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東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室

[文書名] 第72回国連総会における安倍内閣総理大臣一般討論演説

[場所] 
[年月日] 2017年9月20日
[出典] 首相官邸
[備考] 
[全文]

 議長、御列席の皆様、本日私はまず、SDGsの実施に懸ける、我々の情熱をお話ししようと思っていました。国内の啓発を図る工夫にも、御紹介したいものがありました。

 いわゆるWe-Fi、女性起業家を、資金で支える計画が、私個人や、日本政府にとって、なぜ重要か。

 ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)のことを、私は、日本ブランドにすると言っています。本年12月、我々は東京で、UHCを主題に、大きな会議を開きます。

 語るべきことの、リストは長い。

 法の支配に対する、我々の貢献。パリ協定に忠実たろうとする、我々の決意。世界のインフラ需要に対し、質の高い投資をもって臨む、我々の政策。

 また、日本が、どこまでも守りたいものとは、フリーで、リベラルで、オープンな国際秩序、多国間の枠組みであります。

 正にそれらを守る旗手・国連に寄せる世界の期待は、いよいよ高い。ならばこそ、安保理を、時代の要請に応じ、いち早く、変革すべきなのです。変革のため、日本は、友人たちと努めます。安保理常任理事国として、世界平和に積極的役割を果たすのが、日本の変わらぬ決意だと、私は、主張するつもりでありました。

 けれども私は、私の討論をただ一点、北朝鮮に関して集中せざるを得ません。

 9月3日、北朝鮮は核実験を強行した。それが、水爆の爆発だったかはともかく、規模は、前例をはるかに上回った。

 前後し、8月29日、次いで北朝鮮を制裁するため安保理が通した決議2375のインクも乾かぬうち9月15日に、北朝鮮はミサイルを発射した。いずれも日本上空を通過させ、航続距離を見せつけるものだった。

 脅威はかつてなく重大です。眼前に、差し迫ったものです。

 我々が営々続けてきた軍縮の努力を、北朝鮮は、一笑に付そうとしている。不拡散体制は、その史上、最も確信的な破壊者によって、深刻な打撃を受けようとしている。

 議長、同僚の皆様、この度の危機は、独裁者の誰彼が大量破壊兵器を手に入れようとする度、我々がくぐってきたものと、質において次元の異なるものです。

 北朝鮮の核兵器は、水爆になったか、なろうとしている。その運搬手段は、早晩、ICBM(大陸間弾道ミサイル)になるだろう。

 冷戦が終わって二十有余年、我々は、この間、どこの独裁者に、ここまで放恣(ほうし)にさせたでしょう。北朝鮮にだけは、我々は、結果として、許してしまった。

 それは我々の、目の前の現実です。

 かつ、これをもたらしたのは、対話の不足では、断じてありません。

 対話が北朝鮮に、核を断念させた、対話は危機から世界を救ったと、我々の多くが安堵(あんど)したことがあります。一度ならず、二度までも。

 最初は、1990年代の前半です。

 当時、北朝鮮がなした恫喝(どうかつ)は、IAEA(国際原子力機関)など、査察体制からの脱却を、ちらつかせるものにすぎませんでした。

 しかし、その意図の、那辺を察した我々には、緊張が走った。

 幾つか曲折を経て、1994年10月、米朝に、いわゆる枠組み合意が成立します。

 核計画を、北朝鮮に断念させる。その代わり我々は、北朝鮮に、インセンティブを与えることにした。

 日米韓は、そのため、翌年の3月、KEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)をこしらえる。これを実施主体として、北朝鮮に、軽水炉を2基、つくって渡し、また、エネルギー需要のつなぎとして、年間50万トンの重油を与える約束をしたのです。

 これは順次、実行されました。ところが、時を経るうち、北朝鮮はウラン濃縮を次々と続けていたことが分かります。

 核を棄(す)てる意思など、元々北朝鮮にはなかった。それが、誰の目にも明らかになりました。発足7年後の2002年以降、KEDOは活動を停止します。

 北朝鮮はその間、米国、韓国、日本から、支援を詐取したと言っていいでしょう。

 インセンティブを与え、北朝鮮の行動を変えるという、KEDOの枠組みに価値を認めた国は、徐々に、KEDOへ加わりました。

 欧州連合、ニュージーランド、豪州、カナダ、インドネシア、チリ、アルゼンチン、ポーランド、チェコそしてウズベキスタン。

 北朝鮮は、それらメンバー全ての、善意を裏切ったのです。

 創設国の一員として、日本はKEDOに無利息資金の貸与を約束し、その約40パーセントを実施しました。約束額は10億ドル。実行したのは、約4億ドルです。

 KEDOが活動を止め、北朝鮮が、核関連施設の凍結をやめると言い、IAEA査察官を追放するに及んだ、2002年、2度目の危機が生じた。

 懸案はまたしても、北朝鮮がウラン濃縮を続けていたこと。そして我々は、再び、対話による事態打開の途(みち)を選びます。

 KEDO創設メンバーだった日米韓3国に、北朝鮮と、中国、ロシアを加えた、六者会合が始まります。2003年、8月でした。

 その後、2年、曲折の後、2005年の夏から秋にかけ、六者は一度合意に達し、声明を出すに至ります。

 北朝鮮は、全ての核兵器、既存の核計画を放棄することと、NPT(核兵器の不拡散に関する条約)と、IAEAの保障措置に復帰することを約束した。

 その更に2年後、2007年の2月、共同声明の実施に向け、六者がそれぞれ何をすべきかに関し、合意がまとまります。

 北朝鮮に入ったIAEAの査察団は、寧辺(ヨンビョン)にあった、核関連施設の閉鎖を確認、その見返りとして、北朝鮮は、重油を受け取るに至るのです。

 一連の過程は、今度こそ、粘り強く対話を続けたことが、北朝鮮に行動を改めさせた、そう思わせました。

 実際は、どうだったか。

 六者会合の傍ら、北朝鮮は2005年2月、我々は、既に核保有国だと、一方的に宣言した。

 さらに2006年の10月、第1回の核実験を、公然、実施した。

 2度目の核実験は、2009年。結局北朝鮮は、この年、再び絶対に参加しないと述べた上、六者会合からの脱退を表明します。

 しかもこの頃には、弾道ミサイルの発射を、繰り返し行うようになっていた。

 議長、同僚の皆様、国際社会は北朝鮮に対し、1994年からの十有余年、最初は枠組み合意、次には六者会合によりながら、辛抱強く、対話の努力を続けたのであります。

 しかし我々が思い知ったのは、対話が続いた間、北朝鮮は、核、ミサイルの開発を、諦めるつもりなど、まるで、持ち合わせていなかったということであります。

 対話とは、北朝鮮にとって、我々を欺き、時間を稼ぐため、むしろ最良の手段だった。

 何よりそれを、次の事実が証明します。

 すなわち1994年、北朝鮮に核兵器はなく、弾道ミサイルの技術も、成熟に程遠かった。それが今、水爆と、ICBMを手に入れようとしているのです。

 対話による問題解決の試みは、一再ならず、無に帰した。

 何の成算あって、我々は三度、同じ過ちを繰り返そうというのでしょう。

 北朝鮮に、全ての核、弾道ミサイル計画を、完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な方法で、放棄させなくてはなりません。

 そのため必要なのは、対話ではない。圧力なのです。

 議長、同僚の皆様、横田めぐみという、13歳の少女が、北朝鮮に拉致されて、本年11月15日、ついに40年を迎えます。

 めぐみさん始め、多くの日本人が、いまだに北朝鮮に、拉致されたままです。

 彼らが、一日も早く祖国の土を踏み、父や母、家族と抱き合うことができる日が来るよう、全力を尽くしてまいります。

 北朝鮮の核、ミサイルの脅威に対し、日本は日米同盟によって、また、日米韓3国の結束によって、立ち向かいます。

 全ての選択肢はテーブルの上にあるとする米国の立場を、一貫して支持します。

 その上で私は、北朝鮮に対し厳しい制裁を課す安保理決議第2375号が、9月11日、安保理の全会一致で採択されたのを、多とするものです。

 それは、北朝鮮に対する圧力を一層強めることによって、北朝鮮に対し、路線の根本変更を迫る我々の意思を、明確にしたものでした。

 しかし、あえて訴えます。

 北朝鮮は既に、ミサイルを発射して、決議を無視してみせました。

 決議は飽くまで、始まりにすぎません。

 核、ミサイルの開発に必要な、モノ、カネ、ヒト、技術が、北朝鮮に向かうのを阻む。

 北朝鮮に、累次の決議を、完全に、履行させる。

 全ての加盟国による、一連の安保理決議の、厳格かつ全面的な履行を確保する。

 必要なのは、行動です。北朝鮮による挑発を止めることができるかどうかは、国際社会の連帯にかかっている。

 残された時間は、多くありません。

 議長、御列席の皆様、北朝鮮はアジア・太平洋の成長圏に隣接し、立地条件に恵まれています。勤勉な労働力があり、地下には資源がある。

 それらを活用するなら、北朝鮮には経済を飛躍的に伸ばし、民生を改善する途があり得る。

 そこにこそ、北朝鮮の明るい未来はあるのです。

 拉致、核、ミサイル問題の解決なしに、人類全体の脅威となることで、拓ける未来など、あろうはずがありません。

 北朝鮮の政策を、変えさせる。そのために私たちは、結束を固めなければなりません。ありがとうございました。