データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所

[文書名] 第53回 国家公務員合同初任研修開講式 安倍内総理大臣訓示

[場所] 
[年月日] 2019年4月3日
[出典] 首相官邸
[備考] 
[全文]

 国家、国民のために身を尽くすとの崇高な志を持って、自ら選んで国家公務員の道を進んだ皆さんを、心より歓迎いたします。

 平成の時代が終わり、新たな時代を迎えるこの大きな節目の年に、皆さんは行政官としての新たな一歩を踏み出します。次の時代を創るのは自分たちである。その気概を持って、それぞれの仕事に邁進(まいしん)してほしいと思います。

 皆さんには、無限の可能性がある。様々な政策に関与し、また、政策を打ち立てることができます。しかし、諸君の能力がどんなに優れていても、役所の中だけに閉じこもって作り上げた政策で、物事が動くほど、世の中は単純ではありません。常に現場を知り、現場で起きている現実の姿、変化を正しく捉えることが必要です。どうか、率先して現場に飛び込んで、その声に耳を傾け、現場の目線から、政策を磨き上げてください。現場の人たちに、思いをめぐらせてほしいと思います。

 今から60年前、現在の社会保障制度へと続く、世界に冠たる、国民皆保険制度をつくったのは、旧厚生省の行政官、小山進次郎のチームでありました。しかし、全国2,500万人とも言われる人々からの保険料の徴収は至難の業でした。当時の安保闘争とあいまって、各地で、保険料の支払い拒否、座り込み、様々な反対運動が起こりました。積立金が軍需産業の育成に使われる、こうしたことも言われたそうです。あくまで納得ずくで、進めていく。説明会では、野次と怒号が飛び交う中でも、説得を重ねました。デモ隊に取り囲まれれば、その本部に出向いて、とことん話し合った。反対運動が盛り上がる中、真冬の吹雪にあっても、雪に閉ざされた集落に向かい、一軒一軒、家々を訪ね回りました。山奥の村に何度も足を運び、車のメーターは1日で500キロ、任務を終えるころには地球1周分を超え、5万キロになっていた。60年後まで続く社会保障制度は、歯を食いしばり、ひたすらに現場を大切にした先人たちの努力の上にある。行政の仕事とは、すべからく、1億2千万人、国民一人一人と向き合う仕事であります。当然、反対もあれば、批判も受けることもあるでしょう。そうした中で、しっかりとやるべきことをやる。どうか、困難にあっても、この国の将来を見据えながら、粘り強く政策を前に進める行政官であってほしいと思います。そして、そのことを誇りに、行政官の人生を歩んでいただきたいと思います。

 一昨日、新元号を発表しました。間もなく、皇位継承を迎え、新しい時代の幕開けとなります。再来月には、日本初のG20(金融世界経済に関する首脳会合)サミット、来年の東京オリンピック・パラリンピック、2025年には大阪・関西万博。世界から注目を浴びる大きなイベントを立て続けに迎えます。

 かつての1964年の東京五輪、70年の大阪万博は、敗戦からわずか20年後にもかかわらず、私も、子供ながらに、日本が世界の中の日本になったという大きな実感がありました。リニアモーターカー、電気自動車、携帯電話、夢のような未来社会に誰もが心躍らせた、あの大阪万博の開催を発案したのは、池口小太郎、後の堺屋(さかいや)太一さんです。当時は、弱冠、入省3年目でありました。池口はとてつもないアイデアマンだったんだろう、自分にはできない、なんて思わないでください。彼の壮大なプロジェクトも、始めは上司に見向きもされませんでした。それでも諦めなかった。池口は、上司の運転手の控室に夜な夜な現れては、運転手さんに万博を話し、質問には海外の文献を漁って答えました。通い詰めること3か月、池口の熱意に絆(ほだ)された運転手さんが、移動の車中で話をして、上司は万博の推進者、第1号となったといいます。

 こうした中で、池口は独自の世界万国博覧会年表までつくり上げました。エッフェル塔は万国博覧会のシンボルタワーとして建てられ、撤去されずに、パリの顔になったこと。ウィーンは万博で城壁を取り払い、近代都市に生まれ変わったこと。シカゴ博覧会を契機に、自然光に頼らない建築が普及し始めたこと。色々なエピソードを交えながら、霞が関、自治体、財界、政治、様々な場に足を運んでは万博のインパクトを語り、一人また一人と、賛同を集めていった。こうした池口のひたむきな熱意、さらには、行動力こそが、万博へと日本を動かすエンジンとなり、あの成功へと導いたのだと思います。

 皆さん、政策に年次は関係ありません。若い人ならではの視点、柔軟な発想。強みを最大限にいかし、役所の前例主義を打ち破る大胆な政策を立案してください。そして、政策に愛情を、情熱を注いでください。大阪万博も入省3年目の1人の行政官の発意と熱意から始まった。そして、大変な努力の末、あの大成功に導いたわけであります。皆さんにもできます。未来に向かって一歩でも前に、政策を進めていく国家公務員であってほしいと思います。

 終わりにこの言葉で締めくくりたいと思います。初心忘るべからず。世阿弥(ぜあみ)は、この言葉を、3つに分けて説きます。是非の初心忘るべからず。国家公務員の門を叩いた、今、この時を忘れないでください。時々の初心忘るべからず。これから、皆さんは様々な仕事を経験するでしょうが、その時々の新しい仕事に臨む時のフレッシュな気持ちを忘れないでください。老後の初心忘るべからず。ベテランになっても、向上に終わりはありません。我が国の将来を担う行政のプロとして、常に、更なる高みを目指し続けてください。

 いよいよ、令和の時代が始まります。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、皆さんも行政という分野において、それぞれの花を大きく咲かせてほしい。皆さんに、大いに、期待しています。皆さん共に、力を合わせて、日本の明日を切り拓(ひら)いていこうではありませんか。皆さんおめでとうございました。