアと日本が、今日に至るまで平和条約を締結していないのは、異常な事態だと言わざるを得ません。
私たちは、それぞれの歴史に対する立場、おのおのの国民世論、そして愛国心を背負って、この場に立っています。日本の指導者として、私は日本の立場の正しさを確信し、ウラジーミル、あなたはロシアの指導者として、ロシアの立場の正しさを確信しています。
しかしこのままでは、あと何十年も、同じ議論を続けることになってしまいます。それを放置していては、私も、あなたも、未来の世代に対してより良い可能性を残してやることはできません。
ウラジーミル、私たちの世代が、勇気を持って、責任を果たしていこうではありませんか。あらゆる困難を乗り越えて、日本とロシア、2つの国がその可能性を大きく開花させる世界を、次の世代の若い人たちに残していこうではありませんか。この70年続いた異常な事態に終止符を打ち、次の70年の、日露の新たな時代を、共に切り開いていこうではありませんか。
無限の可能性を秘めた二国間関係を未来に向けて切り開くため、私は、ウラジーミル、あなたと一緒に、力の限り、日本とロシアの関係を前進させていく覚悟であります。
御清聴ありがとうございました。