データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 日系人との交流行事 安倍総理スピーチ

[場所] 
[年月日] 2016年11月21日
[出典] 首相官邸
[備考] 
[全文]

 今日はこの会場にやってまいりまして、本当に温かい空気の中で御歓迎をいただきまして、私も妻も大変感激をいたしております。

 ブエノスアイレスは、2020年のオリンピック・パラリンピックを東京に与えてくれた、感動の記憶も懐かしい街です。あの時のロゲ会長の「東京」という、あのアナウンスは今でも耳に残っています。あの時以来もう一度、アルゼンチンに、ブエノスアイレスにやって来なければ、そう思っていました。今日やっと念願がかないました。しかも本年は、皆様の記念すべき年、在亜日本人会の発足百周年となる年であります。そんな大事な年にやって来ることができた、という幸運に感謝したい気持ちであります。

 それにしても、今日の皆様、本当にたくさんの皆様が集まっていただきました。1000人近い皆様に集まっていただいたこと、改めて御礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございます。政治家はたくさんの皆様に集まっていただければ元気になるものでありまして、ですから今日、大変元気になって日本に帰ることができます。

 さて、新里孝徳様と仲村実好様、いらっしゃいますか。どうかお立ちいただければと思います。初めてこのアルゼンチンを日本の総理大臣として訪問したのは、誰でしょうか。それは私の祖父の岸信介であります。57年前、私の祖父に当たります岸信介が訪問した際、お迎えにお二人に出ていただいたと承知をしております。

 あの時、57年後に孫の私が総理大臣として訪問し、お目にかかれるとはお二人とも思っていなかったのではないかと思います。お目にかかれて本当に嬉しく思います。そして、セントロ・ニッケイを率いる若いリーダーのお一人、石川アルフレド様いらっしゃいますか。石川様のおじい様は、私の祖父から勲章を受け取られたそうですね。遠い日の記憶を大切に覚えてくださったことに、心より御礼を申し上げたいと思います。ありがとうございます。

 こうして、皆様方お一人お一人のお顔を拝見させていただきまして、そしてそのお一人お一人に深い歴史があることと思います。つらい時、そして苦しい時、皆様は日本人として、そして日系人としての誇りを胸に、時には歯をくいしばって乗り越えてこられたことと思います。

 日本から遠く離れたこの地にやってきて、いろんな困難を歯をくいしばって乗り越えてこられた。そして地域の皆様から尊敬の念を集めた。改めて皆様に対しまして心から敬意を表したいと思います。皆様が勝ち得た、この揺るぎない信頼こそは、日本人全体の誇りであります。

 在亜日本語教育連合会の石原克己様のお話によりますと、ちなみに石原さんは私と同じ山口県出身でありますが、アルゼンチンでは近年とみに、日系人以外の若者にも、日本語学習熱が高まっているということであります。まさしく、皆様が世代を継いで不動のものとなさった、日系人に対する信頼があってこそと私は確信しています。このたび、皆様のニッカイ共済会診療所に医療器材を提供させていただきます。血液の分析をする機械などですが、私どもの感謝のほんのささやかなしるしとして、どうかお受け取りください。

 本日はまた、この会場に中南米各国から、日系人代表の方々がお見えです。汎米日系人協会名誉会長のカルロス・カスガ様、ブラジル日本文化福祉協会会長の呉屋春美様、それからペルー日系人協会会長のホルヘ・クニガミ様。できれば全員の名前を挙げて御礼を申し上げたいところでございますが、時間の関係がございまして挙げることができませんが、本当に皆様遠くからありがとうございます。皆さんどうかお立ちいただけますでしょうか。

 日本を大切に思う皆様が、日系の若い世代を国境を越えて文化やスポーツでつなげることに意を注いでおられます。私は大いに励まされる思いであります。そうした皆さまの活動に役立つことであれば何でもやるように、私は各国の日本大使館や領事館やJICAに指示をいたしました。うんと働いてもらいたいと思います。働きが悪かったら是非私に連絡をしていただきたいと思います。

 また、むこう5年で、日系人の方々を1000人くらい日本にお招きするつもりであります。来年になると、サンパウロに「ジャパン・ハウス」という施設ができます。中南米各国と日本を近づける、拠点にいたします。どうか皆様には、それぞれの国と地域と日本とを結びつける「架け橋」となっていただけますように、お願いを申し上げます。

 2年前、私はブラジルで、日本と中南米は何事も「Juntos(フントス)」の精神で行くと申しました。皆様方のように、アルゼンチンで、中南米のいたるところで、現地の人々から不動の信頼を集める方々がいてくださる。そんな皆様が「架け橋」になってくださるからこそ、日本と中南米は「Juntos」でやっていけるのです。そのことを今日は改めて感じさせられました。日本とアルゼンチンはちょうど地球の反対側。しかし、心は地球をまっすぐ貫いてつながっています。

 先般、リオのオリンピックの閉会式で、私はスーパーマリオになって、日本から土管で貫いてリオにやってきました。あのイメージで、私は皆様と直接つながっていきたいと、こういうふうに思っております。今日こうして、いろんな地域からわざわざやって来ていただいた皆様方お一人お一人の姿を、私たちは、私も妻も、まぶたに焼き付けて日本に帰りたいと思っています。そして、皆様が日本のことを誇りに思っていただけるように、私も全力を尽くしていきます。そして、更に皆様がそれぞれの地域で活躍をしていかれる、そのことを全力で応援をしていきたいと思います。